はてなキーワード: 迷子とは
先日、X(旧Twitter)のおすすめタブにこんなツイートが流れてきた。
「ショッピングセンターの迷子の放送で、名前服装性別すべてが読み上げられていた。性犯罪に発展する可能性が高いのに。」
目から鱗だった。
わたしはショッピングセンターや百貨店で物を売る仕事をしていて、職場で迷子の放送を聞くことも珍しくない。わたしにとって「名前、服装、性別」すべてが読み上げられる迷子の放送は当たり前だったし、疑いもしていなかった。
実際のところ、どうするべきか。
ショッピングセンターに溢れる子供を特定する上で、服装、性別は必須だろうし、迷子において子供自身が探されていることに気づいていないパターンも多々あるので、名前を放送することも迷子の早期解決には役立っているはずだ。
しかし、現代において、元ツイートの言わんとしていることはもっともだ。
ここ数日、ずっと考えている。
簡単です。
序論、本論、結論といった文章構成の粒度が一段階に収まらないからです。
書く文章が100文字であれば文章構成が二段構造になることはまずありません。
それどころか単に言い切ったり、列挙しただけで終わることも多いでしょう。
多少の折返しはあっても起承転転転結ぐらいがせいぜいで、これにしたって文章構造が二重化されてはいません。
ですが文章が長くなると段々とそれが入れ子構造になってきます。
序論の中において序論と本論と結論があり、そこから今度は本論の序論が始まるわけです。
長い文章を描き慣れていない人は、序論の結論でしかないものをまるで結論の結論であるかのように書いてしまったりします。
そこからまた別の序論が始まってしまっては読む側はすっかり迷子になってしまう。
なにせ語っている側がすでに迷子になっているのですから、今自分たちが何の話をしているのかなんてさっぱり分からなくなってしまうのです。
それを防ぐためのコツはいくつかあり、「目次をつける」「集合ごとに段落を分ける」「結論から述べるPREP型を使う」などがあります。
これらの小手先の技術を使っていけば、よっぽど文章が下手でもなんとか読める形になるものです。
ですが、今まで100文字で文章は書くものだと慣れきってしまっている人達はそもそもそういうった技術がなぜ必要なのかを理解できません。
文章構造が単純な一段構造でないから、自分が迷子にならないために自分で地図や目印を用意する必要がある事自体に無自覚なのです。
だから平然と粒度がグチャグチャのままでロジックを書き散らし、何度も何度も自己満足の結論を繰り返しては、結局なぜその結論に至るのかが相手に伝わらない文章を書くわけです。
そして、「何度も結論を書いているはずなのに理解されない。きっと相手の頭が悪いのだ」と勝手に不機嫌になっていく。
全く困ったものですね。
学校の作文が原稿用紙2枚を要求しがちなのも、それぐらいの文章量にすることで初めて浮かび上がる文章構成力の問題について適切な指導をするためなのでしょうね。
それを文字数稼ぎで乗り切ってしまった人達は、長い文章を書く際に自分に生じる悪癖に無自覚なまま学習機会を逸し、結果として100文字以上の文章は書けない人間になってしまったのかと思われます。
哀れ。
【ここから本文】
私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲の北区で、今は海側の住宅街に住んでいます。
他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています。
子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園と須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。
この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。
神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります。
こないだ、三宮でコーヒーと紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。
山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれてしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたらなあ。
湊川商店街は学生の頃と変わらずにぎやかで元気があります。湊川公園の、ちょっと怖い通路も実は好きです。
ずーっと下って新開地まで歩くと、西方面に大開通という道があって、とても懐かしかったです。高校生の時の通学路でした。
別の日。山に行きたくなって北区に行きました。
といっても地下鉄一本抜けたとこ周辺です。六甲山と丹生山系に挟まれた地域です。大切な風景です。
空が高くて、藁葺の屋根と田んぼの彼岸花を見ているとギューッとした気分になります。水路には赤とんぼがいました。
別の日。川に行きたいと思ったので住吉川を歩くことにしました。この川は地域の人達の協力もあってとてもきれいな川です。カモとかサギとかがのんびりしています。夏は子供さんが水遊びしてます。
別の日。山歩きがしたくなったので、少しだけ六甲山に入りました。新神戸駅の横から入ったけど、運動不足が祟って1つ目の滝をみてギブアップです。また、登りに来るねえ。
その日はフロインドリーブの焼き菓子を買ってバスで帰りました。
別の日。山に行ったら次は海!と思っていたので、海へ一目散。着いたのは六甲アイランドのマリンパーク。久しぶりに動いているガントリークレーンを見ました。子供のころはこれをキリンと思っていました。
阪神淡路大震災で、港は随分元気をなくしてしまったけど、まったく機能しなかった時からすれば、よく動いてくれてるなあと思うんです。
この日は帰るのが少しめんどくさくて、石段に座ってボーっと夕日が落ちていくのを見てました。
