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井藤公量(いとうきみかず)
@pacitokun
@otakulawyer
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非親告罪なので、当事者に告訴する意思がなくても立件可能です。夫婦間の適用除外もない。酔っぱらって、2人でラブホ街に向かうカップルを見たら、通報する時代。 twitter.com/otakulawyer/st…
https://twitter.com/pacitokun/status/1665626968006725634?s=20
指摘する人もいるけど。
井藤公量(いとうきみかず)
@pacitokun
@otakulawyer
非親告罪なので、当事者に告訴する意思がなくても立件可能です。夫婦間の適用除外もない。酔っぱらって、2人でラブホ街に向かうカップルを見たら、通報する時代。 twitter.com/otakulawyer/st…
さて、そんなことはないとか寺町東子や伊藤和子は嘘をつくのでブッサイクなおばはんは日本に有害だ、以外はないです。
不同意わいせつ罪及び不同意性交等罪の構成要件の明確化を求める会長声明
HOME 会長声明および決議書・意見書 不同意わいせつ罪及び不同意性交等罪の構成要件の明確化を求める会長声明
2023.05.11
不同意わいせつ罪及び不同意性交等罪の構成要件の明確化を求める会長声明
現在、強制わいせつ罪を不同意わいせつ罪と改め、強制性交等罪を不同意性交等罪と改める等の内容の刑法改正案(以下「本改正案」という。)が、法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会での審議を経て、2023(令和5)年3月14日に閣議決定され、国会で審議が開始されたところである。
本改正案は、現行刑法の暴行脅迫要件及び抗拒不能要件が不明確であるとの批判があること等を踏まえ、相手方の同意のない性的行為を処罰すべきことを明確にするため、「次に掲げる行為又は事由その他これらに類する行為又は事由により、同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態にさせ又はその状態にあることに乗じて」、わいせつな行為をした者を6月以上10年以下の拘禁刑に処し(不同意わいせつ罪。本改正案第176条第1項)、性交等をした者を5年以上の有期拘禁刑に処する(不同意性交等罪。本改正案第177条第1項)こととしている。そして、「次に掲げる行為又は事由」として、例えば、「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること。」(第8号)など、八つの類型を掲げている。
3. もとより、相手方の同意のない性的行為は、相手方の性的自由や性的自己決定権を侵害する行為であって、決して許されず、これが犯罪となることを明確にすること自体に異論はない。
しかしながら、本改正案は、刑罰法規における明確性の原則等に関し、以下に述べるとおり問題がある。
4. 罪刑法定主義(憲法第31条)の要請である明確性の原則とは、立法者は刑罰法規の内容を具体的かつ明確に規定しなければならないという原則である。刑罰法規の内容が不明確であると、人々に対して刑罰の対象となる行為を予め適正に告知する機能を果たせず、人々は自身の行動から生じる結果につき予測できないことになって行動の自由を奪われる。また、不明確な刑罰法規に基づくと、裁判所及び捜査機関が、これを恣意的に適用する結果を招きかねない。したがって、明確性の原則を守ることは極めて重要である。
加えて、処罰されるべき行為が、刑罰法規の不明確性ゆえに処罰されないことがあれば、被害者に対する人権侵害が放置されることになる。
5. これを本改正案について見ると、法制審議会刑事法(性犯罪関係)部会においても指摘した委員がいたように、上述の各類型における表現中に明確性の原則に抵触する疑いのあるものがあり、また、「その他これらに類する行為又は事由」と規定したことは明確性の原則に抵触する疑いがある。
例えば、上述の「経済的又は社会的関係上の地位に基づく影響力によって受ける不利益を憂慮させること又はそれを憂慮していること。」(第8号)との要件は、非常に広範な場合を含みうるものであり、「憂慮」という主観的要件を取り入れたこととも相まって、構成要件として相当に不明確であるといわざるを得ない。
