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はてなキーワード: 遺影とは

2023-08-07

anond:20230807002742

ワイは体罰してきた祖父に未だ恨みを持ってる

地獄で死んでくれと願っている

仏壇祖母遺影と位牌だけにして線香は祖母にどうぞとあげていた

祖父のは捨てた骨壷は蹴り倒した

お前も覚悟しとけよ

2023-07-30

anond:20230729165619

以前似たような話を見てから、年一で写真館で家族写真撮ってもらい始めた。

自分写真嫌いだけど、なにもないと免許証会社履歴書写真遺影に使われてしまうと知って、それだけは避けたいと思った。

あと家族同様ぬっこ写真嫌いで、スマホカメラ起動してるうちに表情が死ぬので顔は全然撮ってなくて、唯一イタズラしてドヤ顔なお顔を撮ってたことがあってそれを遺影にした。インスタントカメラ常備してたくさん撮っとけば良かったかも。

anond:20230729165619

自分写真撮る・撮られるの苦手だから、今何かの弾みで死んでも、遺影にする写真無いだろうな。今度髪を切ってできが良かった時にでも、写真を撮ってもらっておこう。

2023-07-29

パートナー写真は撮っておこう

まず書くと、俺は嫁を数年前に亡くしている。

そこの詳細は省くが、先日7回忌を終え気持ちに余裕があるので、おまいらにも同じ後悔をしてほしくなくて書くぞイ!余裕と書いたが別に元気だぞイ!

嫁は写真が嫌いだった。

会社の集合写真でみんな笑顔で!とか言われてたのに1人だけすげー変な笑顔で映っていたか上層部判断で嫁だけ外されたのは今でも義母さん達と話のネタになるぐらい、それぐらい写真に対して抵抗があった。就活の時は証明写真機の前で5時間ぐらい己の中の写真嫌いな気持ちと戦って撮ったらしい。

から俺も嫁の写真は撮ってなかった、別に撮らなくても困らなかった。むしろあれだけ嫌がってるのに撮ろうという気にもならなかった、カメラを向けたら俺は殺されていたかもしれない(^_^)

俺たちは訳あって結婚式とかもしてなくて、嫁もウェディングドレス興味ないって言ってたし、まあ普通にいつも通り旅行行って、嫁の家族食事会して、ぐらいで、だから写真必要な時がなかった。ちなみに食事会の写真は嫁が撮った、結婚指輪持った俺と嫁の家族、何の写真なんだ。

嫁が死んだ時、遺影に使われたのは随分と若い時の写真だった、高校卒アルだ。義母さん達と話し合った結果、これが1番まともに写ってるねとのことで。葬儀屋の方には何度も本当にこれでいいんですね?と確認されて、本人に聞いたらこれもダメって言われますよ、って答えた。こいつらヤバい奴らだと思われていたかもな。

こじんまりとした、知り合いだけのお別れ会みたいな感じで、高校大学からの付き合いがある参列者の人達から、え?なんで?生前からの本人の意思なの?と聞かれまくって、いや実は嫁は写真が嫌いでして…って話をしたら、確かにちゃん写真映りたがらなかったねー!嫌いだったんだー!と言われて、嫁の好きな堅苦しくないお別れができて、それはそれで良かったのかもしれない。

(その後、嫁の友達から微妙に1/3ぐらい嫁の写った写真写真撮るの気づいて残像になってる嫁の写真など送られてきました、ありがたい)

遺影の話があったからか、嫁の写真ないな、と改めて思ったりした。旅行に行った先で撮った写真は数あれど、嫁が写ったものは全くない。(手とかはあるけど)

嫁との思い出は俺の中にしかないのだと、唐突理解した。

俺は怖かった、この先嫁のことを忘れていくんじゃないかって、けどその時、何をきっかけに思い出せるだろう。嫁の持ち物や、旅行写真や、そういうもので嫁の顔や声を思い出すことができるんだろうか。

結果、まあ忘れていく。しょうがないよね。旅行に行ったことも、嫁とこんな話したな、ということも、あんなことあったな、こんなこと言ってたな、これ食べてたな、とかおおかた覚えてはいるけど、あの時嫁はどんな顔で笑っていただろうか、そう思うとなにもない。こんな顔で笑っていたな、と思っても、それはもはや俺の記憶の中でしかない、答え合わせがしたいんじゃなくて、もう何もないという事実に押しつぶされそうになったことが何度もある。寂しくて仕方がない。

