はてなキーワード: 辛気臭いとは
はてなブックマークでコメントをしないように思ってる傾向の記事
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ここいらの記事にはコメントしないようにしようとは思ってます。なんとなく、本能? 避けたほうがいいかなと思うので。
2021年はここいらの問題がいよいよどうしようもない暴走して手がつけられなかったなあと。
でも、例外があります。上記の記事にコメントするときがあります。それは、
です。
「大喜利」というとぼんやりした枠の定まったものになりがちですが、おれにとっておもしろいとおもったネタを書きたいときには上記のときもなるべく書く。
他人に対して面白いとか面白くないとかいう基準持ち出す奴が一番おもろくないと俺は思うよ。他人は自分を楽しませるものって考えが透けてんだよな
このコメントが2021年に1番ショッキングだったね。おもしろいおもしろくないって他人に評価してもらえないならはてブコメントを書く理由がねえじゃん?基準あるじゃん?他人のみならず森羅万象すべては自分を楽しませるものだし、それからの「おもしろい」ってかなり重要だよな。
そしてこのコメントがトップブコメになっているという事実はおもしろくねえなあと思うのよね。おもしろくないのを是とするひとが多いことはおもしろくないね。
星つけるやつバカじゃねえの?ってやっかみも含め。
「おもしろい」を追求する気持ちが薄れている2021年というか令和からの世界。「おもしろい」が薄いのは何度考えても「おもしろくない」んだよね。
はてブってののいいところは「おもしろい」にもあると思うのよね。かなりウエイトを占めていると思う。だからこそおれも書いていたし。だけど今年あたりはおもしろさの薄さの限界だよ。
もちろん、その追求すべき「おもしろ」さってのはそれぞれだし、おれにとっておもしろくないってことだけど、それぞれいうても結局、おもしろいを共有するためにはある程度の共通認識ってのは必要だと思うのよね。だから「おもしろい」の基本を根底から「ケッ」って態度はヤバいなと。
これにつけたおれのコメント
ギャグに昇華するセンスと才能と余裕がない人間ばかりになっているんだよな。最初からそういうの苦手なひとが水を得た魚のよう。というかテンプレ書いてりゃ一定数の星もらえるなら考える必要なくなるもんな。
2022年はこんな辛気臭いあてこすりの嫌味コメントはできるだけ控えておもしろくありたいなと思ったのでした。もうおれには「つまらない」に割く時間はないのです。
おもしろくありたい。それで星をもらいたい。そういう1年にしたい。する。できるかな? まちょっと覚悟はしておけ。
だから、2021年も基本「おもしろい」しかコメントしてこなかったひとは高潔だしえらいなあと思うのです。
最初に見たのはずいぶん前で、その時は「何じゃこの手抜きみたいな質感のCGは?」と思ってたけど、何も見るものが思い浮かばない時に時々繰り返して見る癖がいつの間にかついた。
気がつくと、ハマってる自分に気が付いた。
何が良いって、少佐の「タチコマ!行けぇ!」「こっちだってこれが本業よ!」「斎藤、打てーっ!」のようなセリフがかっこよくて快感。
ていうか、これだけ分かりやすくてアクションシーンの多い攻殻機動隊ってあったろうか?
辛気臭い哲学的なセリフとかも全然ないし、この攻殻機動隊の冒頭にあるカラッと晴れた真っ青な空のイメージそっくりで、全体的にカラッとしてるのがいい。
そのカラッとさにCGの質感が絶妙に合ってるという気さえしてくるから不思議。
残念なのはあの「オモシロ」が全然活躍せずに途中で消えてしまった事。再登場を激しく希望。
最初は安直なキャラだなーと思ってた「プリン」も作品が気に入ってしまうと、これがまた良い味出してると思えてくる。しかし「江崎プリン」ってめっちゃ安直な名前w
以前は、そのちょっと知的な少し考えないと分からない雰囲気が攻殻機動隊の魅力だったりもしたけど、そればっかだと考えるのがめんどくさくなってくる。
でもネトフリオリジナルの攻殻機動隊はあんまり考えずに気楽に楽しめるのがいい。
そう思わない?
