「透明な存在」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 透明な存在とは

2014-12-23

ブックマーク集めとか、果てにはスター集めとか…

リアルで誰からも認められない、「透明な存在」だな

当時中2で殺人鬼だったサカキバラと同じじゃん。

http://anond.hatelabo.jp/20141223122249

2014-12-08

私は何者にもなれなかった

最近自分はとるにたらない存在だなあと考えては落ち込んでいる。

学生だった頃は何者かになれるかもしれない、と淡い、漠然とした気持ちをもって

自分、まだまだ捨てたもんじゃないさ、と思っていた。

今ではちょっと自信をなくしている。

仕事はいい。まだ始めたばかりだし、これからなことだから

ただ人間関係とか、そういう人と自分と、といったことを考えると

そこなしの孤独に突き落とされる思いがする。

友達とは毎日顔を合わせない。

朝起きて、ごはんを食べて、仕事に行く。

働いて、夜七時くらいには家に着く。

朝は○時に起きなくちゃいけないから、×時には寝ないと。

ごはんを食べて風呂に入る。

家族と話す。

こうしたことを繰り返していくと、限られた人のつながりのなかで生きている自分自覚する。

私は一介の労働者だ。

たぶん、私が働くことをやめてどこかに消えてしまっても何も変わらない。

友達と顔を合わして、とりとめもないことを話して楽しくやっていた頃は

生きることは有意義ことなんだと思えた。

毎日会社に行って、帰るという生活を送る今じゃあ

なんだか自分透明な存在になったような気がして、生きづらい。

私は何者にもなれなかった。

何者かになれるものだと、疑いもなく信じていた学生時代が終わって

目が覚めたみたいだ。

私がいなくたって、世界勝手に回っていくんだ。

2013-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20130212130330

元増田

生きてたら多かれ少なかれ「あそこのXXは」「日本人は」って属性によって傷を負うのは避けられないけど

余計な傷は、少数が深い傷を負うよりも多数で少しずつ分かち合った方がいい

増田でもそうさ 

少数が集団に傷つけられても、見なかったことにされ負け犬扱いされ透明な存在のままだけど

多くの人が傷つけられた時共感した時のそれはネットの流れを変えうるパワーを生み出す

キュウべぇっぽく

2012-10-18

http://anond.hatelabo.jp/20121018131041

誰が得ってそれはメンヘルdis増田メンヘル増田マゾ増田でしょ

メンヘルdis増田って他の増田の記事まともに読んでいて凄く優しいと思う

増田なんかはタイトルだけ見てメンヘルと思ったらろくに本文読まずに次の記事読む

リアルで「空気として構われない」「見向きもされないマイノリティ」が

増田に来ればメンヘルdis増田disって反応くれるんだもの

治る見込みも無く悩みを社会から見向きもされることない「透明な存在」で遠くない将来メンタル死が近づいている人達に話しかけてdisと引き換えに無料孤独から救うメンヘルdis増田は「はてな村エンジェル

2011-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20110504133749

そういう何にでも予防線張って「自粛」しちゃう所は、日本の世間の生き辛さの原因の一つ。

どうやらこの国では麻薬使って逮捕された人には商業ベースでの「表現の自由」は認められないらしい

「おかしい」と思う。

「Bowl Man」という曲の存在を消して、そんな事件無かったように透明な存在にすればそれで世間は「世はすべてこともなし」なのかな。

今の日本のそういう風潮はやっぱりおかしい

かといって、無力な増田に何ができるというわけもなくただニュースの波の一つとしてすぐに忘れてしまう出来事でしかない。

他人が麻薬警察に捕まっても「へー、そういう事件があったんだ」ぐらいにしか思わないしな。

でも、「Bowl Man」はCD予約しようとするほど良い曲だった。CD発売中止、着うた配信が無くなったのは惜しい

2010-12-10

仕事から帰る為に乗った高速バス

http://anond.hatelabo.jp/20101210054937

仕事から帰る為に乗った高速バスで、知的障害を持った大人の女性がいた。

隣の女性に「ナ○ミと呼んで」と大声でバスに乗っている間大声で繰り返し叫ぶ。

隣の女性が「一度だけだよ」といって名前を読んだら「もう一度言って」とまた

繰り返し叫ぶ。隣の女性が「もう言わない」といっても「ナ○ミと呼んで」

「もう一度言って」と一時間半大声で絶え間なく叫び続けててエライ迷惑だった。

回りの大人も運転手も知的障害女性の大声を注意せずにスルー

透明な存在」ってやつ?

