はてなキーワード: 遊具とは
「命は大事にしろ」系の理屈にあまり納得が行っていない。自分たちが普段さんざん生き物を殺して糧にし、お金で救える命を救うよりも自分の享楽を優先していることから目を背けていると感じる。草刈りヤギレンタルは良いのになんで猫のレンタルになっただけでこうも騒ぎ出すのか。猫は環境変化に弱いからみたいな理由があれば一応納得できるが感情で物を言う人間が多いように感じる。
飼い主が最後まで責任を持てばペットを飼って良いというのもよくわからない。生き物をペットにするのは完全に人間のエゴなのに、同じく人間のエゴであるネコホーダイがこんなに批判されるのは納得がいかない。結局人間どもの心情の違いでしかないだろ。猫の気持ちに寄り添うポーズを見せて、叩いていい風潮が出来上がっている相手を自分勝手な正義感でけなし散らして気持ちよくなってるだけだと思う。猫の心情を勝手にわかった気になってるのが気持ち悪い。わかるわけないんだから、猫に優しくすること、冷たくすることのどちらも結局私利私欲だと思う。もし自分が猫を飼うことになったとしたら、餌をあげるときも遊具を飼うときもお風呂に入れるときも健康に気を遣うのも猫のためなんて言い訳は絶対しないし猫の気持ちを想像しようなんてしない。すべては自分が癒されるためだけの行為であるということを一秒たりとて忘れない。
最低限の質素な生活をして、余ったお金をほとんど募金などに費やしている人以外は、命は大事にしろなんて言う資格を持っていないと思う。それか「自分は快楽のためにたくさん生き物を殺すし少し我慢して募金すれば救える命のことは見捨ててちょっと良いものを食べたり高い服を買ったりするし暗黙の了解として人間が抱える倫理の矛盾は無視し合うけれど、大っぴらに矛盾を見せびらかす相手のことは自分の正義感がなんとなく許せないし、実際には自分はそこまで大事にしてないけどお前はもっと命を大事にするそぶりを見せろ」と正しく言ってほしい。
地方の「限界集落」。地域の住民は独居老人5%、老人世帯10%、生産年齢世帯1%で、あとは猿、イノシシ、鹿、ハクビシン。
公園の広さはサッカーコートが2面分。子供向けの遊具は撤去されて存在しないが、すごくていねいに芝の手入れがされているので、とにかく芝が美しい。
また、さくらやツツジ、芝桜が手入れされていて、ちょっとした観光地になっている。
①子供の遊ぶ声
しない。基本、子どもがいない。さみしい。
③動物の鳴き声
こいつらが最悪。これに比べれば猿以下人間なんてかわいいもの。あいつら物理的にうんこの投げ合いするからな。
キーキーうるせえ。大声で喧嘩するんじゃねえぞぶっ転すぞ!!!!!
ネットで囲ってあってもくぐるわ作物は荒らすわ最悪。鳥獣保護法?知ったことかボケ。
ピュー!ぱぱっぱっぱっぱぱぱっpん
ぱっぱぱぱぱあぱん
ギャーギャー鳴くなやかましい。
でも正直慣れた。ネットをくぐらないし、作物を荒らさないだけマシ。
ただし作物と芝を食い荒らさなければヨォ!!!!!!
うるさいと言えばうるさい。しかし、吠えている時は追い払ってくれているものと思う。諸君等が頼りだマジで。
④屯ってくるヤンキー
近隣のヤンキーはマイルドなので問題なし。と言うかマイルドヤンキーのなにがあかんの?
最近はキャンプしてる事が増えたが、なぜか騒ぐ系じゃなくてのんびり星を見る系のおとなしい人々。
⑤カーキャンプ民
最近電源設備がほしいとか言い始めてるけど何がそんなに気に入ったの?
気に入ってくれてるならうれしいです。
①と②は仕方がないと言っていては消滅するので、遊びに来てくれる人が次も期待と思ってもらえるように、みんなで考えてる。
③の動物は、くくり罠資格を取ったりして駆除に努めつつ、地域のジジババがエアガンと爆竹とロケット花火で武装して反撃している。
最悪なのは猿。最近慣れてきており、結局お犬様に頼るしか無いという結論になりつつある。しかし、放し飼いにできるわけもないので、犬が来れない範囲でじっと観察するクソ猿がいたりしてぶっ転したくなる。
なんで猿はぶっころがしちゃいけないんですか??????
④と⑤に関しては、来ている方々はあまり干渉を好まないらしいので、挨拶と、それから規格外の果物を配るぐらいでそっとしておいたら、最近話ができるようになってきた。
首都圏(駅から徒歩10分圏内)の住宅街、公園と住居の距離は道路を挟むだけなので5m
駐車場、子供向けの遊具、サッカー場(陸上トラック併設)、運動器具あり。サッカー場は予約貸出制
①子供の遊ぶ声
平日休日問わず発生する。時間帯は11時から17時位。泣き声とかも聞こえる。
たまに帰り際なのか道路で騒いでいる声が部屋まで聞こえてくるが癪になるほどでは無い。
サッカー場が公園の敷地の奥になっているのでボールが飛んでくる話は聞かない。
そこ以外でキャッチボールとかしていると管理人が注意するのもあるらしい。
陸上トラックがあるので学校とか町会が貸し切って運動会みたいな物をしている。マイクで何か放送したりする音が
あるのかもだが考慮されてるのか聞こえたことは無い。どっちかというとその準備や移動で参加者や保護者が
喋りながら大挙してくる時間の方が余程五月蝿い。ただ年に2、3回なので我慢できる。
③動物の鳴き声
自然がまかりなりにもあるので野良猫や野鳥が多い。猫の喧嘩の煩さはかなり離れても聞こえる。
しかも長い、鳥は烏が巣を作ってるぽいので朝方にカーカー言っている。地味にキツイ。
最近野生化したワカケホンセイインコがやってくるのだがコイツらの鳴き声は甲高い上にデカいので
猫やカラスよりイライラさせられている。動物の居場所は突き止められないし追い払うのも難しい。
④屯ってくるヤンキー
夜中になると管理事務所から人が消えるのでヤンキー連中が屯ってくる。来て喋ってるだけならまだいいのだが
乗ってくる改造ビッグスクーターがクソうるさい。至近で吹かされると心臓が止まるレベルで煩い。しかも
⑤ウェイ系の学生
コレも夜。ヤンキーとは違うのはなんかの集まりの帰りで泥酔してる事が多い。なので声がデカい。
音が他にしない分悪目立ちする。桜が植えてあるので花見がてらに集まられると中々帰らないし夏は花火しだす。
①と②は仕方がない部分もあるのと昼間そもそも家にいないので殆ど気にならなかった。なので放置。
長野みたいにならないのは遊んでいいスペースが住宅から離れ気味の所にあるからだと思うので
一概にそういう系の騒音が酷いのかは言えない。
③の動物はどうにもできない。巣を取り払うかケンカしている猫をどうにかして見つけて追い払うしか無い。1番難敵かも
④と⑤に関しては直接文句を言った場合逆上されてどうなるかわかったもんじゃなかったので110番通報した。
