はてなキーワード: 通奏低音とは
友達が言った。
「起業が成功しても、人に感謝されても、結婚して可愛い子供が生まれても、たぶんなにをしてもむなしさを感じてしまうと思う」
たしかに。僕もそうかもしれない。
「すごくつらいんだ。苦しい。なんであいつらはこのむなしさを感じないで楽しく暮らしていられるんだ」
みんな、笑っていたり、疲れていたり、悩んでいたり、楽しそうだったりする。
「ちょっと気を緩めると感じるんだよ。おまえ、そういうの感じないのか」と、友達は言った。
「もちろんかんじる」と、僕は言った。
「おまえも苦しいだろ」と、友達は言った。「そういうときどうしてるんだ」
「いいや。苦しかないよ。だからどうもしない」
と、僕は言った。
「ただ、耳を澄ますんだ。とても注意深く。それは、色んな音に混ざって聞こえにくい。食器を洗ってる音や、風の音、人の声なんかがあるとだめなんだ。でもそれはいつも流れてる。おまえもそういう耳を持ってる。」
「こわくないのか」
「心地いいんだよ。その音は」と、僕は言った。
「そうか」と、友達は言った。
パッヘルベル「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」
(独: Kanon und Gigue in D-Dur für drei Violinen und Basso Continuo)
1曲目の「Canon in D major」はたぶんクラシックの中で一番有名な曲
バッハの「G線上のアリア」(Air on the G String)
the pillowsの6枚目アルバム「LITTLE BUSTERS」から。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのシングル。鋼の錬金術師のOP
消してえーリライトしてえー
だんだん俗っぽくなってるのは気のせいですか?
http://anond.hatelabo.jp/20080304045514
少し共感する。通奏低音は、人生の敗残者、人はみなそうなる、もう人生は終わった、とかってしょっちゅう言っててさ、一般に好まれる明るい希望、みたいなのからは、かけ離れてる。読んで爽快、なんてことは絶対ない。こんなの若いもんが好きとか言ってたら、そっちの方がおかしい。なんでそこでネガティブ入るかな、みたいなことを感じることは僕はよくある。
でもね、このブログですごいな、と思うのは、ダルフールの悲劇について、ずっと前からattention pleaseし続けていること。これは、偉いよ。
日本の報道がとても薄いダルフールのことを啓蒙していたのは、ブロガーでは彼だけでしょ。今でこそ、北京オリンピックが近づいてて、徐々に日本語の記事も多くなっているのかもしれんけど、英語圏の新聞雑誌では、かなり前から記事になってたし、国際社会のアジェンダの中で、突き刺さった棘のように、それなりの存在感があった(と記憶している)。
この時代に生きるものとしての、人類としての責任というか、humanityというか、世界平和を若干なりとも真剣に願う者のみが持ちうるであろう態度を、僕は少し感じる。dankogaiや池田信夫氏からは、そーゆーのは感じられない。こういうのを「熱い」とは言わないのかな?
あと、この人はたぶん子供が好きだと思う。過去はどうだったか知らんけど、少なくとも今は。
「世の中を皮肉的に捉えるという。そういうとこあると思うんだよね。」ってのも、ちょっと理解が違う気がする。僕は、皮肉も冷笑も、このブログからは感じない。そんなの価値低い、つまらない、ってよくわかってるよ、この人。もっと謙虚だよ。
「執筆子??をよく知らない様子。まだ若いのだろうか」みたいなのが結構あるけど、別にその執筆者を攻撃したいわけでも、批判したいわけでもないよ。自分の知識をひけらかしたいわけでもない。そういう自己満足の仕方はしてない。ただ理解を正してるだけでしょ。
「叩かれないようにしながら一定の位置を確保するという目的」というのも持ってないと思う。だって、彼は基本的に、自己主張しないし、記事の取り上げ方の戦略性みたいなのは、あんまりないよ。fareast blogはちょっと別かもだけど。