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2024-01-21

  可愛らしいビール腹の千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命科学科卒おじさんにすらキモくて金のないおっさん差別されますよね。

  一橋大学商学部在学中にストックホルム商科大学留学するも、ストックホルム貴族たちの悪辣さに辟易し、その上で酒々井町酒々井中学校同級生であった交際相手を殺され人生クールポコ状態

  救済(たすけ)てくれ、と叫んでみるも肛門臭がひどいので誰も救済(たすけ)てくれない😡

  たし🦀再投稿は甘えだが、そもそも女性はハッタショだろうが下方婚しませんよね?

  つまり何が言いたいかというと「クンニ✋(👁👅👁)🤚せい」という話。

2023-07-29

動物性タンパク質摂取を控えている私も、土用の丑の日には鰻を避けるわけにはいかないであろう。

酒々井町で生まれ育った私は幼い頃から手繰川沿いを自転車で走り鰻釣りを楽しんだものである

酒々井町酒々井中学校卒業千葉県佐倉高等学校に進学した頃には釣った鰻を焼くだけでは足りず、甲子正宗か梅一輪と合わせなければ満足できないようになっていた。音楽教師の母は呆れていたが、高校教師の父は「清酒にする米を作ってる家の男だ」と笑いながら私と共にヘベレケになっていたものだ。

神戸大学医学部在学中は、当時交際していた女性とその両親と元町青柳という店で鰻を食べた。あの鰻も素晴らしいものであったが、私にとって鰻といえばやはり成田の川豊なのである

土用の丑の日におさまらず、事あるごとに川豊の鰻を食べていた我が家の者は私含めストックホルム性の癌を発症していない。よって肝細胞に仕組まれシステム(これにより現代日本人はNKの細胞傷害性が慢性的に阻害されている)にも関わらず、うなぎタンパク質マクロファージからサイトカイン放出、それによる癌発症とは無関係ものであろう。

ちなみに、ストックホルム貴族達に辟易していた時にローベン島で知り合ったハンプシャーの某伯爵は私が持参した甲子正宗を大層気に入り、その後来日した際には川豊の鰻を堪能されたそうである

叔父と父から相続金で食い繋いでる身としては川豊の鰻は手痛い出費ではあるが、定職に就いている人たちですら土用の丑の日うなぎを渋るということは悲しいものである

酒々井町という平凡な田舎で生まれ育った私は一橋大学商学部在学中、ストックホルム商科大学留学。そこでストックホルム貴族達の有色人種虐殺計画を知った。

帰国後、大学卒業叔父の家に居候しながら1年間勉強神戸大学医学部医学科に進学。大学卒業後は初期研修に進まず基礎の道へ。

結果的にはストックホルム貴族達の不興を買うことを恐れた教授たちから追放されサナトリウムに拘束された。

活動開始後に知り合った男性の父はストックホルムの息のかかった医師から毒物(SGLT-2を阻害し血糖値抑制すると謳っているが、実際にはランゲルハンス島活動抑制してインスリンの分泌異常を促し、膵管内における悪性腫瘍増殖と他臓器や骨への湿潤を促し死に至らしめる薬剤である)を投与され膵臓癌に犯されていた。

ここまで来て初めて彼は私の元に助けを求めてきたが、ここまで来ると既にどうしようもない。

私はせめてもの延命を行うため、酒々井町で収穫された新鮮な青梅と氷砂糖を瓶詰めにしたシロップ炭酸水で割り、それを男性の父に与えた。

彼は当初既に殆ど食事ができる状態ではなかったが、梅シロップ炭酸水割りと処方薬断ちにより徐々に軽快し、最終的には医師からの余命診断(実際には計画に基づく死の予定日)を大幅に超える4年を自宅で健康に過ごし、最後心不全によって眠るように亡くなられた。

これと対照的であったのが、酒々井町酒々井中学校同級生であり千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進学した私のかつて交際していた女性である

彼女栄養士として働き、夫と幼い子供幸せ生活を送っていたものの、計画子宮頸がん発症最後ステロイドを過剰投与され死に至った。彼女の無念と死は工作員を通じてストックホルム貴族達に報告され、彼らの晩餐会における肴となったのである