通報履歴は残るだろうけど名前は聞かれていない。確認したが深夜の騒音に関しては通報して構わないそうだ。
通報する時は公園のどの辺りで騒がしいか、何人くらい(正確である必要は無い)いるのかは話した方がいい。
通報から3分、長くても8分でパトロール中の警察官が2人は来てくれる。
場所がはっきりしていればそこにいる連中に注意して追い払う位の事はしてくれるはずである。
長野の公園の件、全体像が見えないので正直分からないけど多少の騒音なら兎も角
ある年から急にエントランスで自転車乗り込み禁止、木登り禁止、ボール遊び禁止、遊具撤廃、と次から次へ禁止事項が増えていってた
次第に子供は外で遊ばなくなりエントランスでカードゲームするか携帯ゲームするかしかなくなった
大人にとっては過ごしやすくなったのかもしれないけどカードもゲームも買い与えてもらえない人からしたら随分肩身が狭く不健全になった
子持ち側にとって話はめちゃくちゃシンプルなんですけど、他人のやることに強制力を働かせたいならお気持ちじゃなくて根拠となる法令やらルール、つまりは基準をもってこいって話なんですよね。例えばベビーカーの利用に関しても公共交通機関は大抵ベビーカーの利用をルール化していて、折りたたまずに乗れることになってるんですよね(元増田は乗ること自体は良いといっているが、トラブルにあう例は未だにある)。スタバだって公に子連れ歓迎していて子供用のドリンクも用意されてるのに、なんで子連れでスタバを選ぶんだとかネットで言われている。基本的に世の中の基準は子供、子持ちに対して優しい方向に変わってきているのに、世の中の流れについていけないクレーマーがお気持ちで嫌がらせしてるっていう現状をまずは正しく認識したほうが良いんじゃないの?
その上でクレームを入れる人について「キチガイがまた『大したことでもないこと』でクレームを入れてきた」とは思わないし子供の声がストレスな人にとっては辛いんだろうけど、子供の声が騒音規制法の対象になってない以上はお気持ちでしかないわけで、クレームを受けた側の対応としても可能な範囲の対応(長野県の例で言えば、入口や遊具の場所を変更、植樹)にしかならないのは当たり前だよね。自動車騒音に関して騒音が一定限度を超えるのであれば規制の対象になり得るが、1車線に面している場合に65dBが基準なのでアイドリング音程度では厳しく、こちらも可能な範囲の対応(利用者へのお願い)にしかなり得ないだろう。
元増田の主張は「元々個人と個人の正義(権利)の戦いであってそこに絶対的な善悪はなかったのに、子供を盾にすることで善悪の関係がうまれてしまった」的なことなんだろうけど、そもそもクレーマー側の主張が世間の基準を超えるお気持ちベースのお願いでしかなく、子持ちや行政側にとってはお願いに対応すればするほど本来定められている基準よりもクレーマー側が有利になっていくっていう前提条件を意図的にか馬鹿だから気づいてないのかはわからないけれども無視してますよね。
もちろん基準はあくまで基準なのでトラブルを避ける目的でも実態に合わせて配慮することはよくある(電車は出来るだけ混雑時を避ける、子供の多そうな店舗を選ぶ、奇声などを上げ始めたら諫める)けど、別にそれって人に強制されてやることではないし、少なくとも現状の社会は一定範囲の騒音については各人の努力で許容することを前提に成り立っているのでそこに対してお気持ちクレーム入れるならもう立法やらの方向で、子供の騒音を法規制しようみたいな運動をされたほうが筋が良いんじゃないですか?賛同を得られるとは思わないですけど。
何故かDPZがオンライン調査不十分なんで調べた結果を公表するよ。
現場は第三京浜の玉川インターチェンジ近くの多摩川左岸(東京都側)だ。座標としては「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」だ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-lion
まず、Google Earthで過去イメージが見られるので見てみよう。
Google Earthを起動して検索窓に「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」を入力。拡大すると草原の中にオレンジの遊具が見える。拡大しすぎるとストビューに切り替わるのが大変にウザイ。
メニューバーの「表示」→「過去のイメージ」にチェックするとスライダーが現れる。
鮮明な画像が得られるのは余りない。1997/12、2004/12、2007/12、2010/5、それ以降くらいだ。
1997年12月:オレンジ、白、白の三つ巴になっている画像が見られる。2つの白いのは消失した遊具と考えられる。
影の長さから遊具の高さを推定する。ここは東京電力の送電線の真下なので注意看板がある。看板の高さは1.8m。ライオンの影はその1/4。オレンジのライオンは頭の部分だけが高く、影もその部分だけ長くなっている。看板の1/4なので50cm程度と推定される。後に人がしゃがむ画像が出てくるが、大人がしゃがむと約1mでその半分の高さなのでこの推定は合っている。
また、右に寝っ転がり後ろ足を左に投げ出したデザインという事も判る。(足の部分は現在埋まっているので見えない)
白い遊具の影の長さはライオンの頭部の1/3位だが、遊具中心からの距離を考えるとライオン頭部の1/2。つまり白遊具の高さは25cm程度と推定。
次にストビューの過去イメージを見てみよう。ストビューで過去を見る時は、車通りが多い道から見える箇所がないか探す事だ。徒歩道では全天球カメラを入手した物好きがスポットで撮影したものしかないが、大きな車道はストビューカーが何度も撮影している。
それで非常に重要なのがこれだ。
https://goo.gl/maps/XDnKwZfkz2V1YzRs5
ライオンが傾いてしまっているのだ。2014年3月の撮影だ。また、しゃがんだ大人と子供が近くにいる。
左上の日付箇所をクリックするとスライダーが現れる。2014年7月に移動して欲しい。
なんと戻っているのだ。更に高さも戻っている。
次に2020年2月にして欲しい。2019年の台風19号の翌冬だ。
高さが変わっている。地面より深い所に居て、しかも周りを掘ってあるのだ。
多摩川河原はこの25年で2つの大きな台風による洪水に見舞われている。2007年9月と1019年10月だ。
変化があったのは次の通り。
2007年~2010年:白遊具もう一個消える。ライオンだけになる。
2019年6月~2020年2月:大分埋まったライオンの周りが丸く掘られる。