また、「心身の障害」「があること」(第2号)や「アルコール」「の影響があること」(第3号)との要件については、そもそも心身に障害がある者や飲酒した者の自由な意思や能力は常に否定されるべきとはいえないため、「心身の障害」や「アルコールの影響」がどの程度あれば「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」にあったと判断すべきか明らかでない。その結果、行為者がいかなる状態を認識していた場合に故意が認められるかも明らかではなく、個々の裁判所ないし捜査機関の判断が恣意的に行われるおそれがある。
まして、各類型について、「これらに類する行為又は事由」をも構成要件とするのでは、構成要件該当性はさらに不明確となる。
このような不明確な構成要件では、たとえ例示列挙であるとしても、人々の行動に関する予測可能性を確保できるとは言いがたく、また、裁判所及び捜査機関により恣意的に適用されるおそれがある。
この恣意的な適用という点に関しては、犯人とされた者にとって処罰されるべきでない行為が処罰されるという危険につながるのみならず、被害者にとっても処罰されるべき行為が処罰されないという事態につながりかねないものであるから、構成要件が不明確であることは被害者保護の観点からも問題がある。
6. 以上のことから、当会は、本改正案について、今後の国会における慎重な審議を通じて、構成要件の十分な明確化がなされることを強く求めるものである。
以上
2023(令和5)年5月10日
長いし荒ぶってるからタイトルと最終行にだけ言及するけど、ぶっちゃけこういう会話は「普通」の範疇だな
仲のいい友達に対してはもうちょっと不躾だけど、踏み込んでほしそうなところまでは踏み込むし触れてほしくなさそうなところは回避する(「この件触れても平気?」みたいにダイレクトに様子をうかがう回数は増える)
まあ世の中にはそういうの苦手な人もたくさんいるし、ぶっちゃけ男性は会話ベタ多いし、アプリなんて有象無象が集うところで当然のように求める元増田はちょっと男性に期待しすぎ、理想高すぎかなと思う
だからコミュ障って揶揄されるんだぞってちょっと思ってしまっている
女性は〜っていうけど生まれつきそういう動物なわけじゃなくて、色んな人と会話する中で努力して学習して日々研鑽してるから今多少楽にできてるだけだぞ
社会的?文化的?に女性の方がそういう圧が強いからそういうことできる女性が多いってだけで、男性が生物学的にできないたぐいのものじゃない(個人単位での脳の特性でできないことはあるかも)
他者に踏み込まない優しさと勇気を出して一歩踏み込む優しさというのは別種のもので、どちらも大切なもの。どちらが優れているというものでもない。
と思うのだけれど、ネットのありがちな非モテ叩きみたいなのを見ると、前者の類はただの自分本意な臆病さで、人との密接な関わり合いでは後者こそが大事なんだ。みたいな事が言われている。
こういう社不適評論をシェアして芯を捉えた「禁止カード」だー刺さったわーと卑下してキャッキャするのが流行りのようだが、私は的外れだなと思っている。
まあお説教された通りのような人もいるのだろうけど、そもそもの話として二者択一でないものをそうであるように語っている点が。
ストレートに言えば根本的に非社交的なタイプの人間は、他者への敬意として適度な距離感を重んじるが故にそうあるのではないかと思う。それを嫌われたくないだけの裏返しだ、と一義的に結論づけるのは単なる露悪的な邪推ではなかろうか。インターネットでクソリプを送り散らかすような類の非社交的な子供はこの話から捨て置く。
基本的なスタンスとして適度な距離感を持ち合わせた上、そこで初めて他者に踏み込む勇気があると思う。でなければ、それはともすれば自他の区別が未熟で無神経な人間になりかねない。
差し出がましい真似をして、遠回しにでも苦言を呈されたら「良かれと思ってこうしてあげたのに!」と逆ギレするタイプとはそういうことだ。
個人主義(これを利己主義と読み替える人にはこの文章の意図は一切伝わっていないと思います)が絶対の価値とは言わないけれど、少なくとも今の社会では一定程度支持され基盤となっている価値なので。
