はてなキーワード: 道は開けるとは
アプリで会ってからのゴールを恋愛に置いたことで、戦略が変わる。
まず、初対面からボディタッチしない。家に行こうともしない。当たり前のことだが、ゴールが違ったので、できていなかった。
ボディタッチは、話が合わなくてもできるので、ある意味楽な一手なのだ。だから、そこに逃げないようにする。
とにかく嫌われないように気をつける。好意を押し付けないで、細かく伝える。
焦らないで時間さえかけられれば、必ず結果はついてくる。と思う。
恋愛マンガを読んでいたら、ヒロインにモブの男が近づいてきて告白するシーンがあったのだが、モブの男を怖いと思った。
主人公に感情移入していたから、NTRの恐怖というのもあったのだが、女性にとって恋愛というのは「関係」であって、好きでもないよく知らない男というのは怖いものなのだと、今までの知識と繋がって、点が線になったのだ。
(「関係」と書いていたのは、しっきー氏のブログの記事だったか。ちなみに男にとっては「獲得」らしい)
「関係」だから、そもそも人間関係を維持できないことには、はじまらない。
その人間関係を、どう深めるか。
「獲得」ではなく、「関係」と捉え、深めようとしていけば、自ずと道は開ける気がする。
だって何かする気ない(というかできない)んでしょ。そりゃそうだよ。諦めなよ。今できることだけがんばってしてたら道は開けるよ。
18 二週間でうつを治すには
「この処方箋どおりにしたら、二週間できっと全快しますよ。それは、どうしたら他人を喜ばすことができるか、毎日考えてみることです」
道は開ける 新装版 (日本語) 単行本 – 1999/10/20 デール カーネギー (著), Dale Carnegie (著), 香山 晶 (著)
☆道は開ける☆2週間でうつ病を治すには | 一日一回誰かを笑顔にする会 - 楽天ブログ
2週間でうつを治すには 「道は開ける (D・カーネギー)」 - 百武日記
大好きなこと:D・カーネギーの『道は開ける』8(2週間でウツを治すには) - livedoor Blog(ブログ)
アドラーの「二週間でうつ病をなおす」方法 - HEART BEAT
この言葉を初めて聞いたとき、すごい言葉だと驚いたのを覚えている。
まさに真理だと思ったからだ。
それじゃあ明日もなんとか生きるため、生きたい理由を見つけるため、私が今死にたい理由を並べてみよう。
①可愛くないから。
③コミュニケーション能力がなくて他人と関わることが大っ嫌いだから。
どうだろうか。
くだらない理由だと笑っただろうか。
私の方がもっと辛いのにこいつは何を言っているのだと腹を立てた人もいるだろう。
(③と④の矛盾には気づいてるので触れないで欲しい。誰とも関わりたくないけど、誰かと関わりたいのだ。)
①に関しては、化粧するなり痩せるなりすればいいし、それでもダメなら整形すればいい。
②は勉強したり経験値を増やして自信を持てるだけの実力をつければいい。
③は少しずつ人と関わって慣れていけばいい。
④はボランティア活動を始めたりすればいい。自分自身が誰かを必要とすることでも道は開けるかもしれない。
解決策なんて分かってるし、この目標こそが生きる理由で、達成できるように頑張ることが生きることなのかもしれない。
その全てに対してやる気が起きないのだ。
可愛くなって何が変わる??周りの目??
今不細工な私は、可愛くなった私に優しくする人が不細工に対してどんな酷い言動をするか、知っている。そんな人に愛されるようになることが幸せか??
