はてなキーワード: 送別会とは
予定決めたいなら、自分が稼働できる時間送ってくるなり希望の場所なり情報込みで送ってこいよっていつも思う。
こっちが「何時に〇〇でどう?」って送ると「OK」とかだけなのなんなの?王様かよ?
「うーんちょっと早いかな…」とかに至ってはどういうつもりなわけ?何時以降なら良いのか書けよ。
会社の同僚とかも
「送別会のプレゼントどうする?」とか送って来てダラダラダラダラ5人ぐらいでチャットすることあるけど
どうせ例年通りなんだから「1人500円集めて、総額〇〇円お花と入浴剤で考えてますが良い?」でよくない?
こういうことで1時間ぐらいチャットされたり大人数チャットで全員の質問お返事待ちとかされた日には、
「もう次からこの人に幹事はさせないようにしよう…」みたいな共通認識もしっかり生まれますね。ある意味いいことだ。
こんな感じで、自称仕切り屋の質問するだけタイプの人々が自然淘汰されていくのか知らんが、
年々いろんな場で主導権を握る人って限られていくよね。
でもコロナ終わった感で久しぶりの友人とも会う機会が増えてきた近頃、
「お前、このタイプだったのか〜〜〜」みたいな旧友と巡りあわせることも多くて、地味に嫌になる。だいぶ嫌になる。
今となってはだいぶ昔のことだが、就職したときに同じ支店に同期が一人いた
そいつは他支店に友達が多い典型的陽キャで、当時地味だった私は最低限の仕事の話くらいしかできなかった
同期は上司に叱られながらもうまく仕事をこなしていたが、私はパワハラに遭った上女性の契約社員たちに嫌がらせを受け続け1年で退職を決意した
そうしたら送別会のときにその同期がみんなの前で「もっと話をしておけばよかったと思う」とか言いやがってえっ今そういう事言うの?君私が泣いてても全く何も言ってくれなかったよね!?きっと上司に「あいつ1年で辞めるって言ってるけどお前同期なのに何も知らないの?」とか言われたんだろうな~~!!と実を言うと今でも根に持っている
家畜人ヤプーという本を知っているだろうか。
あらすじは置いておいて、徹底的な女尊男卑な世界観の本である。家畜として人間の男(日本人)が飼われ、使われ、家具としても加工される。
YouTuberかいばしら氏のチャンネルで紹介されていたものを本日読了した。
自分には、世の中の男の9割が家畜人ヤプーに見えていたのである、ということに気付いた。
いままで自分には羞恥心という感情が薄いと思っていた。例を挙げると、男性でも女性でも、聞かれればあけすけに話すことがある。スリーサイズでも、聞かれればなんでも答える。週末も送別会が控えているが、男の多い職場で上司からのいわゆるセクハラ質問・下ネタパラダイスが待っているだろう。ニコニコして質問に答えるだけで場が保つ。男性社員と違って、なんて楽なんだろう。
でも、考えてみると特定の相手には恥じらうし、羞恥心がないわけではなかった。
この本を読んで納得した。それはただ、みんな人間に見えていないだけだった。動物相手に恥じらう人間はいない。世の中の9割の男が動物に見えているのだ。
たぶん、彼らの前で着替える必要に駆られて服を脱ぐことがあっても、自分は羞恥心を感じることはないだろう。
目の前で股をおっぴろげることになっても、恐怖は感じても羞恥は感じないだろう。
ギンギンの馬や犬相手であれば、犯される恐怖はあっても羞恥はないものだ。
小学生の時に家庭調査だよって電話でパンツの色を聞いてきたおじさんも、中学生の時に小学校裏の山で目隠しをしてスカート履かせたままパンツを脱がせた上級生のいじめっ子男子も、高校生の時に身体検査って胸を触ってきた先生も、社会人になって初めて付き合った彼氏が小学生にいたずらしたのも、酔っ払って潰れた時に介抱するふりしてブラジャーの中に手を入れてきた同僚も、全て動物の行いだったなら仕方ないと思える。
すごく神経質で攻撃的ですが,表向きはいつもニコニコ過ごしていました。
○月○日 妙に色々食べてしまう時あり おなかすいてないのに食べてしまう
○月○日 腹痛あり ここのところ腹緩し
○月○日 胸が痛い 腹痛
○月○日 ひどい腹痛と下痢 腹痛による嘔吐 冷や汗 悪寒が止まらず 下痢終了と共に痛みは治まる 寒気 以降しばらくスープしか飲めず
○月○日 ヨーグルトしか食べられない 胸が痛い そういえば誕生日だった 夫からのメールで知る まめで優しい男だ
○月○日 おなかは問題なし 胸が痛い 腹がつる 眠気。情緒不安定 育児へ対する不安,仕事への不安 家に帰り家事するが,いったん外出する。
買い物して駅前で座ったまま,死にたくなる。ベンチで人波を眺めながら泣く。お腹にもう一人生きている人がいると思うと死ねない。でも死にたい。「死にたい」という言葉でしか自分の辛さを表現できない。
そして「このまま死ねばひとりぼっちじゃないまま死ねる」という言葉がこの世に存在することについて考え泣く。家に帰り,夫を心配させたことを知る。すまない。
○月○日 腹痛 腹がつる 眠気
○月○日 腹痛 背中 腰が痛む しかし時折。生理痛に似た痛み。旧姓使用について職場で揉めて疲弊する。また死にたくなる。
母から誕生日プレゼントが送られてきた。ありがたい。夫に愚痴って少し回復する。肉を食べる。
○月○日 旧姓使用について職場で渋られて最悪の気分 引き続き乳痛し
数日前久しぶりに固形のものを食べたため,腸の痛みなのか妊娠初期症状なのかいまいち判別がつかない。
早く寝たため終日わりと元気。ものが沢山食べられず,食べるとすぐ満腹になる。胃が変
○月○日 引き続き乳は痛い すぐおなかいっぱいになる
昼にタイカレーはぺろっと食べてしまったが,夕飯時に何か食べると気持ち悪くなるのは変わらず タイカレー以外しょうもないものしか食べられない
流産に関する記事ばかり読んで不安になる。夫に相談するが得に良い効果なし。嫌な気分になってしくしく泣く。
そうなったら責められるのは私なのだ。
買った小さな靴下や哺乳瓶、かわいい小さなおもちゃを処分するのも私なのだ。
流産したら自殺する事に決める。そうすれば流産した時のことを心配しなくて済む。
遺書を書いた。
○月○日 目が覚めたら多少まともな頭になってきたが,体全体がだるく熱っぽい。
腹はぼちぼち痛むが弱いもの。頭がふらふらして重い。大丈夫なのか?