まあ一歩踏み込む事だって重要な事なので、どちらも大事な態度。なのだけど、世の中両方のバランス感覚を適度に養ってきた人ばかりでもない。
程度の差はあれ、ドライか無神経かのどちらかに偏りがち。その上でドライな方がマシじゃね、という私の素朴の感覚を個人主義なんか持ち出して理を持たせてみたという訳だ。
や、人は社会の中で生きるんだからサ、そのヌクモリティに囲まれるのがリアリティってもんでサ。慎重にばっかりなっても仕方ないし、もっと他人に踏み込んでいかないと。失敗しながら人間関係を覚えないとサ、みたいな事言う人もいるんだろうけど。
どちらが然るべき態度かと言い争えば水掛け論にしか
ならないし、みんな愛し合って生きようねという事です。まあ皆さんが信じる愛や誠実さの形が異なるので戦争が起きるんですけど。
最初から分かっていたことのはずなのだが、若者はむしろ自民党支持であった。18歳選挙権によってむしろ左翼は不利になってしまった、
若者層で与党支持が多いのは、18歳選挙権実施前から各種のサーベイで分かっていたこと。その調査結果があったからこそ、与党も18歳引き下げの実施に踏み切ったんだよ。与野党問わず、そのことを事前に理解していなかった既存政党関係者はいないはず。
日本の左翼は、若者は自分たちの陣営だと勘違いしていた。アメリカでは若者の民主党支持層が厚いから、自分たちは「弱者」の味方だから。
日本の左翼があれこれ理由をつけて、選挙権年齢の引き下げを達成した? 「日本の左翼」にそんな力があるわけがない。冷静になれ。当時の経緯を振り返ろう。選挙権年齢の18歳への引下げは、議会では、与党(自公)主導に、野党の一部(民主維新)が相乗りした共同提出法案。行政では、当時の官邸が特に強力なパイプを持っていた文科省(清和会)と総務省(菅グループ)の旗振り。野党勢はこの流れに対して後手に回っていた。2000年から選挙権年齢引き下げを求めてきたNPO法人Rightsの高橋亮平は、以下のように述懐している。
18歳選挙権実現にあたり、本気で踏み込んだのは、2つの政権しかない。1つが第1次安倍政権であり、2つ目が第2次安倍政権である。
ここのところの自民党の対応を見ていて思うのは、「まさかここまで踏み込むとは……」ということと、「選挙のためにはここまでやるが自民党なのか……」というのが率直な感想である。
この流れを作ったのは、自民青年局と日本若者協議会(JYC:官民の有識者会議に若者代表としてやたら声がかかる室橋祐貴氏が代表やってる団体)との深い連携関係。JYCは基本的に超党派の方針で各党とまんべんなく付き合っているが、自民・公明のことは明らかに「物事を変えることができるパートナー」とみなしており、他野党より格段に深い関係を築いている。
公明党の際にも紹介したが、各党の若者政策の転換の背景には、若者の声を政党公約に反映させようという「日本若者協議会」(http://youthconference.jp)による取り組みがあった。
今回の自民党青年局政策提言の中にも、日本若者協議会が提案した政策から、
などが入った。
日本若者協議会は、昨年12月に「日本版ユース・パーラメント(自民党編)」(http://live.nicovideo.jp/watch/lv244173560?)を実施して以来、自民党青年局と政策協議を続け、2月25日には、こうした政策反映の中間報告をもらっていた。
今回の谷垣幹事長の発言では、被選挙権年齢引き下げだけでなく、供託金引き下げについても党内で調整が進んできていることが明らかになった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashiryohei/20160330-00055994
自民党という政党は、常に「選挙で勝つこと」を軸に自党の持続可能性を考え実行できるDNAを持つ。地方の利益再分配重視型の政党から都市型政党に脱皮したときもそうだったし、本来は野党の支持基盤だった連合と急速な関係改善を図っているのもそうだし、いまの高齢者支持重視の政党から若者世代重視の政党へのシフトもそう。「既存支持層が弱体化していくときに、どう票数を補完していくか」ということについては、極めて真摯かつ計画的に物事を進める。そのひとつの結果が、選挙権の18歳引き下げ。自民党青年局とJYCが連携した時点で、ほぼ勝負はついていた。
というわけで、元増田の「選挙権の18歳引き下げ」が左翼・野党側の悲願だった、という認識自体がそもそも事実と違う。
