はてなキーワード: 追体験とは
解説動画だってゆっくりより生声の方が良いと思ってるんだけど旅行YouTuberは絶対生声でやってほしい。撮影時に喋るべきって話じゃなく、ナレーションを宅録したりしてほしいという話。
こっちは旅行の楽しさを追体験したくて観てるんだからゆっくりでやられるとそれが阻害された気持ちになってしまう。そもそも男の手が映ってて魔理沙も霊夢もないだろ。
「俺は崩壊3rdをやって幸せになった!」みたいな戯言(著:西尾維新)が話題になってしまったのを見て、俺はそれが『大嘘憑き』であるということを皆に伝えなければいけないという使命感に駆られてこれを書いている。
連日残業続きで死にかけの頭で書いているので文章が滅茶苦茶かも知れないが、「そんな状態であっても、誰かがやらなければいけないことをやらなければ」という俺の使命感の強さを感じ取ってほしい。
俺が単なる売れっ子嫌いのアンチではなく、警鐘を鳴らしに来た正義の使者であること、その心にフェアプレーの精神があることを示すために、まずは崩壊を褒めることにする。
これはもう否定しようがない。
信者でさえこれを批判しているらしいが、そういった「宝具スキップが出来ないのだけが玉に瑕なんだよな~~~」みたいな態度で済ませていい部分ではないと思う。
死ぬほど頑張って「謎が謎を呼び手探りで答が明らかになるナラティブ感を演出」と擁護した所で、それによって失われる真っ当な物語理解の難しさと感情移入機会損失によるマイナスが半端じゃなすぎるのは大問題だ。
これに対して物語読解順序攻略情報を参考にして◯章を読んだら漫画を◯話まで読んで……このコンテンツは◯章まで進めてからにしないとネタバレがーなんてやるのは愚の骨頂だ。
手探りで進めている感さえも失われたらこの導線のクソさはゲームとしての崩壊を意味し、つまりは完全なる死が待っている。
賢いプレイヤーが選択するべき道は唯一つ、「全てのネタバレに体当たりでぶつかり、地雷原を無敵の心で踏み抜きながら、自分のやりたいように読み進めて、全然理解できない話をクエスチョンまみれになりながら眺める」ことだけだ。
は?狂ってんのか?だがそれしか道はない。
頭がイカれている。
俺は正直聞いたことがないぞ、「この作品をちゃんと楽しむには、おまけを読むことが絶対に必要です」なんて形になってるコンテンツ。
俺の話をちゃんと聞かずに崩壊3rdを始めてしまった頭崩壊人への配慮として、俺はネタバレを極力したくないのだが……それでもこれだけは言わせてくれ、本編を進めているのに突然操作がオープンワールドっぽくなる時が来たら「第二次崩壊編」だけでいいから読め。
もともと崩壊3rdは漫画や崩壊学園を通ってないと訳分からん話を平気で続け、通っている人でさえ訳分からんであろう話の連続なのだが、それでもここを意味不明のままゲームをクリアしたらまずいだろうという部分があるわけだ。崩壊している……。
公式に日本語版はないので、中国語に堪能でないなら有志が翻訳して公式が野放しにしている謎の日本語訳を読むしかない。
このゲームには律者という「エヴァの使徒×まどマギの魔女」のような存在がいるのだが、まどマギの魔女よろしく今まで味方だったキャラが突然律者になる展開が存在する。
律者になったキャラクターがどういう状態になってしまうのかについては伏せ・・・あーーーーーーめんどくせーどうせゲーム開始1時間後には分かるんだから言うわ!
プレイアブルになる律者がいるんだよ!
まどマギは魔女になったら終わりと見せかけて劇場版で味方として戦うだろ?!
それと同じ用に、律者になったけど味方として戦う展開があるんだよ!
