はてなキーワード: 過剰反応とは
失礼にあたることはない無色な単語だが、そういう認識が十分知られているわけじゃない
了解をラジャーみたいなフランクで事務的なあるいは軍隊的な応答と感じる/そういう場面で使われる単語と捉える人は多いので
承知あたりに置き換えておくと誰が聞いても謙虚に聞こえるためベターなのは事実
上司のように了解に負の印象持ってる人との衝突もなくなるので、「了解」を使わないというライフハック自体は有効だ
わざわざ抗って「了解」を使い続ける意味もないし、そんな正しい「了解」の伝道師になる義理もないだろう
それに、その程度の認識ズレは誰だってあら探しすれば一つや二つ持ってるものだ
その一点だけで尊敬しなくなるのだとすれば過剰反応というか、他人にマウント取りたい盛りの幼稚さがあるとすら見られてしまうので、気にしすぎるのも損だろう
ほぼ100%軽度知障の派遣部下を1年以上面倒みてるんだがほんとしんどい。
本人は改善してるつもりなんだろうが、無駄な作業を増やしまくってるしスプレッドシートとかに変な個人ルールを増やしてガラクタに変えてる。
最初は遠回しに、終いには直接的にやめろと何度も言ってきたけどきかない。
というか、こっちの言っていることを正しく理解していない確率が激高なので伝わっていないかもしれない。
そもそも文章も言ってることもめちゃくちゃでよくわからない。雑談は問題ないが、業務も話となるとわや。
もちろん口頭で言って文章で送ってとかやっているけど、反対の意味で覚えたり自分が言ったことと反対のことしてたりしょっちゅう。
基本的に認知が歪んでて、少しでも褒められた気配のあるニュアンスがあるとそれを10倍以上にして覚えてる。怖い。
そんな感じなのにプライドが激高。1ヶ月でも後に入った人には気持ち悪いほど先輩風を吹かす。
上の立場の人にも、少しでも隙があれば自慢やマウント取りをしてくる。
なにかと口を出したい欲もめちゃくちゃ強くて、よくわからん口出しを本人もよくわかってないまましてくる。
言ってる内容の把握に時間がかかるし、言ってくる内容のメリットがないことを説明しても全然理解できないから地獄。
自分が言ってることを通したいためだけに、よくわからない理由や作業を思いつきで付け足してくるのも地獄。
思いつきだから自分で咀嚼もしていなくて無駄な作業を増やすだけに終わり、今後大変になってるだけで地獄。
もちろん仕事を覚えるのもやるのもめちゃくちゃ遅い。前任が1時間でやってた仕事をほぼ1日かけてやってる。
なにが一番困るって、次の人に引き継ぐとき。
やらなきゃいけない部分とやっちゃいけない部分、やってほしくない部分、自分の裁量部分の切り分けが全くできていない。
無駄作業、無駄観点が多すぎるのに全部やらなきゃいけない部分と思ってる。
ドキュメント系はなんとか一線を超えないように保ってるけど…ちょっとでも修正すると過剰反応が返ってくるしすげーしんどかったわ。
経歴は豪華らしいけど、転職や現場経験が多いってことは定着してない、引き止められてない、現場から紹介予定派遣に切り替え提案がない無能ってことだからな。バカかよ。
入った数日後から上司に変えろと何度も言ってるが変えてくれないし。
変な面倒見の良さを発揮してるんだろうが、負担は全部こっちだからな。
お前も全部理解して全部回避してたくせに。こっちがどんだけ苦労したと思ってるんだよ。
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トランスジェンダー(他いろいろの性的マイノリティ)の味方になりたいアライさんとGC側の果てしない論争が目を引いたからだ
毎回議論が脱線していき、論破合戦になるばかりで肝心のトランスジェンダーは置いてきぼりの状況が悲劇的だ
なんとなく自分の考えがまとまってきたのでまとめておく
文献を引いてくる気はないし単語とかいろいろ間違ってるんだろうけど当事者たちも全然その辺統一感が無いので気にしない
これは自分がトランスジェンダー関連をこう思って過ごそうと思っているというまとめである
あの界隈は本当にややこしいのだが、性同一性障害と言われている疾患とトランスジェンダーがまず違うらしい
性同一性障害は数百万人に一人の頻度で発生し、幼少期から自分の体の性別に強い違和感をもって生きていく疾患である
その違和感を改善するために適合手術という外科的手術があり、見た目を変え、違和感の根源である生殖器を取り去ることで苦痛を和らげようとする
この手術がめちゃくちゃ体の負担になるのは容易に想像できるし、外科手術だけでなくホルモン投与なども行わなければならない
そこまでしても実際に異性になれるわけではないのでもともと男として生まれた人は妊娠出産はできないし、女として生まれた人は精子を作れるわけではない
