はてなキーワード: 農耕馬とは
年間7000頭以上生産される競走馬のうち、天寿を全うする事が出来る馬は1%、競走馬以外の形で第二のキャリアを過ごせる馬が10%くらいと言われている。
Q、残りの馬はどうなるのか?
A、「肥育」=つまりは食肉になる
馬はたしかに可愛いが、牛だって豚だって知能もあれば感情もある可愛い動物だ。だから、可愛い馬を肉にして食うなんてとんでもない、などと寝言を言うつもりはない。
馬主=飼い主には、動物愛護法に則って命を責任をもって養う義務があるのだ!最後まで飼えないのなら飼うな!などと犬猫と同じような理屈(それはそれで正論だが)を言う気もない。
馬を飼育するための費用は膨大で、牧場などに預託する場合は、1頭につき年間100万円近くを要するし、広大な土地も必要であり個人で飼育する事は多くの場合難しいだろう。
しかし、引退する競争馬と他の食肉になる動物たちの違いは、競走馬には自分自身で人間なんかよりも大金を稼いで来たし、これからも馬として働いて稼げる可能性をもっているということだ。
馬たちの持つ経済力や可能性を活かして、馬たちの福祉に利用する道が拡大できないのか?ということを考える方がいい。
年間7000頭もの競走馬は、全国に800ほどある生産牧場で誕生する。
牧場が生産した競走馬の余生を過ごさせることが出来ればいいかもしれないが、生産牧場も非常に厳しい。2000年初頭には1600くらいあった牧場が、この20年余りでおよそ半分にまで減少している。
競走馬は、飼育している牝馬に数千万~数十万円もする種付け料を支払って交配する事で生まれる。セリに出すまでの2年間に、生産から競走馬としての基礎を調教されるが、
仮に1頭に生産者1人が付きっ切りで面倒を見た場合、人件費2年分が乗る形になる。
セリ市は、毎年高値が出たと報道されるセレクトセールとセレクションセールがあり、それぞれ平均売却値が異なるがセレクションセールでの売り上げ平均額1400万程度となることも多い。
飼育に必要な費用や設備投資資金、2年と言う歳月を考えれば、1400万円は高いとは言えないだろう。生産者が全ての引退馬のことを考える余裕はないはずだ。
大きなファームともなると、有力馬を生産し、著名なレースを勝ち1億円以上の賞金額を稼いだ功労馬を繋養していることはある。
種牡馬や繁殖牝馬を引退し、馬主と牧場に多額の利益をもたらすと同時に自らの老後の資金をも稼いだ馬たちだけが、
清潔に保たれた専用の馬房と広大な放牧地を与えられ、時折訪れる往年の競走馬時代を知るファンたちに敬愛の眼差しで愛されながら余命を全うさせてもらえる。
競馬ファンから気にかけられる成績を残せなかった馬たちの中にも、馬主が年間100万円以上にもなる預託料を支払って、養老牧場で過ごさせてもらえる馬主に恵まれた幸運な馬もいる。
預託料の相場としては年間60万円~120万円くらいといったところのようだ。個人で馬を飼育しようとすると、牧草をロット単位でしか売ってくれず割高になるというが、月々8万円くらいらしい。
牧場でまとめて購入する場合は安くなるとしても、日々のケアにかかる時間と手間を考えたら1頭当たりの月々の手間賃は高くはない。
受け入れれば長期に渡って、安定した売り上げが期待できるとは言え放牧地や厩舎を用意するなら、仔馬の生産に使った方が利益になるし、養老牧場は生産者の善意や馬への愛情で成立してるようなものだろう。
同様に馬への愛情や善意のみで成立しているものにNPO団体や、馬と関係があった人、担当厩務員や調教師など、が立ち上げた「○○の会」の様なグループも存在する。
共通するのは一口数千円/月の会費や寄付金によって年間100万円にもなる預託料を得て養老牧場で繋養してもらうという方式だ。
具体名はださないけど、某地方競馬場で連敗記録で有名になった馬も現在はかつてのファンの善意で老後を過ごしていたりする。
NPO団体の会計をみると、100万円のうち会費と寄付で40万円、助成金で60万円ほどを得てギリギリで回していたりするので、こうした事業も難しいのだろう。
競走馬というのは、非常に気性が激しくて速く走る為の訓練を受けているアスリートで、これをすぐさま乗馬にするということは難しいらしい。また全ての馬が乗馬にむいている訳でもないとも。
かつては数億円を稼ぎ、種牡馬としても活躍した馬が、最後に乗馬として売られる事も珍しい話ではない。非常に幸運な馬になると、警視庁騎馬隊の乗馬に転身することもある。
乗馬になる馬は、乗馬クラブなどに1頭あたり200万くらいで競り落とされて、そこで訓練を受けたりするようだ。
岡山には引退馬の乗馬訓練を行って、それをオークションで販売しているような乗馬クラブもあったりするそうだ。
誘導馬として、あるいは観客をもてなすマスコットとして、競馬場で働いている馬もいる。これは本当にまれなケース。
ただ、東京競馬場には、誘導馬や乗馬を含めて40頭程度が生活している。JRAも、引退馬の事はかなりきにかけているのだというのが分かる。
馬事学園や、全国の農業高校、競馬学校などで、教育目的で学生が実習に使う馬もいる。それも決して数としては多くない。
ざっとこんなところか。
7000頭も毎年生産されるのに、馬として最後まで人と共に生きる事が出来る馬は少ない。多くは馬肉になるという現実を知って競馬への接し方や見方は変わってしまうだろうか?
