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はてなキーワード: 誰かのためにとは

2023-08-03

みんななんで自分が作った会社でもないのに頑張ってんの??????

マジで謎すぎる。

なんで?なんで自分が作った会社じゃないのに頑張ってんの?

え、だってさ、あんたがいる会社事業ってあんたが作ったんじゃないでしょ?

新規事業担当とかなら自分が作ったって言い張るのかもしれないけどさ、

最終的に決裁したのは社長だろ??????

なんでみんな自分が作ってもない会社で、

作ってもない事業を伸ばそうと躍起になってんだろ。

いや、自分も含めてね。これは改めて自分に対して情けなく思うから書いてんだけどさ。

はーーーーあ、なんで人が作った会社で、そいつが達成欲とか承認欲を原動力にして作ったしょーもない会社

なんか目標とかさ、KPIだとかさ、OKRだとかさ、

なーーーーーーーーーーんでこんなどうでもいいことで日々あくせくしてんだろ

人が作った会社なのに。

まあさ、それならおめー起業しろボケっていわれると思うんだけどさ

それはわかる、うんわかる。そうだと思う俺も。

それができねえから、する勇気も気力も、

なんなら「自分が立てた会社ですら働きたくない」のに

そんな奴にさ、起業しろボケが、って言わないでくれよ、うん。

わかるわかる。底辺なのはわかってるんだよ。

極論さ、働くってさ、「誰かのためになんかする」ってことじゃん。

メーカーでもITでも商社でもコンサルでもなんでもだけどさ、

誰かが欲しいもん作ったりさ、誰かがやってほしいこと請け負ったりしてるわけじゃん。

ふと考えるとさ、え、なんでそんなことしなきゃいけないのって思うよね。

なんで、「他人が作った、他人のための会社で」こんなに嫌な思いしたりしなきゃいけないんだろ。

なんで他人のためにばかり生きてるの??ばかみたいじゃん。

狩猟採集時代に戻ってくれよ

俺が食う分は俺が調達する、他人はシラネ、はい終わり

これでいいじゃんよ。なんで人間進化しちまったんだよ

永久戦争状態でいいよもう

他人のために働くから人が病むんだよ

みんな自分のことだけ考えて、自分のために食料調達してたら病まねえよ

くそ

2023-07-22

弱者男性ウクライナ戦線に送ろう

どうせ同じ非モテ死ぬなら誰かのためになったと誇り持てる死に方させてあげた方がいいだろ

2023-07-12

人生のレールとか

少し先の将来について人と話すと、ちょっと後ろめたい。

結婚してる想像はつかないけど結局してるかもしれないし、子供を育てることはできないと思いつつも、自分母親になるんだろうと小学生から漠然と思ってたから、その感覚が完全に拭えたわけではない。

大学卒業して、とりあえず就職しようとは思えず、フリーターでも良いと思った時期もあったけど、自分だけのために生きるのは限界があるな、と思った。だから就活した。

自分の好きなことをたくさんして、未来のことをあまり考えず今だけを楽しんで、余暇時間が多ければ多いほど、「なんで生きてるんだろ?死ぬことがこの状況だったら一番の娯楽というか最良の道だ」と考えるようになると思って、人並みに働くことを選んだ。

誰かのために責任を負わなくてはならない状況に身を置きたかった。

こんな感じで、結婚とか子育てとか、一般的人生設計って、私みたいな、絶対に譲れない思想がない人が生きていくために、先人が一人一人考えて選んできた道なのかもしれない。

自分が一番大事だということ(どんな自分でも良いからこれは思想と呼べるものではないと思う)だけが譲れない部分だから、どんな将来も本気で約束できない。それが後ろめたい。

2023-06-26

男性、35歳独身年収550万円、金融資産は1800万。

男性、35歳独身年収550万円、金融資産は1800万。現金1200万円、投資信託600万円、保険金わからん。これだけあっても空しいし、これだけしかいから空しいのか。お金使ったところでもうドーパミンも出なくなっている。PCオーディオもだいたい揃えた。炊飯器シャワーヘッド椅子マットレス日常使うものも高めのものにした。地方都市に住んでいるので車は必須。200万円のコンパクトカー通勤だけじゃなく、いろんなところに行ける。コロナ禍になってから車を運転することが多くなっていろんなところに行ってビジネスホテルで食べたり飲んだりした。それでも満足することは無くなった。風俗も行ったし、ふるさと納税以外の寄付もした。女性商品として見つつ、国内国外貧困女性支援する団体寄付をしている。馬鹿げている。こんな人間支援されたいと思うだろうか。そして確定申告してるからなんだかんだで所得税還付されてる。インチキだな。ちょっと前までは映画音楽に費やすこともあったが、今では最新のものについて行くこともできなくなった。ここ数年そんな生活をしている。

