「近海」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 近海とは

2021-02-20

食糧問題には政治関係ない

wnx***** |4時間

中国13億人の食糧確保は大変。日本近海にも違法中国漁船が侵出して来て鮪、サンマ等の乱獲。

日本が開発した美味しい苺や林檎の新しい種子違法自国に持ち帰り大量栽培中国人口が増えると日本に良い事は何一つない。

とちおとめサンフジといった美味しい果物はもちろん日本人の品種改良努力だが、

中国にはまだ1.5億人が年収30万円以下で、5億人が年収100万円以下という現状がある。

彼らに罪はない。

一人っ子政策産めよ増やせよ大躍進政策にふりまわされた被害者である

彼らが日本の美味しい果物穀物を盗んで持ち帰り栽培することに対して、政治的反論することは狭量である

しろ食糧問題人権にかかわることだから見逃すことも大事だろう。

たとえば日本住血虫はまだ中国では根絶されておらず毎年死者が出ている。

日本鄧小平時代から中国対策支援してきた。

こうした活動国境関係なく、人権保護問題である

もし将来、中国の5億人の貧民の人権改善されたとしたらそれは人類に貢献したという日本の誇りである

仮に中国がその5億人を使って途上国少数民族の臓器を抜いたりレイプを行ったり、

恩を仇で返したとしても、

それは彼らの悪の問題であってわれわれの行った善になんら影響がないのである

2021-02-16

anond:20210216152921

日本近海には海底資源があるような話は何度もあったけど明るい話が今のところない気がする

掘削コスト技術

2020-11-03

anond:20201103121642

まだ回収されてない伏線があるだけだろソレは。

シャンクス複数いる

近海の主が複数いる

・お芝居

・その日シャンクスは弱っていた

いくらでも理由は考えられる。

2020-09-23

小学生IQでも、出来るビジネス

近海にある貝殻を拾って、これは、南の島からとってきました。

みたいなかんじで、デコッてメルカリで売って、暮らしたいが。

それは、それで手先の器用さが必要そうだし、小学生という愛くるしさが必要なのではないか

  

いや、これからの季節、ドングリやマグボックリを拾ってきて、デコッてクリスマスリースとかって、したいが、

そんなの100均ーでも売っているしなぁ。。

  

2020-08-07

硝安の爆発性

古い報文だけど、いっぱい爆発事故を起こしてるんだなあと変な感心をした。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/safety/10/5/10_253/_pdf/-char/ja

日本近海での事例として以下の事故が示されてる。

鹿児島県草垣島西方92km海上 1964年5月11日 行方不明および死者25名,負傷者5名

台湾汽船(1873t)がキールンを出て北上中、船火事により積荷の硝安2200トンが爆発した.爆発は二回おこり船体は瞬時にして沈没した。

2020-04-04

武漢ウイルスとか言ってんのアホやろ

領海近海台風が発生した国を責めるのとあんま変わらんで。

ちょっとは違うけどな。例えってのはちょっとは違うもんじゃ。それが低能にはわからない。

でも発生地としての責任はなくても封じ込めに失敗した責任はあるで。当たり前じゃけど。中共ウイルスじゃ。まあ名前とかどうでもええわ。ここまでどうでもええこしか言うとらん。

本題は今後中国に何らかの制裁可能手段はあるのかないのかということです。あるの?

2020-02-20

クルーズ船は、定期的にうんこ水を排水するために海洋にでる。

そのうんこ水には、コロナウイルスたっぷりまれている。

日本近海は既に汚染されている可能性がある。

2019-10-26

昔の人ってなんで「台風」を知らなかったの?

「何か知らんけど毎年八朔から秋分にかけて異様に暴風雨になったりするけど何で?」とか疑問に思わなかったのだろうか?

朝廷とか幕府役人諸国から訴状を調べてみたところ「薩摩で暮れ六つに暴風まり、子ノ刻に尾張にて風雨甚だし河川溢る。江戸明け六つに暴風にて屋敷の瓦剥がれ落ち、明くる午ノ刻陸奥にて暴風あり」

とかの知見みたいなのを得て「これは移動性の低気圧である」という結論を出せなかったのだろうか?