余程「うるさい」って怒鳴りつけようかと思ったけど、運転手が注意しないのに

私が注意するのもアレだし、怒鳴りつけたらこっちが悪者みたい空気になりそうだから

勿論私もスルー

あれが隣人になると結構な騒音迷惑になりそう。

他人に迷惑かけていることが自覚できないから困るんだよね。

障害者だけでなくぼけた老人にも病棟の端から端まで叫ぶ人いるけれどもあれも一日中続くと他の入院患者にとっては騒音からな。

いくら「人権」の盾を振りかざしても周囲の人々の「受忍限度」にも限界がある。

2010-05-09

http://anond.hatelabo.jp/20100509181900

誰にだって思い込みあるでしょ。アニソン=低劣に過剰反応してるのは単にそう思いたくない人が多いってだけで。

もっと大げさな話にすると、公務員だろうが国会議員だろうがアルバイトだろうがプータロウだろうが犯した犯罪が一緒ならそれは一緒なんだよ。

それ以上にもそれ以下にもならない。それを、公務員なのになんてことを、とか言い出すのはやめたほうがいいじゃんって。社会的に真っ白で透明な存在ならそりゃそういうこと言えるかもしれんけど、実際は社会的に何らかのカテゴライズをされてるわけでしょ。誰だって。

2009-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20091004124239

まあもうどうせ何を言っても受け入れてくれないだろうけど。「どうせそのブログ主の個人的な感想でしょ?」なんつって。

でもいいわ。このログをどこかで見てくれている誰か、未来のどこかでたまたま検索で引っかかって読んでいてくれる誰かのために書く。

http://a-pure-heart.cocolog-nifty.com/log/2005/03/post_6.html

私が最近書いてきたスクールカーストについて、非常に鋭く分析されています。アメリカの話ですが、ほぼ日本の現状と同じです。あまりにも内容が濃く、まだ消化しきれていないのですが

http://blog.katei-x.net/blog/2008/01/000442.html

http://www.blog.net/nerds-jp.htm

の類似点。

知的水準は、他の条件、たとえば外見上の見た目とか、カリスマ性とか、運動能力といったものにくらべて、はるかに低い評価しか与えられなかった。

中高生にとっては、「一緒にいて面白いこと」「外見的魅力に優れていること」「運動能力が高いこと」が至上の価値を持ちやすいため、スクールカースト上位層は、自然とそういった者で占められることになる。

そして学校化(郊外化)の問題。

http://note.masm.jp/%B3%D8%B9%BB%B2%BD/

それが社会

http://mblog.excite.co.jp/user/manabisuto/entry/detail/?id=2656464

学校にみんなを通わせ、家族地域も「学校物差し」で覆われる動きがでてくる。その動きと平行して、サラリーマン化が進む。

「実をいうと学校社会とは、「家や地域社会学校の出店になる」あるいは「学校的な機能をバックアップすることが、家や地域社会の機能だという風に自己認識する」要な状況だと僕は再定義します」(宮台真司透明な存在不透明な悪意」より)

そして元へ返ると

10 代の子どもたちは、かつて社会でもっと大きな役割を果たしていた。産業化が始まる前は、どんなティーンエイジャーも、何らかの形の徒弟だった。商売かもしれないし、牧場かもしれない。軍艦ということもあったろう。彼らは、勝手自分たちの社会を作ったりはしなかった。大人社会の若い一員だったんだ。