嫁が死ぬの前提で写真を撮るって話はおかしいけど、演技でもないけどもう死んでるから、もし嫁が死ぬのがわかっていたら、俺は嫌がっても撮っていたかもしれない、それは俺の都合で、嫁は死んだ後にまで嫌いな写真があるのなんか嫌がるかもしれない、けど俺は、ああ1枚ぐらいはあればよかった。そう思ってやまない。

年齢的にももちろん気持ち的にも再婚は考えてないし、義母さん達とは普通に家族同然に仲良くさせてもらっているので、これからも俺は俺なりに生きていく。

嫁のことを細かいことも、場合によっては大きなことも忘れていくのは寂しいけど、まあ死んだ先できっと暇そうに待っている嫁が未来はいると思うと、少し嬉しい、というか、早く会いたいって気持ちがある。お別れしないなら別に写真がなくてもいいから嫁も嫌がらないし。

別に死のうとかじゃないよ!今度義父さんとゴルフ行く約束もしてるしな!

パートナーがいる諸君パートナー写真は少しでいいから撮っておこう。毎日じゃなくても、何かあった時の1枚が積み重なったら生きてても死んでても、意義のあるものになると俺は思う。

あと、俺は俺の知らない幼少期の頃の、まだ写真が嫌いな嫁になる前の、嫁の写真をよく見せてもらう。小学生ぐらいまでの写真が山ほどある、嫁は唯一の子供だったか義母さん達が山ほど撮ってた。義母さん達の家の居間に置いてあるからご飯食べに行った時とかに適当に見ている。知らない頃の嫁だけど、それでもああ嫁だなと思う、っていう話も付け足しておこう。パートナーの幼少期の写真があって見られる人は是非見ておくといい、おすすめだぞイ( ^∀^)

2023-07-13

自分葬儀で述べてもらいたい弔事

特にない

死んだ後なら何されても知ったこっちゃないし、仕方ないと思う

悪口大会を開かれても遺影ラクガキされても構わない

葬式がなくても構わない

世の中には欲深い人もいるんだなぁ

そういう考えを持てる人生を羨ましく思う

2023-07-12

えぶりでいホスト社長のコーイチ(おじさん)が中古で買った自宅に付いてた誰とも知らん老夫婦遺影をそのまま飾って生活してるところとか

空虚人間性表現が上手いなと思った

ホスト経営業辞めてふつうのおじさんになってから人間性を取り戻してるから遺影も捨ててそう

2023-07-09

祖父との思い出

祖父は私のことが大好きだった。

小さい頃は近所の公園まで連れて行ってくれて、もう少し歳が大きくなると自転車の後ろに乗せてイオンまで連れて行ってくれたり、お祭りに連れて行ってくれたりしたことをよく覚えている。

夏休みほとんど親の実家に帰る家だったから、子供の頃の夏の思い出は大体がこんな感じだ。

私が20歳くらいの頃だ。

祖母祖父が家に遊びに来ることになった。

祖父祖母父母私で食事に行った。4人乗りの車だったので、私だけ自転車で店まで行き帰りをすることになった。店も自転車20分くらいだし、仕方ないことなので特に何も思わなかったのだが、車で帰ったはずの祖父は私の帰りを道の途中で待っていてくれた。

心配だったのだろうか?まさか待ってくれているとは思わなかった。いいのに、と思うが同時になんて優しいんだろうと感動した。かなり印象深い思い出の一つだ。

そんな祖父も、近年は認知症を患って周りの人間のことを忘れたり、思い出したりしていた。詳しくないが、進行はかなりゆっくりだったのではないかな、と思っている。

私はもうアラサーになっており、さら一人暮らしをしている。なかなか祖父祖母に会いに行くのは難しくなっていたので母が実家に帰ったタイミングビデオ電話で少し話したりしていた。

ある時のビデオ電話だ。

母が祖父に「この人誰だか分かる?」と聞いた。私のことだ。「わからん。綺麗だなあ」と言った。

私のことを忘れていたことが辛かったのもあるが、それでもまだ私を褒めてくれるんだなという思いでグチャグチャになって通話を切ってからおいおい泣いた。

私の名前は覚えているけど…と言っていたところもまた嬉しいような悲しいような気持ちになった。

去年会いにいった時は私のことを時々思い出していて、テレビ電話と実際に会うのでは違ったりするのかな?と思った。よく分からないが、たまにでも思い出してくれてたのは嬉しかった。