○月○日 終日しんどいがいくらか家事をする 夫に風呂を沸かしてもらうが,ぜんぜんちゃんと風呂釜が洗えてない
姑か私は。
散々私をなじった姑は、息子に家事も教えなかったんだろうか
デカい息子のようで本当に世話が焼ける
○月○日 立っても座ってもつらい。電車もつらい 母に電話してすこしおちつく 互いの夫の悪口を言いあってすっきりした。
すっきりしたところで夫が帰ってくると罪悪感からかよい人に見えた。事実良い人なのだろう。
夫に尻をポリポリかかれてそのまま寝てしまった。カピバラと同じレベル。
○月○日 通勤つらい だるい 熱っぽい ここ最近ずっと黄色い鼻水が出る
なんとか仕事は進んだのでよしとする。早く帰りたい。貰ったぶどうがおいしかった。でも帰ってぶどうを吐いた
○月○日 妊娠出産は漫画にしようと決意 今日から先輩主催のラジオ体操休むことにした しんどい
○月○日 昨日の怒りのせいかあまりつわり感じず,収まったかと思いきや結局ゲロしそうになる。
頭が重い。しかしつわりが止まると途端に不安になるからこれはこれで安心。
ボスと女性社員にしか妊娠を告げてなかったので,そろそろ男性社員に妊娠を話す。元気なのでラジオ体操した。
○月○日 検診2回目 順調。 母子手帳をもらうこと、産院をはやく決めるようにと指導があった
○月○日 新しい仕事をベテラン上司に教えてもらうも途中で座っているにも関わらず貧血起こして座っていられなくなる。
動悸,眩暈,立ち眩み,ひどい吐気。しかしベテラン上司がまるで気づかないし,独身のオッサンには言い出しづらくて仕事は続行。
トイレと言って抜け出し,ゲロして少しマシになる。おそらく空腹のせい。こんな無理する必要ないのに,休みたいと言えない。
○月○日 このままでは電車通勤時に倒れてしまうと思い、実家へ帰る。
暖かく清潔な家で清潔な風呂に入りふかふかのふとんで寝る。
不潔な家に住み,訳の分からない料理を食べているであろう夫へ罪悪感を感じる。
○月○日 また吐く 実家からだと通勤が非常に楽になった。座れること、混んでいないことが本当にありがたい。
お腹が痛く、便秘気味 倦怠感はあいかわらず夕方風邪のような症状 絶対に風邪なんかひきたくない
咳やくしゃみしてる奴全員殺人未遂者に見える。私も風邪を押して仕事していた時にばら撒いた菌が誰かを殺したことがあるのかもしれない。業が深い。
近くを自転車や車がすれすれで通り過ぎたりするのも怖い
これでぶつかって流産したら…流産したら死ぬことに決めてたんだった。
自殺の方法を調べると、相談窓口がでてくる。無視して調べると睡眠薬と首吊がよさそうだ。
○月○日 今日も吐いた 最近よく吐く 過敏性腸症候群なのか、便秘なのに下痢のような腹痛がある。
お腹がつっぱるような痛み 倦怠感がつよく、夕方はへろへろになってしまう
夜は将来と夫のことが不安だったが、母に話を聞いてもらって楽になる
○月○日 気持ち悪い 最近は電車からおりるたびにすぐ駅のトイレでえづいたり吐いたりしている。
気持ち悪いがご飯は気持ち悪いなりに食べたほうがいいようだ。それでも立っててもすわっててもしんどい
○月○日 育休がとれないとの連絡がくる。想定内の出来事だったにも関わらず,世界中の悪意を背負い込んだようなダメージを受ける。
今まで他人に対して行って来た善行が全て無駄だったように感じてくる。
○月○日 朝から昨日の「育休とれないメール」のことがあたまからはなれない。
部屋でびーびー泣いて夫に電話する,夫は明るく励ましてくれたが、通話を終えると更にしんどくなる。
泣きつかれて夕方まで死んだように眠る。起きてまた泣く。どうしようもない。
母に少し憂鬱だと話し,考えすぎだと言われて多少楽になる。
育休は産休直後にとれないものの,育休取得可能日まで休職することにする。
それでもだめなら辞めればいい話だ。
○月○日 比較的元気に過ごす 10週に入ってつわりが少し楽になったか?