あと、元増田は、たかまつななの政治的スタンスを左翼/右翼という軸に回収するところに無理がある。そもそもが「自宅に部屋が10室」「外食といえばフランス料理のフルコースしか知らなかった」「芸人になるまでラーメン屋やコンビニに入ったことがなかった」的な持ちネタがウリの、典型的なエスタブリッシュメント階層、いいとこのお嬢さん(東大名誉教授・東京ガス社長だった高松豊吉の曾孫)である。彼女自身の政治的主張も、右派・左派という軸では整理しにくいものが多い。彼女は昔からの持論として「平和」を重視する一方で、その平和の実現方法については、ウクライナ取材の折に、以下のように現地の声を紹介しつつ、既存の平和教育を批判してもいる。
「日本だっていつ攻められるかわからないのだから、備えるべきだ」「他国との同盟や外交努力をすべき」「食糧供給などを見直すべき」「政府に泣きつく前に、自分たちの領土を守るという強いコミュニティを持つことだ」「今こそ台湾を支援することが大事ではないか」「北方領土を取り返したほうがいい」
(略)
私たちが受けてきた平和教育とは、まずは太平洋戦争時に、「日本が戦争を始めてしまった」ことへの反省があり、次にどうすれば戦争をしない国になるか、であった。しかし、時が経ち、それは「アメリカの戦争へ巻き込まれないこと」に変わり、現在は、「他国から攻められないこと」に変遷していった。
日本は台湾有事がもし起きてしまったら、巻き込まれ、最悪の場合、攻められる可能性だって予測される。だからこそ、ウクライナの人々の「自国を守るための後悔」には耳を傾けるべきではないだろうか。
https://shueisha.online/culture/109026?page=4
なお選挙啓発に関して、民間で彼女を積極的に登用している団体のひとつが、青年会議所(JC)である。
衆議院選挙では、全国で公開討論会が実施されるといいなと思います。私自身も、公開討論会の司会などは積極的に引き受けますので、ご連絡ください。JCという地域をよくしようという社長さんたちの集まりが主催することがおおいのですが、地方紙やメディアがもっと主体的にできるといいですよね。
https://note.com/takamatsunana/n/ne8700998fe6e
「地域をよくしようという社長さんたちの集まり」というまとめ方には諸方面から異論ありそうだが、まあよしとしよう。
ついでにいうと、元増田は、たかまつななの政治的立場の変遷についての時系列的理解もおかしい。たかまつななが株式会社笑下村塾を設立したのは18歳選挙権の導入「後」である。
3年前、18歳選挙権が導入された時に、「笑いの力で若者たちに政治への関心を持ってほしい!」「芸人100人を教育の現場に派遣したい!」とお笑いジャーナリストの「たかまつなな」が株式会社 笑下村塾を設立。現在、全国の高校や企業で主権者教育やSDGsの出張授業を行っています。
という経緯。instagramなどのSNSでは、2015年以前は18歳選挙権についての発信は全くといっていいほどしていなかった。2016年を境に、彼女は主権者教育・若者教育という分野にフロンティアを見出し、積極的にこの方面を開拓していった。そしてこの過程で、「世代間の対立」という軸を立てたうえで自分が「若者」側に立つ(反「シルバー民主主義」)というスタンスを明確化していった。つまり先に触れたRightsやJYCなどに比べれば、最後発に属しており、しかも現在はかなり偏った立ち位置に到った、特異なアクティビストなのである。
まとめよう。
①選挙権年齢の18歳引き下げは、与党主導で進められ立法化された施策
②たかまつななは、もともと一般的な意味での「左翼」「左派陣営」には属していない、特異な立場
③たかまつななは、選挙権年齢の18歳引き下げ「後」に主権者教育・若者啓発に取り組みだした後発組
おわかりいただけただろうか。
https://anond.hatelabo.jp/20230405183906
という反論コメントがあったので、こちらも https://anond.hatelabo.jp/20230405210928 を書いた。元増田は、なぜたかまつななは叩かれるかというストーリーを面白おかしく語ろうとする中で、「日本の左翼」がすごい政策的影響力を持っていて、あれやこれやと理由をつけて、与党の自公に選挙権の18歳引き下げを飲ませたのだ、という奇妙な歴史観に陥っている(そうではないことを示すために、実際の経緯を上に書いた)。
