はてなキーワード: 遭難とは
集合知っていうかネットの力とかかな。wikipedia とかもそうだけど、みんなの力で!みたいな顔をしていて実際は数万人とか数十万人に1人のエクストリームな知識と行動力の人だけが動かしてるのが現実だよな。
世界の何十億人が使っているコア技術なのに、ボランティアの1人が全てを背負っている。
あれは自分もOSSだから多くの人たちが力を合わせて開発、運用しているんだ!と何故か無邪気に勘違いいしてたけど、実際は一部のエクストリームな活動の犠牲の上に積み上げられていた。
インターネットの集合知とかも多分嘘で、ネットに出回っている100の情報があったら99.9%は利用者の1/10000くらいの人間だけが出力した内容、またはそれらの劣化コピーの使いまわしな気がしている。
これは元々人間には独自の情報を語る能力、独自の考えや感想とか個人の妄想とか感情とかを垂れ流すインセンティブもないし、会話にそんなものを誰も要求していないみたいな、旧来の社会敵な動きとかが原因な気がする。
口を開けばトムラウシ山遭難の話だとか、三毛別羆事件、福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件。
これら情報は集合知じゃなく、一部の記者の仕事であり。そしてそれをまとめた一部のエクストリームな活動家の仕事であって、集合知ではない。
エクストリームな1人に依存している状況なので、専門家が正しいことを言っていても大衆の騒音にかき消されてしまっている、みたいな集合に潰されてる智慧がある気がする。(具体的な事例は思いつかないけど)
それって多分私が思い描いていた集合知のイメージとはかけ離れている。
気がついたと言うか、認めたくなかった事実というか。
「夜中のコンビニでアイスを買う」みてえな歌詞、イヤっすねえ!!
読みながら「わかる〜」と恋愛漫画やラブコメの定番エピソードのことを連想した。
例えば次のようなものだ。
・熱でボーッとしてる故のハプニングまたは汗拭きなどのドキドキ展開
・なお熱は一日で治り今度は相手が熱を出す
・夏祭りではぐれてナンパされてるところを好きな人が助けてくれて惚れ直す
まだまだあるけど、こういう手垢がつきまくった定番エピソードはもう何万回読んだかわからない。
でもここまで完璧に見たことある展開をなぞらなくてもよくない?
でもとりわけ恋愛系は本当にまったく同じ展開のエピソードが出てくるのでまたこれかと思ってしまう。
それぞれの漫画の主人公が出会ったら共通の思い出話で盛り上がれるんじゃないかと思うぐらい。
思うに歌の歌詞とちがうのは、作者がオリジナリティのある展開を作る気なんかそもそもなくて「あのエピソードを私のキャラで描く」ことしか考えてないんじゃないだろうか。
オタクの「あのシチュエーションをこのキャラで見たい!」を公式がやってる状態。
ファンもそれを求めているのかもしれないが……。
日本人として誇らしい
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者のうち、何人かが暗闇の中を灯台の明かりをたよりに断崖を這い登って灯台にたどりついた[2]。
灯台には逓信省管轄下の雇員2名が灯台守として勤務しており、生存者の介護とともに大島村(現在の串本町)樫野地区の区長に急報した[2]。灯台守は応急手当を行ったが、お互いの言葉が通じないことから国際信号旗を使用し、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦であることを知った[3]。
樫野地区の区長は島の反対側にある大島地区にいた大島村長の沖周()にも使者を送り、翌日午前10時30分頃に伝えられた[2]。沖村長は郡役所と和歌山県庁に使者を派遣し、村に居住する3人の医師とともに午前11時30分頃に現場に到着し、村民を大動員して生存者の探索と負傷者の救済を行った[2]。この時、台風によって出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、米、卵やサツマイモ、それに非常用の鶏すら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、656名中、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還に成功した。その一方、司令官のオスマン・パシャを含めた587名は死亡または行方不明という大惨事となった。
茶道宗徧流の跡取りである山田寅次郎も、この事件に衝撃を受けた日本人のひとりであった。山田は日本国内で民間から『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、事件の翌々年、当時外務大臣だった青木周蔵の提案から、集まった義捐金を携えて一人でオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡った。
山田が民間人でありながら義捐金を持って訪れたことが判明するや彼は国民から熱烈な歓迎を受け、数日後には皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれた。このとき、皇帝の要請でオスマン帝国に留まることを決意した山田はイスタンブールに貿易商店「中村商店」を開き、士官学校にて少壮の士官に日本語や日本の文化を教え、政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、日土国交が樹立されない中で官民の交流に尽力した。山田が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には、後にトルコ共和国の初代大統領となったムスタファ・ケマルもいたとされる。
新米をいただいたので、
また粥にして頂こうかしらと思っていて私が以前研究熱心に研究するときは研究していたお粥研究のことを思い出したの。
どこにもメモしてなくて
なんたるちゃー!って思って過去の私の自分の過去の遠いそう言うほど遠くもない増田を探してみたら
そのベースの基本の分量とかが書いてあって、
メモだけにこれで揉めないわね!
