はてなキーワード: 謝意とは
指定校推薦使う人って小さい頃にDSのポケモンでチート使って心の底から楽しめてたタイプの人種?
https://twitter.com/anokoronomirai/status/1492714346535092225
イフオ@anokoronomirai
先日、このツイートを読む機会があった。せっかく学生課の職員という仕事をしているので、ちょっと解説してみようと思う。
結論はタイトルのとおりだ。大学にとって、指定校推薦は優れた制度である。一般入試で入ってくる学生よりも、指定校推薦で入ってくる方が優れている。
指定校推薦というのは、大学と高校と生徒にとって三方好しである。高校生が指定校推薦による利を得たい場合は、在学中にたくさん勉強して、学校行事に多く参加し、部活動や社会教育活動やボランティアに精を出さねばならない。
大学としては、新入生としてはできれば安牌が欲しいと考えているし、高校側も特に推薦したい生徒がいる場合がほとんどである。重ねて申しあげるが、一般的な高校生が指定校推薦を活用するためには、その学校にとっての模範的な生徒である必要がある。
私が勤めている大学は、世間的には上流とされている。私立大学の総合力を図るランキングがあったとすると、国内上位3校に必ず入る。
これまで十数年に渡り、百人以上の高校生・大学生の面談面接又は評価活動を行ってきた。その経験に照らして、一般入試と比べた場合の指定校推薦の優位性を説明する。
※公募推薦やスポーツ推薦や帰国子女入試はそれに準ずる扱いとしている。いずれも一般入試の学生よりも優れていると幣学では結論している。
これが最大のメリットだ。幣学から「〇人の推薦枠があるので出願をお願いします」という通知を受け取った各高等学校が、それぞれ選りすぐりの生徒を受験させる。受験者は概ね、以下の性質を一つ以上は有している。
・評定平均が概ね4.5以上
(推薦要綱に4.5以上とあっても、双方の合意で4.4以下の子が受けることは可能)
・特殊な才能に恵まれ、若くして成果を挙げている(スポーツ、文化芸術、学会、芸能界その他での活躍)
幣学は毎年、上記の性質の3つ以上を有した学生を手に入れることができている。ほぼ必ず、将来大器と思われる人材を得ることができている。募集要綱での評定平均が足りていない子はけっこういるが、それらは裁量でどうにかなる。
いい子に入学してもらい、学生生活では多くの人と交わることで自分を磨いてもらい、卒業後は社会で活躍できる人材に育つことが学校としての至上目的だ。
具体例をひとつ挙げる。
4年ほど前のことだ。府中の辺りにあった私の日常通いのマクドナルドで、ある女子高生が働いていた。私と彼女は、レジでたまに世間話をする関係だった。その子が新人だった時の話をする。
夕方だったろうか、外国人サラリーマン2人組(大柄な白人と中肉中背のアジア系だったと思う)がその子のレジに並んだ。私はそのひとつ後ろに並んでいた。
そのうち1人が、店員に対して英語で話し始めた。併せてジェスチャーを行い、干飯ハンバーガーを注文しようとしていた。
さて、彼が欲しかったものは、「チキンフィレオのセット×1+チキンフィレオの単品」だった。その子も身振り手振りで話を聞き終え、「千何百円になります~」と言ったところ、「No」と白人リーマンは言うのだった。「チキンフィレオのセット×2」としてしまったのだろう。
その高校生は、もう一度メニューを見ながら、手指や視線を動かして、彼の顔も見て――今度は正解を当てることができた。白人リーマンは、「glad」と言って隣のアジア風の男性に注文を譲った。
その子は、アジア風の男性からも英語で注文を聞き取っていたが、今度はミスなく注文に応えることができた。身振り手振りだけの、上手なコミュニケーションだった。サイドメニューのサラダ単品と、ナゲット×2とジンジャーエールだった気がする。