馬はとても可愛いし、賢い動物だ。俺は馬が好きだし、競馬も好きだけど、だからと言って馬肉を食べる事を否定しない。
今後、1頭でも多くの馬が最後まで生きていける為に、人間はどうすればいいのだろうということを考えてしまう。競馬なんてなければ・・・本当は一番なのかもしれない。
だが、農耕馬だって、財布にされるために殺される現実もある。きっと人間の都合で殺される馬がゼロになる事はないんだろう。でも、1頭でも少なくなればいい。俺はそう願ってる。
馬券の販売価格に初めから引退馬の繋養費用に使う金を10%でも20%でも乗せてもらってもいいくらいだし、競馬ファンとしてはそれくらいはしたいって気持ちもある。
そのお金で、海外にでも繋養できる土地を持って、最後まで命を全うさせられる頭数だけを毎年生産するように生産を絞る。それくらいはしてもいいと思うよ。
https://www.youtube.com/watch?v=r2WQDU8DWpo
https://www.youtube.com/watch?v=HVUKxeKg4WQ
「日本に行けばお金が稼げる。そのうえ先進国の技能や技術、知識を身に着け、故郷に凱旋して自国の発展に貢献できる」
そう聞いて、幼い頃からの憧れだった日本に行けるならと、あまり深く考えずに多額の借金をして日本へ飛び込んだ。アジアのなかで欧米列強に肩を並べるほどの豊かな国を築くほど優秀で、かつ、未曾有の天災が起きても一致団結できるモラルの高い日本の人びとに、最親日国の友として色んなことを学びたいと思っていた。
そんな思いでやってきた自分が置かれた状況は、予想だにしなかったものだった。
彼ら日本人は、私達のパスポートを取り上げて「言うことを聞かないと強制送還だ」と言い、技能や技術、知識のまったく身につかないキツい労働を半ば強制的に押し付け、最低賃金を下回る報酬しか払おうとせず(未払いやサービス残業も横行)、「外泊は直ちに強制帰国、違約金50万円」や「恋愛は警告。聞き入れない場合は違約金20万円」などという独自のルールを作り、私達の人としての権利を縛った。
この状況に愕然とした。日本の人びとは日本人同士で助け合うものの、外国人(途上国限定)を人として扱ってくれなかった。彼らを友だと思っていたのは自分だけで、彼らからすれば農耕馬かなにかと同じ感覚だったのだ。
騙された。
いや、正直安い労働力として期待されていることは承知していたが、人として接してもらえないとはゆめゆめ思わなかった。
もちろんなかには制度の趣旨を理解して高い技能を伝播してくださった企業や、友として接してくれた人びともいたようだが、それはほんの一握りで、日本は国際社会(国連や国際労働機関)から再三の是正勧告を受けてもなおこの人権侵害、労働の強制を続けていった。
知っていたら絶対にこんなところに来なかった。
そんな過酷な環境に耐えきれず、失踪する者があとを絶たなかった。失踪者たちはパスポートも労働の許可もないまま窃盗などの犯罪グループに加わった。かばうつもりはないが、彼らには借金があり、もはやそこしか逃げ場がなかったのだ(※日本に来るためにブローカーなどに借金をするが、その額は母国で何十年働いても返せる額ではない)。
年々我が同胞の犯罪の検挙数が増えていくとともに、日本人の私達に対する態度や扱いはますます厳しいものになり、ますます失踪が増え・・、という憎しみのスパイラルに陥っていった(※2016年は国籍別で中国を抜いてトップの犯罪検挙数・検挙率となった)。
そんな両国の関係が悪化していく状況のなか、犯罪に走ること無く三年間の労働期間を終えて母国に帰った自分に残されていたのは、人を罵る日本語「バカヤロー、オマエナンカ死ンジマエ」、それだけ。結局、金も技能もなにも残らなかった。朝から晩まで会話を必要としない農作業で、宿舎と言う名のブタ小屋共同生活も同胞だけの暮らしだったので語学を学ぶ機会はなかった。それに、好きになれない国の言葉を積極的には覚えようとはしないだろう。
いま思えば、人生でいちばん伸び盛りの時期に、なんて無駄な時間を過ごしてしまったのだろう。どうしてあのときに日本になんか行ってしまったんだろう、そう深く後悔したものだ。
それから10年、我が国は経済成長5〜7%前後を毎年キープし、安定的な発展を遂げた。多くの人々が一家に一台自家用車を持ち、家電や嗜好品を買い求めるようになった。運良くこの成長の波に上手く乗った私は、不動産で財を成して国内トップ20に入る資産を築いた。政府関係者とも太いパイプを持つことができ、国政にも多少の影響力を持つようになった。
この一億総中流の消費市場で躍動しているのは、中国、韓国、そして欧米各国の企業だ。クールジャパンの実態はただの冷徹な日本人だったことがわかり、ASEAN諸国からの「憧れ」を失った日本のブランドは各国で輝きを失い、次第にシェアを落としていった。
日本企業は自国の市場が縮小していくなか、アジアの成長する市場でモノを売っていくしか生き残る道がないことを誰もが分かっていたはずなのに、あのとき私達を隷属させた代償として自らのブランドを毀損し、その機会を逸してしまったのかもしれない。
新聞でチラッと読んだが、高齢化がより一層進んだ日本では社会保障やら国防やら国政の課題もさることながら、屋台骨だった自動車産業が米国IT関連企業に食われるなど、経済もいろいろ大変らしいがそんなのどうでもいい。
日本と聞いただけで、あの奴隷主のように振る舞う日本人を思い出して気分が悪くなる。もう二度と行くこともないし、とにかく日本にも日本人にも関わりたくない。日本のプロダクトは一生買わない。