はてなキーワード: 資料館とは
・社会人になったリンと大垣は解釈一致で良かった。あいつらはちゃんと有能なままで居てくれてよかった
・ちくわはあの演出するなら殺すかせめて大病して散歩は無理くらいのとこまで持ってくべきだった
・ペッパーくん要らん
・草刈り機と高圧洗浄機は地元のおっさんより先に恵那が即ポチって持ってきそうだと思った。あとこいつは金は出せどそんな頻繁に手伝いに来るとは思えん
・土器の資料館ごときで人なんか来るわけねーだろ落ち込むまでもなくキャンプ場企画の圧勝だわ
・どうしても土器見せびらかしたかったら潰した学校でも再利用して展示しとけよ。というかそうなるんだと思ってた
・そもそも論こいつらの性格と顔と体型の良さで一人も彼氏居ないわけねーだろ。だからといってリンちゃんがアフロと結婚する展開とかされても困るのだけど。
結局のとこ辛い現実を忘れて男の死滅したまんがタイムきらら時空を楽しみたい層と内容が噛み合ってないってのが賛否両論になってる一番の敗因かな。
学芸員やりたくて新卒で地方の小さい資料館で働いてる(今2年目)だけど、上司は全く指導しないし、責任やミスを押し付けてくるし、前任者の引き継ぎはゴミだし、事務のおばさんにいじめられてて仕事やる気がなくなっちゃったよ〜!
一応去年の面談で職場の関係が良くないことをオブラートに包みまくって伝えたら「うーん!頑張って!」と上長に言われてもう上には期待できないな...と思ってる!でも1年過ぎたらもしかしたらワンチャン変わるかな!?とも思ったので、継続したけど相変わらず仕事押し付けられたりするのでイベント終わった後からやる気がなくなっちゃった。
②完全に業界から足洗って異業種チャレンジするつもりなんだけど、どういうところに気をつけた方がいいのか教えてほしい!
https://twitter.com/smasuda/status/1529736482797531136?t=cG0wDOuC_8WntwPOawvGcw&s=19
とは言っても俺は専門的には門外漢で資料的価値について語ることはできないので、代わりに遊びにいったときの話をする。
俺自身は声優のライブならいきます!音楽の知識はありませんという人間だから、恐らく残されるだろう数少ない楽器を見てうぉーすげー!とはぜんっぜんならなかった。
ただ、民族楽器のコーナー(こっちは残らない、下手すれば燃えるゴミになる)はすごい面白かった。
例えば管楽器のコーナー。
ミャンマーとかヒマラヤ山脈より東の地域はスラッとまっすぐな木製なんだけど、西の地域だったり北アメリカだったりは大きく反り曲がったりでこぼこしたりしてる。
これは何でかって言ったら竹が原生してるのかどうかなんだって。
地理的要因が地域の文化や文明にどう影響を与えるのかを明確に示し一望できるのはこの資料館ぐらいなんじゃないだろうか。
「まだ」HPでは資料館の紹介はされており、管楽器の展示風景も写真で確認できる。
もしよければ一度見てもらえればと思う。
https://www.daion.ac.jp/campus/museum/
ちなみに竹がない地域は骨や角から髄液を抜き取ったものを加工して楽器にしたから反り曲がったりでこぼこなのらしい、こういった話は学芸員のおじさんから聞いた。
そう学芸員のおじさん、これだけではなくいろんなことを教え、体験(!)をさせてくれた。
様々な知識を実践の中で教えてくれて単純に感謝の気持ちもあれば、あくまで自分の興味が持てる視点でしか見れない自分に当時は少し恥ずかしい気もした。
今の大学のトレンドは、官民との共同研究とそれに連なる形での実践学習だ。
「実学教育!」なんてファミマで腐るほど流れてるけどその結果がこれなのか。
俺が経験したような「実践」を、未来の音楽家たちに学んでもらう場を残すことは大きな価値があるはずだ。
また先に書いた通り音楽だけに留まらず、文化が何に影響を受けるのかを具体的に証明している証拠としての価値も非常に大きい。
最初のツイートの続きにかかれてる通り近くの空き校舎を利用することもできるはずだし、設立している豊中市は松本氏を名誉市民にするなど音楽文化に対して興味も大きい。
どのようにこの貴重な資料館をできる限り同じ形で存続していくのかについての議論を、大阪音楽大学理事の方々には深めてもらいたい。