その日の夕飯は、スーパーで買ってきたコロッケと、作りおきの切り干し大根、卵のお味噌汁にしました。
お風呂に入っていると、夜、ボーーーーッという大きな汽笛の音が聞こえます。
昔祖父母の家に泊まった時も聞こえました。
別の日。買い物でハーバーランドへ行きました。神戸駅は東海道線の西終着駅です。大阪の梅田が終着駅だと思ってる人がいるんだとか。
それにしてもまた海です。ここはできた時からガラッと変わった部分が大きくて、まだ慣れません。
「かつてデートで来ていた二人がファミリーになってもう一度来る場所に」という感じのコンセプトでリニューアルしたそうですよ。
私、大きなモールの西側入口にあるディンドンというからくりが子どもの頃から大好きで、うっかり立ち止まってしまうとずーっと眺めてます。
ホールの東出入り口の近くに、モザイクに行くためのエスカレーターがあります。このエスカレーターは途中で平らになるんですよ。私のお気に入りです。
買い物を済ませて高浜岸壁に行くと、大きな船が入ってきていました。コンチェルトだったでしょうか。
夜は花火が上がるとのことだったので、混雑に巻き込まれないよう、早めに帰りました。
別の日。友達が来ることになったので、自分でパウンドケーキを焼きましたが、いまいち地味に仕上がってしまったので、急遽ケーキを買いに出ました。
日が落ちると友達が「今から夜景見に行かへん?!」というので、車に乗せてもらって、六甲山から夜景を見ました。お車代は断られたから、作ったパウンドケーキの半分をお渡ししました。
別の日。旦那と喧嘩しました。些細なことです。お箸たてにお箸をさすとき、どっちを上にするかで喧嘩しました。
現実逃避したくて、ずーっと部屋で犬を飼う構想を練っていました。朝起きるのが苦手な自分のことは棚に上げました。
犬がいたら、一緒に色んなところに行けそうなのになあ。
別の日。異国の寺院が見たくなって北野へ行きました。最初に頑張って北野神社に参りました。階段でいきなり足ガタガタです。
北野にはイスラム教寺院があります。とてもきれいな建物ですが、いまいちきれいに撮れるポイントがないです。でもここのモスクは日本で一番古いモスクなんですよ。
ジャイナ教の寺院があるのは日本でここだけです。どうしたらいいのか分からない度がすごいです。
輸入食品店でハルヴァという中東のおかしを買って、ちょっと西にそれながら坂を下って栄光教会を見上げました。この教会は阪神淡路大震災で崩れた煉瓦をもう一度組み立てて再建したという根性エピソードがすきです。
生田さんにお参りして終わりです。日本の神様は、他の神様にも参ったことを褒めてくれたらいいなあ。
この日は早めに帰って旦那と家で食事をしました。鶏モモを照り焼きにしたやつと、スーパーの高野豆腐と、トマトサラダと、卵の味噌汁です。
旦那の出身は神戸ではないので、こっそり、早く神戸好きにならんかなあと思っています。無理強いはできないけどね。
嫌な事件も多いし、どないなっとんねん!と思うこともあるけど、まあまあのどかで楽しいですよ。
ここまで読んでくれた人に、平和さが伝わってたら嬉しいです。
いろんな反応やコメントがあって嬉しいです。ありがとう。夜中に日記を読み返しながら書いたものなので、恥ずかしいはずかしい。
今日はいい天気なのもあって、嬉しかったし、なんとなくレスしたい気分なので、レスさせてください。
・固有名詞全部わかる~の人
→ありがとう。摩耶埠頭は私も好きです。県美のりんごには一人ではたどり着けません。なぎさちゃんもです。
・住んでたから分かる~の人
→ありがとう。住んでると身近なものばかり書いてしまいました。
・箸立て~の人のひとたち
→お箸の先が底になったら底の汚れが先に付きますよね。でも上にしてたら空気中の汚れが付きますよね。
そんな感じです。蓋付きのお箸立てを買えばいいことに気づきました。先端恐怖症ではないんですよ。
→怖い人とは関わりたくないなあと思いながら暮らしています。中学校は遠い昔の話ですけど、全員坊主はアカンかったなあと思います。関西弁、ごめんねえ。他地域の人にわかりやすく話したいとは思ってるんですよ。
・センタープラザ~の人
→カード屋も多いけど、最近はガチャガチャコーナーも増えてますね。うっかりすると小銭すぐなくなっちゃう。
シャッター、寂しいです。昔はもっと中古CDとか古本とかの店が多かったですね。
・イノシシの人
→ありがとう。夜道で遭遇すると「あれ?犬?」ってなります。うりぼうは可愛いけど近づきません。油断大敵です。
たまに小さい川の方に降りてきててカモと一緒にいると、鍋コンビやなあと思ってます。
・長田に行って~の人たち
→悲しい気持ちになるのは嫌だけど、切ない気持ちにはなります。シューズプラザの赤い大きなハイヒールを高校生の時に見て、もっと子供だったらすべり台にしてそう、と思ってました。
靴の青空市場で、一袋靴詰め放題1000円!というのがあって、さすがケミカルシューズの町!って思いました。
歌は謎だけどそばめし美味しいよね。長田は美味しいお好み焼き屋さんも多いんですよ。
・良い街なんだけど~の人
→ごめんなさい。そういう話し方をしたいわけではないんですけど、兵庫の言葉は押しというか、圧が強いみたいです。
敵意も悪意もないんです。私が話すのは神戸弁ですが、怖がらせてたら申し訳ないです。
・生まれ育った街が~の人
→いろんな街に住んで、それぞれの魅力が知れるのは、嫌だなと思う経験があったからかもしれませんね。
死ぬほど羨ましいと思ってくれるのはちょっと鼻が高いけど、でも死なないでください。いつか神戸に遊びに来てください。
・移住者だけど~の人
→住んでこそ楽しい街、本当にそうです。移住してきた方に言われると嬉しくなってしまいます。嬉しいなあ。
一緒に神戸に骨を埋めましょう。でも時々、生まれた街のことも思い出してくださいね。
あまりこういう日記を書かないので読みづらかったらごめんなさい。
エスカレーター、間違ってた!いやー!はずかしい!
