「諦観」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 諦観とは

2022-12-31

これから日本は衰退する一方なんだからそろそろ教科書に「人類は衰退しました」を掲載するべきだ。

子供の頃から諦観を埋め込めていかねば。

2022-12-27

だよねぇじゃないです。ワイはb:Id:pptppc2ちゃんブコメ付けて欲しくない派です

b:Id:pptppc2pptppc2 「まぁ増田と同じく何を書くかは別に自由からな」だよねぇ。 / そもそも俺が向いてる方向性増田じゃなくて他ブクマカなことが多いので、書く場所ブコメにしたいんよ。「会話」したいのはブクマカの方なんで。 2022/12/27

数々ある媒体の中でわざわざ増田選んで書き散らしてるので諦観してるだけです

anond:20221227070528

2022-12-25

anond:20221225010242

基本的子供は親を信頼して尊敬しているので、自分の親がキチガイだとはなかなか気づかない。

キチガイ言動を見てはいるが、その環境の中でスクスクと育っているのでそれがノーマルだと考えている。

そういう家庭環境なので当然の結果として高卒者となって社会の荒波へと早期にリリースされることになる。

その荒波で揉まれていくうちに仕事を覚え、人並みに人との付き合い方を覚えるうちにある日、ふと気づく。

俺の親は、ちょっとおかしいやつらじゃないのか?と。

わかりやす宗教にハマっているとかだったら判別やすいのだがキチガイ親も世の中のキチガイと同じくキチガイキチガイなりに社会に溶け込んで「一般人」として生きている。

そのことと人間基本的に備える家族に対する「愛」という2つの要素によってなかなか気づくことが出来ないのだが、でもそれでもある日、ふと気づく。

俺の親はだいぶおかしい、と。

そこからはこれまでの人生で首を傾げつつ、傾げていることに気づかないふりをしていた、首を傾げていた事柄に対してドミノ倒しのように納得していくことになる。

その現象が起こってから親を恨むか、人間とはそういうものから仕方ないと諦観するかは、その個人性格によるのだろう。

Colaboの件に限らずいつも思うのは

大体においてQ(Quesiton)に対してまともなアンサーを返さないんだよね。

批判者へのレッテル貼り暴言人格批判殆ど

テスト問題に対し「出題者は馬鹿から答える必要なんてねーよw」と答案用紙に書いて提出するイキったガキと同じ。


勿論一般的社会では通用しない筈なんだけど、「声が大きいヤツが騒いでると周りが逃げて声が大きいヤツだけが残る」

という社会バグ技を使って、今まで相手ネトウヨだのオタクだのデッドネーミングして貶めて質問批判意見自体シャットアウトしてきた訳だ。

今回もすっかり暇アノン連呼で、Colaboへの疑問=アノンカルトの言う事だから聞く価値ありませ~んって態度を示している。


から左翼とか女性って話が通じないんだなってつくづく諦観

論理的にとか言わないけど、せめてQに対しては何らかのAを返して貰わないと困るよね。

話が通じない人達じゃ無いんだからさ。

2022-12-04

anond:20221204015255

そんな諦観入ってるとは思わんかったわ

まぁ広告無しにするのは無理かもしれんけど公共の場広告出すのなしにするのはギリいけるだろ

電車賃いくら上げたら帳尻合うのか一回試算したいな

2022-12-01

さらに言うと

汚い言葉遣いは「表現」なので、TPOがある程度使い分けられるんだよね。

一方で汚い話しかできない奴って、本当にどこでもどんな話題に対しても同じようなことしか言えない。

何でもかんでもシモの話に持っていって、創造性のない繰り言ばかり言っている。

からある例で言うと、「淫夢厨」か。あれらは本当に何を話しても話題が続かない。知能が低い。

でも、ああいうのがニコニコの一部の動画コメントし続けるだけでなく、どこにでも表れて我が物顔で占領し出すようになったのはここ数年だと思う。

悪化は良貨を駆逐するなんてつまらない言葉諦観したくはないが、本当にネットユーザーの平均知能低下はとどまるところを知らない。

  罵倒だろうと冷笑だろうと、汚い話に汚染されずに、それなりに噛み合った会話が出来た時代すら懐かしい。

2022-11-29

エロ広告公共性

今回の件も社会学入門ゼミみたいな公共性話題が延々と続いとるぽい。

最後には実務と筋肉世界しかないという諦観があるので今回はほとんど追う気もないな...

