はてなキーワード: 遊歩道とは
僕の部屋は春夏秋冬いつでも22度だった。ワインセラーの様に一定に保たれた室温は、外の世界へ羽ばたこうとする僕のやる気を削ぎ、やがて窒息させた。
梅雨明けの太陽に照らされたアスファルトを窓から眺めていると、3人の家族が歩いていた。この眩しさはあの3人の為の物なのだと思い、壊れかけのカーテンを強めに締め、定位置に戻る。こうして外の世界を見てしまったあとは、僕を母親の胎内のように優しく包み込む羽毛布団を愛して離せなくなった。
ぬるい室温で育ってきた僕は、働かなければ死ぬという当たり前にすら直視出来ずに死んでる様に生きていた。多分そう、これからもそうなんだ。
ある日の早朝、僕は一匹の野良猫と出会った。出会ったというには少しだけ遠く、分厚い壁を隔てていたが僕の認識では確かに会っていた。
窓の外から見た黒猫はニャーニャーとおばあちゃんの手に頭をこすっていた。昔テレビで見た知識だが、猫が人間の足や手を孫の手のように使っているという事を僕は知った。
なんとも落ち込む話ではあるが、眼前に映るおばあちゃんと猫は確かに愛し合っているように僕は感じた。
猫を撫でる柔らかさと温かさを想像とYou Tubeで補填してみたが、予想通りに可愛いし愛くるしい。
想像できてしまうから、僕は外に出ないんだ。どうせ面白くないと飲み会を断り、どうせ俺なんかと女の子の誘いを断り、どうせ続かないと何一つ始めない。
被災者でもないのにシェルターに逃げ込む自分が今日は不健康に思えて仕方なかった。
そんなことを考えていると、内から鍵をかけたはずの扉が勝手に開いた。僕はいつの間にか扉の向こうにいた。
手探りで人間の模倣をする怪物のように、歯を磨き、顔を洗い、髭をそった。想定を超えて伸びた頭髪は、ツヤもなく、パサパサとしていて普通にキモいなと思った。
洗面所を出て、久々に見たリビングには僕の分の椅子もある。僕はパンを焼いた。母親が買ってきていたのであろう6枚切りの食パンにブルーベリーのジャムを塗りたくった。何となくコーヒーも入れようと思い、ポットでお湯を沸かし、クルクルと注ぐ。
サクサクのパンとブルーベリーの甘さがたまらなく美味しかった。多分ブルーベリーの青さがそうさせている。僕の視界はずっと白黒だったから。
コーヒーは黒くて苦い、でもパンには合った。コーヒーの優しさに気づいた僕は、勢いのまま友人にラインを送ってみた。
「お疲れ。今日飲まない?」
となると、このままでは怪異だ。僕は髪を切らなければならない。僕は、父親から貰ったポーチに財布と2年間読みかけの文庫本いれた。
さて、準備完了だ。多分このときの僕は一般の人間と比べると不快で、不清潔でだったと思うけど僕なりに身なりは整えていた。
靴箱から自分の靴を取り出すと、数年越しに仕事を貰えた靴が生き返るようにホコリを散らした。パンパンとホコリを払うとシャープなロゴがカッコいい。
玄関の扉に手をかけるが扉が開かない。押しても引いてもビクともしない。怖いから?違う、鍵がかかっていただけだった。
僕は扉を開けた。
「「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」」
外のエネルギーはとてつもなく、ずっと家にいた僕は打ちのめされた。しかし、このエネルギーと僕は戦うんじゃない、夏と一つになるんだ。
僕も夏になる為に、少し激しめに靴をトントンした。
近所の遊歩道を目指して歩いていると、犬のウンチを片付ける老人と、ウンチなんかしてませんよ?みたいな顔でリードを引っ張る柴犬が格闘していた。
俺も負けてらんねえな。と思い負けじと僕も住居の庭から伸びている葉っぱを千切り対抗する。
しばらく歩いていても猫ちゃんの姿はなかった。自販機でコーラを買い、公園のベンチで飲みながら上を見上げた。久々の木漏れ日は、白熱電球の明かりしか浴びていなかった僕にとっては気持ちの良いものだったけど、「木陰ってこんなに暑かったっけ。」と呟くほどには暑かった。
公園の時計を見てみると7時半をさしていた。30分ぐらいしか外には出ていなかったし、猫を見つけることもできなければ、美容室に行くことも、文庫本を読むことすら出来なかったけど、下手くそな時間割りでも外に出られただけで僕の一日は輝いた。
空き缶をゴミ箱に捨てるとカランと良い音が鳴った事に、いや、この散歩の間に起きた事象全てに感慨深くなる。最早そこにこそ生きる意味を見出していた。
Tシャツがベトベトになる事を、不快と思わず、シャワーを浴びる理由と考えるだけで人生が楽しかった。