それでも手術をしてよかった、見た目が異性らしく見え、生殖器を取り去ることで、周りからも異性として扱われやすくなるし、自分自身がもともとの性別から変われたと思えて楽になった、という人はいると思う
どれくらいいるのかはわからない
もともとが数百万人に一人だし、そこから実際に手術する人は一部だろうし、そこから長きにわたって後悔せずに生きていける人はさらに一部だろう
手術なんてしなければよかった、しても意味がなかった、多少は意味があっても苦痛のほうが大きかった、という人も絶対にいるし、手術をした人の中でどちらのほうが多いのかはわからない
性同一性障害の治療の一環としての外科手術はいまだに試行錯誤されている段階であって、決定的な治療ではない
五十年後に同じことをしているかというとしていないだろう
今できる精一杯としてこの不完全な処置をしているに過ぎないし、それが今できる最善なのかもわからない、それでもやる人はいる
特例法はそうまでして体を変えた人が特例として戸籍を変えて生まれた時と違う性別で生きていくことを容認する法律だが成立して何年もたっているので現状とはずれてきている
現状のずれとは何か?
もともとこれは性同一性障害の患者用の特例だったが、そうではない人々も戸籍の変更を強く求めるようになったことである
性同一性障害ではないのに戸籍の変更を求める人々、それはトランスジェンダーである(と私は理解している)
トランスジェンダーという概念は性同一性障害を含んでいるが、もっと広義なものであるらしい
本来の性同一性障害であれば幼少期から違和感があるはずだが、幼少期には特に違和感がなかった人が人生の途中から違和感を感じ始めることがままある
幼少期から違和感があった人のなかにも性同一性障害ではない人もいる
ここが本当にややこしい
色々見てみても、言葉遊びみたいなのになっててわかろうとすればするほど難しかった
今の私の理解としては、性同一性障害ではないトランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人のこと
女の体でも男だと思っているし、逆もまたしかり
だから外科手術をしたりホルモン投与をするしないに関わらず自分は男ではない(女ではない)と思っているし、必ずしもそれらの医学的補助を必要としない
そして、これは全員ではないかもしれないが自分だけではなく周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいる
その一環として自分の望む性別に戸籍を変えたいというのは、自然な流れである
性同一性障害だけではなくトランスジェンダーに対しても戸籍変更を認めるか否かが問われていて、おそらく流れとしては認めるべきであるという方向に進もうとしている
で、ここで議論になるのがトランスジェンダーという存在が社会の中で存在感を増すということは必然的に性別によってわけられていたことが意味をなくしていくということについてである
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性別によってわけられていたことが意味をなくしていく話をする前に改めてトランスジェンダーについて話す
トランスジェンダーは幼少期からずっと違和感を抱えている性同一性障害とは異なる
疾患ではないとする動きもあるらしいが、それは非常に納得できる感覚で、トランスジェンダーとは疾患ではなくライフスタイルに近いと考えると私としては非常にすっきりする
そういう風にしか生きていけないの人たちもいるのだからライフスタイルと一緒にするなと言われるのは間違いないが、トランスジェンダーの定義自体がどんどん変わっていっているのでどうしようもない
ライフスタイルだと思うのはデトランスする人たちがそれなりにいるからということと高齢になってから突然トランスする人たちが一定数いるからだ
自分の体の性別についての違和感が不可逆的なものなのかどうか、というのは大切なポイントだと思う
ここでベジタリアンのたとえを使うけど、ベジタリアンとして一生生きていくひとと、途中でやめる人、両方いる
もしベジタリアンとして生きていくと宣言して社会的にもベジタリアンと認識され、以後一切肉も魚も食べられません、これはあなたが決めたことです、途中で気が変わったといっても無理です、と言われたら困る人は沢山いるだろうな
そしてその人が一生ベジタリアンとして生きるかどうかは寿命が来て死んでしまうまでわからない
いまトランスジェンダーが異性として生きていく、一生そのままだ、と思っていてもそうなるかどうかはわからない
実際高齢になってからトランスする人がいるのだから、いま三十代でそう思っていても六十代になると変わるかもしれない
トランスジェンダーというライフスタイルが定着すれば必然的に性別というのは可逆的なものになる
いまそういう概念があるのかわからないが、不可逆的トランスジェンダーと可逆的トランスジェンダーがあるんじゃないのかなと思っている
