はてなキーワード: 金川真大とは
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年月日 名称 | 場所 | 被害者数 | 使用道具 | 犯人 | 犯行時年齢 | 生まれ年 | 人物 | 供述 |
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1999.9.18 池袋通り魔殺人事件 | 池袋路上 | 死亡2+重軽傷6 | 包丁と金槌 | 造田博 | 23 | 1975 | 親が借金で失踪、大学進学断念 | 「真面目な人がさらにさらに苦しむ一方で、遊んで楽をしていられる身分の人たちがいることに嫌気がさした」 |
1999.9.29 下関通り魔事件 | 下関駅構内 | 死亡5+重軽傷10 | レンタカーと包丁 | 上部康明 | 35 | 1964 | 九州大学工学部卒一級建築士・離婚 | 「社会に不満があり、だれでもいいから殺してやろうと思った」 |
2001.6.08 附属池田小事件 | 私立池田小学校内 | 死亡8+重軽傷15 | 包丁 | 宅間守 | 37 | 1963 | 182cm離婚4回モテ男・兄は事件前に自殺 | 「なんや、家が貧しい者は、ええ学校入られへんのか」 |
2007.12.14 ルネサンス佐世保スポーツクラブ散弾銃乱射事件 | クラブ内 | 死亡2+負傷6 | 散弾銃 | 馬込政義 | 37 | 1970 | 高身長フツメン・週刊新潮によると母→父の逆DV家庭 | 犯行後自殺 |
2008.3.19 土浦連続殺傷事件 | 茨城県土浦市民家・路上 | 死亡2+重傷7 | 包丁とサバイバルナイフ | 金川真大 | 24 | 1983 | 父は官僚・帰国子女 | 「死刑になるために殺した」「ライオンがシマウマを食べるとき、シマウマに悪いと感じるのでしょうか」 |
2008.6.08 秋葉原通り魔事件 | 秋葉原路上 | 死亡7+重軽傷10 | トラックとナイフ | 加藤智大 | 25 | 1983 | 派遣社員 | 「負け組は生まれながらにして負け組なのです まずそれに気付きましょう そして受け入れましょう」「本気で自分を『負け組』だと考える人のことは全く理解できません。また、自分の努力不足を棚に上げて『勝ち組』を逆恨みするその腐った根性は不快です。」 |
2016.6.21 イオンモール釧路昭和通り魔事件 | 北海道釧路モール内 | 死亡1+重軽傷3 | 包丁 | 松橋伸幸 | 33 | 1983 | 介護施設調理師・新聞配達員 | 「人生を終わりにしたかった。死刑になってもいい。殺人が一番、死刑になるかと思った」 |
2016.7.26 相模原障害者施設殺傷事件 | やまゆり園 | 死亡19+重軽傷26 | 包丁 | 植松聖 | 26 | 1990 | 介護士 | 「障害者は可愛い。自分を必要としてくれる。天職だ」「重度障害者の家族は病んでいる。『幸せだった』という被害者遺族は不幸に慣れているだけだ」「特に短期入所者の家族は、暗い表情でそそくさと逃げるように帰っていきます。重たい表情で疲れ切っていました。」「職員は死んだ目をしていた」 |
2018.6.9 東海道新幹線車内殺傷事件 | 新幹線 | 死亡1+重傷2 | 鉈 | 小島一朗 | 22 | 1996 | ホームレス | 『さらに私は言った。「私には生存権がある」「(警官)この場合はあたらない」』 |
2019.5.28 川崎市登戸通り魔事件 | 私立カリタス小学校スクールバス停 | 死亡2+重軽傷18 | 包丁 | 岩崎隆一 | 51 | 1967 | ひきこもり | 犯行後自殺 |
渡邊博史(犯行当時36歳・1976生・元派遣社員)の手記より
《自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。
しかし自分の主観ではそれは違うのです。以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者の受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります。自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。