そんな祖父が先日亡くなった。私の31歳の誕生日だった。

周りの人のことを忘れたり思い出したりする祖父は、性格こそ穏やかだったし前と変わらなかったように思うが、私と遊んでくれていた頃の前の祖父とは厳密には違う人だったのかもしれない。

でも、あの頃の祖父と会えなくなることと、もう祖父とは会えないことはやはり全く違う。

もう90も近いしかなりの大往生だった。

詳細は聞けてないが、おそらく老衰のような感じなのではないかと思っている。大きな病気はしていなかったはずだ。

それで90近くまで生きられるのはなかなかにすごい事だ。

なので、良かったなあと言う感情で悲しみを和らげることができるのはありがたいことだ。

まだ心の整理はついてないし、ふとした時に祖父との思い出を思い出して涙ぐんでしまう。本当にかわいがってくれていたなあと改めて思う。私も祖父のことが大好きだった。

お葬式には行けなかったが、今祭壇に囲まれ祖父遺影なんて見ようものなら号泣してしまうだろうから行けなくて良かったと言う気持ちが少しある。四十九日には行く。

父方の祖父は私が小さい頃に、祖母中学生の頃に亡くなったので、親族が亡くなるのはかなりひさしぶりのことだった。友人や知人を亡くしたこともない。ペット金魚しか飼ったことがない。それも小学生の時だ。

人と比べたことがないからわからないが、どっちかと言うと死に触れることが少ない人生のような気がする。

私はもういい大人だが、大人になったからと言って辛い事や悲しい事とうまく折り合いがつけられるようにはなってない。

自分自分の地続きでしかないんだなあと強く思った。当然のことなんだろうが、考えたことがなかった。

50になっても80になっても同じように大切な人の死はつらいんだろう。

から毎日大事に生きようとか周りの人を大切にしようとか、やっぱりそう言う結論になるんだけどそれがなかなか。前者は特に仕事をしてたら無感情のまま1日が終わっている。難しいな。

今の気持ちを書き起こしておこうと思ったので、めちゃくちゃだが終わり。

2023-07-03

おばさんの自分語り

もう結構な年なんだけどいまだに若い頃の嫌だった思い出や真面目な思い出がフラッシュバックする。

考えないようにしてはいるんだけど。

よくある話だと思うが、自分容姿が悪いので、20歳くらいまでよく揶揄われたり馬鹿にされたりしてきた。

柄物の服を着ていたら、それってオシャレだと思ってるの?と馬鹿にされ無地の服しか着れなくなった。一度じゃない。

奇形体型なことをわざわざ指摘してくるクラスメイト、そんなこと言っちゃダメだよと制止する別のクラスメイト

人と並ぶと常に公開処刑。集合写真は一枚も残していない。遺影もないかもしれない。

こんなことで悩むのって15歳かせいぜい17歳くらいまでが普通だと思うのに、

いい年したオバさんになった今でも唐突に思い出して暗い気分になる。

肉体の容姿を忘れるために、VRとかゲーム上で友人作りたいなと思う時がある。

でもそういう場だと尚更、本心では人間が怖くてたまらないのが透けてしまって

みんながタメ語で楽しく話している中でも敬語がやめられないし、だんだん発言しなくなってしまう。

2023-06-28

俺のせいで自殺した人

多分俺のせい

俺がいなかったら自殺しなかったんじゃないか

加害とかはしてない

とにかく俺を憎んでいた

俺を殺したいともいってた

結局自分で死んだ

なんだかなぁ

可哀想だし申し訳ないとも思うけど

その無責任さには虫唾が走る

気色悪い

情けで遺影を飾っているけど、遺影すら視界に入るのも不快

あの女のことを得体の知れないおぞましいもののように感じておる

なんで、俺を憎んでいるとしか思いない言動ばかりなのに、離婚したいと言うと「お前を殺す。お前が死なないならわたし死ぬ」とか言い出すの?笑

本気で意味不明

本気で首吊るから引いた

「俺の罪悪感が軽くなるからお母さんがいる時は死なない」と言っていた

俺を呪うために死んだんだよな

悪いけど意味なかったよ

お前がより嫌いになった

憎悪すら感じるようになった

漠然とした寂しさのようなものを感じたこともあったが、彼女ができてそれもなくなった

ただただ人生の汚点だ

お前にかけてきた金、結婚式費用ハネムーン費用

趣味の悪い一戸建て、全部無駄

まぁ保険金が入るからこれはチャラにしてやってもいい

戸籍が汚れたこと、今の彼女に言えない過去転職せざるをえなくなったこと、俺の人生破壊したこと

それは絶対さな

あの世で首洗って待ってろ

と思ったけど自殺するようなゴミ地獄永遠に苦しむのか

あの世ですらもう会うことはないなら、それに越したことはないか

2023-06-09

グラビア撮影ポートレート撮影境界線はどこなのか?