さらに、元増田がそもそものトピックとしていたたかまつななは、背景的にも主張的にも一般的な意味での左派とは言いがたく、また選挙権の18歳引き下げの「後」に主権者教育の分野に関わるようになった後発組である。にも関わらず元増田は、彼女が「以前からずっとこの問題に関わっていた」「左翼」だという、彼の最初の書き込みの見立てを破綻させる致命的な勘違いをしていた点については、何ら反論も弁解もしていない。0点です。
シンエヴァを観ていて、ケンスケの優しさとは適度に距離を置くことで、トウジのそれは助けを求める声を待たずして大丈夫か、と気にかける事だ、と思った。それは「お前冷たすぎひん?」「いや今は放っといてやれよ」みたいな台詞で端的に表されていた。
二人共、そのそれぞれの優しさは14歳の頃から既に持ち合わせていたんだと思う。基本的なスタンスは変わらないけれど、昔はともすればドライ、ともすれば無神経に見える、バランスを欠いたものだったのではないかと感じる。
では大人になって何が変わったかと言えば、自分の信じる優しさとは別種の態度をも取り入れた事ではないかと、特にケンスケについてそう思った。
彼の成長は、適度な距離感を重んじる人間がともすれば押し付けがましさを嫌って躊躇してしまうような「頼ってくれよ」という言葉を言えるようになった事だと思う。
センシティブな状況で、それでも一歩踏み込んで友人を気に掛ける勇気を手に入れたという事だ。
私もケンスケと同じ類の、人間関係において誠実さとは適切な距離感を置くことに尽きると確信しているタイプだ。世間の人間からはドライと言うような態度も特段非難されるようなものだとは思わない。頼まれてもいない余計なお世話をする前に、まず他人の問題を無闇に決め打ちしない距離感を覚えてくれ、とでも言いたくなる人間を多く見てきたから。自己責任論をグイグイと他人に押し当てるのは如何なものかと思うが。
ただ、時には機を見極めて一歩踏み込むべき場面もあるんだろうと思った。
(語弊を恐れずに言えば)前時代的な密接な関わり合いと、無闇に他者に立ち入らない個人主義は、どちらが優れているというものでもない。それぞれに安心と独立、煩わしさと孤独がある。要はバランスの問題だ。
中庸は大事だ。これぐらいの立ち位置で良いだろう、という所に居座り続けて安心感を得るよりも、常にバランスを考え続けられる人間でありたい。
まあシンジくんが立ち直ったのは彼らの優しさや人との関わりもさる事ながら、決定打はキーパーソン周りの関係だった気がしなくもないが……
ジェンダーニュートラルの風潮に乗って様々なジェンダー語が言い換えられている。
中でも男性配偶者を意味する「旦那」「亭主」「主人」はもう絶滅種と言っていい。
アナウンサーは、インタビューで婦人に「旦那様はどんなお仕事を?」とは訊かない。
今やNHKのアナウンサーでも「夫さんはどんなお仕事を?」と訊く。
今日は東日本大震災のあった日なので、震災関連の報道が多かった。
老齢のご婦人がインタビューに答えて「津波で亡くなった主人の遺志を継いでいきたい」というようなことを語った。
当事者が自分自身の配偶者を主人と呼ぶことすらNHKは許さないのだ。
この老婦人にとって夫は主人と呼ぶべき人物だったのであろうし、この世代の人々にとって「人前で自身の男性配偶者を呼ぶ場合は自分がへりくだる」というのは当たり前の価値観である。
たとえ家庭内ではカカア天下であったとしても、ともあれ人前では、自分は夫を立てる身だというポーズをとることが彼らには自然であるはずだ。
世の中が家父長制を否定しつつあるという風潮と、ある一個人が家父長制を受け入れているかどうかは、まったく別次元の話である。
耳の聞こえない人がこの報道を見たとき、「ああ、このご婦人は主人とは呼ばず夫と呼んだ」と思うだろう。
夫という言葉には、主人という言葉に込められていた思慕や崇敬の念が抜け落ちている。
主人と呼んだか夫と呼んだかで、在りし日の夫婦の関係性のニュアンスの受け取られ方が変わってきてしまうはずだ。
主人って呼んだのに。
世の趨勢に合わせてNHKが言い換えを進めるのは別にかまわないと思う。それを迎合とは思わない。
二馬力なのに世帯収入が手取りで年300万とか400万とかゴロゴロなわけで
そんなやつらに「産め~~~~~いwwwwwwwww」と強要したらどうなるかわかるか?
