はてなキーワード: 資源配分とは
>今の日本はEVのラインが少ないから、日本が拙速にEV化に進むと生産能力の急激な低下と雇用喪失に陥るぞ、って言ってんの
違うよね。たとえば以下で、豊田氏は「エンジンを今否定されてしまうと、100万人の雇用が失われてしまう」と言ってる。「今の日本はEVのラインが少ないから」とも「生産能力の急激な低下」とも言ってない。それはあんたが付け加えただけ。単に、エンジンという技術要素に紐づく製造ラインが、それだけの雇用を維持しているんだ、ということを言っているだけ。
豊田会長は「エンジンを今否定されてしまうと100万人の雇用が失われてしまう。550万人中の100万人です」と語る。エンジン、つまり内燃機関を活かす道を模索し、その中で自社にあった水素エンジン技術に巡り会ったのだろう。
https://car.watch.impress.co.jp/docs/news/1326323.html
自動車生産に関わる自動車メーカーやティア1〜ティア3の下請け企業から、エンジン関連の製造に関わる100万人がいらなくなる(本当はもっといらなくなるけどね)。米上院では、自動車部品産業の代表者が「このまま脱炭素政策を進めれば3分の1の人々が職を失う」と主張したけど、これも同じ話。そして、EV独自の要素技術であるバッテリとe-axleの製造には、明らかに100万人は必要ない。それはつまり、EVという技術実装のあり方が、内燃車よりも非労働集約的で高効率なことを示しているわけ。
あなたが言ってることは「EVのラインを着実に増やして、慎重にEV化を進めれば、雇用が喪失しない」という風にも読み替えられるけど、実際はそういうことは起こらない。世の中の自動車が全部EVになったら、自動車産業の雇用はすげえ減る。既存技術よりも少ない労働量で、既存技術よりも安く作れるようになるのがEVだから。つまりEVはディスラプティブ・イノベーションの一種。グリーンだの環境だのSDGsだのは、当面は政府助成金という形で市場拡大を撹乱する要因になってるけど、そのうち関係なくなる。e-axleが量産化で安くなり、バッテリがLFPやNa-ionで安くなる。EVは店頭価格でも内燃車より安くなる。そんでみんなEVを買うようになる。おしまい。
あと、「いまEVを導入したら内燃系企業の労働者が職を失うから反対」というのは「いまDTPを導入したら写植オペレーターが職を失うから反対」とか「写植が導入されたら文選工・植字工が食を失うから反対」みたいな話なんだよね。「職を失う」のは事実としてそうなんだけど、だからといって、これから海外で売れなくなる(人気がなくなるという意味ではなく、そもそも法的規制で逆インセンティブが課されたり販売自体ができなくなる)内燃車を作り続けてても意味はないわけ。ますます先がないんだから。
それにね、職を失っても、実は労働者は大して困らないのよ。どうせこれから日本は恒常的な働き手不足に陥るし。そもそも自動車産業が盛んなエリアって、もとから労働移動が激しい。リスキリングなんて言葉ができる前から動的な労働資源配分が達成されてた業界。EVでいらなくなった雇用は、人手不足に悩むどこかの企業がちゃんと拾う。困るのは内燃という衰退技術に紐づいた製造業企業のオーナーや経営者だけ。ゾンビ企業の撤退を促すことに快哉を叫ぶ人達は、そのうち内燃車というゾンビ技術の淘汰を求めるようになる。あと2〜3年でそういう流れが起きるだろう。
そういう時代の皮切りになるのがBYDだ。バス会社には続々導入が進み、乗用車分野では7/1に第1号ディーラー店ができる。ちなみにBYD国内発売車のボディはすべて、いまやBYDの100%子会社になったTATEBAYASHI MOULDING(旧オギハラ館林工場)が手掛けている。EV化に順応できている下請け企業は、こういう風に生き残っていく。そうでない企業は、どうなるだろうか。大阪技研の例が思い出されるね。
プログラム組むための専門知識はアスペでも(むしろそっちのが有利とすら言える程)身につくし、主に向き合う相手はプログラミング言語だから、言ってしまえば工場ではんだ付けするおばちゃんと同じ
上流で書類仕事をこなす人材が向き合うのは人間で、組織・個人間の利害調整、資源配分みたいな高度なコミュニケーション能力や洞察力が求められるからな
それをコンピュータサイエンス的な教養素地をもった上で現実的なラインでまとめあげないと行けない
高給になるのは当然だろう、それがしっかり出来ていればの話だが
世の中、利害の異なる人と人との間に立つ仕事ほど高くなるんだよ、政治家や公務員しかり、士業しかり
そしてそういう仕事ほど文系的な教養が必要になる、人間をコントロールする能力がね