この醜悪な現実に対し、ベルナドッテ家は人間としての良心から怒りを感じているようではあるが、立憲君主制スウェーデンにあって外国出身君主の力など狡猾で老獪、かつ軍産複合体金融資本と結びつき力と金も持つストックホルム貴族達を牽制するには遠く及ばないのであろう。

これがベルギーのサクス=コブール=ゴータ家のように欧州屈指の財産(この財産レオポルド2世の血塗られたアフリカ政策によって築かれたものであるということには注意)を持っているならば貴族議会軍産複合体牽制することもできたのであろう。

いずれにせよ、北欧至上主義に基づく人種政策地球規模で推し進め、ストックホルム世界体制を維持しようとするストックホルム貴族達をなんとしても挫かねばならない。

そして私たちの子供の命を守らねばならない。

これは善良な日本人ならば誰もが負う義務であろう。

anond:20230729104114

私はこの何も起きない町の周囲よりは少しばかり裕福な米農家で生まれ育った。

父親は県立高校で教鞭を執りながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には手繰川印旛沼沿をぶらぶらしながら空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。

酒々井町酒々井中学校に在学中、私は坊主頭拒否し横分けを貫いていた。そんな私に対してある1人の教員は事あるごとに拳骨を浴びせてきたが、それほど大事にはならなかった。それほど酒々井のどかな町であったのだ。

千葉県佐倉高等学校に在学中、私はよく手繰川まで自転車を走らせ鰻を釣った。これを庭で焼き、甲子正宗とともに一杯やるのが最高なのである

当時、千葉県立成東高等学校に在学していた私の彼女は私がヘベレケになる様子を見ながら「高校生でお酒飲んで煙草なんか吸ってるとがんになって死んじゃうからね!」とよく叱った。

彼女とは大学卒業頃に疎遠になった。日本女子大学に進み栄養士となって病院で働いていた。私が一橋大学商学部卒業し、さら神戸大学医学部医学科に進み、そこを卒業する頃に他の男と結婚した。

「がんになって死んじゃうからね!」と言っていた彼女子供を産んですぐに子宮頚がんに襲われた。

私は彼女を救おうとしたが、その頃既に私は酒々井で「気狂い」の烙印を押されており彼女入院しているのが千葉県東金病院であるということを聞き出すのも一苦労であった。ようやくたどり着くもストックホルム貴族達の息の根のかかった千葉県警に拘束され、私がプロポフォール意識を奪われている間に彼女亥鼻医局員共にステロイドを過剰投与され殺された。

私はストックホルム貴族達への怒りを一瞬でも忘れた時はないのである

2023-07-28

ストックホルム卿について整理

彗星の如く現れた「本物」

千葉県酒々井出身

・両親は教師農家

日本酒成田の鰻が好き

栄養士女性(故人?)と市役所職員女性との交際歴あり

一橋大学商学部卒業

神戸大学医学部医学卒業

一橋大学商学部在学中にスウェーデン留学

スウェーデン貴族欧米の名門一族交流あり

他にあった?

一つたしかに言えることがある。

あの日千葉県東金病院にて亥鼻差し向けた医局員たちは私にプロポフォールを投与した。本来麻酔科医がいなければ使用できない薬剤で私の意識を奪った。

そして、癌性腹膜炎によって苦しむ彼女ステロイドを過剰投与し、夫と幼い子供の前で彼女を殺したことである

薄れゆく意識の中でさまざまなことを思い出した。酒々井中学校卒業式彼女から詰襟ボタンを求められたこと。休日には成田参道を共に歩いたこと。南酒々井駅で初めて口づけを交わしたこと。私が好きだった成東駅近くの和菓子屋最中学校帰りによく買ってきてくれたこと。

千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み、栄養士として社会に貢献し、夫から子供からも愛され続ける筈だった彼女人生ストックホルム貴族達によって閉じられた。

私が医局追放される前(思えばあの頃から教授たちは私の査問の準備をしていたのであろう。いつも私に良くしてくれた講師がやけによそよそ態度を取った時期である)、彼女電話した。彼女から泣きながら言われた言葉は「あなたは頭がおかしくなってる」であった。その一言彼女電話を切った。