これかなり重要なネタバレっていうかさ、「魔女になったけどそっから理性を取り戻して一緒に戦うんだぜ?というか魔女モードが本領発揮だぜ?」なんて話をさぁ、そもそも魔法少女が魔女になることさえ知らない状態でいきなり言われたらもう頭が崩壊するだろ?
誰がどの律者になりますよーっていう絶対にネタバレしちゃいけない要素が次々にネタバレされるわけですよ。
公式が用意したチュートリアルミッションを淡々と進めていくだけでですよ。
進めようとしなくてもなんとなくカチカチしてるだけでいくらでもネタバレを踏めるんですよ。
狂ってるだろ?
そうだそのとおりだ。
信長が裏切りにあって討ち取られることを知らずに戦国時代を追いかけていいのは天正10年より前に物心がついた奴だけの権利だからな!
リアルタイムで遊んでいても崩壊しており、ゲームクリア後の世界を描いた後崩壊書が全体の1/3も進んでないうちに始まるぐらい崩壊している。
これをエピローグとしてちゃんと楽しめるのなんて、せいぜい後から入ってきた人間だけだ(とっくの昔に開放されたコンテンツを第一部終了まで鉄の心で塩漬けした艦長を除く。いるのか?そんな奴)
だが、本当にそれでいいのか?
物語の結末の先を知ったうえで、そこにつながるミッシングリンクを追いかけるというデザインを公式は考えているのではないか?
もちろん・・・NOだ!バカ公式はどうせなにも考えていませんよ(真顔でなんてこというのブローニャちゃん
FF7だってそうだったしマリオRPGもそうだったという意見は正しい。
だが、物語が一つのピークを迎える直前に、突然『斑鳩』の偽物が始まったり、『ドラッグオンドラグーン』の偽物が始まったりしたらどう思う?
スタッフの頭が崩壊しているんだろうなという感想以外の感情は漂白されてしまうのではないのか?
本編外ではあるものの編年史ブローニャ編のニセマリオの数々は熱病にうなされた時にみる夢としかいいようがなく本当にもうなんだそのこうマジでキツかったっす。
流石に1秒間に999無量大数ダメージを叩き出したりはしていないのだが初期キャラと現在の一線キャラは100倍ぐらい性能が違う。
ある時を境に猛烈なインフレを迎えたのだろうなとうっすら分かるぐらい、キャラの性能に活断層が生まれている。
なにがヤバイって作中における超重要キャラであるはずの空の律者が今の基準では絶望的に弱すぎて、なんでコイツこんなに調子こいてるんだろう……と不思議になってしまうことだ。
ゲームというのは物語をコントローラー越しに追体験する遊びである以上、物語上で強いキャラは強くあるべきだし、弱いキャラは弱くあるべきだ。
多少の調整ミスはあっても仕方がないが、作中でそれなりにチャンチャンバラバラしてた同士が全くもって比べるべくもないほどに性能差があっては流石に不味いと感じるわけだよ。
まあね、キアナちゃんの精神的な成長をキャラ性能のインフレを通して感じ取らせてくれようという公式の域な計らいであると擁護することは可能ではあるんだけどね。
駄目だ……崩壊エネルギーが溜まってきて俺の頭も崩壊してきた。なぜ俺はこんなクソゲーを擁護しているんだ。
ぶっちゃけキャラ性能に差がありすぎるって以前に、アクション要素やコマンド入力があると言っても基本的にはお手軽本格アクションスマホRPGの域を出てないわけで、ゲーム性あるかって言われるとかなり微妙なんすよ。
強いキャラは強くて弱いキャラは弱いが明白な古のバシーンバシーンポチポチゲーと大差ねーだろと言いたくなる瞬間が多すぎるわけです。
ストーリーモードでお試しキャラ触ってるときなんて本当にもうキャラに性能差がありすぎてビックリするというか、ただ連打してればいくらでも勝てるキャラがいる一方でちゃんと回避しないとザコにもボッコボコにされるキャラがいるバランス感覚どうなってんねん。