岡山ディスり創作文読んだ。私も今は西の地方都市在住だけれど、もともとは首都圏ベッドタウン出身で、首都圏だと東京の影響が少なからずともあるから西はまた違う雰囲気の地方都市にいる。
転勤族なので岡山の人口多めの地方都市とそんなに変わらない規模のところを転々としてきたと思うんだけど、あの創作文を読んでまず設定が雑だなーと思った。
あの文の主人公は30歳と言っているけれど、その母親世代にしても英語を覚えるためのCDとして流行りを過ぎたビートルズをチョイスするかな?音楽にも英語にも興味ない主婦が気軽に手に取る1枚と違う気がするんだけど。
そもそも英語に興味もたない気がする。地方都市に住んで愛読書が花より男子という設定の20年前の母親がなぜ英語の必要性を感じるのか。
ある程度落ち着いた大き目の地方都市在住の人は、その場所から出たがらないし外の世界への興味も薄いというのはちょっと話すとどこででも感じる。
身の回りのコミュニティが充実してればそれでOKなところ。そこが地方都市のいいところでもあるのだから。
そのへんの設定にまず違和感を感じえなかった。
そして娯楽と知性がないという表現。それは東京に比べたらどこでもそうだと思うけど、地方コンプレックスをこじらしてる人が主人公設定だからそうなるのかな。
実際に国道沿いに大型店舗が並んでいて駅前はさびれているというのは仕方ない。生活のスタイルが車前提の社会になってるから。
でもイオンとドンキだけではない。各地方ごとに面白い大型店舗はいろいろある。自分は産直市が好きでよく行くけれど、季節のもの、その地方ならではのもの、個人が作った細やかなものなどが売られていて文化を感じるがね。
ほかにも地域ごとに特色のある文化や人、歴史、工芸品などの博物館・資料館・美術館・庭園・公園・寺院・神社などいろいろあって、自分はそういうところをいろいろ巡るのを趣味の一つとしている。
大きい物体はそれだけで人の心を動かすと思う。
数年前にトルコに旅行に行ったんだけどそこで Çamlıca Mosque という観光地じゃなくて現地の人が実際に使う感じの大きいモスクを見に行った。
このモスクは海峡を見下ろす丘(山?)の上に建ってるんだけど、とんでもなく大きくてそしてとても美しかった。
現代人の自分ですら相当感動したので、ハギアソフィアを見た昔の人がぶったまげてそのままイスラム教を信じたっていうのは実際にあったんじゃないかなって夢想していた。
日本でも宇都宮にある大谷採石場っていう昔の採石場を資料館にした場所で似たような体験をした。
その名の通りかつて石を採掘していた坑道に実際に入れるんだけど、地下に大きな空間が開いててずっと下に続いているんだ
ゲームとかにある地下ダンジョンを本当に具現化したような空間という感じでとてもわくわくした。
ただ大自然とかにあまり感動したことがないのでどちらかというと人間が作り上げた巨大な何かに惹かれているという心理な気もする。
ちなみに今は "首都圏外郭放水路" という場所に行こうと計画している。埼玉にある放水用の施設らしいのだが、その見た目がまさに地下神殿という感じになっており自分にうってつけの場所だ。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
化石博物館では去年発見されたミズナミムカシアシカの企画展が開かれていました
同種の化石は以前から一部が見つかっていたものの、今回は頭骨が見つかったため
クリーニングに10日80時間、レプリカ作りに2週間も掛かったと説明されてましたが
どちらもとても早いと感じましたの
すごい根気と集中力ですわ
企画展の展示室にあるものはクリーニングが完全に終わったもので
常設展示の方に置かれたものは石の付着が残っているものでしたわ
瑞浪mioちゃんのコラボ紅茶が公園内のレストランで売っているそうでした
やくならマグカップもの次は瑞浪mioちゃんをアニメ化してほしいですわ
陶磁資料館では「山五陶業 洋食器の世界展」が開かれてましたわ
おそらく以前にも山五陶業の企画展は開かれていて見覚えがありました
加藤孝造先生専用スペースと思っていたところが第一展示場になっていて
いつものところが第二展示場になっていたので、様々な洋食器が見れましたの