1回ちゃんとしたレシィピをここに記しておくわ。
ここは水1ガロンとか65535合とかってボケたりするとあとでまた私自身が困るから
1回は真面目にレシィピ基本技を書いて記しておくことをここに表明し、
具や顆粒だしは何か好きな物を適当にそして適宜に加えたら良いので、
そこは細かく書かないところが私の良いところよ。
だってみんなにお粥レシィピのアレンジの伸び代を研究して欲しいじゃない!
と言うことで、
私は過去の私のお粥研究の基本ベースの研究であるレシィピを発掘したのよ。
レシィピは忘れてしまっていたけれど
そう!
「手軽さと簡単さと食べ応え強さ」ね!
早速私は思い出して発掘したお粥の基本レシィピをよそに
昨日は昨日で小鍋で作る秋の美味しい祭典!
そう!
お手軽小鍋で野菜鍋!
鶏肉に野菜をパンパンにお鍋に盛って火を通せばカサが減るから小鍋にしっかり収まる感じね。
それにお米1合にお水は適当にその時に残ったルーシーのスープの出汁で作る
雑炊とおじやの境界線って違いって何なのかしら?って私はよく分かっていないけれど
そっと普通に沸々ふつふつと煮るのが「雑炊」って聞いたような気がしないでもないような
槇原敬之さんのもう恋なんてしないよなんて絶対に言わないよ方式で
まあこの際どちらでもいいけど、
そう言ったもの
いわばそう言った類いのもの飯のシーメーの締めってところよね。
小鍋のお鍋の美味しいルーシーのスープの出汁で作ったお粥が最後玉子で閉じて仕上げて美味しくいただいたのよね。
さすがに1合だと量が多くなるから
いっぺんには食べられないぐらいが小鍋マックスさ加減を増しつつ、
半分だけ食べて今朝に残りいただいた
これまた完全に飯のシーメーがルーシーのスープをガッチリ吸って美味しさに磨きがかかる
そしてまた、
遭難したときに救助されて温かいものを!って提供されるときに毛布に包まりながら食べると言えば決まって温かいスープに決まっているやつ!
首から小鍋をぶら下げて熱々の鍋を持って行って遭難した人に食べさせるやつ!
あの太田プロの伝統芸能のほっぺに熱々のおでんとくっつけるやつのダチョウ倶楽部さんよりはるかに前にやっていた片岡鶴太郎さんの伝統芸能のやつはそれが元ネタらしいわよ。
へーなるほど!って思うほど
まあそんな捜索活動でセントバーナード犬が遭難者に温かいものを食べさせて元気付けさせるあの熱々の小鍋のお粥こそがアルプス粥の本場なのかも知れないわ。
そうなると
山の数え方を1山2山って言うんじゃなくて
1座2座って数えるぐらい
お相撲さんの力士の一山本力士が勝つごとにその場所で名前が変わる2勝したら二山本になる方式と一緒よね。
じゃあさ
ベテラン3人バンドグループのメンバーのジアルフィーの数え方は
ザとジと発音することの違いがあるってアル中の人が言っていたわ!
アル中って言ってもジアルフィーのファンの人たちの呼ばれ方だからアルコール中毒の方のアル中ではなく
魚民が居酒屋の魚民ではない方の魚民と一緒の方式みたいなのよね。
南アルプス市の中学校はみな略したらアル中!ってなるぐらい語弊があるわよね。
まあ私はそんな本場アルプス粥に思いを馳せながら食べる朝の美味しく仕上がった粥が美味しかったことにラッパーがだいたい感謝するものは両親なのと相場が決まっているのと同じぐらいお粥の美味しさに感謝する山脈に向かってヤッホー!って叫ぶのよ。
アルプス岳にね!