この間、彼女は一切英語を話していない。労働経験も少ないだろうに、外国人に即応したのだ。言葉を交わすことなく注文に応えてしまった。緊張した様子もなく、終始ニコニコだった。
才覚を感じた。私が学生の頃は、あの子のような接客は絶対にできない。せいぜい、しどろもどろになって社員を呼んでいたことだろう。彼女については後述する。
指定校推薦の話に戻る。
幣学では、彼女のようなレベルに達している人間がぜひ欲しいと思っている。幣学だけではない。ほかの大学だって喉から手が出るほど欲しいだろう。残念ながら、その子が通っている高校には幣学の指定校推薦枠がなかった。が、その他の推薦入試であれば可能性がある。私が入試事務局で彼女の願書を審査するメンバーだったら、一次選考は確実に通しただろう。
ここまでお読みいただいた増田民への情報提供を兼ねて、推薦入試の際に最も重視される評価基準を説明する。
『自助努力』
以上だ。
評定平均が4.0以上など、指定校推薦では成績優秀な学生を求めている印象があるが、この際だから正直に言ってしまう。合格順位の点数付けの過程で、評定平均はほぼ見られない。あれは受験者を少なくするために振るいにかけているだけであって、本当に見られるのは上記3要素だ。
例えば、推薦入試の募集要綱には、「全体の評定平均が4.0以上であること」などと書いてあるだろう。実務上の対応としては、それ未満の評定平均でも出願すること自体はできる。むしろ出願して欲しいほどの人財がいる場合は、当高校に対して個別に依頼と訪問を行い、その生徒を推薦してもらう。これは幣学でもそうだし、他の名門大学でも変わりはない。それくらい、上記3要素を有した高校生はこの世界に少ない。喉から手が出るほどほしい。
なお、自己推薦制度を採用する大学の場合は、評定平均が足りないと学校長からの推薦書がもらえないので注意しよう。すなわち出願ができない。学校を通した推薦入試の場合は、評定平均が少し足りないくらいであれば双方が話をする。やり取りの例はこんなところだ。
パターンⒶ
高「評定平均は3.8である。貴学の示す4.0には少し足りないが、在学中に難関試験である〇〇に合格している。性格は朗らかであり、リーダーシップもある。貴学の学風に相応しい生徒かと思われる。出願は可能か」
パターンⒷ
高「評定平均は3.0未満である。この子は1年生からインターハイに出場している。推薦入試の受付開始時点でインターハイに上位入賞しているなどの場合は、出願することは可能か」
大「協議して回答するので、出せる範囲で資料をいただきたい。出願できる可能性はある」
どんな大学にも救いようのない学生はいるものだ。箇条書きにしてみよう。
‐①
講義中に先生に当てられても、何も答えない。ずっとだんまりだ。人として生きる力に欠けているというか。私が幣学で学んでいた頃もいたし、ずっと前から一定数いるのだろう。わかっていようといまいと、とにかく答えない。黙っている。こういう人間は大学生になってはいけない。行動が大人のレベルに達していない。社会の進歩と同時に、こういった人罪が増えるのは致し方ない面がある。大昔であれば、こういった人間は厳しい修行の中で開眼するか、できなければ間引きされていたに違いない。
‐②
学生に一般貸出している施設の鍵を個人がずっと持っていて、サークルや部活動の団体が使用できなかったにもかかわらず、詫びの一言もなく鍵を返却して済まそうとした女子学生。口頭での注意及び一定期間の施設使用禁止を命じた。後日、ほかの利用者が鍵を開けて使用するタイミングでこっそり利用していたことが判明し、正式な処分を行うこととなった。
‐③
ある警備員が、大学が閉まる時間になっても遊んでいる学生を出て行かせようとしたところ、逆切れして「警備員ごときが偉そうに!」と文句を言った男子学生(譴責処分とした)。彼のような場合、親が地元有力者や代議士経験者といった名士であることが多い。肉親や親類縁者が多くの人から崇められているため、それが自分の力であると勘違いしているのだ。大学としても、譴責以上の処分を与えるのは難しい案件であるため、厳しい対処はできない。