トップバリュの黄色が贅沢品扱いになる地獄、わかるか? 地元の謎スーパーの謎PBだの謎産地食材を買い時には廃棄物を漁り電気は基本消し懐中電灯でしのぐときもあるしろうそく立てて火事起こすときだってある煮炊きはガス代を使うから躊躇して食中毒を起こし風呂は基本水風呂でそれも無理なら濡れタオルその結果臭いといじめられる子供爆誕デスクトップパソコンなんてあるわけもないし通信料が払えないから激安プランにして月の上旬でギガ切れて全部終わり
そんな環境に自ら踏み込むアホおるか??? 児童手当とかしょっぱすぎんだわ 焼け石に水というか焼け石に霧吹きなんだわ
というか育児・学費・奨学金以前に出産費用が払えませ~んでつまずくんだわ
だったらよ~とりあえず人口だけ確保するんだったら健康な男から採った精液をシリンジに入れて健康な女の子宮に注入するアレとかソレとかで妊娠だけしてもらって産むだけ産んでもらって
あとはもうサヨナラ! 一生会いません! 連絡は親→←子どちらからも絶対できません!! 戸籍にも載りません!!
国の建てたでっけえ施設でまとめて育てます!!! 出産費用も国持ち!! 育てる途中のカリキュラムは就職と労働に繋がる訓練と国益を優先!!! 学問とかいう贅沢は自力で子供を育てられる夫婦の特権ね!!!
もうこれしかないわけよ
エイゼンシュタイン:教科書枠 モンタージュの人 戦艦ポチョムキンは展覧会の絵のプロムナードを何回繰り返すねんと思った
ヒッチコック:教科書枠 技術的に色々斬新だったらしいが、その後洗練されたフォロワーの現れた今観ても……感は否めない 鳥は割と面白かった
キューブリック:一点透視図法の人 映像に生活感がなくてなんか観てて不安になる 半ば教科書枠のようだけど、普通に面白い
ゴダール︰「ヌーベルバーグ」の人らしいが、ヌーベルバーグが何なのかを知らん
スピルバーグ:エンタメ映画の大天才 かと思えばシンドラーのリストなんかも撮れちゃうのが凄い
ルーカス:スターウォーズ 𝗕𝗜𝗚 𝗟𝗢𝗩𝗘 SWとインディジョーンズの小道具についてのムック本読んだけど、ディテールへのこだわりが病的だと思う
ティムバートン:空想家って感じがする それを映像に起こせるのが凄い 悪趣味とおふざけにセンスがあるけど、それはそれとしてビッグフィッシュみたいなのも撮れちゃうのも凄い
スコセッシ:デ・パルマとごっちゃになる ダメ人間を描くのが上手い気がする
デ・パルマ:アクションで印象的な画を撮るのが上手い気がする miの宙吊りとか水槽ガム爆弾とか
イーストウッド:監督もやるらしいけど観たことないな、と思って調べたらハドソン川の奇跡も撮ってたの知らなかった 手広いな たけしみたいだ
コッポラ:ゴッドファーザーと地獄の黙示録しか観てないから、なんか長い映画の印象 ロッキーのエイドリアンは妹らしい モンタージュが好きらしい
リドリースコット:ブレードランナーとエイリアンの人 怪しい漢字と酸性雨のサイバーパンクの父らしい
ジェームズキャメロン:タイタニックの印象が強いけど、エイリアン2めっちゃ面白かった SFと続き物の2作目に強いらしい
フィンチャー:どんでん返しに定評があるイメージ どんでん返してから更にもう一歩踏み込むのが良い
ノーラン:小難しいけど、エヴァみたいに難解というより単に(意識的な)説明不足なだけでは……と思う でも面白い
タランティーノ:忍殺読んで欲しい 読んで映画化して欲しい 香港ズームがかっこいい
コーエン兄弟:ノー・カントリーめっちゃ良かった なんかドライな感じ
サム・ライミ:完全にスパイダーマンの人という認識 元々ホラーの人らしい