仕事は多く、やりたいこともできているが、やりたくないこともそれなりにある。

彼女はいない。結婚はできる気がしない。恋愛に対して勇気も本気も出せる気がしない。

仕事恋愛も、誰かのために何かする、何ができるのかってことを全く意識できない。

これからどうやって生きていけばいいのかわからない。

2023-06-22

anond:20230622105616

それはあるね

女って基本母親になって子供のためってなるまで誰かのために生きることないよなって思う

2023-06-11

他の人権侵害無視なのに表現エロ)の時だけ

騒ぐ輩。

エロアイデンティティになってんだな

他に男らしい所がなくてそこが拠り所なんだな

ちんこに脳を乗っ取られてる感がすごい

普段、国や会社なんかの「上」から

どんなに自分が雑に扱われようと声を上げないし

他人の受けている理不尽人権に興味もない

誰かのために自分の為にも正義の心は燃えない

冷笑的に嗤うだけ、諦めてる、自分より強い相手

には勝てないから、エロ以外でもう心が動かない。

エロが絡むとその時だけ燃え上がるそのココロ

嗚呼

エロを消費する時だけ「上」で「男」であれるんだろうな。その時だけ人間扱いされると感じている。勘違いだけど。

普段から自分他人人間扱いしてないから、全部他人事でスルーからだよ。人生で、誰かのために到底勝てない相手に怒った事なんかある?

それが男なんだよ。

真の男らしさとはちんこではなく、

自分より上位の雄を倒す事でしか達成されない。

その上、自分の性欲じゃなくてクリエイターとかアイドルとかを盾にして語る。彼らを守れ!みたいな。ウケるアイドルクリエイターも、安全な所から才能を搾取して消費してる側のくせに。インボイスの時なんかしてくれました?

エロの時だけハッスルしてんじゃねーよ

2023-06-03

ソフト系以外の人って、なんでこの道選んじゃったんだろうなって気にならない?

普段仕事だと、お客さんが喜んでくれるとか、誰かのためになっているとか、学会発表だとか、

そういうのでなんとなく仕事に誇りもっている人が多いと思う。


ただネットを見ると、自分業界時代遅れだとか、AI仕事を奪うだとか、そういうのを目にしてしまう。

そして、なんでこの道選んじゃったんだろうなーと思ってしまう。

2023-05-05

anond:20230503152037

同じようにBLとか、一部乙女ゲーには、愛する誰かのために隷属する男というのが描かれる

男とか女とか関係なく

人は、そういう存在にある種の憧れを抱き、また穢したくなる生き物なんだと思うよ

あとさ、「バイブを入れっぱで悶絶する女の子」ってのも、実際にはアリエナイよね

異物が入ってるだけってなるよ

快楽悪堕ちする設定も男女ともに無理があるよね

でもいいじゃん

そういう非日常で抜きたいんだよ

強い女とか現実ではあり得んけども

あえてそう設定して貶す

歪んでいるが、それゆえに刺さる

2023-04-26

愛情という名の「重力」に崩壊する人々

自分などはどうでもよいが、子が差別を受けた!