どこも人手不足だと言われてるけど、連続で不採用で、派遣からも「いや、ちょっと」って言われる。
ちょっと前は35以下までの求人しかなかった。今は44で募集かけてる。
工場、介護、清掃、警備、このへんでも基本面接してくれるのは半々ぐらい。
新しく派遣に登録して、最近って人手不足じゃないんですか?って言ったら外人で十分だしって。
もうちょっと聞いたら、35から40ぐらいの非正規で、ろくでもない職歴は、まず雇わないらしい。
なんで?と聞いたら40オーバーは就職氷河期連中で団塊ジュニア世代、履歴書汚くても態度悪くても仕事はちゃんとやる。
シニアは比較的まとも率高くて、すぐに辞めてもらえるし、対応は楽、干せば勝手にいなくなるし。
35-40は、まずイメージが悪い。
金川真大、加藤智大とか、何かあると通り魔事件で大量殺人とかやりそうだよね……って。
それに35-40が新卒時って小泉政権のプチバブルで就職イージーモードの時期じゃん。
新卒で正社員になれない、ならないのは、やっぱ問題ある人だよね。
そっから10年間は景気回復ずっと続いてるのに、何やってたの?って話。
2010年以降にまともな職に就けないような人は、やっぱり相当問題ありの人って印象だわー。って言ってる。
非正規ばっかだとか、資格も何もないだとか、真面目に生きる気ないよね、ゴミクズじゃん。
しかも何か気に入らないことあれば刃物振り回して、大量殺人とかしちゃう世代だし、もうリスクしかないわー……ってことらしい。
な、それな。
去年の12月ぐらいに言われて、もやもやしてたけど、1月末まではピッキングの仕事あったので、考えないようにしてた。
これからどうしよう。
素直な感想を言うと、すごい、と思った。別に尊敬とか全然しないけど、例えるなら、金川真大の文章を読んだときと同じようなすごさ。
ブコメとか見ても、相手の気持ちになってみろ! という意見が支持されてるみたいだけど、違うんだよね。
どっちが偉いとかじゃなくて、あいつが殴られても痛いのはあいつであって俺じゃない。
なのにどうしてあいつの気持ちを考えなければならないのか? だってあいつは俺じゃないのに。痛いのは俺じゃないのに。
だから、相手の気持ちになってみろ! なんて説得は無意味なんだよね。
仮になってみたとしても、それは「仮に」の話でしかない。
事実として、俺の気持ちは相手の気持ちではない。仮の話に基づいて行動しなくちゃならない理由なんかない。
http://anond.hatelabo.jp/20130223193210を読んでも、この人が死刑に「賛成する理由」はさっぱり分からない。
そんなオレが、死刑賛成派の考える「死刑の合理性(あるいは正しさ)」とはどのようなものか?について考えてみた。
→ 確かに、死刑が執行されれば「再犯率」はゼロだ。だがこれは、「死刑が生んでいる犯罪」をカウント対象としていない。死刑の根底に「目的があれば殺人は許容される」という思想がある以上は、死刑が間接的に殺人者を生み、「別の人間による殺人など凶悪犯罪の再生産」を生んでいる可能性を明確に否定できない。
→ これに対して「死刑がない場合に増える犯罪をお前はカウントしてないではないか」という反論が想定されるが、過去、死刑を廃止した国で、死刑を廃止したことで犯罪が増加したというデータはない。一方「死刑になりたくて無差別殺人をやった」とうそぶく殺人者は多い。たとえば下記。
2013.2.21 産経新聞より
「死刑になりたい。生きるのがいやになった」。死刑が執行された金川(かながわ)真大(まさひろ)死刑囚(29)は1審判決前の平成21年6月、水戸拘置支所(水戸市)で産経新聞の取材に応じ、早く死刑に処されたいという心中を吐露。「自殺はどんな方法であれ、自分の体に痛みを加える。そんな勇気がなかったので殺人をした」と話し、最後まで反省の言葉はなかった。…
2「コスト」
→ 無期懲役で囚人を何年も養うためにお金をつかっていられない。死刑にすれば金がかからない、と思っている人は多い。しかし、「死刑 コスト」で検索をかけてみれば分かるが、死刑制度があるせいで社会に多大なコストがかかっているという面もある。「コストが高い」ことを理由の一つとして死刑制度を廃止する国や地方もある。
米国では、死刑復活が認められた1976年以降、今年9月末までに計1228人が処刑された。先進国の中では最も多い数だ。それでも、死刑をめぐる論戦は、司法や立法の場で続いている。
その中で、最近新たに浮かび上がってきた論点が「コスト」だ。死刑を維持した方がコストがかかる、というのだ。
米国の50州のうち、死刑があるのは35州。76年以降、2州が廃止した。2007年に廃止したニュージャージー州では、コスト論が決め手の一つになった。…
3「無期懲役なんて10年程度で出てくる甘い刑罰。それ以上の極刑を望むのが市民感情」
→ これは明確に虚構。無期懲役について調べれば分かるが、日本の「無期懲役」は、海外の「終身刑」とほぼ同じ基準で運用されている。「懲役200年」とか、ばかげた数字を付けないだけで、単に「いつ出られる」とも出られないとも本人には示さず、しかし、いつまでたっても仮釈放が認められない囚人は存在する。
参考:http://www.excite.co.jp/News/bit/00091211882686.html?_p=all
4「復讐」
→ これは、唯一「感情的には」理解できる。あくまで「被害者と感情的に強い紐帯で結ばれた人間」が抱く感情として、「復讐」は、古今東西を通じての極めて強い人間的感情だからだ。理性を社会の基盤としてない時代や社会の下で「死刑廃止」を主張し実現するのは無理だろう、とは自分でも思う。だが、近代以降の社会において、なお、このような強い「感情」を社会の運営の基盤に置くのは危険過ぎる。「感情」を無視して社会が運営できるとは思わないが、「感情」を理性によって克服しようと努めてきたのが、過去100年の世界の歴史であり、現代社会は、そのことを無視して後戻りする状況にはない。
→ もちろん、「日本社会は、現実問題として理性を基盤とした社会ではないから、死刑存置はやむを得ない」という主張には、それなりの説得力がある。だが、それはあくまで「現実論」であり妥協であって、思想として死刑制度に賛成するか否かということとは別のことだ。この点に基づく死刑賛成派は、自分が「死刑のある社会が理想的で素晴らしい、望まれる社会」だと考えているのか、それとも「今の日本の社会の下では死刑存置はやむを得ない」と考えているだけでその先にある「死刑制度自体が是か非か」について考えることは停止しているのか、再度自問すべきではないか?
なお、元増田が書いている「国家による殺人」に関することは、サラッと流せる話ではない。国家に自国民を殺す権利はあるのか?について、元増田はどの程度、思考を巡らした上で書いているのか?
では、犯罪者は「犯罪者」だから殺していいのか? では、「犯罪者か否か」は誰が決めるのか。国家だ。つまり国家にとって死刑制度は「殺したい国民を殺せる」手段だということになる。
元増田は「国家は国民が運営してるんだから、いいじゃん」と思っているのだろう。つまり「国家が国民のためにならないことをするわけないよ」と思っているのだろう。平和な考えで、大変結構だ。しかし残念な思い込みでもあると申し上げておこう。
申し訳ないが、オレは単なる「システム」に、そこまで全幅の信頼はおけない。システムはただの「道具」に過ぎない。それを使う人間によって、善なる結果も悪なる結果も引き起こす。従って、システムは、多少危うい人間がそれを握ってもヒドイ結果は引き起こさないように設計する必要があるのだ。元増田が、いかなる政治思想を支持しているかは知らないが、自分から見て全く反対の政治思想が流行し彼らが政権を握ったとき、自分が「粛正」される側に回らない自信は本当にあるのか? それとも「常に強者にすり寄る」主義であるか。それでも、コウモリ的存在は、いつなんどき「裏切り者」として粛正されるか分からないわけだが。
以上の観点から、オレは「可能な限り近い将来に死刑は廃止すべきだし、そのために、一日も早く日本社会が感情よりも理性で運営される社会となるよう、関係者は努力すべきだ」と思っている。