はてなキーワード: 路傍の石とは
職場の人に嫌われている。
と言っても、悪質な嫌がらせをされたり暴力を振るわれたりはしていない。ただひたすら、何年間も、一人の女性に徹頭徹尾無視されている。
きっかけが何だったのかは未だに全く分からない。あれ?と思った時にはもう完全に嫌われた後だった。その間およそ出会ってわずか3ヶ月。ランチに行くとか飲みに行くとか、そういう暇もないうちに、態度が異様に冷たくなって、挨拶をしても無視されて、仕事の話をしようと近付いたなら、あと一歩のところで突然受話器を手に取って、他部署に電話をかけ始める。書類を持っていってもPC画面を凝視したまま完全無視。たまたま同じタイミングで出口に向かってしまったときは、くるりと踵を返された。
同じドアすら使いたくないほどの憎しみを私はこれまで他人に抱いたことがない。ましてや出会って3ヶ月、何が好きとか嫌いとか、どこに住んでてどんな人生を送ってきたのか何一つ聞きも話しもしないまま、どうしてそんなに嫌うのか、理解することができなくて。何かの間違いかもしれないと、会えば挨拶を続けたが、他の誰にも向けないような冷たい顔でただひたすらに無視を続ける人間に対峙するのはまあしんどい。詳細はもはや書ききれないが、会うたびに、ああこの人は本当に私が嫌いなんだなとつくづく思い知らされた。
とはいえそこは職場であって。仕事上、必要とされるコミュニケーションすらままならないので、信頼できる上司に相談してみたら、彼女はそういう人だから。あなたはあなたのままでいい。挨拶も無理してしなくていいんだよ、と慰められる羽目になり。いつのまにか彼女に用があるときは、私の代わりに別の人間が対応するのが普通になって、私ももう、すれ違っても挨拶することをやめた。
私と彼女の不仲(というのは正直とても不本意)はもはや有名で、皆が色々なことを言う。嫌だね、とか何でそんな意地悪なことするんだろうねと共感し、励ましてくれるのはとても嬉しい。一方で、彼女は子どもだから仕方ない、好き嫌いをはっきり分けるタイプなんだよと言われると、私はたちまち分からなくなる。
嫌いな人とは話したくないし顔も見たくない。
それが許されるのって、せめて高校生までじゃないですか?
ただ同じ職場になっただけの人なのに。
私にも毎日があって、気持ちの浮き沈みがあって、嫌われたら悲しいし、挨拶を無視されたらつらい。嫌な気持ちが澱みたいに心のなかに積み重なって、少しずつ少しずつ、毎日すり減っていくよ。生きてたら、誰かに対して嫌だなって思うことはもちろんある。でもそれは、よっぽどのことでない限り、心の中でそっと沈めて生きていくのが普通だって思ってた。今日こんなことがあってさぁって自分の家族や友達にちょっと愚痴ってそれでおしまい。会えば普通に挨拶するし、その他大勢の一人として日常に紛れ込んでいく。
そういう社会での営みを越えて、顔に出さなきゃ、挨拶を無視でもしなきゃやってられんほど私のことが嫌いなら、どうか理由を教えてほしい。もし本当に私が何か気づかないままひどいことを言ってしまっていたのなら、心から謝りたいと思う。だってもはや普通じゃない。出会って何年も経ったのに、その間まったく言葉を交わしていないのに、あなたはいまだに私が嫌い。色々な仕事を任されて、色々な人脈が広がって、お互い立派な社会人になれたのに、いつまでもそこだけがいびつ。
これまでも、夢の中で何度も何度も喧嘩した。なんでそんな態度なの?!と彼女に詰め寄って、日頃の鬱憤を晴らすみたいにタコ殴りにしたこともある。あの時はなんであんな態度だったの?やばかったよねと和解しきって笑っていたこともある。
でも現実はこれっぽっちも変わらない。私の挨拶に彼女は決して返事をしないし、他の人と話すみたいに大きな声で楽しい口調で私に話しかけてくることもない。ただひたすら、どこまでも冷たい表情で私の横をずかずかと通りすぎていく。
生きてきて、こんなに長く、こんなに深く誰かに嫌われたことが無いからどうしたらいいか分からない。和解できたら最高だけど、それはきっと無理だから、せめて自分が気にしないようになりたい。でも本当はずっと聞いてみたい。何があったの?何でずっと無視するの?言いたいことがあるならちゃんと聞くから教えてよって言ってみたい。でも多分、もはやそういう話じゃないのも分かってる。ただただ、お互い毎日嫌な思いで生きていくしかないんだろうね。
もし彼女がこれを読んだなら、きっと自分のことだと分かるだろう。そしたらぜひ教えてほしい。
答え合わせをさせてください。
お願いします。
8/14 追記
