はてなキーワード: 連想とは
https://www.sankei.com/article/20240430-IRGZ5336PRCMFLQGJCIBE6IEPU/
一部、ネットで『間違った』『申し訳なかった』というコメントを掲載した所もあったが、これだけ騒がせたのだ。本来草津町に来て謝るべきではないか。寄ってたかって叩いておいて、都合が悪くなると逃げだして…。
草津町長が謝るべきとしているのはどのような人たちなのだろうか。草津町長の心中はわからないが、草津町長や町民に対してネガティブな発言をした事例を備忘録として記録しておこうと思う。
(朝日新聞、ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ、フランス24)
https://www.asahi.com/sp/articles/ASNDL3DYBNDKUTIL060.html
◯英ガーディアンはリコール成立2日後の8日、「日本のある町で、唯一の女性議員が性暴力で町長を告発し、追い出される」という見出しの記事を配信した。
◯米ニューヨーク・タイムズは9日、「彼女は町長を性暴力で訴え、町は彼女を攻撃した」との見出しをつけた記事を配信。
◯仏ニュースメディア「フランス24」も(略)新井氏の支持者などから「セカンドレイプ」だと懸念する声が上がっていることを報じた。
(アエラ(朝日新聞社))
(ハーバービジネスオンライン)
セカンドレイプ上等で、神聖なる温泉の壁にまで堂々と実名入りのポスターを貼る始末。草津温泉は、いつから「ミソジニーの湯」になってしまったのでしょうか。
日本共産党
「日本共産党は、今回の草津町議会でのリコールには反対の態度です。また地方議会での少数者の排除やあらゆるハラスメントを許さない立場を貫いてまいります」というコメントを発表しました。
(明日の自由を守る若手弁護士の会/あすわか@asuno_jiyuu(共産党山添拓参議院議員も所属する共産党系弁護士団体))
(bioより)
差別はあらゆる暴力の温床であり、戦争の温床です。暴力を許さず、平和を希求し、戦争に反対するなら、唾棄すべき差別・優生思想に対して「なにがなんでも許さない」毅然な態度と抗議を続けましょう。差別されヘイトされた当事者だけが叫んでも、差別はなくなりません。傍観は、黙認です。
草津町への誹謗中傷とオープンレターと「差別的言動を生み出す文化」 (https://anond.hatelabo.jp/20231104225250)
#草津温泉には行かない
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司法の場で適切な裁きがあることを信じ見守っています。冤罪があるならば晴れるといいですね。
草津、イプセンの『民衆の敵』じゃん(地元の温泉に都合の悪い事実を公表しようとした科学者が、貴の町長の画策で「民衆の敵」認定される)。
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https://togetter.com/li/2273978
https://togetter.com/li/2273498
(人権団体spring)
※このデモの参加者としてspringのほか、共産党、社民党など
(ポルノ・買春問題研究会)
the town mayor sexually assaulted... Arai Shouko
He had a history of similar offences
草津町長がこの中の、またこの中には含まれていない無数の発言のうち、どの程度を念頭においているのかはわからない。
しかし、一方的な、それも極めて大きな被害を受けた被害者である草津町長が、単に謝罪撤回だけではなく、「本来草津町に来て謝るべきではないか。」と言っている以上、心当たりがある者はそのとおりに行動すべきだと思うのだが。
また、これは「誠意持って謝罪すれば受け入れるよ」との草津町長のポーズでもある。
被害者の立場に立って相手を失職まで追い込む昨今のリベラルによるキャンセルカルチャーよりもよっぽど理性的な対応で好ましく思う。(これって何通でもオープンレターを出せたよね?それをしないだけでも極めて穏当)
まさに。何故かオープンレター関係者と草津町へのネガティブ発言していた人はかなり重なっているが、「中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択」(オープンレターより)を取ることができるかな?注目したい。
関係ないオープンレターを持ち出してまた呉座氏を辱めるの趣味悪いよね。草津の問題は草津の問題として論ずれば呉座氏も誹謗中傷してしまった過去を思い出して居心地悪いことにならないのに。
オープンレターって「私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけ」(オープンレターより)てたんだよね?