ジョーダン・ピール:黒人差別×ホラー 毎回動物が意味深に出てくる
アリアスター:怖すぎ
やたら被害者ぶりたがる人、そして被害者ぶったあとは自分こそが正義の味方なのだと過剰に暴力的な言動に務める人、これらがかなり目につくように思う。
目につくというのは一部が悪目立ちしているだけであり実際に暴れまわっているのはそこまでは多くはないのだろうが、目立つほどの行動に移していないだけで内心としてそういう傾向がありそうな人はかなりの数であるように感じる。
統計はない。
私の体感だ。
私のインターネットやリアルにおける周囲環境、人間環境が低品質であると言うだけなのかも知れない。
だが、そういった人間がそれなりの割合でいる空間というのが存在しているのは確かだ。
ハッキリ言うが、そういう人は得てして頭が悪い。
ある分野においては思考力や記憶力が優れていることもあるが、その分野以外に対しては極端に間抜け、ハッキリ言えば地頭が終わっているほどに「被害者になる≒正しい人間に近づく」という妄想の中で暮らしている傾向が強いように思う。
そもそもそういった考えがどこから産まれるのかを考えていくと、どうも世の中にある物語や歴史書の多くが「こっちの勢力は正しいですよ。何故なら『被害者』だからです」という文脈を多用しすぎていることにあるようだ。
思えば子供の見るような番組、プリキュアやアンパンマンでさえ、ヒーローの正しさを保証する最大の要素は「被害者の側についている」ということにある。
正当性の主張に対して「被害者であること」を利用するのは戦争や宗教対立のプロパガンダでも多数使われてきた歴史があり「我々は被害を受けている。だから相手に暴力を振るうのだ」から始まって、やり返された結果に対して「正当な怒りに不当な暴力が帰ってきた。やはり奴らは野蛮であり滅ぼすしか無いのだ」を繋げていくのはもはやテンプレートとさえ言って良いだろう。
だがそれらの「プロパガンダが用いられた」ことだけが歴史的事実であり、「そのプロパガンダは正しかった」ということは、たとえ勝者が掲げていたものであったとしても保証なんてされはしない。
頭の悪い人はどうもその辺まで踏み込むことが出来ないようなのだ。
「テレビや歴史の中における勝利者、正しい者達が「我々は被害者。故に正義」と語っているのだから、それは正しいはずじゃないか」と本気で思いこんでいるのである。
そしてその思い込みと自己愛が混ざりあうと「自分は正しい(と思い込みたい)。だから自分が被害者(の側であると思い込みたい)であることを必死にアピールしないと。被害者ぶれるチャンスはないだろうか?私はもっと正しい(と思いこんでいる)人間になりたい」と考えながらいつも被害者ぶる理由を探している怪物が誕生する。
この話を聞いているうちに諸君の頭の中にも多くの怪物が思い浮かんだのではないだろうか?
彼らがなんであんなにも積極的に被害者ぶりたがり、目にも入れたくないと言いながらケチをつけられる相手を必死に探し求めていたのは、それこそが彼らにとっての「正しい人間になろうとする努力」だったのである。
彼らは頭が悪いだけで、いやむしろ頭が悪いからこそ、根は社会道徳に対して従順で真面目なのだろう。
幼少期に受けた教育のままに必死に正しい人間になろうとして、それを褒めてもらいたくて仕方がないのだ。
だからいつも「正しくなるため」に被害者ぶれる理由を探し求めているし、それを見つけてまた一つ被害者になれたぞとアピールして誰かに「凄いね。君は被害者なんだ。つまり正しい人なんだね。エライよ」と言ってもらおうとしているのである。