まぁいわゆるカメコですよ、写真やってます

例のプール付き公営公園で"健全"や"卑猥"という指針が出され、この指針に定数も定量も無いなぁと感じたのだけれど、それよりも気になったのが「18歳未満のグラビア撮影禁止にしたらどうか?」という試み的な提言をされている方が結構居るのが気になった。

ざっくりわかりやすくいうと、人物をメインの被写体として撮影することをポートレート撮影と言うのだけれど「18歳未満のグラビア撮影禁止にしたらどうか?」を試み的に提言している人はグラビア撮影ポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?

個人的におそらくは無理だと思われる。

何故ならグラビア撮影ポートレート撮影という大きなジャンルに含まれる小ジャンルであり、ポートレート撮影の近接用語景色撮影する風景撮影や、香水瓶や人形ガジェットなどを撮る小物撮りなどであり、ポートレート撮影というのははてな界隈で言うところの主語デカ問題からだ。

グラビア撮影はご存知の通り、別に水着下着、肌面積の多い女性だけを撮るというものではなく、少年青年漫画雑誌の表紙もグラビア撮影だし、露出とは真逆にライダースーツを着込んでバイクにまたがっている人物撮影するのもバイク雑誌ではグラビア撮影である(バイク界隈のグラビア撮影には峰不二子的な方向性もあるけれど全体で言えば少数派だ。何故なら峰不二子比肩できる女性はそう居ないから)。

我々カメコ写真が好きである

いや撮り鉄のように特定被写体が好きな連中も居るけれど、実際のところ撮り鉄列車ばかり撮ってるのか?と言われると大半の撮り鉄は主な被写体列車なだけで、奴らは列車の無い風景も撮っているだろうし旅先のメシも撮っているはずだ。

カメコとしてイメージやすアイドルの追っかけだってそうだろう。何なら筆者には妻も子も居るし、筆者の主な被写体は妻と子である。妻と子で培った撮影経験アイドル撮影に応用していると言っても過言ではないだろう。それくらい妻と子を撮ってる。

カメコ共通する特徴は何なのか?と言えば、キモデブオタクおっさんではなくカメラ撮影知識だろう。カメコなんだからそりゃあカメラ趣味にしていない連中よりはちょっと詳しい。

近年じゃスマホカメラの性能があがり誰も彼もが気軽に写真を撮るようになったが、女の子をより可愛らしく綺麗に撮るという点ではスマホカメラってちょっと不向きだよなという印象をカメコならば誰しもが持っているだろう。


スマホカメラレンズはいわゆる広角レンズが大半であり、広角レンズは歪みが大きくて太って写る。標準体型がデブになり、デブはよりデブになる。それがスマホカメラレンズだ。

世の中にはポッチャリ好きが居るというのは非常に重要な指摘だが今回はそこを問題にはしていない。今の自分よりもスマホカメラは太って見えやすいということを問題視しているのだ。

じゃあどうするべきなのか?と言えばズームするわけだ。最近スマホカメラは多眼になっているので最も拡大できる望遠レンズ選択して撮影する。

ポイントデジタルズームは使わないことだな。デジタルズームは単に画像ピクセルを拡大しているだけなのでレンズの歪みに影響しないので意味がない。

望遠レンズは広角レンズ比較して歪みが少ないので、痩せて写るわけではないが広角レンズにように太って写りにくい。

まだ女の子を可愛らしく綺麗に撮るポイントはある。1枚の写真へ全身を収める場合は顔を中心にではなく腰を中心に撮るのだ。

顔を中心に撮るとレンズというのは多少なりとも歪みが発生し、レンズ中央レンズの端へ向かって歪んでいくので顔がデカくなり首より下が小さく写る。

自分の顔がデカいと悩んでいる女の子が居るとしたらレンズ中央で撮るというのは更にコンプレックスを強調する結果となるわけだ。顔はレンズの端へ持っていけ。

更に良いことがある。腰をレンズの中心に添えることで、前述した歪みから腰の部分が多少広がり相対的上半身下半身が細くなる。つまり小顔足長になり女性らしい身体の曲線が強調される。

ほんの少し下から煽るように腰を中心に撮影すると小顔脚長効果が更に増すぞ。

胸が小さめなのが悩み?いや一部に需要あるぞ?えっそういうの良いから大きく写す方法を教えろ?

