はてなキーワード: 調理実習とは
小学校、あんまり楽しくなかった。別に虐められてたわけではないんだけど。
みんなで国語の教科書順番に音読して(これ時間の無駄感ハンパない)授業は教科書読めば分かるような内容を延々引き伸ばしたような内容でさ。家庭科の調理実習とか理科の実験は楽しかったけど。
クラス替えの度にドキドキして、私はいつもみんなに敬遠されるようなちょっと気の強い女の子に好かれてその子に執着されて、自分から他の子と仲良くなる力も無いからあんまり好きじゃないその子といつも一緒にいた。ひとりぼっちより全然良いけど。
両親と食事に行って、たまたま両親が高校生だったときの話になった(二人は同級生婚なのだ)。母は優等生だったとばかり思っていたのだけど、なぜか家庭科の成績が悪かったそうだ。ちなみに私も同じ高校の後輩なんだけど、家庭科の先生がやたらと極端なフェミニストだったことだけ覚えていて、そんなに極端にひどい成績をつけられた記憶がない。調理実習とかみんなでやる作業が多かったので、特定の生徒に高い成績をつけたり、逆に一部の生徒にわざと低い点をつけたりするのが難しい科目だったと記憶している。
父曰く「キレイとか言われてたから先生に妬まれたんじゃないの?」とのコメント。確かに若い頃の母の写真を見ると美しい。70歳になった今もそんなに悪くはないけど、年齢相応に白髪になり、シミが増えているわりにはお洒落や化粧に手間をかけないので、「若いうちはスッピンでお洒落しなくても通ったかもしれないけど、今は手間かけないとダメだよ」と説教したくなる。
おかげで20代の頃の強烈な容姿コンプレックスを思い出した。ただでさえ周りに可愛い子が多かったうえに、「お母さんは美人なのにお前は…」みたいなことを周りに言われていつもイヤな思いをした。確かに自分と縁もゆかりもない女優やモデルがいくら美しくても、全く自分と血のつながりがないんだからしょうがないけど、自分の半分のDNAは母からもらったものなのに、似ていないとはどういうことだ。どっちかというと父と弟に似ていると言われていたので、父に「お母さんと同じ顔に生まれたかった…」と文句を言ったこともある。父だって、娘がどの程度妻に似るかなんてコントロール不可能なのは分かるけど八つ当たりせずにいられなかった。
もはやオバさんと呼ばれるしかない年齢になっても、たまに小学校時代の友達(母の20代後半から30代前半ぐらいを知っている)と飲むと、「○ちゃん(私のこと)のお母さん、キレイだよね」「今も全然変わらない、すぐに分かる」などと絶賛され、娘の方はさっぱり褒めてもらえない。娘としては若い頃キレイだったのはともかく、さすがに確実に歳をとっていると言いたい。
若い頃は全然親に似ていなくても、歳とともに似てくる…という話も聞くので、それを期待してはいるんだけど、50代とか60代になってから母と同じ顔になってもねぇ…。体型とか雰囲気、声は母に似ているらしく、社会人になってから、私と母を一緒に見る機会のあった人は「○ちゃん(私)とお母さんは似てるよね」という。結局私は父と母のどっちに似てるんだか。ちなみに母の母である母方の祖母もあまり母と似ていない。「あんたはおばあちゃん似なのよ。隔世遺伝」と母に言われたこともある。確かに母よりは祖母の方が似ている気がする。遺伝とは結局何なんだろう。
女子はごみを見るかのように口を歪め、男子は底意地悪くほくそ笑んでいた。
なぜ僕がいちごのへたなんか食べたのかというと、以前の調理実習で女子が僕の食べかすだけとても忌々しそうに摘みとっていたことがトラウマとなっていたからだ。
僕はなるべく残飯を出したくない達なのだけれど、それがどうも貧乏くさく見えたようだ。
大学時代、何となく参加した飲み会で手持ち無沙汰となったために黙々と手羽先を食べていたら、はるか向こうから僕を指さしこそこそと笑われた。
ただひたすらに青葉が好きなだけなのだが、
要らぬ世話を焼くことが生きがいとでも言いたげな女に「それは食べるものじゃないですよぅ」と諭された。
グリーンカレーに入ってるの食べて周囲が苦笑。
反対にナポリピッツァのバジルを残して「行儀が悪い」と陰で言われていたこともある。
そんな僕だが鮭の皮を食べる人だけはどうしても理解できない。