2022-11-13

コロナ風邪」派の人って

自分が患っても

  • 「軽症で済むはず(後遺症もない)」
  • 「仮に死んでもしかない」

という楽観者か諦観者の二通りで、更に

        ├陰謀論系反ワクチン派.A

        ├他人が死のうが自分人生大事派.B

        │     └基礎疾患患者高齢者死ね派.B'

        └コロナよりワクチンの危ない作用が怖い派.C

こういう分類だよね。

AやB'は論外として、CやDはまだ理解できる。

ただ、Twitterとか見るとAやB'ばかりなんだよな。

2022-10-30

将棋は次の100年へ進めるのか

将棋は崇高な文化である棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負けが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味将棋同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこからまれ珠玉棋譜に魅入られたもの達が価値見出し、やがて国が誇る文化ひとつとして昇華した。

…したはずだった。

人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである

世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである

棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。

昔は新聞テレビ国民情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマン専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父父親文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞将棋の強い親となり、国営放送積極的であった。そういう時代があった。

人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。

あれから随分と時が経った。新聞テレビだけで満足する時代は終わった。家長けが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディア父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士存在は、意義を問われることとなる。

新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生放映権を売った。

どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるとき道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主地球侵略しに来たことによって、それは加速された。

メシアAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革意味していた。向上しようとするもの必死に縋り付くもの諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。

そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。

繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。

ひとつひとつの力は小さいが、集まれ世論をも左右するファンダムコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。

滅ぶのはファンダムコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。

ファンダム集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的倫理観のある発言ではないからだ。

文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体一般市民人生必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。

将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。

将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。

身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士存在自分将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。

どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダム暴走することも、形勢を有利にはしない。

匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、

会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。

大学生20歳で女で初段免除待ちだ。

棋士40歳で男で七段だ。

経営者で60歳で男で町道場三段だ。

主婦で50歳で女で駒の動きしか知らない。

この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化からだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)

何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい

将棋を次の100年へ。

それぞれが考慮する時間だ。

2022-10-27

既婚と知って関係を続ける女の子にどう対処すべきか

最近俳優芸人声優プロスポーツ選手不倫乱倫世間を騒がせ、糾弾を受けている。俺も思うところがあり自らを吐露したい。

  

大要はタイトルの通りだ。俺は40代既婚社会人相手20代初めの女子大生だ。最初は夜の店で会った。話しているうちに仲良くなり二度ほど関係した。その頃は店の女の子と仲の良い常連客という関係性だ。批判もあろうが、夜に飲む店で女の子と仲良くなって関係ができるのはありがちなことだ。その時はお小遣いも渡していた。

1年ほど客として通い、そしてその子が退店することとなった。業界から卒業すると。最後の方、店に行ってお疲れさまと楽しく飲んだことを覚えている。卒業することはプロでなくなり普通女性に戻ることで、寂しい反面良いことだといつも思っている。

 

 

その後、一度近況を知りたくて会おうと言われた。ご飯を食べて飲んで、関係した。そして自分は既婚であり、これ以上は関係を続けられないと伝えた。プロである間はともかく、普通女性に対しては隠したくないと考えたのだ。その日はそれ以上あまり話せず別れたと思う。

 

 

悩む局面

連絡が来た。全部無かったことにするのは違うのではないか、と。会った。魅力に抗えず関係した。その後も何度か会った。

  

若い女の子が年上に憧れの様な思いから誤解を交えながら疑似恋愛的な感情に至るのは、時にあることだと考える。かつ彼女にとっても現在メリットのある関係なのだろう。しかし、それは泡沫の夢だ。彼女は口の悪いネット掲示板でも貶められることのない、世間的には非常に優秀な大学学生だ。凄くチャーミングでもある。所謂良い就職先に行って、前途があり眉目も優れた誠実な男性と結ばれ得るし、俺もそれを望んでいる。

 

 

そのような将来の希望欲望諦観確信に紛れながら、今は俺は彼女若い身体に溺れている。

プロ相手なら免罪される、その考えがそもそも誤っていたのだろう。

 

この後どうなるのだろう。どうすべきだろう。

 

2022-10-13

anond:20221013001216

グダグダ言いながら健忘症の我々はまた今世紀のどこかで末端にすげえ人死にを出すんだろうなあという諦観はあるわ

2022-10-07

話題になった「作画崩壊演出家」が同級生だと知った

自分アニメ関係者でも何でもない。

ただの彼の小中学同級生である

特別仲が良かったわけではないし中学卒業以降は連絡もしていないが、当時は映画の話などをして一緒に帰ったりしていた。


彼がアニメ演出家になったことは何年か前に知った。

弱虫ペダル」など、たまたま自分の見た作品にも名前クレジットされていて感動した。


小中以降の彼の生活は詳しくは知らないが、インタビューなどを読んでいると「ああやっぱり純人だなあ」と懐かしく感じる部分と、過酷現場を続けるようなガッツが彼に秘められていたのかという驚きを、同時に味わっている。