わたしは生活上の必要に駆られ、唾棄すべき貧民がひしめくスーパー・マーケットに足を踏み入れざるを得なかった。
ポテト・サラダ……その名の通り馬鈴薯を中心に据えた、平民趣味の凡庸なサラダがある。この「超越市場」の唯一の美点は、それを比較的うまく食わせるというところにあった。
店内を延々と流れる下品な音楽に耳を塞ぎたくなりながらも、わたしは広大かつ空虚な現代の砂漠を辛抱強く歩き、惣菜が売られる一角にたどり着いた。
「母親ならポテト・サラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、豚のように肥え太った醜い高齢の男と、これまた醜い幼児を連れたひどく陰気な女。老人はわたしの眼光に恐れをなしたのか、まさしく脱兎の如くその場を立ち去った。一方で、辛気臭い顔の女はポテト・サラダを手にして俯いたままだ。
そういえば、自分がレズビアン寄りのバイだと気づくまでは、むしろ自分のことをバキバキのノンケだと思っていた。
なぜなら、女性健診の相手が女医さんだとものすごく苦痛だったから。性器や乳房を女医に一方的に触れられるのが屈辱的に感じていた。男性医師に対して、この感情を感じたことはない。その時は、自分が度を越えたノンケだから女性に性的な部分を触れられるのが嫌なのだと思っていた。
3年前に、とある趣味の社会人サークルに入って知り合った6つ下の女の子と親しくなった。
わたしは、基本的に理屈っぽくて尊大にふるまう癖にウジウジしていて辛気臭い人間という自己評価なのだが、年下からは姉御肌と評され男女問わずよく親しくしてもらう。
そんな中で知り合った彼女は、わりにサバサバしていて、小柄で、童顔で、かわいらしい女の子だった。
サークルに顔を出した時の彼女は、部屋を見回してわたしを見つけた瞬間ぱあっと笑顔になって駆け寄ってきた。
飲み会ではよく「増田さーんここあいてますよー!」といって隣に誘ってくれた。
最初、「なついてくれてる」のではなく、単純に先輩後輩的な仲だから媚びたりおべっか並べたりおだてられたりしているだけだと思っていた。
しかし、ある時に飲み回の二次会で行ったバーでボックス席に2人きりになったときに、メチャクチャ酔っぱらった彼女から恋愛感情で好きだということを告げられた。
ちょっとびっくりした後、「うれしい」と感じている自分にさらにびっくりしたのを覚えている。そして、そんな気持ちを泥酔して噴出するまで抱えこんでいた彼女がめちゃくちゃに意地らしく見え、愛しく感じて、断る気は起きなかった。
そうして交際関係となり、彼女はサークル活動のない時にも会うようになったのだった。
そうは言っても、実はわたしは当時アラサーで、彼女は大学生だった。
それに、わたし自身どこかで親戚の幼子のおままごとに付き合うような気持でいたことは否めない。
彼女に男性経験がないということは付き合う前から聞いていた。女性を好きになったのはわたしが初めてだとも。
そういうわけで、彼女の好意を疑うわけではないが、どの程度真に受けるべきか判断に迷っていたのだ。
大学生のうちだとまだ恋に恋していたり、憧れを恋愛とはき違えたりするものなんじゃないの?