アメリカでの鉛規制を契機に、あえて規制が厳しくなったアメリカに工場を進出させて
生産をおこなった発想はすばらしいと思いましたわ
展示されている会社の新品同様の制服と、古い写真に写っている方が着ている制服が
市ノ瀬廣太記念美術館では「天野裕夫彫刻展」が開かれていましたわ
樹齢1300年と言われていたけれども本当の樹齢はその半分だったことが最近ニュースになった
倒れる前に樹勢回復のために行われた枝打ちから素材をいただいて彫刻にしたそうですの
天野先生の作品はベルセルクの使徒を連想させるような幻想的な怪物の彫刻が多かったですわ
彫刻の表面を小さな象さんの像がたくさん歩いているところも特徴です
象さんが作品の基本単位で、たくさん集まって作品に変身しているイメージを抱きました
復元が古かったけれど寂しいです
県を跨いだところにある鹿児島県(元)出水市民だが、水俣病の原因企業であるチッソ(いまは事業会社をJNCとして分離)のクソさを「水俣病資料館」で遠足がてらに勉強したうえで、チッソが「水俣病の原因企業」とならなかった未来に想いを馳せることがある。
小学生の頃のチッソのイメージといえば、水俣駅の前にあるチッソ工場の正門のゲートで、その先で何をつくっているのかは知らなかった。いまでも、当時は出水に NEC の液晶パネル工場があって、そこに液晶でも納品してるのだろかぐらいの認識である。... 要は、未だに何をしているのか理解していない。
チッソの工場といえば、九州なのに工場内が 50Hz の交流の電力なのは、ドイツから発電機を取り寄せて鹿児島県の伊佐市に水力発電所をつくって水俣の工場に送電しているから、と言うと都会の連中が「へえー」って言ってくれた。
まあ、なんというか、チッソのような大企業は出水も水俣も少なくて、田舎の人間としてはチッソを通して熊本市・大阪・東京・世界につながっていたような気がする。ここの製品が世界中でつかわれているのだというのは、良い刺激になったね。だから、チッソが水俣病を引き起こさなければ、世界規模のメーカーが近所にあったのだと思うのだ。
そして、創業者が野口遵で、彼は日窒コンツェルンの始祖で、同門企業に旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学あるからして、チッソも水俣病がなければドイツの BASF ぐらいのポジションになれたのじゃないかと想像してみるのです。ときどきね。
石井閘門 - 宮城県石巻市。北上川にある閘門。1880年(明治13年)に完成した、日本初の西洋式の本格的な閘門。現在日本国内で稼動する閘門の中では最古のものであり、国の重要文化財に指定されている。
脇谷閘門 - 宮城県石巻市。1931年12月竣工。北上川本川と旧北上川間の船の通行のために、脇谷洗堰に併設された。
見沼通船堀 - 埼玉県さいたま市。見沼代用水と芝川とを結ぶ閘門式運河である。昭和初期以降から使用されておらず、現在はさいたま市緑区にその復元された遺構が残る。1982年(昭和57年)、国の史跡に指定された。
荒川ロックゲート - 東京都江戸川区小松川。東京都を流れる荒川と旧中川を結ぶ。大震災時などの災害時に水上交通が有効であることから改めて水路が見直されることになり、2005年10月に供用開始された比較的新しい閘門。
扇橋閘門 - 東京都江東区猿江一丁目。1976年(昭和51年)完成。小名木川に設置されている。
中島閘門 - 富山県富山市。1934年(昭和9年)8月完成。富山駅北側付近から富山湾の河口まで南北に続く、富岩(ふがん)運河中流にあるパナマ運河式閘門。現在も運用されており、観光船が運行し往来できる(冬季運休)。国の重要文化財に指定されている。
牛島閘門 - 富山県富山市。中島閘門と同時着工し1934年(昭和9年)8月に同時完成。富岩運河最上流部(南端)の富岩運河環水公園(旧 船溜まり)内にあり、並行するいたち川とを結ぶ現在も運用可能なパナマ運河式閘門。国の登録有形文化財に登録されている。
松重閘門 - 愛知県名古屋市中川区。堀川と中川運河とを結んでいた。1968年に閉鎖され、現在は閘門としては使用されていない。名古屋市の有形文化財、1993年(平成5年)には名古屋市の都市景観重要建築物等に指定されている。