そんなことを考えながら、僕は帰宅した。
早速Tシャツとジーンズを洗濯槽にいれる。夏にジーンズは無かったなと今になって思いながら、ほぼ冷水のシャワーを浴びる。ガシャガシャと頭を洗っていると、耳の裏からでっかい皮脂みたいなのが取れて自身の不清潔さにゾッとした。
体を泡で洗っていくと、風呂場の温度で体が温まっていくのを感じ、再び冷水シャワーで体を流した。
ほぼ震えながら体を拭く。下着の棚には僕の物もあり、僕の部屋着も入っていた。当たり前なんだけど、僕は家族と4人で暮らしていたんだ。
コップに氷を3粒落とし、麦茶を入れて飲む。TVをつけるとニュースがやっていて、今は新型ウイルスによる未曾有の事態の只中にいるという事を思い出した。そういえば、外出している人はみんなマスクをしていた。自分が引きこもっている間に時代が変わってしまったんだな。と思った。
タイムスリップ開けのテレビは新鮮で、食い入る様に見ていると、母親の寝室の扉が開く音がした。コツコツと階段を下ってくる。いつもなら刑務所の看守に怯えるように息を潜めるが、驚く事にリビングのドアが開いたとき僕は、「うぃー!おはよ!」と気持ちの良い挨拶をかましていた。
冬の早朝の公園は人が少ないがそれなりには居て、時折、同じように散歩やジョギングをしている人とすれ違う。公園の遊歩道はあまり広くないので譲りあってすれ違ったり追い抜かれたりする。
屋外だから目くじらを立てることもないのだが当方に事情もあり(病後で免疫力低下中)、ノーマスクの人と狭い遊歩道ですれ違うのは通常よりかなり過敏に反応してしまう。屋外だし飲食してるわけでもないので過敏すぎる自覚はある。なので基本的には早めにノーマスクの人を察知しひっそりと別ルートを選んだり、植え込みにそっと入ったりで距離を取る。ノーマスクの人々は、譲り合ったり、あちらから避けてくれることが皆無なので。
ノーマスク・パーソンの比率は緊急事態宣言の前後で大きく改善したと感じる。その1日でどれほどのリスク差があるんだ…と思うが、「屋外なんだからマスクに大した意味はないが線引きされたなら面倒だが従う」という人が多いんだろう。まぁ分かる。緊急事態宣言の前は、公園で散歩やジョギングをしている大人の半分ぐらいがノーマスクだったが、今週に入ってからはかなりの人がイエスマスクになった。免疫力が低下してるのに寒い中で散歩をする必要がある身にはとてもありがたい。
この2か月ぐらいの散歩で、公園ノーマスクの人々は、その9割以上を男性が占めているという傾向が見えてきた。朝の公園は、散歩する人とジョギングする人に大別されるが、女性(散歩)はほぼ100%(ホームレスらしき女性がノーマスクだった)マスクを装着していて、ノーマスクの女性はジョギングしている人だけである。それもいつも同じ顔ぶれの少数名。そして、緊急事態宣言前後で特にその比率に変化がないように感じる。
一方で、男性は、緊急事態前では恐らく半数以上がノーマスク、今は2割ぐらいがノーマスクである。特にジョギングをしている男性は、緊急事態前はほとんどの人がノーマスク、今でも半数程度はノーマスクである。
マスク有 | なし | |
女性・散歩 | 10 | 0 |
女性・ジョギング | 9 | 1 |
男性・散歩・ 緊急事態前 | 4 | 6 |
男性・ジョギング・ 緊急事態前 | 2 | 8 |
男性・散歩・ 緊急事態後 | 7 | 3 |
男性・ジョギング・緊急事態後 | 4 | 6 |
こんな表は、私の個人的な主観でしかないのでどうでもいいようなものだが、とにかく男性のノーマスク率が高い。あと昨日から話題になってる「鼻出しマスク」になると女性も増えてくるが、これも男性の方がかなり多い。
ノーマスク・ジョギングは正直相当エアロゾルを吐きだしていると思うので、できればやめてほしいとは思うが、私にどうにかできることではないので、こちらが大きく距離を取るようにしている。失礼な態度かもしれないが、仕方がない。
まぁこんなどうでもいい表は置いておいて、気になっているのが、ご夫婦らしき男女のカップルで、「男性はノーマスク、女性はマスク」という組み合わせが、結構な確率でいることだ。
実は去年の秋、所用の出先で昼食時に入ったあるレストランで、私の後に案内された男女カップルで、男性がノーマスク、女性がマスクという組み合わせを見た。私の数席先に座った二人組はそのまま男性だけノーマスクで、更にノーマスクの男性の方が良くおしゃべりになっている。少し困ったが、入店をOKされたのならしょうがないよな、席も遠いし食べたらすぐ出ようと諦めた。だがそれ以来、道ですれ違う集団にマスクへの意識のずれがあることに興味が沸き、観察するようになっていた。