【16:55 再追記】
こんなつたない散文がホットエントリに入ってしまったようです。念のため身バレを防ぐためにいくつかの箇所をいじりました。
内容は若干虚実入り交じっているし、別の日なだけで、時系列は過去未来様々です。
ブコメで懐かしいと思ってくださる方、良い文章だと言ってくださる方、本当にありがとうございます。
あまり他の都市のことは書かないようにしたいですが、神戸は近くに京都や大阪という大きな都市がある分、そしてそれ以外にも周辺に魅力的なまちがたくさんある分、旅行で神戸だけに長く滞在してもらうにはむつかしいのかなと思います。
でも暮らしていると、まあまあ平凡でぼんやりできるとこですよ、ということが書きたくて日記を読み返しました。
書いてない区のこと(西、垂水、須磨などなど)もちゃんと神戸です。読み返した分の日記の中には偶々なかったり、書くと身バレの危険がある部分だったりしたので内容には入りませんでした。
名谷駅のタイルの壁がなくなったの、ちょっとさみしいですよね。でも地下鉄の駅前はどこもにぎやかになっててすごいですよ。
書いていたら本当にキリが無くなるのでこの辺で。
夏はあまりアニメを見られませんでした。修行が足りない。ちょっと話題になった?バンドリの迷子は見ておきたい…。
「もしかして:先輩がうざい後輩の話」と思って見ていたせいなのか、1話の時点で「うぇっ?!」ってなってしまった。思わずタイトルで検索したら「気持ち悪い」がサジェストされてて笑ったがさすがに気の毒。
よくよく調べてみるとそもそもの原作は同人誌ということで納得。同人誌であれば自分の好きな要素をピンポイントで好きなだけ描けるしそれ以外の要素はお飾りであっても何も問題ない。
とはいえ商業作品として出たからにはどうしても多くの人の目に触れるわけで合う合わないは致し方なし。
取り敢えず「登場人物が全員中高生の思考・言動で社会人要素皆無」がきっついめかな。あと「主任」って一般職の役職であって管理職じゃないやろ、役回りが課長みたいになってんぞ、とか(会社によるのか?)。
でも先輩は可愛い。
ホラー枠。いいところで終わるのかなー?と思いきや2クール作品だった。たまにちょっとえぐいかもぐらいの案配が丁度良さげ。
もっとこう、下品を通り越してお下劣な下ネタ枠だと思ってました。
意外にもソフトエロ程度のラブコメぐらいの案配、ストーリーもちゃんとあるというか寺院ってめっちゃ大変なんやねとわかるし意外と真面目に考えてて面白かった。
主人公の声が低すぎるというかおっさん過ぎないかと違和感があったけど慣れてきたら悪くないというか、ヒロイン勢から一回り年上と考えたらこの位で良いのかも。
原作買うかー。
今になって再アニメ化?!という感じだが、やはり面白い。節々で女性向け要素が垣間見えるのだけど、絶妙なバランス感でおっさんが見ても面白いのは凄いと思う。
だいたい(都合よく登場する)アビリティで解決してたような…。
1話からして太腿が動いて喋っていて、ここまで貫き通されたら笑うしかない。今太腿を描写する意味あった?とか錬金鍋に素材の容器丸ごとぶち込むのかとか突っ込むのは野暮というもの。
「あ~これは手痛い失敗をする流れか」と思っても割とあっさり乗り越えていって、錬金術最強だな? あのツンデレの人は実は自分がライザを守りたいとか思ってた系の痛い人なんだろうか。
割とシリアスなストーリーになりがちなのに、どういう訳か重すぎないように回避してラブコメに持っていくこの雰囲気は凄いし安心して見てられる。
今期のなぜこれを見続けてしまったんだ枠だけど、予定調和だからこそ安心して見ていられる水戸黄門枠なのかもしれない。
死神坊ちゃんと被ってる…?と思いそうになるけどもっと軽いラブコメだった。
「今回のヒロインはこの子か~」と思わせてからの急展開。つらい。原作知らんけどめっちゃ時間を掛けて丁寧に進めてるなあって印象で面白かったです。
ほぼ毎回、「ライラプス、お前まさか…?」と思わせて引きを作る、さすが老舗の老獪さを感じるごっちゃ煮作品。
東京に憬れる若い子って故郷を田舎とdisりそうなものだけどこのワードだけはNGなのか言わなかったあたり、多方面に配慮が行き届いている。
ラブライブ!世界では男性のみが死に至る謎のウィルスが蔓延していて殆どの男性は死に絶えている(から表に出てこない)と聞いたことがあるが、本作ではちゃんと出てきているあたりやはり外伝的作品なのだなと。
いわゆる隣の席シリーズ。廊下を歩くシーンを3Dで延々と描写したアニメが嘗てあっただろうか。
こういうのでいいんだよこういうので。
コロナとかで途絶えていたのが再開。