船頭平閘門 - 愛知県愛西市立田町福原。木曽川と長良川の間をつなぐ。1899年(明治32年)に着工、1902年(明治35年)に完成した。1994年(平成6年)にはそれまでの手動から電動への近代化・改修工事が行われた。2000年(平成12年)5月には明治期に建設されて現在でも使用されている貴重な閘門であるということで重要文化財に指定された。冬季を除き、木曽川上流の葛木港より観光船が運航。一般には無料での往来解放がされている。
三栖閘門 - 京都府京都市伏見区。宇治川と濠川を結ぶ伏見港に1929年(昭和4年)に建設された。いまは遺構が三栖閘門資料館として開放されている。
毛馬閘門 -大阪府大阪市北区。淀川と旧淀川(大川)を隔てる閘門。明治40年(1907年)8月に完成した旧第一閘門は1976年(昭和51年)まで使用され、現在は重要文化財に指定されている。
尼崎閘門(尼ロック) - 兵庫県尼崎市西海岸町地先。日本初のパナマ運河式。物流機能としての運河を今なお支える船舶の重要な玄関口となっている。
下関漁港閘門 - 山口県下関市の本土と彦島を隔てる小門海峡(関門海峡小瀬戸)にあるパナマ運河式水門。1936年の設置以来、現在も稼動中。
三池港閘門 - 福岡県大牟田市。1908年(明治41年) 完成。2008年機械遺産に指定。2015年世界文化遺産に認定された明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業構成資産の1つ。
タイトル通り。俺は被爆4世らしい。ついこの前、唐突に親からそう告げられた。
親曰く、戦争に行ってたひいじいちゃんが負傷かなんかで帰国して長崎市内にいたときに被爆したとのこと。終戦後には原爆手帳も貰ったらしい。
そのあと被爆2世であるじいちゃんが生まれ、被爆3世である親父が生まれ、親父の息子である俺はもちろん被爆4世。
そんな内容を突然言われた俺は多分すごい間抜けな顔をしてたと思う。
広島原爆の漫画はあるけど長崎原爆の漫画って聞かないな~って思いながら「そうだったんだ。。へ~」って我ながらアホみたいな返事しかできなかった。
親も別に真剣ってムードでもなく話のついでって感じで「ってことだからね~」って軽くこの話は終わった。
しばらくは全然飲み込めないというか、全くの他人事のようにしか思えなかった。
自分でも怖いくらい何も感じなかった。福山雅治が被爆2世って知った時の方がよっぽど驚いた。
ただ、そのときは「突然こんなこと言われて混乱してるんだろう。じきに実感がわいてくる」なんて思ってた。
だけど、数日たっても、1週間たっても、1か月経っても実感は湧いてこない。
それでなんでだろうと思ってちょっと考えたけど、そもそも実感なんか湧きようがないことに気が付いた。
被爆1世にあたるひいじいちゃんはとっくの昔に死んでる。被爆2世にあたるじいちゃんはまだ生きてるけど、そんな話は一度もしてきてない。
原爆なんて80年近く前のことだ。歴史としては知っているけど、教科書や資料館の中の話でしかない。
身も蓋もないけど要するに「知ったこっちゃねえ」ってことだ。
だんだんと、そんな話をしてきた親に腹が立ってきた。
そもそも被爆4世だなんて教える必要があったのか、知らなくてもなんの問題もないじゃん。
寝た子を起こすな的な考えが常に正しいとは思ってないけども。
多分だけど、実際に親から知らされず、自分がn世って知らないまま過ごしている人も結構いると思う。
被爆1世や2世は結婚や就職で差別されてきたらしい。もしかしたら今でもそれは残っているかもしれない。
実際に差別を受けた人たちが自分の子供を想って事実を知らせないことは何も悪いことじゃないと思う。
まあでも、物事ってのはこうやって薄まってくのかなって思った。
以下雑語りです
https://bunshun.jp/articles/-/45917
一市民として悲憤慷慨を隠し得ない
駅周り30分ぐらい適当に歩いてあとはWikipediaの雑引用、かの文春の記者がやることですか?
だいたい駅の話から市の話に自動的にすり替わってるのおかしいだろ お前がやってること、山手線の内側を"ナゾの激坂地域"とか書いて結局目黒駅周辺の話しかしないのと一緒 わかる?