早朝の公園散歩ですれ違う男女二人組の構成比率は、だいたい、二人ともマスク3:男だけマスク5:二人ともノーマスク2、ぐらいの体感で、「男だけマスク」が多い。冬の早朝(7時ごろ)に公園で散歩をしているカップルは、恐らくほとんどの場合が同居(夫婦)だろうと思うのだが、女性は、マスクをしない男性に何も言わないのか、さんざん言ってもマスクを付けないので諦めてるのか、まったく気にしてないのか…。いったいどうなってるんだろうと下世話な他人の家庭事情まで邪推しながら歩いている。
ちなみに、女だけノーマスク、というカップルも見たことがない。レアアイテム。
これはあくまでも増田の私的な観察による狭い範囲の事象でしかなく、しっかり数えているわけでもありません。
ただ、前述のように、増田は現在免疫低下中で、かつ事情があり散歩が欠かせません。感染対策には最善を尽くしたいので、失礼かもしれないのですが、ノーマスクの方と距離を取るようにしているため、すれ違う人のマスク状況を確認する必要があり、その結果、傾向が見えてきたことの個人的な感想の報告です。
追記です。
コメントなんてつかないと思っていたし、ついても期待はしていなかったけど、いただいたコメントがみんな優しくて泣きそうになっている。
記事を書いてから数日後、倒れて病院へ行って抗不安薬とか処方してもらった。
状況は全然改善していないし、毎晩のように目が覚めてひどい動悸と吐き気とたたかっている。
このまま死にたい気持ちに抗って生きていくしかないけど、なるべく死なないように頑張ってみる。
コメントくださった方々、本当にありがとうございます。
追記終わり。
竹内結子さんの自死について、産後うつではという憶測が飛び交っていた。本当の理由を私たちがわかるはずがないのに、みんな好き勝手言っていた。産後うつについて声高々にこんなにつらいんですってSNSで発信される人もたくさんいて、これを機に産後うつについて認知が広まるのはいいことなのでは、とも思っている。彼女の死の真相とは別として。その中に、「子どもを残して死ぬなんて信じられない」という声に対して、ちょっとだけ私の考えを書いてみる。
私には3歳の子どもがいる。夫婦ふたりの生活もいいけど、子どももいたらいいな、私たち二人の子どもを育てたいと思って、産んだ子だ。自分で決めた。子ども好きの夫は結婚当初から子どもが欲しいと言っていた。だけど、正直、自分の生きてきた人生もそこそこしんどかったので、こんな世界に自分のエゴで人間一人生み出していいのか、とも悩んだ。でも、子どもの人生について、こちらで辛いかどうかなんて決めつけることもできない。シンプルに、自分の子どもに会いたいという気持ちが勝った。
そうやってきちんと計画して、順調に生まれた子どもは、どこも悪いところなんてなくて、発達も問題ない、人懐こくて賢くて快活明朗元気なかわいい子だ。私のことをとても好きでいてくれて、「お母さん子」なんて言葉はないけど(おばあちゃんっ子、とかあるのに)、とにかくいつでも「おかあさん」と言ってずっと私にくっついていたがる。こんな素晴らしい子が私の子なんて、私にはもったいないとすら思う。
私は希死念慮が高い。でもそれを必死に隠して生きている。学生時代にものすごく嫌なことがあって、それから日々死にたいと思っていた。死にたい、というか、明日目が覚めずに死んでいたらいいのに、という風に思っていた。なんやかんやあって、毎日そう思う日々からは解放されたのだが、時折無性にこの世から消えてしまいたい気持ちはなくならない。実際に行動は起こしたことがないので、親しい人にも誰にも、夫にすら、実はたまに死にたがっている、ということはばれていないと思う。今までは主に孤独感が引き金でよく死にたいと思っていたが、夫と結婚して気持ちは安定していた。子どもがいたら、そういう気持ちはもっと収まるかと思っていたが、甘かった。
子育ては本当に大変だ。出産前の想定なんて甘すぎた。想像の何倍も何十倍も大変だ。そして、苦労はすべて子どもの笑顔に報われるかと言うとそういうわけではない。
何が大変か。まず、子育て自体が大変。慣れない授乳に睡眠不足、子どもや自分の急な体調不良。すぐ泣くし、すぐ怒る。コロナ禍では衛生面にもより神経質になる。でも、こういうのは、それこそ子どもの笑顔ひとつで報われた気がするんだよね。