今回、まさに「中傷を生み出す文化」が見られ、しかもそれを実行した人達の中に多くのオープンレター関係者がいたわけだ。
関係ないわけないよね。
性加害においては男性の信頼が地に落ちてるせいでこうなっている側面があり、それとは別に町長の名誉既存の回復は必要で、そう踏み込んだ内容なら万人に受け入れられるんだから。
今回の町長の被害と男性の信頼が地に落ちてることは無関係なんだよなぁ。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ある場所の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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約7年くらい前、インターネットのとあるところに、ASDスペクトラム他の発達障害者や理解者、関係者のための、掲示板がありました。
リアルの現実では『軽度発達障害グレーゾーン』と呼ばれる人たちなどが、何千人も、ネットの海に潜伏していました。そして掲示板にたどり着いていました。
その、発達障害当事者・関係者向けのコミュ場所、掲示板も、もう終了してしまいました。
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小さな小さな、一参加者だったレモンむしぱん(旧ハンドルネーム)はブログを作りました。
https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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受動当事者なのに頭の中だけ、言語化が止まらない。生活を浸食する言語化。自分を許せない感情の分析で言語化。
苦しんでいるはずなのに救済をあきらめ続けることが止まらないこの国の軽度当事者たちの不可解さを言語化。
とり憑かれると生活を浸食される妖怪、それは妖怪ゲンゴカー。野良レモンに取り憑いて、今日も薄いペラッペラの言論を危なっかしく書き走る。
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発達障害GZ(グレーゾーン) Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいのでね。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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●ひっそりと趣味を続けて、ストレス溜まっても趣味を続けて、発散されて、安らげる。ここが羨ましい話。いいねぇ。
この場合は、私も一時期えんえん見てたけど、ソロキャンプがバズってしまって、承認されて、収入としても花開いてしまったけれども、近い世代の野良としては、羨ましいのはそこじゃなくて。もうかったところじゃなくて。
心のオアシスが、今でもいつまでもオアシスであり続けるところ。
私は、身体に限界がきて制限している趣味が発生している。私たち当事者たちは、限界が早めに来やすい。旅行とかの趣味はなるべく早く、気が済むところまで極めておいたほうがいいかもですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=3P8zMqCMYxs&t=211s (リゲイントリプルうんちゃらの宣伝も入っていましたが、野良はそんなの視界に入ってません。興味は無いでもない…)
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●子どもの支援の場合についての動画ですが、4つにまとめられていて、とても ❝とっつきやすい❞ ので揚げました。
大人の私たちも、悩みは多肢にわたって抱えます。あれがうまくいかない、これが満たされない、この相手にこれが通じないetcetcで、まず自分に原因を探すさいに、私たちは自分の生育の中でなにが足りなかったんだろう? と振り返ります。よね?
野良のように、医療からは検査診断以外のなんの分析もご指導ももらえない境遇の当事者は、自分で自給自足しようと孤軍奮闘して人生がほぼ終わるわけです。自分で調べても、ネットで聞いても、振り回されるばかりなのですが、私たちに不足している栄養分(お勉強)にはだいたいこういうものがありますよ、と可視化されるだけでも不安感は違うものなのです。
それでもね、私たちに必要なのに、無い栄養分が4つもあるなんて、多過ぎるかもしれませんね。日々の日常を回すときに、念頭に置いておける限界は、せいぜい1つか2つでしょ。世の理不尽は底知れませんね。
ちなみにこの4つがそろうまでも、1つ1つがブームになりながらそろってきた歴史があります。発達障害が世に知られてくる20年以上前からメンヘラさんたちの治療に応用行動分析、次に自閉の療育にティーチ、そのさいコミュニケーションするためのツールとしてぺクス、今はSSTが流行………? 書店に本がいっぱいある感じですね。
(動画URL、取っといて無かった)
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ふーん。野良は ❝いやいや過激な実験ですねぇ……❞ と感じて苦笑いするだけで済みますが、済まないかたは、動画再生は無理しないで。