それに自由民権運動の話するならちゃんと自由民権資料館に行って話聞いて来いよ
※自由民権資料館 鶴川駅から徒歩25分。民権運動をテーマにした資料館はここと高知県の自由民権記念館だけ。和風な造りの本館は、民権志士が残した武芸道場を保護・改装したものだ。
文章を順を追って殴りますが、まずね、境川の話が「都県境」で終わるのがもったいなさすぎるんですが…
後々神奈川ネタ出すなら、かつて武蔵国と相模国の国境線が境川だったってところまでやるべきやろ
あとは
(・中世では現多摩市との境界が武相国境であるような認識があったが、太閤検地の際に完璧に河川が国境線になった)
(・検地以前は境でなかったので高座川と呼ばれていた)
までの情報があった方が良かった
・小田急線はもともと南町田や長津田付近を通る予定だったが、地主がゴネて町田を通った
・「デッキを抜けたら地下」な小田急町田の独特の駅構造は周辺の地形に関係している 境川の流域が狭く、川に沿って坂線がある
・"ただ絹の道があったから"発展したと思うな あれは浜街道(八王子と横浜をつなぐ道)沿道でありながら鎌倉街道沿道なので、東京湾に進む人の流れと相模湾・埼玉から来た人の流れが激突することになり、一躍巨大市場になったんだ 相模湾で捕れた魚を乾かしながら町田まで歩いた商人もいて、駅前に乾物屋が多いことのルーツはここにあるらしい(富沢商店ももともと乾物屋)
・絹の道の由来について語るなら、"ただの道を絹の道にした"鑓水商人の話も欲しいし、どうでもいいですが町田市には槍溝(やりみぞ)という希少苗字が残っています
あと民権運動や水源問題は町田が神奈川になった理由の本質じゃないだろ
多摩川・荒川流域じゃあないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
町田市以北の多摩地域のほぼ全域は多摩川流域(八王子、青梅、三鷹等)か荒川流域(東村山、清瀬、武蔵野等)に属します ところが町田市が擁する水系は境川・鶴見川の2系で、多摩川水系の河川はほとんど通っていません おかしいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!流域ごとに郡や地域を区切るなら町田は横浜市や相模原市の一部になって然るべきだろ
多摩川欲しさに東京府が三多摩を合併したのは事実ですが、併合してもなんもいいことない現町田市の地域1町4村まで神奈川県を追い出されたのは"多摩郡に属していたから"ですよ
②武蔵国である現横浜・川崎両市がなんか都心と分離され、神奈川県の枢軸になってしまった
インターネットは③を一生擦ってるってことにはよ気付け
※解説
①https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12203290882 ヤバイなこの回答者、郡史ガチ勢?これを見るに武蔵府中との結びつきって相当強かったんだな でも鶴川以東には国府の権力が及ばなかったのもなんか不思議ー
②https://togetter.com/li/1285652 と https://www.customs.go.jp/yokohama/history/hatten.pdf 神奈川県の成立理由はマジでごちゃごちゃしていて最悪だが、"なんかメッチャ白人(しろんちゅ)がいる嫌な場所"と"俺らの住まい"とをひっぺがしたかったという趣旨
中世のころ、武蔵府中から丘陵の壁を超えて「多摩」の使命を言いつけられたことに始まり→時は流れて近代、なんか横須賀にゲェジンが来たせいで江戸っぽくないところを別県にせざるを得なくなり→水源問題で都心と神奈川が大モメかました挙句過激派活動家が大暴れして「多摩(笑)」一帯が神奈川県を追い出された
もし武蔵国府が調布のあたりにできて鎌倉街道が東にずれていたら、もしペリーが江の島に来航していたら、町田はこんな「仲間外れの市」にはならず、"茅崎県"県央の凡庸な自治体になっていたかもしれないし、はたまた鶴見市や都筑市という巨大な自治体に包摂されていたかもしれないのだ
そしてその世界線でも、ろくでもないライターが「"ナゾの途中駅"本町田駅」とか書いちゃうだろうが、 でもその記事はここの日本ほど多くのpvを稼がず、トレンドにも載らずひっそりと埋もれていくんじゃなかろうか