逆に広角レンズを使え!広角レンズは歪みが大きいため、広角レンズで胸を中心に据えて顔もレンズの端に写るように近接撮影しよう。相対的に胸デカ小顔写真が撮れる。これは逆にスマホカメラが有利だな。

ここに書いた写真撮影術を使えばマッチングアプリプロフィール写真とかもちょっとは印象良くなるんじゃないか需要あるか知らんけど。


カメコはこういう知識がある。撮り鉄は主な被写体列車なのでポートレート撮影知識アイドルカメコ比較すると少々乏しいだろうけど、このくらいは知っている。逆に撮り鉄雄大自然とか真っ直ぐなものを歪み少なく真っ直ぐ撮る方法かに詳しいぞ。

このようにカメラ撮影ちょっと詳しいヤツが疑問に思うわけだ、グラビア撮影ポートレート撮影をどうやって線引きするんだろうか?と。


何が健全で何が卑猥か?なんてポッチャリ好きや貧乳好きが居る世界一定の線引きなんてできるわけがなく、世の中にはおそらく女性リクルートスーツ性癖ですみたいなヤツとか、北海道かに居そうなコートで厚着してモコモコになってる女の子良いよねとか言うヤツが必ず居る。そういう連中に取ってみればリクルートスーツもモコモコなコートポートレート撮影卑猥写真になるのさ。

この世界には衣服を燃やす様子を映したアダルトビデオ存在するんだぞ?もちろん女性、というか男性を含めて人間、何なら生物は一切出てこない。本当に服が燃え上がる様子だけが淡々流れる映像だ。ハイレベルすぎて理解が追いつかないがアダルトビデオとして実際に販売配信されている(一説には服が燃え映像アダルトビデオとして販売されている事自体意味があるらしい。こんにちわ宇宙猫)。

最後蛇足だが、筆者の妻は不定期に筆者が撮影した妻自身写真セレクトし「これ遺影に使ってね」と言ってくる。カメコ冥利に尽きるよね。

お前ら自分パートナーを最高に可愛く撮ってるか?俺は撮ってるぞと断言できる。

2023-05-27

でも実際、小学生通り魔されたら可哀想だけど

キモオタが殺られたらギャグだよな

キモ遺影とか絶対笑うもん

2023-05-02

フォロワー2桁から始めるド底辺同人活動 つづき

前半 anond:20230502225413

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嘘だろ???神様なの???年の瀬から来訪神かなんかが来てくれたの???

という気持ちを抑えながら小銭を受け取り、震える手で新刊を1冊渡した。

ほんとに夢見てるみたいだった。

1人目が去ってほわほわした気持ちパイプ椅子に座って、思わずガッツポーズをした。

この痛ムーブを多分隣のサークルには見られたと思うけどそんなことはどうでもいい。

俺の本が、売れた。

1冊売れた。

俺もうここで死んでもいいや………

遺影新刊の表紙にするわ…………

結果的に俺の本は、新刊既刊合わせて16冊売れた。

「ここにあるの1冊ずつください」と言ってくれた猛者までいた(これはいまだに信じられない)。

俺、生きててよかったわ………

ここまで活動続けてきてよかったわ…

心バッキバキになっても辞めなくてよかったわ………

閉会間際、委託分の10冊を書店ブースの受付の人に手渡した。

こんな数でも受け取ってくれてほんとにありがとう

そんで、ポチってくれるかもしれないまだ見ぬ誰かに、祈るような気持ち撤収作業に戻った。

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……というのが、こないだのコミケでいいことがあったってゆー俺の半生記です。

承認欲求マネジメントとか劣等感との付き合い方とか、なんか意識高いっぽい文章書くつもりだったのに、オタク丸出しの早口長文になってしまった。スマソ。

そんでここまで読み切った酔狂な人たち(いるのか…?)、いつかイベント会場ですれ違おうぜ。

俺そのへんで本売ってると思うから



(※補足)

ちなみにコロナのどさくさに紛れて社畜やめて転職したわ。前よりは時間できたから、今年は死ぬほど描いてたくさん本出したい。

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……っていうすごい熱量の書き殴りのメモスマから発掘したのでアップします。

今年のゴールデンウィーク、大きいものから小さいものまでいっぱい即売会があると思います

紳士淑女のみなさま、頑張っているピコ手がいたらぜひ応援したげてください。あなたの手に取った1冊が、ギリギリ場所創作を続けている人の命綱になるかもしれないので。

2023-05-01

遺影が家からなくなってる。

朝起きたら遺影がなくなってた。

なんなんだよ!

