はてなキーワード: 逆転現象とは
追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152
以下本編******************************************************
両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活のサポートをサポートするような仕事をしていた体験から。
そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ、必須…!!」と思わなくてもよい。
そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃんと円満な人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。
親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から「大事な書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。
そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要。
そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老いの自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。
そもそも、金持ちで株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。
親が金持ちの場合。傾向的には、ガチの資産持ちの人は弁護士や税理士やら銀行の担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行の担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題。名刺交換しておけばおけー。
小資産持ちの場合。プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合、結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。
お金がなさそうな場合。自宅とちょっとの貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券、印鑑を仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気で入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃんと確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫。
もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事な情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。
文章や文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。
エンディングノートは市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。
これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販のエンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近は終活アプリなんてのもあるので、スマホやコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK。
市販のエンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものをズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事。結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分史から書いてもらってついでに大事な資産周りの情報も書いてもらえる。
逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単なものを使って、親にヒアリングをして子供がノートに記入していくのがお勧め。ズボラな人や「そういう書類を作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止しちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。
そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。
あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家の年賀状を取っておいてもらう。正月に帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。
エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位でゆっくりやればいい。
比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラな小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合、エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから、帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業を想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。
今日は通帳を整理したから乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。
自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚前デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。
親子関係を改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。
父親が三男、母親が姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気で余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。
実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。
父は、仲が良くない義理の関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしまう心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家の金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。
ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るから、よろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。
もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。
母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類はファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。
父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。
そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積がめっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。
何ていうか、「死ぬ」というのは人生の時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つの点である死に向かう状態が延々と続いていくのが人生、特に老人の人生なんだよなと思う。
終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。
親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから、家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。
一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産の状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。
知っている人は知っている、というよりも明治神宮周辺の森は右派が日本の科学界の偉業として国粋的に持ち上げてきた。
何故なら明治神宮の森、これは通称「鎮守の森」と呼ばれるが鎮守の森は人工森林なのだ。
鎮守の森は森林の自然形成を科学をもって予測し、人工的に段階を踏ませることで森林を形成できるのではないか?という試みの元に造成され、その予測は見事的中した。
大正の時代の時点で開発によって自然破壊が進むことが懸念されていた背景があり、更には大政奉還を果たした明治天皇であるから日本全国はもとより、中国・台湾・朝鮮などから樹木が提供され、鎮守の森は現在の左派が懸念する越境・外来種の樹木によって一部が成り立っている。
鎮守の森はまったくもって自然ではなく、当時の最新科学が用いられ、外来種によって日本原産種を追い込む手助けすらしている人工造成プロジェクトであり、それを守ろうとしているのが明治神宮外苑再開発反対に加わる一部の左派なんだ。
右派が明治神宮外苑に反対しているのであれば「またネトウヨか」「天皇制好きだよね」「はいはい日本すごい日本すごい」「外来種で国威発揚してんじゃねーよ」と嘲笑して済むのだが、何故か今回の明治神宮外苑再開発へ反対しているのは左派だ。
何故この明治神宮外苑再開発反対へ坂本龍一氏が興味を示したのか定かではないが、結局は明治神宮外苑再開発反対が達成されても右派が鎮守の森の偉業を喧伝するだけなので、明治神宮外苑再開発へ賛成しようが反対しようが無視しようが右派の手柄になってしまう。
明治神宮外苑再開発問題へ関わる一部の左派の中にはおそらく雰囲気で反対している人も多数居るだろうが、結局最後は得するの右派だぞと一応は伝えてあげたい。
https://s.resemom.jp/article/2022/05/02/66870.html
また、男性では、1943~1947年の間に生まれた人を除き、大卒以上の学歴の人ほど子供をもっている傾向にあった。一方、女性では1956~1970年の間に生まれた大卒の人は、それ以外の人と比べて子供をもっている人の割合が少なく、合計出生率も低かった。しかし、1971年以降に生まれた場合は、大卒とそれ以外の人とでの差異は見られなかった。
調査より、日本では深刻な少子化が言われているが、その原因は子供をもたない人の割合の増加と、子供を複数もつ人の割合が減っていることの双方があることが明らかになった。また、男性は高収入・高学歴であるほど、子供をもっている人の割合や子供が複数いる人の割合が大きいこともわかった。一方で、女性の学歴と子供の関係に関しては、これまでは高学歴の女性ほど子供をもたない割合が高いとされていたが、近年ではそのギャップは縮小傾向にあることがわかった。この傾向がさらに若い世代でも続くのか、また諸外国でも見られている逆転現象(高学歴女性の方が子供をもつ割合が高くなる)となるのかについては、さらなる研究が必要である。
私は学歴と年収が上位5%、身長は平均以下、BMI22、顔は自称フツメンというような男です
こんなクソ物件でも引き合いは多く来まして
女性からのアプローチの8割くらいはお断りせざるを得ない状況です
意外かもしれませんが、アプローチが来るのは同年代のハイスペ女性が多いんですね
女性側としても自分よりあまりに年収が低い男性だとやりづらいんでしょうね
すごい美人の1000万プレイヤーが私ごときにアプローチをかけてくるわけです
そしたら低年収の女性からのアプローチが目に見えて増えたんですね
つまり、私から見るとハイスペ女性の方が写真写りで選り好みしてなくて
なぜこんな逆転現象が起こるのか?