そもそもこういう遊具は古い薬局の前のサトちゃん人形みたいに、FRP製で中に鉄のアングル材の骨組みが入っている。更にここは洪水で浸水する地域なのであらゆるものが水に浮かない、流されない重さで作られているはずだ。中にコンクリが充填されているかもしれない。台風で流されたりは考えにくいのだ。
そして傾いたライオンが起こされたり、周りが掘り返されたりというのは、保守されているという事だ。
更に洪水で泥が堆積する箇所というのは土壌が肥沃であり、草は伸び放題になる。つまり草が低いというのは毎年この個所を草刈りしてるという事だね。
とすると、白い遊具は「撤去された」というのが真相ではないのか?2004年以前に一個と2007年~2010年にもう一個撤去されたと。
理由は、壊れたとか、クソ重たいのに3つも掘り返すのめんどくせぇ、委託業者高齢者が多いのによぉ、とかそんなところかなと。
最初、Google Earthで見た時には白遊具はただ埋まってるだけかも、と思ってスコップ持って出かけようとしたが、ストビュー見たら2019年の台風19号以前にすでに消えてたのでこれはやはり撤去と結論した。
ただ、隣の砂場は土に埋まってるのは確実なので、掘り起こしたら砂場が復活…するけど土砂の堆積が50cm近いので、落ちたら出られないアリ地獄的な砂場になりそうだ。
それと、ここは送電線の真下なので管理は東京電力がしているという可能性もある。つまり公共地(河原の主有権は誰にもない)を使う(地上権設定)見返りに公園の一部として整備した、って感じかなと。
公園(多摩川遊園)全体は自治体管理なので遊具を置かなかい原っぱや避難場所とかの今風に変化させられているが、送電線下だけは東電と建設省(当時)の取決めがあって、設置物は東電のものなのでいじれないんだよねぇ…という、アキバヨドバシの角に小さいビル(Veloceが入る)があるみたいな事かなと想像する。
(
最後のアキバヨドバシ角のビルの事が気になる人がいると思うので説明すると、あのビルは青果仲買人協会の土地。西口のダイビルとUDXは青果市場跡地で、東口のヨド、富士ソフトやロータリー、TX駅は高架式貨物駅だったので、仲買人は駅の中を通って市場に行っていた。秋葉原貨物駅では当然青果物も大量に扱うので仲買人は国鉄と下請けの日通にとってお得意さん。そこで貨物駅の一角を譲渡して仲買人事務所を建てた。あの一帯はJRと日通が所有する貨物駅跡地をそのまま再開発したもので新たな地上げは行っていない。故に、あの角ビルが地上げに抵抗した結果というネットでの風評は間違い。元々お得意さんとして市場の仲買人を国策誘致した土地。
)
うる星やつらがリメイクされた。最高レベルのスタッフが惜しげもなく投入され、凄まじい金が動いている。
コンテンツとしては四十年の歴史を持っており、コスプレ文化を日本に根付かせることにも一役買った今作においては、OPのクオリティーが非常に高い。音楽、映像共にキャッチ―で高品質になっている。
改めてOPをマジマジと見ると、明らかにZ世代へと向けられたメッセージが込められている。例えば、ところどころ挟まれるゲームを模した表現。90年代に流行した携帯型ゲーム的な映像や、00年代前後のギャルゲー的表現など、これらは明確にZ世代に向けられた演出表現――表象であると言えるだろう。また、OP冒頭に登場するインベーダーゲームは本作『うる星やつら』と同じくして四十年前から根付き始めたコンテンツであり、Z世代の範疇からは少しずれるが、四十代から三十代の後半といったZ世代に対する境界世代に対しても強く働きかける演出となっている。
同時に、SNSやマッチングアプリといった、十代二十代のZ世代若年層をも今作のOPは対象にしており、概してZ世代を対象にした演出が行われていることは明らかである。
何でこんなことを書き始めたかと言えば、公式アカウントがyoutubeにアップロードしているノンクレジットOP映像の、01:07~01:08に流れる、『地球儀』に関する表現が個人的に刺さりまくったからである。ノスタルジアで心がバッキバキになった。
本テキストにおいては、以降この『地球儀』に関するたった一秒間の演出に焦点を当て、記述していく。
『地球儀』をご存知であろうか? Z世代ならば当然知っているであろう、公園の遊具である。
そして、この遊具は現在公園には存在していない。何故なら遊具で遊んでいる子供たちに重大事故が多発したため、危険と見做され撤去されたからである。時流としては当然の対応と言えるだろう。この遊具で遊んだことのある人々は多いであろうが、遊具の使用中に大きなスリルを経験する人々も多かったことと思う。つまり、この遊具は根本的に危険なのである。
それでも、この遊具に関する良い思い出を持っている人々はZ世代を中心に多いことと思われる。明らかに、今作のOPはそのようなZ世代の人々の思い出に働きかける構成となっている。ノスタルジアに浸ることのできる良い演出である。
地球儀とは、つまり今喪われつつある一つの『世界』の喩えであると言える。
本OPにおいては、恐らく主人公の諸星あたるがこの地球儀の内側に引きこもる形で存在しており、その地球儀をラムが外側で浮遊しつつぐるぐると高速回転させている。その様子が諸星あたるの主観視点によって描写されている。そして、ラムは諸星あたるの表情を見てか、ニコリと微笑むのである。(あまりにも高速で回転する地球儀の中心に座り込む、主人公の怯えの表情を喜びの表情と錯覚して、ラムは笑ったのであろうと思われる。)たった一秒間の映像であるが、この一秒間にはOP演出家の粋が籠っている気がしてならない。
まず、節冒頭で書いた通り、この地球儀は、今喪われつつある(撤去されつつある)世界を表象していると言えそうである。かつては子供たちの間で楽しまれ、親しまれていたものの、今や危険視され排除されていく何かが、この地球儀には表象されている。
また、地球儀というものは当然ながら球形をしており、地球という我々にとっての世界を表象していると同時に、緩やかに我々の意識世界や内的世界を表象しているとも言える。我々にとって、あくまで世界は手の届く範囲のものでしかない。我々は、日本にいながらにして地球の裏側にあるブラジルの人々の生活をつぶさに見て取ることは、殆どできない。つまり、我々の世界は場合によっては手の届く範囲――半径にして凡そ一メートル弱の球形の世界において完結しているとも言えるのである。つまり、この地球儀は、我々の手の届く範囲での世界――我々の(そして諸星あたるの)〈閉じた〉内的意識や内的世界を表象しているとも言えるのではないだろうか。
つまり、この地球儀は、様々な要素を多義的に表象していると言える。喪われつつある愉しかった頃の思い出、完結した内的世界――などなど。この、『地球儀』は非常に表象論的に優れたイコンであると私は思う。この『地球儀』に目をつけたOP演出家に賛辞を贈りたい。