ベルも誰も貼らないし。

ゴミ捨て場遺影が大量においてある。

なんか近所のゴミ捨て場に、遺影が沢山並べられている。

ゴミ収集車は持っていってくれないし、

誰の悪戯か知らないけど、遺影は地べたにしっかり並べられている。

なんなんだろう。

みんな笑顔なのが、逆に不気味だ。

anond:20230430230254

次の日捨てられていた遺影に写っていた顔はいつも鏡の前で見ている人間の顔だったのでした…

親の遺影用の写真を密かに撮っておいた方が良いという話

自分の父は元気そうなのだが、持病もあるしいつ倒れるか分からない状態

昨年母が突然亡くなった時、遺影用の写真がなくて困ったことがある

たまたまスマホで集合写真を撮ってたので、葬儀屋さんに加工してもらったら上手くできた

ただ、父親にはもう少しよい遺影を作りたい

昨日帰省した時に、記念写真と言い張って、笑顔写真スマホで撮っておいた

これで何かあっても安心

みんなもこっそり親の遺影用の写真を撮っておいた方がいい

スマホカメラで十分。他の人が映ってても切り取ればいいか大丈夫

正面からできれば微笑んでる写真を撮っておこう

2023-04-30

ごみの集積所に遺影捨てるなよ

数日前から額に入った遺影がそのまま複数枚捨ててあり、ルール守ってないから当然収集車も持っていかない。

普通はそういうのって「ルール守って出してください」みたいなシール貼られるんだけど、遺影には貼ってないのも不気味。

集積所が道路挟んでうちの前だから、窓や玄関から捨てられたままの遺影がチラチラ見えて怖いんだよ。

これって市役所かに電話すれば持ってってくれるのかな?

マジでこんなもん捨てるなよ!

2023-04-23

遺影めっちゃ困るディ

父の四十九日法要で、母から文庫本サイズぐらいの遺影(なんか物凄くちゃんとしたフォトフレーム入り)を渡された

こ、こ、こ、困る〜〜〜めっちゃ困る〜〜〜〜

いや父のことは好きだったし亡くなって寂しい気持ちは勿論あるけど、ほかのきょうだいと違って未だ独身のクソ狭アパートに置く場所ないよ〜〜〜

そもそも暮らしの中で「写真を飾る」習慣がないんだよ〜〜〜ポスターすら貼らないんだよ〜〜〜

あとついでに言えば遺影写真、肌とか画像加工強くて、なんというか「父に似た演歌歌手アー写」みたいで違和感あるんだよな…あの父が毎日目に入るのもキツい

たぶん言い出したのは妹だろうな…情に厚くて子持ちで新築一戸建てのそこらに家族写真とか飾ってるもんな…母は良かれと思ってきょうだい3人分の用意をしてくれただけなんだ…おそらく葬儀社に有料で頼んで…

家族LINEグループには、すでに妹と兄が「じいじの遺影に手を合わせる甥姪」の写真を送ってきている

いわゆる「何をしているかよくわからない親戚」であるところのわたくしは、包みから出してすらいない父に内心侘びながらちいかわのスタンプをただ送るのみなのであった

2023-04-01

イェイ!遺影だよ!ご親切に最後まで見せてもらった!その写真見るたび「ああ、いつ死んでもいいんだな」と思うんだけど、今日は急な仕事が入ってきたんで家で待ってたら2秒で息を引き取ってた!死にたいけど死にたくないのと似たような感情がずっと沸いていたんだけど別に嫌だとか愛されてるとかそんな感情は湧かなくて、ただ天国のニャオニャオはずっとボケっとしていて、空を見上げて(ハテアテ)

Anond AI作成

2023-03-28

イエス・ノー遺影イエス・ノー健一

anond:20230208195420 の続き】

仕事帰り、烏丸六角ファミマで買い物をしている最中に、この3年近く恒常的にセックスをしている男性から、「健一が亡くなったそうです」というLINEが入った。

この男性はどうにもこういうところがある。

身近な人間を基本呼び捨てで呼ばわるところがある

母は「幸子」、母方の祖母は「ひさ江」、父方の祖父は「トメ吉」という具合に。ちなみに「トメ吉」については、まったく止まってはおらず、その下に「スエ」という妹がいる。