実際どういう扱いなんだろうな
トランスジェンダーだと思っていたけれどそうではないみたいです、という人たちは確実にいるわけだが、アライさんはトランスジェンダーだった場合を考えてその人が最大限トランスジェンダーとしての生活を送れるように推奨していると思われる
不可逆的トランスジェンダーにとっては歓迎すべき対応だろうけど、可逆的トランスジェンダーは後悔する可能性が高い
GC側は可逆的である可能性を憂慮しているし、アライさんは不可逆である可能性を重く見ている
特に今は思春期の子供たちが話題になることが多いが、当然両方の子供たちがいるし、一方にとって良いことは一方にとっては悪い
唯一にして絶対の正解はない
正解はないのに正解だけを求めようとするとそこからこぼれていく人がいる
置いてきぼりにされる当事者たちの出来上がりだ
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さて、そのような可逆的不可逆的が入り混じったトランスジェンダーを社会のなかで存在を増していくとどうなるか
でも現時点で性別の差は物理的にも社会的にも大きくて、突然その概念をめちゃくちゃにするようなことをすれば社会的混乱は必然
段階的な対応が求められる
私としては性同一性障害をふくめてトランスジェンダーという存在がなくなることはないので、一緒にあるべき社会を考えていくことは絶対に必要だと思っている
ベジタリアンという存在はなくならないので一緒に生きていく社会を考えるように
ベジタリアンメニュー、肉魚を食べるか食べないかの事前確認、いちいちそれに対して感想を述べたりしないし過剰反応もしないし拒絶もしない
そういう感じのイメージ
いまトランスジェンダーが議論になりがちなのはまだ社会のほうが受け入れ態勢ができてないのに理想論優先で先走ってしまうことがままあるからだと思う
非現実的な話ばかりしているアライさんが沢山いる
それに対してびっくりしてしまう一般大衆をして理解が乏しい愚者みたいに扱っているのが非常に嘆かわしい
こういう人たちはトランスジェンダーをサポートしたいのではなくて、概念で誰かを殴るために活動しているんだろうな
なぜならそんな風に一般大衆を論破してもトランスジェンダーの理解が深まるわけじゃなくてむしろ反発を呼ぶだけだからだ
ロビー活動としては下の下、愚の骨頂
トランスジェンダーは、もともとの体の性別にかかわらず自分のことを異性だと思っている人であり、「トランス女性は女性です」の言葉が象徴するように常に周囲からも自分がこうだと思っている性別で扱われることを望んでいるので、女性スペースがあるなら女性として使用したい、それが許されないことは非常に苦痛を感じるだろうことは想像できる
だが少なくとも現時点でその望みがあるとして十全に叶えることはできない
まだその段階にない
それが性別でわけられたスペース利用についての議論のスタート地点
ではゴールはどこなのか?
これは人によって目指すものが異なるだろう
そもそも性別でわけたスペース自体なくしていまいたい人、自分の望む性別のスペースにスムーズに入れるようになりたい人、スペースの問題ではなく医学が進んで実際に身も心も異性のものに転換されることだけを望む人、ほかにもいろいろいるだろう
望むゴールが違えば話はどんどん食い違う
譲歩しているのだ、と双方が思っている
トランスジェンダー関連の話になると必ずトイレフロ問題が取りざたされるが、これについてはそれぞれの思う理想のゴールをきいてから始めたほうがいいのになと常々思っている
混浴を目指す人、身体的な区別を目指す人、ジェンダーでの区別を目指す人、それぞれ違う
いずれにしてもトランスジェンダーという存在を前提とした施設を考えていく必要はあるだろう
私自身の意見としては性別で分けられたスペースは維持されてほしいしそのうえで性別で分けないスペースの併設が望ましいと思っている
性別で分けないことを多くの人が望めば性別で分けられたスペースは縮小していくだろうが、そうでない場合は一定数残していく
その数のバランスはニーズによって考える必要があるがニーズが少なくともゼロにはしないという感覚があってほしい
以上、大体私が気になっていたことについての考えをまとめました
色々考えすぎてごちゃごちゃしていたのをまとめられてよかった
満足しました
やんちゃしてたとか、身体張ったお笑いをやってたとか、そういうやつじゃなくて、文字通りの意味の頭が悪いね。単純なスペック・パフォーマンスの話
ワイは子どもの頃、夕飯とアニメとマンガとゲーム以外のことを考えてた記憶がほぼないのだが、小学校1年の終わりから2年の頃だけ別のことも考えていた
それは生死についてだ。小2のワイくん、たまたまラッキーだから生きていることに気づいてしまったのだ!!!!