俺も彼も持久走とか大の苦手だったはずだけど、大人になったんだなあ。


現在、他のアニメーター?演出家?と揉めているようだが、彼は争いが好きなタイプではなかったはずなので、あまり反論もしないだろう。

揉めている内容の実際の詳細こそわからないが、大前提として、彼は自分を大きく見せるようなホラを吹く人間ではないと思っている。

そういうことが嫌いというか、どちらかというと「そういうのが苦手」な印象だった。

そもそも見栄で嘘をつきたければ、あの過酷仕事を続ける前に、もっと楽する方法があると思う。

あの揉め事は悲しいすれ違いではないかと、部外者ながら考えている。

他人を味方につけるのが苦手で不器用だった印象もあるので、火に油を注ぐようなことを言ったりして、ひどい事にならないといいなと余計なお世話だが少し心配している。


彼について、インタビューtwitterを読んだ人の一部からは「露悪的」などと表現されているが、

それはなんていうか、少しだけ違うと思っている。

中学の頃しか知らないが、彼は趣味が変わっていてホラーグロが好きで、普通クラスメイトからは、ちょっと避けられるようなタイプだった。

控えめで不器用で、あと少しキザな小学生だった。

「わかる人にだけわかってもらえればいい」と考えてそうだったし、趣味は変だけど温和な彼を面白いと思う人間もたくさんいて、

事実友達も俺より全然多かった。

あと、キザな小学生にしてめちゃくちゃに「腹踊り」がうまくて、プール時間によく見せびらかしていた。


中学の頃、一番面白い映画は「ギニー・ピッグ」だと言っていた。

「ちゃちな作り物だけどすごくいい」というようなことを語っていて、「目玉がさ、目玉がね」と一人で盛り上がっていたが、そういうグロが苦手な自分は話を遮って逃げた。

他にも「デス・ファイル」が好きだともよく言っていた。こちらは「本物なのがいい」とのことだった。


まあ、そういう事を言いたがるのも露悪的と言えばそうかもしれないが、彼はそれらの作品が本当に普通に好きだった。

マトリックス」の話をするのと同じテンションだったのだろう。


小学生とき彼の家に遊びに行ったら、「エイリアン2」の装甲車おもちゃと、その裏にへばり付いたエイリアンウォーリアの轢死体のディテールを嬉しそうに見せてきた。

5、6年生の時、エアウォーターガンを担いで自転車に乗った彼と友人とすれ違い、どこに行くのか聞いたら、「近所の心霊マンションゴーストバスターズごっこをしにいく」と答えた。

ものすごく楽しそうだなと思ったのだが、なぜか俺は一緒にいかなかった。

結果、どうなったのか今でも気になっている。

(ちなみに後年、そのマンション改装工事作業現場でも注意が出たほどのガチスポットらしいと知った)

彼が休み時間に「『遊星からの物体Xはいいよお」と熱く語っているのを聞いたが、今考えるとストーリーオチがなぜか「バタリアンのものだったのが謎である

(もしかしたら「深海から物体X」の話だったのだろうか、こちらは見ていないから知らないが)


TV放映された「ザ・グリード」の話で盛り上がったり、似た趣味もつ友達はいたはずだが、果たしてギニー・ピッグやデスファイルのレベルまで分かち合えていたのかはわからない。