卑弥呼くらいの時代から知ってたんじゃないの? 農耕とか治水って政治のものじゃん。

そういう事では無い。只の「夏から秋にかけて発生する暴風雨」としか認識しておらず「日本近海太平洋上で発生し、日本列島を南から北に移動し各地に被害を及ぼす熱帯性低気圧」という事は外国人に教えて貰うまで知らなかったという事をいっている。

「今朝に多摩川洪水引き起こし暴風雨半日後には最上川を氾濫させる事になる」という一般的知識江戸時代の人々は持ってはいない。「台風を知らない」事とは、つまりそういう事。

2019-10-12

上陸時の最大風速予想は40mになったな

40mだと比較的ありふれた威力台風だと思う

近海海水温がそんなに高くなかったのが幸いしたか

2019-09-14

電気に詳しい知人に脱原発実現性について聞いた

専門家の知人に聞きました。

本人が本名ネットに出したくはないっぽいし、聞いてきた私に電気知識が皆無なのでソース提示できません。

調べたり考えたりするきっかけか、娯楽の読み物くらいに扱ってください。

・よくいわれる太陽光や風力などの再生可能エネルギーで置き換えるのは安定しないので、現代技術ではまず不可能

・どこぞの野党が以前出していた海洋発電案は確かに安定するが、野党の案のように原発が生み出しているすべての電力を置き換えようとすると日本近海の海流に大きな影響を与えるため、日本漁業死ぬ夢物語

日本には木材チップ利用した発電を行うことができる設備がたくさん眠っており、計算上は脱原発可能な電力を生み出せる。

木材チップ国内生産可能なので、石油のように輸入に頼る必要はない。

・電力供給を安定させるためには設備にもう少し余裕がほしいのですぐに全部切り替えるのは現実的ではないが、段階的に切り替えれば現実的な期間で脱原発可能かもしれない(要検討)。

・当然木材チップを使った発電には結構ランニングコストはかかるた電気代は上がる。一方で原発事故が起きれば後始末に甚大なコストと期間がかかるため、一考の余地はある。

2019-09-11

秋鮭

脂乗ってるよ派

9月に遡上するものは「秋サケ」と呼ばれ、魚体も大きく脂肪分が高い。

http://pescarich.com/salmon.html

9~11月頃、川へと帰ってくる「鮭」日本近海捕獲するのが「秋鮭」「秋味」と呼ばれるもので、産卵をひかえて脂がのり、格別の味だといわれています

http://www.daiei.co.jp/food/season/201809_1_akizake.html

脂控えめだよ派

秋鮭は、2~8年間回遊し、秋(9~12月)に産卵のために故郷の川に戻る鮭で、脂が少なくオスには白子、メスには卵(筋子)を持つのが特徴です。

https://www.sankei.com/west/news/170918/wst1709180005-n1.html

秋鮭は産卵前で身が締まっているのが特徴で、白子や卵の成長のために体脂肪が使われているので、脂は少なめであっさりしています

https://shufuse.com/629

2019-07-08

反原発論者への手紙

まず、私も長期的にみたら原発をなくしていくことには賛成だ。なぜなら、廃棄物問題事故が起こった時の事の重大さが怖いからだ。

しかし、今は原発をなくせないとも思っている。エネルギー問題は人の命に直結する問題からだ。それを今から述べようと思う。

まず、反原発論である貴方原発をなくした分足りなくなるエネルギーをどうやって確保するつもりだろうか?多分、いくつかの案があるだろう。しかし、現時点ではどの解決方法原発の利点を覆せない。

代替案1:再生エネルギー

これを考えている方は科学教養が少し足りない。

東日本大震災が起こってから再生エネルギーの利用が進んだ。特に太陽エネルギー発電所はかなり増えた。これらが家庭の電力をある程度補ってくれているのは確かだ。しかし、それでは不十分なのだ

日本は今だ工業である。そうした工場で使うための安定した電力は再生エネルギーではまかないきれない。単純に発電量が足りないのもあるし、再生エネルギーの発電は不安定だ。工場で使うための電力がこれで補えることはあり得ないのである

代替案2:火力発電に戻す

これを考えている方は歴史教養が少し足りない。

日本大東亜戦争を起こしたきっかけの小さくない一つがエネルギー問題だ。当時の日本ABCD包囲網により石油の輸入を完全に止められた。当時の電力は石油による火力発電依存していた。つまり日本工業生産や日々の日常安定的に営むことを禁止されたのだ。これをきっかけの一つにして日本大東亜戦争を起こし、ご存知の通り多数の死者を出した。