○月○日 連休最終日 朝元気 後に激しい腹痛と下痢 貧血 寒気がとまらない ひどい眠気
実家に夫が来たので将来の不安について語る 母の助言で多少楽になる
夫が地元の祭りに行こうというのでついていくも,具合がひどくてすぐに座りたくなる。
○月○日 疲労感 引き続き腹痛を伴った排便 朝吐いて,通勤中に買ったポカリも吐く
吐いて少し食べて,多少よくなる。しかし食べるとしばらくしておなかが痛くなって排便することになるので苦痛
○月○日 午後は早退して妊婦検診へ。11週。5cm。順調とのこと。
この日初めておなかの外から超音波を当てられた。何の説明もなかったので少し驚く。
職場から実家ではなく久しぶりに自宅へ帰るとひどい有様だった。実家がきれいな分余計つらい。
トイレットペーパーの芯がいくつも置いてある。居間は髪の毛と埃だらけで万年床が設置されていた。
怒りが頂点に達し,掃除する
まるで食欲はないけれど夫のために飯を作っておく。部屋の小物を片付け,シンクが汚いので磨く。
この時点でだいぶぐったり。多少マシになった部屋で休憩する。
ごはんを食べずに待っていると余計具合いが悪くなってきた。
お菓子をつまんだが,嘔吐。夫の帰りを諦めて先に食事をとるが,あまりおいしく感じない。
空腹の時間が長すぎたせいと,鼻炎のせいもある。なんとか胃に押し込んだ。
こたつでぐったりしていると8時に夫帰宅。家がきれいになっている事に喜ぶ夫。
家の不潔さに抗議するが,効果はない。彼は汚い部屋部屋への耐性が強い。
その後何度か吐いた。一日で計10回吐いた。
今までで一番吐いたかもしれない。
○月○日 土曜日 朝,夫を起こすも起きない。仕方なく先に食事をとる。
何を食べても美味しく感じない。起きた夫がしなびたトマトと豆腐のサラダを作ってくれた。
どんな顔をして食べればいいのかわからないが、感謝して食べる。気持ちが大事。
いつ変えたかわからないキッチンと洗面所のタオルを取り換えて洗濯機を回す。
夫に干させる。夫に掃除機をかけさせ,その後を床ぶきした。ほこりがひどい。
トイレの床も気になったので床を拭きに行き,そのまま便器も掃除した。吐きそうだ。
掃除の後,掃除したての便所で吐く。洗面所も掃除する。ひどい匂いだ。また吐いた。
風呂場からもひどいカビの匂いがする。日当たりが悪いせいで,おそらくこの賃貸は掃除してもしてもカビと縁は切れない。
次回徹底的に掃除することに決める。
今回は無理だ。
掃除すると多少マシになった。疲れて寝てしまう。夕方起きて,夫に買い物へ連れて行ってもらう。
しかし吐き気と倦怠感がひどい。すぐにでも吐けそうだ。トイレの消臭元とそのほか食材を買って帰る。帰り次第すぐ吐いた。晩御飯に煮込みうどんを作ってもらう。作り方がわからないというので教えた。
作るのが遅すぎて空腹でまた吐いてしまう。味付けのみ私がやった。あまりおいしいと感じない。
夫は喜んで山盛り食べた。将来の不安について話すと,今考えてもしょうがないと言われる。
正論である。正論だが,実際考えなければならない場面になっても結局私が解決しなければならないと思うと腹が立つ。
お皿は言わなくても洗ってくれた。
○月○日 日曜日 帰る気力がないので月曜まで自宅にいることにする。
今思えば土曜日に帰ればよかった。終日具合いが悪い。最悪の気分だ。
何を食べても気持ち悪さが治らず,便秘が再発して大腸が痛む 夫は友人と遊びに行った。
でも友人との出先でゲロ連発して座り込むのも悪くてできない。
みじめ。
吐く回数が多すぎるので,洗面器にゴミ袋をかぶせて居間に設置し,都度吐く。これならトイレに逐一行かなくて済む。
夜遅くに夫が帰宅する。頼んでいたアイスを買ってきてくれたが,起き上がって話を聞く気力もない。
何もしてやれない。夫が吐いたものを捨ててくれたようだ。優しい男だ。自分が情けない。
自分で自分の体調不良に疲れた。9月からもう2ヵ月ほど体調不良が続いている。
○月○日 最悪の体調。終日気持ち悪く,頭痛がひどい。なんとか仕事して実家へと帰る。
夫に家の掃除をまともにやるようにメールをする。あながち八つ当たりでもない。あの家は不潔すぎる。
以前私も不潔にしていたが,週末は必ず掃除していたのでなんとか大丈夫だったが今はそれがないのでひどい有様だ。
○月○日 昨日よりだいぶ良くなったものの相変わらず朝からゲロ。職場についてもゲロ。
自分にもしもお嫁さんがいたらしてほしいことと,今の自分にそんな体力はそもそもない事がせめぎ合って,結局無理して家事をしてしまったようだ。
ろくなことがない。
○月○日 体が重すぎる 午前中丸々休み、明日以降通勤緩和で出勤時間を遅れさせてもらうことにした。
午前中は比較的よかった。通勤中吐き気と倦怠感がひどいが、CCレモンでドーピングする。
職場へ行くと別の部署のおじさんがハイビスカスをくれた。素直に嬉しい。おばちゃんがカレー缶をくれる。人の親切が染みる。
でも七回ほど吐く。最近食べてもつわりがよくならない。おにぎりをたべると多少マシになる。
しかしあまり美味しくは感じない。つわりが収まっている一時的な元気を使ってマフラーを買う。