中学の時に、今度ギニー・ピッグを一緒に見ようと誘われたが、それは断った。

人肉饅頭」や「ザ・フライ」は一緒に見た記憶がある。

ウォンさん、ウォンさん」と、人肉饅頭主人公アンソニー・ウォンを親しげに呼んで、放課後の帰り道などで包丁を振るう真似をして遊んでいた。

映画の後半で捕まって警察から拷問されるウォンさんが可哀想、でも親身になってくれる囚人がいい奴で泣ける、というようなことを話した気がする。

人肉饅頭話題を出すといつも嬉しそうな顔をしていた。


当時、アクション映画が好きでホラーが苦手だった自分は、彼をどこかヤベー奴だと思っていたが、実際に話す彼はひたすら温厚だった。

不思議な魅力があった。

手を後ろで組んで歩くような、クラスに一人はいる「お爺さんっぽい中学生」だった。

少年時代、彼が怒っている姿は恐らく見ていない。

俺や他の友人はよく他人の噂話や陰口で笑っていたが、彼が他人悪口を言っているのも見たことがないと思う。


そんな感じで、どちらかというと彼は友達からもいじられる変人だったが、いつもニコニコしていた。

「髪が油っぽい」と友達の間で話題になって、学校水道で洗って実験してみたことがあった。

「水だけで洗うと逆に汚れが表面に出てくる」「石鹸も使うべきだ」等、無駄議論をしながら石鹸シャンプーをした結果、洗ってもすぐギトギトになって、みんなで笑った。

※もしかするとイジメ勘違いされかねない話だが、自分か他の誰かも比較のために水道で髪を洗ったはず。

中学男子がふざけて全身びしょぬれ水遊びをしたり、お互いに額を強くつねって「インド人っぽい痣」を作ったり、失神遊び(絶対やめろよ!俺は本当に危なかった)をすることは日常だったので、そういう類のエピソードと思っていただきたい。

彼はニコニコしながら率先して水道自分の頭を洗って「見て見て」と笑っていた。

ただギニー・ピッグやデスファイルの件があるのでうっすら迫力があって、こいつ何考えてるんだろうとは少し思っていた。


twitterなどで露悪的っぽく見えるのも結局、彼なりの特殊冗談なのだと思う。

分かる人にだけわかって、嫌う人からは嫌われて、伝わる相手とだけニコニコ通じ合えれば、それでいいと思っているのだろう。


業界を憂い、露悪的な自虐を呟いているようでいて、

その実、今でも他人悪口などはほとんど言っていないのではないかと思う。

(すべてのツイートを追っていないのでわからないが、あんな辛い仕事をして、個人を責めるのではなく業界批判しているのが彼らしいなと思う)

他にも小中時代特殊エピソードは色々あったし、他人から理解されない経験を、ずっと味わってきたんだと思う。


ねとらぼ」なんて超大手サイトからインタビューを受けても、

「誤解されようが気にしない」というスタンスが変わっていないのは(誰かが書いてたけど、アニメーターA氏があの場にいて本当よかった)、勝手ながら、なんだか少しうれしかった。

本人がtwitterで「みんなも俺を決して良い人だと思わないで。俺はどこまで行っても悪には違いないし間違ってるから。」と言ってるのは、彼なりの誠実さなんだと思う。

中学の時からスファイルが好きなんだから、そりゃ悪だろう。(ひどい)


今思うと、過激ホラーを好みながらなぜか漂うお爺さんっぽさも、どこか諦観というか、達観しているところがあったからなのかもしれない。

お爺さんっぽいと言ったら、キザな本人は嫌がるかもしれないが。


それにしても、彼が職業にするほどアニメを好きだったことは、知らなかった。

パトレイバー2」の引用をしているのは、映画の話ばかりしていた時代しか知らない自分は少し意外に感じる。(そのころから好きだったのかもしれないが)

パト2のような理屈っぽい作品よりも、「今度は戦争だ!」とエイリアン2から引用の方が理解できる。

俺が知ってるのは小中学の頃だけなんだなあと改めて実感する。


しかし、極端なホラーキワモノが好きだった同級生が、大人になって「作画崩壊」「敗戦処理」で話題になるのは、他人事ながら少し悲しい。

クリエイターがみな望むものだけを作れるとは思っていないし、もちろん、彼がやりたくない仕事を無理やりやっているなどとも思わないが、それでも少し悲しい。

作画崩壊は、子供のころの彼が好きだった「キワモノ」といえばそうなのかも知れないけれども。


結局俺は「ギニー・ピッグ」も「デスファイル」も見ていないが、「人肉饅頭」はこの前また見返した。

改めて凄まじい作品だと思った。

彼はああいう鬼気迫る作品が好きだったはずだ。

別にホラーではなくとも、人肉饅頭みたいなああいうすごい作品を彼が作ったら、嬉しいなと思う。


多分、みんなから評価されないかも知れないし、俺だって見るかは知らないけど。


でもまあ結局はわかる人だけわかってればそれでいいんだろう。

2022-09-19

「配属ガチャ」という言葉に対する反応

マイナビ就活生に行った「配属ガチャ」に関する意識調査で、希望しない職種や勤務地などへの配属に、調査に応じた就活生の半数以上が不安を抱えているという記事が出た

それなりに体力がある企業採用した人材の配属希望を聞き取った上で経歴や資格、適性検査などの結果を吟味して配属先を決定しているのだが、そうでない企業も多いのも事実である