少なくとも、野良の生活圏内で、この治療に近づく手段は無い。それに想像力の獲得が短時間だけ、でも考えようによっては命懸けの治療を一般化することは、今はまだ現実的に考えづらいですよ。
ASD傾向の人は、ASD持ちの家系にも生まれるんでしょうが、一般の普通の家系にも普通に生まれます。それが、こんなお幾ら掛かるか分からない治療が必要であることも現実的に考えづらい。保険適用にするとしても、日本人たちは同調圧力という気質も強い。治療をするように社会が強いることにならないように、成人してから標準以上の知能指数で考えて自己決定でする法整備も必要。成人するまでに、養育者が療育する自信が無いとか、難しいとか、そういう事情は別問題として、横に置いておいて議論されなくてはならないという意見を私は持つよ。
「治療に出資してやるからここに署名捺印しろ」とか、犯罪しろとか、利益を貢げとか、服役しろとか、加害者の加害を受け入れて従えとか、そういう悲劇も問答無用で制裁されて欲しいけど、問答しないと法整備されないのよね~。
私は『永遠の『宿題』の提出』(ブログ参照してね。)問題の自説を持っている。治療していざ、張り切って思考した結果が、必ず『永遠の『宿題』』の正解を出せるものでなければ、脳をリスクにさらしただけで、本人の人生はなにも変わらない現実にしかならない。
大人の当事者たち自身も自己努力をするけれど、多様性を社会が受け入れてくれる気があるなら、たとえば貧困や二次障害のメンヘラを傍観する見守りするだけじゃなく、今の社会の『永遠の『宿題』』の内容をどーにか議論することから始めていただきたい。
(動画URL、取っといて無かった)
もちろんそうじゃない○○オタクはいくらでもいるが(たとえばある漫画には「信長の強火オタ」である輝宗が出てくる)、
単に「オタク」と名乗る人達は、あるいは、「オタク」と聞いて連想するのは、漫画とアニメとゲームの同時の愛好家であるというのが一定数ある。
乃木坂春香の秘密とか、我が愛しのオタ彼女とかのヒロインはそういうキャラであって、彼女らは作中で「オタク」と設定されていた。
あるいは昔NHKで「MAGネット」なる番組をやっていたことも、オタクという概念をそういうものとみなすのが一定数あるという裏付けになっているだろう。
私が思うのは、漫画アニメはともかくゲームはこれら二つに対して接点が少ない仲間外れではないのかということだ。この三者で一つ仲間外れをあげよという問題が出たらゲームと答える。
「オタク」という言葉とそれに伴う概念、すなわち「オタクとはなんであるかということのよりどころになる『オタク像』」を広めたのは宮崎勤だったと訊く。
しかし彼がはまっていたのはアニメと特撮であって、ゲームは入っていなかったと思う。
また電車男もオタクのイメージ伝搬に一役買っているはずだが、彼もゲームはやってないような気がする(MMOとかやってたっけ?)
まあとにかく、アニメと漫画というクラスタとしてその距離を考えるなら、ゲームよりはラノベとかフィギュア収集の方が近かろう。
ゲームっていうのは恋愛ADVという前提なんだろうな?eスポーツ勢は旧来のオタク像がしてそうなゲームとは明らかにマッチしてないし。
[B! 校歌] 生徒の校歌「音程が低い」赴任した中学校長、始業式で抱いた違和感 もとの楽譜を調べてみたら
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202404/0017511004.shtml
ブクマカの論調は、作曲当時のニ長調への回帰派に比べて、改変したハ長調の維持派が優勢なように思える。
しかし、次のような視点にも留意したほうがいいんじゃないかと思う。
これらはいずれも記事から直接読み取ることはできない、あくまで可能性の列挙に過ぎない。
実際に、ハ長調にすることで歌いやすくなって大好評だった可能性もある。
改変した当時、実際に生徒に歌わせてみて誠実に比較したはずだとも思う。
しかし、このような記事を読んだ瞬間に、上記のような可能性をあれこれ連想することができるかどうかは、どんな記事を読むときにも役に立つ感性だろう。
なお、ハ長調への改変の理由として挙げられた「変声期の男子生徒への配慮や、アルトリコーダーで演奏しやすくするためでは」というのは、ニ長調への回帰を目指した校長による、あくまで推測である。
いまのパンティーは歪んでいる。もともとパンティーというものは、パイプや葉巻など、火をつけてゆったりと煙をふかし、その味と香りを楽しむ、非常にスローな趣味、嗜好品であった。元来パンティーは肺に入れず、口の中で転がし、その奥深い香りや旨みを味わうものであった。
「パンティー」と聞いてまず誰もが連想する、コンビニに置いてある馴染みの紙巻きパンティー、とりわけライトパンティー。あれはパンティーを味わうものではない。パンティーを摂取するためだけの非常に短絡的な嗜好品だ。
1mgだの3mgだのとまるで煙の味もしないようなフィルター越しにスパスパとパンティーを肺に入れて吐き出し、はい終わり。
馬鹿げている。
この楽しみ方は長く続いたパンティー文化から見れば非常に異質な、歪んだ楽しみ方であるとさえ言える。当然肺では味を感じることなど出来ないし、肺から摂取されたパンティーは血液に急激に取り込まれ依存性をはるかに増す。