だから答えるよ
未だに何もわからない
飽きたんだよ
お前らが同じ話ばっかりして肝心な要点を見過ごしてるから不快なんだってば
それにステレオタイプで地域を語るのは地域差別となんも変わらんだろ
(前に町田関連のネタツイを自称リベラルに共感RTされたことがあったけどすごい嫌だった いかなる差別にも屈しないなら町田は東京都って言えよ、民主政治が大好きなら民権運動によって東京都に移管された街に最大限の敬意を払ってくれよと思った)
本当に町田が好きなんだったら、インターネット雑語りをやめて、今日から町田にちゃんと向き合え
ネタで町田を神奈川扱いするならテコンダー朴みたいに歴史的経緯を全部踏まえてやれ 憶測で物事を語るな
あと神奈川県に接する駅といえば町田駅だけじゃなくてつくし野駅も鶴川駅もそうです
にしてもこのブロガァーみてぇーなライタァーは駅前で何を見たんだ?日本初の車いす用バスを見たか?町田街道の向こうに佇む広大な谷戸(注)を見たか?谷底の美術館の収蔵品を調べたか?ジョルナのエレベーターのボタンを押したのか?何もしてない
これをポジティブにとらえると、読者にもっと町田の魅力を探させる余地を与えてくれたってことになる
だからどうか、ここから先はスマホの前のみんなに、町田駅や"町田市"を回ってほしい
限界逆張り地理オタク御用達・源流と坂と県境のテーマパークとして、町田市は今でも多くの廃人を寄せ付けている
町田市は本当にすごい 今や小平にも及ぶブルーベリーの産地だし、南町田にはケンタッキー食べ放題店舗があるし、堂之坂公苑は誰も来ないのに水琴窟があるし、玉学には赤瀬川原平の家も残ってるし、白洲次郎の別荘で食べるオムライスはマジでうまいし、つくし野の急坂はどこまでも続くし、小野路宿里山交流館は江戸末期の旅館を改装した建物だから木造で落ち着くし、野津田の山はクソでかいし、相原にはおいしい卵屋(カトウファーム)とアイス屋(東京みるく工房ピュア)があるし、本町田には北条時行の戦った合戦場があるし、リス園の近くに井の頭公園みたいなでかい池があって夏になると隣のちっこい池でメッチャ蓮咲くし、多摩境には都内唯一のストーンサークルがあるし、大泉寺は谷戸の底にすっぽり収まった寺で春になると桜が参道に咲いてめちゃ綺麗だし、恩田川の桜はもっと綺麗で目黒川より混んでないからいい写真撮り放題だし、木曽町の地名の由来は一般通過木曽義仲
とにかく春先にあの戸場谷戸を尾根の上から見渡した時の、菜の花畑や一本立ちの桜や小さな白いトラック、別の尾根が続いている光景は言葉を失うものがあったから、一緒に行こう。
お前は町田を待ってないかもしれないけど、町田はお前をいつまでも待ってるから。
【あとがき】
https://twitter.com/pededeck/status/1246422466135617537 ←これはインターネットで見つけたわかり手
注:谷戸は谷の一種。底が平たい。上から見るとUの字になっている。海進によって土砂が堆積し、このような平底になったようだ。あきる野の横沢入や稲城の上谷戸は有名。
追記 こんなにたくさんの人々のブクマと注目を集めることができて光栄です。卒論も町田のことで書こうと思っていたので、励みになりました。町田地方史研究会のおじちゃんたちに比べたら、自分は町田について本当にニワカで、話せることも少ないけれど、精進しようと思います。
日本には数多の新宗教と呼ばれる宗教が存在する。そして大体の宗教は聖地を持っている。そんな聖地に信者でもない人間が入ってもいいのか?と思ってしまうが開放している宗教はそこそこあるので行ったことがある宗教本部の思い出を辿ってみる
・霊友会
法華系新宗教の先駆けであり数多くの分派を輩出したことで知られる霊友会は東京都港区麻布台という都内の一等地に「釈迦殿」と呼ばれる巨大な建物を保有している。最寄り駅の神谷町駅からとぼとぼ徒歩で行ったが、自分は平日に行ったのでほとんど人が居なかった。巨大な礼拝スペースががらんとしているのはこの世の終わりを感じさせてなかなか楽しいものだった。霊友会には小谷喜美と久保角太郎という二人の教祖的な人物がいるのだけれど歴史紹介コーナー的なところはほとんど小谷恩師小谷恩師と書かれていて久保角太郎の名はあまり見受けられなかった。(霊友会の元会長が久保角太郎の息子なのだが、平成に入って分裂騒動があり現在の霊友会と袂を分ったためか)