そして、同時にこの地球儀は、「内側にいる人間だけで遊ぶことはできず、外側にいる他者に依存して初めて楽しさを感じることができるもの」としての側面を表象している。つまり、この場合には、ある程度間接的ではあるが、他者がいなければ成り立つことのない心情、恋心の存在が、緩やかに表象されていると言っていいかもしれない。そして、その地球儀は、空中を浮遊する超常的存在であるラムによって、とてもではないが緩やか、とは言えない超高速で回転させられる。そして、ラムは喜色一面に微笑むのである。ラムにしかできない形で諸星あたるの世界が回転しているのだ。このように回転する『地球儀』は、諸星あたるのジェットコースター的に起伏に富んだ生活や人間関係を、そして、それらを含む彼の内的意識を表象していると言える――そして、遠からず諸星あたるの心中に芽生えるかもしれない感情にも、その表象は緩やかに繋がっていると言えるのかもしれない。
世界が回転する――これもまた、一つの表象であると言える。ラムによって諸星あたるの世界は駆動し、心は動くのである。怯えと、スリルと、説明不能な感情。それらの心は、ラムの指先によって躍動感もあらわに駆動するのである
これが、ノスタルジアでなければ何であると言うのか。もうバッキバキである。心が。
役所、公園、商店街といった公共空間には必ずといってよいほど、高いところに掲げられ、大きくその文字を記した「時計」というものが存在する。
しかし、今や、そういった公共空間が仰々しい時計という装置によって、大掛かりに「時」を提供する必要があるのだろうか。
個々人には、古くからある懐中時計に腕時計、今やスマホはマストアイテムであり、誰も「時」を知ることに苦労していない。
そういえば、時刻表に追われる公共空間の代表例、すなわち、駅においても、その空間から時計が撤去されつつあるというニュースがこないだあった。
いわんや、普通の公共空間をや。公共空間にあるあの時計はもう、本来的な必要性を失い、街の中の単なる意匠にすぎないとも思えるのである。
すなわち、公共空間における時計の喪失は、マイナスの側面ばかりではない。
なぜなら、時計の喪失は、公共空間を時間から解放する手始めの手段だとも言い換えられるだろう。
例えば、子どもの頃、夕暮れる公園で時間を忘れて遊具で遊んだ記憶という、実際には存在しない記憶を思い出してみよう。
世の中では、大人のひとつの定義として、「常に時間に追われる存在」というものもあるらしいが、その解放にも、公共空間における時計の喪失が役立つのである。
公共空間に時計が無ければ、公園では時間を忘れて球技をし、商店街では時間を忘れて買い物をし、役所では時間を忘れてて閉庁に間に合わず、というふうに色々な効能が得られるはずだ。
すなわち、子どもの頃の、時間を忘れて何かに熱中して楽しかった嬉しかった、あの記憶が、時計をなくすことで再現できるのである。
まあ、実際には存在しない記憶なのであるが、細かいことはどうでもいい。上記のような大人の定義など誰も言ってないことも、もはやどうでもいい。
つまりは、公共空間における時計の喪失は、そういう意味で、様々な練られ考えられたであろう意匠よりも、素朴で牧歌的な空間の演出に役立つはずだ。
また、さらに多面的な見方をすれば、この現象は、個別的な「時」を持つことで、公共として提供される「時」に打ち克つことができたのだとも言える。
例えば、公共空間が環境音楽とともに押し付ける「12時」と、私のスマホが示す「12時」は全く意味が異なるのである。
何事においても多様性が重視される昨今、時刻においても、その意味の多様性は保持されてしかるべきだ。
当然、その値は常に一意に定まるものではあるのだが、提供形態は一意でなくてもよい。
「時」が、個人の持つデバイスによって、個別具体的な形で提供され、公共空間が「時」を提示しなくなった現状は、多様性の為せる現象のひとつだとも言えるのである。
一意の値であるはずの「時」も多様性を持てるようになった、という点で、世界の価値観の進歩が感じられる。
公共空間はむしろ積極的に「時」の提供を辞めてよいのかもしれない。時間からの解放と多様性のために。
というか、スマホに限らず、懐中時計などは昔からあるものなのに、なんで公共空間が時計で「時」を知らせる必要があったのだろう。
どうして、人々にとってわかりきった知識である「時」を大々的に提供していたのだろう。不合理に感じる。
そう思うと、そもそも本当に公共空間に時計などあったか不安になってきた。役所、公園、商店街など、実際には時計など無かった気もする。
なぜなら、私はスマホで時刻を知っていたから。なんなら、公共空間に居たにも関わらず、スマホを見ていて、公共「空間」という空間を把握していなかった気がする。
だから結局は、公共空間における「時」の提供など、実際には存在しない記憶なのかもしれない。
そうだ。それこそ、水時計で時刻を知るような大昔でもあるないし、勘違いにもほどがある。
Twitterで自分と同じ経験した人がいて軽く燃えてたから書く。
先日3歳息子、1歳娘を連れて妻と四人で横浜のアンパンマンミュージアムに初めて行った。
アンパンマンミュージアムは、~4歳くらいの子供と親がほとんどの子供向け施設。
自分が遊具で子供を遊ばせてる間に、妻が「子供が欲しがってる限定の名入れグッズを作る、すぐ戻る」とバタコさんの手づくりハウスというショップへ向かった。
30分経っても戻らず、迎えに行くとショップは大混雑で妻は行列に並んでいた。
結局買えはしたんだが、並ぶのに数十分、受け取りは2時間後で帰る予定の時間を延ばすことになった。並ぶ間一人で子供二人を見るのはなかなかに大変だ。
並んでる人を見ると、どうも全てが子連れの母親という感じではなくオタク女が7割くらいだった。(キャラやアイドルのグッズを鞄につけてる・うちわを持っている・20代くらいで若く、子連れでない女友達と来ている風だったのでそう判断した)
オタク女で混んでおりショップに入れなくて買えない子供や親も多かったので、それはどうなんだ?と思った。しかし金払いもいいだろうし、子連れでなければ入れないわけではないのでその権利があるのはわかる。
しかし、実際に買えない親子が出てきてるし、アンパンマンのパンを買って写真を撮り、半分以上捨ているところなども目にしてあまりよくないなとも思った。
最初は大人のアンパンマン好きオタクなのかと思ったが、二次元やアイドルのオタクがほとんどらしい。
検索すると、キャラやアイドルの名前をアンパンマングッズに刺繍したり、キーホルダーを作って撮影するのが流行っているようだった。
それで質問なんだが、大人も多いディズニーならまだしもオタク女はなぜアンパンマンミュージアムに来るのか?
