はてなキーワード: 遠野物語とは
柳田国夫の遠野物語には「山中を歩いていた親子が谷底に落ちている鹿の死体を見つけて、子供が『持って帰ろう』と言うが父親が『オオカミの気配がする。オオカミがあの鹿の死体に気づいていたら、持って帰ったら必ず復讐される』と言って諦める」話が載っている。
チョット面白いのは、鹿は勝手に谷底に落ちて死んだのであってオオカミが捕まえたワケではないのに、オオカミが1度でも「コレ俺の物」と思ったらソレを持ち帰る事は横取りになってしまってオオカミの復讐の対象になってしまうという事。
こういう場合に具体的にどんな復讐があるのかはわからないが、遠野物語には他にオオカミの子供をコロした男の家の家畜だけが深夜に何度もオオカミにコロされる話が載っている。
オシラサマ思い出した
Japaaanマガジン 歴史・文化 なんと馬と結婚した女性の末路…「遠野物語」より、オシラサマのエピソードを紹介
@2019/08/18
世の中は実に広いもので、結婚と一口に言っても人間同士とは限らず、イルカや抱き枕など、様々な相手と結婚した方のニュースにふれると、愛情の形は実に色々あるものだと実感します。
と言っても別に昨日今日の話ではなく、日本でも人間と人間以外のパートナーが夫婦となったエピソードが残されています。
そこで今回は柳田國男『遠野物語』から、オシラサマの話を紹介したいと思います。
あまりに馬が好き過ぎて……
むかす、あったづもな(昔、こんな事があったそうだ)。
とある農家に一人娘がおりまして、気立ても器量もいいのに、年頃になっても縁談を断り続けていました。
あまりの事に、将来を心配した父親がその理由を糺したところ、娘はなんと「おらァ、ウチの馬と夫婦(めおと)になりてぇ」などと言い出します。
この申し出には父親も仰天しましたが、確かに以前から、厩(うまや)に一人で籠もって馬に向かってずっと独り言を続けている様子を目撃していました。
確かに馬は昔から、単なる家畜ではない「家族」だけれど……(イメージ)
馬といるのが何でそんなに楽しいのかと訝っていたら、なるほどそんな眼で見ていたとは夢にも思っていませんでした。
「バカもん!お前を永年、手塩にかけて育てたのは馬なんぞにくれてやるためじゃない!」
父親として当然の思いを伝えると、思い切って遠野城下へ出かけていきます。
「……お前が『馬と夫婦になりたい』などと言い出すのは、村にロクな男がいないからに違いない。よぅし、これからお町でこれ以上ない好青年との縁談を取りつけてきてやるから、楽しみに待っておれ!」
父親が出かけてしまうと、娘は馬と夫婦になりました(具体的なやりとりについては割愛されています)。
馬の首に縋りついた娘が……
さぁ、娘が馬と「夫婦になった」ことを知った父親は、烈火の如く怒り狂います。
「おっ父ぅ、やめてけろ!」
懇願する娘も顧みず、父親は馬を裏庭にある桑の木につるし上げ、斧でその首を叩っ斬ってしまいました。
「あぁ……何てむぞい(かわいそう)!」
娘が叩っ斬られた馬の首に縋りついて泣いていると、どういう訳か、馬の首ともども飛んでいってしまったそうです。
たった一人の大切な娘を失った悲しみに暮れていた父親は、ある晩不思議な夢を見ました。
「おっ父ぅ、親不孝な娘でごめんなぁ……その代わりって訳じゃあねぇんだども……」
「裏庭の桑の木で、私たち夫婦を彫ってお祀り下されば、きっと功徳がありましょう」
自分たちの結婚を認めて欲しい……そんな娘の思いに、とうとう父親も折れて馬と娘の像をお祀りするようになりました。
その像は桑を削った棒の先端に顔を彫り込んだ素朴なもので、幾重にも布を着せて支えるのですが、どういう訳か迷い事などある時には馬の顔がどちらかへ向いて「お知らせ」してくれるので、いつしか「お知らせ様」と呼ばれるようになり、それが転じて「オシラサマ」として今日に伝わっているそうです。
どんどはれ(昔話などで「おしまい」の意)。
最近BSでやっていた遠野物語の世界~アニメでいざなう不思議紀行~がとても面白かったけど次の放送はいつなんだ。
昔古本屋で遠野物語を買った時、新品未使かというぐらい綺麗なのに100円ぐらいでうわー嬉しいと思って買って読んでたら
表紙の折り込みに、○○ちゃん小学校入学おめでとう。この本は知らない世界を想像するととても面白いよ。想像力をもって学校生活がんばってね。おじいちゃん
的なメッセージが書いてあった。
その当時妖怪ウォッチが流行ってたからなのか、孫に遠野物語を送るおじいちゃん渋いしうらやましいと思ったね。
メッセージ付きって貰った時は押しつけがましいと思うかもしれないけど、のちのちジーンとするときあるから大事にしてほしいと思うけど
おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。
どうしてフィクションで人は感動するかについて述べた本の走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成の本を買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。