JGP(ジョブ・ギャランティ・プログラム)に関しては、方向性は間違ってないような気もする。しかしながら、平時にせよ不況時にせよ、どんな産業や事業に投資するか、必要な労働力として誰を割り当てるかを、どんな仕組みで決めるかは難しい。何かブレイクスルーが必要だと思う。
・”何を仕事にするかって話は難しくて”その通りと思う。人間は全知全能とは程遠く利己心もある。そんな人間が計画経済をするのは上手く行かない。これはソ連その他の失敗を見ればわかる。
・計画経済よりは市場経済のほうがマシだが、全て市場に任せておけば丸く収まるかというとそうでもないだろう。
・政治の資源配分機能に頼る部分もあってよいと思うが、政治家のお手盛りで差配されないような制度設計が必要。
MMTは何をするかも言ってるよ
要は今までの経済政策だと数字追いかけて、需要が拡大したとき(物が不足した時)に投資が加熱して投機になって過剰なインフレが起こったり、それを抑えようとして失業者を調整弁にして不景気が起こったりを繰り返してきたわけ
それをなるべく実現しようってのがJGP。市場原理の自由市場は残したまま、失業者を国が予算出して全員雇うというもの
そうすれば、景気が良いときはJGP参加者が減るため、財政支出が抑えられ、景気が悪いときはJGP参加者が増えて財政支出を増やすという事が自然と調整されるようになる
要はラグがなくなるって事よ
JGPで何を仕事にするかって話は難しくて、地域ごとに必要とされる事ってのは違うんじゃないかってのがある
だから国が一元的に決めるってのは良くなくて、元の提案者の話だと地域の非営利団体を管理者側にするとか何とか
日本なら労組とかその辺がやれば良いのでは?とか言ってる人もいる
その辺の詳細は正直、俺も良くわかってない
ただ、JGPってのは要は地域共同体を復活させて、その地域に根ざした活動を仕事としようって感じかな。JGP参加者側が自分でこういう事したいみたいな提案もできるみたい
だから、JGPとか見てるとリベラルこそ、こういう地方創生的な観点から制度設計考えていけば良いんじゃね?って思うけどね
既存のハローワークとか職業訓練とかなんていうか社会に人を合わせるんじゃなくて、JGP参加者一人一人に合わせて地域社会を作っていくみたいな感じでさ
主流派経済学が財政均衡を目標にしている。理由は財政破綻が起きるから。主流派経済学の基準に対して別の基準としてMMT側のインフレ率を言ってるだけであろう。
君の批判も「インフレ率ターゲットが間違っている」という根拠にはならない。インフレ率ターゲットであれば間違いが起きるという根拠を示さないとならない。
資源配分結構。そして、デフレ状態は労働力含めた資源を余らせてロスしている状態には違いない。とするとまずの基準としてインフレ率はターゲットにしてもよい。むしろフィッシャー曲線側からの要請でしょ。
フィッシャー曲線もオイルショックで成り立たないことがあった。だけど、別途オイルショックのような供給由来インフレに備えよとなる。対応は代替エネルギーを確保せよが解になる。結局そちらへの投資にはなる。
お金なんてものは実体経済をうまく回すための潤滑油と人々の初期資源配分の決定をしているものに過ぎない。
たとえば介護労働問題。お金が無いから人が集められず過酷な労働環境や海外から「奴隷」を招こうとなっているわけじゃない。他の労働をしている労働者を呼び寄せてやらせるだけの価値が無いという実体経済の配分問題があるからこそ起きているのだ。だからお金で解決するような簡単な問題ではない。
あるいは、いま食べていくためのものは、これまでに生産して食べなかった残りで保ったものと、いま生産したものだというのが実体経済。こう考えると、高齢化で生産をする人が減る中で食べる人は減らない時に、一人分の分け前はどう頑張ったって減ることが分かるだろう。これはお金があればどうにか出来るという問題ではない。
とっかかりや手の付けようがないとかモヤモヤ感がある場合はまず語彙とか用語を整えるのが大事だろう
証明ベースの大学の数学もそうだと思うがまず拠り所や軸足を定義し言語化するのは大事に思える
というのはパッと思いつくような歴史上の人物をいくつか挙げてというと政治家が多いと思うし
(人間とは何かというのは解釈がいくらでもありものの見方考え方は時代によって異なるとはいえ)
人間社会の歴史は人間ベースで進んできて「人間がどう人間を扱ってきたかだとか
当時の人間のやりようや解決策や資源配分が何だったか」(※)という政治的なことを考えれば
ふだん差別や人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。
確かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。
しかし、彼ら運動家を否定できる倫理的な根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?