1期の魔王様最強!!ノリと比べると2期は正直話がよく分からなくてあまり面白く……が途中までの感想だったんだが、再開後では過去の話に飛んだお陰かなんとなーく話がわかってきていい最終回だった、という感じ。
3期もありそうで楽しみ。
そんで今期もまた、1話まだ全部見きれないほどに多い。
好み的にはフリーレンが頭二つ飛び抜けてる感じ。どうしてこんな突き刺さるのに誰も教えてくれなかったのとか思っちゃった(多分いつかの表紙か絵を見て少年だと思って、美少年モノと思って忌避した説)。
16bitは老人会的に抑えるべき、アンダーニンジャ・ひきこまり・でこぼこ・100人・わたおしは笑えそう、カノ彼・ゴブスレ・ヒプマイは安定枠、はめつのおうこくはヘヴィ過ぎる、ティアムーンは実質はめフラでは、最果て・暴食はまだわからん、聖剣学院・Sランクは最強枠かなー。
1. コードは真理のラビリンスであり、バグはその奥深くで永遠に迷子になる存在。
2. 真のプログラマーは夢の中でコードを書き、覚めてからそのコードが実在しないことを理解する。
3. プログラムは宇宙のダークマターのようであり、その存在を感じることはできても、観測することは不可能である。
4. コードはフラクタル次元の曼荼羅であり、バグはその中で永遠に回帰し続ける。
5. プログラマーは時空を歪め、コードの中で過去と未来を同時に見ることができる。
6. コードは未知の言語で書かれ、プログラマーは解読の旅に挑む。
7. デバッグは自己の反射であり、バグはその中で無限に反射し続ける。
8. プログラミングはマルチバースの探求であり、バグは別の次元から侵入してくるエージェントである。
9. コードは異次元の文明からの通信であり、プログラマーはそのメッセージを解読する使者である。
10. プログラマーは宇宙のコンダクターであり、コードは宇宙の交響曲である。バグはその交響曲に独自の不協和音を加える存在である。
9/8 14:24
これはとてもいい記事。 私、人に「努力してます」って見せるのがどっちかと言うと好きじゃないけど…それを「美意識」と表現するのはすごくいいなぁ。「お前、ダイエット経過を毎日あげてたじゃん」 とかツッコまれそうだけど…アレ逆! 本当は納得行くまでやりきった時に「ブログ書いたよ」「こんだけ山登ってきたよ」の方が好きなの! でも、ダイエットだけは逃げ道を断ち切らないとできないと思ったから…もう私生活晒してでも毎日公開してる。他人に応援してもらおうなんて甘えた考えは最初に浮かばなかったよ? むしろ、「他人に太った体重を揶揄されたらやだな?」「痩せない時にグジャグジャ言われたらやだな」ってことばっかり考えてたけど、それでも【一人黙々とダイエットとか絶対成功しなそう】と思ったからインスタに上げてる。まぁ、アレや。 努力公開できるやつってそれだけで強いと俺は思うで? 喜びもツラいのも倍増するし…ツラいのが倍増すると結果を出すのに支障が出かねないから…努力公開できるやつってホンマに強いと思う。 俺できたらやりたくないもん…「うまく行かなかった時の保険」とかじゃないの。 スタイルの問題なの。 一人でコツコツやりたいか、みんなでワイワイやりたいか 結果をドーンと出して一目置かれたいか、結果まで一緒に歩いてきた人達と分かち合いたいか、 その違い。 スタイルの問題を「美意識」と表現するのが美しくて好き
9/9 22:00
結局23キロ歩いたんだけど…歩いてシャワー浴びてる時はそんなに大したことなかったんだけど…今、ご飯食べ始めたら体の節々が一気に痛くなって、咳も出ました。人間って緊張してるとすごい力が出るけど、一度緊張を解くとその瞬間にダメージが来るんやね…。やりたいこと全部できたからいいけど
今日ダイエットしたら覚醒状態で寝れなそう(怖いぐらい目がパッチリしてて、肩が張ってたからさすがにご飯食べた)んだけど…もうね。16キロ歩いてから買い出しまでやって、それを担いで帰ってきたから、もうね…臨界点突破ですよ。逆になんでそんな事できたのか俺が知りたいレベル
ここまでやる気なかったんだよ?ただ、
・近いと思って経由地にしたところが思いの外遠かった
・買い出しにうってつけのスーパーが帰路に出てくる
・日帰り温泉行く予定だったけど、時間が少ないからやめて徒歩で帰宅
俺が115キロから101キロになったことで「よし、こんなダメ人間にもできたんだから俺もダイエットしよう」と思ってた人は…23キロを見てもドン引きしないでね。
私、歩く力は登山でつけてたの。でも、今日のはほとんど事故!ダイエット中の徒歩は7,8キロで食事制限守るのが本当は一番いいの!!