昔の人は、ある種なんとも露骨だ。

子どもはもうこれ以上いらない」という気持ちを、今生まれてきた当の子もの名前に込めてやるなよと私なんかは思ってしまうが、当人たちは一度避妊に失敗し、念押しのようにさらにその下に込めたりしているのだ。

現代なら「その名づけは虐待」とか普通に言われてしまいそう。

そういうふうにして、彼・彼女たちがそれぞれ男性にとって誰なのかについては知っていたが、「健一」についてはさっぱり心当たりがない。

男性の口からはじめて出てくる名前のように思った。

「亡くなったそうです」という伝聞形も、得意の呼び捨てにしている割に、どことな距離を感じさせる。

「誰だかわからないけどご愁傷さまです」とも言いづらく、LINEの返事に詰まってしまった。ファミマを出てから、同じビルスタバの前あたりに立ち止まりLINEを閉じたり開いたり。

ふと顔を上げると、よく茂った松の枝を一本、片手に握りしめたビジネススーツ姿の中年男性が目に入った。四条方向に足ばやに歩いていく。

ただのちょっと変わった人なのか、はたまた池坊関係者なのか、この烏丸六角という場所においてのみ、ものすごく迷うところだ。

スマホの中のメッセージと、よくわからない通行人。二重に困惑してしまったが、とりあえず「健一」とは誰なのかときけば、男性義理父親だという。

この度独居の住まいのなか、遺体発見されたとのことだった。

男性はその昔、一族の都合で健一養子に入りはしたが、そのころから今に至るまでほぼ没交渉であったので、なんだかそんなに悲しそうでもなく、その後のLINE淡々としたものだった。

結局のところ「亡くなったそうです」の距離なのだ

だけれども数日後、男性の家にいったら、ワーキングデスクの上に知らないおじさんの遺影が立てかけてあった。

アイパッドノートパソコン積読と同じノリで遺影が並べておいてあり、それはちょっと異様な光景だった。遺影はそれらのものより一回り大きいので、あまり存在感ありすぎる。

「あーこれが健一

と、思わずつられて呼び捨てから、「なんで遺影、こんなとこおいてんの?」ときいた。

妙に若くて、ちょっとつぶらな瞳で、その目線が斜めにいっていて、ぎこちない笑顔。むりやり引き延ばした昔の写真独特の、ざらざらと色の薄いテクスチャ

「いや、向こうの家に置いとくとこもないし、とりあえず持って帰ってきた」

男性の答えは妙にずれている。

「机においてんのは?」

「深い意味ないけどおもろいかなと思って」

異様ではあるが、別になにもおもしろくはない。この人がおもしろさを感じるツボは、たまによくわからない。

それで「ああ、そう」とだけ返すと、男性

「親戚みんなで家探ししたけど全然いい写真なかってん。中途半端若いとき写真しかなかったわ」といった。

「どうりで目線もさだまってないっていうか、カメラレンズみてないね

健一目線は、健一からは右方向、相対する私たちからは左方向にずれている。そっちの方向にはベッドがあった。この時点で正直なんだかかなりいやだな…と思ったが、ひとまず一般的配慮として、それを口には出さなかった。

そのまま、自分たち戒名をつけるならどんなものがいいかという話でひとしきり盛り上がり、お互いに将来の戒名もきまってきりがよかったので、我々はセックスをすることにした。

そこで私は「健一視線がベッドのほうにきてるのなんか嫌だ」と、一度は飲み込んだことを吐き出してしまった。

相手義理父親遺影の前でセックスするのは、明確にその理由を語れずとも、なんだかとにかくすごく嫌だと思った。

遺影がそこに鎮座している「なんかおもろい」という理由は、私にとって共感しがたい。私がその「なんか」の機微を正確に理解できないように、男性もまた、このわたしの「なんだかとにかくすごく」という心の機微が正確に理解できたとは思いづらい。

けれども男性は、「わかったー」と間延びした返事をして、遺影をおもむろに裏返して立てかけなおした。

いやそうじゃなくてしっかりどこかにしまってくれ、と思ったが、それを言うのももう面倒だし、やるとなったらさっさとセックスたかったし、もちろん乳首さわりたかったので、私はそこで妥協した。結局は、花より団子で機微よりセックスだ。たいがい適当人間ではある。