ほんまにな、このゲームは強いキャラ使ってバシーンバシーンする以外に正解がないねん。
強いキャラ使って敵をボコってる時のテンポを基準に作られているからなんか弱いキャラ使って遊んでるときは妙に敵が固くてモッサリ感がパナい。
物語自体はまあそれなりだと思うが、ゲームとして面白いかって言われるとぶっちゃけまあ無料だから遊んでいるがーの域を出てないと思う。
美少女ばかりだしスカートひらひらしてるしで、太もものあたりが非常にえちえちなことによって男脳から快楽物質がチョロチョロ出てくるので気づいたら遊んじゃう感じのポルノでしかないよこんなの。
そのアニメが原作とかけ離れていたらまあアニメ単体で語るのもありだと思う
そして原作がアホほど売れてるので、先の展開知ってる人は他の作品よりはまぁまぁ多い
勿論アニメという媒体を通すと原作を知っている人の数倍、数十倍の人が見ていたりする
原作売れてるから原作知ってるやつに笑われてるのも想像つかず、ガチでこのキャラはこういうキャラでぇとか言ってるの寒気がする
いくら原作に忠実って言ったってフリーレンですらニュアンス結構違うとこあるしマジで原作に忠実だと誤解するな…フェルンは細いんだよ…フリーレンですらもっと細いんだよ…
大体「厨二ww」とか「現代っ子ww」とか言ってるキャラは連載中の原作では大体成長するし雰囲気も変わってるんだよ
もう序盤の虎杖は居ないんだよ。壬氏なんか作者が解説するくらいにキャラ変わるんだよ。それに合わせてストーリーも周りのキャラも変わっていくんだよ。
それにコナンじゃないからキャラもみんな歳とるんだよ。コナンキャラも話数とともに性格変わるんだぞ知ってるか?
まあね、分かるよ。自分もこういうことしてんだろうなって
アニメ宝石の国を見たときも思ったよ。フォス可愛い!宝石擬人化超キュート!二次創作で宝石化したキャラたくさん見たいな〜!って。なんと愚か
でもさ、こういうのをさ、受け入れながら優しい社会ってものは作られるわけよ
アニメ派の感想を見ながら「俺らもこういうこと思ってたよな〜ハッハッハ」って原作スレで笑うのも楽しいんだよ
追体験できていいだろう?ってか。いやアニメ派は原作派と違って先の展開いつでも見れるのに見てないで真剣に展開をdisったりしてるから全然違うけどな
まぁなんだ…原作読んでるとアニメ化がいくら成功してても素直に楽しめないのってこういうとこにもあるよなと思うなどした最近だった
鳥山明が死んだ。
神田沙也加も死んだ。
安倍晋三も死んだ。
三島由紀夫も死んだ。
ウチのペットも死んだ。
みんな死ぬべきではなかった。社会に対して、他者に対して、影響力を持った人物だった。生きている意味があった。うちのペットには何の罪もなく、ただただ可愛かった。
特に何の社会的な価値もない自分は生きている。あまりに偶然であり、特に必然性もない。ただ単に、偶然、何の意味もなく生きている。
生かされている理由があるわけでもない。ただの偶然だ。その辺に虫が這っているのと同じ現象だ。
自分が生きていることが(別に価値がないとか無駄とか言っているわけではなく)本当に、夢幻のように思えてくる。もしかしたら、誰かの古い記憶をすごくリアルに追体験しているのかもしれない。
自分が見ている光景、感じている感覚、嗅いでいる匂い、感じている感情は何の形にもならず、誰にも伝わらず、ゆえにシュレディンガーの猫のように、社会的には存在しないも同様である。
だが胸が締め付けられる。ただただ胸が締め付けらるのである。いや、しかし、それが生きていると言う事だなあ、こんな気持ちを、死んだ者たちはもう感じることもないのだ。
お書きの通り
18禁コンテンツゆえ、少年ジャンプのように一般的に認知度の高いメジャー誌が存在しないことが最も大きな理由だと思う。
潜在的に人気があった(あるいは人気になるポテンシャルがある)としても公に語りづらいというのもその通り。ゆえに口コミで広がることもないし、社会現象にもなり得ない。メディアミックスもされない。