ダイエット中に歩き過ぎるとその日は食べてもいいんだけど、その後のダイエット管理がややこしくなる(体調壊れてるからチートデイにするとか、ダイエットしてもいいのか悩むとか色々あった)
ティンカーベルが弱って飛べなくなって仮死状態になる、正直どんなAVよりも興奮する
あと自分の場合は「普通」になりたくて当初は男性と関係を持ってみたけど、男体がどうしても苦手で、具合が悪くなってしまってダメだったな…上半身も見るの辛いから上は着衣でお願いした(ごめんなさい)
で、吹っ切れて女性と関係持ったらしっくり来て、自分はやっぱり同性愛者だったんだなあ〜って実感したよ
週末に身綺麗にして新宿2丁目のビアンバー(クラブっぽい立ち飲みのところがオススメ)行ったら、1人なら大体イキリ系の誰かしらに声かけられるから、一度持ち帰られて経験してみれば良いと思う
あの界隈はセクシュアリティ迷子も多いから、意気投合できる人もいるんじゃないかな
きのう何たべた?でもそんな話あったけど、自分がうっかり結婚してから同性愛者だって気づいてたら、家族を裏切って同性と不倫してたかもな…って考えるとゾッとするよ
買い物に出掛けた。高架下の曲り角に、ポイントカードが落ちていた。バーコードが印字されいているので、どうやら裏面らしい。署名は空白だ。磁気定期ではなさそうだったので少しホッとする。拾い上げるか……。迷ったあげく、落し物を凝視したのち、その場を去る。
今日は100均で新しい箸を買った。箸なんか折れるまで使えばいいと思ったが、この時期らしい青みがかったデザインに清涼感を覚え、気づいたら買い物かごに入れていた。2膳で220円。日常のささいな贅沢だ。セルフレジのためポイントカードのゴタゴタもなくストレスフリーに会計を済ました。
あとは消耗品の調達。ドラッグストアで食洗機用の洗剤を購入した。「ポイントカードはお持ちですか?」この質問が苦手で、対策のためにわざわざ並ぶ前からカードを取り出し、店員さんの見える位置に構えるようにしている。今回もいいタイミングで質問を封じることができた。
ポイントカードを忘れてしまったときは困る。会計時に「あ、無いです」と言えば新規入会を促され、「あ、忘れました」(「あ、」って最初に言ってしまう)と言えば店員さんから「ではスマホアプリで代用できますがいかがさないますか」と返されてしまう。忘れたら八方塞りなのだ。
帰り道、再び例の高架下であのポイントカードを見つける。今度はバーコードのある裏面ではなく、ロゴの入った表面だった。誰かが気になって裏返したのだろう。持ち主は落したことに気づいているのだろうか。あるいはわざと捨てたのか。ポイントカードのいざこざに巻き込まれてないといいが。もしかしたら、そんないざこざから解放されたかったのかもしれない。
昔の事を思い出した時にネガティブのスイッチが入って戻せなくなってる
たまたま映像で昔いた会社が写っていたので久しぶりに会社のホームページを見ていた
がむしゃらにやっていた時の思い出が蘇る
何時も終電帰りまで仕事をしていた事、怒られて泣きながら仕事した事、上司や同僚にフォローされながらプロジェクトを終えたこと
…美談なんかではない
要領が悪く
自堕落で
結局それに分析できたのはフリーになって一人社長になった時だった
自分のためだけに時間を使う中で、自分のことを棚卸できたから気づけただけ
成長のデバフを重ねがけしたような20代で
辛い思い出しかない割に誇れるような戦績も能力もない人になっている
何でこうなったかを毎回棚卸せず、自業自得と言い聞かせて済ませてきた自分が悪い
在籍していた会社や経歴を話せば、何かただものではないみたいな言われ方するが万年平社員でよく叱られている人見たいな残念な人だったよ
一緒に仕事した同僚だった人だって別の会社で出世してる人だらけで、自分がなんで一緒に仕事してたのかわからないレベルだよ
年代平均年収を下回る給与で、うだつの上がらない人生を送っている
自分は生きることに頑張ってなかったのかな…
最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く
夕暮れごろの神社の境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと
参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい
世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋の場所借りした仕掛けから、狛犬の首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで
太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱に赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った
その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う
火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道に喧騒を連れてくる
人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく
どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ
しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく
夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望が通りすがりに声をかけてくる
ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた
そろそろ潮時かと片付けの準備をしかけたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた
年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている
坊ちゃん、迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした
ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける
ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日の釣果を胸に抱く
小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた
空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車のサイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う
遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだんと路地裏へと近づいてくる
面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした
童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい
バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし、路地の隅に童を返して、その場を去った
兄弟に空のバケツを見られ、神社にボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので
ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した
1.
近所の小川にでも行こう、とお前は思い立つ。
ハッキリ言って、近所の小川に行っていられるような気候ではない。なにかが壊れているのかと思うほどに気温は高く、家の外に出るなりお前はほとんど気を失いそうになる。
眩しく輝く陽光を浴びて世の物すべてが陽炎を放つ中、お前は歩き、小川にたどり着く。水色の塗装が剥げかかった小さなハシゴを降りて、お前は川辺に降りる。近くにある橋の下まで歩くと、日が当たらないぶんわずかに涼しい。
苔の生えたコンクリートを背に、お前は座り込む。座り込んで、目の前を横切る何かに気がつく。
それはメチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹が、お前を見てハサミを振り上げる。
2.