たくさんのコメントをいただきありがとうございました。私が執着しすぎというご意見、もっともだと思います。路傍の石だと思いたいけど、どうしてもうまくできなくて。和解できたら(毎日快適なのになあ)という思いをいつまで経っても諦めきれない図々しさが原因なんだと思います。
どうしても分かり合えない人はいる、という旨のコメントを読み、なんだか腑に落ちました。色々と思い悩んでも全く意味がなさそうなので、日々淡々と然るべき時に備えたいと思います。
しんどさと悔しさを汲み取って励ましてくれた方、対処法や考え方を教えてくれた方、原因を考えてくれた方、文体が好きだと言ってくれた方、本当にありがとうございました。あたたかいお言葉の数々がとても嬉しかったです。
私と同じ境遇にある皆が、周囲に守られ、あるいは独自の反撃法で、今日を快適に過ごせるよう心から応援しています。
※再追記:元増田としてコメントもしましたが『職場の人を嫌っている』を書いた方は、まず間違いなく私の意図する相手ではありません。追記が遅れ、混乱を招いてすみません。色々と思うところはありますが、個人的に職場では、社会人ならフラットに、ビジネスライクでいきたいですね。お互いに。
その理由は以下の通りだ。
だが幸運であったのは、私は比較的若い両親のもとに生まれ、現在もなお子供部屋おじさんまたはおばさんでいられるということである。
一応は定職につきなんとか働けている。
友人も数名だけだが居る。
両親も友人も良識があり優しく慈悲深く、たまにこちらの話をまともに聞いてくれない以外は親切だ。
私は頭の出来が良くないので、まともに取り合って貰えないのも仕方のないことだとは思う。
現状は、という言葉が頭につくが。
親は子より早く死ぬものだし、友人は人生に寄り添ってくれる訳ではない。
結婚だとかパートナーシップだとかに対しては正直に言うと、憧れはある。
しかし、まるで出来る気がしない。
私の恋愛対象は、過去に好きになった相手の統計からすると、男女の比率としてちょうど半々ぐらいである。
頭が軽いので短絡的が故に、好きになったら無策のままに即告白を繰り返してきたのだが、残念ながら全ての恋は実らず片思いに終わってしまった。
愚かなので、高望みし過ぎているのだろう。
私は他人から好意を向けられたことはないが、性的な興味を向けられたことはある。
当時の私は男子学生として生活していた。髪をツンツン逆立つほど短くして学生服を着て通学していた。
だが、男子の制服を着ていても見知らぬ男性サラリーマンと思しき人物にナンパされたり、仲良くなった筈の同級生男子から俺の女扱いをされたり、友達の友達ぐらいの浅い関係の女子生徒によりトイレに連れ込まれてズボンを脱がされそうになり死に物狂いで脱出したりしていた。見知らぬOLっぽい女性にいきなり家に来ないかと誘われたり、電車に乗っていたらキツいパーマのおばちゃんに痴漢行為を働かれたりもした。
当時は自覚などなかったが、何故周囲からそのように性的な対象として一方的に扱われるのかという答えを無意識にわかっていたのだろう。
己の肉体から逃れることは誰にも出来ない。
故に、自分の、現状女である肉体から一時的に逃れて、憧れである恋愛を無責任に無我の境地で、荒唐無稽な美しい夢のエンタメを楽しむこと、その欲求を満たしてくれるのがBL二次創作だったのだ。
加えて、追加するのであれば私の身近に居る腐女子は軒並み常識人であり、善良で、精神的にも肉体的にも理由なく他人を加害しない人ばかりだったというのも大きいだろう。
さて、ここでまた話が逸れるが、よく小説や漫画やアニメなどで「精神的ショックから嘔吐する」という描写がある。
1回目は二次性徴を迎えた時、風呂場の鏡に映った自分の姿が気持ち悪くて吐いた。
2回目は数年前にひとまわり年下の仲良しの従兄弟からセックスさせてくれと頼まれた時だ。
今でもまだ引きずっている。
私はそれまでずっと普通に暮らしていたし、従兄弟とはごく稀に顔を合わせる程度であり、会えばソシャゲの話をするぐらいの関係性だった。
呑気かつ平和に「殺生院キアラで爆死した俺を笑えよ」などと気安く話し「それよりメルトリリスが来ねえんだが?」というような返しをするような距離感である。
青天の霹靂だった。
加えて、全く根拠がないというのに、当時三十路をやっと迎えた私は「これでやっと他人の性愛対象ではなくなった」と考えていたし、老いて若さを失うか醜くなるかすれば誰からも路傍の石ころの如き扱いしか受けなくなると信じていた。
私は従兄弟に対して動揺しつつも「金ないならあげるからさっさとソープでもなんでも行きなさい」と凶悪なまでにクソなことを言ったのだが、従兄弟はそれでも引き下がらず途方に暮れた。のみならず、私が学生の頃から好きだったとかふざけたことを言った。
