はてなキーワード: 議席数とは
米国中間選挙で上院は民主党共和党で接戦だけど共和党勝ちそう?、下院は共和党がとってて、俺は選挙のことわからんから「もう次の大統領選は民主党不利じゃん」と思ってたら世の中的には民主党思ったより善戦した、みたいな感じで、バイデン政権にNO!みたいなトーンには全然なっておらず、「あ、米国は日本と違うんかい」と。
この機会に、はじめて過去の議席数の推移を見てみたら、上下院ねじれてる時期もまあまああれば、中間選挙で大統領と上下院の党が完全に対立してても次の大統領選で再選したりとか(中間から二年間の変化もあろうけど)。議会のパワーバランスが次の大統領選を占うって感覚が、そんなにないのか。わからんけど、一個賢くなりそうなので書いておく。
結論は最初に書くスタイルで。自民党総裁の岸田文雄の「議席力」というものを仮定した時にそれがプラス1される。それ以上でもそれ以下でもないと思う。
仮定として、各国会議員には基本能力として「議席力」が等しく1で割り当てられていると考える。また、その他の特殊能力や挙動が個人ごとに細かく設定されていると考える。例えば、「地元の建設業の景気が良くなる」「保育園の建設が進む」「ワクチン関連法案は欠席する」「任期中に不祥事で辞職する可能性がある」とかである。タレント議員が当選した場合には、議員自身の「議席力」が岸田文雄にそのまま付与されることになると考えることにする。
岸田文雄には、岸田個人の議席力に加えて諸々の特殊能力がある。タレント候補が当選しても、岸田のそれらの特殊能力には影響しない。例えば、総理として、どの国際会議に出席するかとか、誰と会食するのかとか、そういったことにはそれなりの意味があると思うが、例えば生稲氏が当選した場合に岸田が余分に会議に参加できるとかメシの回数が増えるとかではない。
ただ、岸田氏、さらにいえば自民党が行使しうる総数としての議席力がプラス1されるということである。
国会議員トータルで千以下、自民党トータルでも数百でしかない有限のリソースである「議席力」が岸田氏に余分に1割り当てられるということはそれなりに影響がある。国会における決定がやや微妙な状況では、党内の揺さぶりも含めて、ラストの数議席がキャスティングボートとしての意味を持ったりする。そういう微妙な状況でも、岸田個人に付与された追加の議席力1は基本的に揺るがない。国会や委員会やあるいは総裁選などでの微妙な票読が必要とされるシチュエーションでは、一年生議員の数は安定したものとして数えるのが通例であるのが類似した事例かもしれない。
これは、きれいな言葉で言うならば、岸田文雄や自民党に対して安定感と推進力を与えるということである。ネガティヴな言葉で言うなら、少々の悪事ではびくともしないような防御力を与えると言うことにつながる。
選挙区で、候補者の名前を見て投票するという仕組みのそもそもの意味は、政党だけでは決まらない候補者の特殊能力(つまりは個性)を加味して投票先を決めるということである。それは、有権者に与えられた権利でもあり、また楽しみでもあると思う。タレントが立候補した選挙区では、ポスターにタレントの名前と写真が掲載されていても、そのタレント本人に付随する何かに投票していることにはならない。今書いていて気づいたが、「特殊能力が無い」は漢字で書いた時には「無能」である。仮に岸田に議席力を与えるという選択をした場合であっても、無能な人間に投票しなければいけない虚しさというのはある。
議員個人に特殊能力やら個性を求めなくてもいいという見方もある。政党政治を行う上で、それぞれの党派の議席数がいくつかということのみが重要だという考えで、確かにそのような考え方でもいいのかもしれない。また、議員の特殊能力や個性にはネガティヴなものもあるのだから、変にそういうものを纏っていないという意味での後ろ向きな優位性もあるのかもしれない。
言い訳がましくなるが、ここまでの話とは反する事例は上げようと思えばいくつも上げることができる。例えば、三原じゅん子は、全体主義カラーと子宮頸がんワクチン推進、という個性を纏っている。谷亮子は議員活動の末期で小沢一郎に造反するような動きをしたりしていた。扇千影あたりも元はタレント議員だったと思うが、保守党の党首をやったりしてる(どんな能力なのか知らないが)。とはいえ、立候補する段階で、なんらの主義主張も見せていないタレント候補に、そのような変化が今後生じると期待するのは難しいと思う。
と思ったんだが、よく考えると赤松に入れると自動的に所属政党に票が入るんだよなあ……
赤松が政党内の名簿で上位になることで、他の奴らが変わりに落ちるかも知れないって期待はある
じゃあどこに投票するかって話なんだがカウンターウェイトだけを期待してライバル政党に入れてしまうのも悲劇再来な匂いしかないわけで
問題は信頼に値する公約を掲げている政党が限りなく0に近くてN党や女性天皇のシンプルコンセプト政党ですら公約の信憑性が怪しいこと
こうして産まれた浮遊票をかき集めるコンセプトのごぼうの党に下手に投票すると政治はパフォーマンスだという国になりそうでウンザリする
とはいえ完全に票を捨てるというのも嫌なのである程度の力を持ってるところに入れたい
となると始まるのが消去法だ
ひとまず選挙公報を見ていくと入れてはいけない候補者が見えてくる
まず分かりやすいのが過激な表現を多用することでインパクトを持たせている候補者
政党を隠しているのではなく限られたスペースの中でインパクトを持たせるために情報量を絞っているのだとしてもそれで政党を絞って良い情報と認識した時点でアウトだろう
だいぶ数が減ってくる
問題は比例だ
いざとなったら泡沫に入れれば票のシュレッダー化での妥協ぐらいは出来る個別選挙区の候補者と違って比例の緊張感は高い
レドマツ・ごぼうを除外した先のロジックを応用していくと見事に入れる先の候補がなくなってしまう
個人として応援したい政治家を探そうとした所でレドマツロジックを応用すればそれは単に特定の政党の議席を伸ばすだけに終わることがわかる
これは厳しい……
投票率が下がるのもわかる……
うんざりしてくる……
辛い……
苦しい……
この国の選挙は悲しみに濡れすぎている……
もうレドマツでいいか……
あきらかに何の見識も能力もない女性タレントが自民党の後ろ盾を得て国会議員になっていく。同じ作戦を自民党は何年間も繰り返しているので、それを観察している人間は同じような指摘を何度も繰り返すことになる。
タレントがすでに持っている知名度は選挙に役立つ資源だ。タレントに少し金を与えるだけでこの知名度は買えてしまう。大多数の日本人は知能が低いので、たんに知っている人に投票する。国会議員の給料は税金から出るので自民党の懐は痛まない。
女性タレントを議員にすることで、自民党は女性議員の比率を増やすことができる。当選した女性タレントはなんの能力もなく、なにも考えていないので、自民党の方針に従わせて自由に操ることができる。女性タレントは自民党にとって国会の道具だ。
自民党の方針を決めるのは基本的に男だ。女性タレントを全面に打ち出して、自民党は「女性活躍社会」に貢献している外面を見せつつ、男が重要なことは全て決める男性優位社会をそのまま保存することができる。