読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまった本で、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだろうか。
塩野七海がエッセイですごく推していたから読んでみたけれども、普通に面白い。例えば、中途半端に生かしておくと復讐されるから、いっそとどめを刺しておけ、みたいなことが書いてあって、優しいと人から言われてしまう自分には大いに刺激になった。ところで「孫子」もそうだが、戦争や政治学について書かれた本はたいてい「そもそも戦争は大悪手で、戦争になる時点で何かやらかしてる」という趣旨の言葉があり、全くその通りだと思う。
未読なんだけど、結婚とはある種の契約なんだから、まず処女と童貞がお互いに裸を見せ合ってからだ、みたいなディストピア的な描写もあるらしく、ディストピア文学好きの人は楽しめるんじゃないかな。あとは非モテ界隈の人とか。実際、完全な平等な社会を目指そうとするとどっかしら歪みが出るもので、それについて考えるのにも使えそう。
自然科学的な考え方、ロジカルシンキングのマニュアル。長くないのですぐ読める。得るものがあるかどうかはわからないけど、逆に普段している論理的思考がそもそも存在しない時代があったことは、実感しておくと歴史を学ぶ上で面白いかも。
平凡社の上巻を読んで挫折。純粋な理性っていうけれども、ヒトの心にはデフォルトで時間とか空間とかの枠組み、基本的な概念が組み込まれているよね? 的な話をやたら細かく述べていく内容だったように記憶している。長いので三行でまとめたくなる。
この本に限らず、いくつかの哲学書は「この本さえあればあらゆる哲学的論争をおしまいにできる」「この本からあらゆる結論が導き出せる」的なスタンスで書かれたものが多い印象。
エヴァヲタなら読まなきゃという謎の義務感から読んだ本。要は、どうすれば自分を信じることができるか、について語った本であったような気がする。自分は救われないだろうという絶望から、それでも神を信じるという境地に至るまでの道筋を延々と語ったようなものだった、はず。
自分は特定の信仰を持たないが、どうせ自分なんてと己を見捨てた境地から、まあ自分は自分だよね、的な気分に至った経験がある人が読むと楽しめるだろう。
「善悪の彼岸」と「ツァラトゥストラはかく語りき」なら読んだ覚えが。自分はカトリックの中高一貫校出身であったせいか、キリスト教思想にある欠点を指摘したこの本を面白く読んだ。キリスト教になじみがなくても、たとえば来世があると考えることで現在を生きることがおろそかになるといった指摘は、興味深く読めるんじゃないだろうか。あとは、増田で定期的に出てくるルサンチマンがどうこうとかいう話が好きな人にもおすすめ。マッチョぶってるところはあるが。
新潮文庫の「夢判断」「精神分析入門」「トーテムとタブー」「一神教の起源」なら読んだ。フロイト自身はヒトの心を脳から探りたかったらしいのだけれど、当時はMRIやら何やらはまだないので対話式の治療法を導入したらしい。
彼の理論は今となってはツッコミどころがたくさんあるのだろうけれど、クラインだとかビオンとかについて触れるなら頭に入れておきたいし、心理学特にパーソナリティ障害について読むなら知っておきたい。自分はフロイトやアドラーよりもユング派だが。
ラブストーリーの「ナジャ」だけ読んだ。謎めいた女のあるある的な話だ。
「論理哲学論考」だけなら読んだ。これもカントみたいに「俺が哲学のくだらない争い全部終わらせてやる」的な立場で書かれている。定理がずらずら並んでいるだけで、余計な表現がなく、簡素。
ただ、言語の限界について今の人が持っている感覚ってのは大体この時代の人が言っていたことだった気がするし、そういう意味では面白いんじゃないかな。この辺は数学ともかかわっていて、ペアノとかゲーデルとかヒルベルトとかその辺興味があったらいかがでしょう。
ちなみにウィトゲンシュタインがポパーとの議論でキレて火かき棒を振り回したヤバいやつだというのは哲学界隈では有名らしい。
シン・ウルトラマンの予告編でちらっと映っていたので読んだらいいかもしれない。
この本そのものは未読で「悲しき熱帯」ともう一冊なんか専門書を読んだことは覚えている。面白かったエピソードの一つは、ある民族は身分を入れ墨にするんだけど、入れ墨のない人間(白人たち)を見て面食らう。要するに身分証明書を持ってないようなものだから。
定期的に異民族と共に暮らすドキュメンタリーが読みたくなる性分なのだが、それはたぶん、自分のやり方や考え方が絶対じゃないってことをよく教えてくれるからで、これも本を読む効用の一つだろう。趣味なので効用なんて本当はどうでもいいが。
面白い。僕自身のスタンスとしては、日本人が海外で誤解されていることを批判するんだったら、自分も外国に対する偏見や無知を減らそうと努力するのが筋だと思っていて、それの理論的な補強をしてくれた本。身近に外国人の多い環境ではないが、すぐに役に立たないからと言って読まないというのはなんか違うんじゃなかろうか。自分はイスラーム世界やインドについて、どれほどわかっているのだろう?