日本から石油ほとんど産出されない。なので、火力発電に戻すということはエネルギーほとんどを輸入に頼るということになり、諸外国の政情次第でいくらでも不安定になるし、最悪輸入を止められるということがあり得る。実際戦後になっても政情不安定による石油不足からオイルショックと呼ばれる恐慌を何度か起こしている。

原子力発電の燃料も輸入ではあるのだが、石油一本に依存するよりはだいぶ安定感が違うのだ。

代替案3:電力を使わない生活をおくる

これを考えている方は想像力がかなり足りない。

あなた一人が山奥で電力を使わない暮らしをおくるのはそんなに難しくないかもしれない。しかし、電力を使わないということは電力で維持されている命を殺すことであり、経済活動を殺すということであり、大恐慌という言葉ですら生易しい大混乱が日本を襲う。当然死者も出るレベルだ。

代替案4:新しい安定的エネルギーを使う

実際のところ、これが一番まともな代替案になる。安定的な電力を作ることができて、なるべく輸入に頼らない、そして安定した量のあるエネルギーを使うのだ。そんな都合のいいものがあるわけない、少なくとも昭和時代には誰もがそう思っていたが、実はこれらの条件を満たすエネルギー存在する。メタンハイドレートだ。これは石油天然ガスに代わり火力発電の燃料になることが期待されている。

メタンハイドレート日本近海に大量に埋蔵されている。問題は、海底にあるため採掘技術確立されていないということだ。

しかし、これの採掘技術確立した時、日本エネルギー問題くびきから解き放たれることが期待される。

その時こそ、原発廃止するべきである

まとめ

今の現状では原発をなくせ、とは言えない。しかし、長期的に見れば廃止していくべきだし、そのための希望もある。だから、今反原発というところを争うのはあまり賢明ではない。どうかそれをわかって欲しいと思ってこれを記した。これが貴方に新しい視野を示すことができたのならば幸いである。

2018-12-27

WC脱退してむしろ捕るクジラの量減るんじゃないか

捕鯨反対派がわああああああって顔真っ赤にしてるけど

そもそも戦後クジラ捕りにわざわざ南氷洋まで行ってたのって日本近海クジラが少ないからでしょ?

他の国際法生きてるわけだし、脱退して商業捕鯨再開したところで撮れる量たかが知れてるんじゃないかなぁ?

国内向けには自国文化保護アピールできるし、実際は捕る量も少なくなる

winwinになるんじゃないか

2018-08-21

ドはドーナツのド

レはレモンのレ

ミはみんなのミ

ファはファイトのファ

ソは青い空

ラはラッパのラ

シはシーラカンス学名:Coelacanthiformes)は、シーラカンス目(Coelacanthiformes)に属する魚類化石種も現生種も含めた総称である。管椎目(かんついもく)とも呼ばれる。シーラカンス目は多くの化石種によって存在が知られており、古生代デボン紀[1]に出現して広く世界水域に栄えたが、約6500万年前(中生代白亜紀末)の大量絶滅(K-Pg境界)を境にほとんど全ての種が絶滅した。

 

長らくシーラカンス目は全て絶滅したものと考えられていたが、南アフリカの北東海岸のチャルムナ川(英語版)沖にて1938年、現生種の存在確認され、学会および世界を騒然とさせた。この現生種はシーラカンス代名詞存在となっているが、生物学上の名称ラティメリア・カルムナエ (Latimeria chalumnae) である

 

その後、1952年にはインド洋コモロ諸島で同じくカルムナエ種が、1997年にはインドネシアスラウェシ島近海で別種のラティメリア・メナドエンシス (Latimeria menadoensis) の現生が確認されている。後者日本語では生息地域の名を採って「インドネシアシーラカンス」とも呼ばれるようになる。

 

シーラカンス目は、白亜紀最後化石が途絶え、1938年に至るまで現生種が確認されなかったこと、化石種と現生種の間で形態的な差異ほとんど見られないことなから、これら2種は「生きている化石」との評価を受けた。