実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。
以下は、ハフィントンポストの記事に対してスターを集めていた上位2つ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/
そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為の道徳性が疑問とされている。
そもそも、この運動は代替の効かない公共機関における、特定の属性を押しやる「専用車」それ自体が問題になっているのであって、なにも「女性専用」であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?
また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動の価値を毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要だからだ。
この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間が不安に駆られる状況こそ、Aが必要な証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間が不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性が証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性が証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義が必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?
賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメがスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。
ただ、浅薄なロジックはさておき、問題意識は理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性を裏付けている、というわけだ。
この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関は必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。
なぜ、女性だけが「暴力からの隠れ家」の恩恵にあやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。
つまり、女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性を排除することは、一般成人男性それ自体が潜在的な暴力の行使者であることを前提としているのではないか?
なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。
例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行を所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコやタイ、イラン、インド、ブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり今欧米で流行りのディストピア・ドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。
http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men
「女性トイレやレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両の正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定の属性だけが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等な負担を強いられるべきではない)、代替選択肢の存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性は潜在的な暴力被害者であり、男性は潜在的な暴力行使者である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。
はてブの皆さん、差別や人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から、馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性が世界標準以下の性欲アニマルだから仕方ない」で開き直っていいんですか?
余談だがロケットニュースでは、ニュースのタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。
https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/
「キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後の良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。
はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterとブコメで寄せられた、いくつかの重要な質問に答えます。
手段が低コストであることが、その手段に正統性を付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間の利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者と中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラクな解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。
マシなものがないのではなく、マシなものが鉄道会社に選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ・警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。
これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両は痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両は必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題にしろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源は痴漢です。しかし、ここでは対策の方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法が妥当か)が問題になっているのです。
また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性はお断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定の属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。
その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。
もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社の営業の自由も一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的に認知されていることをもって、女性専用車両の存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢の倫理を問題にしろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法だから正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。
ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米のリベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。
アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性や権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。
ただし、代替手段のない公共サービスの鉄道、それも日本の通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性と女性の関係において、暴力的な非対称性が一般的に存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性は庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴの議論にも通じるものがあるかも知れませんね。
それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。
しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分の観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。
これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員や監視カメラをガンガンに配置する(もちろん通常車両もなおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。
これである程度は、無関係な人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的な理由はどこにもないでしょう。
「女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。
いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンスが勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的なディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレや風呂と違って、ジェンダーやプライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。
しかも男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理で対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。
これは、以前Twitterで流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定の集団が抱えている痛み・苦しみが、特定の属性の排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差(しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?