ワイくんは、死ぬのがこわくて仕方なくて、飛行機の音(落ちてこないか)、車の音(突っ込んでこないか)、階段・エレベーター(落ちないか)などに
死に怯えるワイくんに対して親がうんこな対応をしたことは、今でも根に持っているのだが (ワイは感謝は忘れても恨みつらみは覚えているタイプのうんこ)、
なんか小3になったら、自然と夕飯とアニメとマンガとゲーム以外のこと気にならなくなったんだよな・・・・・アレはいったいなんだったんだろうな?🤔
でも小2の頃から中年になっても変わらないことがあって、いまもお化け👻が怖いんだよな
小2の頃、ラッキーでたまたま生きているけど、良いことするとラッキーが強化されて、死なない(死ににくくなる)っていう謎ルールを作ってた
逆に悪いことをすると『ねないこだれだ?』みたいにお化け👻が悪い子を罰しに来る、
あるいは死後大変な目にあうみたいな謎マイルール(たぶん鬼太郎かなんかみた時に作ったルールだと思う)を作ってた
なお、ラッキーを強化するために善行に勤しんでたとか、実際にお化け👻みたことあるとか、そういう盛れるエピソードは特にないのだが、
存在を実証できるなら億万長者のチャンスとか、地球が出来てから死んだものの数がどうこうとか、そういう考えには微塵もならんよね
いや清く正しく生きなさいよ・・・・って言われたら『それはそう』なんだけど、うーーーん、お化けは怖い😱
まぁそんな感じでとびきり頭悪かった(今も悪い)ので、賢い小学生見ると驚愕するよね。『は?マジかよ・・・』みたいな
たった6~7歳の子が自分の感情の制御ができて、しかも周囲に気を遣って、さらには思いやりまで示せるとか、
生まれつきの頭のスペック・パフォーマンスの差以外の理由が思い浮かばない
もちろん親御さんの教育も良いのだろうけど、たぶんこれ教育だけでどうにもならんやつだと思うのよな
『おっ、そうだろうそうだろう、こんなもんだよな?ガキはよ』みたいな
(なお、その子が夕飯とアニメとマンガとゲームのことしか考えていないとは限らない)
とりあえず、『とびきり頭の悪いガキだった。なお今も頭悪い模様』というのは忘れないでおきたい
煽りとかではなく教えてほしいんだけど、俺は「差別とまでは言わない言葉をダブスタで差別だと過剰反応している」のが本件だと思っていた。それで「これも差別ならなぜ反応しないのか、党派性で恣意的に差別だと主張していないか」を確かめるためにみんな批判しているのだと。
そして、批判する/批判しない/擁護する と言う選択肢の中に「指摘されているのにも関わらず批判もせず反応もしない」という擁護よりのグレーな選択肢があり、それが前述の「差別とまでは言わない言葉をダブスタで差別だと過剰反応している」説を裏付けている。というのが本件の理解で、元増田と俺は「プロレス芸と呼ぶのは差別である」という前提がズレてるのかなって思うんだけど、元増田が正しいと感じている増田はどんな考えなの?素直に教えてほしい
俺的にはプロレスには台本破りって概念があったり、そもそもプロレスに例えるのは一般に普及している以上塩村氏があそこまで叩かれるのはおかしいと思っている立場です。
例えばラップで例えるなら、「ラップって悪そうなやつは大体友達みたいなやつでしょw」みたいなよく界隈を知らない人の意見に「はぁ?ラップにも色々あるだろ例えばポエトリーリーディングとか全然文学的だしというか日本のラップは歴史的に〜」とかマジギレしている人を見ている気分。(例えが下手なのは許してください……)
例の塩村議員の発言、萩生田議員もしてるじゃないか!とか、萩生田議員には何も言わないのか!などのブコメが多い。(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.njpw.co.jp/459726、https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2264252)
まず揶揄された側、差別された側が全てについて批判しなければならないわけではないことは当然だ。リベラルの忌むWhataboutism(そっちこそどうなんだ主義)の典型例だと言える。
というか、当時萩生田議員を批判して今回塩村議員を批判しないのはもっと批判されるべきになっちゃうよ?(立憲民主党とか共産党とか、ちゃんと塩村議員を批判するのかなぁ)
萩生田官房副長官の発言について4野党の足並みを記者団から質問されると「共産党の穀田委員長と会い、(社民党の)照屋委員長、(自由党の)玉城委員長とも連絡を取り合っているが、今回の副長官発言が許せない、とんでもないということは一致している」と述べた。
さらに、萩生田議員は政治家やプロレス関係者から袋叩きにあって審議拒否まで通告され、謝罪撤回している。プロレス関係者(今回の当人からではないが)からの批判もあった。
今回の塩村氏は一応謝罪撤回しているが、その前にこんな発言もしていて真意が問われている。
プロレス芸はエンタメの世界ではよく使う言葉です。放送作家の会議ではよく出てました。お決まりですが、私とアンチ塩村のガチ芸。
少し話題になっているようなので。
https://megalodon.jp/2023-1124-1504-30/https://twitter.com:443/shiomura/status/1727705244484960263
(削除済みなので魚拓)
しかも萩生田議員の発言は七年前だ。たった七年前とは言え、当時と比べたら明らかに誹謗中傷や揶揄、差別発言に対する批判は強くなっていると言っていいだろう。
塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?