土曜日の散髪を決める。元気だったら行きたい。さすがに美容室でゲロしたくない。
○月○日 今日から通勤緩和 ゆっくり行けるのは精神的にも楽だ。実家にはすっかり甘え通しである。
なぜ夫には感謝する気が起きないのかわからない。たぶんこのつわりの半分は夫のせいなので、
何をしてもマイナスがゼロに近づくだけだからだろう。私は夫に期待しすぎている。彼には酷かもしれない。
事務の人に,調べもののお礼を言うと案外体調を心配してくれた。依然に感じた孤独感とか疎外感とか,
感じてた悪意とかがほぼ勘違いだったことに気づく。でも育休ぐらいそのまま採らせろよ。4年は働いてるハズだろ
○月○日 朝は元気 でも食後2時間で具合いが悪くなるのは変わらない。
昨日今日と,昼休みに少し眠れるのがありがたい。先輩のおばちゃんが出張でいないためである。
先輩おばちゃんは寝ている私を「大丈夫?」という声のもと起こすので,無理やり覚醒して低血圧で具合が最悪になる。
おばちゃんがいないとこんなにも楽だったのかと,初めて今までだいぶ気を使っていたことに気づく。
少しゲロの回数が減った気がする。しかし今度はおなかが痛い。明日のおでかけまでにはまた便秘になってほしい。
○月○日 池袋で散髪する 散髪中下痢もゲロしなくて本当によかった さっぱりした 切ってくれたお姉さんが世間話で普通に3.11の話出してきたけど,あの地震と津波で身近な人を亡くしたり,危険な目にあったPTSDの人もいるので安易に話題にしない方がいいのではないかと思ったが黙っておいた。他人に変化を望むのはあまり得意ではない。つまり冷淡だということだ。
○月○日 金曜日 職場から自宅に帰る 前と違って無理に夫と一緒に食事をとるのをやめて,先に食べることにするとだいぶつわりが改善された。以前より夫も色々と家事をしてくれているようで嬉しい。でも日曜日に帰る。
○月○日 新しい派遣の人が来るらしい。私の母親ほどの年齢の新人だ。もう既に気が重い。
○月○日 わりと元気。朝はだいたい元気。問題は魔の10時と夕方。いつもゲロ吐きたくなる時間だ。
吐けばまだ楽。職場ではまさかの大掃除。けっこうきつい。無理するんじゃなかった。
定時になってもへとへとで家に帰る気力がない。一時間ほどデスクで休んでやっと帰る決心がつく。
しかし気持ち悪い。駅につくなりゲロ,歩いて帰れそうにないのでついにタクシーに乗る。
タクシーで吐きそうになり,家についてもゲロ。 またゲロ生活に戻ってしまうのか。
○月○日 朝から体調不良 ずっと寝ていたい 目は覚めたものの起き上がれない
えずくが何も出ない。珍しい。いつもは吐く。 昨日の大掃除のダメージがきつい。
あまり食欲がない。けど食べなければならない。昨日の仕事。ミスしてたことに気づく。
エジプトで捕まったことのある先輩に相談しなんとかレスキューする処理をした。うまくいっていることを祈る。
朝食べたはずなのに気持ち悪い。10時に間食がとれなかったせいだ。
あわててバナナを食べるも,食べながら気持ち悪くてオエっとなる。
無理やり飲み込んだが,吐気は収まらない。表情が虚ろすぎて先輩に心配されてしまう。
普段はどんなにゲロ吐いても元気はつらつなふりして仕事してるけど今回ばかりは無理。
適当に休んですぐ作業再開。 昼ごはんを食べたら少しマシになる。しかし気力がない。
誰もやらないので明日来る派遣社員のために掃除しておいてあげる。私っていいやつだな…
○月○日 寝坊したのでリンゴとヨーグルトしか食べられなかった。仕方なく駅で飲み物とカロリーメイトを食べるが時すでに遅し
駅から職場に向かう途中で吐く しかし吐いたものを出すところもない 仕方なく呑み込んだ。
本格的に吐いたゲロを飲んだのは初めてかもしれない。若いと色々初めてのことがあるものだ。
折角掃除しておいたのに派遣の人は来なかった。上司の連絡ミスである。よくあること。
エジプトで捕まった先輩に「つわりがあともう少しで完全に終わりそうだ」と話すと、「楽でよかったね」と言われる。
楽で良かった
楽で良かった…
ゲロ吐きまくってついには吐いたゲロ飲み込んだ女に向かって言うにはピッタリな言葉ですね。
この男に妊婦への気遣いなんて求めたところで,人間に対して「肉眼で紫外線を察知しろ」と言うようなもの。
この程度の発言驚くに値しない。
若くて明るいお姉さんが来てくれると,たとえ日本語が通じなくても嬉しいものだった。
けっこう会話できたのがうれしかった。さみしい。
みんな子供の名前候補を滅茶苦茶に挙げてくる。応援がうれしい。
○月○日 新しい派遣社員の柔軟剤の匂いがきつい。吐きそうだ。席替えしたい。
彼女は見た目が…ディズニーの王様の剣の…マダムミムという魔女に似ている。
夕方くたくたで、帰る気力が出ない。
就業後帰るまですこしデスクで休んだ何がつらいって,私の具合が悪いことを職場では誰も知らないということだ。
でも具合が悪い時毎回申告してたら朝から晩まで具合が悪いといっていることになる。
ゲロ吐くたびにさっきゲロしましたと申告するわけにもいかない。弱音を吐いて何になる?