名前のグッズなどはネットなどで買えると思うのだが、なぜ幼児メインのアンパンマンミュージアムにわざわざ行くのか?インスタ映えなどがあるのか。
アイドルを推しながらアンパンマンを推しているのか、アンパンマンである理由もわからない。だってアンパンマンだぞ?
追記:
>オタク女7割はさすがに盛り杉やろ
ショップと遊ぶところが別でショップは無料で入れるアンパンマンミュージアムは本当に子連れ以外が多い
文句じゃなくて理由が知りたいだけで、来るなとは言えないのは分かってる。
待つのは疲れたし店に入れない子供や親が出てたのは残念だけど。
アンパンマン好きなくらいの子供はマジで言うこと聞けないんだって。躾とかの問題じゃなく
そのあたり多分子供いないと想像つかないとは思うからただ並んでるだけなのにって思うのはわかる
>スタバの件はなんのことかわからないが子連れでは行ったことがない
これ本当らしい。ジャニーズにアンパンマンが好きなメンバーがいると知った。本人が知ったらどう思うんだろうな。
>運営が子供を特別扱いしないのが悪いな。きちんと苦情入れた方がいいよ
Twitterで問い合わせした人がいたけど運営は把握してて動いてる様子
>半分もパンを捨ててる
来場者の半分ってわけではない。俺が見たアニメオタクの1組が半分くらい食って「お腹いっぱい~」とゴミ箱ダンクしてた。高いしうまいんだから持って帰れ
>オタク女といえば今やメゾンドフルールかジェラピケトートにピューロランドの自担ネームプレートつけてるのが標準装備
俺が見たときはアプレなんとかのバッグが多かった。メゾンドフルールも確かに居た。
>近頃のオタクは「推しの概念グッズ」を作るのが好きなので、その一環だと思います。
アンパンマンを選ぶのは、単純にキャラクターがかわいいこともありますが、本来幼児向けである名前入れグッズに推しの名前をひらがなで入れることで「バブみ」みたいなものを感じているのかもしれません。
サンリオとかマイメロなら流行してるの知ってたけど、アンパンマンもか…
別に来るなとは思ってない。(子供の前でパンは捨てないで欲しいが)実際動いてるらしいしあとはアンパンマンミュージアムがどうにかしてくれそう。
自分は、「なぜわざわざアンパンマンミュージアムなのか?」というのが知りたかっただけなので。教えてくれた増田ありがとう。
Twitterで自分と同じ経験した人がいて軽く燃えてたから書く。
先日3歳息子、1歳娘を連れて妻と四人で横浜のアンパンマンミュージアムに初めて行った。
アンパンマンミュージアムは、~4歳くらいの子供と親がほとんどの子供向け施設。
自分が遊具で子供を遊ばせてる間に、妻が「子供が欲しがってる限定の名入れグッズを作る、すぐ戻る」とバタコさんの手づくりハウスというショップへ向かった。
30分経っても戻らず、迎えに行くとショップは大混雑で妻は行列に並んでいた。
結局買えはしたんだが、並ぶのに数十分、受け取りは2時間後で帰る予定の時間を延ばすことになった。並ぶ間一人で子供二人を見るのはなかなかに大変だ。
並んでる人を見ると、どうも全てが子連れの母親という感じではなくオタク女が7割くらいだった。(キャラやアイドルのグッズを鞄につけてる・うちわを持っている・20代くらいで若く、子連れでない女友達と来ている風だったのでそう判断した)
オタク女で混んでおりショップに入れなくて買えない子供や親も多かったので、それはどうなんだ?と思った。しかし金払いもいいだろうし、子連れでなければ入れないわけではないのでその権利があるのはわかる。
しかし、実際に買えない親子が出てきてるし、アンパンマンのパンを買って写真を撮り、半分以上捨ているところなども目にしてあまりよくないなとも思った。
最初は大人のアンパンマン好きオタクなのかと思ったが、二次元やアイドルのオタクがほとんどらしい。
検索すると、キャラやアイドルの名前をアンパンマングッズに刺繍したり、キーホルダーを作って撮影するのが流行っているようだった。
それで質問なんだが、大人も多いディズニーならまだしもオタク女はなぜアンパンマンミュージアムに来るのか?
名前のグッズなどはネットなどで買えると思うのだが、なぜ幼児メインのアンパンマンミュージアムにわざわざ行くのか?インスタ映えなどがあるのか。
アイドルを推しながらアンパンマンを推しているのか、アンパンマンである理由もわからない。だってアンパンマンだぞ?