かつては「家を買うまでは希望職種や勤務地へ、家を買ったら希望街の職種や遠隔地へ転勤や単身赴任を」などというやり口で人材の分配をする企業すらあった

そんな話を聞けば「配属ガチャ」という言葉が生み出されるのにも納得がいく

とかく「親ガチャ」や「隣人ガチャ」、「上司ガチャ」と、本人ではどうともできない現実に対し、責任他者転嫁嘲笑して諦観するような風潮が市民権を得てしまった

しかし、今までもさまざまな格差現代社会の生きづらさを言葉遊びをとおして現実逃避する手法年代を問わずあったわけで、「○○ガチャ」という言葉必要以上に反応してしまうのは「ガチャ」風潮についていくことを諦めた中年以上の世代努力不足なのかもしれない

そしてその最たるものTwitterで見かけた「配属ガチャというが、こちらも新入社員ガチャだ」という経営者ツイートである

一見、論拠がしっかりしている反論のように見えてしまうが、配属という受動的な事象に対して、採用という能動的な行為をぶつけるという、話の噛み合ってなさが如実に現れた独り相撲目眩すら覚える

さらにいえば、採用試験時には志望者は実にさまざまな書類を提出し、何度も面接を繰り返し採用側に丁寧に吟味される

そこで人となりを完璧に見抜けなどとはいわないが、志望者側にそれほどの労力を課して採用側もリソースを割いて判断したのだから、「新入社員ガチャ」という意見は「俺らまじ見る目ないから」という自白のもので、反論としては不適格だろう

採用試験は嘘の吐き合いと揶揄されることもある

志望者が嘘をつき自分下駄を履かせ、採用側はその嘘を見破り人間性を問う戦いとのことだ

なんだこの無間地獄

就活生も企業もアホだろ

双方ともに謙虚さを失って、「売り手市場」「買い手市場」などと主導権争いをするからここまで劣化したんだろ

配属ガチャが嫌なら起業しろ

新入社員ガチャが嫌なら経験者の中途採用だけにしろ

それぞれ過大な条件をお互いに突きつけあって陰で文句をいうとか、生産性がないことをいつまで続けるんだよ

と、明日の午前中に新卒採用試験を控えるストレスフルな採用担当者の憂鬱な心情でした

2022-08-23

自我の切り売り

ここ10年くらいで一気に、配信者、が増えたと思う。

それこそ昔はニコ生くらいしかなかったのが、今ではスマホ一台あれば、無限配信サービスもあるから、増えるのは自明なんだが。

かくいう自分も、配信者をやっていた。同接は多くて15名くらいの、底辺底辺だ。

話すこと自体は好きだったし、YouTube収益化ができたときは嬉しかった。(スパチャを投げられるとかそんなことはないので半年収益は数円だったが)

推しイラストレーターイラストを依頼とか、配信者でなければできなかっただろう。

そう、自分を切り売りした結果としてできることは増えるので錯覚しがちなのだが、擦り減っていくものは、かけがえのない大切な何かなのだ

これをうまく説明する語彙が、自分にはないのだが。

皿の上に差し出しているソレは、簡単に消費されていいものではないし、消費される側もする側も、麻痺しているように感じる。

配信者側は今言ったように、できることが増えていくから、擦り減ったものには目が行きにくいし、

視聴者側も「配信者が好きでやっていることだから自分も好きに応援しよう」と考えるものだ。

さら根深いのが、思うに、「素人である」ことだと思う。

自分もそうだが、とりたてて絵がうまいわけでも、歌が上手いわけでもない。トークも平凡だと思う。

絵や歌、ゲームの巧みさなど売れるだけの芸があるなら、それを売れる。だが、自分も含め、素人にはそれが無い。だから自分のものを切り売りするしかない。

枯れたスポンジから血が滴るようになっても、売れる芸などないからだ。

そこまでして承認欲求をかなえたいものなのか、とは自分も思う。

自分場合は、始めたきっかけは承認欲求だったのだと思うが、今となっては素人自分の話をなぜか面白いと聞いてくれる人がいるから、その人たちに自分のできる範囲内で精一杯お礼がしたい、そんな感情なのだ

から、ひとくちに承認欲求肥大化問題、というのも自分としては違うと感じる。

等身大自分を切り売りして、売った分だけできることが増えて、承認欲求も満たされて、

気が付いたら致死量まで擦り減っていた何かによって、いつか、死んでしまうのではないか

少なくとも自分は擦り減った結果、あんなに話すことが好きだったのに、「ああ、こんなにもことばって伝わらないんだ」という絶望を得た。

どれだけことばを重ねても、

「なるほど!××ということですね!」「自分がいつ××だと言った!?

