はてなキーワード: 選択肢とは
30周年記念だから書くけど、当時から思ってたけど選択肢だけで犯人推理は無理があるよな。
犯人が判ってるのに最速の犯人はお前だ!シーンまでたどり着けなくて何回ストックで突き殺されたか判らない。
30になる前に結婚したい女が時間が無くて今付き合ってる男で妥協しちゃうとか、電車通勤しか手段が無い状況とか、
拡張子については、例えば Excel の拡張子が変わったとき一括対応できる、とか?
あとは普通に".txt" で取り扱ってるファイルはどれだ、って時にその定数の参照箇所を見ればもれなく分かるとか、
取り扱うファイルの種別を段階的に変えようってときも、どのファイルは変え終わっててどのファイルはまだ、とかも同じように分かる
あとはあれだ、どのスコープにおける分類なんだって話を明確にする事も出来るだろうな。
とか。
パラメータについては、複数の選択肢から選ぶ奴は enum にしろよ、とは思うが、
文字コードも大体同じような話か。
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。ドーナツ。夜:キノコ、人参、ピーマン、ウインナーのスープ。わさびスパゲッティ。たまご焼き。バナナ。豆乳。間食:。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、むむむー。
トラブルに対して、公式ドキュメントを探して、読んで、みんなに要約して教えて、書いてあることを実行した。
当たり前のことなんだけど、きちんと丁寧にできたから良かったかな。
ただ、この程度のことで褒められる場所だと言うのは、なかなかアレだなあ。
ブレインズウォーカールール(正式名称をまだ覚えてない)たのしー。
この二つは使い所がわかりやすいんだけど、小マイナスは選択肢が多いから、使い所がめちゃくちゃ大事だな。
将来使うかどうかは増田次第だけど、使えることで職種の選択肢が増えるか?という観点だと、かなり重要な教科だぞ。
経済データでも、医療データでも、倉庫の物品輸送でもAIでも、コンピューターグラフィックスでも、何にでも出てくる。
線形代数を学び始めて最初の単位ではやらないような難しい話題(各種分解とか抽象ベクトル空間とか)については、理系の職種でしか使わない気もするが、最初の1年分くらいはかじっておくと吉。
また今年もこの日が来てしまったというか、あの事故の根本的原因が解決されずに19年の月日が経った。
表題に書いたように、脱線事故の原因についていろいろ言われているけど、一番の原因は「乗客の獲得競争」そのものである。
大阪から宝塚に向かうのに、乗客の立場としてJR福知山線と阪急宝塚線の2つの選択肢があり、自由に選べるメリットがある。
2つの選択肢があるということは、それだけ両者の競争が激しくなるということである。
正直言って、大阪~宝塚間だったら鉄道路線は二つもいらないし、どちらか一つあれば十分ではないか。
競争のために乗客の安全が犠牲になるくらいなら、それくらいの抜本的解決は必要ではないか。
大阪~三宮間の場合はその選択肢が三つもある(JR神戸線・阪急神戸線・阪神本線)のは多すぎ。
結局のところ我々は、この思想の完遂に失敗した者たちの末裔なわけなのだけれども。
時代を経ることによって大衆の意識が変わり、出生が倫理に反することとなる日は来るのだろうか?