追記:
>オタク女7割はさすがに盛り杉やろ
横浜はショップと遊ぶところが別でショップは無料で入れるがそっちは本当に多い
文句じゃなくて疑問を持っただけで、来るなとは言えないのは分かってる。
アンパンマン好きなくらいの子供はマジで言うこと聞けないんだって。躾とかの問題じゃなく
そのあたり多分子供いないと想像つかないとは思うからただ並んでるだけなのにって思うのはわかる
>スタバの件はなんのことかわからないが子連れでは行ったことがない
これ本当らしい。ジャニーズにアンパンマンが好きなメンバーがいると教えてもらった
>運営が子供を特別扱いしないのが悪いな。きちんと苦情入れた方がいいよ
Twitterで問い合わせした人がいたけど運営は把握してて動いてるところではある様子
>半分もパンを捨ててる
来場者の半分ってわけではなく俺が見た1組が半分くらい食って「お腹いっぱい~」とゴミ箱ダンクしてた。高いしうまいんだから持って帰れ
>オタク女といえば今やメゾンドフルールかジェラピケトートにピューロランドの自担ネームプレートつけてるのが標準装備
俺が見たときはアプレなんとかのバッグが多かった。メゾンドフルールも確かに居た。
>近頃のオタクは「推しの概念グッズ」を作るのが好きなので、その一環だと思います。
アンパンマンを選ぶのは、単純にキャラクターがかわいいこともありますが、本来幼児向けである名前入れグッズに推しの名前をひらがなで入れることで「バブみ」みたいなものを感じているのかもしれません。
なるほどね、こういう意見が知りたかった。バブみな。確かに赤ちゃん向けだよなアンパンマン。
サンリオとかマイメロなら流行してるの知ってたけど、アンパンマンもか…
別に来るなとは思ってない。(子供の前でパンは捨てないで欲しいが)実際動いてるらしいしあとはアンパンマンミュージアムがどうにかしてくれそう。
自分は、「なぜわざわざアンパンマンミュージアムなのか?」というのが知りたかっただけなので。
Twitterで自分と同じ経験した人がいて軽く燃えてたから書く。
先日3歳息子、1歳娘を連れて妻と四人で横浜のアンパンマンミュージアムに初めて行った。
アンパンマンミュージアムは、~4歳くらいの子供と親がほとんどの子供向け施設。
自分が遊具で子供を遊ばせてる間に、妻が「子供が欲しがってる限定の名入れグッズを作る、すぐ戻る」とバタコさんの手づくりハウスというショップへ向かった。
30分経っても戻らず、迎えに行くとショップは大混雑で妻は行列に並んでいた。
結局買えはしたんだが、並ぶのに数十分、受け取りは2時間後で帰る予定の時間を延ばすことになった。並ぶ間一人で子供二人を見るのはなかなかに大変だ。
並んでる人を見ると、どうも全てが子連れの母親という感じではなくオタク女が7割くらいだった。(キャラやアイドルのグッズを鞄につけてる・うちわを持っている・20代くらいで若く、子連れでない女友達と来ている風だったのでそう判断した)
オタク女で混んでおりショップに入れなくて買えない子供や親も多かったので、それはどうなんだ?と思った。しかし金払いもいいだろうし、子連れでなければ入れないわけではないのでその権利があるのはわかる。
しかし、実際に買えない親子が出てきてるし、アンパンマンのパンを買って写真を撮り、半分以上捨ているところなども目にしてあまりよくないなとも思った。
最初は大人のアンパンマン好きオタクなのかと思ったが、二次元やアイドルのオタクがほとんどらしい。
検索すると、キャラやアイドルの名前をアンパンマングッズに刺繍したり、キーホルダーを作って撮影するのが流行っているようだった。
それで質問なんだが、大人も多いディズニーならまだしもオタク女はなぜアンパンマンミュージアムに来るのか?
名前のグッズなどはネットなどで買えると思うのだが、なぜ幼児メインのアンパンマンミュージアムにわざわざ行くのか?インスタ映えなどがあるのか。
アイドルを推しながらアンパンマンを推しているのか、アンパンマンである理由もわからない。だってアンパンマンだぞ?
あーあ。
俺はさ、ゆるキャンが大好きなんだわ。アニメ化する前から追いかけてきて。ゆるキャンのためだけに芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払って。お前らの誰よりもゆるキャンが好きなんだわ。でも今回の映画はマジで最悪だった。
ぶっちゃけさ、映画をやるって聞いたときは嬉しかったけど、「映画は大人になったなでしこ達を描きます」って発表があったときはモヤっとしたよね。お前らもそうだろ?
でも考え直した結果さ、すばらしい出来のアニメを作ったスタッフなんだから良いものを作るはずだろう、って思うようになったのよ。
大人になったなでしこ達なんて見たくないけど、このスタッフなら大丈夫だろうと思った。
原作を差し置いて大人になったなでしこ達登場させてでも描きたいものがあるんだろうなって思った。それはさぞ素晴らしいものなんだろうって思った。
でもダメだったわ。有給を取ってワクワクしながら上映初日に見に行ったけどクソつまらなかった。
なでしこ達が大人になってるからキレてるんじゃない。単純に1本の映画としてクソつまらなかった。ゆるキャンだからどうという話ではなく1本の映画としてダメだった。
ここから先はネタバレだから注意してくれ。正直俺はゆるキャンが大好きだから、お前らみたいなゆるキャンが大して好きでもなんでも無いカスどもに俺の怒りを消費されるのは我慢ならないんだが、それでも否定的な感想を書かずにはいられなかったわ。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
致命的なのがキャンプ場のテーマの「再生」。これがまったくダメだった。
初めに「再生」をコンセプトにすると言い出した理由って、古いドラム缶を撤去するのに金かかりそうだからとか、鳥かごがなんとなく素敵だからとか、その程度の理由じゃん。浅すぎる。鳥かごはコンセプトとか関係なく普通に残して、ドラム缶は県から予算引っ張ってきて撤去しろよ。
なんとなくコンセプトが必要な気がしたから「再生」に決めただけで、再生をコンセプトにする動機が何も無い。
「ドラム缶を撤去するのが金かかりそうだから」って理由も悲しすぎる。なんて貧乏なんだ。大垣さあ、県主導のプロジェクトならそのくらいの予算は引っ張ってこいよ。お前にはそのくらいお茶の子さいさいだろ?
百歩譲って労働力をボランティアに頼っていることにやりがい搾取っぽさを感じるのはいいとしても、ドラム缶くらい税金で撤去しろよ。錆びたドラム缶をそのまま残して誰が喜ぶんだ?ドラム缶じゃなくて例えばナショナルの看板やブリキの人形ならレトロで風情があっていいねとなるかもしれないが、朽ちたドラム缶が置いてあっても誰も良い気持ちにはなンないんだわ。貧乏で寂しくて悲しい話だ。
せめてさ。せめて「私はリンちゃんからキャンプの楽しさを教えてもらった。その私が下の世代にキャンプの楽しさを教える。これって"再生"だよね。だから再生ってすばらしいんだ。ボロいだけにしか見えない朽ちたドラム缶にも中古の遊具にも誰かの思いが詰まっているから私は大好きで、リンちゃんがやってくれたように、私はドラム缶も遊具も全部再生したいんだ」って展開にできなかったの?
こういうセリフがあれば納得感が出るんだけど、無いよね。無いから「ドラム缶邪魔!せや、再生ってことにして撤去費用浮かそ!」ってやってるようにしか見えねンだわ。
縄文時代の遺跡を「再生」するのもおもんなかった。それ土器が出ちゃってキャンプ場を作れない流れになっちゃったから、しょうがなく、妥協案として、本当は縄文なんてあってもなくてもどっちでもいいけどしかたなくキャンプ場のコンセプトに入れたんでしょ?大垣たち自身が縄文文化に興味を持っているわけではないし(リンだけは後々興味を持つけど)、アニメスタッフも縄文文化に一切の興味を持っていないよね?