その未来など、どこにもない。

その吐き気をする憎悪けが、目の前に転がっていた。

嗚呼

私は手で顔を抑えても、抑えきれぬ涙を指の端から零していく。

私は知った。

皆が、自分の事などどうでもよくても、自分の子には、目の前の子境遇には激怒をした。

マルティナ・フォン・ボーセル領地など継げない。

カロリーヌと同じく、病弱な伯母ヘルマのその娘、病弱な娘にとってのボーセル家の奴隷として従うしかない。

その架空しかない未来に怯えたのだ。

――「貞操逆転世界の童貞辺境領主騎士「第99話 リドルの解き方」」より

陽のさす裏庭から 忘れていた木戸をぬけ

生け垣が影おとす道をいく

むこうから走って来る幼い子は わたし

ずぶぬれで泣きながらすれちがう

砂場足跡をたどって もっと先へ

いまは 埋もれてしまった川まで

ゴミの間の水草が揺れている

あの小さな川で、私はあなた出会った

わたしのクツがゆっくり流れていく

さな渦にまかれて消える

心をおおうチリが晴れる

目をかくすくもりが消える

手は空気に触れ

足は地面のはずみを受けとめる

誰かのために生きている私

私のために生きてくれてた誰か

わたしは あの日 川へ行ったのだ

わたしは あなたの 川へ行ったのだ

――「あの日の川で(「ロマンアルバム 千と千尋の神隠し」より)」

人は自分の為にはどんなことでも耐えるというが、一方で他者の為には幾らでも残酷にも愚かにもなれるという

その卑近な例として、子供に対するそれがある

「どうか健やかに育ってくれ」という素朴で原始的祈り、思い

人間を始めとした社会的動物が持ちうる「社会性」「互恵性」という特性日常的な表現にした、それだ

受け渡そうとする者の、何と一方的な事だろうか

「与える」という名の「母親的な性質のもの」の、如何に暴力的支配的なもの

受け渡される側の、それをいずれは拒否をして一人で立つことの難しさよ

体内バランスを極限までに不安定にして得られる「反抗期」の莫大なエネルギーを以てして、ようやく離れられる程の力だ

それは、宇宙速度連想させる

地球から発せられる強大な重力を振り切り、宇宙という孤独で茫漠な空間へ飛び出すためには、相応の速度を要するという

その速度に耐えるだけの強度を備え、行き先を間違いのないように計算装置を積み、空の果てを越すための燃料を積む

人の成長で獲得するそれと同じである

そう、人は愛情という名の甘やかな「支配」を抜け出し、自分だけの地球を探しに行く旅に出る

あるいは、つくるしかないのだ。自分の精いつぱいの物を。然し、必ず、こはれるものを

から、時に人はその重力を抜けそうとして、崩壊する

打ち上げに失敗する宇宙船のように、何度も何度も、何度も

一生の間、そこから抜け出せずにいる人もいる

だが、広い宇宙の中で たいしたことではない

ああ 虹がかかっている空 きれいと思いたくて

焦がれては逃げられないこと

みんなにはくだらないこと

もう どうしようもないの

わたし きゅうくらりん

――いよわ「きゅうくらりん」より

@Gesu_Masuda

2023-04-23

しろあずきのダイエットマンガをよんだ

半年で18キロ痩せたらしい

食事制限筋トレを習慣化して痩せた、フォロワートレーナーとして巻き込んだ、と理解した

筋トレは回数が目に見えて上がることでモチベーション維持しやすいとのこと

また、モチベーション維持には煽りイラスト自分で描いて、スマホロック画面にしたとのこと

正直、参考にならなかった

自分もそこまでではないけどダイエット成功した

自分場合はほぼ食事の置き換えで痩せている

ろくな運動もしていない

モチベーション肥満が生死にかかわる問題だとプライベートの諸々の出来事から理解たからだ

人によって辛さも意欲がわくポイントもそれぞれだなと

ダイエットについて自分のことは語れても、誰かのためになったりはしないのだなと

自分に合うもの自分で探すしか無いのだ

2023-04-12

anond:20230412081557

別に暴力に訴えて喧嘩しなくてもいいが、もっと自分のために立ち上がれよというのは子供の頃に教えていいと思う

弱い人を守ろうとか誰かのためにとかじゃなく、まず自分のために勇気を出せというのを教えられた記憶がない

2023-03-16

「いつかセックスできる」それが俺のたった一つの希望

アラフォー独身男性

彼女は随分前に別れた。仕事して寝るだけの暮らし

でも性欲はある。アラフォーだけど減りそうにない。

もう彼女なんてできそうにない。

風俗も行く気がない(行ったことない)。

でもいつか、何かのきっかけで彼女ができて、セックスできるかもしれない。

ワンナイトとかじゃなくて、ちゃん恋人として。

そうでも思わないと生きていく気力が湧かない。

いつか会える誰かのために明日も働いてお金を貯める。

性欲で男は生きてる。少なくとも俺はそうだ。

2023-03-13

母さんがガンで死んだ(追記

から連絡があり、母さんの体調が悪いこと、癌の可能性もあることを知らされる。母さんは自分意志でがん検診は受けていなかったから、不安を感じつつも、「姉は大袈裟からなー」と、大ごとになるとは思っていなかった。

ただ、残念ながら婦人科系の癌だった。コロナ禍ではあったものの、運良く地域の基幹病院入院することができ、溜まっていた腹水を抜いてもらったり、検査をしたりと、色々と処置をしてもらったらしい。

医者から一般論として「5年後にはいないだろう」という話をされたが、「医者は短めに言うんだろうな」と、前向きに捉えようとした。仕事の帰り、一つ手前の駅で降りて、歩きながら母さんに電話した。

「そうじゃないかと思ってたから、分かってスッキリしてるよ。子供たちは立派に独立して、みんな家族もいるし、私は思い残すことはないから。」

とサラッと話していた。なんとか気丈に話そうとしたが、涙が出た。帰宅し、妻に報告したら、また涙が出た。祖父を癌で看取った妻は「そんな簡単に亡くなりはしないよ」と、怒っていた。彼女なりに励ましてくれてたんだろう。

「何で癌で人が死ぬのか」ということすら知らないことに気づいて、いくつかの本を読んで、「多臓器不全で死ぬ」ということを今さらながら知った。

翌月、帰省すると、「で、何しに帰ってきたの?」と、とぼけたことを聞かれたので「様子見にだわ」と。特段変わった様子はなく、いつもの調子

溜まっていた腹水を抜いてもらって、楽になったらしい。「しばらくは大丈夫かな」と思う。翌朝、母さんは「そのうち、『あれが最後に作ってもらった朝ごはんだったな』ってなるわよ」と軽口を叩きながら、目玉焼きを焼いてくれた。

その後の検査で、癌はそれなりに進行していて、「ステージⅢの後ろの方」と評価された。外科手術や放射線治療を行う段階にはなく、化学療法プラチナ製剤)を試してみて、癌細胞が小さくなるようであれば、外科手術や放射線治療検討しようということに。