・明確な不法行為をする者
‐①
学外私生活でトラブルを起こし、警察沙汰になる者。アルバイト先など関係者からのクレームの電話が年に10件以上はある。あの学生に家族を侮辱された、彼は替玉入試だから調査しろ、あいつはコンビニで万引きをしていたなど。明らかな証拠がある場合に限って調査をする。証拠がなければ何もしない。当人を呼び出すこともしない。杞憂なく学生生活を過ごしてほしい思いがある。
‐②
不埒な行為を目的とするサークル活動。ゴシップ雑誌やニュースサイトで、泥酔した学生十数人が路面で倒れて~といった報道が稀になされる。本当ならば、路面に倒れるよりも前に個室に連れて行きたかったのだろう。誠に遺憾だが、そういった行為を目的とするサークルはある。ネット検索でもヒットする。近年だとミスコン運営委員会の事件が記憶に新しい。
現代社会では到底許される余地のない連中だが、昭和の時代から存在している伝統的なサークルが多い。既得権というか、潰すに潰せない事情がある。
ここでいったん、関連するトピックに逸れる。
京都教育大学集団準強姦容疑事件に関しての京都地裁判決に対する緊急声明
https://wan.or.jp/article/show/2038
覚えている人もおられるだろう。
2009年2月、京都教育大学の体育会で追い出しコンパがあった。その居酒屋の空き個室で、当時19才の泥酔した女子学生に対し、6人+見張り3人が代わる代わる性行為を行ったという。数か月後、女子学生の親が大学の対応を信用できなくなり、刑事告訴に踏み切った。
この事件当時、文部科学省から事件関係の通知(指導)文が何件も送られていたのを思い出す。掻い摘んで述べると、「大学の活動の一環として行われる行事は大学側にも責任が生じるおそれがあるため、このような事案が決して起こらないよう、学内団体の監視及び指導、事前対策を徹底すべし」といった文面だった。
幣学でも、遠く離れた京都であったこの事件を対岸の火事と見ず、リスクマネジメントの観点から積極的な議論を行い、事前事後の対応策を決めた。
当時、若手職員だった私には疑問だった。なぜ偏差値的に優れている、勉強を頑張ることができる人間がこんな事件を起こすのか? と考えていた。今ではわかる。偏差値と人格は何の関係もないのだ。こんな当たり前のことを理解するまでに相当の年月をかけてしまった。恥ずかしい限りだ。
それから十数年。幣学でも、そういった事案が年に数件は上がる。どれもこれも、いい大人がこの程度のことがなぜわからないのかというほどレベルの低い案件だ。その度に、慎重に慎重に慎重に、最大限の注意をもって被害学生の心に寄り添い、謝意とフォローを示さねばならない。
こういった事案の多くは、一般入試で入ってきた人間が起こしている。ほぼ同率2位がスポーツ推薦だ。公募推薦や指定校推薦や帰国子女入試の学生は、こういったレベルの低い問題事案を起こす確率は少ない。明らかにそういう傾向がある。
‐③
幣学には、はるか以前から、警護が付くレベルの皇族の子女が何人も通っている。数年前、とある男子学生が、講義棟から出てきたばかりの女子学生にいきなり近づき、「一緒に写真を撮ってもいいですか」と尋ねたという。女子学生の反応は想像に難くない。警戒心で強張っていたと推察する。
男子学生は、その子の肩を抱くようにして一緒に携帯で写真を取ろうとした。すぐに警護の人が物理的にシャットアウトしたのだが、その様子を男子学生の仲間が遠巻きに笑って眺めていたという。学生課に抗議にきたのは、その女子学生ではなく友人だった。女子学生は、どちらかというと穏便に済ませたいとの意見だった。こういった案件がある度に、偏差値と人格に関係がないことを思い知らされる。この顛末は【後述】する。