と頭を抱えることが多く、それが耐えきれなかったんだろうと思う。

ことば、言語というもの相手自分が一意のものを思い浮かべるためのコミュニケーションツールだと思っていたばかりに、本当につらかった。

今となっては、いつ、どこで、誰と話す時だとしても、「どうせ自分言葉は伝わらないのだ」という諦観絶望支配するようになった。

まあ、自分の具体例で言えば話が通じないやつを放置、ということができなかった自分不器用さに原因があると思うから別に構わないのだが。

それでも、「話が通じる人もいる」ということを信じられなくなったのは、自分にとっては大きな損失だろうとは思う。

最近トレンドひとつに、「夢を追いかける若い少年少女を消費する」文脈があるような気がする。

もちろん、これは最近に限らず昔からそうで、だからオーディション番組甲子園はみんなが好きなんだろう。

ただ、ネットの普及、SNSの浸透、素人でも誰でも配信ができるという状況が、これを加速させ、卑近にしているように思えてならない。

少なくとも、オーディション番組甲子園のように、覚悟をもって飛び込む、ということはなく、敷居が低く気軽に飛び込めるようになっているのは間違いないだろう。

それに加え、先でも述べたがオーディション番組甲子園のように、明確な一芸を競うなら、そこまで自我は痛めつけられないと思う。そこでの失敗は能力の不足(まあ運もあるだろうが)と割り切ることは比較的容易だ。自分を切り売りする場合に比べれば。

オーバーリアクションばかりしていると、寿命を縮めるという。

ひとの感情は、それだけコストのかかるものなのだ

決して簡単に消費されて良いものではないはずだ。簡単に皿の上に載せて供して良いものではないはずだ。

と、思うのだが、私だけだろうか。

2022-08-06

anond:20220806200023

マシのラインナップに外資コンサルが入っている理由がわからないです

訴えられたら嫌なので名指しはしないが○にも普通にIT部隊(開発、運用)があって、困ったちゃんをいっぱい飼ってるぞ

 

財閥系(メーカー系)は日立けがまともとで

日立以外は技術向上心もヤベーの多いんだけど日系で激詰めがないからかおっとりしてる人が多いんだよね

あと年功序列諦観があるからか『まぁいいか』がある

 

けど外資系の〜コンサル系の〜IT部隊(開発、運用)の子らは〜

技術向上心もヤベー上に上長から外資コンサル的な詰め方されるからか『まぁいいか』がねぇのよね

そのあふれる情熱あなたの足りな過ぎるスキル向上に是非まわして?と思いながらヨシヨシしてるよ

 

キミがいまアサインされているのはIT部隊メンバーであって、コンサルとしていまアサインされていないよ?ってヘッドホン強制装着させて24h聴かせたい

 

関連増田anond:20210318023059 anond:20210318022825

 ↓

そもそもコンサルハイスペック代名詞みたいになってるのはMとかBとかの外資トップティ戦略コンサルのこと(O氏とかH氏とかM大臣とかN女史とかK女史とか錚々たる面々。年齢順。間違ってたらスマン)

数が多いか会計系(AとかDとかEとか)がコンサルと思ってる人が多いけど、あれは単価が高いだけのSIerですから

だまされて夢を見て入社する方が悪いっちゃそれまでだけど、昔は客を掴んで独立果たして稼いでた人もいたんだけどねえ

 ↓

社内のキャリアパスがどうなっているのかは知らんけど

会計系は最初からIT部隊メンバーとして求人掛けてたりもするよ

そしてみんなやばい

そして増田会計で括ってないのにもIT部隊いるぞ

そしてやはりやばい

 

というかお題目通りコンサルごっこした後に

どこぞの会社CTOにおさまったりシステム部門部長に収まったりする方々も

例外なくやべぇから

まぁ経営陣は『技術』を重要視しないでそのポジションに添えたのだと思われるので

外野がどうこういうことではないのでしょうけど

 

で、これ外資コンサルだけだと思うじゃないですか?

まぁそんなことなくて某シンクタンクもこんなかんじっすね

IT部隊メンバーなのにそれ以外の何かだと思っていてスキル低いし向上心ないけど『まぁいいか』が無い

上に激詰めされるからかな?

 

これらの相手すんごいめんどくさいよ!!!