どっからがいきでどっからが野暮なのか、直方体を使った図があった気がするが忘れた。
「遠野物語」しか読んだことがないし、それも「マヨヒガ」のことしか覚えていない。
自分が現代思想に出てくる名前がわからなすぎて最初に読んだ本の一つ。四コマ漫画だがかなり本質をとらえており、いしいひさいちの本業は何だったのかよくわからなくなる。素直に笑っておきましょう。勉強ってのは楽しみながらするもんだ。
上のリストでは省略した20世紀哲学者が実名で登場するミステリなんだけど、フーコーがサウナで美青年とイチャイチャしたり、七十年代の音楽を聞きながら薬をキメたりしているので、現代思想だのポストモダンだのをかじったことがあるならおすすめ。著者がやりたかったのは、たぶん上の世代の脱神話化というか、強すぎる影響の破壊なんだろうけれども、ここも素直に笑っておくのがいい。
以上。
https://anond.hatelabo.jp/20180124221748 を読んで現場は大変なんだなと同時にそういうものを書き込んでくださった増田さんに感謝している。
大変そうだけれど、無理しすぎず、ほどほどのところで過ごして欲しい。
それだけじゃ何なので、掲題通りである。
一時期入り浸っていたことがあるので記憶のある限り書いてみる。
小学校は何回か転校していたため、正直各学校の独特の匂いとやけにじめっとした、あるいはやたら日当たりの良い図書室の壁に添って作られた本棚を思い出す。図書カードの置かれたあのカウンターだとか。おとなしそうな図書委員だとか。似たような雰囲気だなあと思っていた。
低学年の頃は授業時間に行く以外では寄り付かず、気が向けば学級文庫か自宅にある本を読んでいた。
その頃好きだったのは大判で、フルカラー写真が多く載っていたこまごましたものが特集されていた本だった。
ただ眺めているのが楽しかった。シリーズで何冊かあったが、色で分類されていたと思う。漢字で書かれていたテキストの部分も気が向けば適当に読んでいた。
不遜な子どもだったので、およそ感想文の類を提出したことがなかった。課題図書もふーんと眺め一度だけ気になったものを借りたか買ったかした程度だった。
自宅では主にオカルトに凝っていた時期だったと思う。魔女とか怪談とかそういうものを読み漁っていた。
なんとなく耳をすませばを思って、半年かけて図書室の本を全部読んでみた。伝統ある学校に比べたら冊数はそれほどでもないと思う。普通教室3部屋程度。読んでみたが読んだはずの本でもおぼえていない本が結構ある。
きっとその頃は読み切ることが目標だったのだろう。それでもいまだにその頃出会った作家で読み続けていたり、何冊も装丁違いで購入した本があることはひとつの宝物だと思っている。
あとすべり止めで受けた私立高校の入試で読んだことのある作品が題材だったのも愉快だった。
そこから高校までで多いときは一晩に文庫8冊。一番かかったのが篠田節子氏のハルモニアで2日だったと思う。
なんとなーく早く読めるようになったりもした。あの数年間は登下校時にも本を手放さなかった。
勉強はあんまりしなかったけれど、勉強せずに中学2年で漢字検定2級が受かる程度には知識も増えた。
当時は図書カードがあったので、誰がどの本を借りたのか分かるのも面白かった。天沢聖司にも月島雫にも出会えなかったけれど。
ここ数年で文庫化された書籍も当時はハードカバーで、月に10冊前後は購入されていた。それを片っ端から読みつつ、すでにあった蔵書も読んでいた。
多感なお年頃なので、性描写のあるものに出会うと成人指定の境界ってどこやねんと思ったりしながら読んだ。(し、本屋に行けば女性向けのBL小説は性描写があっても普通に買えた。謎だ。凝り性なものでそちらもだいぶ読んだがこちらは卒業したかもしれない)(コバルト文庫でも結構あると思う)(基準が謎だ)
野中柊氏のダリアとか、ドキドキしながら読んだ。今思えばかわいいものだ。
後宮小説なども読んで良いのかなと思いながら読んだ。
地元の公立高校で初めて、司書さんという存在を校内に認識した。いつも白衣をまとった女性で、図書館以外にもいるんだなと思った。その学校では希望があればCDなども購入していた。
アングラっぽい写真集や当時走りだったライトノベルを一式入れてくれたりもした。(その後、メディアミックスされた各作品の初版本が揃っていたため、数年後盗難にあったそうだ。嘆かわしいと同時に初版本に価値を見出す感覚がまだあるのだなと感じた)
同時に、遠野物語をはじめとする民俗学やら薔薇の名前やらを借りまくっていた。
学業に励む生徒にとっては、赤本がずらりと並んだ赤本専門の小部屋があるのも魅力だったかもしれない。
その頃は読んだなあというほどは読んでいないと個人的には思っている。
ただ、気になっていた本たちをするする入れてくださった司書さんには当時も今も感謝している。
森博嗣氏のシリーズもいくついれてもらっただろうか。講談社ノベルスがやたら充実していた。
お小遣いでは追いきれない本たちをあの時期に読めたことには感謝しかない。
ちらほらある小説もだいぶ前で時が止まっている。
