はてなキーワード: 運動会とは
今話題のランドセル炎上九州男児の過去ツイが完全にヤバいを超えてて怖いし周りの人間も軒並みヤバい
https://twitter.com/asokara/status/1603529522317791232?t=6fZhKyspc10Yh-YRd6C2zw&s=19
呑み屋のママが人形をくれると言う。客が置いてった物で体重50kg女性の人形らしい。欲しい。顔と手足を切ってサーボで動かし観音型おみくじマシンを作りたい。一人じゃ持てんから嫁と取りに行った。で、帰って箱を開けた。ギャフン。欲しいパーツが全部ない。ふと見たら四女が股間に手を入れ遊んでた。
ラブドールを幼児がいる家庭にプレゼントする呑み屋のママ、ラブドールの股間に手を突っ込む幼女の写真をアップする父親。
https://twitter.com/asokara/status/1692665283344032078?t=xom9Tr-sVvtfVhCV726TLQ&s=19
呑み屋のママから人形を貰い時間とカネをかけおみくじマシンに仕上げたら嫁が激怒。「30km以上離れた所に置け」と言われた事は前に書いた。で、色んな人に打診したら忘れた頃に「記事にしました」とネット新聞からメールが来た。1円も稼がず奥へしまったけど日の目を見るかも。
https://higojournal.com/archives/dokidokimemoriaruamikujimasi-n.html
https://twitter.com/asokara/status/1427403622741024769?t=G3-KIV7HbWuAOL3JQhaBWw&s=19
同級生が家族連れで泊まりに来た。うちの次女に避妊の重要性を語りに来たと言う。裸の付き合いがいいだろうという事で風呂に入り次女を待った。次女は年頃だ。脱がなかった。服を着たまま洗い場に座り全裸44歳の説教を黙って聞いた。みんな笑った。壁越しに声が聞こえる。全裸44と着衣17の哀れな密談。
17の娘に風呂で裸で避妊について教えようとする父親の同級生、それを笑っている2家族。
この父親もヤバいけど、周りの人たちも頭がおかしくて恐怖すら感じる。
https://twitter.com/asokara/status/1039656897219940352?t=wWTgbvv1VaKMRoByNHiyQw&s=19
小6の運動会は親子競技。長女も次女も父を嫌がり嫁と出た。が、三女は父がいいと言った。期待に応えるぞ。まずは集団から娘を探す。見付けたら肩を叩けと言われたがおっぱい揉んだ。二人三脚、風船割、お姫様抱っこでゴール。「やった1位だ」キスしたら公衆の面前でぶん殴られた。信じられない娘だ。
https://twitter.com/asokara/status/660629287788109825?t=gt6zjOX0VPceWgTKKarXsg&s=19
三女の尻を触ったら思いっきり引っ掻かれて流血。叱ったら「そのくらいのキズなによ!今日はハロウィン!ハロゥインぽくていいじゃない!」ときた。「むかつくー!ハロウィンなんてクソ喰らえ!仏教徒の小さな反抗を見よ!」カボチャを荼毘に付した。
https://twitter.com/asokara/status/508028472875565056?t=1CfsFHyGpYRsJwzIuZ3JvQ&s=19
手の平サイズのその世界は指をクイッとする事で大きくなるらしい。大きくなった。凄い。ナウい。こういうものを触っていると現実と手の平がゴッチャになるに違いない。隣に次女がいた。「おっぱい大きくなーれ」クイッ「馬鹿アホ死ねデブ」一年ぶんの罵詈雑言を浴びて現実に戻った。何と恐ろしい機械。
「運動会いらない」ならそうかも。
プライバシーのためか、体重は一切考慮されずに身長のみで演じる技やポジションが決められていた
私は小6の時点で160センチ以上あり、クラスの女の子の中で一番背が高かった
体格は超ガリガリで、その頃は40キロあるかないかくらいだったと記憶している
私はもちろん肩車の下だったが、私の上には私よりずっと重い子が乗った
とてもとても辛くて大変だったが、多感な時期の女子同士、「重い」だの「私の方が痩せてるのに」だの言えるわけがなく、歯を食いしばって必死に耐えた
ピラミッドでは下の段の真ん中だった
とっさに「いたーい!」と大きな声が出た
そばで見ていた隣のクラスの担任が「うるさい!」と私を一喝した
あまりの痛みに泣いていたが、「うるさい」「練習の邪魔」「泣いても治らない」と叱られ、どうにもできなかった
信頼している自分の担任に助けを求めたかったが、離れたところで男子の技の監督をしていたので声をかけられなかった
私の足を踏んだ子も最初はごめんと謝ってきたが、その先生の様子を見て徐々に「なんなのこいつ」というような態度に変わっていった
泣きながら足を引きずる私を見て、保健委員の子が気にかけて保健室に連れて行ってくれた
今となっては、足を踏まれて痛い時にどうすれば良いかなんて小学生が分かるわけないのに何故聞いてきたのだろう、と思う
モゴモゴと困っている私を見て、保健委員の子が「骨折してるかもしれないから病院でレントゲン撮ってもらおう」と言ってくれた
その子が誰だったか、もう卒アルを見ても思い出せないのが悲しい ありがとうね
しばらくして、お母さんが迎えにきてくれて、病院に行った
人生で初めてのレントゲンを撮って、足の指の骨にヒビが入っていることが分かった
包帯でぐるぐる巻きになった私の足を見ても、隣のクラスの担任は何も言ってこなかった
最近の小学校関連の嫌なニュースやSNSの反応を見て、ふいに呼び起こされた嫌な記憶
あるイベントを、30人中5人経験がないなら、その5人の為に存在していると言っていい
その5人が最低限、どういう感じなのか経験することで無知を減らし国民の知識の底上げができるし、それによって様々な不都合を回避できる
ここで25人が多数派だからって辞めると、回り回って25人にも悪影響が出るんだよね
色々やってるからこそ「だって学校でやらなかったし」が通用しないんだ
てか運動だってさ、大人になったら結構な割合の人がやらないじゃん
アメリカにありそうなスラムみたいな学校へ行くと、日本であるにも関わらず当たり前のように修学旅行全員参加じゃなかったゾ
ワイの学年は5クラスあったけど、たしか2〜3クラス分くらいしか参加しなかったんじゃないかな?