思えば、彼女は皮膚病があった。肉も好きだった。消化器と皮膚の炎症がマクロファージからサイトカイン放出を促し、予防接種を通じて肝細胞に仕組まれシステムが既に作動していたのではないか一種せん妄状態であったのであろう。

千葉県佐倉高等学校に在学していた時に親しくしていた部活の先輩も、執拗に私をサナトリウムに拘束しようとしていた。彼もやはり持病によってCRPは上昇しやすい傾向にあった。

もし、一橋大学商学部在学中にスウェーデンへ行くことがなければ、私も彼らのように何も知らず、怒りを感じず、穏やかに酒々井で仮初の幸福享受することができたのであろうか。

しかし、知ってしまった限り動かねばならない。ストックホルム貴族達をはじめとした白人至上主義者どもの醜悪計画を挫かねばならない。

私の父について触れておこう。

私の父は県立高校教師をしながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。

中学3年生の私にタバコと酒をすすめ、共に甲子正宗を飲むような人間でもあったわけだが。

母は現在千葉市緑区出身中学音楽教師であり、米農家に嫁ぎながら遂に田んぼに足を踏み入れることを拒否したまま生涯を終えた。

私は何事も起きない小さな町で生まれ育ち、何事も起きないまま酒々井町酒々井小学校酒々井町酒々井中学校、千葉県佐倉高等学校へ進んだ。

父は私に農家を継がせることを嫌がり、東京大学へ進学して霞ヶ関役人となることを求めた。私が代ゼミの寮で心変わりを起こし一橋大学商学部に進学すると、少し落胆したようであるが、公認会計士合格しいずれは叔父税理士事務所を継ぐように求めた。

私は親に反発するほど自我の強い子供ではなかった。父の言う通り、一橋大学商学部で学び公認会計士となり、監査法人での勤務を経ていずれは叔父事務所を引き継ぐものだと考えていた。そして、共に酒々井中学校で学び千葉県立成東高等学校から日本女子大学に進み管理栄養士を目指していた当時の彼女結婚し、酒々井町にて父と同じように家庭を築くものだと。

私が目覚めたのは留学中であった。ゼミナール指導教員に薦められるまま、ストックホルム商科大学留学した。そこで財界人の子息達と知り合い、招待されたローベン島離宮パーティーストックホルム貴族達と彼らの思惑を知った。思惑について詳しく知ったのはチェコストックホルム貴族達やリヒテンシュタイン家の人間達と鹿猟に興じている時であったが。

私は日本に帰り、一橋大学商学部卒業すると叔父事務所居候しながらこそこそと勉強神戸大学医学部医学科に進学した。

今までの私の歩みを見ていれば、私が公認会計士となり父と叔父の願いを果たすのは自明であったろう。しかし、私の瞳の怒りの炎を感じ取ったのか、父は怒るでも小言を言うでもなく、神戸へ送り出してくれたのだ。

私が医局から追放され、とある田舎サナトリウムに拘束されて以来父とは縁が切れてしまったが、慣れ親しんだ酒々井町の自宅で生涯を終えられたことは知人から聞いた。

一橋大学商学部在学中、私は友人や教授などお世話になった人に何かと酒を振る舞うことが多かった。

甲子正宗、梅一輪、寒菊。

酒々井町で生まれ育ち、酒々井町酒々井中学校に通っていた私は3年の頃から父と晩酌し始めた。千葉県佐倉高等学校に通う頃には手繰川で釣った鰻を庭で焼き甲子正宗を飲むような人間になっていた。

酒々井中学校から千葉県立成東高等学校に進学した私の彼女は酒と煙草をとても嫌い事あるごとに「ガンになっちゃうよ!」と怒ったものだった。

そんな彼女は私と別れ、私が神戸大学医学部医学科を卒業する頃に他の男と結婚した。そして子供を産んですぐに子宮頚がんにより亡くなった。

当時、既に私は神戸大学医局追放されていた。千葉県東金病院に駆けつけた私をストックホルムの息の根がかかった千葉県警は拘束し、千葉大学医局から差し向けられた医師達はプロポフォールの投与を命じた。