母さんは「『髪の毛が抜けることがある』じゃなくて『絶対抜ける』って言われたわ」と笑っていた。

程なく、抗がん剤治療が開始され、母さんの髪の毛が抜けた。この頃は、抗がん剤副作用が抜ければ、食べたいものだとかも色々あったから、買いだめしといてあげたりした。

実家家族帰省して、夜遅くまで母さんも交えて酒を飲んだりもした。まだ、言葉もしゃべれなかった娘も、母さんにはよく懐いていた。

副作用に耐えながら抗がん剤治療を続けたものの、思うような効果は得られなかった。

「癌の専門医先生の方がいいんじゃないか」という思いもあり、主治医先生にも相談の上で、セカンドオピニオンを取ることにした。

その道の専門医先生2名にお話を伺いに行ったが、どちらも「うちなら治るかもよ」だとか「この治療法よりも、こっちの方がいい」なんて話は、当然なく、今診てもらってる病院で、「そのままお世話になる方が良い」とやんわりと伝えられた。

それでも、「やっぱり経験値が高い専門医先生の方がいいんじゃないか」と、先の2名の先生のうちお一人にお世話になることにした。

細かく検査もしてもらったが、「やれることは限られている。選択肢がないわけではないが、リスキーな上、効果期待値は低いので、おススメはしない。本人の希望に沿うならば、通いやすい、もともと診てもらっていた病院で改めて診てもらっては。」

とのお話があり、結局、出戻ることにした。その病院からの帰路、高速道路の大きなSAに寄った。

あなたたちが小さい頃には、旅行の度に、いつもこのSAに寄ってたのよ」と懐かしそうに話していた。

ちなみに、今でもそのSAを通過すると、その時の母さんを思い出して、なんだか泣きそうになる。

改めてもともと診てもらっていた病院に伺ったところ、事前に調整はしていたこともあってか、主治医先生は嫌な顔一つ見せず引き受けてくださり、次の段階の抗がん剤(単剤)にトライすることになった。

これ以降、段々と体力の低下、食欲不振が顕著になりだし、当初は「抗がん剤副作用かな」と考えていた。思うような効果が得られず、抗がん剤の投与を中止してから状態改善しなかった。

母さんが癌であることは、母さんの希望もあって、積極的に知らせることもせず、また隠すこともしなかったが、状況を知った遠方の親類達が揃って見舞いにきてくれたりもした。

この頃は、まだ座ってコーヒー飲むらいのことはできていて、楽しそうにお喋りもしていた。

妹が介護休業を取り、母さんの面倒を見てくれることになった。その時点では、自分のことは自分でできていたし、正直言って「早いんじゃないかな」と思っていたが、結果的には、ドンピシャタイミングだった。

死ぬまでに行きたいと言っていたスカイツリー東京結婚式に出席したので、その足でスカイツリーに行き、ビデオ通話で見てもらった。「すごいねー」と笑ってくれた。

12月下旬は、早めの冬休みを取って実家に。妹からは、体力の低下が著しいということは聞いていたが、想像よりずっと悪かった。

ベッドの脇に座って吐いてばかりいた。思っていた以上の状態言葉が出なかった。夜も眠れず、食事も摂れず、水分を摂れば吐き。かわいそうで見ていられなかった。

足のむくみもひどく、母さん曰く、頭の中は「しんどい」一色だった様子。肩をさすったり、足を揉んであげたりしかできない。足をマッサージしてあげていると、少しの間だけ、寝てくれたのが、せめてもの救いだった。

そんな中、母さんは「とても渡せそうにないから」と、お年玉と一緒に娘の七五三の祝いを渡してくれた。涙が溢れた。母さんも「湿っぽくなってごめんね。」と言いながら泣いていた。年明けも早々に再入院。あまりに辛そうな母さんの姿に、打ちのめされてしまった。

母さんの希望は、「できる限り家にいたい」だったので、妹が訪問看護段取りを取ってくれ、病院には無理を言って予定より早く退院した。この訪問看護のチームが素晴らしく、親身になって、それも超速で対応してくれた。母さんは「病院から逃げ出して正解だった」と、喜んでいた。

急遽、仕事休み実家へ。妹と交代で診る体制に。眠れず、体の置き所がない母さんは、15分おきくらいで、姿勢を変えてあげなければいけなかった。辛そうだった。

少し話ができそうなタイミングで、「今までありがとう。母さんの子どもで良かったよ。」と口に出すと、涙が溢れた。喋るのも辛く、手をあげるのもしんどいはずの母さんは「何を言ってるの。こっちのほうが、ありがとうよ。いい子だね。」と言って、頭や頬を撫でてくれた。涙が止まらなかった。

妹と交代で眠りながら看ていたが、日に日に意思疎通がとれなくなり、意識レベルも低下。せめて、苦しまず、穏やかに逝かせてあげたいと、鎮静剤の量も増やしていった。眠る時間が増え、顔をしかめる頻度も少なくなり。

「母さん、先に横になるね。また後でね。」と声をかけて寝ようとしたところ、ほとんど意識のないはずの母さんが、少し手を上げて応えてくれた。「バイバイしてんの?」と、妹と2人で笑った。