2018-08-16

anond:20180816075538

捕鯨にも何種類かあるんだと思う。

この立場からすれば、人間が完全に繁殖管理絶滅のおそれがない牛豚は食うことに何の問題もない。

この立場からすれば、「は? 牛や豚も駄目に決まってんだろ?」ってなると思う。

こいつらはまあ腐れダブスタ野郎ってことでいいと思う。ただ日本だとAやBの立場までCのダブスタ野郎と同一視されてる面はあって、正直それってどうなのよと思わなくもない。

私は近海捕鯨は賛成だけど、もし近海で捕れるクジラ個体数とかその辺がきちんと管理されてないならAに転じるかなぁ。動物倫理よりも食文化の方が重く、食文化よりも種の絶滅を防ぐことの方が重いと思うので。もちろんウナギ食反対だし犬食擁護です。犬食バッシングは本当に醜悪だと思う。イヌだと絶対にAの立場が成り立たない以上犬食に反対してる欧米人って一部の原理主義ヴィーガン以外は単なる自文化中心主義野郎じゃん、って感じ。

2018-07-20

うなぎ絶滅しても別に困らないもの。俺うなぎじゃないから。

さんま蒲焼きおいしいし。

でもサバ絶滅しそうというのは困る。

(日本近海で獲りすぎていなくなったんだって。わざわざノルウェーから買ってる)

手軽なDHA源がなくなったら日本人の知能下がっちゃうじゃん。

2018-07-08

災害の発生と非常災害対策本部の設置

平成30年2018年7月豪雨非常災害対策本部

災害の発生:平成30年7月5日~8日

本部の設置:平成30年7月8日設置

平成28年2016年熊本県熊本地方震源とする地震非常災害対策本部

災害の発生:平成28年4月14日21時26分

本部の設置:平成28年4月14日設置

平成26年2014年御嶽山噴火非常災害対策本部

災害の発生:平成26年9月27日11時52分

本部の設置:平成26年9月28日設置

平成26年2014年8月豪雨非常災害対策本部

災害の発生:平成26年8月19日夜から20日明け方

本部の設置:平成26年8月22日設置

平成26年2014年豪雪非常災害対策本部

災害の発生:平成26年2月14日から16日

本部の設置:平成26年2月18日設置

平成23年2011年台風12号非常災害対策本部

災害の発生:平成23年8月30日17から9月5日

本部の設置:平成23年9月4日設置

平成16年新潟県中越地震非常災害対策本部

災害の発生:平成16年10月23日17時56分

本部の設置:平成16年10月24日設置

平成16年台風第23号非常災害対策本部

災害の発生:平成16年10月20日

本部の設置:平成16年10月21日設置

平成12年三宅島噴火及び新島神津島近海地震非常災害対策本部

災害の発生:平成12年8月10日~8月29日(8月18日に大規模噴火

本部の設置:平成12年8月29日

平成12年有珠山噴火非常災害現地対策本部

災害の発生:平成12年3月31日3月29日気象庁から緊急火山情報あり)

本部の設置:平成12年3月31日設置

平成9年ダイヤモンドグレース号油流出事故非常災害対策本部

災害の発生:平成9年7月2日

本部の設置:平成9年7月2日設置

平成7年兵庫県南部地震非常災害対策本部

災害の発生:平成7年1月17日5時46分52秒

本部の設置:平成7年1月17日閣議決定

平成5年8月豪雨非常災害対策本部

災害の発生:平成5年7月31日から8月7日

本部の設置:平成5年8月9日閣議決定

平成5年北海道南西沖地震非常災害対策本部

災害の発生:平成5年7月12日午後101712

本部の設置:平成5年7月13日閣議決定

平成3年雲仙岳噴火非常災害対策本部

災害の発生:平成3年6月3日16時8分

本部の設置:平成3年6月4日閣議決定

全部wikipediaから引用

平成以降のもののみ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%BD%E5%AE%B3%E5%AF%BE%E7%AD%96%E6%9C%AC%E9%83%A8#%E9%9D%9E%E5%B8%B8%E7%81%BD%E5%AE%B3%E5%AF%BE%E7%AD%96%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%8C%E8%A8%AD%E7%BD%AE%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%81%BD%E5%AE%B3

2018-03-14

一度改めてワンピース面白序列を決めなおそうか

とりあえず暫定な

覇権 空島編(ロビン過去~エネル

2位 バロック・ワークス編(グランドライン突入直後~アラバスタ)