そのすべてを始める勇気が湧かないのだ。
突然新しいことを始める人のことも、努力し続けられる人も素晴らしいと心から尊敬している。しかし、心のどこかで本気になってバカじゃねーの?よくできるなwと心底見下している。最低だ。
思い浮かぶのは行動しない言い訳とこじつけの歪んだ屁理屈とくだらない偏見、変な見栄ばかりだ。
やるべきことがはっきりしていて、それでもやらない自分に腹が立っている。それなのに何もしない自分が大嫌いなのだ。
自分より勇気もあって努力することのできる素晴らしい人達を見下してしまうような自身の性格を嫌悪しているのだ。
実際の生きている理由なんて、親に迷惑をかけたくない気持ちと私の死体を片付ける人が可哀想だという気持ちだけだ。
一瞬で誰の心からも誰の目からも誰の記憶からも消えられる薬があればいい。そしたらなんの迷いもなく消えられるのに。
それは、自分の臆病さを、性格の悪さを、自分の無能さを全く知らなかったからだ。
あのままでいたかった。
こんな厳しい環境で前向きさを失わないのは本当に凄いと思う。
多くの人たちがすでに言及しているように、なるべくネットだけで完結する仕事を見つけるのが良いと思う。
日本ではまだ人々の認識が遅れているのだけど、これからの時代、必ずしも家の外に物理的に出ることだけが社会参加を意味するわけじゃない。ネット上で作業をし、カネを稼ぐのも立派な仕事の一つではないだろうか。
あと、親が頼りにならないなら、なるべく親との関係を断って、むしろ自分だけでも生活保護が受けられないか模索できないだろうか(ごめん、こちらの方面はぜんぜん詳しくなので的はずれなことを言っているかもしれない)。そうやって保護を受けているうちに、IT関係の勉強をオンラインで受けるのがよいのでは。
可能なら、東京に出てきなよ(私は都心部に住んでいる)。医療は当然、日本で一番進んでいるし、仕事の種類もダントツに多い。住む場所も、シェアハウスなら、敷金礼金もほとんどかからないし、家具付きだからすぐ生活が始められる。オークハウスが最大手。他にもたくさんいろんなハウスがあるから、検索してみて。仲間もできやすいし、上京してくるとき最初の一手としてはおすすめ。
まず、結論として入るだけなら頭良ければ入れると思う。(MARCHあれば余裕。日東駒専でも多分大丈夫)
が、1度も実技やってないのでテスト行くのは無謀。夏期講習か冬期講習はやっていいたほうが無難。
もし、学科で点数撮る自信がないなら実技で点を稼ぐしかないのですが、空デのポリシーとして、実技では浪人ぽさは嫌われる。
浪人っぽさっていうのは、受験テクニックに走ったような作品。素人でも発想などで光るものがあればそこそこ取れるとは思う。
なので、実技やりこんでも空デの場合はそんなに意味ないんじゃないかなという気がしている。
ちなみに、何を目指しているか?
インテリア?セノグラフィ? 桑沢のスペースも併願ってことはファッションは無いかな。
ファッションは正直、就職良くない。同期でファッションコース出て、まともにデザインやってる奴は少ない。
(ファッション”関連”はいっぱいいる。販売とかMDとか営業とか..)
インテリア系だったら入学後、学業に専念してGPAいい点数とって研究室とか教授に気に入られろ。
そうすれば学科の推薦みたいのがあるはず(昔はあった)なので、そこそこの会社(東証1部とか大企業)に就職できる。
そうでなければ、デザイン事務所でバイトしてそのまま卒業後就職するか、その事務所出身のデザイナーの事務所に入るとか色々道は開ける。
セノグラフィだったら、やめておけ。よっぽど好きじゃない限り卒業後は地獄だよ...
【追記】
ものすごく同じような環境にあったものです。出張が多くて、イキイキママやイキイキパパの家庭の都合で予定が二転三転し、お盆休みも消滅しました。突然の呼び出しも多くて私的な用事どころか、自分のキャリアアップのための予定も入れられず、年中心が休まらなかった。私の職場のその方たちは自分は当然の権利を主張していると絶対に頭を下げない、独身の人達を見下し、早く結婚して子供を産めと言ってくるということもする人たちだったので、精神的にも肉体的にも本当にしんどかった。
今は別の職場で働いていますが、そもそも職場で家族の話はしないし、家族がいても家族を理由にこちらに無理を強いる人はいません。職場のモラルの違いを強く感じます。前の職場は不正とかハラスメントとかが多くて、毎年新聞記事になっていて、そういうことをする同僚や上司を尊敬できない、セクハラが気持ち悪い、不正に巻き込まれたくないというストレスも大きかった。一部の権利を主張する人たちがやりたい放題で、それを見過ごす上司がいるというのは、コンプライアンスの問題を抱えた組織ということなので、子育て社員フォローだけの問題を抱えているわけじゃなくて、それ以外のいろいろな問題を抱えているということなんだと思います。組織全体の問題であれば、一人で改善できるものではないので足を洗う方が賢いと思います。