額大したことないので、しっしっってやりたいけど、営業くんに怒られるから

 

 

あとみんな好きなGAFAM

GAFAMの日本法人に夢見てるところ悪いが

GAFAMの日本法人業務だとカーネルエンジニア召喚するような業務は発生しないぞ

ましてや三顧の礼でお出迎えするとか無いです

 

というか日本法人はM以外マジで何やってるの?って感じだぞ

採用にも本国の決済が必要だのなんだので入社まで半年掛かったぞ

https://anond.hatelabo.jp/20191112212344#

 ↓

GAFAMに限らず外資日本法人なんてHQが~HQが~ばっか言うのが仕事だぞ

ネット民Disる大企業のほうがOSS実装文句言うとあの部署コミッタいるんで文句言いにいきましょうって言われる魔境なのは知られてない

2022-07-22

「チ。―地球運動について―」が傑作で面白いけどめちゃくちゃ不愉快って感覚なんとなく自分もわかる

自分司馬遼太郎に向ける感情に近い

書いたもの面白いんだが司馬史観功罪の罪の部分が罪深すぎるだろという感情

チ。は歴史漫画じゃねーよという話はもちろんあるが、面白くて多くの人に読まれるとその建前を了解しない人も出てくるわなという諦観

2022-06-15

anond:20220615120252

そう言う自分も含めてという皮肉というか諦観だよな、分かるわその気持ち

5chもつまんねーけど。

2022-06-11

国会議員年収について

積極的反対ではなくても、諦観やwhataboutismという形で消極的反対する人が多くて驚愕した。

これらは「反対」に分類される意見である

「賛成」意見はなく、行動を促す意見や行動に繋がる意見もなかった。行動を決めるものもなく、反対の理由を述べる者しかいなかった。

選挙率40%の国で、一部の狂人がいるというのは、特に大きな障害ではないのだが、どうやら単純に反対の意見を持つ国民が多いかであるようだ。

2022-06-07

anond:20220606204731

最近こういう人増えてる気がする…。

諦観してるのか、本気で自民党を支持してるのかわからんけど、ナチュラル野党支持者を揶揄する人。

そうすることによって彼(彼女)にどんなメリットがあるのか、本当にわからない…。

2022-05-31

anond:20220531115608

少し考えて少しわかったかもしれないんですが、「強いものが勝つ」とか「現実は正しい」とかってことですか。諦観的ではないですか。

あなたにとっての理想現実を分けて書いたらどうなりますか。

2022-05-14

anond:20220514065842

性教育絵本なるものを見たことがない。増田の周辺は意識が高いなぁ

学校がなんかのモデル校だったか海外性教育アニメなら見たことある

ノリノリでズッコンバッコンバッタンしとったけどそれを見て子どもが笑うと言う演出が作中にあった

あの時の冷え冷えとした空気感が忘れられないわ

そのあと例によって例のごとく感想文を書かされたのだけどその時の空気感も忘れられない

仏教用語的にも日常使いのあきらめ受け入れるみたいなニュアンスでも

諦観』ってこういう時に使うんやなって・・・

 

セックスファンタジーなら萌えるシチュエーションかもだけどな

2022-03-13

33歳の僕たちについて

僕たちは生まれながらにして不幸だった。

僕たちに希望が語られるときはいつも建前だった。

物心がついた時には経済成長など実感できないほどなく、平和のみが幸運にも固定されていた。少子高齢化無責任押し付けられ、いつも年金説明では僕たちが下で、いっぱいの先人が上に伸し掛かる絵を繰り返し見せられた。

小学生のころには阪神淡路大震災があり、生活不条理に突然破壊されることを知った。

オウム真理教天災だけでなく人災があることを教え、それを報道するテレビには頭のおかしい人をいじめることの楽しさと正しさを刷り込まれた。

学校はいじめがあっても誰も救ってくれなかった。子ども大人も誰も責任を取らずに済んだ。

どう大人を信じようと努めても、彼らの正しさの裏にある保身だけが形を濃くするだけだった。

いじめ学力低下、キレる十四才、僕たちだけが責められている気がした。勝手に「ゆとり」を与えられ、数年後には「ゆとり」だとバカにされた。

ノストラダムスの大予言も二千年問題世界を無くしてはくれなかった。変わらないんだ、という陰鬱な気分を虚構ごと生活に仕組まれた。

社会に参加するまでの過程で、どんどんと多様性という理想が叫ばれるようになっていった。でも現実はまだそう出来ていなかった。ゆとり教育でも、AO入試でも、新卒一括採用でも、実験最前線で僕たちは消費された。

社会の正体に近づくほど、実験甲斐なく何も変わらずに、大人たちは利権を固定させようと頑張っていることがわかった。かつて多くの若者たち理想主義が現実主義に敗北し、僕たちの生活には既に革命の「か」の字すらなかった。