人材育成するほうにお金を使うのか(そして育成した人材は方々で安く使う)
人材確保するほうにお金を使うのか(そしてお金を使えない分野は廃れるに任せる)
どうすりゃいいんでしょうね。
地方に公務員待遇で雇いたい専門職人材が足りず、でも東京なら余ってる、ってんなら学校の新設は不要だろ、というのは、短期的な資源配分で言えばそりゃそうなんだろうな。
満足な給与を払えない地方が悪い、いくら金を積んでも逃げられる地方が悪い、そもそも今までそれで何とかなってたんだから、今後もそれでなんとかしろってことになりかねない。
効果が出るのに何年かかるか分からない学校運営に税金かけるなら、その税金で公務員待遇で雇用出来る専門職を増やした方が良い、ってやつね。
でも地方で雇用できる専門職の公務員の待遇を良くするのに使える税金って、結局地方税なんだから自分達の懐が痛むけど、
教育のための学校運営に使える税金って国から降ってくるお金だから、地方の人達が選ぼうとするのは、そりゃ後者だよね。
知事が二言目には「補助金の使い方を弾力的にさせてくれ」と言うわけですわ。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
戦略決定とか価格決定とか言うと、部課長級に説明を求められたりする。
本来はggrksとか言いたいところだろうが、言えないのが宮仕えの辛いところだ。
理解してこいよとも言えない。理解できない方は大抵立場が上で、説明できない方のボーナスが減らされる。
「均衡」は、基本的には、ガッチリハマっている状態を示している。
参加者が選択肢を変更すると今より悪くなるので、変更する理由がない状態。
最適な資源配分とは違う点に注意。全体100万円を、老人80万円、子供20万円で分けた「後」の状態はパレート効率的。
(社会の資源配分問題でよく使うので「パレート最適」という単語を嫌う人もいる。最適配分を示さないから。これ豆な)
需要と供給が大きく動かないでハマっている状態。「需要と供給で価格が決まる」だな。
ある1つに注目すると、部分均衡。市場全体の全部コミコミだと、一般均衡。
フランス人のレオン・ワルラスさんが1874~1877に書いた本に載ってる、一般均衡(general equilibrium)理論のこと。
いやー、ナッシュ均衡は、戦略的意思決定の学問であるゲーム理論(Game theory)の非協力ゲームを解いた時に出てくる「答え(解)」の状態を示す単語ッス。
協力しちゃダメッスよ?んで、他の「選択肢」を取るメリットがなくなった状態を言うッス。
パレート効率的とかも聞くッスけど、誰も損せずにもっと良い改善方法が無い時の事ッス。
ワルラス均衡は、経済学の話ッスね。需要と供給で価格が決まるって話ッス。
同じ「均衡」って単語で僕なんかは間違えそうになるッスけど、全然違う話なんで同じ式の中に入れちゃダメッス。
経済学の価格調整モデルの話で、フツーは戦略的な意思決定の選択肢をどうするみたいな話は出てこないッス。
ヤマダ安 | ヤマダ高 | |
ビック安 | ビック売れる,ヤマダ売れる | ビック売れる,ヤマダ売れない |
ビック高 | ビック売れない,ヤマダ売れる | ビック売れない,ヤマダ売れない |
ヤマダとビックで、売れたほうが儲かる(利得が大きい)時は、当然ヤマダもビックも値下げするッス。
まあ、ナッシュ均衡と言えなくも無いッスけど……あんま言わないッスね。
「じゃあ、目からウロコ!囚人のジレンマって経済にも繋がる話だったのか! - 嗚呼、学習の日々のナッシュ均衡というのは?」
ワルラスの均衡は、需要が多くて供給が少ないなら価格は上がる、需要が少なくて供給が多いなら価格が下がる、結果需給が吊り合って価格が安定した状態のことッス。
「店が意味もなく価格を下げたら、他の店も下げざるを得ない」とか無いッス。
先の例だと、TVを普段から100円でヤマダが売り出したら他の店も100円で売るとか無いッス。
ナッシュ均衡は、選択肢がどんづまって他の選択肢を取ると損する状態を言うので、さっきの例とは関係無いッスね。
(ヤマダが100円で利益が出るならヤマダが市場を寡占するというのは、違うモデルの話でワルラス的調整過程の話では無いッスね)