私だけつらいわけじゃない。みんな疲れている。
しかしながらどんなに平気そうにしていても,唯一ボスは声をかけてくれる。あの人は本当にいい人だ。
そういう時は私もボスの体調を聞くことにしている。そして大抵,お互い具合が悪いことを確認し合う。
○月○日 多少倦怠感が薄れただけで無理して夕方になると風邪のような症状
月曜から少しずつ体力を消耗していき、金曜で体力ゼロになってしまう生活
しかし妊娠初期からずっっっっと悩まれていた謎の黄色い鼻水が止まって何よりだ。
つづく
転職して1年経って、会社の人たちでベテランさんの送別会やろうとなった時に、
1人だけコミュ障の新卒がいたので、その新卒以外の人全員に声をかけた。
そしたら、会社の人があちこちで飲み会の話をしだして例の新卒にバレた。
それで上司に、「あの新卒は呼ばないということにしようと思ってますので、
なるべく話題を控えて頂けますと助かります」と言ったら、「え、なんで?」と聞かれた。
「やだなあ察してくださいよ」と言ったら「なんで?」と怒気を含んだ声でまた聞き返された。
「あの子の話はつまらないってみんな言ってますし、みんな嫌ってます。
呼んでどうするんですか?むしろ気を使ってお伺いを立てたんですが…」と聞いたら
前の会社だと、気に入らない人は呼ばれなくて、
翌日皆が話してるのを聞いて事情を知る、みたいなことが当たり前だった。
あとは「あなた以外のみんなで飲みに行くから」って声をかけたりするのも。
同業だし、それが当たり前だと思ってむしろ気を使ったつもりだったのに
ダメなんだ!?とびっくり。
「飲み会来る人も来ない人もとりあえず声をかける。後から知るってことほど嫌なことは無い。
歓迎会や送別会は全員参加が基本。そもそも誰かをハブにするとかありえないし、非常識。
40歳よりちょっと上だが、社会人採用で今年の4月から公務員となった。
採用試験に合格したときはとても嬉しくて、これでやっと定年まで安心して勤められる職場に出会えたと思ったのだが、既に色々とギャップに戸惑っている。
安定した環境でそれなりに給料が貰えて福利厚生がしっかりしているのが公務員だと思っていたのに、全然違った。
末締め翌月払いなのに4月に給料が出るらしい。末締めなら4月に振り込まれるのは3月分のはずでは。貰えるなら貰うけどなんで?正直、良いことはこれくらい。
・タイムカードが無い
・始業時間よりかなり早く出勤する
新入職員らしく30分早く出社したのに、既にほかの人は来ていた。次からは更に早く出勤することに。なんで?
・サビ残が当たり前
タイムカードも無いし、残業の申請をするわけでも無いし、上司には定時で帰ると報告しているし、でもみんなかなり遅くまでいる。
・静かすぎる
内緒話かと思うレベルの音量で喋っている。それに合わせて喋ってると声出なくなりそう。
人と話すの面倒くさいから別にいいけど、昼休みでさえ誰も一言も喋っていなくてちょっと怖い。
朝の挨拶すらなくていつの間にか座っている人がほとんど。挨拶する人も上司にだけどか、声の音量小さすぎるとか、普通の挨拶がない。
これだと多分新卒で入ると、社会人としての最低限のコミュニケーション能力を獲得するのすら時間かかりそう。
・前職のほうが給料がいい
まだ確実な給料は分からないが、俸給表を見る限り前職のほうが高い。貰えそうな手当もほぼない。
別に前の会社が特別給料が良かったわけでもない。ごくごく普通で、働いていた頃はむしろ少ないと思っていた。それより少ない気配がする。
社会人採用でも号俸が上乗せになってるくらいで役職はぺーペーからスタートなので安い。
ただ、新卒で入って自分と同じくらいの年齢の人は役職が上がってもっと貰ってるかも。
・名刺が自腹
なんで?
・縦割り過ぎる
民間を何社か経験しているが、どこも中小だからか上司や社長も専務等々、みんなフランクで話しやすく、愚痴を零したりも当たり前にできた。今は役職ついてる人全員近寄りがたいし偉そう。
何をするにも全部伺いを立てる必要があり、まだろくな仕事をしていない自分の目には、伺いを立てることが仕事そのものに見えてしまう。
そもそもそのお伺いを立てる流れが良く分からなくて質問したら、何で分からないのだみたいな顔をされてしまった。
・辞めても失業保険が貰えない
退職金が失業保険の代わりと説明してあるサイトを読んだが、退職金は退職金で失業保険は失業保険じゃないのか。普通の(退職金がちゃんと出る)民間企業なら退職金を貰い、かつ失業保険も貰えるのに。
・組合
タイムカードがなくサビ残で定額使い放題なの、組合は何とも思わないのか?