ここからは推測ですが
母数が少なすぎて顔面や身長はかなり妥協せざるを得なくなるのだと思われます
結果としてハイスペ女性よりも贅沢な選択をしてしまうのでしょう
舌も肥えてそうなので高いお店にも誘い甲斐があるし
なぜか美人さんも多いので
(すごい年下を探している人なら別でしょうけど)
俺は基本的に節約家なので欲も無くて利益やコスパを考えて普段から生活してる
仕事はワークライフバランスとかあるけど弁護士の人だって弁護士志望じゃないけど社会的ランクが高いってだけでやってる人とか多そう
やりたい職業だけど社会的ランクが低いから出来ませんみたいなのってなんか悲しいよな
誰でも出来る職業であるというのがたぶん収益や格が低くなる原因だろうけど
話を元に戻すと俺みたいに仕事はやりたい職業、でも趣味や普段の生活は倹約家みたいに逆転現象起きてると馬鹿にされるよな
立派な職業(なりたい職業ではない)とかでガチャ脳死廃課金者とかって自分の中では救えんなって思うんだがそっちあんまり馬鹿にされないよな?
単純に面白さが足りてない。
アニメ版の丁寧な面白さがなく、ただその場その場のアイディアが羅列されているだけ。
作者なりの知識が作中で生かされている感じも少なく、ただ「ロックをする女の子達の4コマ」以上のモノになってない。
言ってしまえば「バズらないツイッター漫画」ぐらいのレベルで終わり。
事あるごとにぼっちちゃんの胸を強調するような絵や、それに対して他のキャラがいちいち嫉妬しているのもオッサン臭さが強くて無理。
アニメで一部のストーリーが順番を組み替えられているけど、たしかに原作で読むと全体的にチグハグで流れがあまりよくない。
アニメの良い所はぼっちとそれぞれのキャラとの関係性、音楽や青春との関わり方がいい意味で場面ごとに切り分けられて描写されていること。
ペルソナシリーズのコミュのように、今進めている物語がどの部分との関係性が進展しているシーンなのかが非常に分かりやすい。
基本的に一度に大きく関係が進むキャラや状況とは1vs1になれるように世界が融通を効かせてくれている感じがする。
原作だと4コマかつ月ごとの話数が少ない中でなんとか話を進めようと必死になりすぎてしまっていて、今何の話しをしているのかが強調しきれていない。
なによりギャグ漫画であることに意識を引っ張られすぎて必死にオチをつけようつけようとしてしまっていて物語への意識が散漫になりがちだ。
アニメ版では物語を展開しつつ随所の描写の仕方を工夫することでテンポよくギャグを挟むことが出来ている。
これはそもそも青春ロックアニメと4コマギャグ漫画というジャンルの違いによって発生しているのだから仕方ないと言えば仕方ない。
ランチパックの◯◯味に対して、「惣菜パンの形に固執してしまっていて◯◯の良さが消されている」と感じるような状態であり、ぶっちゃけこっちこそがズレている悪なんだろう。
でも自分は名作アニメに対しての原作として高まった期待をぶつけてしまったのでその差に振り回されてこんな事を書いてしまった。
反省している。
ぼっち・ざ・ろっくの原作はアニメと比べれば面白さの密度や創作的な工夫は足りていないが、「承認欲求の強い巨乳のコミュ障がロックをする話」を淡々と読み進める分には密度で圧倒的にまさる。
アイディア先行で肉付けが足りていないが、それは見方を変えれば骨子だけを素早く読み進められているということだ。
ある種の逆転現象によりアニメ版のファスト映画バージョンのようになっているわけである。
それはファスト映画や5分要約には絶対にないもの、純然たる「作者の書きたかった要素だけを抜き出したもの」となる。
ぼっち・ざ・ろっく原作は単純な評価としてはアニメより劣るが「巨乳の陰キャがチヤホヤされる様子を描きたい」という欲望を摂取することの効率においてはアニメとは段違いの強さを持つ。
だが自分はその濃度に耐えられなかった。
それだけの話しのようだな。
自分で書いてるうちになんとなく分かってきた。
M-1における井口の河本に対する態度を見て「相方を見下している」だとか「当たりがきつい」だとか「パートナーへのリスペクトがない」だとか、色々言われておりますな。
初めてあれを見る人はみんなそう思うと思います。その感想は正しい。
でもね、井口の態度はあれで正解なんです。
YouTubeの「ぶちラジ」やSpotifyの「週刊少年ツヤマ」やらをともかく20本くらいずつ聴いてからもう一度振り返ってみてほしい。
https://www.youtube.com/@buchiraji
https://open.spotify.com/show/5KW9o9GXeZZnq0KbUSMOf4
これらを聴けば、いかに河本がお笑い芸人としてポンコツで、自覚的に井口に人生ぶら下がって生きているかがよくわかります。
このコンビを男女関係としたら、ヒモです。河本は、井口のヒモ。
井口にはピンの仕事が多くてコンビの仕事は少ないため、河本は基本的にヒマで普段は内装工事のバイトをしています。