こういった批判は網羅的にしなければならないものじゃなく、気になったら声を挙げる、ってので良いんだよ。そうしないと差別反対なんて一切できなくなるぞ。
というか気軽に声を挙げていいとしてたのはむしろリベラル側じゃなかったっけ?
もちろん一般性(法的安定性)が重視される立法行政の世界なら別だが。
つまり
どれでもいいんだよ。
◯萩生田発言に民進党が抗議したのは「野党の対応は茶番だ」という内容に対してであって、プロレスという言葉の使い方ではない。萩生田発言の内容を批判したのであれば、塩村発言は擁護してもダブスタではない。
プロレスに対して失礼って読めないの?
嘘つかないでもらえますか?
「民進党の山井和則国対委員長は24日「国会審議に対する侮辱」「私もプロレスファンの一人だが、プロレスに対しても田舎に対しても失礼だ」と、撤回しなければ今後の審議の日程協議に応じない意向を表明。」(https://www.huffingtonpost.jp/amp/entry/rural-pro-wrestring_n_13214784/)
◯塩村あやか議員への誹謗中傷コラ https://twitter.com/Nou_YunYun/status/1728184664731578799 の他に、「ホストの借金を肩代わりする法案」みたいなデマが蔓延してて、クローズドサークルの構成員は騙されてるのに気付けないものだなあ
そんな話してねーだろ
◯逆に「塩村が男性だったら、自民党議員だったら、こんな稚拙な難癖はされてない」って話だったはずのものを、まるっと倒錯させて擁護と言い出し批判それ自体を差別呼ばわり、ありがちな難癖テンプレ。
当時萩生田議員がどれだけ批判されて、擁護されなかったか覚えてないの?覚えてないだけならまだしも知らないなら調べろよ眼の前の箱と板は飾なのか。
萩生田議員のときは野党だけじゃなく自民内部からも、プロレス関係者からも批判されまくってたろ。
このままだとリベラル政党よりもよっぽど自民の方が自浄作用が働く組織だぞ
〇“塩村議員が男性だったら、自民党議員だったら、こんな擁護がわいたか?”湧くに決まってんだろウンザリする程無理筋擁護見てきたわそんなん
萩生田議員の事例だと身内の自民党議員にすら批判されてたろ調べてみろや眼の前の箱か板が泣いてるぞ
そりゃSNS上での個人での擁護は(今回と同じく)あるだろうが大々的なのは批判一色だ
〇この「相手を差別者認定すれば勝利条件達成」という謎ルールの信奉こそ差別をおもちゃにした考え方。どうせ杉田水脈にはだんまりなんでしょ。
人の言ってもいないことを持論に都合のいいように読み解く点、差別は網羅的に批判しなきゃいけないとする点で論外
萩生田議員の事例だとプロレス関係者もファンも批判してたっつーてるだろうが
〇プロレス、少なくとも新日、のオーナーは日本保守党を応援しているし、有本や百田が「プロレス」を似たような文脈で使っていてもなんら反応すら示さなかったってさ。はい、党派性、党派性
例えばてめーは共産主義者(何が入っても良いが)だから差別されて当然だとでもいうのか、俺はそうは思わねーぞ
差別された奴は網羅的に反論しなきゃいけないわけじゃないってのは本論に書いた通り
ブコメ見て、何とかして差別とかダブスタを正当化したいって奴が多くて辟易する
〇煽りとかではなく教えてほしいんだけど、俺は「差別とまでは言わない言葉をダブスタで差別だと過剰反応している」のが本件だと思っていた。それで「これも差別ならなぜ反応しないのか、党派性で恣意的に差別だと主張していないか」を確かめるためにみんな批判しているのだと。