牧場に行こう、とお前は思う。お前は牧場になど興味がなく、また牧場は非常に遠い。ほとんどメリットのない、まったくナンセンスといってもいいような決断だが、人生には時折そのようなタイミングがある。
自動車を運転して、お前は牧場に向かう。牧場は人里を離れた山のなかにあるが、とはいえ観光牧場だから、道中に不安を感じるような道はない。
10月の空は澄んでいて、遠くには雲がたなびいている。遠くに馬糞の香りを嗅いで、お前は牧場に来たことを実感する。「ようこそ」と書かれた、大きく古びた看板が立っている。
お前は牧場に興味がないから、何をしていいかほとんどわからない。迷子のようにふらついて、食堂のような建物に行き着く。まだ昼前だから人影はまばらで、ただソフトクリームの売店の前にだけ人だかりがある。
人だかりに加わるかどうか考えながら、お前は食堂の古ぼけた椅子に尻を据える。安っぽいプラスチックの机の上に目を走らせると、そこには何か小さい生き物がいる。
それはメチャクチャ小さい蟹だ。どこからか、羊の鳴き声が聞こえてくる。メチャクチャ小さい蟹が、ハサミを振り上げる。
3.
お前は花火大会を見に行って、さしたる感動も得られずにひとり家路をたどっている。夏の夜風は生ぬるく、虫の声がうるさい。
川面に揺れる街灯の光に誘われて、お前は渡る必要のない橋を半ばまで渡る。半ばまで渡って、欄干に腕を乗せる。欄干に腕を乗せて、ただ川を見る。見応えのあるものでもない。時折、祭り帰りとおぼしい浴衣姿の人影がお前の後ろを通り過ぎる。
ふと、欄干の上に何かがいることにお前は気付く。大型トラックが背後を通り過ぎ、橋は大きく揺れる。橋に合わせて揺れているのは、メチャクチャ小さい蟹だ。メチャクチャ小さい蟹が、お前に向けてハサミを振り上げる。
自分の宮崎駿監督に対する身勝手な期待とか甘えを供養するために書く。今作品は期待半分、不安半分という気持ちだった。宣伝なしということだったし、宮崎駿監督作品を事前情報一切なしで視聴できる機会というのはおそらく最初で最後であろうと思ったので、早バレ等も避けるために数日SNS断ちして初日に見に行った。ただ映画館に向かう足取りの中で最後感じていたのは恐怖感だった。子供のころにもののけ姫を見たときの衝撃を再び与えられて、おっさんになった今再度、人生観を揺るがされるかもしれないと―。
さて、いざ蓋を開けてみると、途中まではリアル物なのかファンタジーのどっちなの?というドキドキや不安感。方向性が確定したときに期待感はMAXとなったが、それ以上膨らむことはなくしぼんでいった―。
美術、アニメーションの美しさは申し分ないが、ストーリーは感情移入できない半端な作りと言ったところで、結局、いつもの宮崎監督後期作品という他ない。今、振り返ってみると監督のキャリアハイとしての作品は千と千尋の神隠しあたりになるのだろうが、その千と千尋も後半から、この半端さの片鱗がある。例えば終盤、千尋は豚の中に両親がいないことを見抜くが劇中にその説明はない。しかしながら説明不足ではあっても、千尋とハクとの心のふれあいみたいなものが十二分に描かれているから、感情的に押しきれている。手を離すシーンとか思い出しただけで泣けるわ。
しかしながら、君生きはストーリーっぽいものや感情の揺らぎみたいな表現はあるものの、説得力というか、それ自体の根拠がはっきりと提示されないから、大抵の観客は感情移入できずに戸惑いを覚えると思う。例えば劇中で主人公の自傷行為や継母の拒絶が描かれるが、その感情の根っこが分からないので観客は困る。自傷はもっと構ってもらいたかったのかな?とか拒絶はやっぱり連れ子がうざかったのかな?とか想像はできるけど見てる側はそれを確定させる要素がないから、多分こうだろうとか理由を補完して見ていくしかない。つまり作品に気を遣う状態になるわけで、それは相当きつい。忖度は要求されるが、圧倒的な感情の「分からせ」がない(※)。監督が一人で突っ走ってる。観客は置いてけぼり。かつて宮崎監督は、見終わったあとに2階から出てくる感覚になるような映画がいいとか言っていたような気がするが(ソース探したが見つからず)、君生きは観客が一生懸命2階への階段を必死に探すものの見つけられないまま塔の中で迷子になり、最後にパヤオだけが悠然と2階から出てくるという感じだろうか(画・浜岡賢次で想像してもらいたい)。
あとはヒロイン?3人は多すぎる。実母に継母に婆さんでしょ?詰め込み過ぎて破綻する典型。正直、継母は全部削除して、序盤で実母エピソード増やして、実母を探しに塔に行く形にして、最後、実母ときれいに別れてで多少は形になったろうにね。もっとシナリオ段階で練ればいいのに…もったいない。
もう一つ、主人公が大叔父と話した後に、急にインコに囚われてるシーンになるが謎過ぎる。壁につながれた手が映ってからの下にパンしたときに、実母でも継母でもなくお前かーいってなったのが一番面白かったかもわからない。宮崎監督が過去、インディジョーンズの潜水艦移動を批判していたが( https://ei-gataro.hatenablog.jp/entry/20131030/p1 )、それと似たり寄ったりだろう。いくら異世界?だからといってワープしすぎである。