その晩、妹に「やばいかも」と起こされ、会ったときにはほとんど呼吸もなく。子供3人が揃ったところで、母さんは静かに息をひきとった。目を瞑り、とても穏やかな顔だった。皆、口々に「お疲れ様。よく頑張ったね。」と母さんの闘病生活の終わりを労った。

泣き崩れてしまうかもと思っていたが、不思議と涙は出ず、ホッとしたような気持ちになった。

訪問看護に連絡したところ、深夜にも関わらず、看護師さんが来てくれた。死亡診断は医師しかできないとのことだったが、脈拍を見たり、瞳孔を見たりして「確かに亡くなられていますね」と手を合わせてくれた。

そこからは、子供三人で、看護師さんの指示に従って、母さんの体を拭いたり服を着せたり。服は死装束じゃなく、妹が見繕ってくれていた、いつも母さんが来ていた服を着せることにした。

最後看護師さんが、母さんに化粧をしてくれると、すっかり血色が良くなって、まるで寝てるみたいだった。

看護師さんが帰られてからは、葬儀屋を探したり、段取り役割分担を話したり。葬儀屋は、空いてるところに頼むしかなかったというのが実態で、なんなら「火葬場に直送しろ」くらいのことを言っていた母さんの考えとは違ったんだろうけど、普通に葬儀屋に頼むことになった。

一旦、各自寝て、翌日以降に備えた。

翌日は午前6時の医師の死亡診断に始まり、寺や葬儀屋との調整や、親類への連絡、行政関係手続きなどで忙殺され、あっという間に通夜になった。どんな感じで動いたのか、正直、思い出せない。

覚えているのは、いつも気にかけてくれていた母さんの友達が、偶然訪ねて来られ、母さんに会って「信じられない」と泣いてくれたことと、一報を受けた母さんの義姉にあたるおばさんが寄ってくれて、母さんに会って「寝てるみたい」と泣いてくれたこと。

おばさんは「お母さんは若い頃はお父さん(自分祖父自分が小さい頃に他界。)と、喧嘩ばかりしててね。今頃、お父さんから「うるさいのが来た」って言われて、また喧嘩してるかも。」と、知らない話をしてくれた。

納棺ときには、たくさんの花と一緒に父さんの写真や、自分を含む子ども写真を納めた。

短い髪の毛の頭には、ウィッグをつけたかったんだけど、生前に「あんな高いものを燃やすなんてもったいないから棺桶には入れるな。」と言われていたので、やむなく頭はそのままに。誰が使うんだよ。マジで

葬祭会館で通夜を終え、そのままそこに泊まることにし、姉と妹は一旦、家族帰宅。酒を飲みながら待ち、時々、隣室の母さんの顔を覗きに行っては、線香をあげ、その度に泣いた。

夜中の2時になっても、誰も帰って来ず、体力的にも限界だったので、寝た。深夜に姉が、朝型に妹が戻ってきた。

翌日も葬儀火葬バタバタ。孫たちが大騒ぎしてくれたおかげ(?)で、終始、湿っぽくならずに済んだような気がする。母さんも、「あんたらねぇ」と笑ってくれただろう。

母さんが望んでいたような「火葬場に直送」じゃなくて、普通見送り方にはなってしまったけれど、許してくれると思う。

それから職場に復帰するまでは、皆で家の片付けや、クレジットカードの解約やら銀行関係やらのたくさんの事務手続き、親類縁者への連絡などを分担して対応している間に、あっという間に過ぎていった。

その間、近所の方だとか、母さんの旧来の友達だとかがたくさん弔問に訪ねてきてくれた。皆が口々に「いい写真だね」と言ってくれた祭壇の遺影は、母さんが自分で選んで、わざわざトリミングまでしていたものだったから、本人も満足してるだろう。

母さんの旧来の友達からは、母さんの若い頃の話や、その後の友人関係の話しを伺った。学生時代のことや、社会人時代のことだとか、自分が知らない母さんの一面をたくさん知ることになった。

当たり前だけど、母さんは「母」としてだけでなく、一人の人間として、たくさんの人と関係を作り、それを続けていたんだなと気付き、なんだか新鮮な気持ちになった。

そういえば、ウィッグ友達の一人で、自分もよく知っているおばさんが貰い受けてくれることになった。何度も「管理が大変だけど大丈夫?」と聞いたけど、それを踏まえて快く受け取ってくれた。

ウィッグ販売店には、その旨は連絡しておいた。弔問に来てくれた時にお渡ししたところ、母の遺影に向かって「返さないからね」と笑っていた。

思い返してみると、母さんが癌になってからというもの、母さんとは色んな話ができた。父さんのことだとか、嫁いできた経緯だとか、これからのことだとか。

癌との闘いは、とても辛かったと思うけど、近い将来確実に訪れる「死」に向かって、本人も家族も、心の整理も含めて、時間をかけて準備することができたように思う。僕は癌で死にたくないけれど、そんなふうに、ちゃんと準備をして死にたいなと思う。