加えて、ジャンプ漫画に求められているのは「友情・努力・勝利」であり、魅力的な登場人物への憧れや感情移入であり、心躍るストーリー展開であり、人気があれば連載は長期に渡る。
思春期に他人の人生を擬似的に追体験し、ときに励まされ、勇気づけられ、作品やキャラクターへの思い入れは深くなる。
一方、エロ漫画は基本的に即物的なもので、射精までの極めてインスタントな性的興奮以外は要求されない。自慰行為のために何週間もキャラクターのセックス以前の関係性を追って気分を盛り上げたいなんて変わり者はまずいない。
いちご100%やi's、ToLOVEるに本格的な18禁性描写があったとして、少年ジャンプに掲載できなければやっぱり公に語ることができないコンテンツになってしまうし、そもそも違う作品になっちゃうよなあ。
第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
いやーあの頃はホントまいったよねと冗談めいたフラットな視点で話すように自然となっている気がする。
感動話とか?昔は不幸だったとか?聞いている側を感情移入させたいかっていうと全然そうじゃないんだよね。
むしろ自分が嫌な思い出だったものは相手も嫌かもしれないし、それを追体験させるつもりなんてさらさらないし。
あったことはあったことで不幸でも、なんつーか過去は過去の出来事として現在とは切り離して言葉にしたい。
みたいな。
「はあ…俺、疲れちゃったよ…俺なんてダメダメなんだ…やっぱり昔がああだったから…元々ろくでなしだから…鬱だ…」
って語り始めるイケメン貴公子を見て可哀想なんてほとんど思わなくて(うっへえ)と思っちゃうんだね。
悲劇のヒロインを演じるなっていう厳しい言葉があるけどそれは演じているかどうかは本人にしか分からないのだからちげーなと思うんだけど。
でも感動モノって結構そういうやつを真っ向からやる傾向が強い気がするんだよ。泣きながら辛い話をする、それに寄り添う、いい感じになる、ハッピーエンドだね。
よくやれるな~って感心しちゃうよ。
あと怒りながら怒った時の話をする人もやだな。疲れちゃうから。
そんな私はコメディが好きなんだよ。
イケメンの三浦春馬が自殺した時にブサメンが「俺より圧倒的に上の立場のくせに」と嘆いてた
ずっと低空飛行の奴がちょっと地上に落ちてもかすり傷ですむけど、地上2000メートルにいる奴が墜落すると致命傷なんだろうな
この場合の「落ちる」とは様々なものがあるが、一つは「老い」である
「並の顔の女」はいわゆる「チヤホヤ」は大して受けないが「迷惑なナンパ」や「痴漢」など女特有の嫌な目にだけはしっかり遭う
だから若さによるデメリットの方が大きい(そこらへんは単純な美醜だけでなく性格や地域による差もある)
男から見たら価値を失い「性欲対象としてマスト」ではなくなり「ただの普通の人間」になる40以降とかの方がそういう女は生きやすい
「それなりに美人で若い頃はチヤホヤされたが、老いたら一気にチヤホヤされなくなった」女は墜落死する
あるいはそこまで行かなくても盛大にヘラる
はるかぜちゃんのお母さんは昨年50歳の誕生日を迎えるにあたってものすごいヘラりまくっていた
「もうすぐ女の子じゃなくなる」と49歳の女がまだ女の子のつもりで書いていた
まだ自分は女の子として価値がある、とアピールするためか告白されたとかナンパされたとか49歳が書いていた
はるかぜちゃんママは若い頃に芸能活動していて、出産後も炎上騒動などあるまで(はるかぜちゃん3歳ぐらいまで)はネットでアイドル活動をしていた
https://archive.ph/http:/geojweb02.geocities.co.jp/PowderRoom-Rose/4612/*