大型書籍は比較的充実していたが、借りるには重いので閲覧のみとなる。
専門書も同じく時が止まっていた。
半地下で静かで独特の雰囲気が好きだったけれど、およそ学業のための空間ではなかった。
卒業後も利用できるということだったが、生憎地域の図書館の方が便利であった。
今につながる本の思い出。
急接近したり、離れたりしつつも、どんな格好であれ図書室・図書館は存在してくれればいいなと思う。
読む子は何をしても読むし、読まない子は読まない。
ひどいようだがそんなもんだよなと思う。
あるときブログで家族から勧められた本が という記事を見て、自分の家ではない習慣だなと思った。
家の中にある本は読みたいだけ読んだ。隔離されているような本も気になればこっそり読んだ。
教育機関にあったら驚かれるかもという本もリクエストして入れてもらえれば読んだ。
面白かった本を教えてと訊かれたら100冊くらい列挙できた(今はどうだろう?)
それだって、きっかけは耳をすませばだ。(個人的な気質はあるにせよ)
こういう本が読んでみたいなと思って書いたこともある。
作文はからきしだけど、幸か不幸かある程度蓄積があるので大学教員には高評価だったりもした。
もうちょっと器用だったら桜庭一樹氏のようにアウトプットにも使えたかもしれないが、そこに愛が足りなかった。
ルールのあるなか、大変苦しんでらっしゃる元増田さん越しに、学生時代、本を介してお世話になった司書さん司書教諭の先生方には感謝を伝えたい。
思えば、落ち込んで図書室にこもっていたような日もあったと思う。
期限通り返せなくてお手間を取らせたこともある。申し訳なかった。
営業マン、社長、駅弁の売り子、自動車工場の社員、空港職員、人形浄瑠璃の演者、農家、伝統工芸の職人、撮影スタジオのカメラマン、楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。
全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場の雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。
その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者の投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。
印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。
何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。
「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト(基本的に大学教授、たまに僧侶や詩人)が分かりやすく解説してくれる番組。
本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。
毎回伊集院光が面白い着眼点で質問したり感想を述べたりしていて感心する。
「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクションの先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い。
印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィンは医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプで医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。
録画して100分まとめて見ている。
視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美と三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組の雰囲気は明るい。
強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」
容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去の経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリストが提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。
最終的には結構いい感じに解決していた。
家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。
お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループで山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!