うふふ。
今日書いたその昨日の作って仕上がった小鍋の鍋の美味しいルーシのスープの出汁でキメたお粥よ!
パンパンに美味しいスープのルーシーを吸ったお米が美味しいわよ。
レンジの上に置いてあったのを出動させたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
オーストラリア・シドニー出身のティム・シャドックさん(51歳)は、1人で船に乗って旅をしている途中、メキシコで犬と出会った。
ベラと名付けられたそのメス犬は、シャドックさんから離れようとしなかったという。ベラに家族を見つけようとしたシャドックさんだが、ベラは彼が船に乗るたびについてくる。
そこで彼はそのままベラを乗せ、4月にメキシコのラパスを出航し、5000km以上離れたフランス領ポリネシアに到達しようとしていた。
ところが、航海開始から数週間後、嵐に見舞われ、船が座礁した。
電子機器と通信システムが損傷したため、シャドックさんは助けを求める連絡をすることができず、ベラと共に太平洋を漂流していた。
それから2か月後の7月12日、メキシコを出航してから実に3か月後に、奇跡が起こった。
メキシコのマグロ船「マーシャ・デリア」を監視していたヘリコプターが、シャドックさんとベラが乗っている船を発見したのだ。
ついに、漁船団グルポマールの社員たちに救助されたシャドックさんは、痩せ細って髭が伸びていたが、船の上で立ち上がることもでき、救助隊の質問に答える気力はまだ残されていた。
しかし、食糧も不足していて危険な状態にあったため、メキシコのマナジージョ市に搬送される前に、乗組員が食事と水分補給、そして治療を提供した。
太平洋の大海原で犬と漂い続けていたシャドックさんは、生魚を食べ、雨水を飲み、小さな船の天蓋の下で太陽を避けて、これまで生き延びてきたという。
釣り道具やサバイバル用品を船に積んでいたことが、命を繋ぐ結果になったと思われる。
海洋サバイバルの専門家マイク・ティプトンさんは、このように話している。
シャドックさんの持久力は運とサバイバル技術の組み合わせによるものです。
また、彼は日中の暑い時には自分の身を守る必要があることも知っています。なぜなら、脱水症状の危険にさらされているときに一番避けたいのは、発汗することだからです。
シャドックさんは、気候と立地のおかげで新鮮な水の供給を確保できたのでしょう。
このような長い航海は、歴史を振り返ると暖かい環境の太平洋で行われることが多いです。万が一座礁した場合、寒い環境だと生き延びる確率はより低くなるからです。
とはいえ、シャドックさんが助かったのは奇跡で、「干し草の山の中の針」を見つけたようなものです。
人々はこの船がいかに小さいか、そして太平洋がいかに広大であるかを理解する必要があります。 遭難者が見つかる可能性は、かなり低いです。
さらに、窮地をシェアするベラがいたことが、違いをもたらしたかもしれません。
座礁となると、その日その日を懸命に生きる必要があり、試練を乗り越え、諦めないためには、非常に前向きな精神的態度を持たなければなりません。夜の海の暗さを想像してみてください。
友人の話によると、シドニーのIT業界で働いていたシャドックさんは、その後退職し、新たな挑戦を探していたそうだ。
大腸がんを克服したこともあり、旅に出て航海を決意したのだろう。旅の途中のメキシコで出会ったベラは、シャドックさんのよき仲間となっていたようだ。
太平洋で漂流していた数か月の間も、ベラはシャドックさんの大きな励みになっていたことで、生き延びる気持ちを持つことができたのかもしれない。
後のメディア取材で、シャドックさんはベラの存在にとても救われたと語っている。・ベラとの別れを余儀なくされる
しかし救助後、シャドックさんとベラは別れることを余儀なくされた。
健康状態を完全に回復させるために、シャドックさんは家族の待つオーストラリアへ帰ることになったのだ。
私は、ベラとメキシコで出会ったとき、ベラのために飼い主を見つけようとしました。でも、ベラは何度も私の側を離れることを拒否しました。
私を飼い主に選んでくれたベラに応じて、一緒に旅を続けようと思いました。(シャドックさん)
漁船の乗組員が救助に近付いたときも、ベラはボートから離れようとしなかったそうだ。