そうやってセックスして、寝て、起きたら健一は寝起きの私を見ていた。

私より先に起きた男性が、律義に遺影を表に戻していたのだった。

私の機微相手義理父親に、遺影であっても義理の息子の乳首を吸っている様などを見られたくないことだが、男性機微は、遺影いつまでも裏返したまま視覚を奪うのは気の毒だ、というところにあるのだな、と、寝ぼけた頭で考えた。

それは少し理解できなくもない。

結局のところ、ただの紙に載ったインクしかないはずの遺影に、生きた人間めいたなにかを感じていることは通底しており、その表出のアプローチが異なっているだけの話なのだろう。

机上に健一が出現してから、何度か男性の家にお邪魔してはセックスをし、わたしはそのたびに「健一裏返して」とリクエストしていた。

そしてその日はやってきた。

健一が机上に出現して何日目のことだったのか、私はちょっと覚えていない。

夜も更けてきてそろそろ寝るか、という雰囲気になったとき男性がおもむろに立ち上がり、私の指図なしに、ふいと健一遺影を裏返した。

その、遺影を裏返す行為こそが、紛れもなく「さ、セックスしますか」の意思表示となっていることに、私はそのときはじめて気がついた。

みずから「裏返して」とお願いしてそうしてもらっていたときには考えつかなかったことだった。

私も男性に続いて立ち上がりながら、「つまりからセックスするってことか」というと、男性は「あれやな…なんか…イエス・ノー枕みたいやな」と答えた。

そうだ。

これはまさしく、イエス・ノー枕だ。

物体の表と裏を巧みに使い、その夜について性行為のありやなしやの意思表示と予告をする、その原理はまったく同じだ。

イエス・ノー遺影じゃん」

【今夜セックス】の露骨かつ言外の通告。あれを我々は今、気がつけば、男性義理父親健一遺影でやっているのだ。

不謹慎が過ぎる。さすがに戦慄が走ったところで、男性がぽつりと「イエス・ノー健一やな」と言った。

その日から私は、「イエス・ノー遺影」「イエス・ノー健一」という、この、罰当たりで不謹慎で、あまりに強烈な言葉が頭からこびりついて離れない。

忘れようにも忘れられない。だからここに書いた。

それはとても寂しいことではあろうけれど、いつかこ男性と会わなくなる日が来たとして、その先に男性名前を忘れる日が来たとして、イエス・ノー遺影という言葉と、健一名前だけは、それでも生涯忘れないだろうと思う。

(※登場人物配慮して、文中に出てきた名前はすべて本当の名前とは変えてあります

追記

烏丸御池~四条烏丸あたりに、冬の間、ビニール袋を巧みかつ何百枚も使用して衣服と靴にしたて、万全の防寒している人がうろついているのだけど、この間その人がビニール袋十枚がさねくらいの軽装になっていて、桜の開花よりも断然春のおとないを感じた。だからそのこともついでに書いてもっと季節感あふれる増田にしようとしていたのにうっかり入れ忘れた。

・(ブコメの方へ)小学生だったころは…あります…!(男性はたまにおぼかたさんの真似をします。全然おもしろくない)

あのころ思っていたことでいまだに覚えていること、いつか書きたいです。もしそのときたまたまみつけたらぜひ読んでほしいです。

・(ブコメの方へ)もしそこにおばあちゃん写真があったらセックスできなかったと思うんですが、おばあちゃんのことをしゃべりながらは全然大丈夫です。

こういう「あれはだめだけどこれはセーフ」って感覚はいつどこで身につくのだろうかと思ったりしました。笑ってくれてうれしいです。

・(続編タノムの方へ)また何か男性との間に印象深いことが起こったら書きます。そのときは読んでいただけたらうれしいです。

2023-03-27

anond:20230327100010

ディケイドコンプリートフォームカード化された平成ライダーが体中に貼り付けられてて、ついたあだ名遺影フォーム

グランドジオウは体中に平成ライダー上半身が彫り込まれてて付いたあだ名仏壇フォーム

顔がいっぱいってそっち側の印象を与えるって事だな

2023-03-13

祖父がそろそろ亡くなるかも

先日会った時はずっとぼーっとしていて、正直いつ亡くなってもおかしくないように見えたので、いよいよか…という気持ちである

それで母が「遺影用の写真が何もないから撮っておかないと、遺影イラストなっちゃうわ」と話しているのを聞いて大爆笑してしまったが、人が死ぬ話をしているのに本当に不謹慎だったと反省している

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

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