https://archive.md/http:/www.asahi-net.or.jp/~zh7t-iskw/*
そういった「芸能活動していたが年を取ったらフェードアウトするしかなかった女」は多分老いがめちゃくちゃ辛い
そういう女は子供を産んで「私そっくりな娘ちゃん」を可愛がることで癒やされるコースを辿り、やがて「孫ちゃん」を得ればいいのだが、「娘ちゃん」がしくじることもある
はるかぜちゃんは芸能人としてのピークが年齢一桁の頃で既にオワコンであり、「老いによる墜落」をはるかぜちゃんママは追体験してしまったが故に余計にヘラったのだろう
彼女がスペインからの帰国子女のため、スペイン語を話せる。チャンスだと思い、自分も暇つぶしにスペイン語を勉強し始めた。
英語の時は文法や単語→英文を作るという演繹的なやり方だったため、
この方法のメリットは、手っ取り早くコミュニケーションができるということだ。音声ベースで学習できるため、早く喋れるようになる。
そして赤子の成長を追体験することで、文法や前置詞の必要性が体感でき、文法がすんなり学習できるようになる。
このやり方をすることで「身の回りにあるものの(生理現象も含む)単語」「『疑問文』と『wantのような願望を表す文章』は頻出」ということを学んだ。
確かに、赤子は最初「うんちcaca」「おしっこpipi」とか「水agua」とか覚えるもんな。「これなに?」とかいったなになに攻撃も、赤子の特徴だ。
「キエロ ベベール アグア」みたいに日常的に使えることを学ぶので定着率もいい。
「ケ エス ○○」みたいに疑問形を使えば答えてくれるが、答える際は平常文なのでそこで単語や平常文の言い方を学べる。
勉強している感も無いのでストレスにならない。そして帰納的に法則を見つけるのが楽しい。
同時にネイティブのスペイン語の会話を聞いたりして、今はとにかく知ってる単語が聞き取れるかどうかで頑張っている。これでリスニングも上がるといいな。
「ゆるキャン△」のスマホゲーム、約2カ月間の長期メンテナンスへ 「徹底的な改善作業を進めるため」 - ITmedia NEWS
https://l.pg1x.com/y3qhubFzHNpvcB7f6
どん判だなぁ。二ヶ月で何を変えるのか。IPのパワーはせいぜい「やや強~普通」ぐらいだぞ、ソシャゲ購買影響力としては。
ゆるコンテンツ、萌えコンテンツの、購買意欲は「強者承認」じゃなくて「独自体験」だから。
一番数量化しにくいところなんだけど、そもそも企画立案が間違ってるって分からなかった?
「好きなキャラ追体験(ファンをキャンプに招いたこと)」は「体験」にマネタイズがあるのであって、狭っ苦しいスマホ画面に「何の体験があるんだい?」と100万回ぐらい上長や経営陣は企画を詰めるべき。
マネタイズと数量化しやすいとこばっか追った結果が『ウマ娘』だったわけで、そういう意味では開発側の上層部に「このコンテンツを愛している(理解している)」人間は少数派、ってこと。
マネタイズ強度を下げた設計は単に収益の悪化を招き、ゲームの寿命を縮めるだけ。
演出や体験強化を、たったの二ヶ月で実装し直すってどうやんのかつーたらおそらく「ためになる議論をしておしまい」コースなんだよね。
「逐次実装で」になるだけだから。方針確認だけ。間に合わねぇつーの。時間が足りねぇ。36協定舐めんな。
再オープン時に改善ロードマップとか出てこないなら、そこまでの長期運営をするつもりはねぇよ、って話になるだろうな。
ワイの予想を覆すのは頭のおかしいお大尽のファンの群れだけだから『ゆるキャン』のファンは他のソシャゲを辞めてもこのゲームに課金をしてあげて下さい。
ワイの予想を覆し、ワイが嫌な気分になるのを見たいでしょうから。
作って何日かに分けて食べているでお馴染みの今シーズン私の中で超絶流行ってるタマネギスープなんだけど遂に完売!