今、人間不信と女性不信をなんとかしたいと思って婚活相談している。相手はビジネススクールで知り合った、コミュニケーションについて学んでいる女性だ。
スクール内の彼女の講義で、カウンセリングを受け付けている旨を聞いて相談した。
結果、裏切られた。いや「裏切られた」は自分勝手な言い草だが敢えて言う。裏切られたと。
俺は深刻な女性不信を抱えている。小1から小6までクラスの女子全員に避けられ、1年の時のBBA担任に些細なことで教室の後ろや廊下に何度も立たされて晒し者になった。3年の時は一時期クラスの女子と遊んだことはあったが、些細なことで詰られて泣きながらゲロ吐いてそれ以降女子と遊ばなくなった。当時のBBA担任には往復ビンタされたこともある。4年の時はいじめられたが、担任(また別のBBA)に相談しようにも、担任もいじめの対象だった。5年の時は転校生の女子に惚れて体育のマラソンでちょっかい出したら担任(男)にこっぴどく怒られた。調理実習の時は女子の間で「【俺】に食品を触らせるな」がクラスの暗黙のルールだった。2年と6年の時は目立った事件はなかったが、2年の時には確実に「女は信用できない」と思っていた。
中学に入っても状況は変わらなかった。小4でいじめられた影響で完全に人間不信になったので、喜びと悲しみの感情が死んでいた。中3で祖父が他界したとき「何で俺だけ涙が出ないんだろう。悲しまなきゃいけないのは分かるけど辛い」と思っていた。悲しむのが苦痛でしかなかった。
大学時代、ちょっとした意見の違いでサークル内で揉め、その時に法学部の先輩がわざわざ携帯のメアドを「◯◯◯.2ch.net@docomo.ne.jp」に変えて匿名を装って悪口中傷のメールを何度も送ってきた。俺はサークル内で孤立し、あるときサークル裁判で事態を収束するために俺がクビになった。
大学卒業後に入社した会社が4年後に倒産して、その後すぐに就活したがまったく決まらず、貯金が底をついた頃にクレカの督促の電話口でオペレーターの姉ちゃんにこっぴどく怒られた。今考えても姉ちゃんの言い分がまったくの正論だが、その言葉のキツさに耐えられずに就活も休んだ。
普通のバイトも決まらないので仕方なく警備員をやったら、新人いびりで支社長にいじめられ、こいつを殺したいと本気で思ったことがある。現場で凶器を物色しようと思ってたときに高熱で寝込み、その後しばらくして支社長が左遷されたので実行には移さなかった。
「人はいつか必ず自分を裏切る」と信じて疑わなかった。そんなときに数少ない友人や知人と色々話して、女性不信と人間不信を解決しようと決めた。
以上の内容を、女性不信の部分に絞ってざっくり相手の女性に話した。返答はこうだ。「そんな(ネガティブに捉えること)ないと言おうと思ったけど、私も最近信じてた人に裏切られたので共感しかできない」
俺はこう返した。「共感してくれてありがとう。そんなことないと言われたら信用できなくなるところだった」
その後、3週間ほど返答がなかったのでこう送った。「同じ悩みを持っているなら、協力して解決するのはどうだろう」
そしたらこう返ってきた。「今は愛のある優しい彼氏がいるのでちょっと違うかなと思います」
何で裏切られたばっかりなのに彼氏がいるんだよ。自分に彼氏ができたら用済みかよ。いやそうじゃない、裏切られたっていうのはいったい何だったんだよ。
後日「私はこのようにした」旨の返答が来た。前彼に捨てられた後に大変な努力をしたということで、きっとものすごい苦労をしたんだろうなというのは分かるんだが、違うそうじゃない。たった2、3ヶ月で解決したこと自体、似非男性不信だったことの証左じゃねえか。それで共感したつもりかよ。こんなの騙し討ちじゃねえか。
非常に自分勝手で自分本位でクズな考え方なのはわかってる。でも溜め込んでちゃ仕方ないし、かといって本人に言ったらそれこそ終わりなのでここに吐き出すしかなかった。悔しい。どうしようもなく手が震えて涙が止まらない。これほどの屈辱を味わったことはない。許せない。
ああそうさ、俺は弱いさ。こんなとこに不平を言うだけのどうしようもないクズだ。だけど頼むから相談受けるならもうちょっと女性不信を勉強してきてくれ。それくらいのことは言ってもいいだろう?