少なくとも、囚人のジレンマから出す話じゃないッス。超時空の飛躍ッスね。リン・ミンメイッス。
囚人A協調 | 囚人A裏切り | |
囚人B協調 | 2,2 | 0, 10 |
囚人B裏切り | 10, 0 | 5, 5 |
数字は懲役でA,Bの順番ッス。懲役は少ない方が利得が大きいッスね。
囚人Aは、囚人Bがどちらの選択肢をとっても、常に裏切るのが利得が大きくなるッス。
他の選択肢を取ると損をする、これが全部のプレイヤー(囚人A,B)で決定できると、ナッシュ均衡ッス。
そこがミソッス。
ご指摘の通り、両方協調なら、両方裏切りより「どちらも損せずに、改善できる」状態ッスね。
つまり、両方裏切りのナッシュ均衡は、パレート改善できる状態にあるので、パレート効率的ではないッス。
こういう、自分の利益だけを考えて最適な選択をする状態(他の選択は損する状態)が、全体としては効率的では無いのが、ジレンマって呼ばれる理由ッス。
それだけの話ッス。
でも、ワリとこういう、利得の表を作ると両方が得する選択肢の組み合わせはあるのに、その選択肢は選べない状態(ナッシュ均衡で、パレート効率的では無い)は存在するッスよ。
うーん。あんまワルラス均衡って言わない気がするんだけども。((※1))
あ、用語の定義と、その用語が良く使われる場面と、ある場面を説明するモデルとで、全部違うから混ぜないように注意したい。
3番のモデル適用は即一般化はできないし、2番のよく使われる場面を定義に入れてはいかん。
勝手に話を補完したり飛躍したりするのもダメなんだけど、まあアレだ。はてなだし。
需要と供給で価格が決まるよね、というアダム・スミスさんの仮説。
個人の利益追求で、市場が適切な状態に落ち着くよね、というわりと哲学的な話。
需要と供給に合わせて価格が変動して、結果需要と供給は落ち着くよね、というヤツ。
(需給が均衡することをワルラス安定、均衡しないことをワルラス不安定と呼ぶぞ)
需要(欲しい/欲しくない)は即反応できるけど、供給(作る/作らない)は対応時間かかるじゃん?というヤツ。
なので、需要の変更と価格の変更は即座に動くけど、価格を見て供給が動くのは遅れる。
異なるモデルを、一緒くたに適用することは、フツーは出来ない。もちろんできるものもあるけど。
例えば、Cournot competition(クールノー競争)の均衡点は、「供給を絞れば価格が上がる」→「価格が高いから生産すれば儲かる」→「いっぱい生産したから価格が下る」を延々と繰り返せば「生産量と価格が均衡する」って話で、ワルラス的調整過程の「一部分」の説明であって、違う話。
で、全く同じ生産量と価格との関係のモデルで「価格を変える」とBertrand competition(ベルトラン競争)というモデルになって、こっちは「一番低い価格をつけた企業が全ての需要をゲットするので、価格は限界費用に一致する(最安値が市場を占めるから、一番安くなる)」というモデル。
経済学におけるモデルは、現状をどちらが上手く説明できるかのモデルであって、別にどっちが正しいとかそういう話では無い。所詮単純化したモデルだし。
ナタデココ生産量決定におけるベストチョイスは決定できる「だから」ナタデココ価格は市場参加者全員のベストチョイス、とかは言えないかな。(結果的に合っていても、証明過程に飛躍があれば説明したとは言えない)
「除草剤耐性穀物種子におけるクルーノー競争のナッシュ均衡との乖離から見る不完全競争推定」とかそういう使い方するかな。
(ミクロ経済学のオススメ本は……結局思想の話になって荒れるんだよね……ブコメでどうぞ)
http://anond.hatelabo.jp/20151116001112
((※1:この増田では、ワルラス均衡を一つしか財が存在しない仮定で説明している。ミクロ経済学でやる時は、一般均衡になるので、全ての財が均衡するときの話として聞いとかないと単位は貰えない。ワルラス均衡という場合は、全ての市場の価格と、全ての需要とペアで示す事が一般的。とは言え、大抵2人と2つの財で説明するんだけどね))
これらを目的や話題内容の重要度に応じて適宜選択調整する必要があって、元増田はナチュラルな位置が後ろに寄り過ぎているのではなかろうか?