私が学生時代、短く髪を整えて学ランを纏い、ヤンキーの男子生徒に喧嘩を売られれば嫌でもなんでもタイマンに持ち込んで殴ったり殴られたり時にはボディにいいのを喰らってゲロを吐いたりなどして頑張ってきた、男性として必要だと判断して払ってきたコストはまるで無駄だったのだ。
なんだかメンヘラの気配がしたのでそれなりに話は聞いていたのだが、精神的に削れてしまってギブアップした。その後、暫くの間従兄弟は半ばネットストーカーのようになってしまい、私は思った。
「男って気持ち悪いな」
「私の頑張りは無駄だったんだな」
「同じ生き物になりたくないから男になるのやめよう」
と。
そのような体験を経て、二次元であればどれだけえげつないエロだろうが大丈夫だが、現実の性的接触に対して死ぬほど嫌悪感を覚える人間が爆誕してしまった。
阿呆なので、極端から極端に走るが故に、髪を伸ばして赤い口紅を引き派手な化粧をして、ナベシャツを捨ててブラを付けた。
気の強そうな女の姿の方が残念ながら適性があったらしく、他人から面倒な絡まれ方をしなかったので、そのままそうやって暮らすことを覚えた。
驚くべきことに、そうしているだけで頼んでもいないのに見知らぬ若い男を紹介して来ようとする気持ちの悪いお節介既婚者女性もついでに激減した。
遺憾ながら便利なので、以来ド派手なアイシャドウを塗って出勤している。
毎日会社と家の往復をして給料を貰い、帰宅してはTwitterを眺めゲームをして漫画を読み、ごくたまに友人と交流するだけだ。
転機が訪れたのは昨年の秋だ。
何が起きたのか自分でもわからなかった。催眠術だとか超スピードだとか諸々ナントカそういったチャチな外的要因であればまだ納得して呑み込み受け入れられたのだろうが、自分の中にしか要因がないので余計に受け入れ難かった。
今でもまだ受け止め切れていない。
たまたまフォロワーの紹介で教わったジャンルの、とあるキャラクターの夢豚に、なってしまったのだ。
動転しつつもpixivの夢小説用のアカウントを作り、人生初となる夢小説をン万文字書き、震えて怯えながら投稿した。
内容としてはその推しキャラと自己投影した理想の自分がご飯を作って食べたり並んでお昼寝したりするだけのものなのだが、それは紛れもない疑似恋愛だった。
自分自身がどういった存在にどうやって何をして貰いたいのか、自分の欲しい愛情とは何かを探っていくのはとても新鮮な自己分析で、驚きの連続だった。
そして探ってゆくうちに、私は自分が普通の枠に収まりたい、普通に求めたり求められたりしたい、即ち、セックスがもし自分に出来るのなら、やりたいのかも知れないと思い至り、成人向けを書き始めて、手を止めた。
書き始めたところで、決定的な過ちを犯したことに気が付いてしまった。
「私は好きなキャラクターを加害している」
「どうして私は自分がされたくないことを好きなキャラクターにしているんだろう」
しかし、自己投影した夢小説の主人公を推しと性的に絡ませることに、喩えようもないおぞましさを感じた。
BLなら客体であるからと逃避できていた部分が、夢小説となると途端に襲ってきた。
世間の現実に存在するカップルや、仲の良い友人夫婦、加えて、他の夢小説を嗜む友人を見て話を聞いても何も嫌悪感などない。
なるほど、それは確かにさぞかし良いものなのだろうなぁと思うだけだ。
異常であるのは分かっている。
ただ、異常であることは嘆きの対象にはならない。私は基本的に社会のマジョリティになれないという意味において常に異常だったからだ。
理解していた筈のことだが、空想の中ですら不可能であるという事実が、どのような形であれ伴侶を得ることの出来ない欠陥品であることを再認識させた。
自分の中には、
男の体で女を抱きたい願望と、
男の体で男を抱きたい願望と、
男の体で男に抱かれたい願望と、
女の体で男を抱きたい願望と、
女の体で女を抱きたい願望と、
女の体で女に抱かれたい願望、全てがあることを知った。
要するに性欲は厳然として存在しており、己のその性欲の全てが、気持ちの悪い加害行為でしかないと認識している。
唯一の安息の地である二次元が失われて、もうきっと二度と戻ってはこないだろう。
いつになれば人生が終わるんだろうと考えている。
近年よく、「女はうっすらと男全員が嫌い」って言われているけれど
個人的にはこれって全く反対だと思うんだよなあ
寧ろ女性の大半は、異常に男の事が好き過ぎると思う
大抵の女は相手がどんな男だろうが、一定程度男を立てているしそれを当然だと思っているでしょ