奥の方には食堂もあったが行く前に食事してしまったので食べずに終わった。
上に書いた霊友会の分派として戦後期に創価学会と並んで肥大化した新宗教である立正佼成会の本部は杉並区和田にある。方南町駅から北に向かって歩いていくと円柱が多数取り囲んだような形の立正佼成会の大聖堂が見えてくる。道を挟んで南側には「吹奏楽の甲子園」と呼ばれた教団所有の普門館があるのだが、自分が行った2019年のクリスマスには耐震上の問題から取り壊しが行われていた。
中に入ると一階には土産物屋があった。教団関連の書籍や仏具とともになぜか国旗が売られていたのを妙に覚えている。上の階の展示室では脇祖・長沼妙佼の特集が組まれていた。若いころの開祖・庭野日敬の写真などもあったがなかなかいい顔立ちだなと感じた。展示を見終えた後、屋上に上がり中野から東京を見たりした。
昼ぐらいになったので食堂に行った。この日はクリスマスだったのでシフォンケーキが売られていた。仏教系とかあんまり関係ないのね…大聖堂の外にもいろいろあったが博物館的なところは休館だったのでコロナが収まったら行ってみたいと思います。
・国柱会
さっきから法華系の新宗教ばかりに偏ってる気がするけど次に国柱会の説明を。戦前に日蓮主義を引っ提げた田中智学の国柱会の本部は江戸川区一之江にある。一之江駅からバスで行くものの最初はどこが入り口かわからずぐるっと回りを一周してしまった。やっとこさ入口らしき道を見つけたが、教団が経営する老人ホームが本部の中にあって驚いた。老人ホームの道を進んでいくと国柱会の本部が見えてくる。ただまあそんなにデカい建物ではなかったのですけどね。道の端々にいろんな石碑が残っていたけどあんまり記憶にない。本部の中も恐る恐る入った。術師みたいな恰好の人が居た位しか覚えてないですね。本部の中のパンフは教団関係のやつもあれば右派的な主張のものもあった。そこは戦前からの流れがまだ生き残ってるんだなあ…と思った。
・霊波之光
いままでは東京都内だったが今度は千葉県野田市にある霊波之光本部へ。東武野田線運河駅を降り東京理科大学を横目に歩いていく。途中で信者らしき人々がすれ違いざまに挨拶をしてくる。霊波之光は教義上挨拶を重視してるようでまあ返さないと申し訳ないな…という感じで返事をする。
入り口についたころはちょうど正午で礼拝タイムだったのでそれを眺めてから境内にINする。入り口で記念撮影ができるようだが内部では写真は撮影禁止らしかった。休日であったこともあり先に述べた三つの本部よりも人が多かった。とりあえず腹ごしらえに一部オタクに認知されているドムドムバーガーの生き残りの店で昼食を食べた。お好み焼きバーガーって炭水化物ばっかじゃん!!!!
施設内のことで覚えてることが花が多いとか焼き物が飾ってあったとかその程度しかない…教団について知らなかったので資料館的なところも見たかったけど休館だった悲しみ。
・金光教
中国地方に18きっぷ旅行した時にせっかくだからと行ってみた金光教本部はその名もズバリ金光駅から歩いて行った。
本部までの道にある店が軒並み金光教マークの提灯を掲げていたのは流石宗教都市だな…と思ったりしました。本部に入ったけど手水鉢とかもあって割と神社に近い感じでしたね、教派神道ですから。
歩き回ろうと思ったけど信者の方々が掃除の奉仕活動的なことをしてたからなんか申し訳なくなってそそくさと退出してしまいました。帰りに買った金光教マーク入りのまんじゅうはなかなかおいしかったです。
…と、ここまで駄文を垂れ流してきたわけですが、見に行ける新宗教施設は割とあるように思います。ただ、そこにいる信者の皆さんに失礼とならないようなふるまいは必要となってきます。あくまでアウトサイダーなのですから…
あと、創価学会でおなじみの信濃町なんかは行ったけれど学会本部は厳重に守られてますし土産物屋で三色グッズを買うくらいしかできないからあまり面白くはなかったですね。
今後もいろいろな新宗教施設を訪ね歩きたいと思います。天理とかまだ行ってないですからいずれコロナが収まったら行きたいですね…!