さて、どうして私がこのような考えに至ったのか? 統計を取ったからだ。
大学職員になって十年ほどが経った頃、問題を起こす学生の傾向について、上の人間から指示を受けてデータ化を進めていた時、ある傾向に気が付いた。
過去に問題行為のあった学生約200人を無作為抽出し、データベース化した。そして、その入試制度別の発生割合を調べたところ、
指定校推薦<その他入試制度(帰国子女含)<一般入試<スポーツ(一芸)推薦(※1)
という関係が成り立った。
この時、私は――社会で実績を挙げる人間には反対の傾向が当てはまるのではないかと考えた。実際、正しかった。学生の卒業後追跡調査の結果を独自分析し、卒業後の進路ごとに1点~5点(※2)を付けて入試制度別に平均点を並べたところ、
指定校推薦>その他入試制度(帰国子女含)>スポーツ(一芸)推薦>一般入試
と、おおよそ対称的な結果を得た。これにより、私の考えが確信に変わった。
知能テストで図ることができる要素よりも――それ以外での、高校在学中の部活動その他の社会的交流や、自らを高めるための活動にどれだけ勤しんだかに重点を置いて入試制度を運営する方がよりよい結果を得ることができるということだ。
※1…一芸とは、AO入試やスポーツ以外の特殊技能により入学した者を示す
※2…国際公共機関やそれに準ずるNPOや世界的企業を5点、一般企業や一般公務員は3点、フリーターや無業者や所在不明者は1点とした。4点と2点はその間を基準として点数を付けた。
ここからは【後述】の内容になる。女子学生に写真撮影を求めた学生は、一般入試だった。それまでに何度も事件を起こし、3回の学内処分を受けていた。
ゼミの担当教授にも参考意見を伺ったところ、やはり人格的素養を欠く言動を繰り返しているようだった。犯罪に達している行為もあった。
事務局側の責任者に彼の処分内容を協議したところ、「遺憾だが、処分内容は考える必要がある。考えたうえであれば~~そちら側に委任する」という答えがあった。これは、その人なりのサインだ。自らの手を汚すことをしたくないから、処罰される人間に明白な忌避行為がない限りは、こうした答え方をする。意図を汲み取る必要があった。
数日後、彼との面談で、私達は「自主退学」を求めた。はっきりと「あなたは本学にふさわしくない」旨を告げたうえで、自ら退学願いを出すのであれば、こちらから退学処分を行うことはないと宣言した。これは半分以上がブラフだ。実際、この程度で退学処分を行うことは難しい。ただ、学校としては、品位を落とす学生には退学してもらいたい。それだけだ。
そのうえで、あの時、彼の周りで笑っていた連中にも釘を刺している。個別に呼び出しをした。「学生だからといって、社会で許されないことをしたら、彼のようにキッチリ落とし前をつけさせるぞ」と。はっきり宣言した。
苦しいが、仕方がないのだ。危険の芽は摘み取っておく必要がある。こうした学生を放っておくことで、上の京都教育大学のような重大事案に繋がってしまう。問題事案が起こる可能性は、費用をかけたとしてもゼロに近づける。リスクマネジメントの基本だ。これは、どんな学校でも同じことだと思う。
私は本学を愛している。高校生の時もそうだったし、大学生の時もそうだったし、大学職員になった今でもそうだ。事案が生じることで、本学を世間の目に晒したくない。
お目汚しを失礼した。
基本はロム専だが、どうしても一度、増田に投稿してみたかった。
そんな時、冒頭のツイートが流れてきた次第だ。暇な時間を費やすだけの価値があったなら幸いだ。
イフオ@anokoronomirai様、この度は拙作を投稿する機会をお与えくださりありがとうございます。重ねて感謝申しあげます。
真偽の程は定かでない。
しかし実際に自分の子どもの身に起こったとしたら、あなたならどう対処するか?