※ 宮崎監督とも対談したことのある養老孟司は「バカの壁」において強制了解という語をつかった(p.41)。例えば数学においては前提と論理を共有しているのであれば同じ結論に達せざるを得ない。ある定理の証明を正しく説明されたのであれば、その正しさを了解せざるを得ない。そういった強制力を強制了解と呼んだ。そうした強制力は感情においても成立する。例えば電車で子供が騒いでるのをぼけっと放置している父親がいたとして、普通はそれを理解できないが、もし父親が「実は母親が病院で亡くなって帰る所で、これからどうしていこうかと悩んでいたところなんです」と説明されれば、事情は理解できるだろう。事情が分かれば感情を了解できる。それは物語を受容する過程でも同じことが言えると思う。
なお、この流れで養老は他人の気持ちが理解できることを重視すると同時に、「個性」信奉を批判する。そんなに個性が大事かと。存分に「個性」を発揮している人は病院にいるという。白い壁に毎日、大便で名前を書く患者がいるらしい。芸術的にみればすごいかもわからないが、現実的には大変迷惑でたまらないだろうとのこと。奇しくも本作においては継母の美しい顔が鳥糞まみれになる描写があるのでそういう個性的なスカトロジー的芸術に理解を示す人はいるかもしれない。
こうした一見てんでバラバラに見えるような物語の断片も、もしかしたら宮崎監督だけには分かるのかもしれない。スピルバーグだか有名監督が誰にも分らない映画つくるのはホームムービー撮ってるのと同じだ的なことを言っていた気がするが、もしかしたら本当に宮崎監督はホームムービーを撮ってしまったのかもしれない。自分だけがわかる映画作品を作れるとしたら、映画監督としては最高の贅沢だろう。自分用の映画、私小説と言われたらなるほどという気もする。今回、宣伝がなかったという点でも符号する。これはもはや天才にだけ許された所業なのかもしれない(現実に実行可能という意味で)。
ナウシカだったと思うが、興行的に大失敗とはならなかったことから次の作品を作るチケットを手に入れたみたいな監督のインタビューがあった気がする。ジブリブランドが確立するまではコケたら次はない状態であったろうから、興行面は大変重視されたことだろう。つまり天才は大衆に合わせてくれていたわけである。しかしブランド確立された今となっては、大衆を気にすることなく好きな作品を作れるというわけである(ジブリの体制を維持できなかった点には目をつむるとして)。だから今もしかしたら「天才が本当にやりたかったこと」を我々は目にしているのかもしれない。
過去、パヤオ的感性としてはもっとアニメーション表現に全振りしたかったのだろうが、それじゃあ興行的に成立しないから、ストーリーもしっかりさせていたというのが過去の名作への向き合い方だったのだろうか。我々、一般大衆は天才の現実的な妥協のお陰で、(大衆的には)名作となる過去の珠玉を見せてもらえていたということなのだろうか。凡人が天才にちょっと付き合ってもらったという感じ。天才はちょっと退屈していたのかもしれない。大衆は今の退屈を嘆くのではなく、昔、天才に付き合ってもらっていたということを感謝すべきなのかもしれない。
この作品のそういった諸々の分からなさに対してなんとか理解しようとする感想や、なんとか説明しようとする解説記事などが上がっているのを見かけるが、なんとも物悲しい。めっちゃ面白い作品を骨までしゃぶりつくしたい!という渇望から生まれてくる文章はいい。例えばもののけ姫においては「『もののけ姫』を描く、語る 」というムック本があったのだが、それには一ファンから文筆家まで様々な人々の作品に対するとてつもない熱量で溢れている。でも味のしない作品をなんとかして食えるようにしたいという動機から解説を書いたり、それに群がることの虚しさよ。宮崎監督だから面白いはずなんてことはない。権威主義的だし、もうそれは諦めて次に行こうよ。これを知っていれば、本当は面白いんだよって本気で思っている人もいるかも知れない。でもそういう解説を必要とすればするほど、その面白さが作品内で素直に伝わってないことの裏返しである。野球の大谷がいくら凄いからって彼の(打者としての)ファールや三振をありがたがったりしないでしょ?今回の打席は残念だったねでいいじゃんね。(もちろん宮崎監督の場合、次があるかは分らんが)
さて、作品の表題に立ち返ってみると、これは疑問形である。作品としては名作とはとても言い難い。しかし聴衆に対する問いであると捉えたらどうであろうか。物語がてんで成立していないのに問いかけを見出すことができるのか?うーん正直、自分には無理。味がしないんだから問われたとも感じない。
しかし確かに思ったことがある。それは、大叔父のようなお爺さんに期待するんじゃなくて、自分が見たい作品があるのなら、他にそれを提供してくれる別の人を見つけるか、もしくは自分で作るべきだということ。初めから品質保証なんてものはなかった。自分が勝手に期待して、勝手に失望しているだけのことである。
最後に話がそれるが、しかしながらなぜ我々大衆は次々と名作を望むのであろうか。新作を批判すると「じゃあ、過去の名作繰り返し見とけや!」って言われるかもしれない。そう言われるとちょっと答えに窮する。何度も見ればストーリーも覚え、感動も薄れてくる。やっぱり初見の衝撃に叶うものはないということだろうか。それを再び味わいたくて次の名作を追い求めているのかもしれない。キリがないし、わがままだなって思われるかもしれないが、正直人としての性としか言いようがなくないか?そこを内省しだしたら仙人になるしかない気がする。
あとは現実がつらいからね。時には金払ってちょっといい気分になりたい!ぐらい許してほしい。こっちは作者の高尚な構想にがんばってついていく苦行やマラソンじゃなくて、自動で楽しませてくれるジェットコースターに乗りたいの!