3位 イーストブルー編(近海の主~グランドライン突入直前)

4位 ホールケーキアイランド編(ゾウ~ビッグマム)

5位 マリンフォード頂上戦争何だかんだ盛り上がったと思う)

6位 ドレスローザ編(ドンキホーテ・ドフラミンゴ

7位 インペルダウン編(これぐらいのテンポが望ましいと思う)

8位 生”き”た”い”編(海列車CP撃破

9位 シャボンディ諸島編(レイリーハンコック

10 パンクハザード編(シーザー

11 スリラーパーク編(ブルック) 

12 ロングリングログランド編(デービーバックファイト

13 魚人島編(何だったのか)

反論がないならはてなにおけるワンピランキングはこれで固定にするぞ―

文句あるなら今の内にいえー

2018-01-13

EUモロッコ間で締結の漁業協定は……

EUモロッコは、1996年に提携合意を、2006年に漁業クタにおける協力合意(以下「漁業協定」という)を、そして2012年に農産物・加工農産物及び水産物・加工水産物に関する自由化協定を締結した。2016年12月21日に当司法裁判所は、欧州委員会に対しポリサリオ戦線が提起した訴訟における判決への控訴において、EUモロッコ間で締結された提携合意協定西サハラには適用されていないと判断した。しかし、この事件は同漁業協定に関するものではなく、それゆえ当裁判所判決において、その協定については何ら有効性の判断を行わなかった。

UKにおいて、西サハラキャンペーン(WSC)は、西サハラの人々の権利認定サポート目的とする独立ボランティア組織である。WSCは、高等法院(英国及びウェールズ)の女王座部(行政裁判所)にて、EUモロッコ間で締結した漁業協定と、同協定を首肯し施行する規則類は、同協定規則類が西サハラ地域水域適用される限りにおいて無効であると訴えている。WSCはそれゆえ、UK当局が同協定を履行すること、とりわけ西サハラ産品をモロッコ王国の産品と認めて特恵関税待遇を与えることを違法行為だとみなしている。さらに、WSCはUK当局西サハラ近海漁業ライセンスを発行する権限を有していることについても争っている(同協定で、EU漁船特定の条件の下でモロッコの漁場内で漁獲してよいと定めているため)。

高等法院は当裁判所に対し、まず、西サハラキャンペーンEU規則類の有効性について国際法を遵守していないとして争うことができるか、次に、EU法のもとで同漁業協定有効なのか、について確認を求めている。EUが締結した国際協定とその施行規則類の有効性の審査のための仮決定的手続のもとで請求が行われているのは、これが初めてである

 今日、メルキオール・ウォスレ法務官は、彼の見解のなかで、当裁判所は「EUが締結した国際合意適法性査定する裁判管轄を有しており、WSCのような団体は同漁業協定適法性を争うことができ、そして、同漁業協定西サハラ地域水域適用対象とするために無効である」と回答すべきである旨を主張している。EUが締結した国際合意適法審査する枠組みのなかで、国際法上のルール準拠することが自然人法人に開かれているかについて当法務官は、そのルールが無前提かつ充分明確であり、その性格と主要なロジック申し立てられた法の適法審査を妨げていないのであれば、EUが拘束されている国際法上のルール依拠して法的な手続きを行うことが可能でなければならない……と、みなしている。

 当法務官は、WSCの依拠する以下の国際法上の3規範に関して、こうした条件を満たしていると考えている。それは:(1)自己決定権、(2)天然資源にかかる永久主権原則~それが西サハラ人民利益のために当該資源の利用を要すかぎりにおいて~、そして(3)占領地域天然資源の利用にかかる国際合意の締結に適用される国際人道法のルールである。当法務官は、これらの規範EU締結国際合意適法審査の枠組みのなかにあり、これらに依拠することは可能である……と結論している。

 そして当法務官は、同漁業協定とこれを首肯し施行する規則類が、これらの3規範に適合しているか審査している。

 まず当法務官は、西サハラの人々が国連総会の設けた条件で自己決定権行使することすら、かくも永くの間、機会を奪われている……と、述べている。西サハラ併合によってモロッコ王国統合されたが、この地域の人々が自由意思表示をしたことによるものではなかった。モロッコ領土への西サハラ一方的統合と、当該地域にかかるモロッコ統治権主張を根拠として、モロッコが同漁業協定を締結して以来、西サハラの人々はその天然資源自由処分していない。それが、自己決定権によって求められているにもかかわらずである。したがって、申立ての規則類によって定められ行われる西サハラ近海でのEUによる漁獲は、西サハラ人民自己決定権尊重するものではない。