母さん、ありがとう。母さんの子どもで良かったよ。

追記

たくさんの方に、暖かな言葉いただき、恐縮しておりますありがとうございました。

私自身が、母さんが癌になるまで癌のことを何も知らず、また、どのような経過を辿るのかを知らなかったので、「自分用に書いたけど、同じ境遇を迎えてたり、これから迎えるかもしれない誰かのためになるかも」と、乱文を投稿させていただきました。

野暮かなとも思いましたが、いくつかコメントいただいた内容を踏まえ、その趣旨に合うかなとも思うので、いくつか追記いたします。

母さんが癌の宣告を受けたのは、2月上旬で、翌年の1月中旬に60台後半で他界しました。10月頃まではまずまず元気でしたが、以降は段々と体力の低下が顕著になりました。12月中旬までは、体調が良ければ妹の運転ドライブに行く程度の元気さもあったのですが、食事を受け付けなくなってからは、あっという間でした。思っていたよりもずっと早い経過だったので、「もっと会いに帰ったら良かった」と思うこともありますが、「そうさせないところが母さんらしいな」とも感じています

経過は個人差が非常に大きいものだと思います。母さんよりも早い経過を辿る方もいれば、もっと緩やかな経過を辿る方もおられるでしょう。早い経過を辿ることを前提に、たくさん話し合って、準備をしておいた方が良いと思います特に、残された時間はできたら住み慣れた自宅で過ごしたいという方が多いと思うので、それができるよう、家族介護+訪問看護体制を整えられるかをしっかり考えておくべきだとも思います。うちの場合は、姉が実家比較的近くに住んでいたこと、妹が介護休業に理解のある職場環境だったこと、また、訪問看護のチームが素晴らしかたこと等、様々な要因が重なって、自宅で看取ることができました。

なお、母さんがやっていてくれた事で本当に助かったのは、エンディングノートをしっかり書いていてくれたことと、重要書類(通帳、カード年金手帳マイナンバーカード等)を整理してくれていたことです。特に、亡くなったことを誰に知らせるのかは、親類縁者ならまだしも、友人関係ほとんど分からなかったので、これがなかったら不可能でした。「私も書くから一緒に書かない?」と、提案されてみても良いと思います

長くなってしまいましたが、皆様の一助になりましたら、幸いです。皆様のコメントから、元気をもらいました。改めて、ありがとうございました。

2023-03-12

anond:20230311004452

それで増田ちゃん通報したの?

今回の痴漢逮捕できなかったとしても、地道に事例を積み上げて犯罪を減らしましょう!いつかのだれかの為に!

ってのが一応建前っつーか日本社会アプローチの仕方なんでは?

痴漢での通報なんてハッキリ言って面倒だしセカンドレイプ的な不快さ以前に証明の難しさなんかも想像出来るけど、無関係第三者に助けて欲しいと思うなら、無関係誰かのために未来自分の為に通報したんだよね?

第三者が助ける助けない以前に、

この部分が気になるわ。

増田はもう返答しないみたいだけどさ。

2023-03-05

anond:20230305133632

子供愛情必要だって

今まで低知能で冷遇され続けてきた女が

子供にもまた搾取されて無性の愛情注いで

低賃金邪魔な老人にならなきゃいけないの地獄すぎるな

まじで草

 

もう誰かのために尽くす人間を期待するのやめなよー

そんなに他人踏み台にして自分だけ幸せになりたいのかよ

2023-02-24

より良くなって欲しいか

webサービスを作っては放流する。

でもただドメイン取ってSNSに放したって誰の目にも留まらないんだ

でもいつかどっかで誰かのためになることを願って放し続ける

2023-02-23

お金あったらあっただけ使って経済まわすし

人にプレゼントするのも好きだからいっぱい誰かのためにお金使うし

莫大なお金があったら惜しみなく寄付するから

誰かお金くれないかなあ

2023-02-15

anond:20230214022124

公平であろう、よりよくあろう、誰かのためになろうみたいな精神は読み取れるけれど

頼んだ人は多分いわゆる「仕事」ができない人(人たち?)なんだろうな。

これをこの文面で世に放とうとしてる時点でお察しかもしれないが。

2023-02-12

好きになってはいけない人を好きになった

もったいぶったタイトルだが、風俗嬢を好きになってしまった。

自分大人なので、実るわけがないのも、向こうが仕事なのもわかりきっている。そもそもモテるほどはイケてるわけではないからこその風俗通いだからだ。

ただ、わかってはいても、うちから湧き上がる気持ちのものは本物だ。

去年10年来の彼女と別れたばかりで、つまり10年ぶりの恋でもあり、男女の経験もそれなりに積んでるはずで、このザマである

いやぁ、でも、そもそもからして人生でこんなに美しい人と巡り合ったのも初めてならば、その人と肉体関係も結べればやっぱり勘違いしてしまうんだな、というのが正直なところ。(見た目、性格、肉体の相性全部、物語ヒロインかと思うくらい自分理想な人)

この日記を書いているのは、もう会わない方がいいんだろうな、という、会いに行く行為のもの精神的な自傷であることに気付いたためでもある。(会ったあとに酷く落ち込むので)

先日、風俗通いのエントリをみて自分誰かのためになるかもと思って書き残す。

2023-02-08

誰かのために働く方が楽なのだ

自分のためはどう考えても辛い

 

誰かの価値

仕事の辛さ-100

 

だとしたら誰かのために働けそうだろ?