今の大人には、これといったティーンエイジャーの使い道がない。オフィスにいたって邪魔になるだけだろう。だから、通勤の途中で学校に放り込んでいくわけだ。週末旅行に行く時に、ペット預かり所に犬をあずけていくのに近い。

社会で大人たちが集団を作るとき、普通、それには何か共通の理由がある。リーダーは、結局、それがいちばん得意な人間になる。ほとんどの学校で問題なのは、そこに何の目的もないことだ。表向きの目的学問ってことになっているけど、これは冗談みたいなものだ。それがいちばん得意な連中でさえ、まともには取り合っていない。でも、絶対に階層はできるはずだ。そこで、子どもたちは、無からそれを作りだす。

さしたる基準もなくランクづけするとどういうことが起こるだろう。それを表現する言いまわしがある。そういう時、ぼくらは「もはや単なる人気投票でしかない」というんだ。そして、これこそが、まさにアメリカ学校で起こっていることだ。この集団には、現実的な目的が何もない。地位の裏付けになる自然能力尺度がない。ランクづけは、ほんもののテストではなく、自分ランクを引き上げる能力を主体に測られる。ルイ 14 世の宮廷みたいなものだ。外部に敵はいない。だから、子どもたちはお互いを敵対視して、容赦ないゼロサム競争突入するんだ。

そしてそれは社会学校化によって大人になっても続く、、、

増田への返答としては

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88

不運なことにスクールカースト認知度は低く、「運動が出来ないくらいでいじめられるわけがない」「そんなに運動音痴が嫌なら上手くなれよ」「スクールカーストは僻みからの妄想」とリアルでもネットでも言う者がいるが、「そんなに言うならお前さん、サッカーの試合でオウンゴールしまくってみなさい」と言って、本人に身をもって体験させてあげると良い。

9割の根拠について。

目の前にあるからとしか言いようがない。ハンバーグがひき肉で出来てるという根拠を示せとファミレスでジュージュー言ってるハンバーグを目の前にして言われてるような気分だよとしか。

このカーストが低い人がうすうす気がついて担任に相談すると「そんなのはない!」と言い返す。でも、中間層以上の生徒には気づかなくとも、下の層の人間には、薄っすらとしても見えているのが分かる、あるものはあるのだ!また上層部には、断層としてではなくグループとして、並列に見える人もいる。

http://guideline.livedoor.biz/archives/50810186.html

2009-04-05

口の中のザリガニ

3ヶ月ぶりのソープ。ただのソープじゃない。手取り15万から生活費差し引いて残った2万5000円を毎月こつこつと貯めて120分7万円の高級ソープ。その3ヶ月ぶりの高級ソープでひいきにしている嬢との事後の話。

「ねえ、ザリガニとか飼ってる?」

ザリガニ?いや飼ってないけど、なんで?」

「あ、そう。ならいいんだ」

「なんだよ言えよ」

「ううん。本当何でもないんだって」

「いいから言えって。俺そういう思わせぶりな態度が一番嫌いなんだよ」

「本当、気のせいだと思うし、あたしの勘違いだと思うんだけど」自分の頑固さを知っているせいか諦めたように嬢は言った。「キスした時にちょっとザリガニの臭いがしたから」

それを聞いた自分の胸に去来していたのは怒りや驚き、戸惑いなどではなく小学校5年生の時の教室の風景だった。学期のはじめ。生き物係だった高畑くんが持ってきたザリガニを教室で飼うことになった。最初はみんな楽しそうだった。男子も女子も目新しいザリガニに、大きくてカッコいいザリガニに夢中になった。だけど飽きっぽい小学生のこと。一週間も過ぎた頃には誰も見向きもしなくなった。いつもならそれで終わりだった。飽きられ忘れられた生き物はいつの間にかいなくなる。死んだり生き物係の子がこっそり逃がしたりして。でもザリガニの場合だけは違ってた。