次また4回目を作るかどうか考えている昨今。
あれ作るのに時間かかんのよね。
と言っても一番時間が掛かるのがタマネギを炒める作業ってだけなんだけど。
あと改良点としては具を満載してしまうと
お鍋の縁がパンパンになるので、
あれ大きな鍋もう一回り大きなベーナーを調子に乗って買ってみようかしら?って算段目論んでいるんだけど、
多分積載量が多い鍋のベーナーでタマネギスープを運用するとなると
結構マジ食べるのが大変なので、
ちょうどこのぐらいでいいのかしら?って
物足りないぐらいがちょうどいいって思えるほど何でもないようなことが幸せだったと思う私のタマネギスープが4章に突入しそうなのよねー。
そんで12月となると私と言えども
予定が詰まってきているので忘年会12月に何回あんのよ!ってもーって思っちゃう山脈に向かってヤッホー!って叫びたいのよ!
あー!
そんで思い出したけどそうよコロナ禍も明けてそろそろみんな忘年会のことも思い出したから何じゃない?
ぼーねんかい何だからもう忘れ去られて良い昭和の文化だと思うんだけどどうかな?
職場の関連のそう言った感じのこれ誰が楽しいと思っている人誰も居ない説濃厚カルボナーラ!
そのぐらい自信があるもん!
それでそうよ!年末年始の予定も考えなくちゃいけない!
HDDレコーダーの録画コンテンツを消化しまくりまくりまくりすてぃーなのと、
これは来年の目標にも掲げる私がすっかり忘れていたものと言えばなーんだ!?
そうニンテンドー3DSのドラゴンクエストVをクリアすること!
って違う違う!
もう一旦ドラゴンクエストVのことは忘れて
そうよあれ!
スプラトゥーン3のS+クラスに上場するってのが来年の目標にするわ!
手っ取り早く上手く行けば今シーズン中!
もっと上手く行けばこの年末年始のお休みの期間にガッツリダブルピースで昇格を決めたいところよ!
上手に立ち回りが出来ない恐怖症で
ガチバトルチャレンジは最近ぜんぜん挑戦していない私は臆病者になってしまったわ。
しくしく。
もうさあのポイント借金してまでマイナスになっても良いから戦いまくりまくりすてぃー山脈に向かってヤッホー!って叫ぶしかないのよ!
絶対私は負けない!
そんな臆病者にはなりたくないもの!
とは言いつつも
ニンテンドーSwitchに入っているマザーが気になってファミコン版のを始めてみるけど、
好きな献立は?って聞かれたので
そのたんびに家に帰ってきて勇者がお母さんに優しくしてくれるように
涙の数だけ強くなれるとは言えども
ずっと丸腰で素手で戦っていて
なにか木の棒を今装備しているけど
まだ仲間も見付からないし困っているのよね。
いったい何が凄かったのか!?って自分で解き明かすマザーの旅に出たいところだけど、
飽きたら辞めちゃうかも知れないので、
いまここでそれを表明しておくわ。
その時代でプレイしないとリアル体験としては薄まる感じがするから
アメリカの人が何でもどんな機械にでもドゥームをインストールして遊べるようにしちゃうぐらいでお馴染みのプリインストールさ加減のマザーなので
まあ遊んでみようかしら?ってふと思ったのよね。
私のやる気が底までつかなくて続けば良いんだけど。
あーゼルダもあるし。
もはや何をしていいか分からない四神獣の位置は分かる地図で出て表示はされているけれど、
そこまで行く術がなく為す術がないの!