俺も別に縄文時代に興味は無いけど、縄文時代の暮らしって、ちゃんと調べれば絶対面白いはずじゃん。狩猟採集をしていた縄文人は、小麦の奴隷になってしまった俺らと違って、豊かな信仰とユニークな世界観を持っていたはずだろ?その文化は今の日本人に少なからぬ影響を与えているはずだろ?月の満ち欠けや季節の変化に"再生"を感じて、生まれては死んでいく自分たち人間の死生観に共通点を見出していたはずだろ?縄文人は小麦以外のおいしいものも不味いものも食べていたし、信じられないくらい遠くの人間と交易をしていたかもしれないし、俺にはわからない芸術性を土器に見出していたはずだし、独自の言葉を持っていたはずだし、歌もあったし踊りもあったはずだろ?
ゆるキャンの映画で描かれる縄文はただの舞台装置にしか見えないんだわ。
最後に完成したキャンプ場で、みんなでキャンプをするシーンさ。縄文関係の描写がほとんど無かったよね?本当に悲しいラストシーンだったわ。縄文をコンセプトにしたキャンプ場を作った彼女たちはそもそもほとんど縄文時代に興味がないし、縄文がキーワードのアニメを作るアニメスタッフもおそらく縄文時代にほとんど興味がない。だから完成したキャンプ場にも縄文がほとんど登場しない。
ただただ「工事を始めると土器が発掘されて工事止まりがち」というあるあるネタを登場させて笑いを誘うための噛ませ犬として、そしてリンたちに立ちはだかる障壁として土器が登場する。悲しい使い方だ。おもんある大人は絶対に縄文をそんなふうには扱わない。俺はおもんない大人だから縄文に興味は無いけど、おもんある大人は縄文を決して軽んじないだろう。
一番センスが無くてびっくりしたのは「富士川松ぼっくりキャンプ場」とかいう名前。
いや再生どこ行ったの!?!??!????!?!?!?!?!!?!?!?!?!?!?!?!??????
コンセプトが"再生"なんだからキャンプ場の名前にもそれっぽいワードを入れないとダメでしょ。意味わからん。なんで松ぼっくり?
確かにゆるキャンには松ぼっくりが頻繁に出てくるけど、リンって別に松ぼっくりが特別好きなわけじゃないよね?火種として優秀だからゆるキャンにはよく登場するけど、リンは別に松ぼっくりにそこまでの思い入れは無いじゃん。富士川松ぼっくりキャンプ場のそこらじゅうが松ぼっくりだらけなわけでもない。少しくらい松ぼっくりは落ちているけど、松ぼっくりを推すほど松が生えているわけではない。
キャンプ場の名前に「松ぼっくり」って入れる意味が本当にわからなかった。マジでセンス無いと思う。原作で何度も出てくる松ぼっくりってワードを入れときゃ喜ぶだろ、という陳腐なファンサービスでしかない。リンの性格や心情をなにも考えていない。
あれもキツかったわ。ちくわが土器の破片を掘ってくる展開。ちくわが土器の破片を拾ってくるのはまあいいんだけどさ。その後千明が「ちくわが拾った破片について一応上司に報告したんだけど・・・」とか言い出したところで引いちゃった。
いやいやいや!
お前はそういうキャラじゃないだろ?ちくわが土器の破片を拾ってきたら、「土器埋まってそうだな!私たちで掘り起こそうぜ!」って言ってシャベルでそこらを掘りまくるタイプだろ???そういう破天荒なところってお前の欠点ではあるけど、いいところでもあるだろ。なに報連相してんの?確かに報連相は社会人の常識だけど、大垣、お前は常識にとらわれる女じゃないだろ。大垣、お前は報連相のできる立派なオトナになったけど、同時につまんない大人になっちまった。
別に報連相するなと言ってるんじゃないんだよ。してもいい。してもいいけど、土器の調査を他人に丸投げすんなよ。お前の知的好奇心はそんなもんなのか?自分で調べよう、自分で掘ろうとは思わないのか?筋を通すのは別にいいんだよ。ただ筋を通すこととおもんある大人であることは両立するだろ?もし土器がザクザク出てきたらそれ以降は専門家に任せるべきだけど、最初くらいは自分で掘ろうよ。DIYを描いたアニメでありながら、そういう"自分でやってみる精神"が欠如しているのもこの映画のつまらなさの原因だったわ。鉄腕DASHを見てるとワクワクするのにゆるキャンのキャンプ場づくりには何一つワクワクがなかった。土器の調査も草刈りの技術も、どれも自分で調べずに他人に任せきりだったからだ。いや、実際はいろいろ調べているのかもしれないが、その過程が描写されていない。たとえばなでしこがパワーショベルの免許を取ってくる展開は良かったが、免許を取るまでの過程は一切描写されない。DASH村だったら教習所でTOKIOがパワーショベルの操作に苦戦しながら徐々に上手くなっていく描写が絶対入るだろ?DIYは結果ではなく過程が楽しいのに、この映画は過程を描かない。
大垣に限らずみんなつまらない大人になってしまった。俺はそんな彼女たちを見たくなかった。近所の人に言われるがまま草刈りをする斎藤(お前は泥臭い作業なんて1秒もせずにググって良い草刈り機を見つけてポチるタイプだろ?)、ドラム缶を再利用しようとか言い出す犬山(捨てろよ)、ソロキャンにあまり行かなくなったリン(毎週行け)。どれもこれも見たくなかった。みんなつまらない大人になってしまった。
高校生の頃よりもおもしろい大人になっていたのはなでしこだけだ。なでしこはアウトドアショップの店員が似合いすぎる。大人になったなでしこが独自のスタイルで接客をしているシーンは大好きだし、ジムニーを買ってアウトドア好きに拍車がかかっているのも良い。登場人物の中でおもしろい大人になったのはただなでしこ一人だ。さすがはキャプギアメーカーのCEOになる女だ。なでしこ、お前は面白い。残りは全員クソつまんない大人になってしまった。
たしかに彼女たちは責任を果たす。報連相をするし筋を通すしちゃんと書類を回すし法律を守るし上司の言うことに逆らわないしセンパイに迷惑をかけない。でもそんなのは俺でもできることだ。それなりの社会人なら誰だってやっていることで、そこの描写に面白みはない。立派になったなあ、オトナになったなあ、とは思うかもしれないが、その立派さを得るために彼女たちは何かを犠牲にしている。
ああ、本当に彼女たちはおもんないオトナになってしまった。おもんないオトナを描いたおもんない映画だった。それでもゆるキャンは好きだから、映画のことは忘れてこれからも芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払おうと思う。俺が一番おもんない大人なんだ。
住む物件決めて不動産屋にハンコ押しに行くときに初めて川崎駅について、通りのすき家で朝飯食ってたら
汚いジジイが店員の女の子にキレて小銭ぶん投げて警察が来た。もうこの時点で嫌すぎる街だなって思ってたんだけど
住み始めてまずほぼ毎朝マンションのゴミ箱をホームレスが漁っている。
通勤で高架の下を通ると「糞尿禁止!」の張り紙がある。座り込みとかペットの糞とかじゃなくて糞尿禁止ってなんだよ当たり前だろ。
会社の向かいの公園では朝から夕方までロング缶とタバコ片手にジジイがおしゃべり会。その横で子供たちが遊具で遊んでる。なんで共存できてんの?