特に既婚女性とか、別に不倫目的でも何でもなさそうなのに男相手にはめちゃ甘くて猫なで声で、その一方で女に対してはめちゃくちゃ冷たく真顔なんて人は珍しくないし
女は基本男全員を好きだと思う
私(女性部下)相手と男性部下相手とで、露骨に態度を変えてくる女性上司の多かった事多かった事…会社や会社の規模を変えても、マジで何処にでもいた
中にはそうじゃない女もいるにはいるだろうけれど、それはレズビアンとか男嫌いとかの一部の例外だろうね
その逆で、男は基本相手が女ってだけで優しくする事はなくて(よほど意識的に態度を取り繕っている男は除く)
性的な対象にならない女に対しては本当に完全無視で無関心だと思うんだよな
「女はうっすらと男全員が好き」
「男は可愛い女は全員好き、そうでない女には路傍の石の如く無関心」という、世間で言われているのとは逆の男女間の方が
私はしっくり来るな
浮気は別に、自分が気付かなければ、自分の目の届かない所でやってるなら別に構わないってルールがあるじゃん。バレたら路傍の石を見るような扱いになって即破局だけど、家庭にまったく影響しない範囲でならキスしようがセックスしようが男性の自由ですよってやつ。
女性は知らないかもしれないが、実は男性の多くはクラスメイトの女性をオナペットにしてる。
裸にしたりセックスしたりする妄想でマスターベーションしてるんだよ。
脳内妄想の代わりに、アルバム写真からAIでリアルなコラ画像を生成して、それをオカズにしても、女性本人に悟られないようにコッソリ利用するだけならセーフ、とはならない?
恋愛や友情といったプライベートな場面で、個人的な嗜好に基づいて付き合う相手を決める事と
そうでなくて社会的な公正が求められる場面とで容姿に基づいて不必要な選別を行う事とを混同しているバカが、どうしてこんなにも多いんだろう
区別する線引きなどできないから。バカだと罵しるのは簡単だが、彼らが間違ってるのを論理的に示すのは非常に難しい。
結婚相手の希望として女性が高身長の男性を選ぼうが、男性が巨乳の女性を選ぼうがそれは個人の自由であって別に差別でも何でもないよ。
恋愛や結婚で共同生活を営み互いに幸福にしあう能力と無関係な、顔での選別。
それは個人の自由であり、同時に差別でもある。ポイントはここにある。
「個人の自由だ」と主張することは差別ではないと主張する事にはならないってことだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220921163907
恋愛や友情といったプライベートな場面で、個人的な嗜好に基づいて付き合う相手を決める事と
そうでなくて社会的な公正が求められる場面とで容姿に基づいて不必要な選別を行う事とを混同しているバカが、どうしてこんなにも多いんだろう
ブクマコメで当て擦りをしているのがどれも全然違う場面であまりにも的外れ。
「高身長の男としか結婚したくない」は別に差別でも何でもないってば
結婚相手の希望として女性が高身長の男性を選ぼうが、男性が巨乳の女性を選ぼうがそれは個人の自由であって別に差別でも何でもないよ。
問題は能力に関係ない面接の場で顔採用するとかそういう事を言う。
しかも男性が対象外の女性の容姿をいちいち晒して嘲笑う事が非常に多いのに対し、女性は対象外の男性に対しては路傍の石の如くただ無関心なだけなのに
それすら許せず差別だと喚くような男ばかり。
男はもういいやという意味では女かな。可愛い服を着られるのは羨ましい。でも幼少期から美少女・気遣いできる・頭がよい・太ってないが揃ってないと虐められそう。しかも女だけじゃなくて男にも虐められるし。社会人になったらなったで外出るのに1時間掛けて準備するとかも無理そう。
じゃあ男の方がマシか?いや暗い・運動できない・頭も悪いだと存在を抹消される、かといって路傍の石になりきれなかったらやはり虐めの対象になるんだよな。こんな暗黒の学生時代を過ごすと交友関係はよくて同性数人、悪くて同性すらゼロ。当然付き合ったこともないので異性との交友の機微なんて全く分からず、学ぼうとしても相手方はそんなことも知らないのかと言わんばかりの態度を取られて嫌になる。もうそんな人生は沢山だ。
世の中には「いじめる理由があるからいじめる」のではなく、「いじめない理由がないからいじめる」という人種がいることは、もっと広く知られるべき。
普通の人は路傍の石を蹴りに行かない。蹴る理由がないからだ。だがそれをわざわざ蹴りに行く人がいる。蹴らない理由がないからだ。
そしてそんな人種がいることを知らないから、いじめが発生した時、いじめられる側の理由探しが始まる。
いじめない理由がない、つまり被害者側には理由も原因もないのに、何を改めろというのか?