それも困っし
いつまで経っても木の棒で戦っている私のリンクのハートはまだ3つで少なすぎ!って
随時報告することにするわ。
うふふ。
サーモンで元気になるもん!つってね。
朝の元気の源よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
いい加減重い腰を上げたいと思ってゼルダをやってクリアしなくちゃ行けない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうんだけど
私あれどこで止まってるんだっけ?
四神獣見つけるってところまで進んでてまだ全然そこまで行き着けてないところなの。
確かそうだったと思うわ。
つーかさ、
捕まえた馬に乗って行くにも、
途中これは崖登らなくては行けない場所で馬その場に置いていけない可哀想じゃない。
1日1時間でもゼルダ進めなくちゃいけない私の課せられた課題だわ。
いっそのことそれらを追体験できる映画化がやってくれたら私は観に行っちゃうんだけどね。
もう中断して久しいんだけど
多分私のハートはまだ4つぐらいに満たない感じなのと
がんばりゲージは1周と4分の1ぐらいしかない感じ。
何も目的もなくフィールドを彷徨っているのもいいかもしれないけど、
四神獣にはどうやって行くの?って
遠くに見える海の沖合にある祠目指してパラセールで行ってみたものの
途中で力尽きて死んじゃったかと思ったらハート1個減るので済むんかーい!みたいな途方もなさよ。
いっそのこと1回一番最初のゼルダのスイッチで遊べる私は知らないハードウェアのディスクシステムで
やればやるほどゼルダの伝説ってわけで、
そこ1回一番最初のゼルダをクリアしたら全部OKってことにはならないわよね?
あれもあれで途方もなさが見通しが立たないけれど、
いつもゲームニュースを何かしら賑わしているゼルダの伝説のスイッチ版2作は私は絶対にクリアしたい
いやクリアしてみたいと思っている気持ちは私のスイッチの機械の中に入ってるゲームの中で一番強いんだけど、
いったいどこに行ったらいいのか、
いや分かっているんだけど
つーか、
ちゃんと真面目に各地探索してみなくちゃ?って事だと思うわ。
でもあれさ、
敵を倒しても特にご褒美があるわけでもなく経験値が上がるのはコントローラーの操作方法がなれるだけで
武器も消耗させたら貴重だしなかなか勇ましく戦いに挑むってことにもことさらいかないのよね。
でさー
散策していたら
巨大な敵岩の敵みたいなのが出現してきて
いやここでハートが少ないって言うのは
私の度胸がないって言う意味で言っているんじゃなくって
リンク自体のゲーム中の体力のハートが4つしかないって言う意味で、
多分その巨大な岩みたいな敵の一撃を食らったものなら一発で死んじゃいそうなそんな何も言えない世の中なんてポイズンよ!
毎日さー
何かしらのニュースで世間を毎日賑わしているニュースのゼルダってやっぱりクリアしたいなって欲が
うわ、
私忘れていたわS+の腕前になることも!
しかもまたシーズン変わっちゃうと腕前リセットがされちゃうので、
もうちょっとでS+の昇格戦挑戦!って
昇格出来なかったら何故角を取らない!
赤の方アタックチャンス!って言われかねないぐらい
丁寧にやっぱり角から塗っていかないことには0.1パーセントの差で勝った日には
端っこちゃんと綺麗に塗っておいて良かった!って
酷くない?
塗りにくいっつーの!
そのぐらい躍起になって腕前アップを望んでいると同時に
F-ZERO99はグランプリ出場に必要なチケットがカンストしてしまった99枚持ちすぎているので
もはやログインボーナスすらもう必要としないただただみんな大好きミュートシティーを走り続けているのよ。
もうさ、
私ミュートシティーIIIの地雷が無数に設置されている箇所は怖くないわ!