チャリンコは堂々と車道の真ん中走ってるし、夜はライトついてねえし
原チャはすり抜けしまくってるし(神奈川県内どこでもそうだけど)
キャッチの取り締まりやってるジジイとキャッチが仲良くタバコ吸いながら談笑してるの意味わからんし
幼稚園について書いた増田だけど、幼稚園は選べるけれど公立小学校は選べないみたいなのはあるなぁとちょっと思った。
幼稚園の場合、各園で面倒くささに大きな差があり、特色も違うので親が自分に合うものを選べばよかった。
例えば、登園。
クレヨンしんちゃんみたいに家の前まで幼稚園バスがお迎えに来るところから、集合場所に連れて行くところ (その後、毎日ママ会 orz)、親が連れていくのが当たり前のところまである。
例えば、保護者会。
別に来ても来なくてもOkなところから、毎月の参加 + 平日のイベントに保護者お手伝いが当たり前みたいなところまである。
毎年、各園児と保護者のプロフィールを載せたパンフレットを作成 (当然、保護者が情報を提供するし、保護者の中の委員がパンフレット作製をやらされる)があったり、
毎年、なにかの役員をやらないといけない所から、ごく少数の役員だけ大変いうところまである。
例えば、お弁当。
完全給食のところから、給食にするか選べるところ、毎週決まった曜日に必ず給食を食べるところ、完全弁当まである。
例えば、延長保育。
延長保育が全くないところ、長期休暇に無いところ、有料で実施する所などいろいろある。
例えば、園庭。
広い、狭い、遊具の数とか。
例えば、規模。
園児1学年5クラス以上で100人オーバーのところから、園児1学年1クラスで20人くらいのところまである。
男女ともに雇用されているところもあれば、完全な女社会ってところもあるね。
公立小学校は住んでいるところで一律ここって決まるから、いくら面倒だと聞いていてもよそを選べないというのはあるなぁって思った。
まあ、面倒でも多かれ少なかれどこでも同じって感じだと思うけど...
教育業界はなんでも教育の一環で...という伝家の宝刀を取り出して変わろうとしないところがあるし、外の力を借りることに否定的な感じがあるよね。
それでもって、予算がそんなにないから、受益者負担として親に負担させざるを得ないものも多いんじゃないかな。
だから少子化が...と思うなら、もう少し子供にお金をかけてくれる人たちを選挙で選びたい...けど、そんな奴いねぇ!!!!!!!!!!!!!!!!
https://togetter.com/li/1901124
https://twitter.com/vKpjIheSE5X0tXy/status/1536543497331044352
嘘だと断言はしないけどドラマチックすぎるしいろいろと違和感がある
ググっても該当サイトが見当たらない、投稿主は部外者なので保護者向けのアクセス保護されたページではないだろうし公立小学校がrobot避けしてるとも考えにくい。
教育委員会にすぐバレるような嘘の証拠をわざわざWebに書くだろうか?(その程度のレベルの教員はいそうではあるが)
部外者の前で発言していい内容か? 来客を待たせてまで緊急にチェックすべき書類か? その場で発見するのすごくね?
普通「コピー撮らせてください」でしょ。持ってきたのがコピーならそのまま渡せばいいし、現物預かってる間の事務処理はどうするの
【追記】
ヒットしない可能性はあるけど「見つからなくて当たり前」ではない、なぜならGoogleのキャッシュはリアルタイムで消えないので1日待たずに消えるのは稀。以前はあったのに今ヒットしないとしたら運よくクロールのタイミングが重なったかWebmasterツールから手動で削除依頼したか。そんな事やらかす人がWebmasterツールなんか使いこなせますかね
【追記】
実際は「ざっと見た感じ」がついたのかもしれないけど、実務経験者だったら屋上の給水タンクだの防水処理だの修繕が数時間の目視でチェックできない事なんか知ってるはず。こんな断言できないのでは?
【追記】
anond:20220614184227 anond:20220614184104
それを初めて会った部外者(しかもTwitterで公表してる事が分かってる)の前でわざわざ暴露する必要がある? 公表するにしても普通に考えれば事実関係を調査して処分を決定してからにしたいはずだし、聞かれてもいない寄付の強要に至った背景まで「その場で」「不確かな推測の状態で」伝える理由がない。
【追記】
https://b.hatena.ne.jp/noho-sibe/20220614#bookmark-4720983304178209826
https://anond.hatelabo.jp/20220614191959
https://www.mext.go.jp/content/20210316-mxt_sisetujo-000013462_11.pdf
【追記】
https://b.hatena.ne.jp/dukeago/20220614#bookmark-4720983304178209826
フェイクだった場合、君が栃木県の小学校関係者だとしたら悔しくないかね? 次にいわれのない非難に晒されるのは君の職場であり君自身かもしれないけど構わないかい?
無事逃亡した模様、解散。
【追記】
ナチュラルボーンライアーに会ったことがないなんて幸せですね、デメリットしかないのに息を吐くように嘘つく奴少なくとも3人会ったことあるぜ
最初にも書いた通り嘘だと断定してないです、不可解な点が多いにも関わらず過熱気味だったので鵜呑みにしない方がいいんじゃないのって事。
togetterで投稿主への直接追及が始まったようなので誰かが明らかにしてくれるでしょう。こちらの更新は終えます。上の指摘に対して投稿主が反論している部分もあるようなので気になる方はご覧ください。
https://togetter.com/li/1901444
普通の嘘松だったらとっくに逃げている時期なので、ここまで粘るなら説明を端折りすぎた本当松なのか、気合の入った嘘松か・・・