息子が給食のカレーをこぼして女の子の服にかけてしまった。帰りが遅いので学校に行ったら必死で洗っていたとのこと。泣きながらママごめんと。先生と相手の親に許可を取り持ち帰って色々な方法を試みたけど取れない。
担任の先生も一緒に洗ってくれたそうですが、何らかの理由で途中から男の子1人になり、そこに自分(男の子ママ)が迎えに行ったのだと思うとのことです。
驚きの返事
「私(母)は別にいいと思うけど、やられたのは娘。娘には普段から『例え謝られても許せないことは許さなくていいよ』と教えてる。許しは強制されるものじゃない。〇〇君には娘に誠心誠意謝って許してもらえるように頑張ってと伝えてね』
そこから3ヶ月。未だに許してもらえず事あるごとにみんなの前で
「〇〇はほんとだめ。カレーとかやらかすから😆」とネタにされる。
周りの子まで真似し出しさすがに度を越しているのでやめて欲しいと相手の母に伝える。
「始まりは〇〇君だから仕方ないよね。娘は被害者。言われたくなければさっさと娘に赦して貰えば良いのよ。ここからが本番。お手並み拝見ね」
受け取り方によって言葉がこうも変わってしまうのかと本当に残念。それから相手の謝意を弄ぶな。許せなくてもいいから「わかりました」で気持は受け取ってよ
女の子も母親も私含め周りに言われたことに対して本気で「?」って顔をするんです。
「なんで被害者を責めるの?やられた方だよ?未成年が罪を犯した時に報道で被害者ばかり映すのと同じ。加害者は責められずに刑期が終われば終了。私はそれはおかしいと思う。そんなの全然反省してることにならない
私(母)を言いくるめようとしてもダメ。娘と私は別の人間だから。母子分離できてない親子と一緒にしないでほしい。
どうしたら謝罪の言葉が娘に届くか親子でよく考えたら良い。そもそもやらなきゃ良かった話。やってしまった以上仕方ない。ここからよく学んで成長していって欲しい。
「おばあちゃんにお誕生日のプレゼントに買ってもらった大切な服だからそれ以外はイヤ!」とはねつけられてしまったそうです。そしてそれは娘の意見だから尊重しなきゃね、と女の子のママ。
まあ以下に記す文章もラノベみたいに架空のものだからさ。それに匿名ダイアリーだしさ。そう思って読んでね。いやー架空の物語はタノシイナー
「今度結婚するんですよ」
前置きなしで御曹司はそう言った。顔はいつもの薄笑いであるが、糸のような目は少しも笑っていない。
それも当然である。何しろ御曹司は知っている。私がつぶさにそばで目撃させられ続けてきた事を、よく知っているからである。
他社でのわずか数年の下っ端使いにも耐えられぬ惰弱な同級生を己の一存で入社させ、過ぎた振る舞いを許し、遂には己に対しても過ぎた振る舞いを取るまでに増長した態度をも黙って飲み込み、いい加減にしかこなさぬ仕事を注意されるたび助勤者の元へ逃げてゆくのを許し、遂には職場内不倫を始めたのに気づいても無言で看過し、しかもその職場内での不倫は現場を古参職員に見咎められるに至って、紹介者そして幹部職員として処分を下す事を求められるも、実質無処分で片付け、両者とも降格すらなく現職のまま職場残留、ほとぼりも冷めた頃に不倫関係も再開され、しかもすべて知りながらも友として現在に至るまで同級生一家と仲良く父母含め家族付き合いを続けている、そんな御曹司である。
友情を履き違えた故の、しなくていい苦労じゃないですかね。私は心中でそう答えた。
御曹司がまるで言い含めるように、いきなりこんな言葉を投げつけてきたのにはもちろん理由がある。
不倫を看過する前例を作り。不倫を許容する空気を作り。潔癖が求められる職ながら不倫への禁忌の意識も薄れさせ。たとえ催事前でも、申し合わせ事項確認の習礼を行っていようとも、食事も定時退社も遅れるのすら忍耐が叶わず、遂には易々と不倫へ走る人物を友に持ち続ける。
そんな無責任な人間が結婚し、一家を構えるなどおこがましい。忠臣たるべき中堅職員の面に、軽侮の色が漏れ出るかどうかを監(み)ているのである。
口元に笑みを走らせながら、私は面を伏せそう答えた。そう答えるしかなかった。
続いて婚儀の日取りや迷惑をかけることへの謝意などを御曹司は語っていたが、私は別のことを考えていた。
世襲の安泰な事業体へ嫁いでくる娘は、たしかに生活の心配はないだろう。立場が脅かされる心配ももう一生ない。それは、繁忙期に手伝うべき嫁ぎ先を放り出して近所の奥様方とハワイへ行き、しかもそのことを公言しつつ職員へマカダミアナッツをお土産に配る御曹司の母を見ていればわかる。
だが、物はともかく、心はどうだろうか。物心両面に問題がないとはとても言えない。
もしも権力者となった御曹司が職場で不倫を始めても、誰も処罰しない。誰も咎めない。それは御曹司がトップになったからではなく、前例があるから。
皆が不倫を知りながら、御曹司夫人に当たり障りなく接する。むしろ、隠蔽に協力する。そんな未来しかもう見えぬのではないだろうか。