そのぐらい走り込んだみんな大好きミュートシティーなので
でもさ
ため息が出ちゃうのよ。
一番クリアしたい欲はあるのにね。
あれは何度も言ってるけど
激ムズなのよね。
でも一番の次に二番なので
あともうちょっとのところなのよ。
それもそれで大変なのよね。
とにかく忙しいわ。
うふふ。
温めて食べたホットドッグよ。
ちゃんと袋の端っこを少し開けておかないと破裂しちゃうことを昨日学習したので
美味しさは至って変わらないけれど。
でもさー
これホットドッグ2種類あって
初見では回避不可で思わずカレーをチョイスしちゃいそうなほど唸るわ!
あちゃー間違ったって。
でも美味しいことに変わりはないので至って美味しいわ。
最近お水が美味しいのでさすがにこれはデトックスウォーラーとは言えない蛇口ダイレクトはさすがにないわー
って言いたいほど、
蛇口ダイレクトをさすがにデトックスウォーターと言うのは出来ないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
35になると人生にもうあんまワクワクせんから子供産んで追体験するんやろなあ。
俺は増田と同い年で、既婚子無し、家賃貸で境遇似てる。貯金もあるのでマイホームは買ってもいいが、金銭的な戦略が変わるだけで賃貸と気分はあんま変わらん気がする、というか現時点で買ってまで欲しい家がない。
とにかく今までやったことない事をし続けてクォーターライフクライシスを避け続けるしかない。いいとこに引っ越すとか、サバティカルとって金かけた旅に行くとか、動物飼うとか、法人作るとか。俺は生まれて初めて車を買うことにした。マネフォの残高を眺める事が趣味の俺は、今までなら絶対やらなかった無駄遣いだ。だけど、わりとワクワクできてる。稼ぐ意欲が最近無かったが、単なる消費も意外にモチベアップになってバカにできんな、と思った。
夫が2002年頃に訪れた名古屋のラーメン屋さんの店名が思い出せないとのことで、店名探しを手伝ってほしいです。
場所は名古屋の星が丘駅、一社駅、砂田橋駅あたりが怪しいとのこと。(名東区が怪しい?)
名古屋駅から桜通線に乗り今池駅で東山線に乗り換えたような気がするとのこと(当時はスマホがなく、地図やPCで調べた事前情報をもとに訪れたため、桜通線に乗らなくとも、東山線に乗ればいいことに気づかなかったらしい)
行きは星ヶ丘駅で降り、帰りは一社駅を利用した記憶もあるようです。
駅からは少し離れていて(片道 徒歩10〜30分くらいか)、駅を降りて大通りを通り、住宅街を通ったところにラーメン屋さんがあったようです。
ラーメン屋の周辺に小さな川が流れていたとも言っていました。その川が地図に載るような川なのかは分かりません(川とも呼べないような、ドブ川と言いますか、ほんの小さな水の流れだったのかもしれなません)。周辺に坂はなかったとも聞きました。
ビルの中にテナントとして入っているようなお店ではなく、ラーメン屋として一軒、大きなお店が存在していたとのこと。おそらく人気店で、ファミリーでも入りやすい店構えだそうです。
私が探して、夫に多分違うと言われたお店
・龍龍
・さっぽろ亭
・梅光軒
・勝来軒
・華や
・すずめ
・侍
・本郷亭
夫は家系のラーメンが好きです。煮干し出汁のラーメンも好きです。今探しているラーメンの特徴としてはネギがたくさん盛り付けられているラーメンだそうです。
私自身インターネットストーキングが趣味なので、こういった何かを探して特定することは大好きなのですが、いかんせん2000年代という20年も前のことをインターネットで探すのは一苦労です。
どなたか上記の条件で心当たりのあるラーメン屋さんはご存知ないでしょうか。
私はそのラーメン屋さんを見たことも聞いたこともないのですが、私と出会う前の夫がどのような思いでわざわざ名古屋までラーメンを食べに行ったのか追体験したい気持ちもあり、恥ずかしながらこのような増田を書いている次第です。