どこからか、出産にメリットはない(けど幸せ)みたいな記事がバズったかしらんが流れてきて、こういう記事にこそ「何でも許せる人向け」をつけて欲しいと思った。という余談はさておいて、そんな但し書きが付いていないと言う事実が、何よりも世論を表している。
メリットがないのにやりたくなる、そこだけ切り抜くと薬物と何が違うんだと言いたくなる。どちらも同じく、個々人の社会的な人格としての損益計算を、脳内物質の分泌により無視させ、人をそこまで突き動かしてしまう。結局のところ人間は脳内物質に支配されているのだなぁと思うところだ。
生殖と薬物で異なるのは、生殖に社会的なメリットがあるかどうか。生殖は単純に将来の働き口が増えるし、種の存続には必須である。個々人は損をするかもしれないが、種としては得である。産まれてきた人間の何割かはその人生全体で「損」をするが、そんなことは種としては知ったこっちゃない。
この脳内物質による支配の盤石さは、紀元前から数千年に及ぶ反出生主義の敗北史が証明している。それほどまでに強力なのだ。
反出生主義の成就という目線で重要なのは、生殖によって社会的人格としては「損」をするということ。何よりも現在進行中の少子化がそれを証明している。それでもなお、生殖を根絶することは出来ていない。個々人の社会的人格を膨れ上がらせて、損益のみで人類をコントロールすることは難しい。
だいいち、人間は外付けの社会的価値の差し引きによっては脳内物質の支配に抗うことができない、というのは薬物でわかっていることだ。損をしてもやりたいんだから、辞めないに決まっている。我々は学ばなくてはいけない。
であれば次に目指すことは、生殖の社会的メリットを減らすことだ。これはごく単純に、人間以外の働き手を増やせば良い。今を生きる人間たちが、後続世代がいなくても豊かな老後を暮らせると思わせさえすれば良い。そうすれば、老後に面倒を見てもらうためだけに子供を産むクソゴミカスウンコの行動を封じることができる。生殖も、少しは減るだろう。
しかし、そこまでやっても人間は止まらない。たとえ生殖が不要な社会になり、生殖がただただ社会的個人として損をするだけの行為になってもなお、人間は生殖をやめないだろう。薬物は現代その状況にあるが、それでも根絶できていないためである。であればもう手詰まりだ。人間が生殖をやめることはない。人間が生殖のための生殖器であるが故に。
どうしてそんなに産みたいんだ。何故。
誰もが死にたくない。であれば誰もが産まれないしか選択肢はない。ないのだ。
赤子は意味もなく産声をあげるかもしれないが、遠い未来、彼らの何割かはやはりあのとき産まれたくなかったと泣いていた、そう気がつくと言うのに。
子どもを持つ人が信じられなかった。
お金はかかるし、健常児が生まれる保証だって無いし、お世話は大変そうだし。
自分が生まれて良かったと思ってるわけでもないし、合理的に考えれば考えるほど、子どもを持つなんて選択肢はありえないと思っている。
いたのに。
子どもがいる人の話を聞くと、以前はハイハイって内心馬鹿にしてたのに、最近は少し羨むような気持ちがある。
子どもを産んで、子どもを育てたら幸せなのかもしれないという考えがよぎる。
でも合理的に考えたら絶対子どもなんていない方が楽しく自由に生きられるはずなのに。
私は女だから、ホルモンでこう思うように設計されてしまっているのだろうか。
理性的な人間だと思っていたのに、動物に成り下がってしまったようでとても怖い。
だれか助けてほしい。
私はもうすぐ50歳になる、もう半分老人だ。
インターネットには初期から出入りしてる、インターネット老人会というやつだ。
妻とは学生時代からの付き合いで、付き合い始めてからだともう30年経つ。
長い付き合いだが、一度もラブホというものに行ったことがない。
若い頃はお金もなかったし、お互いの身体があればどこでも満足できたから、ラブホに行くという選択肢が無かった。
子どもができてからも相変わらず金はないし時間もなく、わざわざ性行為のために出かけるなんてことは考えられなかった。
そして、今に至る。
一方、さすがに性欲は落ちはじめ、新しい刺激を欲している。
そこで、これまで一度も行ったことがないラブホに妻を誘いたいのだが、いい歳していまさらそんなことを言い出すのが気恥ずかしい。
どうやって切り出せば良いものやら。
だれか、いい誘い方を考えてはくれないか?
A) 女性キャラクターが他人の会話を聞いている場面で、批判が起こる。
B) 男性キャラクターが他人の会話を聞いている場面で、問題にされない。