ともに窮地を乗り越えた仲間であるにもかかわらず、ベラと離れ離れになってしまうことはシャドックさんにとってもベラにとっても辛い。
だが、国外のペットをオーストラリアに持ち込むために必要な手続きは複雑かつ厳格で、かなりの費用がかかる。シャドックさんはベラと別れる決断を強いられたのだろう。
犬は「承認国」からの入国を完全に許可される前に、ワクチン接種やマイクロチップの装着、検疫での隔離期間を受けなければならない。
残念ながら、メキシコはオーストラリアへのペット輸入が承認されている国のリストに載っていないため、ベラを連れて行くのはより一層の困難を伴うことになるのだ。・ベラはすぐにメキシコの漁船乗組員に引き取られる
結果、ベラはメキシコに戻ったマグロ漁船の乗組員ヘナロ・ロザレスさんに引き取られたという。
シャドックさんはベラを大切にしてくれることを条件に、ロザレスさんに引き渡したようだ。
ボート乗組員たちは、すぐにベラを気に入り、「素晴らしい」と評した。また、口々に「この犬は私よりもずっと勇敢だ、それは確かだ」とベラを称賛した。
シャドックさんは、疲れた表情だったが、救助されたことに大きな感謝の言葉を口にし、このように語った。
ベラは美しく、特別な犬です。ベラが生きていることにただ感謝しています。
私を救助してくれた船長や漁業会社の人たちには、感謝してもしきれません。私は今生きていますが、本当に生き延びることができるとは思っていませんでした。
しばらくの間、健康状態がかなり悪かったので辛かったです。 かなり空腹だったし、嵐を乗り越えられるとは思いませんでした。
漂流中は、何かを修理して時間を過ごし、「ただ水の中を楽しむ」ために海に入って前向きに過ごしました。
海にいるのは本当に楽しかったし、外にいるのも楽しかった。だが、状況が厳しいときはただ生き残ることだけを考えなければならない。
シャドックさんを診断した医師によると、厳しい試練の中にいたにもかかわらず、彼の健康状態は良好だそうだ。
とはいえ、究極の状況にあったシャドックさんは、ゆっくりと正常な状態に戻る必要があり、数か月は経過観察をしながら、必要に応じてさらなる治療を受ける予定だということだ。
ちなみに、シャドックさんを発見した漁業会社でグルポマー社のアントニオ・スアレス社長は、同社での船団を近代化していて、同船は最小で50年以上経過しているため、これがマリア・デリア号の最後の航海になる可能性があると述べた。
もしそうなら、それは「人命を救った船としての、素晴らしいお別れになるだろう」と、スアレス氏は語っている。
【7月24日 AFP】太平洋で遭難し海上を約2か月漂流した末、メキシコのマグロ漁船に救助されたオーストラリア人の男性が、一緒に船に乗っていた犬のベラをメキシコに残して帰国することが分かった。ベラはマグロ漁船の船員が引き取った。
ティム・シャドックさん(54)は4月、ベラと共にメキシコ沿岸のラパス(La Paz)を双胴船で出発。フランス領ポリネシアを目指し、約6000キロを航海する予定だったが荒波で船が損壊、電子機器も故障し、広大な太平洋に取り残された。約2か月間の漂流の末、マグロ漁船に救助された。
マンサニジョ(Manzanillo)港に到着したシャドックさんは、やせ細り、ひげは伸びていた。乱れた髪を束ね、その上にシャドックさんとベラを救助した漁船を所有する水産会社のロゴ入りの赤い帽子をかぶっていた。
シャドックさんは、野良犬だったベラと、出発直前にメキシコで出会った。何度か飼ってくれる人を探したがうまくいかず、ベラが海の上までついて来たという。
シャドックさんらを救助した漁船を所有する水産会社グルポマール(Grupomar)のアントニオ・グエラ(Antonio Guerra)社長は19日、地元メディアに対し、ベラが漁船の船員に引き取られたと語った。
シャドックさんは18日の会見で「ベラはすばらしい。他の犬とは違う」「ベラが生きていることにただただ感謝する。ベラは私よりもずっと勇敢だった」と述べていた。https://news.yahoo.co.jp/articles/184a3b54464c29974da151091dc8cf223d37e32b
海外だと現地に残した方が犬のためだ、みたいな考えなのかな?