組合童貞が思う組合の存在と、実際の組合の役割は違うのかもしれない。職場環境を改善するのが組合だと思っていた。
ほぼ全員入っていると言われ、浮きたくないから入った。せめて勧誘の時に組合費を教えてほしい。そこはだんまり。
レクだの何だの興味ない。送別会やら何やらのビンゴで高額商品を景品にするくらいならそれに係る費用を全員に按分して配ってほしい。それらの行事も全て中止なので、やっぱり金を配ってほしい。
熱いお湯さえ確保できればコンロは別に無くてもいいけど、新卒で入った会社の人達は昼休みにアルミ鍋に入った鍋焼きうどんを茹でたり、冷凍庫で冷やしていたアイスをおもむろに食べ始めたり、そっち方面出身者が芋煮を振る舞ったりしていたのでコンロは必須だと思っていた。
昼休みが静かすぎて鬱々としてくるので、たまに来てくれると清涼剤になって自分としては嬉しい(保険に入りはしない)
素手で触りたくないような洗剤も全て素手で使うので荒れそうで嫌だ。業務としてやらせるなら手袋用意しろや。
働いていたときは文句ばかりだったけど、民間の仕事のほうが面白かったし活気があって良かったし、プロジェクトの一員として大きな仕事を動かす達成感なんかもあった。
達成感とかどうでもいい、とにかくワークライフバランスがまともで福利厚生が良いいところで働きたいと思って公務員に転職したのに、実は自分にとっては仕事の面白さも重要だったのだと、失ってみて分かった。
これに関しては自分の考えが浅かったのだと思っている。
でもまた転職するガッツはない。大したスキルもないから今以上に条件は悪くなるのが確実だし、失業保険がないのが地味に痛い。
独り身で養う人もいないし金のかかる趣味があるわけでもないから転職して生活に関わるような大問題が起きるわけでは無いが、転職活動がただただ面倒くさい。
幸い定年まで20年もないからこのまま定年までなんとかやり過ごそうと思う。
まだよくわからない部分も多いから上記には入れなかったけど、異動がよくあるくせにろくに引き継ぎをせず、それぞれの解釈でやってる仕事なんかが端から見ていて見受けられる。そういう独特の文化も妙ちきりんだと思ってしまう。
地方は特に公務員信仰が強い。公務員になりさえすれば一生安泰みたいな意識がある。
でも、きちんとした民間のきちんとした会社に入った方が楽しい人生を送ることが出来るのじゃないかと今は思っている。公務員は組織としての体質が古すぎる。働き方改革なんて言葉は存在しなかった。
そんな感じで眠れない夜を過ごしている。
送別会の夢を見た。
前の会社には新卒で入った。終身雇用は夢見ていなかったが、会社に愛着はあったので、数ある危機も、会社の死に水を取るつもりで敢えて脱出することは無かった。
いくつかの危機の後、激務の果てに、周りの人間が脱出を試み、そしてある時自分もこの会社を支えることが出来ないと自覚した。
なんとか業務を健全に保てないかと8am-11pmで奮闘し、慣れない英語で人材を確保し、人材派遣の会社と闘いながら日々の業務+改善を進めて行った。
しかしそれも叶わず、とうとう心が折れ、内に籠って休職し、うつ診断後闘病し、フェードアウトするようなリタイアを選んだ。
収入と支出をしっかりと検討した結果、今の貯蓄で充分年金まで持ちこたえることが出来、そして年金だけでその後もやっていける見通しがついた。
なので失職後は再就職を目指すことなく、FIREの道を進んだ。隠居。
休職からの退職、在籍中の人々からは消えるようにいなくなったと思われただろう。
挨拶も何もなく、ただ消え失せたと思われただろう。
退職後、幾度も「どうやって退職するか」を苦悩する夢を見た。既に退職しているのに。
20年以上、自分の生活の中で大きな部分を占めてきたのが、仕事だった。
そのアンヴィヴァレンツな状況のまま膨大な作業量とプレッシャーに耐えられなくなり、休職した。
休職後は、復職するだけのモチベーションを見つけられず、退職を選んだ。
(傷病休暇中という立場で、会社から復職するか意図を聞かれたが、それにどうしても「ハイ」と答えられなかった)
辞めた身から、まだ現場にいる同僚には自身の辞職については何も言い訳ができない……と思っていた。
「お前が弱いからだ」「お前がしっかりやらなかったからだ」という責めについては表立って受けたことは無いが、退職を選んだ時にすべての関係者から責められてもいたしかたないと思っていた。それだけ罪悪感を感じていた。
後ろ指を指されて当然と思いながら退職した。
しかし自分には、その過去の知人友人同僚を捨ててでも、あの立場から脱出する必要があると考えていた。
自死や希死観念と戦いながら、「周りにいる人を悲しませない」ために取れるただ一つの手だと思っていた。
そこは、後悔ばかりの選択の中で、胸を張って「間違っていない」と言える選択だった。
それは在籍中の楽しい思い出(20年も務めているのだから、そりゃあ色々楽しい事もあった)を失う羽目になった、という思いも少なからずある。
人生の半分をその会社と共に過ごし、それを失ったのだから、当然そう感じるだろう。
そんな思いに折り合いを付けながら、隠居生活を3年ほど続けた。
そして、先日夢を見た。
その夢の中では、どんな理由かはわからないが、自分は退職して、そしてその送別会に参加していた。
仕事上縁があった沢山の人たちが酒を交わしながら、これからも頑張れよと声をかけてくれた。
今では名前も思い出せないが、確かに顔は覚えている元同僚が、沢山集まり、一緒に飲んでいた。
目を覚ましてしばらく茫然とし、そして泣いた。
彼らにお別れを告げられぬまま退職したという後ろめたさ、祝福されて次のステージに移りたかったという想い、その両方から泣いた。
今となっては彼らにどうやって3年前の別れを説明して良いかもわからない。
自分に耐えられるだけの力があったら、もっと頑張って仕事で彼らを支えたかった。
しかしそれはもう無理だと判断し、捨てることで自分を保ってきた。
忘れようとして忘れていたのに、こんなことで思い出すとは。
彼らからしたら「いつも見ている同僚が一人いなくなった」「仕事で縁がある人が一人いなくった」ということだろう。
自分がいなくなったとしても次の担当者が取って代わるだけで、本来の仕事には支障がないはずだ。いや、支障が無いからこそ自分は退職という道を選ぶことが出来た。