もし「"いじめられない理由"を持っていないのが悪い、"いじめられない理由"を持って自衛すべきだ」と言うのなら、
それは被害者に対して改善要望どころか追加要望を出している訳で、あまりにもマッチョイズムが過ぎるだろう。
好きだった人と別れて1ヶ月になる。
私は彼のことが好きだった。人として大好きだった。
落ち込んだときに側にいてくれる所とか、大きな背とか、不器用だけど優しい手が好きだった。誰に対しても穏やかで、そして私には殊更優しい所が好きだった。
職場で出会って、彼から告白をされて付き合うようになって、デートを重ねた。
彼とご飯を食べて、話をして、行ったことない場所に行ったり、料理を作ったり、プレゼントをあげたり貰ったり。とても楽しくて、その時間が大好きだった。
だけど、出来なかった。
抱き締められるのは安心するし、キスも出来るし、身体を触られるのも嫌ではなかった。
でも、どうしても。セックスをしたいという欲求が深奥から湧いてこなくて。性的欲求が他の人より無いのかもしれなかったけれど、辛かった。
彼のことは好きだったけれど、信頼している彼となら出来るかもしれないと思ったけれど、やっぱりセックスは私にとってしたくないもの、だった。
本当に彼のことが好きだったのだろうか。人間性に対する「好き」を恋愛としての「好き」と履き違えていたのではなかろうか。
彼の隣で歩く時、居心地はとても良かったし素を出せたけれど、私は彼にドキドキしたことが無かったのだ。
結局、将来の人生設計の相違で別れることになったけれど私は今も彼が好きだ。恋愛感情ではなく、性的欲求もなく、人間としてただ好きだ。
縁が切れても幸せを願っている。
「例えばドラえもんでは「生まれついた力に任せ他者の気持ちを省みない権力者=ジャイアン」「金持ちを鼻にかけ何かあれば親に泣きつく7光=スネ夫」は嫌な人間として描かれてるわけだけど、
少女漫画や嘘松やスカッとだと両者は「周囲を苛つかせるコミュ障/無能=のび太」を討伐するヒーローとして登場する」
そもそもそんなの少女漫画で見た事ないし、嘘松はよく知らんがスカッとの対象は別に「コミュ障/無能」じゃなくて寧ろ舅姑や職場の上司みたいな権力持った相手じゃねーの?
「周囲を苛つかせるコミュ障/無能」っていうけれど、女は普通単に「コミュ障/無能」なだけの男にいちいち苛ついたりしません。路傍の石と同様に単に無関心なだけです。
苛つくとしたら「コミュ障/無能」な事が理由ではなく、もっと他の理由があるからです。
女はジャイアン(腕力?)やスネ夫(財力?)に喩えられるような高スペ男に『だけ』興味があるのであって、いちいち低スペ男を「討伐」して楽しむような趣味なんかねーよ。
あと女に一番人気があるのってドラえもんで言うなら出来杉くんタイプだと思うんだけどそこは故意に抜かしてる辺り卑怯だよねー。表面的なスペックだけでなく人格でも敵わない男性の存在を認めたくないんだねー。
なんで自称弱者男性って女が自分達にいちいち興味を持ってるという、自意識過剰すぎる思い込みを持っているんだろう
お前らが思ってる程女はお前らに関心ねーよ
関心があるとしたら自称弱者男性が女にしつこく絡んで加害してくるからであって
今このブコメ欄見てそう思ったんだが。
[B! 科学] ますを@山下幸二 on Twitter: "エビデンス、エビデンスって言う人は、あまり自分の頭で考えず、科学的根拠にすがってるように感じる。 数学に関しては、人が発明した学問なので揺らぎようはないと思うんだけど、数学以外はもっと複雑な感じがするし、物理だと理想気体とか、数学でも近似値とか、あいまいなところはあるよね。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/masuwo1980/status/1500295051838365706
どうしてブクマカはこのおっさんのツイートを見つけてきてブコメで叩いてるの?