たまに河本にテレビの仕事があっても雛壇に座ったまま何一つ言葉を発することはできず、たまに何かを喋れば場を凍らせるような発言をして当然放送ではカットばかり。
なのにコンビ結成初期にふたりは「ギャラはコンビで折半」という取り決めを交わしており、そのため「休みなく働いている井口よりも、ネタも書かずお笑いの仕事もほとんどない河本のほうがバイトの分だけ収入が多い」という逆転現象が起きています。
独身非モテキャラとして文字通り身を削ってネタを作っている井口の稼いだお金で、河本は妻子を養い幸福な家庭を築いています。
なので、ウエストランドファンの間では井口が河本を罵倒するのは当然、という共通認識があるのです。
知らない人がいきなりあれを聞いたらびっくりするのも当然なんですけどね。
井口はことあるごとに「私ひとりの力でM-1決勝に行きました」と言っていますが河本自身もそれは否定していません。悪びれもせず笑顔で「連れてってくれてありがとな!」と言っています。井口は「頼むから邪魔だけはしないでくれ」「早く解散してえわー」と返します。
そういう関係性なのです。
ヒモではありますが、とにかく従順に井口につき従う姿勢を河本は貫いています。
「ぶちラジ」を見ていると、ほんのたまにですが、井口が河本に対してとても素敵な笑顔を見せる時があります。一瞬のことなのであやうく見逃してしまいそうになりますが、それは普段の井口の心の闇からは想像もつかないような、純粋で穏やかな、やさしい笑顔です。
このふたりがお互いを心の底から信頼しあっていることは間違いありません。
おそらくインタビューでもこうした関係性は当人たちの口からは語られないことでしょう。
でも、上記のラジオ等で彼らのやり取りをとにかくたくさん聴けば、きっとわかると思います。
ふたりを結びつけている絆は、ちょっとやそっとの、いや、見ている者が引くくらい辛辣な罵倒であってもビクともしないくらい強いものだということが。
行政が行えば社会保障費の削減で元が取れるが、民間団体はそういったリターンが無いから他の支援手段の方が継続が容易だ。(あるいは住宅扶助額に見合わない超低コスト住居を提供すれば儲かる。これが大規模無低問題だ。)
生活保護をケチらなければハウジングファーストは流行るだろう。
しかし生活保護は4分の1が自治体負担なので、生活保護が増えると自治体は予算を圧迫される。国家的な社会保障費が減っても自治体にとっては国から降りる予算が減るだけなのでリターンがない。水際作戦が横行する理由だ。
生活保護を100%国負担にすれば、自治体は国から金を引っ張るために保護受給者を奪い合う逆転現象を起こせる。その場合は支援が過剰になって国庫を圧迫するが、それでも社会保障費の圧縮で元がとれるかもしれない。
そうなんでしょうね・・・いい感じにどこかにまとまってるといいんだけど、なんせ例がないと想像できなくて厳しい
医療者が反ワクに虐められすぎて攻撃的になってるみたいに、女性もネットだと性差別主義者に虐められすぎて面倒で攻撃的になっているのかな
それもそうなんでしょうね。特にここ匿名だから誰が誰かもわからないし・・・
セクハラとかに直接的に関与していない男性目線からすると、痴漢問題とかと同じでとにかく俺ら何もやってないのになんでそこまでボロッカスに言われないといけないの?なんで車両分けられるの?みたいな気持ちになりがちで過剰反応して攻撃的になってる人は多い気がする。俺もそうだったし、一方で女性も攻撃的になっていてなんだか本来戦う相手ではない層どうしが叩き合ってる気はする。痴漢問題で女性と痴漢してない男性がいがみ合ってるみたいな構図がいたるところにある・・・。
なんとなく心の底から善意で言ってそうなあたりがなんとも心苦しくなるエピソードだね
女性の少ない業種はセクハラや性差別が蔓延りやすいイメージもあるし、まだ女性の受け入れ体制が未熟な印象もあって理工系に行くインセンティブはだいぶ削がれると思う。
ちょっとずつ増えてはいるんですが、やはりまだまだ道のりは遠い。実際自分の学生時代を思い返しても教室に80人ぐらいいる中で女性は3人とかザラだったしね 1人とかの学年もあったな 看護系とかに授業に行くと完全に逆転現象が起きていて、最近はほんの少しずつだけマシになっていっている
異性にだけ全く違う顔を見せてる人間がいるという認識を持ってくれたら、女に見えてる世界は自分の見てる世界とは違うかもという疑念を持ちながら世の中を見てくれたら、変な男がいないかふと見回したり指摘したりしてくれたら、嬉しいよ
気を付けます
どっかにも書いたけどアメリカも猛烈な闘争の果てに今があり、前にカストロとかに行ったときLGBTQの戦いの歴史みたいなものを見てあぁ日本はこれからアメリカの50年前に突入するんだなと思ったものだけれど、性差の問題も同じく少しずつ前に進めていくしかないので今の若い人たちのフラットな価値観がもうちょっと遠くまで広まるといいですね