自分の退職が、彼らの負担にはならないと思ったから。そう信じたかったから。
あの時の自分はそう選択したけど、そんな選択をしなくても良い状況だったら良かったのに、とは常に思う。
楽しかった仕事もあった。みんなに挨拶して、笑顔でお別れを言いたかった。
あの時挨拶出来なかったみなさん、ごめんなさい。
Wikipediaで真珠湾攻撃の記事を読むと、昔の日本人は無能だったことが分かります。
失敗は他人のせいにして、誰も責任を取らない姿勢は今も昔も変わりがないでしょうか?とても残念です。
https://anond.hatelabo.jp/20220319102718
「リメンバー・パールハーバー」というのは単に「真珠湾を思い出せ」というだけの意味ではなく、人類史上最悪の戦争犯罪である原爆投下を正当化するための合言葉なんだよな。これもまた「犬笛」なんだよ。だから日本人は怒ってるわけ。
東郷から駐米大使の野村吉三郎宛に、パープル暗号により暗号化された電報「昭和16年12月6日東郷大臣発野村大使宛公電第九〇一号」は、現地時間12月6日午前中に大使館に届けられた。
「帝国政府ノ対米通牒覚書」は現地時間午後2時20分に特命全権大使の来栖三郎と大使の野村吉三郎より、国務省において国務長官のコーデル・ハルに手交された。
宣戦布告の通知書を相手国に届けるのが遅れてしまい、結果的に奇襲攻撃になってしまいました。
事前に宣戦布告ができなかったので、日本はただの卑怯者になりました。
一事が万事。計画が杜撰だったので最初から失敗。日本が負けるべくして負けた戦争でした。
肝心なところで失敗するのは、やはり頭が悪いからという他ありません。大変残念なことです。
1994年11月20日に外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開した。
この調査などに基づく通説では、6日夜に大使館員が南アメリカへ転勤する寺崎英成の送別会をメイフラワー・ホテルの中国料理店で行っていたこと、奥村が送別会後も大使館に戻って浄書を行わず知人の家にトランプをしに行っていたこと、奥村の英訳親書の浄書・タイプが遅れたこと、14分割目に「大至急」の指示が付されておらず「帝国政府ノ対米通牒覚書」[257]本文の続きであることがわからなかったことなどが原因であるとされている。(この外務省調査は本来行うべき外務省からの発信時刻を調査対象から外しており、その点に大野は疑念を呈している。)
このような大使館のミスによる失態であるとの通説に対して、奥村とともに責任を問われることがある大使館総括参事官の井口貞夫は生前に「自分の管掌事務ではなく、この対米通告が宣戦布告だとは承知していなかった」と主張していた。
またその息子である井口武夫元ニュージーランド大使も、彼自身の調査研究の結果として外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして、奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。
真珠湾攻撃の2日後の12月9日には、ポートランドのオレゴニアン紙で、アラモの戦いでのスローガン「Remember the Alamo!(アラモを忘れるな)」を改題した「REMEMBER PEARL HARBOR!(真珠湾を忘れるな)」とのフレーズが早くも登場している。
ルーズベルトが汚名演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」や「背信行為」と激しく非難するなど、アメリカ政府が真珠湾攻撃を「だまし討ち」と喧伝することによってアメリカ国民の愛国心はさらに高まることとなり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズはたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなった。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、アメリカの議会で「真珠湾攻撃を思い出せ」と訴えています。
日本人は、過去の失敗から教訓を得て、同じ失敗を繰り返さないよう賢明になるしかありません。
しかし、アメリカが広島と長崎に原爆を落として、大量の非戦闘員を殺したのは戦争犯罪です。
「REMEMBER PEARL HARBOR!」は「REMEMBER HIROSHIMA!」「REMEMBER NAGASAKI!」とセットで覚えておくべきです。
アメリカが日本に原爆を使ったのは戦争犯罪であるのと同様に、ロシアがウクライナに原爆を使うのは戦争犯罪なのでやめるべきだとゼレンスキーは日本の国会で主張するべきでしょう。
日本の国会における演説では、日本人向けに「核兵器の使用は戦争犯罪である」「核兵器を所持する者、核兵器を使用する者は人類の敵である」と明確に主張してください。
その同僚は飲み会嫌い(お酒飲めない、大勢のところ苦手)であり、
コロナ禍で歓送迎会がなくなっていることをこの上なく喜んでいた。
まあでも部長も参加するし主賓だし渋々来るんだろうなと思ったらコロナ陽性で自宅待機しなければならないとの連絡が来た。
他の方は心配していたが、その同僚と仲のいい私は「コロナという嘘をついて送別会参加を拒否したな」と気づいてしまった。
同時に「コロナって会社のイベントを断るにあたってすごく便利な言い訳なんじゃないかな」と思った。
体調不良とは異なりこのご時世ではまず疑われない。自宅待機だし。
同僚は熱は出ていないとのことでバリバリ仕事もしている。メールもすぐに返ってくる。
しかも1週間程度は自宅待機になるため、歓送迎会であればリスケの可能性も減るだろう。
昔の話を思い出したのでメモしておく。
CAD屋がベースで人材業もやっていた会社の人材部門に所属していて、
別の人材会社から別業種のお手伝いの誘いがあって、そっちに所属することにしたときの話で。
自分は誰でもできる作業しか常駐先でやってなかったし、次のとこは分野的にはお隣さんだけどお前んとこの人材部門の取引先ないやんけ、どうするつもりなのかしら、と思って。
当時は若かったので、「そんなことができるんですね~すごいです~」とよいしょしてお開きにしたけども。
それからさらに縁あって2部上場企業に転職して今は課長だけども。
この10年大変だったけど順調に仕事できてるし、年収は2倍になったし。
ふと思い出したので書きました。
社員のほとんどが親会社の人が占めていて、子会社の社員が少数混ざる形で配属された。
良くも悪くも古い体質で仲間とか、助け合いを重視して
子会社の僕たちも、同様だった。
けれど
「プロパー」と半ば蔑称気味に呼ばれて、少しだけ違う待遇だった。
有給の数が違うとか、そもそも親会社の社員とは違って祝日は休みじゃないとか。
「俺は親とか子とか関係なく、対等にあつかう!仲間だから!」と
ワンピースが好きな上司は「仲間」を強調して励ましてくれてた。
僕が務めていた間には、親会社の人たちが何人か退職して、その度に規模の大小の差はあれど、必ず送別会が行われていた。
しかし最後の日、あれほど「仲間」を強調していた上司は、僕より先に帰ってしまった。
結局、心のどこかで「こいつら子会社のヤツら」って区別されてたんだろうなあ、と思う。
ずーっと思っている。
2021/3
日本医師会・中川会長、“噂の女性”と高級寿司デート 3密の店内でシャンパンを飲み
2020/4
集団での会食を機に、初期研修医18人の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の集団感染が発生したことを受け、慶応義塾大学病院は4月6日、病院長の北川雄光氏の名前で声明文を公表。「ご迷惑、ご心配をおかけした関係の皆様、社会全体に深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
2021/3
政府が新型コロナウイルスの感染拡大で国民に外出や会食の自粛を要請している中、厚生労働省の職員23人が深夜まで送別会を開いている事が分かり、会合を企画した真鍋馨・老健局老人保健課長(1995年、旧厚生省)が更迭された。減給10分の1(1カ月)の懲戒処分を受けた真鍋氏は医系技官の「エース」として知られ、省内からは「こんな時期に何をやっているんだ」と、怒りとも失望とも取れる声が漏れる。
数々の困難を乗り越えて五輪への出場が叶い、おめでとうございます。
オリンピックは皆様にとって一生に一度のことだと思います。庶民にも多くの「一生に一度」のことがあり、それを今回のコロナ禍で諦めざるを得なかった人が大勢いるのですが、庶民の一生とスポーツエリートたる皆様の一生とは等価値ではなく、当然皆様の一生の方が価値のあるものです。下級国民の逆恨みに負けず頑張ってください。
皆様、オリンピックに人生をかけてこられたのでしょう。飲食店の店主も飲食店の経営に人生をかけてきたわけですが、まあ彼らのような下級国民と世界に誇るアスリートたる皆様とでは人生の価値が根本的に違いますから、皆様の人生の方が政府から優遇されるのも当たり前だと思います。アスリートファーストってやつですね。アスリートの人生は平民のそれより重いのです。
バッハ会長が政府要人から歓迎会を開いていただけるのも喜ばしいことです。世間では新入社員の歓迎会もベテラン社員の送別会も開けていない企業がたくさんあるでしょう。しかし、オリンピックという4年に1度の興行は彼らのような庶民の人生の転換点よりも遥かに重要なのですから、オリンピック関係者が特別扱いを受けるのは至極当然ですね。五輪貴族・スポーツ貴族の皆様には貴族にふさわしい接遇を受ける権利があります。平民が同じ待遇を求めるなどおこがましいにもほどがありますね。
海外からの選手の隔離が簡略化されるのは実に素晴らしい。一時帰国を希望する日本国民は14日間の隔離に耐え、日本への留学を志す留学生に至っては渡航許可すらままならない状態が続いておりますが、母国に帰ってこようとする同胞や日本に憧れ日本について学びに来ようとする未来の知日派よりも、五輪が開催されるならば場所はどこでも構わないというグローバルな意識をお持ちのスポーツ選手の皆様が厚遇されるのはまさにグローバル化時代の象徴といえます。狭量な愛国心にとらわれずグローバリゼーションを目指す決意を感じ取りました。
池江璃花子さん、あなたは白血病という大病からの復活を成し遂げられました。白血病は血液のがんであり、とても重い病気ですが、それを乗り越えたあなたの努力には敬意を表します。コロナ禍で医療崩壊した大阪ではがん病棟が縮小され、がん患者の治療が後回しにされるという事態になりました。五輪後の東京でも同じ事態になる可能性があるのですが、まあ、あなたが同じ病気というだけで他のがん患者のことを心配しないといけない義理はどこにもありませんから、そんな些事はお気になさらず競技に邁進なさってください。治療が間に合わず手遅れになった大勢のがん患者の生命よりも、あなたが持ち帰ってくれるはずのメダルの方がよほど重いのですから。
内村航平さん、何を言おうが世界は変わらないと謙遜されていましたが、あなたのご発言の通り、政治家や組織委の皆様は「できない」じゃなくて「どうやったらできるか」を必死で考えてくださり、こうして五輪の開催に漕ぎ着けることができました。ロックフェスのようなイベントについては「どうやったらできるか」を誰も考えてくれなかったようですが、平民の娯楽よりもスポーツ貴族の皆様のお遊戯会の方が優先順位は高いですから、致し方ないことでしょう。オリンピックをどう開催するかについて頭を悩ますのは国民の神聖なる義務ですが、ロックフェスの開催についてはそんな義務はありませんからね。「国民の皆さんとアスリートが、同じ気持ちでないと、大会はできないのかな」とも弱気なことをおっしゃっておいででしたが、実際には、国民の8割が反対しているにも拘らず大会を開くことはできそうです。アスリートの皆様の決意は国民の意思などというつまらないものよりも重いというアスリートファーストの原則が証明されたのです。どうか誇ってください。
末筆になりますが、とろろ料理などが美味しゅうございますので、旬からは外れますが是非ともお召し上がりいただき、粘り強さを身につけていただきたく存じます。これだけ優遇されてきた皆様ですもの、日本史上最多のメダルを日本にもたらしてくださるのは当然ですよね。
皆様が飛行船ヒンデンブルク号のように大空に雄飛し、かの有名なピエール・セドリック・ボナンのような聡明さを発揮して、豪華客船タイタニック号のような偉業を達成されることを、心よりお祈り申し上げます。