山登りで自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。
タレントやクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組。
テレビで見たことある人が先生だからなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。
詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…
http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1
子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。
まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。
次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分を発見。中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。
やってくれるヒトいないかなー。本当はぶっちゃけ兼業主夫が希望だけど。パートとかバイトでいいから。「夫」ね。
生活費はガチ折半じゃなくていいです。今私が借りてるとこに住んでくれるなら家賃を全額持ちます。都内で8万円くらいの1DK、駅近日当たり最悪。ごめん食費と光熱費と日用雑貨費(トイペとか)は出してください。日当たりがアレすぎて換気扇とか除湿かけっぱで電気代は割とかかってます。被服費とシャンプーとかの身だしなみ費は個別会計で。あっごめんなさいやっぱ専業無理だこれ。兼業主夫でお願いします。
料理とか掃除とか洗濯とか本当向いてないんですよね。特に掃除。救急車が必要になっても呼べないレベル。泥棒に入られてもわからないし、この部屋を捜査しなきゃならないおまわりさん本当ごめんなさいってレベル。
ただ子どもが欲しいんだよなー。それがネックすぎる。今の職場産休制度とかあるけど事務員(しかも原則定時の部署で仕事内容超簡単、いつクビ切られても全然おかしくない)だから無給の可能性高い。確認しないとわかんないけど。専門職なら7割出るらしい。いいなー。
あと欲を言えば正直都内で子どもは育てたくない。環境がデンジャラスすぎっだろ。ワタシが田舎育ちなせいかしらん。ゆくゆくは越したい。職場が東京だからすごく遠くには無理だけど。
さらにさらにわがままを言えば、犬飼いたい。のです。でかいやつ。実家で飼ってるラブラドールかわいすぎるんじゃ。
正直わがまま言ってる場合じゃないけどな。もう来年30やで。大卒30で年収380って婚活こいても相手おらんレベルやろ。しかもコミュ障。人間こわい。今計算したらいない歴10年超えてるし。おまけにちょっとヘンテコな病気持ってて薬と診察で月にいちまんごせんえんくらい出費してる。妊娠出産に支障が全くないとは言えない。
趣味は読書、だったんですが最近全然時間取れてない。今読んでんのアレです、京極夏彦リミックスの遠野物語の文庫本。あと菊地成孔という人の『スペインの宇宙食』をちびちび。この人の文章やばいすごい。内容は「他人が話してる内容だから笑って聞けるけど身近にあったらブッ飛ぶ」系。でも文章がやばいすごい。美しい。表現がなんかこう煌めいているのです。一発でファンになった。
ディズニーランドより動物園派です。憧れは掛川花鳥園。正直イモい人間です。イモいのに色鮮やかなものや美しいものに弱いという一番タチ悪い感じです。
好みのタイプは特にないです。タイプとか言えるほど人付き合いの経験がないです。最近一番キた有名人は若い頃のダニー・エルフマン。あんな笑顔がデモーニッシュで声の綺麗な男がそこそこ正装して"Won't you stay with me one more day? If we get through one more night, if we get through one more night..."なんて歌いかけてきたら大抵の女は落ちるんとちゃうか。すみませんタンクトップは無理ですきっと笑っちゃう。
タバコは吸わない、お酒は嗜む程度、という方最高です。当方タバコダメでお酒もダメ(元々両方ダメだったけど薬とも相性悪い)なので、お酒付き合えないんですがそれでも可の方素敵です。
怒鳴る方、叩く殴る方無理です。両親は命に関わるルール違反をたしなめる場合以外ではあまり感情的にならないタイプで、この年になるまで一度も手をあげられたことがないという育ちなので、それがデフォルトで来ております。
羅列してわかったけどこれ無理ゲーな感じがする。人間こわいならおとなしくペット可物件住んで犬飼っとけやって感じする。
でも子どもほしいんだよなあ。