 

自分価値

仕事の辛さ-100

 

なら、自分の為に辛いことするわけないだろ?

 

自分価値200

仕事の辛さ-100

 

なら、今すぐ仕事辞めたくなるだろ?

自分はこんな事してる場合じゃないのに、みたいな

 

自分価値50

仕事の辛さ-100

 

これなら自分が辛くて潰れてしま

2023-02-05

発達障害の人の生きづらさ、どうやって解消する?

自分は発達障がいについて勉強しているわけでないので発達障がいについて特別知識のない素人が書いた文章である

Twitter男性発達障害診断書画像を載せて命をたっていた

そのとき自分は「えっ発達障害というだけで死んでしまうん?肉体的に苦しんでいるわけではないのに?」と思った

とある発達障害ある子供母親自分の子供に体罰をしていて、他人いくら体罰をやめろと母親に言っても体罰をやめなかった。母親には母親体罰をしなければならない正義があり、外野が「発達障害の子供に体罰いくらしても躾にならないからやめろ」と言っても無駄だった

母親体罰には母親なりの大義名分があるから

おそらくこの母親発達障害

ある発達障害男性が、発達障害妊婦に「発達障害遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?自分子供が苦しむのがいやで子供を持つことを諦めました」と聞いていた。外野が「妊婦にたいして失礼だからそんなこと聞くな」と男性に言っても

男性は「自分発達障害の人は子供を産むなと言ってるんじゃない。聞きたいことをきいているだけだ!なにも悪いことをしていない!勝手勘違いするな!」とキレた

妊娠ってお祝いごとだし、妊婦に不吉なことを言ってはいけないのに……

発達障害遺伝するかもしれないのにどうして子供を産むのですか?」は「これからまれてくるあなたの子供は不幸になるかもしれませんよ」と同義でとてつもなく失礼な質問なのに

男性自分はただ疑問に思ったことを妊婦に聞いただけなのに何が悪いんだと主張している

これは、生きづらすぎるぞと他人ながら思った

最初Twitter診断書を載せて自殺した男性は生きてて全然楽しくなかったんだろうなと(当たり前なんだけど)私は思った

他人気持ち想像することができない。失礼なことを言いたいわけじゃないのに、自分発言相手を怒らせてしま

相手と仲良くする方法がわからない

つらすぎる。健常者でも自分が好きな相手と仲良くなるのはそれなりの技術経験努力必要なのに

発達障害の人は他人気持ち想像してみたくても、障害のせいで想像すらできなかったりするのだ

他人と楽しく会話できないなんて人生が楽しくない

知的障害発達障害を持つ娘の母親が「私の娘は誰かのためにだれかに好かれるような行動をすることができないよね」と嘆いていた

発達障害を持つ人の中にももちろん「毎日楽しくて仕方ない!ハッピー!!」という人もいる。健常者でも生活が苦しくて自殺する人もいる。

私は発達障害を抱えた人の生きづらさをどうやったら解消できるのか知りたい。なにかの本に書いてあるのか?勉強すれば答えが見つかるのか?いや、そう簡単には答えは見つからない。簡単に答えが見つかるなら日本自殺者はもっと少ない。

ケーキの切れない非行少年たちをまた読み返そうかなと考えている。

2023-01-30

だれかに届けられなかった手紙

親愛なるあなたへ

愛してるよ。

あなたのことを愛してるよって言えるうちに死ねたらいいなあと思ったので、遺書を書くことにしました。

あなたといるときは楽しかったなあ。

あなたといないときはいつも苦しかったなあ。

あなたのおかげで楽しいこと沢山沢山あったよ。

誰よりも長く一緒にいたね。色んなもの見て色んなもの食べて、いっぱい遊んでくれてありがとう

わたし自分に自信がないか世界が怖くてたまらないけど、あなたが私を愛してくれてたことだけは、ちゃんと分かってたよ。

私は生きるのがとてもとても下手だからいつも辛くて、沢山面倒をかけてごめんね。

他人のことを自分のことのように気にかけることが出来るのはあなたの素晴らしい才能だと思います

それに救われたひとはきっと沢山いるよ。

わたしの世話を焼いてくれてありがとう

あなたにお化粧してもらうのも、爪を整えてもらうのも、服を選んでもらうのも、ごはんをつくってもらうのも、だいすきでした。

あなたが私にがんばらなくていいよってずっと言ってきた意味を、ようやく理解出来るようになったのだけど

わたしは生きるのが下手だから誰かのために頑張ってないと生きられないんだ。ごめんね。

あなたが好きで、一緒にいたくて、なによりあなたにしあわせになって欲しかったんだけど、結構必死にやってきたんだけど、わたしががんばることぜんぶ、空回りだったね。さいごまで、ごめんね。