前の職場はトップダウンで、現場の状況を何も知らない管理職が無理強いするのをひたすら聞くしかなかったのですが、今の職場は下の者の話も少しは聞いてもらえて、配慮してくれる管理職もいて、民主的です。その辺の組織の意思決定の仕方の違いも、子育て社員フォロー問題と関係しているかも。
一度地獄を見たせいもあり、今のところの職場環境は(同僚によるとそれなりに大変だというのですが)、私にはそれほど大変に感じられません。可能であれば同じ業種、似たような仕事で別の会社に転職してみるというのもありかも。転職活動は確かに大変なのですが、「前の職場が大変だったから」ではなく、今までまじめに働いてきたことを伝え「こういう仕事がしたい」とポジティブな感じでアピールすると道は開けるかもしれません。皆さん理想的にはこう、というコメントをするけれど、実際のところ個人でできるのはそのくらいだと思います。
私も配偶者も子供も仕事も全てほしいという人たちのために、配偶者も子供もなく仕事もいつまでできるかわからない自分が必死で働かないといけないのかと本当につらかった。口に出すと、増田さんを叩いているような感じの人達が職場にもいて、さらに責められて、救いがなかった。でも今は自分の将来を考えながら自分のために働けて精神的にとても楽になりました。職場の体質にもよるけど、ひたすらイキイキママ、イキイキパパだけをほめたたえて支援する政府のあり方にも問題があるように思う。独身でいる権利も、子供を作らない権利もある。LGBTとか不妊の人にも配慮する必要があるなら当然のこと。多様な人がそれぞれの生活を尊重されながら働ける環境を作れるように、制度を作っていく必要がある(でも選挙でそういうことを言う人はいなくて、なんだか残念だった。)
彼はあの場に残れなかったのだ。
いい経験になった?別の場所での活躍?嘘つけみんなそんなこと本心じゃ思ってないくせに。
ここがきっと踏ん張り時だったんだ。踏ん張ったけど、残れなかった。
実力とか人気とかどうでもいいんだよ、運営が人気出させたくてかつそれに応えらえる資質がある子を引っ張り上げて押すだけ。
金ならある、お金を出させてほしい。
ずっとこの世界で彼に生きながらえて欲しい。
悔しい、本当に悔しい。どうしたらいいんだろう。
どうすべきだった?いつが分かれ道だった?
夏が終わって秋がくる。この箱の担当たちが沈黙しせっせと冬に備えて働く秋が来る。
しかし今年の秋は少し違う。そう別の人間がその箱で公演をする。
今だ彼らが出演するということは発表されていない。
出て欲しい、なんで別の奴らがやるの。なんで…
秋、出れるかどうかはこの際どうでもいいとしよう。
本当の闘いは冬だ。
例年通りか、土日と平日で出演者を変えるのか。
そして彼は出るのだろうか。
私だって手放しで冬を楽しみにして生きていきたいけど、どうしてもチラつく「今年の夏は出られなかった」という事実。
早く冬になってほしい。何も考えられなくさせて欲しい。
「難しい作業」の慣れない要素に関しては、チェックリストを使うことで、使用する注意の量はぐっと減らせる。
デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った
ttp://www.huffingtonpost.jp/satoshi-nakajima/difficulity_problem_b_10325526.html
スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、オバマ大統領がいつも同じ服を着ている理由
ビル・ゲイツがいちいち顔を合わせて聞いていたら、膨大な時間がかかります。だから彼は、コストをかけてでも、説明を聞く時間を効率化するために専門のスタッフを雇っていたのです。
どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。
【認知的節約】 人は、必要以上に認知資源を用いない傾向があることを示す。 【認知資源】 注意を向けて考える、記憶する、といった認知活動に要する能力。認知心理学では、「認知資源には一定の限界があり、そのために認知的節約が起こる」とする。
ttps://twitter.com/shakaiaku/status/563371671277817856
悩みに対して「ストップ・ロス・オーダー」という歯止めを用いよう。一つの問題に対してどの程度まで気にかけるべきかを決めて、その限度を超えたら忘れてしまうこと。