御曹司本人に仮になんら問題がなくとも、そんな環境へ、手塩にかけた娘を嫁にやりたい父親が果たしているだろうか。
ひとしきり語り終え、去っていった御曹司の背中は結婚前の幸福に満ちているようにも見えたが、私は溜息をつきかけ、そして飲み込んだ。
問題となっている当の本人はまた喫煙所で油を売っているのだろう。あんな愚物の為に労力など払いたくない。溜息ひとつつくのすら惜しい。
職場のトップは御曹司の父で職場の総責任者だが、実質無処分となったその結果について耳に入れておくに留めたらしい。自浄作用は期待できない。いつも知っている通り、どこまでも腐りきっている。
婚前の素性調査でも、相手が支配することになる職場の腐敗度までは流石に調べられないだろう。
私は探偵を雇って御曹司の婚約相手の父の連絡先を探り、この現状を伝えて外側から処分を求めさせる事を考えたが、ここ十数年満足に上がらない己の給与額を思い出し、その考えを取り下げた。
四方を見ても皆腐っている。ここは、底の底だった。
最後に。
割と最近に娘さんが、他県の安泰職種のお金持ちの家の御曹司とお見合いし、そして幸せそうな顔で結婚を報告してきただろう、お父さんへ。
お父さんは、素性調査なんて必要ない家だろうとか娘が選んだ相手だからとか岳父の偉そうな肩書に安心しないで、相手の古い職場の腐り具合についても、よく探偵に調査させた方がいいですよ。娘さんの幸せを本当に願うのならば。
拙文にもかかわらず、お読みいただき、またもったいないお言葉をありがとうございます。このような形でご法縁を賜るのは初めてのことです。
仏教の最大の目的は、抜苦与楽(ばっくよらく)にあります。苦しみを抜き去り、喜びを与えるという意味です。
特に日本では死別の悲しみを和らげることが重視されてきた面があると言えますから、(我々浄土真宗の場合は)他宗の49日間という習慣を仮に使わせていただき、その期間中ご遺族の心と向き合い、教えに従って慰めていくことも法務活動の一環としております。そうした意味でも、「見送った人の心を整える」というあなた様の解釈は誤りではありません。
「生きることは即ち苦である」、という大前提の上に仏教は成り立っています。
様々な出来事に直面し、悩み苦しむ方々にとって、その方を照らす光となるような、その方を温める熱となるような教えをもたらすことが我々僧侶の使命であると言えます。
ですから、このように謝意を向けていただけると、私自身もまた苦しい日々の中に光をいただける思いです。これがお釈迦さまの目指された「自利利他円満(じりりたえんまん:相手も私も喜びに満ちる)」ということなのだろうと感じ入ります。
また、お恥ずかしくも増田さんのご親族への批判じみた物言いに終止してしまった私に代わって、現実的かつ理想的なアフターフォローの形をご提示いただいたこと、ありがとうございます。観念的な話だけではなく、具体策も伴った上でご遺族を慰められるようになりたいという思いをいただきました。
悲しみはいつ訪れるか分かりません。
その痛みがいつ引くのかも分かりません。
後悔のないように生きたくとも、現実生活の前では様々なことがおざなりになってしまいます。
それでも、「わたし」も、先立ったあの人も、いつかまた出会える場処を夢見て、今日を明日を進みましょう。
心が揺さぶられる時ほど、足元がぐらつく時ほど、「わたし」と人生が問われている時です。
いつか、自分に問うてくださるこの痛みにも、苦しみにも、心からありがとうとごめんなさいの気持ちを持って、手を合わせてゆきたいものですね。
合掌
社会学者の津田氏による「リメイクが続くとしたら、男女役割分業の描き方は変更せざるをえない気がする。」というツイートを批判していたが、作者の田中芳樹先生も同意見であった事が分かり、梯子を外されてしまった批判側。
一方津田氏は9月13日、「今回の騒ぎで「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかったし、謝罪したいと思う。」と謝意を示した。
興味深いのは津田氏が示した「同じ変更をするにしても「外から押し付けられた」か、「制作者が自発的に取り込んだ」かでその意味合いは全く変わってくる」という見解だ。
これは田中芳樹先生の意見が判明した後、批判側が食い下がっていた際の意見にかなり近い。田中芳樹先生やアニメ製作スタッフが自分の意志で変えるのと、外部が変えさせるのは違う、という事だ。
これにより「田中芳樹先生も津田氏と同じ意見じゃんw梯子外されてやんのw」と喜んでいた津田氏擁護側も津田氏本人により梯子を外された形になる。
津田氏の謝罪文は理知的に状況をとらえて振り返り、分析しているのでどちらの陣営も読んでみる価値があると思う。
例えば彼の発言について、「ネット上のただの発言を重く捉えすぎ」「影響力を大袈裟に考えすぎ」といった意見があったが、
