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はてなキーワード: 運用基準とは

2023-08-25

anond:20230825164305

はそれぞれ別レイヤなんで分けて考えましょうと言ってる。

最初のを問うてるのに別のをぶつけても意味がない。


ちなみにこういう表現規制においては法の運用ラインなんかすぐ変わる。加納典明陰毛写真で捕まったがいまはそんなんで誰も捕まらない。でも法律は何も変わってない。現場運用基準がヌルっと変わっただけ。

「ここまではセーフ、ここからはアウト」とはっきり決まってるならフェミいくら騒ごうが「でも合法だもんね〜」と高鼾でいいはず。

さらに「お縄になるかどうかのライン」とは遥かに離れたところに実際の戦線はある。

「法的には問題ないが騒がれた結果当事者自粛して取り下げた」みたいなケースが議論を呼んでるのであり、その意味でも法律を振りかざすのは間抜けしかない

2022-11-29

Twitterで騒がなくても、公共空間広告規制できる

ってか、既に広告には規制がある。

例えば風俗店広告風営法16条によって規制されていて、自由広告を出すことはできない。

自治体によっては風営法以外にも、条例でより厳しく規制しているところもある。

これ、昭和の頃は風俗店やいわゆるピンク映画公共空間看板ポスターなどのエロ広告だして問題になっていたため後に規制された。

このとき、それこそ風俗店経営者たちが「表現の自由を奪うな」とか、いろんなあの手この手を駆使して反発したけれど最高裁で「違憲にあたらない」と判決がでて沈黙した。

扇情的問題のある広告は「表現の自由」に抵触せずにきちんと規制することができる。

なので、広告問題があると思う人はTwitterハッシュタグで世の中動かそうとするんじゃなくて、ちゃん自治体に苦情をいれるといいと思う。

とくに、子を持つ親なら学校PTA教育委員会などのルートを通じて苦情をいれるとかなり効果が高い。

どうもSNSが出来てから既存ちゃんとしたルートを軽視してTwitterで晒せばなんとかなるだろうみたいな人が増えて困る。

最近は、中華ソシャゲとかがチキンレースの様に微エロイラスト広告パブリックスペースに大量放出しているから、それらを集めて証拠として提出すればサクッと規制するための条例が作られるかもしれないし、試してみる価値はあるだろう。

ちなみに、風営法16条による宣伝規制は「清浄風俗環境を害するおそれのある方法広告又は宣伝をしてはならない」とかなり曖昧なんだけど、一般的な通念をもとにした解釈運用基準運用される。

ようするに法令条例規制されるようになれば、その対象一般的な通念によって「こりゃ駄目だろ」というイラスト規制されるわけで、Twitterありがちな「このイラストエロいと思う奴がエロいだけ」といったくだらない屁理屈に付き合う必要もない。

Twitterでばかみたいな議論するぐらいなら、さっさと苦情いれて社会を変えたら良い。

Twitterで騒ぐな! うるさいから。

2021-11-11

anond:20211110185655

じゃあ「現状」はシロってことで。言われたとおり消費者庁告発して現状が覆るように働きかけてみるわ。

もし俺の考えが正しかったら「法律運用基準を変えた人」として文化人として声がかかるようになって収入社会的地位も爆上がりだろうな。

そのとき泣いてひれ伏しても俺はお前を馬鹿にし続けてやるからな。

「俺が匿名で書いてたサイトにはたいそう頭が固い人がいましてねー」ってことあるごとにテレビでしゃべってやるぞ。

ガリレオ地動説だって当時の天動説から見ればまさに飛躍的妄想しか思われなかったはずだけど今や常識となっている。

こんなこと言うとどうせ「お前はガリレオじゃないだろ」みたいに言うんだろうけどな。

まあ頭が凝り固まって先入観他人の考えを否定しかしないような人は先を越されかねないのだと知ればいいと思うよ。

2021-11-08

anond:20211108122529

"本来"って何?