今俺はこうやって悲劇のヒーローぶっているが、学ぶこともあった。彼女は悲劇のヒロインにならなかった。それだけは糧にしなきゃいけないと思う。ただ、あとは返答とかを顧みてほしい。もっと勉強してきてほしい。彼氏を気にして手を抜くようなことはしてほしくない。ただそれだけを願う。
今年の夏ってなんか例年より暑く感じるせいか、途中で汗がだらだらでてくるのがうざかった
加えてつい先日は、帽子のフチと頭の接点に吹き出物?ができてしまって、汗であれて困る、ということがあった
自転車だと風でとばないように帽子のサイズはきつめにしてるから
でもそれだと吹き出物?ができる
どうしよーと思って、タオルを頭に巻いてその上から帽子をかぶるようにした
最初はタオルを2つ折りにして頭に巻いたけど、分厚すぎて帽子がかぶれない
その結果
かなりよかった
汗がでるけど鼻とかに浮くのがメインでダラダラ汗がたれない
これまで帽子にタオルはさむのに対して、暑くなるし通気性悪くなるからぜったい悪手だろと思ってたけどむしろ逆だった
汗を吸い取るタオルをはさんだほうがよかった
リーマンでスラックスの下にステテコ?ももひき?を履いたほうが涼しいって前教えてくれた人がいたけど、こういうことだったのかとつなげて納得した
「図工の時間で動物の絵を描くことになったので動物の写真が載ってる本が見たいです、どこにありますか?」
「今度の調理実習で芋を使った料理を作ろうと思うので芋の料理が載ってそうな本を貸してください」
「新見南吉の本がひとクラス分くらい欲しいんで、他の図書館から借りたりして集めてください」
「お楽しみ会でクイズをするんですけどクイズの本ないですか?」
たまに「○月にこういう学習をするんで……」って事前に教えてくれる先生もいるけどたいていは子どもたちが急に図書館にわらわらーっと来て
「先生~~、今この本がいるんで今出してください」「僕も僕もー!」「私もー!」って形
このジャンルの本がここにあるよ~っていうのは教えてるけど子どもたちは何回言っても覚えられない(たまーに覚えてくれる子もいる)
担任は忙しいので子どもたちを図書館に残したまま教室でマル付けとかしてるっぽい
ので私が右往左往しながら応対する
司書のいない学校ってどんな感じなんだろう?うちの市はほとんどの学校で司書を置いているのであまり想像がつかない
分類ラベル貼って決められた場所に置いてても目当ての本を探すのって難しいのに、
ラベルのない本が数千冊、ごちゃごちゃになって置いてあるんだろうか?
貸し出し手続きせずに勝手に取って勝手に戻しに来るのかな。行方不明本の数凄そう
そもそもそんな状態で調べ学習ができると思えないから、図書館は使わずに担任が事前に用意した資料や
フィルタリングガチガチのパソコンでなんとか調べてるんだろうか
図書館前に掲示物貼ったり、ポップ作ったり、本のデータをパソコンに登録したり、貸し出し数の多い子にちょっとした表彰状を出したり、図書館だより作ったり、子どもたちに読み聞かせしたり、そういうのもないのかな
なんかさみしいなあ
もちろんまだ4歳なので、自分で投函したわけではなく、母親(私の妹)がわざわざ代わりに送ってくれた。
4歳でもう手紙という発想があるのか~。最初はただ純粋に感心していた。
しかしこれが男の子だったら、手紙を書くという行動とはどうしても結びつかない。
そういえば自分の子どもの頃を思い出してみても、手紙をやり取りしているのは女子に限られていた。
かわいい文字にちょっとしたイラスト、そんなものが書き連ねられた便箋だかノートの切れ端だかが、(ほとんど女子的繊細さをアピールするためだけにそうしているのではないかと疑うほど)趣味良く折られ、
これぞ女子的技量とセンスの結集とばかりに授業中の教室を舞っている。
そんな光景を思い出した。
そしてそれは教室を舞いながら、その中身を知ることのできないその他大勢へ無言の威圧を放っていた。
(実際、中に重要なことが書かれていることは少なく、ほとんどそういう機能だけのものなのかも知れなかった)
何を間違ったか、そんなものが私のもとに届いたとき、私は戸惑った。
まず、手紙の内容があまりに他愛のないものであること。わざわざそれを手紙に書く意図がわからない。
そして相手はいったいどんな応答を私に求めているのだろう。全くわからない。
次に襲ってくるのは、同レベルの女子力でもってこれを打ち返さねばというプレッシャー。
こんな一画一画を意識して書いたような文字、書けない。きれいに折る自信もない。
それらが私を戸惑わせた。