『私の考えでは、①好きなことをやり、②それで食べることができ、③その上それが他人のためにもいささかの役にたった人生が自己実現の人生であり、理想の人生である。』
ソース―あなたの人生の源はワクワクすることにある。: 本: マイク マクマナス,Mike McManus,ヒューイ 陽子
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4900550132
正直すぎるんですかね。その歳で自分にはこれしかないと思える人なんてそうそういないでしょう。
直感でいくつか選んで、エントリーシートにはもっともらしいことを書き、面接ではシレッときれいごとを言えばいいんじゃないですか。
それが難しいのかなぁ。いわゆるお勉強はできるのでしょうから、踏ん切りをつけて開き直りさえすれば、道は開けると思います。
無責任に聞こえるかもしれないけど、仕事に対するこだわりのなさを逆手にとって、流れに乗って決まったところに飛び込んでみたら、やりがいが後からついてくることもありますよ。
ただし、切羽つまってるようには見えませんので、状況が許されるのなら無理やり就職することもないでしょう。あなたも周りも不幸になります。
自分におこった出来事を整理してみると、自分は周りに人がいないなと思ったからまとめてみる。
小学校の時はいじめを受けた。中学校のときは耐えきれず親と一緒に先生のところへいきいじめっ子と教室を離してもらった。
うざいと言われた。キモイと言われた。空気が読めないと言われた。
そんなこと関係ないから、やるべきことをちゃんとやっていれば道は開けると思った。
大学には前期日程でそこそこのレベルのところになんとか滑り込んだ。
一応国立大。みんなで頑張ろうといってたクラスメイトは前期日程ボロボロだということを担任から聞いた。
この間違った自信がさらなる間違いへと踏み出すきっかけになった。
大学の時、自分に不利益なことをいう人間を徹底的に排除していった。
そうしていくうちに、周りから人がいなくなった。
「自分が全部正しい。」と口では否定しても、心の奥底では絶対にそう思っていた。
周りから変に注意をされると恐ろしく凹んだ。
凹んだ姿を周りに思いっきり見せた。
腫物を触るように扱われた。
職場が変わった。
なんでこんなところにいるの?とまで言われた。
そしてある日ヤンチャな奴から思いっきり殴られて病院にいくはめになった。
いじめを受けて以来初めて味わう「言い訳しようがない痛み」だった。
そうか、自分は傷つくことを嫌がるあまり「痛い自体」を遠ざけていたと気づかされた。
痛みをうけても自分のせいと思わず、どこか他人のせいにしていた。
「痛み」に向き合うことをしなかった。
例えるなら、無課金ユーザーのくせにセコセコやって貯めた無料ポイントで買った武器で重課金ユーザーに挑んでいったようなものだ。
その痛みを「どうせあいつは課金してるから」という何の解決にもなっていない言い訳で逃げてきただけなんだ。
そう思った今年の1月にいろんな決心をした。
まず体型。はっきりいってデブだ。体重を30kg落そうと決意して現在15kgほど落した。
体が軽くなった。トレーニングをしていると日々のもやもやが取れていく気がする。ランニングも始めた。
続いて知識、今まで本嫌いで読もうとしなかったが、今は月間4000円ほどを本につぎ込んでる。
今まで某ソシャゲに突っ込んでいた分を回した。
ある先輩教員が「月に5000円以上本にお金を使わない奴は教員としてダメだ。」と言っていたからだ。
必ずしも全部を読破できているわけではないが、何気なくベッドの周りに広げておくとふと読もうと思う瞬間がくるから不思議だ。
人と関わること。
何気ない雑談をするように心がけた。
そうすると自然と周りの人に助けてもらえるようになってきた。
つらい時に心配してもらえるようになった。
今までは自分で露骨なオーラを出していたものだが、自分が「ちょっとつらいな」と思ったときに声をかけてもらえるようになった。
あ、自分は今まで心配すらされてなかったのだと思った。そして裏を返せば心配されるほど頑張ってなかったのだと思った。
あとは手帳をつけはじめた。
なんてことはない。日々の記録をつけるようにした。
できるだけ自分がよかったと思うことを書くようにした。
そうすると課題も見えてくる。
自分が変わっていく瞬間を二十数年間生きてきてはじめて味わっている最中だ。
何が言いたいかというと
「下手なプライドは投げ捨てろ。無課金ユーザーの粋がる姿ほど見苦しい姿はない。」
「友達と遊ぶ、本を読むなどして人生経験に課金しろ。ゲームの課金だけでは残念な人生になるぞ。」
ということを言いたい。