消費者庁デジタルガチャ存在認識したうえで

コンプガチャ(2種類以上のガチャ産物の組み合わせにボーナスを与えること)だけを規制する運用基準公表しとるよ。

2021-10-27

anond:20211027102848

この批判は正しいが、微妙に的を外している。

まず当然、オタク醜悪に描くことを忌避するのは「普段みなさんが嫌ってるポリティカル・コレクトネス」ではない。

ツイートが、橋本宗洋が、ポリティカル・コレクトネス基準を全く理解していないことを端的に表している、という認識はあっている。

ただそれはポリティカル・コレクトネス支持者たちの反応を見てから初めて分かるものではない。

なぜなら、そもそもポリティカル・コレクトネス基準においては、「悪」醜悪に描くことは、政治的に正しいからだ。

オタク行為「悪」であることを、行為によってだけではなく、その描き方でも表現することにより、無知大衆でも直感「悪」を判定できるようにする。

これはポリティカル・コレクトネス基準において正しい。

行為の良し悪しは無知大衆には容易には判定できない。その基準言語化できない。その訓練を受けていないかである

から、作者があらかじめ「善」「悪」を判定しておき、それが直感的に、生理的理解できるように表現を工夫しておく。

それが「正しい描写である

もちろん、「悪」でないもの、例えば特定人種性的マイノリティ醜悪に描くことは明確にポリティカル・コレクトネス違反である。当たり前だ。

だが、間違っているのは、「悪」でないものを「間違って」醜悪に描くことであり、「悪」であるオタク醜悪に描くことは当然正しい。

醜悪に描いているかポリコレ違反、なんていうのは、全くの勘違い、何ひとつ理解していない証左だ。

冤罪は悪だから犯罪者逮捕するのも悪だ、というレベルの全くの誤謬である


橋本宗洋およびその賛同者は言語的な訓練を受けておらず、認識能力の欠如した無知大衆側の人間からポリティカル・コレクトネス運用基準理解できていない。

ただし、醜悪に描かれたものに反応する生理的な性能はあるからポリティカル・コレクトネスを用いれば、彼らのような大衆も動員することが出来る。

オタク何が悪いかを理解していなくてもオタクを叩くことは出来る。

なぜなら醜悪に描かれているからだ。

これこそがポリティカル・コレクトネス真骨頂だ。

から、彼らの反応はポリティカル・コレクトネス運用者の意図通りの行動をしているにすぎない。

ゆえに橋本宗洋たちの言説そのもの批判してもあまり意味はない。

それすらもポリティカル・コレクトネスという装置の内側での、想定通りの挙動である

彼らは、いくら批判されても、醜悪批判者が向かってくるから、我々は正しいという認識を深めるばかりであろう。

以上より、彼がサブカルのノリを引きずっていて、真なるポリティカル・コレクトネス理解していない、という推論はありえない。

しろ、彼はポリティカル・コレクトネスを全く理解しないまま、その正当な実行者として振る舞っているにすぎない。



彼らがオタクをいじり、馬鹿にし、気味悪がるのはポリティカル・コレクトネス違反ではない。

しろ、それにより、ポリティカル・コレクトネス体現者となることができる。

それは彼らが理屈を全く理解していないこととは関係ない。

真なる信仰者は、聖書を読めなくても、神学論理構造理解しなくても、その行いの聖性によって信仰を示すことが出来る。

ポリティカル・コレクトネス構造も全く同じだ。

政治的正しさ大衆に埋め込み、自律的に正しさを執行させるための装置、それがポリティカル・コレクトネスなのである

批判するとしたら、この構造自体批判しないと意味がない。

2020-09-09

anond:20200909023744

無理くね?

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-08-06

接待を伴う飲食店」の定義について

https://corona.go.jp/news/pdf/settai_insyokuten_kaisyaku_0604.pdf

内閣官房が通知していた。

標記について、当室あて疑義が寄せられたこから下記のとおり解釈

明確化するので、ご留意ありたい。

基本的対処方針中の「接待を伴う飲食店」にはキャバレー等の接待

伴う飲食店が該当するものであり、この「接待」とは飲食店接客従事

者等によるもの意味するものであること(注)。したがって、「企業

よる取引先等の接待」はこれに該当しないものであること。

(注)「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律昭和二十三年法

律第百二十二号)」における「接待」と同様に、「歓楽的雰囲気を醸し出す方

法により客をもてなすこと(風俗営業等の規制及び業務適正化等に関する

法律等の解釈運用基準について(平成三十年一月三十日))」等を想定してい

る。

2020-07-17

東北自己責任になったじゃん  anond:20200717000047

基本的自己責任の国だぞ、生活保護医療保険があるからなんとかなるだろうの精神

にも関わらず、生活保護医療保険を無くそう・縮小しようというバカがいる

現場猫コラはセンス抜群ですきだが、医療保険のクソキャンペーンイラスト提供していた オリジナルのくまみね氏の方はブロックしている。お前はすべて自己責任でいけ

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

2020-07-05

増田自己責任教蔓延しているこの国で 災害に遭っても “そこに住んでいることが自己責任でしょ”とならないのはなぜ?」

東北自己責任になったじゃん

[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る

https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK


富岡浪江、飯舘の3町村の住民原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。

まり被災者たちは強制的避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである


今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」


Sさんたちの住む東雲国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。

なお、地震津波で家や街が壊れた人へもこの仕打ち

完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい


[NHK] 壊れた家に住み続ける被災者

https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html


宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。


震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。


地震が起きたとき男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波生活必要ものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。


市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなた場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、

あなた場合自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者男性

国は災害救助法運用基準で、仮設住宅に入居できる対象原則として次のように定義している。

「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府告示


70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。


うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性



[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子Tさんの9年

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html


岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケート自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。


Tさん東日本大震災津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います


Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。


しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅不自由生活を送りながら仮設店舗営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料けが増えていく日々が続きました。


Tさん震災2年のアンケートに、

▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージ言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています


当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジお金を入れたこともあった」と語りました。


それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。


工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。


震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。


Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。


ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅高台移転商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。


Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています

anond:20200705152741

2018-09-15

anond:20180915134513

そんな簡単に変動する感覚基準にして合意形成するのが法律運用ってやつなので。

から世間一般的感覚が変動すれば、それに合わせて運用基準も変わる。

分かりやすい例として、刑法に基づいた犯罪に対する量刑だって昔より増えてるとか減ってるとか聞くだろ?

世間感覚が「より厳罰化すべき」となれば重くなるし、逆もあるわけだ。

 
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