全力で“女子”を模倣し、なんとか打ち返した後には、消耗と、これで正解だったのだろうかという迷いと、たかだか手紙一つに翻弄されていることへの自己嫌悪が残った。
本来の私なんて、調理実習で作ったカレーをいち早く食べ終え、手持無沙汰な中、頭をぼーっとさせていたら、
「そんなに見つめられたら食べにくい」と、偶然目の前にいた武藤さんに告げられてしまうような、そんな人生だ。
(自覚のない食欲が私にそうさせていたらしい)
そんな自分と、周りの女子との落差がありありと甦り、そしてそれと同じことが4歳の女の子の手紙によって突きつけられている。
そんな女子的なムードを醸し出したり読んだりすることから全くかけ離れた血筋らしかった。
その子の母である妹自身も、「私もあの感じないわぁ~」と言っていた。
また、妹の旦那さんのお母さんにしたって、カラッとサッパリした印象で、微細な女子のムードとはまた違ったタイプの人だ。
「見ているアニメの影響かもなぁ~」と妹は言うけど、アニメの影響だけであれほどのものが発揮できるとは思えない。
やはり、私からしたら充分女子力高めの妹由来ではないかと思う。
いずれしても、彼女が発揮するそれを前にして、私はこう思わざるをえなかった。
女子力というのは、アニメや周囲の女性などの外的な影響から独立し、彼女が望むと望まざるとに関わらず、存在するのではないかと。
そして今になって、私はやっぱり生まれ持って女子力の何割かが欠けているタイプだったんだな再認識させられた。(どうりでやりづらい半生だった)
よくネット上でもフェミがどうとか男女の話題があるけど、本人の意向とは関係なく、生理があり、月経周期ごとの体とメンタルの波があり、女子力があるんだなと思う。
(もちろん個人差のあることで、何割かの女子力が欠けた私がその証拠だ)
どんなに性差を均そうとしても、生まれ持って備わってるものは無視することはできないし、(よほど本人がホルモン療法を望まない限り)コントロールできないだろうと思う。
それを踏まえた上で、女性であることの不自由や、女子力が欠けていることによる不自由や、その他男女問わず、性に囚われる不自由、そしてその不自由の由来や責任の果てしない押し付け合いもいつか克服できたらいいのにな、などと無理やりスケールを引き伸ばし、焦点をぼかすことで現実逃避をしてもみるが、しかし実際のところ、私の問題は、この歳になってもまだそれへの恐怖を克服できていないことだ。そして4歳の女の子にそれを突き付けられたことだ。
別のシチュエーションだったら、あーめんどくせー、女めんどくせーで済ませて回避することもできるけど、今回はそうはいかない。
ウエダは仮名ではなく本名ですが、もし現役家庭科教師のウエダ先生という方がこの記事をご覧になっていたら、あなたの事ではありませんので安心してください。
ここに登場するウエダ先生はとっくに定年退職されているはずです。
高学年になると、担任の先生から受ける基本科目のほかに「家庭科の先生」から受ける家庭科の授業があった。
座学授業のほかに調理実習や手縫いの裁縫実習、ミシンを操作して作品を完成させるまでの実習が行われる。
あるミシン操作の実習でエプロンを作る授業があったのだが、私は数種類の色柄から選べる内、白っぽい色のエプロンを作るキットを選んだ。
白っぽい生地にはこの白いミシン糸を使います、という指導のとおり白い糸をミシンに装着した。
ボビンにミシン糸を巻き取る操作、上糸と下糸の設置、針の設置、針穴に糸を通す操作、上糸も下糸も強さは“3”に…すべて教科書通り且つ家庭科のウエダ先生の指導どおりに行なった。
針のついている機械を操作する授業なので、慎重に慎重を期したつもりだった。
が、いざ縫い始めるとの上を糸が何針も通らないうちにミシン糸が千切れる。
高速で稼動するミシンの上下運動の数だけミシン糸が千切れる音がし、あわててペダルから足を離しても、ボビンには既に細切れになった糸がぐちゃぐちゃにからまっていた。
時間をかけてボビンから糸を取り除きながら、もしかして糸の強さの設定を間違えたのかな…ペダルを強く踏みすぎたのかな…と自分のした事を振り返った。
再度、気を取り直してボビンに糸を巻き取り……また同じエラーが起きた。
糸がちぎれ絡まる→取り除く→再度挑戦…そんなことを何度も続けて、2時間の授業中に私の作品は30cm程度しか縫い進まなかった。
翌週の家庭科の授業に、「もしかしたら私がたまたま選んだ糸がすごく古かったのかもしれない」そう思って、同じ色の別の糸を取ったが結果は同じ。