で、初見という点で最近思っていることは「私の体験」を大事にすることが重要なんじゃないかと思っている。ゲームでもなんでもあまりレビューを見ずに体験するように心がけている。あらかじめレビューを見て他の人が面白い!星4以上!と言っている作品なら、安定して面白いかもしれないが、半分ネタバレのようなものではないか?
若い人にはタイパを優先しすぎて自己の視聴体験やプレイ体験を損なっていないかと問いたい。面白さの保険料として自身の体験・感動を売っていないか?と。おじさんおばさんは子供のころに自分で図書館で本を表紙で選んで借りた体験とか、ネットもない時代にゲーム屋で「クソゲーかも知れんがままよ!」と覚悟してゲーム買った記憶とかを思い出してほしい。そういう多少、損するかもと思ってもクソ作品を引く勇気をもって、一対一で作品と向き合う、ぶつかってみるということを時々でもした方がいい気がする。だから、今回、作品に対しては残念だったが後悔はない。純度100%の自分の感想を持てた。展覧会的な感じでいろんなアニメーションを見せてもらったという感触では数千円も損したという気もしない。今後もどんどん色んな作品に触れていきたいと思っている。例えばポノックの次作品はちょっと子供向けだろうけど、子供と一緒に見に行こうかなと思ってる。
視聴しながら、ぼんやりと宮崎監督がゲド戦記作るとしたらこんな感じだろうなと思った。影との戦いでゲドは船で移動するし、ところどころの魔法感や大叔父は大賢者になったゲドのイメージだなと感じた。大叔父のイケオジ度は過去最高かも分らんので一見の価値はあると思う。
インコの大王を追いかける時に螺旋階段を落とされるシーンがあったが、長靴をはいた猫での魔王と主人公たちとの大立ち回りを彷彿させた。この作品の監督は宮崎ではないが、そのクライマックス部分は大塚康生との二人で原画担当した箇所であり、とにかく面白い( https://www.ghibli.jp/shuppan/old/pickup/nagagutsu/ )。1969年の作品なので絵のきれいさはどうしても現代の作品には見劣りするがアニメーションの面白さは今でも通用する。未見の人はぜひ見て欲しい。君生きよりよっぽど面白いと思う。で、君生きでは大王がラスボスっぽくでてくるが大した戦いもなく終わってしまうのであっけない。長靴をはいた猫でのアクションを思い出しただけに、「あ、これだけなのか・・・」という虚しさが半端なかった。念入りに階段落とさせたり、序盤で主人公の着替え丁寧に描写するぐらいならもっと面白いカット増やした方が良かったろうにって思っちゃう。
使いまわし多いし、特に盛り上がる曲もなし。3日で作りましたと言われても信じるレベル。久石譲も「これぐらいの作品ならこれでいいや」って感じだったと思う。絶対、名曲ストック持ってるだろうと思うが、映像側がそれを引き出せなかったというのは至極残念に思う。米津曲も悪くはないけど、作為がちょっと鼻についたかな。いつも何度でもみたいな作品とのマッチ感は正直ない。と言っても作品の味がしないのでどうしようもない気もする。そういう意味では米津もかわいそう。
俺「えっと輸液を…あ、採血も…そのあとCTで…歩いても痛くはないそうなのですが…えっと…」
看護師「だ!か!ら!どうして欲しいのかちゃんと教えてください!」
俺「すいません!採血と輸液を投与してからCTとエコーをお願いします!」
俺「僕です!」
指導医「ふざけたカメラワークしやがって!当直明けだからって手抜くんじゃねえぞ!」
俺「すいません!」
俺「始めます…!」
先輩「どうした?声門に何かあるか?」
俺「……(これか)」
先輩「ばか!声門に突っ込むな!殺す気か!戻せ!戻せ!」
俺「はい!今日はここまでです!リスニングは今から少しづつでも良いので慣れておきましょう!何か質問ある人〜」
俺「あはは〜」
俺「あはは〜」
ショッピングモールのソファで休んでたんですよ。そしたら2、3歳の女の子がギャン泣きで現れて。周りの人たちは迷子か?と互いに目配せしあって見守ってたけど、ずーっとギャン泣きしてるし親は現れないしで、ついに「どうしたの?」って聞いたんですよ。そしたら
ソファで携帯ポチポチしてた全くノーマークの男性が「あ、いいんで」って言ってきて。周囲の人が全員心の中で
って突っ込んだのが見えた。
ええ?あんなギャン泣きしてたのに携帯ポチポチしてたの?その子もパパに泣きついても無駄なのをもう学習してて一人で泣いてたんだなって、悲しくなった。
モールとかスーパーとかでこういうの実は「珍しくない」のが1番きつい。
フードコートで1人で子供の世話に追われて何も食べられてないママと、相席した独身男性がすごいスピードで食べ終わって携帯ポチポチしてる。いやどうも父親らしい…ってのとか、
荷物めちゃくちゃ持って子供2人世話してるママの後ろにずっといるけど何もしない手ぶらの男性、もしかして霊かな?って思ってたらどうも実在の父親らしい、とか子育てあるあるなんだよね。
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