大変なのはそれだけでなく、社会も厳しい。育休をとったら、もうお前はしばらく会社に貢献できないから辞めてほしいと言われた。大学の就活はリーマンショック後だったこともありうまくいかなくて、それでもなんとか辿り着いた正社員職だった。結局自己都合退職、ということになった。労基署に相談しても無駄だった。結構冷たい対応をされたので、傷口に塩を塗られたようだった。こんなことがあるのか、と絶望した。そりゃ少子化になる。出産育児金や子育て支援等、行政のサポートはあっても、実際こんなもんだ。正社員じゃなくて、契約社員、派遣、アルバイト、そういう人は産休育休もなく自分から辞めるしかない。そうなると育児休暇の手当ももらえない。
結局、今は子を保育園に預けて別のところでパートとして働いている。給料は二分の一以下になった。その分業務レベルは簡単だし、責任もない。有給はとりやすいので、育児と両立しやすい。職場の方も優しい。それでも、今の収入だと毎日が不安だ。第二子なんてとても考えられない。(夫とは結婚当初から生活費を折半している)
それに、子どもと遊歩道を散歩していたら突然知らないじじいから「うるさい!早く子供を連れてどっか行け!」と怒られたこともある。
地域のイベントに出た時、小さい子どもの隣は嫌だと言って不機嫌そうに席を離れたおっさんもいた。
どちらのパターンも、うちの子は騒いでなかった。子連れってだけで突然怒る人もいるから怖い。
基本的に見知らぬ人でも子どもに優しいコミュニティにいる。特に役所の人はとても親切だ。エレベーター優先させて乗せてくれたり、手続きを丁寧に教えてくれたりして、泣きそうなくらい嬉しかった。あと、その辺で出会う学生の子、おばちゃんやおばあちゃんも優しい。
突然怒ったり、挨拶しても無視するのは大抵いい年の男の人、特にじじい。挨拶もできないなんて、この人たち、職場でどういう風に生きてきたんだ?
一度、子どもが、セカンドバッグをもった強面のおっさんに挨拶したことがあって、よく声かけたなと思ったのだけど、その人はとても優しい声で挨拶を返してくれた。大抵の人はいい人なのに、たった1割の嫌な思い出がトラウマになる。臆病な私は、なるべく周囲に迷惑かけないようにびくびくしながら踏ん張っている。
あと、これからのことを想像すると苦しい。子どもがいじめられたら、逆にいじめる立場になったら、とか
今後事故にあったら、とか、病気になったら、犯罪にあったら、とか
大学卒業まで経済面は大丈夫か、留学費用や塾の費用は賄えるか、とか
そういう不安が波のように襲ってくる。
子どもはかわいい。かわいいけど、たまに自己犠牲や理不尽なこと、不安なことが多すぎてしんどい。
子育てを辛いと思う自分は、母親失格じゃないかといつも頭のどこかで思っている。みんな普通にやっていることなのに、自分にはできない。自分には我慢できない。
子供に手をあげたことはないし、感情的に怒らないよう、何かあったときはきちんと叱るように心がけている。育児本や発達心理学の本も読んで勉強している。
それでも、遊んだおもちゃを片付けない、夜ご飯を食べない、お風呂に入らない、朝起きない、いつまでも泣き喚く、そういう、子どもが自分の言うことをきかないとき、思わずを手をあげたくなる。子どもは自分とは別の人間で、自分の思い通りになるはずがない、ということは百も承知なのだけど、それでもしてはいけないこと、しなくてはいけないことは、何度も何度も伝えているのだから少しはわかってほしい。必死で我慢している。虐待は絶対だめだってわかっているけど、いつも隣り合わせな気がする。
ネットで、「そもそも子どもが泣くのは悪いことではない」という言葉を見たけど、やっぱり泣き声というのは聞いていてとても不快だ。泣いている本人だって、嫌な気持ちがあって泣いているんだから、早くその気持ちを取り除いてあげたいというのはいつも思う。
たまに怒るが、基本は褒めるように心がけている。もともとのんびりした性格で、子どもが生まれる前は声を荒げて怒る、なんてことしたことなかった。なるべく、小さなことは気にしないようにしている。いつだって子どもの幸せを願っている。毎日かわいいね、大好きだよって寝る前に伝えるようにしている。だから私はいないほうがいいんじゃないかと思う。
ママ友もいない。保育園のママたちと全くうまくしゃべることができない。保育園の送迎の時だったり、公園で子どもたちが遊んでいる間だったり、軽く言葉を交わしているママ達を見て憧れる。