更に翌週の授業に際しては、「もしかしたら私がいつも選ぶミシンは特別調子が悪いのかもしれない」そう思って、使うミシンを変えた。結果は同じ。
ちなみに私が前週まで使っていたミシンを今週選んだ子は、順調に作業を進めていた。
一方、クラスの中でもとくに優秀な生徒は既に作品が完成間近だった。
自分が大事な操作手順を何かひとつ、すっかり忘れているのかも知れないと思い、教科書やマニュアルを何度も読み返した。
でも、「見落とし」が見つけられない。
途方にくれた私は、困窮した現状を伝えて解決方法を教わるために糸が絡まりついたボビンと作業の進んでいない自分の作品をウエダ先生のところへ持っていった。
「先生、あの、これ」私は現物を見せながら説明しようと思い、話かけながらボビンを差し出した。
ウエダ先生は私が具体的な説明を開始する前にボビンを手に取り絡まりついた糸をつまんだり引っ張ったりした。
ウエダ先生は私への返事はせずに数秒間、絡まった糸を解こうとしていたが簡単には取れないと判断したのか顔を上げ、次に私の顔を平手で打った。
家庭科室が一瞬静かになったが、生徒達は見なかったことにしたのかまた雑談交じりに自分の作業に戻っていった。
ウエダ先生は糸でモジャモジャのボビンを預かり、先生の机に戻っていた。
私は惨めで恥ずかしく、まさに泣きたい、泣こうと思えば泣ける心持ちであったがそれはできなかった。
自分をいじめている生徒の前で先生に叩かれたということは、今以降彼らが私をいじめる正当性を先生が与えたようなものだと思った。
その上、無様な泣き姿を見せれば燃料を投下したも同然ではないか。それだけは避けないと。
話が少し逸れたが、私はミシンの操作の何がいけなかったのか、どうすれば上手くいくのかについて教育を受けることは出来なかった。
作品完成までの残りの作業は、家に持って帰って行なった。翌週が作品の提出日なので、未完成の作品を持って帰るのは私だけではなった。
おかげで家に作りかけのエプロンを持ち帰ることについてはあまり惨めな気持ちを味わうことなく済んだ。
家に持って帰った作品は、およそ3時間で完成し私は黙って翌週作品を提出したが、その際にもそれ以降もウエダ先生からミシンの操作に関する助言も説教も無かった。
私が受けた体罰は、たったの平手一発。巷で横行している体罰と比べると、まったく甘い。
体罰といえば、竹刀や木刀や握りこぶしで何度も殴られること、というイメージがあったので当時の私にはそれが体罰だという認識は無かった。私が受けたのはミシンの操作をしくじり先生に糸を解くという手間を与えたことに対する只の「罰」であって「体罰」とは呼べないと。
しかし今こうして詳細に増田に書ける位覚えている。あの時の恐怖や、惨めで恥ずかしい気持ちや、それらがこみ上げるのを耐えるために歯を食いしばったことは覚えている。20年前の平手一発が、私の内に刷り込んだ恐怖・惨めさ・恥ずかしさ。今回の報道を見ていてようやくわかった。あれは体罰だったんだ。
そして、あの体罰には教育としての価値はまったく無かった。教育としての価値があったなら、私はなぜミシンの糸があのとき絡まったのかを今説明できるようになっているはずだから。
短大まして家政系を目指すような女の子が果たしてこんなところ見るのだろうかと思いつつ書いていく
普通の女子大生がいっぱい。メイクにおしゃれにさあ頑張るぞみたいな。ギャルは意外といない。
なんかクラスで飲み会とかあるらしいけど、今のところ参加する気はない
あと一応共学なので(特定されそうだが)、男がいるがどうという問題はない。ただオタクはいないかな。
とにかく自由が効かない。栄養士の資格は所定の科目を履修すれば勝手に取れるけどだいたいそれが80単位以上。
卒業に必要な単位が2年で63くらい。1個落とすと再履修コース、それが嫌なら資格諦めてどうぞ。
意外と化学実験が入る。個人的にきつかったのは調理実習とか給食実習とか。
授業外に班で招集かけて話し合いして、献立立てたりするコミュ障泣かせの授業。
でもみんな協力しないと実習は進まないので、招集時にはきっちり声はかけてもらえる。
耳から聞いたことをすぐ実行に移せる人
人見知りしない人
嫌な人に対しても単位のためと割りきってある程度我慢してニコニコ付き合える人
計画立ててレポート片付けられる人
大学生っぽい授業送りたい人
朝は寝ていたい人
1年なのでまだなんとも言えない
12月辺りから学内で企業セミナーが始まるけど、栄養士の求人は割と遅いと聞いた
まあ頑張ってください