それを差別あるいは蔑視と取られたからこその騒ぎだったんだろ?だったら今回も同等(時代を考えればそれ以上)になるのは当たり前だろ
オリンピックや野球中継やバラエティ番組なんかで芸能人・記者・アナウンサーが有名スポーツ選手に話を訊く場面はよくある。
youtubeにアップされたそうした場面の切り抜き動画のコメント欄は、実は結構頻繁に荒れている。
怒りの矛先はスポーツ選手ではなく、彼らと相対した者に対して必ず向けられている。
「『どんなお気持ちでしたか?』じゃねえよ。無礼すぎる!!!」
「バカマスコミが本当に何も勉強せずに質問してるのがよく分かりました」
一事が万事こんな調子で、なんてことない平和なインタビュー動画に因縁付けてキレてる人がたくさんいる。
有名スポーツ選手の相手側にこれといった粗相も非礼もなく、過剰反応でしかない。
仕事上当然聞かなければいけないお約束の質問を投げかけたり、笑顔を浮かべて朗らかに接したり、相手側のそういった全く問題のない言動や振る舞いを槍玉に上げてブチ切れまくっているという状態だ。
アスリートを天皇みたいに神聖視して、インタビューや対談や番組出演となったら「どこが失礼なの?なにが問題よ?」っていうようなことでタレントや記者を叩くのってメンタルヘルスの症状なの?
アスリートに笑いかけるだけでも、心境を尋ねるだけでも、打ち解けて盛り上がるだけでも不敬の極みに見えてしまうのは脳か精神に異常をきたしているとしか思えないんだが。
数年前に大坂なおみが四大大会初優勝したときも「優勝した大坂なおみにセレーナに関する質問ばかりするなんて無礼!」って批判が殺到したけど、あれ言ってた人達も相当頭おかしかったよなあと今も思う。
あんなもん世界的に注目されてる出来事で、しかも絶対王者セレーナがニューフェイスに完敗して王座を譲った試合なんだから、記者がセレーナにまつわる質問頻繁にするのは職務上当然だし。
(追記)
なんか炎上しているけど、みんなの問題意識はどこにあるんだろうね。「この世から冤罪を全てなくすことができれば、性被害で声をあげれらない人が出てきてもしょうがない」とでも思っているんだろうか。電車内の痴漢の話題についても、冤罪の話にはやたらに過剰反応する一方で、そもそもの痴漢被害の多さになんの関心もない、という人がたくさんいるけど、この件でも全く同じだなと思う。
町長だけではなく町全体に対して「誹謗中傷」をしたことについても、例えば同じことが国会で起こった時に(首相のセクハラを訴えた女性議員が除名)、「事実かどうかわからないので」と沈黙しているフェミニストをみんなは信用する、ということなのだろうか。とりあえず声を上げて首相や国会全体を非難するフェミニストのほうが、はるかに信用できるだろう。
もちろん謝罪は必要。しかし場所とタイミングが重要で、とくにブログやTwitterでやるべきではない。町長に直接謝罪の手紙やメッセージを届けるという形でやるべき。
ないわ
特にこれ「町長に直接謝罪の手紙やメッセージを届けるという形でやるべき。」
暇アノンとか括ってる連中が、その表明もせずに、アングラな謝罪で済ませる事を、colabo側は選択したか?
colabo側は、こちらの提示する謝罪内容を固定で表示しろとか、こちらの用意した環境でインタビューを受けろ、と要求していたようだが?
この話は
という話だぞ?