自分は母親に向いていないと思う。たまにうまくいかなくて泣いていたり落ち込んでいたりすると、夫に、みんな普通にやっているんだから、と言われる。そういう時、あ、じゃあ私は向いていないからリタイアしようかな、という気持ちがよぎる。私の両親も夫の両親も健在で、関係は良好で、家も近くていつでも頼ることができる。それでもやっぱり苦しい。誰にも頼れない状況で子育てしている人もいるのに、こんなにサポートしてくれる人がいる環境で躓いている自分はなんてダメなんだろう。
自分はこの子の母親じゃないほうがいい、いなくなっちゃったほうがいい、そう思う。自分はこの子の人生に悪影響を与える存在になりそうだから、早いうちにいなくなろうと思う。
子どもが死へのストッパーになるのでない。死んだほうが子どものためなのだ。
夫はしっかりしているから、親や義両親と協力して夫が育てたほうがいいと思う。夫はかなり子育てをしているほうだとは思うけど、趣味や友人づきあいで土日、平日の夜いないことも多く 、やっぱり育児は母親がメインでするもの、という考えが根付いていて、言葉の端々にその考えが窺える。
私がいなくなることで、メインで子育てをする苦しさを夫にわかってほしい、という気持ちも少しある。夫には感謝しているし、嫌いではない。実は夫に復讐したい気持ちもほんの少しあるのも本当だ。
結局自分は不安や嫌なことから逃れたいだけの自分勝手な人間なんだと思う。こんな勝手な人間、やっぱり母親じゃないほうがいい。
それでも、私がこの状況からひとり逃げて、子どもに「お母さんがいない」と言わせること、それで寂しい思いを押し付けてしまうことがどんなに酷か、ということは容易に想像できるので、なんとか踏ん張っている。でもそれにいつまで耐えられるのかはわからない。
筑波大学には「天久保池」という池がある。宿舎と大学を繋ぐ道の途中にある。
https://www.stb.tsukuba.ac.jp/~yadoken/report/2247
5日前に俺が天久保池で経験した「非常につらい経験」をここに記録する。
きっと信じてもらえないだろう。それでもいい。
もちろん普段はこんなところで泳がない。
しかし、今年は新型コロナで大学構内はほとんど人がいない。しかも日曜日。しかも暑かった。
俺は気兼ねなく気持ちよく泳いでいた。
「そろそろ宿舎に戻ろう」と考えていた時、池の中で何かがゆっくりと俺に迫って来るのが見えた。
巨大な白い影だ。
俺は非常に焦った!
「白いワニが天久保池に住んでいるらしい」
という目撃談は俺も2、3回は聞いていた。
「天久保池の魚がここ数年で急減している原因」ではないかというまことしやかに話も聞いていた。
「まさか!」
俺は急いで泳いで逃げた。
間違いなかった。白いワニだった。
俺は何とか陸に這い上がった。
しかし、何と、白いワニも陸に上がって俺を追いかけている。しかも陸に上がってからのスピードが速い。
さすがに俺も恐怖を感じた。
遊歩道を走って逃げた。
おれは、その男性に走って近づいて言った。
「助けてください!110番をして!」
その初老の男性は110番に電話をしながら「まずこれを食べて落ち着きなさい」と俺にキャンディを一つくれた。
その味は甘くてクリーミィで、こんな素晴らしいキャンディーをもらえる私は、
今では、私がおじいいちゃん。孫にあげるのはもちろんヴェルタースオリジナル。
参考:
去年の話。
ひさしぶりに帰省して、せっかくだし故郷鹿児島を堪能してみるか!と思ったので桜島に出かけた。桜島はそれなりの頻度で噴火する活火山で、浪人時代にはよく予備校の最上階まで登って噴煙を見ようとしていた(さすがに噴火してないときの方が多いので、時々噴煙を見られると嬉しかった)。おい桜島よお…なんて語りかけるくらいに親しみを持っていたのだが、じつは行ったことがない。このままではいけないなと思ったのだった。
数年ぶりに乗った鹿児島本線は阪急と比べて揺れが激しい気がした。いっぽうで線路周りに建物が少ないからかどことなく車内が明るい感じもして、案外普通列車にもカラーが出るもんだと感心した記憶がある。
道中にある上伊集院駅から見えるホーム周辺の景色がけっこう好きだ。松陽台という新興住宅街があって、それの乗っかる丘がよく見える。なかなか爽やかな丘で、学生たちが坂道を登っていく様子がなんだか素敵だ。坂の上には松陽高校というのがあるが、ここは制服が全身緑色なことで悪名高い。松陽高校に行った友達と駅で出くわして、「マジでズボンまで緑色で最悪、なんなのこの制服、頭おかしい」と愚痴られたのをよく覚えている。松陽の話終わり!