彼は謝罪文で「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある。「ネットで炎上してるけど、気にしなきゃ平気」というのはなかなか難しいのではないか(体験済み)」と今回の自身の体験を含めてネット言論の無視できなさ、プレッシャーを振り返っている。
制作者の自発性を尊重しようという態度はなるほどと思わされた。
彼の発言を以って「これだから社会学者は」といったリアクションが見られたが、今回の彼の謝罪文を見れば、むしろ社会学者を見直す者も出てくるのではないだろうか。
追記:
リンクを貼ってくれとコメントがあったが、ツイッターのリンクを直接貼っていいか分からなかったので(ツイッターの引用って面倒臭い規約があった気がしたが、記憶違いかもしれない)ツイートへのブクマのリンクを貼っておく。ここから辿ってくれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/brighthelmer/status/1305033407043231748
また、誤解がありそうなので追記しておくが、私は津田氏の当初の発言が「田中芳樹先生に対して修正を求めた」ものとは解釈していないし、その解釈は津田氏批判側の中でもマイナーだと思っている。
修正を求めているとしても明らかに対象は「リメイク(アニメ)」でありその製作スタッフだ。
そして彼の謝罪文は、そのアニメ製作スタッフに対して自分の発言が「「作り手が無理に変更を強いられた」というような印象を一部のファンのあいだで作り出すのであれば、それは非常によろしくなかった」という趣旨である。(加えて、その影響について「ネット言論がある種のプレッシャーとして機能してしまう部分はある」と影響力を軽く見ない事を宣言している)
一度作ったものではなくこれから作られるリメイクに対しても、「変更」は発生し得るし、その変更の受け止められ方に対する懸念と反省なのである。
https://anond.hatelabo.jp/20200821105846
ttps://anond.hatelabo.jp/20200511114034
ttps://anond.hatelabo.jp/20200522140236
「4月に続いて三国志ネタでランク入り しかしこのネタもそろそろ限界ではないですか」
「はい自分でも行き詰まりを感じています どうすれば多くのブクマを得ることが可能なのでしょうか」
「増田君は勤務時間中もはてなを見ているのだから日々の中で話題の流れがあるのが分かるでしょう
話題の大きな流れには乗ること、ただしエントリの中では流れに逆らうことです はてなーは逆張りが好きですからね」
私は自分の手帳に“はてなシステム No.6 流れに乗り、流れに逆らうこと”と書き込み人事部をあとにした
【残り3ヶ月 上位3位に入ったホッテントリ件数2件 課題達成まであと3件】
ttps://anond.hatelabo.jp/20200601093055
ttps://anond.hatelabo.jp/20200617093201
「新規路線としてセクハラ路線も開拓してみたのですが受けは今一歩でした」
「狙いどころは悪くありません ただどちらもパンチ力に欠けますね
もっとブクマカが手斧を投げつけたくなるような隙をあえて作ってみてはどうでしょう」
私は自分の手帳に“はてなシステム No.10 隙を作って攻めを催促”と書き込み人事部をあとにした
【残り2ヶ月 上位3位に入ったホッテントリ件数2件 課題達成まであと3件】
ttps://anond.hatelabo.jp/20200703084416
兄夫婦が分譲マンションを買うことになり、購入資金支援として父が2000万円贈与するという話を聞いた
ttps://anond.hatelabo.jp/20200708105857
女子社員の頭に鼻くっつけて「ちゃんと毎日シャンプーしてる?」っていいながら匂いを嗅いだだけでセクハラ呼ばわりされた
ttps://anond.hatelabo.jp/20200731141724
「はてなーは嫌儲なのにお金の話題は好きですからね 相続ネタは良いチョイスです」
「先月に続いてセクハラ路線を進めてみたのですが、あまり伸びませんでした」
「増田君は追記を全く使っていませんね 追記はタイミングさえ間違えなければブクマ増加にブーストをかけられます
重要なのは内容よりもタイミングです 早すぎても遅すぎても駄目 ギリギリまで引き付けての追記が効果的ですよ」
私は自分の手帳に“はてなシステム No.13 追記はタイミングが全て”と書き込み人事部をあとにした
【残り1ヶ月 上位3位に入ったホッテントリ件数3件 課題達成まであと2件】
ttps://anond.hatelabo.jp/20200803171613
理解するけどじゃあ逆に40過ぎの自分が入社1,2年目くらいの若い女子社員..