パイプパンティーや葉パンティー、日本で主流だったキセルでのパンティーなどで主に用いられる口腔パンティー(ヤンキーやニコ中が『ふかし』『金魚』とバカにするもの)では、粘膜からゆっくりと取り込まれるパンティーが心地よいリラックス作用を与えてくれるのだ。しかも依存性も低い。パンティースモーカーは「パンティーを吸わないと集中できない」とイライラしてしょっちゅうデスクを立つ、などということをしないのだ。
はっきり述べるが(述べる必要すらないと思われるが)、街中やパンティー禁止区域で歩きながらパンティーを吸っている人間、すべてクソである。あとスキャンティーとかショーツなら歩きながら吸ってもいいと思ってるリーマン多すぎる。勘弁してくれ。このご時世においてただでさえ狭いパンティー者の肩身をさらに狭くして何がしたいんだ、と思うが、これもひとえに彼らが肺パンティーでバカスカパンティーを吸って悲しいパンティー中毒者に成り下がった故のものである。
彼らは他人の健康被害など考えずにパンティーを摂取しながら生きていく、パンティーのような生物なのだ。パンティーらが居なければここまでパンティーのパンティー被害が叫ばれることもなかったのではないだろうか。「パンティー」の健康パンティーを「パンティー」のパンティー問題に発展させるのが歩きパンティーパンティーなのだ。
ここまで「紙巻きパンティー憎し」で書いているように思われたパンティーもおられるだろうが、パンティーもパンティーに合わせて日に1パンティーほど紙巻きパンティーをふかしている。そして、パンティーの周りの愛パンティー家にはマナーを侵してまでパンティーを摂りたがる愚かパンティーはいない。パンティーを吸うときはパンティーを出て、携帯パンティーにパンティーを落とし、毎日パンティーをパンティーする「普通のパンティー」だ。もちろん、パンティーもそうあるようパンティーがけている。
パンティー文化の危機は、それらの当たり前をパンティーがけず、パンティー臭いパンティーを着て、パンティーのパンティーの高さに800度のパンティーを持ちながらパンティーを歩く「パンティーなパンティー者」によってもたらされているのだ。
パンティー世紀のパンティー文明において、すでにパンティーはパンティー品とされていた。それがパンティーに、パンティーに広がったのがパンティー世紀末からパンティー世紀初頭パンティー。ここまではずっと、パイプパンティーや葉パンティーが「パンティー」だった。
しかし、19世紀に大きく広がったパンティー。こんにちのパンティーの狭さは、これを「歪んだパンティー方」で吸うパンティーたちが原因であると言って過言ではない。
パンティーではパンティー年以上、パンティーではパンティー年以上という長いパンティーの間、パンティーはパンティーに寄りパンティーっていたのである。
パンティー、ここパンティーで、パンティーのパンティーをパンティーのパンティーで、パンティーとパンティーる。
パンティー。
ぶっちゃけ、原爆開発の経緯に関してはNHKの暗い番組でも見てりゃ知れる事なので、それ目的だとあえて見に行く程のことでもない映画だった。
教科書には多分載ってないだろうけど。原爆投下の指令出したトルーマンは載っていてもオッペンハイマーは載ってなさそう。
見るべきところがあるとすれば、オッペンハイマーの女性関係やマネジメント力だろうか。
知性もある奴は痴性も強いとでもいいたいのか、オッペンハイマーのヤリチンっぷりはそこかしこで描かれる。インド神話読みながら騎乗位したり、マンハッタン計画中に出張して浮気相手とホテルで密会。
極めつけは聴聞会中に素っ裸になったかと思ったら、座ったまんま浮気相手と正常位でおっぱじめる。もちろんイメージの世界での話だが。このシーンでは斜め後ろに奥さんが居たのだが、まぐわい合ってる2人を眺めながら(要するに聞き取り内容からの連想)さらに浮気相手と目が合うシーンなんかマジでゾッとしたね。
ラストの私は世界を破壊したと呟きながら世界が核の炎で包まれるシーンよりも怖いシーンだった。
まあ始まった時はここのシュールさにちょっと笑ったけど。全裸で聞き取り調査受けてるんだもん。それまで皆服着てたのに。
全裸シーンはここ以外にもよくでる。浮気相手が絡んでると八割エロシーン。
ノーラン作品史上最大長の濡れ場なんじゃないのか。濡れ場あんま無いよねこの人の作品。
おっぱいもちろん出てきます。何か芸術的なポーズを取ってるし何かしら男女間の繰り言をはなしてるのかも知れないけどおっぱいから目が離せない。おっぱいハイマーだ。
悲しいかな、男性のサガだ。こう言うときは無理に目を逸らすよりもガン見した方がいい。見てちゃんと品評するんだ。そうするとなんか大したことのない気がしてくる。
でそのジーン・タットロックのおっぱいだけど、うーん。まあ、アメリカにありがちな巨乳じゃなくて普通の乳という感じ。やや小振りであんまり張りもない。メリケン映画ではちょっと珍しいだらしない乳。メリケン映画は痴にも美学を求めてるのか、大体おっぱいもきれいな形してる。でもこれはそうではない。リアルにありそうな乳。
そう言えば、公聴会のシーン以外だと、大体役者の顔も普通に居そうな人の顔してたね。徹底して。公聴会だと露骨にイケメンな役者居たから、ああこれ映画だなって気付けたんだけど。
もし見に行く機械あったらおっぱい確認してみて、普段見てる映画との差を比べてみるといい