消費税の優れた点は
軽減税率 | 所得によらない一律給付 | 給付付き税額控除 | |
---|---|---|---|
概略 | 所得の低い者ほど支出に占める比率が高い特定品目の税率を下げる | 所得による区別なく皆に同じ額のお金を給付 給付付き税額控除の特殊な場合ともみなせる | 所得の低い者ほど多くのお金を給付 |
逆進性改善度 | 極めて小 | 中 | 大 |
コスト | 極めて大 | 小 | 中~大 |
コストの中身 | ・レジの新調や事務負担増 ・仕入れと出荷の税率が異なり得るため、仕入税額控除の作業が煩雑化 ・特例処置など他の制度との整合性を取るのが困難 ・インボイス導入が現実的には不可避 ・軽減税率入りへの業界のロビー費 ・軽減税率品目の恣意性、政治的コスト ・ラムゼー税率から乖離することによる資源配分の非効率化 | ・本人確認および振込先銀行口座の登録 | ・本人確認および振込先銀行口座の登録 ・所得把握のためのマイナンバー制度導入 ・所得の捕捉漏れ ・どの程度を低所得とみなして給付を増やすかの線引の恣意性、政治的コスト |
特記 | ・古くから消費税を導入した国では多く採用 ・消費税内で完結するため逆進性対策が採られていることが分かりやすい ・食品を持ち帰れば食料品扱いで軽減税率、店で食べれば飲食サービス 扱いで高い標準税率が適用などといった分かりにくさ ・生活必需品に限るにしても人によって生活必需品が異なる ・最大公約数的な生活必需品を絞り込んでの軽減では、適用範囲が狭く なり逆進性改善度がさらに低下 ・新しい商品の適用が遅れる ・先行導入国の事例検証から、近年では避けられることが多い | ・定額給付金で先例があり事務はスムーズ ・期初に給付を先払いすれば手元流動性に余裕ができる | ・フロー所得は少ないが貯蓄は多い、引退世代まで優遇してしまう ・期初に給付を先払いすれば手元流動性に余裕ができる |
ポイントは
さらに
所得階層別の軽減税率で浮くお金 http://anond.hatelabo.jp/20130121134436/
社会保障改革に関する集中検討会議(第九回)(資料3-7)参考資料 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/syakaihosyou/syutyukento/dai9/siryou3-7.pdf
消費税増税時の逆進性・低所得者対策のQ&A http://www.dir.co.jp/souken/research/report/law-research/tax/12061901tax.pdf
食料品等に対する軽減税率の導入問題 http://www.nta.go.jp/ntc/kenkyu/ronsou/46/takada/ronsou.pdf
【図解・行政】海外の消費税の軽減税率 http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_seisaku-syakaihosyo-zei-kaikaku20120507j-06-w310
消費税の逆進性とその緩和策 http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol9/management/18_tashiro.pdf
消費税の逆進性とその緩和策 http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j41d03.pdf
消費税の逆進性対策を考える http://www.jbaudit.go.jp/effort/study/mag/pdf/j40d02.pdf
消費税は本当に逆進的か http://www2.osipp.osaka-u.ac.jp/~kohara/shohizei.pdf
消費増税議論(その2) http://diamond.jp/articles/-/15386
歳出だけでなく歳入(税制)にもある「ばらまき政策」 http://diamond.jp/articles/-/24255
消費税の軽減税率に反対すべき5つの理由 http://www.anlyznews.com/2013/01/blog-post_9526.html
軽減税率は世界の潮流でない http://agora-web.jp/archives/1512548.html
日本の所得再分配―国際比較でみたその特徴 http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis180/e_dis171.html
本田由紀@hahaguma
なんか派手なことぶちかまそうとして実はずるくて雑で冷酷なことをやり散らかしてうまくいかなければ
さっさと逃げるような奴にかまっている暇はなくて、資源配分の難しい調整や減っていく
労働力の可能な限りの活性化や劣悪な働き方の是正や様々に異なる価値の発揚に向けてじりじり進む以外に道はない。
https://twitter.com/hahaguma/status/599971574368702464
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世の中の役に立つことなんて何一つしてなくて、
笑わせてくれるね。
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http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/campus/1378514960/
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1361166840/
元増田です。
ブコメなんかを見ると、隠された定義として消費税増税に反対しないとリフレ政策支持とは認められない、ってな雰囲気が漂っているようにしか見えないのですけれども。最初のトラバだと、消費税増税賛成だってリフレ政策支持ならリフレ派なのに、消費税増税反対じゃなきゃリフレ派じゃないという一部の意見をもってリフレ派全体とみなすのはおかしいなんて意見も出てますが、どう見てもその「一部」が「全体」であるようなエビデンスしかないじゃないですか。
消費税増税がデフレ脱却に悪影響をもたらすとの指摘が多くなされていますが、別にそれを否定しているわけではないので、そんなことをおっしゃられても。GDP恒等式でいえば、
のTが増えた分だけGが増えればYは変わらないし、それ以上にGを増やせばYは増えます。にもかかわらず、Tを増やすならGを(同等かそれ以上に)増やせという意見が皆無で、リフレ政策支持である以上はTを増やすなというのが当然の帰結だと言わんばかりの空気がなぜなのかわからないのです。
以下、個別のお尋ねにつきまして。
消費税増税による景気悪化を相殺するだけの金融緩和や財政政策って可能なのかな。
不可能なんですか? 不可能というならば、僕の疑念は解消できるんですが。
デフレ時代の消費税増税はリフレをぶっ壊すんだから反リフレで問題無いだろう。インフレになったら消費税もいいけど。
消費税増税しかしないならぶっ壊れるのでしょうけれど、G増で壊れないようにすべし、という主張への反論にはならないと思います。そもそも、消費税増税はインフレ対策として行われるものでもないですし。
金融緩和+財政政策に対して消費税増税とかブレーキとアクセル同時に踏む愚策なのが分からんのか。
景気に水をかけることを目的として消費税増税を行うならご説のとおりかと存じますが、消費税増税は資源配分の適正化が目的なわけで、その副作用たる景気悪化には景気対策に向いた施策を割り当てるのは、ティンバーゲン的にも望ましいんじゃないですか? 景気対策ならざる消費税に景気対策として増税延期or停止を割り当てるのは、ティンバーゲン的におかしくないですか?