鹿児島中央駅もけっこう好きだ。正直あんまり全貌を把握してないんだけど、とつぜん屋久杉のオブジェみたいなのがあったりするのが愛らしい。メインの出口から出たところでバァーンと桜島が見えそうな位置なのに、ホテルか何かのでけえビルに阻まれてイマイチ見えないのもいい。故郷のダメさは愛嬌にみえる。
鹿児島中央駅からフェリー乗り場まで徒歩で行くには暑かったので、市電に乗った。路面電車というものに憧れがあって、地元で進学してたら毎日路面電車に親しんでいたのかなと思うとちょっと惜しい気もする。まあ阪急とトレードオフなのかもしれない。阪急も悪くない。赤いし…
フェリー乗り場は水族館の近くにあって、その辺りは道も広いしヤシの木(?)も植わってるしでかなり雰囲気がいいんだよな。車通りに比べて歩行者が少ないのもなんだか孤独感があって良かった。かつて家族で水族館に来るたびすげえワクワクしてたのは周辺環境のよさも手伝ってたのかもしれない。
広い道のデカい横断歩道を歩行者ひとりの状態で渡ろうとすると、小心者なのでどうしても走ってしまう。暑いからちょっと走っただけで汗まみれになる。そうして汗まみれになりつつも歩いていくと、フェリー乗り場につながる赤い連絡通路が見えてくる。この通路は水族館にもつながっているらしい。一瞬やっぱり冷房の効いた水族館に行こうかとも思ったが、初心一徹!と思い直して桜島フェリー乗り場に向かった。潮の匂いがしてテンションが上がってくる。
フェリーは安かった。500円くらい取られるかと思っていたがなんと片道160円だった。コンビニのサンドイッチより安い。阪急一駅分くらいだ。もっと乗っておけばよかった…と後悔しつつ船に向かう途中に水族館がよく見えるのも心憎い。鹿児島水族館はオーストラリアのオペラハウスをショボくしたような外観をしていて、なかなか心に残るのだ。
フェリーはかなり大きくて、わりと見応えがあった。甲板に観光地特有のコイン式双眼鏡があったんでなんとなく近づいてみる。と、どうも様子がおかしい。コインを入れるところがない。よくみるとなんとタダで見放題らしい!全体的に太っ腹だ。つっても見るもんなんて大してないのだが…しかし港にいる見られているなんて全く思ってなさそうなオッサンを一方的に見るのには奇妙な快感があった。港にいるオッサン1を船の上からオッサン2が双眼鏡で覗く。いいね。いいか?よくないかも…
桜島は中心市街から20分くらいで行けるわりに離島らしい趣があって大変よかった。道は水族館あたりよりさらに広く、なぜか三車線あるところすらあるのに車通りは少なくて、歩く人の姿もまばら。特に目的地なしに来たのでちょっと途方に暮れたが、グーグルマップを見ると少し歩いたところに足湯があるらしい。とりあえずそっちに向かって歩き出す。道路の隅のあちこちに火山灰が溜まって黒いまだら模様ができていて、火山島に来たぞ!と思った。まあ地元の街にも灰は降るが…
途中に巨大な駐車場のローソンがあって、なんだか逆に寄る辺ない感じがした。知らない土地に見慣れたものがひとつだけあるとかえって寂しい。たしか入ってみたけど、中のことはあまり覚えていない…ってことは、まあ普通だったんだろう。水を買ったような気がする。
国民宿舎なんてカッコいい名前の建物の横を抜ける。ネコがたくさんいて、日差しを避けて木陰に集まっているのがいかにものどかだった。
足湯近郊は遊歩道になっているようだった。ザ・火山性って感じの黒くてゴツゴツした岩場、なんとなく見慣れない感じの植生、灰まみれの道。特に何があるというわけでもないが、目に入るものすべてがなんとなく普段目にするものと違う感じで楽しかった。
歩いてる人はあまり多くなくて、足湯までに数組とすれ違っただけだった。人の少ない遊歩道は最高
暑かったが足湯には入った。火山らしさのある(?)濁った湯で、悪くなかった。対岸が見える鹿児島湾とはいえ海が見えるのもよかった。タオルを持ってなかったんでどうしようかと思ったが、サンダル履きだしよく晴れた夏の日の昼だったからすぐ乾いた。
遊歩道を抜けようと思ってたんだけど、足湯を過ぎてちょっと歩いたところで通行止めになってたから泣く泣く帰った。
遊歩道の入り口あたりに戻る頃には昼時で、何か食おうと思って見回したり地図を見たりしながら帰ったんだけど、どうも気軽に入れそうな飯屋が見つからなかった。
しかたないし本土に戻ってから食おうかなと思ってフェリー乗り場に戻ったところでいい感じのカフェーを見つけて、そこで「桜島マグマバーガー」なるものを食った。辛めの味付けの鶏肉がメインのバーガーで、まあまあうまかったが異常に熱くて口をやけどした覚えがある。外国人向けに英語で「噴火ににビビるな!」みたいな内容の張り紙がしてあって、食いながら興味深く読んだ覚えがある。
それからフェリーで本土に戻って、結局水族館にも寄って帰った。水族館もなかなか楽しかったが、子供の頃のほうが楽しめた気がした。
桜島、最高!なんせ安い。ほとんど何もやってないのに妙に楽しめた。あんまり人がいない。非日常感がある。行きやすい。100点!