 モロッコによる西サハラ統治権の主張は西サハラ人民自己決定権を損なったことによるものであるから西サハラ人民自己決定権モロッコによる侵害の結果である違法な状況を是認せずその維持に援助を与えないようにする義務を、EUは怠っていた……と結論する。この理由のため、西サハラ地域とその近海への適用に限って、同漁業協定とそれを首肯し施行する規則類は、欧州連合に対し外事につき人権保護国際法を厳格に遵守しなければならないと要求する欧州連合条約の定めに適合していない。

 当法務官は、西サハラにおけるモロッコデファクト施政勢力もしくは占領勢力としての地位は、同漁業協定の締結を正当化できないと考えている。第一に、「デファクト施政勢力」の考え方は国際法存在していない。第二に、モロッコ西サハラ占領勢力であるが、同漁業協定の締結のされ方が、占領地域適用される国際合意占領勢力による締結に適用される国際人道法のルールに適合していない。

 次に同法務官は、同漁業協定により提供された漁獲のほとんどが西サハラ近海限定的関係している(これらの海域で得られた漁獲は、同漁業協定で定められた漁業文脈で行われた総漁獲量の91.5%付近にのぼる)と認定する。同漁業協定に従ってモロッコ王国へ支払われた財政的貢献は、ほとんど西サハラ人民利益のためだけに使うべき…ということになる。当法務官の見解では、同漁業協定西サハラ人民利益のための漁獲となるために必要な法的セーフガードを含んでいない。この意味において、天然資源に係る永久主権原則占領地域天然資源の利用にかかる国際合意の締結に適用される国際人道法のルール、そして最後に、これらの原則ルール違反した結果である違法状態是認せずその維持のために援助を与えないEU義務を、同漁業協定及び他の申立ての規則類は遵守していない。

 これらの理由全てにより当法務官は、同漁業協定無効である結論する。

2018-01-03

anond:20130625011927

近海で獲れる魚は、神様が美味しい焼き魚になるように品種改良を繰り返した結果だから

美味しくて当然なんよ。

品種改良の失敗作が深海魚として生き残びているけど、こっちは焼いても美味しくない。

2017-12-08

anond:20171207235715

なぜ漂流させるのか理解に苦しむわ

エンジンもあるし近海まで曳航してもいい

なんなら木造漁船もっと大型の船に積載して日本近海まで運んでもいい

あと北朝鮮軍人なんか言うほど貴重でもないでしょ

2017-05-19

この条約が締結される頃の東アジア世界は、近代国際法を掲げながら、実際には弱肉強食を旨とする西欧列強が浸透してくる時期にあたる。当時朝鮮は清の冊封国であったが、鎖国政策を国是としていたため、国際交流は非常に限られていた。しかしそのような朝鮮にも1860年代以降国際化の波(外圧)が押し寄せ、海上から西欧諸国が訪れるようになる。朝鮮西欧列強との出会いは、概ね芳しいものではなかった。たとえば1866年にはフランス軍キリスト教徒虐殺事件丙寅迫害)の報復として軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮江華島攻撃占領する丙寅洋擾が発生し、1871年にはアメリカ合衆国ジェネラルシャーマン事件1866年発生)の報復として軍艦5隻総兵力1200人艦砲85門で朝鮮江華島攻撃占領を行っている(辛未洋擾)。丙寅洋擾と辛未洋擾は朝鮮通商を行うための侵略であったが却って斥和碑を建てるなど攘夷につながった。

当時朝鮮政権を担っていたのは高宗の実父興宣大院君である清朝から西欧列強情報を得ていた大院君は、断固として鎖国を維持する姿勢を貫いた。これは中国における西欧側の非道を知ったこともあるが、朱子学以外を認めない衛正斥邪という思想政策積極的に推し進めたことから分かるように、大院君は中華思想的発想の持ち主であり、その点から西欧諸国夷狄視していたことも理由の一つである。その強い姿勢は「西洋蛮人の侵犯に戦わない事は和議をする事であり、和議を主張することは売国行為である」と書かれた斥和碑を朝鮮各地に建てたことに窺うことができる。このように当時の朝鮮では攘夷熱が高まっていた。