ブレーキ(消費税増税)以上にアクセル(財政・金融緩和)を踏むのは理論上可能だが、そもそもブレーキ踏みたがる人がそれ以上にアクセルを踏むとは思えない・・・
ブレーキを踏みたがる人に対案を出すなら、ブレーキを踏むなというより、ブレーキを踏んでもいいけどそれ以上にアクセルを踏めという方が、実現可能性が高いように思われるのですけれども。少なくともブレーキを踏むという部分は認容するわけですから。
リフレ政策が何をもたらし増税が何をもたらすか理解できていない増田が必死で派閥を区別しようと必死になっているの巻。
上述の通り、リフレ政策は景気対策で、増税は資源配分是正だと認識しておりますが、誤解であるというのでしたらご説をご開陳いただければありがたいです。
本当に消費税の悪影響を相殺できるんなら、なぜ増税後の景気が停滞してるんだ?
追加的金融緩和and/or財政出動をケチったからではないでしょうか。
id:rnaさん
基本に戻って考えましょう。リフレの目的ってデフレ解消だよね。消費税賛成の人をリフレ派って言うのは構わないけどさ、、、続きはこっち
続きも拝見いたしましたが、デフレ脱却は遠い将来でも構わないなどとは申し上げていないのに、藁人形を仕立てて頂いても困惑するばかりです。消費税増税するなら、それでもデフレ脱却が腰折れしないような対策を併せ講じるべき、という主張はリフレ政策支持と両立すると思うのですが、いかがでしょうか、というのがお尋ねの趣旨です。
そもそも消費税増税がデフレ脱却にマイナスの影響を及ぼしているから、リフレ派の多くは更なる増税に反対してるだけなんだけどね。
マイナスの影響を吹き飛ばすだけの追加施策を実施せよ、とどう違うのでしょうか?
賃金上昇が伴っているのなら増税はしてもいい。金融緩和の効果で物価が上がり、賃金の上昇を伴う前に増税すれば酷い結果になるのは当たり前。賃金の上昇、今の状況が改善されていく事を実感させなければ衰退しかない
アカポス狙ってるの? それならいい論文誌にできるだけ多く論文を通すにはどうすればいいのか、を最優先で考えないと。教官がカリスマ的かどうかは置いといて、研究室の先輩たちは論文をがんがん生産してる? 良い論文誌に通してる? "Publish or perish" の歪みではあるんだけど、論文を書きやすい研究室の仕組み(大きな戦略の選び方、研究計画の立て方、資源配分)ってのは確かにあるんで、実績最優先ならそういう仕組みがあるかどうかを見た方がいい。
民間でとりあえず就職に困らないだろうし、研究者としてトップ争いをするよりは好きなことをまったりやれたらいいや、論文も自分がとことん納得いくのだけぽつりぽつりと出せればいいや、っていうのなら、マイペースでできることを優先したらいい。指導教官に構ってもらえないのはその場合かえってプラスになるかもしれない。論文にはつながらなくても、人脈を利用して学生の間に色々なところに首を突っ込んで活動してれば、就職やその後のキャリアもおもしろくなるかもしれない。