飼い始めて2週間目に入った頃、なんかくさくない?教室ではそんな言葉がちらほら聞こえるようになった。「なんか」と言ってもみんな「なにが」くさいのかはわかっていた。狭い教室だ。子供とはいえすぐにわかる。だから答えを知りたいための疑問文ではなく、自分が臭いと思っていることを婉曲に表現するための疑問文だった。そんな気遣いができるくらいにはみんな大人だった。だから露骨に高畑くんの前で、なんかくさくない?という子はおらず、自分の中でザリガニの臭いが許容できる悪臭の限度を超えた時に、誰かと共感することで少しでもそれを緩和させようという、仕方のない発露だった。

でも3週間目も半分を過ぎたある日。事件が起こった。ザリガニが入ってた水槽は窓側の一番前にある棚に置かれていた。最初の頃は先生も生徒達に問題を解かせてる間、暇つぶしに窓際に行ってザリガニを眺めていたりもしたのだけど、2週間目に入った頃から見ることはなくなり、3週間目に入ってからは教卓から窓際に動くことすらなくなっていた。ザリガニ水槽はそれくらい臭かった。だから窓側の列で一番前の席に座ってた立花さんがそれまで黙って耐えることができたのが奇跡のようなものだった。その日の5時間目。算数の時間。立花さんは盛大に吐いた。湯気がゆらめく吐瀉物の中には豆腐ワカメと半分になったうずらの玉子が見えた。給食中華丼とけんちん汁だった。ただでさえゲロっぽいから立花さんの胃でどのくらい消化されたのかもわからなかった。周りの子もおなかいっぱいに食べた中華丼と、立花さんのゲロのすっぱい臭いと、教室の隅々にまで染みこんでいる嗅ぎ慣れたザリガニの臭いのせいで、盛大に吐いた。次々にみんなが吐いていく様子を、廊下側の一番後ろの席で見ていた自分は、ドミノ倒しみたいだなっと思いながら吐いた。6時間目になっても掃除は終わらなかった。

その日以来、高畑くんに対するみんなの態度が変わった。婉曲的な疑問文は直接的な罵倒に。直接的な罵倒は直接的な攻撃に。そして直接的な攻撃は最後に透明な存在へと変わっていった。誰も高畑くんが見えなくなっていた。自分もその後の高畑くんの記憶がない。みんながシカトして、シカトしてることも忘れるくらいの、完全なシカトだった。唯一不完全だったのは、教室で誰かと話している時に、窓側の一番前にあるからっぽの水槽存在だった。それを見たとき誰もが一瞬止まった。何かがひっかかるのだ。でも脳はそれを抑圧し何事もなかったかのように話を続けた。不完全なのは本当にそれくらいだった。

ザリガニの臭いがする。そう言われるまで本当に高畑くんのことを忘れていた。帰り道はそのことばかり考えていた。あれから高畑くんはどうなったんだろう。ザリガニはいつからいなくなったんだろう。どうして自分は今まで忘れていたんだろう。家に着くと洗面場へ向かった。大きく口を開いて鏡を覗く。そこに映る大きく暗い穴の中には小さな赤いザリガニ高畑くんが暮らしていた。

2008-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20080623162909

透明な存在」とかいうフレーズに共感したっていう同年代はいたような。

テレビでは「14歳の心の闇」とかを特集してた。

今の14歳は何を考えているのか、とか。

それから3年後には「17歳の心の闇」が特集された。

2008-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20080611174550

だからd:id:izimeの話は意味深長。

若者が(あるいはワーキングプアが)孤独感に苛まれるのはむしろ当たり前のこと。

だから「俺だって孤独なんだから、あいつみたいに…」みたいな回路を作ってしまわないことが大事。

酒鬼薔薇事件のあと、中学生インタビューして「共感できる」みたいなコメント引き出したマスコミがあったが、思春期自分探し真っ最中中学生なら「透明な存在」なんてフレーズにひかれるのは当たり前なんだよね。

そんなコメント酒鬼薔薇を時代の象徴みたいに扱うべきではなかった。

今度の事件も同様。

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