私が目を覚ました頃に彼女は亡くなっていた。恐らく怖気ついた亥鼻医局員たちがステロイドを過剰投与したのだろう。

彼女の夫は自分の愛する妻がストックホルム貴族達によって殺されたことも知らず、直接手を下した亥鼻医局員たちに頭を下げていた。

私はあれほど怒りに震えた日はない。

酒々井町酒々井小学校では神童の誉れ高かった私も酒々井中学佐倉高校では少々成績が良いくらいの立ち位置に落ち着いた。

私が一橋大学商学部への進学を決めた時、私が文科二類を目指していると思い込み我が家初の東大学者を」と息巻いていた父親は少々がっかりしたようだが、何も言わず学費国立市でのアパート代、ストックホルムへの留学代を出してくれたことを感謝している。

さらにその後公認会計士試験合格のための学費も出してくれていたのだが、既に私は会計や税務、企業法を学ぶ気などなく神戸大学に進学した。

その際も父は学費生活費の一切を払ってくれた。

医局から追放され、数ヶ月サナトリウムに拘束された後に父とは縁が切れてしまったが、ストックホルム貴族達の陰謀を知りながら、目と耳を塞ぎ中産階級市民として安穏な人生を送るなど私には到底できなかったのだ。

一橋大学商学部卒業叔父税理士事務所で働きながら受験勉強をしていた際、私はどこの医学部を受けるか決めかねていた。ストックホルム貴族達の陰謀を暴くため父や叔父の望む公認会計士試験ではなく医学を学ぶことは既に決めていたのだが。

東京大学理科三類を除けば不合格になる気はしなかったしどこでもよかった。当時、千葉大学含め多くの国立医学部は今のように現役と一浪のみで学生構成するという措置を行なっていなかったため、酒々井から通える千葉大学が最も都合が良かった。

しかし、一橋大学で知り合い法学部卒業後に神戸市役所に進んだ女性を思い出した。卒業アルバムから彼女電話をかけ、休日神戸を案内してもらい夜には三宮ホテル彼女と寝た。

当時、同じ中学出会い千葉県立成東高等学校から日本女子大学卒業病院栄養士をしていた彼女子宮頸がんにより故人)とも交際していたが、その頃には彼女との関係破綻しかけていたのである

私は神戸の街を気に入り、その年に神戸大学医学部医学科を受験して合格し、その子同棲を始めた。

酒々井町酒々井小学校酒々井町酒々井中学校千葉県佐倉高等学校代ゼミの寮に入り1年間の浪人生活→一橋大学商学部(在学中にHandelshögskolan i Stockholmに留学しヴァレンベリ一族の1人と交流)→叔父税理士事務所で働きながら勉強神戸大学医学部医学科→大学院医学研究科→査問にて研究室から追放を言い渡され研究結果も全て破棄→ヴァレンベリ家の1人(北欧至上主義に異を唱える良心人物)の援助を受けながら、各地を転々とし草の根活動継続

2016-09-04

同じ文字で違う読み方

酒々井(しすい)

GAGA(ギャガ

他お願いしま

2015-03-24

痴漢しそうになった

鉄道に乗るのがちょっとした趣味で、一通り国内鉄道を乗った程度のヌルヲタなんだけど

乗っている列車で、病人が出たり、鹿を轢いたり、車を轢いたり、雪でスリップしたり

オーバーランしたり、ウンコ逆流したり、小便もらしたり、ヤクザが凄んだり

おっちゃんが民謡を歌ったり、いろいろあったけど、未だに痴漢に遭遇したことがない

おまえ、景色か運転台しか見てないだろうというのはそうなのだけど

ヌルいとはいえ鉄たるもの、いつかは「この人痴漢です」に遭遇したいと思っていたが

まさか自分やらかしかけるとは思わなかった

総武線酒々井のあたり乗車率は120%ぐらいで人は多いけれど密着はしないくらい

たまたま自分前に立っていた女の人が首筋から少し背中が見える服をきていた

その背中の産毛を引っ張ろうとした

自分の髪をいじるくらい自然な感じで

本当に思考ゼロ

反射的に毛に手を伸ばすなんて、俺は猫か何かかと

手を伸ばしかけたところで、かろうじて気がついて、手を自分の顔に戻して

鼻くそをほじろうとして止めた、みたいな感じにしてごまかしたけど

魔がさすとはこういうことかと思ったね

まあ、人生最大の危機を何とか切り抜けたおかげで、今年も無事昇給できました

 
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