ttps://anond.hatelabo.jp/20200804134429
ttps://anond.hatelabo.jp/20200805115930
「自分の好きな調査報告書ネタで勝負してみました 奇を衒わず正面から勝負してみたのですが」
「“はてなシステム No.17 力作は捻らず直球勝負” 増田君の手法は大正解です」
「セクハラネタについては“上位者からの好意が辛い”というエントリに乗っかってみました
“理解するけど~”という書き出しなのに一切何も理解していない内容なのがポイントです
追記についてもすぐに追記せず、一晩寝かせた上でガチ目の追記をしてサイコっぽさを演出しました」
「3つ目のエントリについては、無断欠勤を上司が有休扱いしてくれると言っているのにそれにキレるところ、
ガラケーのせいで酷い目にあったのにまたガラケーに買い替えるところ、
そして何より“お前ガラケーではてな見てるのかよ”というツッコミどころを用意してブクマカの攻めを催促しました」
「3日連続ホッテントリ入り、最後の一ヶ月で研修の課題を見事にクリアしましたね」
武隈課長は立ち上がると「10月1日付で増田君は異動になります 配属先については決まり次第連絡します」と言い残し自分の席へ戻ろうとした
「待ってください、私はまだ課題を、最初に出された1000ブクマ達成するという課題をクリアしていません」
武隈課長は私の方をじっと見ると「増田君、成長しましたね これで君も立派なはてなーの一員ですよ」と言い、
期限は3ヶ月延長し12月末迄とすること、1000ブクマ達成出来ない場合も期限の再延長は認めないこと等の条件を説明したのち自分の席へ戻っていった
推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬。
わたしは元々pixivにアップされていた彼女の作品を何作か読んだ。
キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベントや通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。
両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。
6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女が二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。
正直わたしは二次創作のルールはよくわからない。グレーゾーンだからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女の現在のジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。
なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。
わたしが心に引っかかっているのは、彼女のプライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。
わたしは、彼女の作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザインの絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。
TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロで感想を送ったこともある。インドの大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ。
純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの間放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。
このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪」なのだ。
騒動に対しての謝罪…騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手にである。わたしたちにではない。
彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。
いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。
「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちらからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?
正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。
「相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。
弁護士とは、本来「加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)
今回に当てはめると、インドの大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しかし絵師さんは直接話をしたくない…から…絵師さんが…?弁護士を…雇う…?
本来、彼女自身が精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択は相手が選ぶべきだと思う。
ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。
正直、2年も経ってしまった今更、相手の絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。
リアルタイムでならインドの大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたしの勝手な想像。
ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンルで活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたしの勝手な想像。
そして、その相手からの要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。
「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物にケチつけたペナルティとして今のジャンルで活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?
自分が相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?
今回のインドの大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。
わたしはネイルデザインの絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラストの絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インドの大運動会さんの作品も好きだ。
だからこそ、インドの大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的に相手へ謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから。
絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインドの大運動会さんの新作に、沸けないのだ。
だってわたしなら。わたしの作品に引用で暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者、ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしにちゃうんかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。
わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インドの大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。
だが、その気持ちをツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブな感想をツイートする手が止まってしまう。
「彼女は人の作品に暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪のポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。
だけど、どうかインドの大運動会さんの謝意が本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたしは勝手に願っている。
わたしは絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。