(追記)
なんか炎上しているけど、みんなの問題意識はどこにあるんだろうね。「この世から冤罪を全てなくすことができれば、性被害で声をあげれらない人が出てきてもしょうがない」とでも思っているんだろうか。電車内の痴漢の話題についても、冤罪の話にはやたらに過剰反応する一方で、そもそもの痴漢被害の多さになんの関心もない、という人がたくさんいるけど、この件でも全く同じだなと思う。
町長だけではなく町全体に対して「誹謗中傷」をしたことについても、例えば同じことが国会で起こった時に(首相のセクハラを訴えた女性議員が除名)、「事実かどうかわからないので」と沈黙しているフェミニストをみんなは信用する、ということなのだろうか。とりあえず声を上げて首相や国会全体を非難するフェミニストのほうが、はるかに信用できるだろう。
もちろん謝罪は必要。しかし場所とタイミングが重要で、とくにブログやTwitterでやるべきではない。町長に直接謝罪の手紙やメッセージを届けるという形でやるべき。
前に書いたことなんけど、一字一句変える必要がないので、もう一度貼り付けておく。
草津町長冤罪事件で、鬼の首を取ったようにフェミニストを叩いている人たちが、いまだにうんざりするほど多い。本当に醜いとしかいいようがない。
女性が性被害を訴えた時の初動として、正確な事実の真偽をとりあえず脇に置いて支援に動くのは、フェミニストの運動として当然のことである。社会運動は、司法や行政では十分に救われない人たちの隙間で必要になるものであり、司法による事実の確定を待っていたら、性被害だけではなく被害者支援の社会運動は全て否定されることになる。
そもそも、日本では性被害を受けた女性のほとんどは、泣き寝入りしている実態がある。2019年の法務省調査によれば、性犯罪被害者の届出率は14%にすぎない。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52756330Z21C19A1CR0000/
こうした性犯罪被害の偏見が強く、その訴えが絶望的に困難な社会において実名顔出しで性被害で訴えている女性は、とにかく何があっても全力で守られなければならないと考えるのは、フェミニストではなくても当たり前である。あなたの訴えは嘘かもしれないし、内容の真偽をまず検証したいので当面支援は見送る、などという態度をとっている人は、およそフェミニストと言えないのはもちろん、倫理的にも問題があると言わなければならない。
とくにフェミニストを叩いている人たちが許し難いのは、そうしたバッシングが明らかにこうした性被害の訴えを抑制する圧力にしかなっていないからである。もちろん、今回のように性被害の訴えが虚偽ということはあるし、その場合の撤回や謝罪は必要だろう。しかし性被害の問題にそもそも何も関心がない、この冤罪事件に乗じてフェミニストを叩きたいという人たちがたくさんいる場所で、あえて謝罪をしない、したがらないというのはあまりに当たり前のことである。
なんかみんなセックスのことになると途端にすんっ……ってなったり過剰反応したりしすぎじゃないか?センシティブな話題なのはそう思うけど、センシティブに扱いすぎじゃないか?
俺は童貞だから知らんけどカップルならある程度はセックスしてんだろ?1週間に1回とか。外食と同じくらいの頻度はあるだろ。洋画でも大体自然に挟まれてるし。そもそも人類ほぼ全部セックスで産まれたんだもん。そんな頻度が低いイベントではないと思うんだが。
もっとセックスに大っぴらになってもいいと思うんだよな。外食と同じようなレベル感で語られてもいいと思ってる(これはやりすぎか?)
少なくとも、「セックスは全て女性への加害です」みたいなこと言ってる一部女性の声を真面目に受け取る必要はないと思うんだよ。それって、童貞が「言っても女の子は皆気持ちいいセックス好きなんでしょ?(ニチャア)」ってやってるのとほぼ同レベルだろ?
明け透けに語れってわけじゃないけどタブー視はやめるべきだと思うんだよな。というか、現代がますますそうした性の禁欲的な方向に行くのは健全とは思えないわけ。
社会人になって2年目も後半に差し掛かる23歳の女だが、とにかく打たれ弱い。それはもう、とてもひどく。
たとえば、仕事でちょっと失敗をして、他部署の方に迷惑がかかってしまったとき。そもそものベースとして「私のせいで迷惑をかけた」という申し訳なさを、人一倍強く感じる性質で、これだけでもズン……と見るからに落ち込んでしまうのに、そこに相手から「本当だよ、気をつけてもらわないと」などとほんのりチクッと言われた日には、もう、この世の終わりである。「本当にそうですよね」と自分を責めて責めて責め倒す、精神崩壊ピタゴラスイッチが始まってしまう。