そのうちやっぱり「男が好き」とか言い始めてもおかしくない。とはマジでずっと思っていた。
だいたい、元から友人関係だったのもあってか、交際関係となってからも2人の付き合い方はこれまでと変化なかった。また、何か変化を起こすべきは彼女のほうだと、大人げないが思っていた。この関係性は彼女の好意ありきだった。彼女の好意の形に応じて、わたしもしてやれることや差し出せるものがあれば、できる限り応えたいと思っているのみだった。
余談だが、当時私は8年ほど交際していた男性と別れて1~2年くらいだった。別れて数か月はいわゆる婚活や恋活的なことに精を出していたのだが、やはりわたしの性格そういうことに向いていないと自覚させられただけだった。このままいくと一生結婚できないかもしれないと思った。いや、それはそれで良いのだが、「わたしは一生誰ともパートナー関係になれないかもしれない」ということに関しては、やや悲観していた。猫でも飼おうかしら、と本気で思っていた。そんな時だったから、彼女との関係性がどう運ぶかに関しては、純粋に好奇心をもって臨んでいた。
閑話休題。
わたしは理学部科学科を修めていた人間で、自分で言うのもなんだがステレオタイプそのままのあまり女らしくないタイプの女だ。学生時代の友人付合いと言えば、一人暮らしの奴のアパートで麻雀しながらいいちことタバコをなめるばかりだった。
彼女は外国語学部英語学科。わたしが見てる限り、いつも何が可愛いのわからん流行りの服を着て、いつもメイクばっちり。イケている。そして、普段友人と何してすごしてるのかなぞ、知りたくもない。
いつも彼女からデートの誘いを受けていて申し訳ないなとは思っていたのだが、わたしはどこに誘っていいのかわからなかった。それに、わたしは流行とかお洒落に全く興味がないタチなので、やはりどうしても若くてイケてる彼女の隣に立って休日のモール街を歩くことには気後れを感じていた。
そんなある日、彼女から水族館に誘われた。これまでデートといいつつ友人ともやるような近場ウロつきしかしてなかった中、水族館とはめちゃくちゃデートっぽい。と少しテンションが上がった。そもそも水族館は好きだ。
そして当日。待ち合わせた駅に姿を現した彼女はいつもと違っていた。
普段だったら絶対着ないだろう薄紫地にエーデルワイス柄の女の子らしいワンピース。その上にレースっぽいカーディガンを羽織って、足元は華奢なサンダルだった。
めちゃくちゃかわいかった。コッテコテのデートコーデだということはさすがのわたしも気づいた。
「いつも増田さんわたしの服イジってくるから、今日はわかりやすく可愛くしてきましたw」
そう言って笑う彼女を見て、世の男は彼女からこんな接待を受けているのか羨ましいなぁと見当違いなことを思った。
水族館へは新幹線で向かった。一緒に電車に乗るのも初めてで、隣の座席に座る彼女のワンピースからのぞく白い膝がとてもきれいで感動した。
彼女は普段ほとんど足を出さないなということにその時気づいた。
水族館では目玉展示物の餌やりが行われていた。わたしはこれが大好きで、ここに来るたびに動画を撮影していたのだが、この日ばかりは彼女の写真を撮ってばかりだった。
「いつもそういう格好すればいいじゃない」と言ったら「本当はこういう格好は好きじゃない、デートだから着ただけ」と言われて身勝手ながら非常に残念な気持ちになると同時に、即ちわたしのために好きでも無い格好をしてくれたと言っても過言ではないのだなと思い至った。
暗い館内でサンゴ礁を眺める彼女の細い方がレースのカーディガンに透けていた。
揺れるワンピースの裾がこんなに魅力的なものだとこの時初めて知った。
水槽のアクリルに這わせていた彼女の手を指先でつんつんすると、彼女は不思議そうな目でわたしの手を見ていたので、手のひらを上にして差し出すと、彼女はいつもみたいにぱあっと笑顔になって握ってくれた。そこからは手をつないで見て回った。今まで、恋人と手をつなぐことをこんなに幸せに思ったことはなかった。
周りから見て、わたしたちは恋人同士に見えるだろうか。それとも、ただの仲良し女二人組にしか見えないだろうか。恋人に見えていたらいいなと思った。
そうだ、この可愛い生き物は、わたしの恋人なんだ。と思った瞬間、頭に血が上ったみたいな感じを受けた。つまり、その細い肩を馴れ馴れしく抱く権利も、何ならスカートの裾の内側に手を伸ばす権利も、わたしはすでに持っているのだと、気づいたから。
来月で交際し始めてから満3年となる。わたしは30になり、彼女も就職2年目を迎え、そろそろ一緒に住もうかどうしようかという話をしている。
そんな中で気づいたのだが、わたしはゴリゴリのボイタチだった。
そして、いくら可愛い彼女が相手でも、リバられそうになると一気にテンションが下がってしまう。
この萎え方覚えがあるな~と思ったら、婦人健診で感じる不快感がこれと同系統なのだった。
つまり、わたしは「バキバキのノンケだから婦人健診で女医に診察されるとつらい」のではなく、「ゴリゴリのタチだから婦人健診で女医の前で俎上のマグロを演じねばならぬのが不服」が正しいのだった。