𝐀𝐧𝐨𝐧𝐲𝐦𝐨𝐮𝐬 𝐍𝐞𝐰𝐬 - 𝐌𝐚𝐲 𝟗𝐭𝐡, 𝟐𝟎𝟐𝟏
𝐀𝐧𝐨𝐧𝐲𝐦𝐨𝐮𝐬 𝐍𝐞𝐰𝐬についてと、バックナンバーはこちら→anond:20210507172613
北海道羅臼町で12年前に発見された魚類の化石が、専門家の調査の結果、これまでの分類に属さない新種の魚であることが判明した。この化石は町内に住む桜井憲二さんが、ポン春苅古丹川で、エゾシカの狩猟中に発見したものだという。発見者の名前にちなみ、『ラウスシロカサゴ属 サクライシロカサゴ』と命名された。
羅臼町は知床半島東側に位置する町で、発見された化石は5月17日から羅臼町郷土資料館で展示される予定。同資料館では国定指定文化財に指定され、オホーツク文化を現代に伝える貴重な出土品260点や、知床の自然を伝える模型・剥製などの展示を行っている。利用時間は9:00〜18:00で、入館料は無料。
9日午前5時2分頃、和歌山県北部に位置する湯浅町で震度1の揺れを観測する地震があった。この地震による津波の心配はないという。
気象庁によると、この地震のマグニチュードは2.3、震源の深さは10kmと推定されている。この地震の規模は、東北地方太平洋沖地震(マグニチュード9.1)の約160億分の1である。
同日1時57分頃には、福島沖でマグニチュード4.4、最大震度1を観測する地震が、8日の13時19分頃には、八丈島東方沖でマグニチュード4.7、最大震度1の地震を観測している。
ミカンやマグロ、セメントなどの津久見の名物をデザインしたオリジナル缶バッジ『つくみのシリーズ』が好評だ。種類は全部で11種類で、キャラクター化された可愛らしいイラストが特徴。津久見市四浦の里の駅「つくみマルシェ」に設置されたガチャガチャで購入できる。
つくみマルシェでは、津久見の名産品を売りにした町おこしグッズを数多く取り揃えている。津久見市の主要産業であるセメントをイメージした『砂利ソフトクリーム』(税込400円)や、特産品の魚介類やミカンを使用した食品、イルカと触れ合うことができる体験パーク『つくみイルカ島』のグッズなどを販売している。
なお、つくみマルシェで販売している商品の一部は、津久見市観光協会が運営する通販サイト『つくみトドケル』でも手に入れることができる。
旅館に2泊ってしたことないんだよね、同じところでさ。でも2泊したっていいよね。
山奥の温泉とかで、温泉街とまではいかなくともちょっとした集落になっているようなところでさ。
初日はとりあえず17時とかまでに到着して、お風呂のち食事。お酒頼んじゃったりしてさ。普段あんま飲まない日本酒とか頼んじゃったりして。多少強い酒でも旅館だからそのまま寝られるしいいよねって。
でもほら、旅館の食事って18時とかからだったりするから、結構夜は暇だったりしてさ。
テレビでも見ながらぼんやり過ごしたら、ちょっと腹ごなしもかねて外を歩いてみたりしてさ。
星が見えても見えなくてもいいから適当になんか散策できる天気ならそれで良いいよね。
それで寝る前にもう一回露天風呂とか行って、それでまた部屋でぼんやりしてから就寝だよね。
1泊ならそれで翌日帰るわけだけれど、2泊なら1日暇な時間が丸々あるよね。
普通ならそういう時、登山に出掛けたりハイキングに出かけたりするんだろうけれど、そういう「頑張る」やつは極力控えめにしてさ。なんかちょっとした地元の温泉神社とか行って見たり、川に降りて行って見たり、小さな資料館に顔出してみたりさ、そういうのでいいよ。ああでも、外湯とかがあるとそれはそれで嬉しいな。お昼ご飯の時間だけ考えて、あとはもう適当に過ごすのがいいよね。
行きたいところは多少ピックアップしておくけれど、別に行けなくてもいい。それくらいの気持ちで、ゆっくり歩く。
近所に道の駅みたいな場所があればそこでコーヒーでも飲んでもいいし、そういうところがないなら宿に戻ってお茶を飲んだりしてもいいよね。地元のお菓子なんか買ってみたりしてさ。自由だよ自由。本当に自由。
夕方になったら部屋に引っ込んで、眠くなったらちょっとお昼寝したり。眠気覚ましに温泉に行ってもいいよ。
そしたらもうほら、また夕ご飯だよね。2連泊だとちょっとメニューが変わっていたりして、そういうのもいいよね。お酒もちょっと変えてみたりね。
翌朝の朝ごはんもしっかり食べてさ。旅館の朝ごはんってのは美味いよなあ。前の日に食べたエビの頭とかが入った味噌汁とかそういうのも憎いね。2泊目だから飽きているかと思いきやそんなことはなく、お代わりしちゃったりしてさ。卵かけご飯とか久しぶりに食べるよ、ってなったりしてさ。近所の生みたて卵だったりするんだよな。あとは烏骨鶏の卵だとかさ。
もうなんて言うか、普通でいいんだけれど、普通の贅沢がしたいんだよね。3万とか出したら2泊でこんな旅館に泊まれるかなあ。行きたいな。