1人で勝手にピタゴラスイッチしている分にはまだ良くて、私の何が面倒かって、涙も勝手に出てきてしまうのだ。これがとにかくたちが悪い。私が「ごめんなさい」と泣いてしまうことによって、本来私が悪いはずなのに、相手方に「自分が泣かせてしまったのではないか」という罪悪感を抱かせ、かえって気を遣わせてしまう。これが本当に困っている。相手がパワハラ・セクハラ常習犯だとか、そんな人間性に難のある人ではなく、ごくごく一般的な良い人だと分かっているので、尚更申し訳なく思う。
相手方からしたら知ったこっちゃないだろうが、このとき私としては本当に泣くつもりはなくて、気を遣わせてしまっている最中には、ただただ感情をコントロールできない自分に対して嫌悪感を強めている。
そのくせプライドが高く、いつだって良い子だと思われていたいから「すぐ泣く奴だと思われた」「会社で泣く面倒な奴だと思われた」「今後何かあってもコイツには強く言えないなって思われた、腫れ物のように扱われるかもしれない」というマイナス思考をひたすら誘発し、そのまま「どうして私はこんな人間なんだろう」と自己否定が止められないでいるのだ。
言ってしまうと、この話は昨晩会社で起こったことなのだが、一通り謝罪をしてその場を去り、家に帰ろうと車に乗った瞬間、迷惑をかけてしまった自分が情けなくて、仕事のできない自分が嫌で、涙が出てしまう自分も、それで気を遣わせてしまう自分も許せなくて、更に激しく涙が溢れ出てきた。そのまま過呼吸になってしまい、手が痺れて動かなかったので暫く運転ができなかった。めちゃくちゃにも程がある。
仕事でここまで酷いケースはこれまでなかったが、過去には恋人に対して私の言動で嫌な気持ちにさせてしまったり、困らせてしまったりしたときに上記のような過剰反応を起こしている。
今はもう別れているが、当時はこんなに不安定な彼女の相手をさせて、本当に可哀想だったと思う。実際、このような状況に陥ったときには「俺はどちらかと言うと(迷惑をかけられたという意味で)被害者なのに、そっちが泣くから俺が悪いみたいになってる」「あなたにそのつもりがなくても、勝手にそうなっちゃってるんだよ」と、大正論をかまされていた。
ここまで来ると、流石に何らかの病名や症状名がついてしまうような気がして、調べてみたが専門的な用語が多くていまいち自分が何に当てはまるのか、よく分からなかった。ただ拒絶過敏性だとか、白黒思考のようなものは、そのまま私のことだなと思ったけれど。
病院に行って、診断?を下されたら、この性格を治す方法が分かるのだろうか。涙ばかり溢して人に気を遣わせたり、困らせたりしたくない。自分を責めすぎずに生きられるようになりたい。何から手をつけて、現状を改善していけばいいのかな。
自分はコロナ禍に長時間テレワークと運動不足で腰を痛め、MRIで調べても原因不明(非特異的腰痛)だったので、長らく腰痛治療ジプシーと化していました。
最近調子良くなってきましたので、試した項目をランク付けしていきます。
・竹踏み S
足裏が固いと神経の滑走が悪くなって腰痛に繋がるとか諸説あるようなのですが、詳しいことは分かりません。でも効きました。
大してコストがかからないので、まずはやってみるべきと思います。100均でもAmazonでも、モノはなんでもいいと思います。自分は家の中のドアの沓摺り(下枠)踏んでます。
・ストレッチ A
何が効くかは人によって違うので、自分に合うものを探しましょう。
自分が好んでやるのはジャックナイフストレッチです。ハムストリングを伸ばすと腰痛が和らぐことが多かったです。他にも大腿筋、広背筋、大腿四頭筋、大腰筋、腰方形筋が関係が深いらしいです。
「◯◯筋 ストレッチ」でYouTube検索したら色々出てきます。
腰を反らせる運動です。筋肉を伸ばすのが目的でないので、ストレッチと区別しました。
これをやると良くなるというより、やらないと悪くなるという気がします。負債のように疲労が溜まっていき、どこかで爆発するイメージ。
これも詳しくは検索してください。
・あずきのチカラ B
風呂浸かるのが一番いいけど、それができないときに重宝します。布団の上に置いて、そこに腰を乗せる形で寝っ転がって温めてました。
・鍼治療 B
効くんだけど高いです。あと戻るのも早い気がします。
・サインバルタ C
慢性痛は少しの痛みに対し脳が過剰反応してしまっているという状態らしいので、特定の抗うつ剤が効くそうです。整形外科でも処方を受けられます。
試してみたところ、自分は結構副作用が出たので早々に止めました(だるさ、食欲減退、下痢)。少量またはカット可能な錠剤で、少しずつ慣らしていくのが可能なのであればいいかもしれないです。
以上です。
整体師とか誰かにやってもらう対策は基本的に戻るのも早いので、自分に合うセルフケアを探しましょう。
腰が痛いからといって、原因もそこにあるとは限らないので、いろいろ試してみるのが吉です。