また朝鮮では、文禄・慶長の役時に、中国朝鮮を守ったため、今回も中国朝鮮を守ってくれるに違いないという立場であり、小島毅は「中国東アジア全体にとっての親分だというのが朝鮮認識ですから親分である中国自分を守ってもらおうとするわけですね」と述べている[2]。

日朝間の懸案:書契問題[編集]

他方、西欧列強が迫っていた東アジア諸国の中で、いちはや開国明治維新により近代国家となった日本は、西欧諸国のみならず、自国周辺のアジア諸国とも近代的な国際関係樹立しようとした。朝鮮にも1868年12月明治政府樹立するとすぐに書契、すなわち国書対馬藩の宗氏を介し送った。江戸時代を通じて、朝鮮との関係は宗氏を通じ行われてきたためであるしか国書の中に「皇」や「奉勅」といったことばが使用されていたために、朝鮮側は受け取りを拒否した。近代的な国際関係樹立は、はなから躓いたといえよう。

この問題は、日朝双方の国交に対する思惑がすれ違ったことが原因である日本側は従来の冊封体制的な交隣関係から条約に基礎づけられた関係へと、日朝関係を変化させることを企図したのであるが、一方朝鮮側はこれまでどおり冊封関係にとどまり、その中で日本との関係位置づけようとしていた。前近代における冊封体制下において、「皇上」や「奉勅」ということばは中国王朝にのみ許されたことばであって、日本がそれを使用するということは、冊封体制の頂点に立ち朝鮮よりも日本の国際地位を上とすることを画策したと朝鮮は捉えたのである

なお近代以前の日朝関係については朝鮮通信使に詳しい。

征韓論を唱えた西郷隆盛。ただし江華島事件及びその後の日朝修好条規締結に対して義に悖ると批判していた。

1868年以来、何度か日本から国書がもたらされたが、日朝双方の思惑の違いか両国関係は円滑なものとは言えなかった。書契問題を背景として生じた日本国内における「征韓論」の高まりに、大院君が非常な警戒心を抱いたことも一因である。また釜山においては日朝両国官僚同士が険悪となっていた。長崎出島のごとき釜山倭館限定した国交を望む朝鮮側と、対馬宗氏から外交権を取り上げて外交を一元化し、開国を迫る日本との間に齟齬が生じたのである釜山倭館朝鮮側が日本特に対馬藩使節商人を饗応するために設けた施設であったが、明治政府対馬藩から外交権を取り上げ、朝鮮との交渉に乗り出そうとした。その際、倭館をも朝鮮側の承諾無しに接収日本公館としたことから事態悪化したのである。結果、必要物資供給及び密貿易の停止が朝鮮から宣言される事態となった。

日本側も単に国書を送りつけるだけだったわけではない。版籍奉還という日本国内の難問を無事に乗り越えた1870年朝鮮との国交交渉を有利にするため、冊封体制の頂点に立つ清朝と対等の条約日清修好条規を締結した。これにより冊封体制の維持を理由に国交交渉忌避する朝鮮を、交渉テーブルに着くように促したのである

1873年に対外強硬派の大院君が失脚し、王妃閔妃一派が権力を握っても、日朝関係は容易に好転しなかった。転機が訪れたのは、翌年日清間の抗争に発展した台湾出兵である。この時、日本朝鮮出兵する可能性を清朝より知らされた朝鮮側では、李裕元や朴珪寿を中心に日本から国書受理すべしという声が高まった。李・朴は対馬藩のもたらす国書に「皇」や「勅」とあるのは単に自尊意味するに過ぎず、朝鮮に対して唱えているのではない、受理しないというのは「交隣講好の道」に反していると主張した。これにより朝鮮側の対日姿勢がやや軟化した。

条約締結までの経過[編集]

国交交渉[編集]