ワイも金もったいないからサボったもん(学費は自分で払ってた)
ワイに良くしてくてた聖人みたいな先生は『立て替えようか?』とか言ってくれたが、
修学旅行ですらこれなんだから、運動会・文化祭も当然バイトをもりもり入れられる期間としてみんなサボりまくり
遊ぶのとバイトで忙しい生徒らに部活を強制なんてことは起きるわけがない
地方の目上の人を立てる文化と、出来るだけみんなと同じにしよう・余計なおせっかいをしよう文化は、素晴らしい👍とは思うが、
ここは、自分自身の心に沿って決断するのと、親が子の特性と成長に合わせてフォローするところだと思うな
現代(令和・平成後期)はスラムみてーな学校(or地域)じゃなくても、
「僕のいた会社は5000人社員がいてさ。それで僕が若い頃に会社の運動会があったの。うちの会社は運動部があってさ、そこに参加してる人としてない人で別れたのよ。それでね、僕はある競技で一位になったのよ。まあ運動部じゃないグループの1位なんだけどさ、でも一位だよ?凄くない?5000人の一位だよ?」
痛 す ぎ る
まずな、お前は5000人の一位ではないよ?
あとしれっと「うちの会社5000人」で変な自慢やめような。
あとさ、いつの話かも分からん若い頃の自慢をジジイになってまでするな。
もう何もかも痛いよ。
聞いてる婆さんも「うんうん。凄いわねえ」じゃねえよ。
死にかけの孔雀が「俺が若い頃は羽がそれは見事な緑色だったもんさ」と自慢してるのを素直に聞きすぎやろ。
なんなん?
爺さんも話始めた手前引き際見誤ってんだろうけど、マジで痛すぎるよ?
車内の皆が「うわー恥ずかしーこういうジジーにはなりたくねー」となってるからね?
もう一度言うけど、お前は5000人の一位ではないよ?
5年前に中古で買ったゲーミングPCがお陀仏になったので処理業者に頼もうとしたら4000円かかると言われたので自力で分解することにした。
パソコン歴は20年くらいだがクソ雑魚ライトユーザーなので中を触ったことは無い。
昔何かが取れかけて起動しなかった時に弟にケースを開けて直してもらった記憶からケースは難なく開けることが出来た。天才かもしれんな、とほくそ笑んだのは完全にフラグだった。
中は想像以上に配線だらけで驚いた。もう少し理路整然と並んでると思ってたら四方八方にパーツがあって配線がワーワーしていた。運動会かよ。とりあえず配線を力ずくでもぎ取り、ダイソーのプラスドライバーで外せるものは外した…が、外せたのは全体の一割程度だった。マジで。
後は引っ張ってもビクともしない手前のパーツを取らないと後ろも取れない謎の神殿しかない。えらいこっちゃ。こんなのリンクも諦めるレベルやん。
今すぐ放り投げてしまいたい気持ちを抑えてスマホで検索しながら試行錯誤の末に無理やりファンを引きちぎりグラボの何かをへし折りながら取り出し触ると痛い基盤をもぎ取ることが出来た。メモリを取り外し、へー君がメモリって言うんだ、と眺めた。この1枚が数万とか頭おかしい。
そんなこんなで分解完了。ありがとう価格ドットコム、知恵袋、古のブログ達。
しかしDVDドライブだけは外せなくてそのまま残ってしまった。ドライブだけならPC扱いされないだろうから不燃ごみでいけるしええねん…多分…。
そしてハードディスクはぶち壊せという知識だけはあったのでハードディスクを探したが見つからなかった。…そんなことある?!?!それっぽい形はどう見てもグラボだし、手のひらより小さい訳なくない?!と全然見つけれなかった。なんでやねん。
2023はてな匿名ダイアリー ブクマTOP200
https://anond.hatelabo.jp/20240102011014
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。