3才の娘に自転車教えたんだけど、補助輪を一切使わずに自転車を教えることに成功した。
事前にストライダーを1年ほど仕込み、それから小さめの自転車を買って、肩を支えながらちょっと傾斜がある遊歩道でバランスとペダルの両立を仕込んだら、10分ぐらいで乗れるようになった。
補助輪つき自転車に乗せていた友人の息子さんは、小学生になってようやく補助輪なしで乗れるようになったらしい。
やはり補助輪は害悪なのだろうと思う。あれがあるせいで、「曲がるほうにハンドルを切る」というふうに学習してしまい、その学習の呪縛を解くのに時間がかかる。実際には「バランスを崩しても転ばないようにハンドルを切った結果曲がる」のが物理的な現象。ハンドル→曲がるじゃなくて、倒れる(曲がりはじめる)→ハンドル→倒れずに曲がる、の順番。
何かを「学ぶ」という時に、間違ったモデル化のもとに間違ったやり方を身に付けてしまうと、結局学習にとって遠まわりになってしまうということでもある。「みはじ」とかもそうだけど、本質にまっすぐ行くのが最短だよなということを親として学ばせてもらった。
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
駅前、イオンモール、巣の公園にしか人が集まらない。イオンモール以外は何らかの連絡手段で呼び寄せないと人がいない。
ジムの範囲内にトレーナーが住んでいる場合、高い確率で同じ色のチームのジムとして死守される。あまりにも死守されることを痛感するとほかの色のトレーナーが近づかなくなる。複垢に進化すると自演によるジムの取り合いが始まる。
山の中の公園のように明らかに誰もいない場所で急に配置されるポケモンが増える怪現象が発生。夜間に車で行かないと到達できない人けのない場所なのに不思議なことが起こる。位置偽装か?!
ミニバンに定員いっぱいの7人を乗せジムを殲滅していく車が隣町から現れる。1人あたり2から3台のスマホを持っている模様。7人乗っているので、ジムに配置できる6体分が瞬時に埋まる。
館内はGPSの入りがよくないので屋上駐車場を車で移動するとトレーナーが多数現れる。屋上駐車場では店内入口に近い場所から埋まっていくのが常であるが、トレーナーたちは、ジムに近い位置や複数のポケストップの影響下にある場所に停めるため、トレーナー同士では相手の存在がバレバレである。一般人には意味不明な位置に停めていると思われるだろう。
自転車のハンドルにスマホを5台固定したじいさんが朝からジムを巡回している。ビートマニアやポップンミュージックを華麗にプレイするかのごとく5台のスマホを操作する。複垢に対するいいわけは孫の分もやっているとのこと。スマホには雨カバーが付いていて雨対策も抜群だ。
地域のlineグループを取り仕切っているおばさん。専業主婦らしく朝から夜遅くまで出没する。新参トレーナーには、EXジムなどの攻略情報を指南して子分にしている。
車で行けない遊歩道の奥にあるジムにポケモンを配置すると2週間くらい帰ってこなくなる。
ジムニー君と呼ばれるトレーナーがいる。レイドバトルで集まっても遠目からこっそり参加している。春先に山奥のジムに向かおうとして「この先除雪しません」の看板を無視してジムニーで雪道に突っ込んでスタック。山道に乗り捨てられたジムニーを目撃されてlineに流されてしまう。そこまでしてジムに行きたかったのか。
位置座標が律儀に本堂に設定してあり、有名寺院でもないので、私有地感というかアウエー感がありすぎて、ジムまで近寄れない。いつの間にかポケストップに降格。
撤退してなくなりました。
夏のウイークエンドまつりのときに県内に1つか2つしかないタリーズにトレーナーが殺到。4時間待ちの行列ができるも配布枚数は100枚。律儀に1ドリンク1枚を配ったら、50人くらいにしか行きわたらなかった伝説。翌日、lineグループおばさんが親と妹と行って券が余っているですけどーと配布していた。
ドライブで日本の秘境にいったときのお話。日本の秘境と呼ばれるエリアにもジムがあり、配置したら予想に反して3時間で戻ってきた。秘境に常時出入りしているトレーナーがいるらしい。
(継続夢については、https://matome.naver.jp/odai/2140958898509765801が詳しそう。)
簡単に言うと、夢の中だけの世界があって土地があり人物がいて、そこでは時間軸もある、夢を見ることでその夢の世界に何度もいける、ということみたい。
ただ、まとめサイトに書いてある継続夢と私の見ている継続夢は違うので、ちょっとそれを補足しようと思う。
まず、継続夢を最初に報告しているセグウェイ太郎さん、その他の人は、継続夢でみる世界は現実には行ったことのない土地だということ、これが私の場合と違う。
私の継続夢では、「新宿」「青葉台(東急田園都市線の)」「永田町」などなど、田舎、都会問わずに実存する街がでてくる。そこまでは電車で移動している。ただ、ここが私の夢を継続夢たらしめているポイントの一つなんだけど、夢の「新宿」の地理は現実の新宿とは全然違う。私の夢の中の「新宿」では、駅は大きいんだけど現実みたいに出口で迷うことはなくて、東口は出てすぐ右に風俗の入ってるビルがある。あと、駅から遊歩道(?)を歩いてファッションビルとか百貨店に行ける。バスタじゃないけど、バスもたくさん通ってると思う。一度グループでバスを貸し切って乗ったこともあった。