だってさ、何にもならないじゃん。
例えばこのおっさんがいけ好かない有名人とかだったら日頃の鬱憤をぶちまけたりこれを機に表舞台から消えさせたりとメリットはあるんだ。
でもこの山下さんはただの山下さんなわけで、ほぼ全てのブクマカにとっちゃ路傍の石な訳じゃん。
それをこっちまで持ってきて叩いて、あまつさえはてブトップに出るまで人気にしてって、そんな価値全くないんだよ。
なんか適当な単語でツイッター検索してみろよ。山下さんに似たやつなんて山ほど見つかるよ。
あいつら全員叩いてたらキリがねぇ。
キモく、金がなく、成長性がなく、人に胸を張れるような能力もない人間に幸せになる権利はないのだろうか?
人に少しでも迷惑をかける人間は、幸せになってはいけないのだろうか?
ラーメンを食うというのは誰にもできることであり、電車を撮ったりアニメやゲームをするくらい誰にでもできることだ。
誰にでも出来ることに、偏執的に価値を見出すのは、キモく、金がなく、成長性がなく、能力がないからだ。
そういう人間は大抵の場合、社交性もない。端的に言ってコミュ障だ。
だから、人間の中でも最底辺であることが多い。当たり前のことだ。
だが、キモく、コミュ障な底辺から、キモく、コミュ障であることを奪う権利が、誰かにあるのだろうか?
俺はないと思う。
キモく、コミュ障で、能力がない人間が幸せになろうとする権利を奪う権利は誰にもないはずだ。
金だの、社会的な地位だの、そういうものを、コミュ力のある人間が独占するのはいい。
何故なら人類が享受しているインフラや資産のほとんどは、コミュ力によって生まれたものだからだ。
だから、価値あるものほぼ全てをコミュニケーション強者が独占するのは理に適っている。
一方で、普遍的価値のないものに輝きを見出して、底辺は幸せを得ようとする。それもまた理に適ったことではないだろうか?
ダイヤモンドは誰もが欲しがるだろう。金持ちが持っていればいい。底辺は路傍の石に、底辺同士で価値を見出す権利があるはずだ。
上で書いたように、ラーメンオタク達にキモくてコミュ障である人間が多いのは当たり前のことだ。
たかが一杯1000円前後の食べ物に偏執的にこだわるのはおかしいことだ。社会生物としておかしいと言って構わないだろう。
そんな人間達なのだから、関わればキモい思いをする確率は高いだろう。迷惑だと感じることも多いだろう。
俺は、あると思うのだ。
犯罪者を許せと言っているわけではない。好きに法律で裁けばいい。ただ、俺達には素晴らしい法律というシステムがあるのだから、法律を好きに使えばいいじゃないか、とも同時に思う。
法で裁けぬ不快さは、許容してやってもいいじゃないかと、おおらかになっても良いと思うのだ。
法に訴えるコストに見合わないというのなら、法で裁くほどのものでもないというのなら、きっとその程度のものなのだ。許せばいいじゃないか。
そもそも、今は情報インフラが整っているのだから、キモい底辺の生息地なんて、調べればわかるじゃないか。調べて、わかるのなら、近寄らなければいいじゃないか。痰壺の中に痰があることを騒いでどうするのだ。
そんな路傍の石を愛でる底辺コミュ障たちの集まりに、わざわざ出向いて行って、
誰かが、幸せになるんだろうか。俺は、ならないと思うのだ。
撮り鉄に「お前達はおかしい」と叫ぶことが、ドルヲタに「お前達はおかしい」と叫ぶことが、
アニヲタやゲーヲタに「お前達はおかしい」と叫ぶことが、何か意味のあることなのだろうか?
俺は、ないと思うのだ。