死ねたらいいなあと思ったときに、どうせなら1年前に死にたかったなあと思いました。

でも1年前もいやかも、知る前もそれなりにつらかったし、と考えたのだけど、そこから前のことは記憶がおぼろげで、よくわかんなくなっちゃいました。

どうしてもあなたのことを考えるときに、基点となってしまうのは1年前のことで。全部わすれようと足掻いてきましたが、関係ないことばかり分からなくなって、どうにも肝心なところが頭にこびりついて困ったものです。

つの事実ではなく、今までの積み重ねで、わたしあなたを信頼出来なくなりました。

あなたがこの一年間、わたしに対して頑張ってくれていたこともわかっています。それでもわたし安心できなかったのは、その乖離がきっとそもそも私たち価値観の違いなのでしょう。

信頼出来なくても、好きなら一緒にいられると思いました。でもわたしが知ったことは、あなたを好きでいては耐えられないことでした。

あなたと一緒にいることと、あなたを好きでいることが両立出来なくて。それでもわたしあなたを泣かせたくなくて、頑張ってみました。

少し話は遡って、私があなたを泣かせた時のはなしをしましょう。

あのとき、私は誓いました。「わたしのしあわせは、あなたのしあわせがあってはじめて成り得る」という誓いです。

わたしはとても反省したので、あのとき以来あなた安心出来るよう、わたしに対してもう二度と不安になることがないよう、死に物狂いで、誠実に、あなたに向き合ってきました。少なくともそのつもりです。

そのかいあって、あなたが悲しんでるとわたしはどうしようもなくこの世のどんな苦しみにも勝るほど、つらい思いをするのです。だから、多少私が苦しくても、あなたが笑っていられたらそれでいいと、そうじゃないといけないのです。

わたしあなたにしあわせになってほしい、もう不安な思いはさせない、絶対泣かせない、と決めていたのに、あなたは他の人間に泣かされていたのだからあんまりにも滑稽ですね。

つらくなりました。

未だによく分からないんです。考えないようにしてきたから。ちょっと向き合おうとすると、すぐ壊れちゃうの。

何回かチャレンジしたのだけど、涙止まらないしご飯食べられないし、ひどい有様になるので封印です。

あなたのおかげで嫌いなものもできました。

なんだっけ、もうよくわからいね

わたし最近ずっとあたまの調子がよくなくて、とても困っていたしあなたにもご迷惑をおかけしました、ごめんね。

あなたのことを嫌いになりたくなくて、どうしたらいいかからないの。

なにも考えなかったら、あなたのことを好きでいられるかな。全部忘れたら、あなたと一緒にいられるかな。

でもあなたにこんな話はしたくないの。あなたはひどいことを言うからあなたは落ち込んでいるわたしが嫌いだから

あなた自分勝手で、ひどい人だよ。

それでも愛してるよ。あなたが好きだよ。

耐えられなくてごめんね。

誰よりあなたの味方でいたかった。

でもあなたのこと好きなひとは沢山いるから、大丈夫だね。

わたしあなたが好きだから一緒にいたくて、ずっと無理してきたけど、

きっと無理しなくてももっとあなたと楽しく一緒にいられるひとがいるから、

あなたがすてきな人としあわせに過ごせることを願っています

今までありがとう

愛してるよ。

2023-01-18

Get Wild みかん

アスファルト みかんの皮切りつけながら

暗闇走り抜ける

チープなスリルに身をまかせても

イチゴにおびえていたよ

It's your みかんor my みかん or somebody's みかん

誰かのためにむけるなら

It's your みかんor my みかん or somebody's みかん

何も 怖くはない

Get wild and みかん

ひとりでは食べきれない量のみかんを抱いて

Get wild and みかん

この街でイチゴに甘えていたくはない

Get chance and みかん

君だけが守れるものがどこかにあるさ

Get chance and みかん

傷づいた皮をとりもどすよ

2022-12-29

人生に、ひっかかるものをたくさん作るのだ

あっ、あれやらなきゃいけなかった、とか

それは仕事でも良いし、ほんの近所付き合いでも良いし、家族なんかは代表的理由だし、ペットでも、なんなら趣味ゲームでも良い、育ててる植物だったり、とにかく何か気持ちが引っかかること

自分のやることだ、やらなきゃ、と思ってるうちはその事を思って生きていられる

今年は父親を亡くした

2年会ってなかった、電話連絡なんかもほとんどしてなかった

亡くなって思ったことは父親の期待に応えたいみたいな思いが自分の生きてく上でのモチベーションになってたということ

自分自身で一人で生きてくんだから親は関係ない、実際離れて暮らしていて連絡も取らずに長かった それでも喪失感でいっぱいで、これから何を思って生きていいのか見失った

誰かのために生きるとか言い過ぎだけど、大事な誰かがいることでどう生きるかを考えてたりする

それはしがらみとも言うのかもしれないが、この世への引っ掛かりというか、生きようとする気力の源のような気がする

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