そして、何度夢の中で「新宿」に行っても、同じ「新宿」に行ける。二回め、三回めと、「新宿」に行くたびに、「新宿」のイメージ(というか地理? 細かい路地など。)が強固になっていくのがわかる。
あとは登場人物の点。私の場合、実在する人しか継続夢には出てこない。
以上です。継続夢以前に、夢でみたことを細かく説明できる(しかもものによっては3年以上前の夢)っていうのも、何か問題(?)があるのかもしれません。
継続夢について調べてる人がもしいれば、参考になるかも、と思って書いてみました。
何なんだよ日本。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
木の苗を植えて木育てして遊歩道に植えて水をやって花を咲かせてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が小花粉化だよクソ。
木の苗を産んだはいいけど希望通りに花粉を受粉するのほぼ無理だからwって言ってて木の苗を植えるやつなんかいねーよ。
不受粉してもいいし賄賂扮受け取るのもどうでもいいから遊歩道増やせよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら作れよ。
どうすんだよ木育てやめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。
遊歩道も増やせないし木の苗手当も数千円しか払えないけど少花粉化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
国が木の苗植えないでどうすんだよ。
金があれば木の苗を植えるってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか木にかかる費用全てを無償にしろよ。
2017年に飯田産業から家と土地を買いましたが、いろいろと後悔する結果になりました。材料がローコストなだけでなく、人材もローコストなんですかね。契約を結ぶまでは愛想が良いですが、売ってしまえば後は知らないという態度が感じられました。自分が甘かったのでしょうか。とにかく、これ以上の犠牲者を出さないために、恥をしのんで事実を公開します。飯田産業などのローコスト住宅を購入されようという方はよくお考えください。以下、飯田産業に送った内容証明です。かれこれ一ヶ月経っても何も応答がないというのが、また驚きです。
以下、内容証明
私と株式会社飯田産業は平成29年3月13日に建築工事請負契約を結び、平成29年8月29日に引き渡しを完了しました。3月7日付けの不動産購入申込書において「和室部分のタタミをビニールタタミに変更」として、飯田ホームトレードセンターのO氏およびH氏と内容を合意していましたが、いまだに間違った畳が入っています。以下に問題点を上げます。
問題点1:8月11日の建物のチェックの際に私がO氏に指摘するまで、畳が間違っていることを何も説明されなかったこと
問題点2:8月11日の建物のチェックの際の畳に関する私からの指摘にO氏が「すぐに是正します」と言ったのに対して、はじめて具体的な対応策が示されたのが、引き渡し予定日の僅か2日前の8月27日であったこと
問題点3:8月27日にO氏から提示された問題対応において、新しい畳の購入設置代金に加えて、本来、私が負担するものではない、元の畳の撤去費用が含まれていたこと
問題点4:8月27日にO氏から提示された問題対応において、新しい畳の購入設置代金に加えて、本来、私が負担するものではない、元の畳の設置費用が請負代金に内包されていたまま是正されてなかったこと
問題点5:8月27日にO氏から提示された問題対応において、本来発生しなかったはずの、畳設置時の立会いの作業が内包されていたこと
問題点6:問題4に対して8月28日にO氏から電話で提示された対応内容において、一旦新しい畳を私が全額払う形で申し込み、その後にO氏がが元の畳に相当する代金を持参して返却するという不可解な内容であったこと
問題点7:問題4に対して8月28日にO氏から電話で提示された対応内容において、O氏が持参し返却するという金額の根拠が不明で、受け入れがたいものであったこと
問題点8:8月29日にH氏に以上の問題を説明したところ、これらの問題を改善せずにそのまま引き渡しを完了することをH氏が容認したこと
上記の問題とは別に下記の問題もありましたが、これらは全て解決済みです。
問題点9:建築途中の段階で、隣接する遊歩道の街路樹の枝が足場に当たったままの状態で建築工事が進められていた
→私がO氏に連絡したところ、O氏が三鷹市に依頼して、数日後に三鷹市によって枝が伐採されました。
問題点10:建築途中の段階で、ポストの色が指定したものと違っていた
→私がO氏に連絡したところ、数日後に正しい色に是正されました。
問題点11:建物が完成した後、引渡しが行われる前に、建物の一階の窓が開けたまま中に人がおらず夜まで放置されていた時があったこと
→私がOしに連絡したところ、O氏によりすぐに戸締りが行われました。
問題点12:建物が完成した後、引渡しが行われる前に、フロアコーティングのために私がO氏に床材を問い合わせたところサンロードアートとの回答があったが、フロアコーティングの業者が実物を見たところサンロードアートは間違いで、実際はルームアートであったこと
→急遽フロアコーティングの施工業者に施工方法と代金を修正してもらい解決しました。