国交交渉再開の気運が高まり1875年交渉が行われた。日本側は外務省理事官森山茂と広津弘信、朝鮮側は東莱府の官僚交渉テーブルに着いたが、やはり書契に使用される文字について両者の認識に食い違いが生じた。この他森山洋服着用など欧米スタイルを貫こうとする姿勢朝鮮側が嫌悪感を示したことで交渉ははかばかしくなかった。交渉の停滞に業を煮やした森山4月には砲艦外交を行うことを日本政府に上申した[3]が、三条実美の反対があり、川村純義の建議により日本海軍砲艦二隻(雲揚および第二丁卯)が5月派遣され朝鮮沿岸海域の測量などの名目示威活動を展開した。その後雲揚は対馬近海の測量を行いながら一旦長崎に帰港するが、9月に入って改めて清国牛荘(営口)までの航路研究を命じられて出港した。

江華島事件[編集]

詳細は「江華島事件」を参照

9月20日首都漢城に近い江華島付近で、雲揚所属の端艇が朝鮮砲台から砲撃を受ける事件が発生した(江華島事件)。雲揚は反撃し、永宗島要塞を一時占領、砲台を武装解除し、武器旗章楽器等を戦利品として鹵獲した。この事件における被害は、朝鮮側の死者35名、日本側の死者1名負傷者1名(のち死亡)であった。事件朝鮮側が日本海軍所属軍艦と知らずに砲撃してしまった偶発的なものとされ[4]、この江華島事件の事後交渉を通じて、日朝間の国交交渉が大きく進展した。

条約交渉における日本側の基本姿勢[編集]

ボアソナード

明治政府のお雇い外国人ボアソナードは、事件を処理するために派遣される使節への訓令について、以下を決して朝鮮に譲歩すべきではないと具申した。

釜山・江華港を貿易港として開港する。

朝鮮領海航行の自由

江華島事件についての謝罪要求

またこれらが満たされない場合軍事行動も含む強硬外交姿勢を採ることをも併せて意見している。これらの意見ほとんど変更されることなく、太政大臣三条実美を通じて訓示に付属する内諭として使節に伝えられた。さら朝鮮に対する基本姿勢として、三条はこの江華島事件に対して「相応なる賠償を求む」べきとしながら、使節団の目的を「我主意の注ぐ所は、交を続くに在るを以て、・・・和約を結ぶことを主とし、彼能我が和交を修め、貿易を広むるの求に従ひときは、即此を以て雲揚艦の賠償と看做し、承諾すること」だと述べていた(強調、加筆者)。これは欧米列強干渉を招かないよう配慮すべし、という森有礼の言が容れられたものである

さらボアソナードのいう軍事行動も含む強硬外交姿勢も、日本は忠実に実行に移している。使節団一行には軍艦兵士の護衛がつき、威圧効果朝鮮側に与えようとした。また交渉が決裂した場合に備え、山縣有朋山口県下関に入り、広島熊本両鎮台の兵力をいつでも投入できるよう準備していたのであるさらにいえば、日本砲艦外交姿勢は無論朝鮮の屈服を促すものであったが、同時に日本国内の「征韓論」を唱える不平士族の溜飲を下げることも狙ったものであった。

ただこのように軍事的高圧な姿勢を表面上見せながら、当時の日本は軍費の負担という点からいって、戦争が好ましいとは考えていなかった。また戦争の発生がロシア清朝の介入を許すきっかけになるかもしれず、その点からも極力戦争は避ける考えであった。

以上をまとめると日本側の交渉の基本姿勢は、以下の二点に集約される。

砲艦外交を最大限推し進めながら、実際には戦争をできるだけ回避すること。

江華島事件の問罪を前面に押し出しながら、実質的には条約を締結し、両国の懸案で長年解決しなかった近代的な国際関係樹立すること。

また対朝鮮政策は、実質的には朝鮮宗主国である清朝政策でもあり、清朝干渉をなくすべく事前に清朝の大官たちと折衝を重ねることも日本は行っている。19世紀欧米列強アジア侵略に対抗するため、清朝朝鮮ベトナム琉球などの冊封国保護国化あるいは併合することによって皇帝を中心としたアジア伝統的な国際関係をそのまま近代国際関係へと移行させて清の地位と影響力を保持しようとし、冊封国に対して保護国化、モンゴルチベット新疆などの保護国に対しては植民地化を強めようとしていた。

この時期の東アジアは、日中朝そして西欧列強の間における複雑な絡み合いが相互作用する場が形成されつつあった。日朝間の国交交渉再開もその結果としてもたらされたものであると同時に、また別の歴史事象の原因でもあったのである

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん