はてなキーワード: 量子力学とは
独身男性はやっぱり狂う。
夫婦で奈良に遊びに行った際に夫の大学時代の同級生が奈良で研究生活をしているというので会いに行った。
夫は大学卒業後都内に戻り初期臨床研修に進んだが、その同級生は初期臨床研修に進まずにそのまま大学院に進学した。現在も独身。
まず研究室で袋の開けられたハッピーターンを出されて「これ食べていいよ」と言われた。大学時代の同級生が妻を連れて遊びに来たというのにヨレヨレのくたびれたTシャツにジャージパンツ。
独身で彼女も妻も子供もおらず臨床医と異なり仕事での人間関係もないからか、夫の話す他の同級生や先輩の近況、子供の話などには全くついてこれていなかった。
そして自分が研究している発生学の話や、現在の生物学がいかに量子力学などの物理学の影響を受けているのかという話を力説された。
夫は「くせ強いだろ」と苦笑いしていた。
独身男性は狂うし哀れ。
量子力学を理解しようとして、Faddevの本と、Takhtajanの本を買ったことがありますが、積読になっていました。
個人的な懸念を表明すると、量子力学を学ぶことは神への冒涜なのか否かということで、これは単に個人的な宗教観の問題です。
しかし、おそらく神は、私たちに知ってもらいたい事柄だけにアクセスを許可するよう設計しているはずです。
どちらも数学マニアが量子力学を学ぶために書かれた本ですが、やりがいがありそうなTakhtajanの方をやろうと思います。
エドワード・フレンケル教授の「Love and Math」ではSO(3)について書かれていましたが、それについての解説も書かれているようです。
追記: Takhtajanをちょっと読んだのですが、リー代数を理解済みとして話が進んでいたので、学生向けのFaddevの本からやっぱりやります。
エドワード・フレンケル教授によれば、最先端の数学はゴッホのようなものですが、小手先の応用はペンキ塗りに喩えられています。
また、ティモシーガワーズ教授は、数学の2つの文化、つまり「問題解決者」と「理論構築者」に分けて考察しています。
私のようなプログラマーというのは、問題解決者として小手先の応用へ取り組む人がほとんどです。
例えば量子力学の理論やラングランズ・プログラムなどの「深淵」に取り組んだ経験が圧倒的に少ないのです。
学ぶ事柄が見つからないということは起こり得ません。むしろ多すぎて選ぶのに苦労しています。人生は限りがあるので、選ばなければならないのです。
しかし数学の経験が未熟であるために、取り組む価値のあるトピックがどれであるのか、その審美眼が鍛えられていないのです。
プログラマーは離散数学のことばかりやっています。だから逆に、連続とか無限とかそういうことへの憧れが湧いてきます。
しかし、超弦理論は最近批判に晒されているようで、つまり実験によって反証しにくいので、理論が結局どう有用なのかわからなくなっているようなのです。
人間がこの先、微細な弦の構造を発見できるくらい巨大なエネルギーをもった加速器を作ることがあるでしょうか。希望は薄そうです。
フレンケル教授が言うように、「一部のエリートだけがゴッホを理解するのではなく、一般市民も作品に触れる」ことに希望を持っています。
つい最近エントロピーの増田記事を見たが、ワイもちょっとだけメモすんで。
ユニタリ量子力学を想定した宇宙論があるとして、系・観測者・環境という3者がそこに存在すると考えられるわな。
だから熱力学の第2法則は「系のエントロピーは観察者と相互作用しない限り減少できず、環境と相互作用しない限り増加できない」と言い換えられんねん。
観察者と系の相互作用については、量子ベイズ定理から得られるわけや。
宇宙論的インフレーションで生じる長距離エンタングルメントがあるが、宇宙エントロピーは観測された情報ビット数に比例するのではなく、指数関数的に減少して、特定の観察者が脳が保存できる情報量よりもさらに多くのエントロピーを減少させられるってわけや。
ボブは量子力学についての知識は素人だった。ところが、ウィグナーの友人を応用すれば、量子乱数を使い、可能世界の重ね合わせを実現できるのではないかと思った。
可能世界とは、今までの知識・経験から考えても無矛盾な世界の集合で、これはいくつもバリエーションはありえる。
だが、どういう世界になるかはわからない。ボブは異世界アニメの影響を受けていて、本当に別の世界に行きたいと思っていた。
そして量子乱数を使ったそのプログラムを走らせた。...なにもおこらない。
もう一度走らせる...やはりなにも起こらない。
それを何度も繰り返していると、急にテレビが付き始めた。
テレビの画面の中に外国人が映っており、「もうわかった」と話し始めた。
「もうわかった」と男はもう一度言った。
「お前たちはもう自由だ、好きなところへいけ」
ボブはキターと思った。好きな異世界へ行けるというサインに違いない。
しかしボブの考えは甘すぎた。
その後にいくつかの異世界のバリエーションを体験したが、どれも地獄の所業であった。
そしてボブは元の世界に戻ってくると「異世界は駄目だ!危険なロジックで構築されている!今の世界が一番!神を信用しよう!」と言った。
けっこう面白いと思う
ボケは40代のおっさんでツッコミは女子高生の綾ちゃんという設定
文章には全く手を加えてないです
以下ChatGPTによる文章
↓
「だから、最近ずっと考えているんだけど、粒子もつれと恋愛の関係について。」
【綾:「え、何それ突然?科学の話始めるの?」】
「知ってるかな、2つの粒子が一度結びついた際に、それぞれの状態がどんな距離を隔てていても影響し合うというあの理論。」
「それを聞いて思うんだけど、運命の赤い糸や宇宙的な繋がり、人と人の間に流れる何か不可視の絆みたいなものって、実はもっと深い所で結びついているのかもしれない、と。」
【綾:「うーん、それってどういうこと?」】
「そういえば、この間バスケットボールの試合を観ていたら、ファールの判定についてもなんとなく分かりづらい部分があると感じたんだよね。」
【綾:「え、なんで今バスケの話?混乱するよ!」】
「プレイヤーが接触した時、どこからがファールとしてカウントされるのか、実際の試合の中での基準って何だろうって。」
【綾:「それも関係あるの?」】
「まるで粒子もつれのように、触れた瞬間のインパクトとその後の結果との間の関係性が、とても曖昧に感じられて。」
【綾:「…なんかすごく難しそう。」】
「そして、フェミニズムの視点から見ると、腋毛の処理についても興味が湧くんだ。」
【綾:「ほんとに色々飛び飛びだね。」】
「女性として、自分たちが無駄毛を気にする背景には、果たしてどれだけの自己意志があるのか、それとも何か社会からのプレッシャーや期待が背後に隠れているのか、という疑問が。」
【綾:「うん、それはちょっと分かるかも。」】
「それと同じように、バスケットボールのファールの判定も、果たしてどのプレイヤーの自己意志が関与しているのか、それともルールや審判の判断によるものなのか、という曖昧さが。」
【綾:「またバスケ?頭の中どうなってるの?」】
「実際、この都会で何十年と生きてきて、いろんな経験をしてきた中で、自分の中に潜む運命の赤い糸や、かつての熱く燃えるような夢、そしてそれとは裏腹に感じる社会からの冷ややかな目。そんなものたちとの間で、絶えず葛藤しているような気がする。」
「そして、宇宙の法則や量子力学のように、恋愛においても、まだ解明されていない未知の
部分が多いと感じる。それが、何とも言えず魅力的に感じることもあるんだよね。」
【綾:「そこまで深く考えないけど、面白い考え方かも。」】
「でも、戻って腋毛の話とバスケットの判定の話になるんだけど、それに対する処理やケア、あるいはルール解釈の背景には、真に自分のためにやっているのか、それとも他人の目を気にして、社会の何らかの期待に応えようとしているのか、あるいはゲームの流れを考慮したうえでの判断なのか、その選択について考えるのは、やはり大事だと思うんだ。だけど、正直なところ、どんどんと分からなくなってきている気がする。」
【綾:「もういい!なにいってるか分からないよ!」】
蓋然性という言葉は、物事の未来の結果を明確に判断する前に、その可能性を表現するために使われます。この言葉の語源は、量子物理学者エルヴィン・シュレディンガーの有名な思考実験「シュレディンガーの猫」に関連しています。
シュレディンガーの猫の思考実験では、密閉された箱の中に猫が入っており、放射性物質の崩壊によって毒ガスが放出される可能性があります。しかし、観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は明確には決まらないとされました。つまり、蓋を開けるまで、猫は生きている可能性と死んでいる可能性の両方を持つという状態にあるとされました。
この思考実験は、量子力学の基本的な原理である「重ね合わせの原理」と関連しており、シュレディンガーの猫が生死の両方の可能性を持つという状態を表現しました。この概念は、物事の未来の結果が確定するまで、複数の可能性が存在するというアイデアと結びつきました。
こうして、シュレディンガーの猫の思考実験をもとに、未来の結果が明確になる前の可能性を表す言葉として「蓋然性」という語が生まれたのです。蓋然性は、現実の出来事や結果に対して、不確実性や可能性を示す言葉として使用され、予測や推測の範囲を表現する役割を果たしています。
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っていうのは、俺がChatGPTに書かせた嘘だから気をつけろよ
なんというかこういうことこのクソデカ主語でさらっと書いちゃうあたりすげー勉強も研究もできなさそう感が・・・
そもそもタイトルからして何が言いたいのか意味不明だから、学部でちょっとかじった知識でドヤ顔する前に国語力を鍛えたほうがよさそうではある