センスが良いとされる大人は肌触りの良い冷笑諦観で、理想から現実からも逃げているだけだった。

芸術に届くわけではないわずかな詩情の中に逃げ、丁寧な暮らしとやらで現実隔離しただけだった。雑草も食えるらしいと、何も新しくない発見雰囲気の良い雑誌で語った。

とにかく真っ当ではなかった。僕たちには老朽化した線路と駅が残された。

いつかみんな死ぬ、くらいしか希望はなかった。僕は、小学校四年、五年と苦労したあとに六年生になったときのような開放感を待っていた。

インターネットは唯一僕たちに与えられた現代的で民主的革命だった。僕たちは最前線に立つことを初めて喜んだ。僕たちが社会実験していた。大人の腕の中で揺らされるのではなく、自らが世界開拓していた。

過去日本では文学学生闘争に向いたであろう若者の活力がインターネットで遊ぶことに費やされた。情報の波をサーフィンしていた。

けれどアナーキズムなど思想と呼べるほど突き詰められてはいなかった。脱法とジョーク、たくさんの知識組織化しない雑多なカオス世代や日陰者の雰囲気ベースとしてただ在った。

東日本大震災とき、僕たちは初めて大きな波を感じた。世界ごと変えてしまおうというワクワクがあった。

ネットから始まる民主化現実世界にも網目を伸ばし、キレイ情報を伝播させることを夢見ていた。

実際のところ我々には思想がなかった。正確には思想が育っていなかった。長い間の自己否定カオスたちの団結は思想形成させなかった。

論壇はインテリっぽい動きに酔っているままで、ほとんどの人間責任を背負おうとしなかった。

大衆は十分なリテラシーを持っていなかった。目の前の文字自分を騙そうとしているかだけを考えていた。

もちろん先行者と同様に誰も責任を取りたがらなかった。波は結果的芸術の一部分だけに還元された。

僕たちの革命は、革命という皮すら被れずに失敗した。あの頃目立った人間たちのどれだけがまだ実際に社会有効なことをしているのだろう。

僕たちは生まれから今までずっと負け続けている。逃げ続けている。立ち向かう人間を冷たい視線嘲笑っている。かつて"カッコイ大人たち"がしていたように。

拗ねた子どものままで皮肉センチメンタルを捏ねくり回している。

最近は「多様性尊重」がブームになっている。拡がり分化する人間の在り方を認めようとするのは正しいことだと思う。

だが、それは欺瞞だ。多様性排外主義への攻撃だ。多様性を求める社会多様性をもたらさなもの排除する。

最大限の寛容ではなく、この時代この社会における妥協点でしかない。

ただそれよりも深刻なのは多様性未満の僕たちだ。多様性で救われるのは国籍、性指向、いくつかの快い思想である。いわば十分に形作られたアイデンティティーのうち、現代社会適応するものだ。そして主張に成功したものだ。

僕たちの苦しみはアイデンティティーの未発達である差別をされたり、大事に築き上げたもの喪失したわけではない。時代により幾度となく無意味化された結果、育たなかったのだ。

社会の複雑さへの想像力ありのまま他者の受容、明確な善への地図が無かった。

今までのシステム近いうちに崩壊すると言われつつも、なかなか崩壊しない。仮に崩壊したとしてもサバイバルを生き抜く知恵が無い。広大な大地に丸腰で放たれるのだ。

僕たちは無責任という親に育てられ、不勉強という病気死ぬ

ちゃんとしなきゃ死ぬ」とトリプルファイヤー吉田靖直は歌った。「ちゃんとしなきゃ」という要請けが社会にある。

なんとなく、どこか生きにくい僕たちの行き場はどこだろう。ちゃんとした職があればいいのか?ちゃんとした病名がつけばいいのか?ちゃんとした人になれればいいのか?ちゃんとした人ってなんだ?

今になってようやく哲学文学などの人文学に解答を求めることができるだろうことに気づいた。それは人間として真っ当な足掻きに思えた。

まだ遅くはないと信じて、攻略サイトには無く、ビジネス書より直接的な、人間思索の旅に出ようと思う。良い哲学の書を教えてくれ。

2022-01-28

anond:20220128135128

増田に幸有りますように。物件探しについては続報を期待

つーか身内が生活保護を受けたけどメンタル不調者にはかなり厳しい物件だったよ

(オーナー諦観している物件しかないので入居者が個性的木造物件)

 

結果だけをいうと身内は、

生活を立て直すことが出来た(現在生活保護を受けていない)、

団地に入ることが出来たのだけど、

行政積極的負債不動産を引き取って団地が増えるべきだと思う

 

というか団地だって入居者が個性的だし自治会だのなんだのってあるので

メンタル不調者には優しくないが

法律で最低限の基準は満たしているからね(RC造風呂トイレ別)

 

日本の劣悪な住宅事情改善するのは国の義務に思う

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん