はてなキーワード: 読破とは
最近ドクターストーンというアニメの録画を見て年甲斐も無く「滅茶苦茶面白いなこれ!」って思って感動した。
人生って嫌な事も多くて、正直先も真っ暗で最終的に悲惨な結末を迎えるかもしれないな…って暗い想像をする事もよくあるんだけど
そういう時ベタだけど「うわめっちゃおもしれえなこれ!」ってコンテンツに出会えたらそれが一瞬でも生き甲斐になれる事がある気がする
なのでここ10年という最近に「これに触れる事が俺の生き甲斐なんだ!」ってくらいハマった物を少しずつ思い出して一度書き出してみたくなった
思い出せない物も沢山あるだろうけど、それでもその時その一瞬でも楽しめたのならきっと幸せな事だったんだと思う。ハマった年も覚えているなら書く事にする。
生まれて初めて最後まで追った深夜アニメ。このアニメを録画するためにブルーレイレコーダーを購入した。
機動戦士ガンダムSEEDの監督福田己津央氏が製作に携わっているという事で怖い物見たさで見始めたのだけど、見ている内に見事にハマってしまった。
OPに出てくるキラっぽいキャラが出るまではとにかく見ようかな…と思ってたんだけど、まさにそのキラっぽいキャラが出てくる4~5話で完璧にハマってしまった。本当に大好きだった。
次回が公開される一週間後を待ちきれず、放送日が来るまで何回も何回も録画した回を見返して待っていた覚えがある。今の自分からは考えられないくらいハマっていた。放送後に発売されたゲーム版もスパロボも買っていない。
イニストラード~ラヴニカへの回帰がスタンダートだった頃のMTG。当時友人達と一緒に遠くのカードショップまでカードを買いに行くほどハマっていた。
少年時代コロコロコミックで連載していたMTG時代のデュエルマスターズが好きだったんだけど、地元にMTGを取り扱っているショップが無かったので実際遊べるようになるのにその漫画を読んでいた頃から10年以上かかった。
基本的に安いカードしか買わないようにしていたんだけど、それでも結構な額を使ったような覚えがある。今ではその友人達との縁は切れたけれど、MTGだけは今でもMTGアリーナで遊んでいる。
当時ニコニコ動画でMTGの架空デュエル動画が大いに盛り上がっていて、そのシリーズが好きだった。所謂「例のアレ」ジャンルなので今となっては不謹慎かな、と思う。
当時菊地秀行氏や夢枕獏氏の作品の影響で所謂伝奇バイオレンス小説にハマっていて、何でも良いから面白い伝奇小説は無いか!?と思っていた時期に古本屋で出会ったのが講談社ノベルスの空の境界だった。
一冊100円という事でとりあえず上下巻買って読んだんだけど、とにかく読みづらくて「Fateとか月姫好きな人間はこんな読みづらい文章の作品にハマったのか…?」と読み始めた頃は思っていた。
読みづらい、とにかく読みづらい…と思いながら読んでいたけど上巻の終盤に始まる第五章・矛盾螺旋あたりから「あれ?この本読みづらいけど結構面白いのでは…?」と思い始め、下巻を読破する頃には完全にハマっていた。
正直今でもこの本の内容を理解しきれているとは言えないけど、主人公両儀式とその親友黒桐幹也の恋愛物語にもうのめり込んでしまった。しばらく後にこの作品がアニメ化している事を知りすぐにレンタルで全巻借りて見た。
アニメの出来もとても素晴らしくもう空の境界熱は止まる所を知らなかった。生まれて初めてアニメのDVD、それも初回限定盤を買ってしまったし書店でアンソロジーコミックスも買った。寝ても覚めても両儀式の事ばかり考えていた。
この自分の「好きだ!」「こういうのが見たい!」という熱量が、自分にSSを書かせる行動力も与えてくれた。とあるコミュニティで空の境界のSSを投下していたのもこの時期だったと思う。出来はあれだったけど、熱量はあった。
空の境界と同じ世界の話という事でメルティブラッドにも手を出してプレイしたし、メルティブラッドと同じ世界という事でついにCS版Fateにも手を出してしまった。クリアするのに60時間以上かかったけど、あれも凄いノベルゲームだった。
ここまで来るともう空の境界が面白い、というだけでは収まらなかった。Fateの前日譚という事でFate/Zeroの小説を通販で全巻買って読んだ。滅茶苦茶面白かった。その後はネットの各所でFateのSSを読み耽りまくっていた。
空の境界のアニメを見たんだから他の型月作品のアニメも見るか!という事で、真月譚月姫、DEEN版Fate/stay nightのTV版と劇場版、Fate/Zeroのアニメをセールの時に全巻借りて三日で全話見てしまった。
正直今の自分には信じられないくらいの熱量がこの頃の自分にはあったと思う。倍速でアニメを見るのもしんどい今の自分が、TVアニメを計5クール分と劇場版アニメ一本を立て続けに見るとか、完全にハマっていた。
その後空の境界の続編小説が発売されている事を知りそれも読み、未来福音の劇場版も楽しみだったけれど劇場には見に行けなかったのでレンタルで旧作扱いになる一年後に100円で借りて見た。これも中々面白かった。
この型月熱はずっと続くかと思っていたけど、ハマってから数年経つとやっぱり少しずつ冷めてしまった。色んな要因が重なった物だと思う。
型月ファン同士の嫌になるような叩き合いを見たとか、とある型月ファンサイトで作品叩きやらキャラ叩きやら嫌な思いをしたとか、自分の中で神聖視していた式のエッチな絵を見て衝撃を受けたとか、色々重なった。
結局2014年頃に放送されたUBWのアニメ版は「劇場版の中で出来た自分のイメージと違うと嫌だから」という理由で見なかった。2017年にやっていたアポクリファのアニメは見たけど、こっちは先入観無く最後まで楽しめた。
多分今でも作品に触れたらそれなりに楽しめるんだろうなって思う。3/16事件とかDDDとか型月熱が冷めた後に触れてもそれなりに楽しかったから。それにしても、空の境界に熱狂してた頃は本当に楽しかった。
ある時月刊少年マガジンを立ち読みした時に「陸奥VS呂布」という謎の煽りを見て何だこの漫画は…?と思ったのがこの漫画に対する第一印象だったのは覚えている。実際に読んだのはそれから大分経ってからだった気がする。
刃牙の烈海王ボクシング編が「烈の門」と言われたり、夢枕獏の餓狼伝をパクった作品だと夢枕獏本人に名指しで批判された事で、タイトルだけは読む前から知っていた。知っていたけど、中々手に取る気が起きなかった
それでもまあ有名だからきっと面白いんだろうな…と思って読み始めた所、最初の方は絵がお世辞にも上手いとは言えなかったり背景も正直手抜きだと思っていたけれど、いつしか…いつの間にか読む内にこの漫画にハマっていた。
第二部の決勝戦の頃には完全にハマっていたから、恐らくその前の片山右京戦・飛田高明戦あたりでハマっていたのかもしれない。第一部初期はあー夢枕獏作品のパクリと言われたのも分かる…と思いながら読んでいたから。
気付いた時にはグラップラー刃牙や夢枕獏の作品より修羅の門には好きになっていた自分に驚いた。特に第四部バーリ・トゥード編は未だに全格闘漫画で一番面白いパートなのでは?と思っているほどお気に入りだったりする。
修羅の門を読み終えた後には「とにかく修羅関係の作品が読みたい!」と最初は歴史物だからという理由で全く興味が無かったスピンオフ修羅の刻も読んでいてそちらにもハマっていた。幕末編と西部編、とにかく面白いんですよ。
その修羅の刻も読み終えると「もう修羅でなくても良い…川原先生の作品なら何でも良い!」と、あの大長編海皇紀にも手を出していた。とにかく長くて表紙で何巻か見分けが付かない漫画、といえば知る人も居るかもしれない。
これもとにかく長かったんだけど…読み終える頃には「これもしかして修羅の門より面白くね!?」というくらいハマっていた。修羅の門を描いたご褒美なのか、とにかく川原先生の当時描きたい物を描いた漫画、だったのかもしれない。
この長い海皇紀もコツコツ集めて読み終えた頃には、他に読める川原先生の作品といえばパラダイス学園やあした青空、エンジェル、HEROなどの短期連載作品か…それとも当時月マガで連載していた修羅の門の続編か、だった。
修羅の門とは全然雰囲気が違うなあと思いながらも川原先生の初期の作品も読んだし、修羅の門第弐門も九十九VS姜子牙戦あたりから毎月リアルタイムで月マガを立ち読みして追っていた。とにかく夢中になっていた。
九十九VS子牙戦の間に挟まれた九十九VSケンシン・マエダ戦は「もしかしてこれ本当に九十九は負けたのでは…」と読んでいてハラハラしたし、その後のラスボス・海堂さんと九十九の戦いは最後までどちらが勝つか読めなかった。
この修羅の門第弐門のエピローグ、或いはプロローグにあたる修羅の刻・昭和編がその後月マガで連載されたのだけど、こちらも最後まで面白かった。あまりの面白さに単行本も珍しく新刊で買いました。これまた面白かった。
その修羅の刻・昭和編を読んで自分の中で一旦何かが満足したのか…川原先生の新作・龍帥の翼は自然と読まなくなった。これも海皇紀と同じで長くなりそうだ、と思ったのかもしれない。実際読んでみたら面白いんだろうけど。
これもいつ頃ハマったのかは覚えてないけど、少なくともアニメの四期が始まる以前だったような覚えがある。揺れるイントゥ・ザ・ブルー、が面白かった事がこの作品にハマった切っ掛けだったような気がするけどあまり覚えていない。
フルメタは最初の一巻か二巻かを読んだ後にその後長年放置していた覚えがあるんだけど、何かがきっかけで積読を崩してからはもう夢中になってフルメタを読み耽っていた。恐らく当時ロボアニメにハマっていたんだと思う。
短編はあまり好みじゃなかったけど、長編と中編が面白いのなんの。途中で積読が何巻か抜けていた時は自転車で即書店に走ってその抜けを埋めて読むくらい、それほどこの小説にハマっていた。夢中になって読んでいた。
途中で作者の後書きに反感を持ったり、正直最後の方の駆け足展開ご都合展開は好みじゃないと思ったけど、それでも面白くて時間を忘れて読んだ小説だった。スピンオフにあたるアナザーは未だ読んでいない。
2015年に荒川弘氏のコミカライズ版がTVアニメ化した作品。アニメの一話を見て面白いな!と思い、二話までにそれまで積んでいた角川文庫のアルスラーン戦記を全て読み終えた。滅茶苦茶面白かった。
アニメ版アルスラーン戦記も主題歌が良く荒川弘先生のキャラデザが魅力的という事で中々楽しく見ていた。割と初期に原作漫画を追い越してしまった影響か最後の方はアニオリ展開になってしまったのは残念だった。
とにかくこのアルスラーン戦記を読破した事で「やっぱり田中芳樹作品は面白い!」と思い、マヴァール年代記やタイタニア、夏の魔術や灼熱の竜騎兵等々それまで買っただけで積んでいた田中芳樹作品を貪るように読んでいた。
その中でも銀河英雄伝説は「数年かけてOVAを外伝まで完全に制覇したのに、何で大まかな話を知ってる話をもう一度活字で読まなければいけないんだ?」と思っていた。実際読んだら、凄い面白かった。
当たり前だけどアニメと小説は媒体が違うという一番の特徴があって、どれだけ声優さんやナレーターの人の語りを入れてもアニメでは原作小説で描かれていた部分をそのまま全て作品に出来る訳ではないのだな、と思った。
OVA版が長いのもあって丁度内容を忘れ始めていた事もあってか、それとも純粋にこの小説が名作だからか、この場面や台詞は先にアニメで見て知っているなと思いながらもワクワクしながら読んでいた。
本編10巻外伝4巻の計14巻を読破した後は満足感と寂寥感の両方があったかもしれない。長い小説だけど、2018年と2020年にリメイク版が地上波で放送された時はまた熱が蘇り読み返した。本当に良い作家さんだと思う。
自分の中で小説・ライトノベルを読むのが何より楽しみだった時期に読み耽っていた作品。これも一巻だけ読んだ後は長い事積んでいたけど、ふと他人のとらドラ!読後の感想を見かけてこれは面白そうだと思い積読を崩し始めた。
どんな作品にも言えるけど、ある時期話題になった作品というのはやっぱり話題になるだけの面白さはある物だと思う。一度読み始めると「この先は一体どうなるんだ!?」と気になって気になって仕方なくなった。
この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは、ヒロイン達が男にとって都合の良い一種のアイドルではなく醜い所・駄目な所・嫌な所もある人間臭い存在として描かれている所だった。逆に男子達には理想が入っていた気がする。
積読を読み終えると続き読みたさに書店へ走り、それも読み終えると今度は「竹宮ゆゆこ先生の作品なら何でも良い!」とわたしたちの田村くんとゴールデンタイムも買って読み始めた。こちらも同じく最後まで楽しませてもらった。
特にゴールデンタイムは途中まではもしかしてこれはとらドラ!に匹敵する名作なのではないだろうか?と思っていた。とらドラより巻数が少なかったためか終盤は駆け足気味に話が終わらせたのが残念だった。
ゴールデンタイム以降竹宮ゆゆこ先生の作品には触れていないけれど、彼女が電撃文庫で発表した二十数巻の小説はある時期の自分を本当に楽しませてくれた素晴らしい作品だった。本当にありがたい事だと思う。
いつだったか自分の中で野球漫画ブームが起きていた時期があった覚えがある。現実の野球が大好きという訳ではないけど、漫画というフィクションの中で描かれる野球という競技には本当にワクワクさせられた。
ドカベンなどの水島新司作品は書店で片っ端から買い漁ったし、他にもあだち充作品、ラストイニング、おおきく振りかぶって、名門!第三野球部、ペナントレースやまだたいちの奇蹟などとにかく野球漫画を読みまくった。面白かった。
登場する女の子の可愛さは最強!都立あおい坂高校野球部が抜群だった気がする。中でも一番読んでいて夢中になれた作品はラストイニングだけど、結局何とか甲子園に出場した所以降はまだ読んでいない。いつか読みたい。
野球漫画を片っ端から読んでいく内に、それまでタイトルと絵だけは知っていたけど読んだ事が無かったあだち充作品にも触れる事になった。最初に読んだ作品はH2だったと思うけどこれがもう面白いのなんの。
野球と恋愛をセットの物として描くからこっちは今野球が読みたいだけなのに!と思っている時はその恋愛要素が鬱陶しく感じる事もあったけど、それ込みで野球というスポーツを描く作品として本当に面白かった。
H2の後はタッチやクロスゲームなどの野球物は勿論の事、ラフ・虹色とうがらし・いつも美空、みゆきなど野球要素が無いあだち充作品も明後日は読み耽っていた。読んでいて一番自分に合ってるな、と思ったのはクロスゲームだった。
古本屋で全巻セットがお得なお値段で売られていた事から出会った作品。タイトルだけは知っていたけどあまりに長すぎて自分が読む事は無いだろうな、と思っていたから意外な出会いだった。
82年連載開始の漫画という事で、最初は絵も内容も古いな…と思いながら読んでいたけど、絵が読みやすくなったりキャラクターに愛着を感じ始める頃には流石長期連載される漫画だけあって面白い!と思いハマっていた。
主人公コータローがとにかく作中で色んな事に手を出すのでこういう漫画である、と一言では言えないんだけれど…格闘・バトル・学園物の漫画というのが近い気がする。もっと言うなら何でも有り漫画なのかもしれない。
全59巻という長さにも拘らず最初から最後まで面白いストーリー漫画というのは本当に衝撃的だった。これは続編も面白いに違いない!と早速柔道編も買って読んだけど期待は裏切られる事無くやはりそちらも名作だった。
この名作少年漫画が原作者の蛭田達也先生の病気療養が理由で2004年から連載が休止している事は知っているけど、実際に単行本最終巻を読むともうここから先は読めないんだな…と寂しく思ってしまった。
コータローまかりとおる!の連載が休止して再来年で20年、この名作の続きが世に出る事があればこんなにめでたい事も無いのに…と思う。昔の漫画だけど本当に面白くて90巻以上退屈せずに読めるって凄い事だと思う。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
数日前、ドラッグストアでコンドームを探しまわった体験録を書いた悲しき24歳労働者です。
https://anond.hatelabo.jp/20220528225125
勢いに任せて書き殴りろくに推敲もしないままインターネットの大海へぽいと投げてしまったものの、なんだか恐ろしいことをしてしまったような気がして翌日こわごわ匿名はてなを開いたところ思いの外たくさんの方に読んでもらったようで。コメント見ました。全部見ました。匿名はてなを覗くとき、匿名はてなもまたこちらを覗いているのだ。
サガミオリジナル0.02Lサイズはやはり男のプライドなんでしょうか。白状するとさっぽろ時計台と書きながら思い浮かべていたのはテレビ塔のほうで普通に脳内変換ミスでした。長文乱文すみません、いやほんと、長いっていうのがいちばん多かった。す、すみません。
いやー、なんだかみんなおんなじ文章読んでるはずなのに気になる部分が全員違うって、そりゃそうなんだけど不思議なことだなあとブルーライトが眩しい液晶の前でうっすら笑みを浮かべながらスクロールに次ぐスクロールをしていたら。
「今好きな女の子がいて、のところがスルーされてるのはなぜ? 何度も読み返した」
さすがデュオ!
俺たちが見逃してしまうことに平然と気がつく!
そこにシビれる!憧れるゥ!
女を好きな女の話をしましょう。
えー、いま現在わたくしは好きな女の子がいます。付き合ってはいません。思いを伝えてもいません。
わたしにとっては好きな女の子、向こうにとってはわからない。お互いにとっては毎日LINEをする友達。
仕事が終わらないだとか、三谷幸喜は血も涙もない脚本を書くねとか、コナンが外出するとそれだけで人的及び物的被害が多発するから彼は名探偵になるよりも早急にお祓いを受けたほうが世のため人のためってやつだよねとか、そんなくだらないことをつらつらと話すだけだけど、それで結構満足している。
LGBTというアルファベット4文字がだいぶ世間に浸透し、昨今なにかと話題のセクシュアル・マイノリティ。いや別に話題になろうがならまいがわたしが女を好きな女であることに変わりはないのだけれど。まあ言語でもって共通認識があったほうが話が早いのは確かな人間社会。
わたしは男の子も女の子も好きになる女なので、所謂バイセクシュアルの女性というやつにあたるんだろうなとふんわり思っている。
なぜふんわりかというと、実のところ自分のことを「女が好きな女である」と自覚したのがわりに最近、ここ数年のことだから。石のように揺るがない確固たる意志だとか、テコでも動かんぞ!というがんとした姿勢でもって「好きだ!」というのではなく「いやまあ好き……っすね………」みたいな感じ。
自分のことを定義付けできたのは大学生になってから。女の子への初恋は中学生のとき。憧れの先輩がいた。
週に一度、習い事のためにいつもは乗らない電車に乗るときが、部活も学年も帰り道も違う先輩と2人きりで話す唯一のチャンスだった。
容姿端麗・頭脳明晰・運動神経抜群な先輩は地区でいちばん頭のいい高校に合格した。卒業式の日、制服のボタンを貰った。翌年同じ高校に入学した。廊下ですれ違うたびに手を振ってくれる先輩が眩しかった。先輩みたいな人になりたい。憧れの存在だった。
ただ当時のわたしはアイドルの嵐がめちゃんこ好きだったり、仲の良いクラスの男子と定期テストの結果を競い合って負けたらサーティーワンのアイスを奢るために一緒にショッピングモールに遊びに行ったりと、まあ、なんだ。傍目から見たら普通に男子が好きなんだなあという感じだっただろうし、自分でも男子が好きなんだなあということは疑いようもなかった。
ただ一方で、じゃあこの先輩への説明のつかない気持ちはなんなんだという疑問が胸の奥ーーのほうでキャラメルリボンのようにぐるぐる渦巻いてもいた。
実際サーティーワンの男の子からはサーティーワンの帰り道に付き合ってほしいという申し出を受けた。素直に舞い上がった。けど、高揚のままによろしくお願いしますとシェイクハンドしてしまうのは、なんか、なんか違うよなと思った。
「ごめん」のひと言を伝えるのがやっとのわたしに、サーティーワンボーイは
「おっけ。次のテストも負けねえから」と爽やかに返してくれて、それが告白されたことよりも嬉しかったのを覚えている。
アイスの冷たさが沁みる季節も過ぎて、短い秋をのんべんだらりと過ごしていたある日。地元の図書館で本を貪り読んでいたところ、雷に打たれたような衝撃を食らった。
それは少女小説「マリア様がみてる」との出会いであった。まじ、衝撃であった。
マリア様がみてる、通称マリみてとの出会いはわたしの恋愛観を180度どころか900度くらい変えた。まじ、根底からひっくり返ったのち勢いそのまま何周かした。わたしの精神世界はさながらセカンドインパクト後のような様相であった。信じられん存在感をもってして、わたしの世界を一夜のうちに変えてしまった。
お、女の子のこと、好きになってええんか……。
先輩への憧れを、尊敬とか思慕とかそういう言葉でもやもやっとさせなくてもええんか……。
近付きたいと思ってええんか……。
まじか…………。いや、まじか…………。
もう、絶句であった。
クラスメイトたちがせっせと次の定期試験に向けて勉強しているさなか、わたしはただひとりマリみてを読み漁った。とりあえず全巻読破した。
まじか。うわー。まじかー。
マリみてを読むことに全ての力を注いでいたためサーティーワンボーイとの賭けには再び負け、今度は購買のパンを奢らされた。苦手な物理では赤点を取った。けれどもそれらはマリみての前では些細すぎる出来事だった。
まじかー。
この「まじかー」という思いを3年間引きずったまま、けれども先輩との距離をそれ以上縮めることもできずに、先輩が卒業したあとは何事もなかったかのような顔をして男の子と初お付き合いをしたりしてわたしの高校生活が終わった。
マリみてどころの騒ぎじゃなかった。
盆と正月とクリスマスと創造神と破壊神がいっぺんにこの世にやってきて世界をめちゃくちゃに踏み荒らし、亡き者の命を弔い新たなる生命の誕生を祝福し、一筋の光を灯しては消して灯しては消して「じゃ!あとは自分で頑張って!」と言って帰っていった。
まじ、衝撃であった。
セクシュアリティ、多様な性、LGBT、性別二元論エトセトラエトセトラ。それらすべての言葉や考え方が、自分がどれに当てはまる当てはまらない関係なく、誰もかれもに関係する言葉であるのにも関わらず、わたしは過去18年間何ひとつ知らなかった。
ただ己の直感のみで生きるしかなく、その直感の中に「もしかしたら女の子が好きかもしれん」というものがあり、がしかし、なまじ男子も好きになるがゆえに「いやいや、まあそれとこれとは違うっしょ」という感じで奇跡的な気付きに雑に蓋をしてしまっていたのだった。
と思わないでもなかった。
でも、じゃあ仮に高校時代に「女を好きになる女」みたいなことを調べたとして、わたしが先輩に何がしかアプローチすることはあったのか?先輩後輩の均衡を最後まで崩さなかったのは紛れもなくわたしの選択肢ではないのか?
どうしょもないIFすぎる問いを抱えたまま、とりあえず次に好きな女の子ができるまで、何事も何事もなかったムーブで過ごそうと決めた。
ただ、ちょぴっと知識を得たことで、わたしの「普通」がちょぴっと変わった。
女を好きな女であることをことさらに全面に出すこともなく、かといって、押し込めるわけでもなく。普通に男の子とも付き合うし、好きになったら女の子にも普通にアプローチする。だって好きなんだもん。別にいいじゃんね。
クィアの講義を受け持っていた先生は、セクシュアリティは個人的なもので、そして流動的なものでもあると言っていた。わたしは結構この言葉が気に入りだった。
個人的なもの。わたしだけのもの。流動的なもの。変わってもよいもの。わたしのものだから、変わったって変わんなくなって、誰に文句を言われる筋合いはない、もんもんとしたときは、そういうものがわたしの体の中心にすーっと通っていることを思った。
その「すーっ」を思う効能は、何事も何事もなかったムーブよりもはるかに効き目があった。
いま好きな女の子に対して、踏み込みたいという気持ちが無いわけではない。そりゃ好きだからな。
2人で遊ぶこともある。今度は旅行しようねと話してる。
舞い上がらないわけがない。でも彼女が少なからずわたしを信頼してくれているのがわかるから、それを壊すようなことはできないなーと、綺麗な横顔を見ながら思う。
わたしにとってわたしのセクシュアリティがわたしだけのものであると同時に、彼女にとってのセクシュアリティも彼女だけのものであり、そんでもって関係性というのは両者で作るものだ。お互いを尊重したうえで変容を求めるなら変容を、現状維持なら穏やかに関係を続けていけばいいのだ。
で、わたしは別に彼女に「わたしは男も女も好きです!」みたいな宣言をしたことはない。ので彼女は多分知らないと思う。言うならきっと、女だとか男だとかではなく。必要なのは「あなたが好きです」というただひと言なんだと思う。で、わたしはまだ思いの丈を伝える覚悟がないから言わないだけで。
ていうか別に、宣言とか、しないよね。なんかセクシュアル・マイノリティばかり言う言わないうんたらかんたら色々ありますが、
言う人もいる、言わない人もいる。
わたしのように匿名ツールでなら言えるとか、ざっくばらんな恋バナをする友人には言えるみたいな人も、いや家族や職場に言います、という人もいるだろうし。本当に、人それぞれ。その人だけのもの。個人的なもので流動的なものだから。
だからこう、ネットでも現実社会でも、まじかーまだその段階かーみたいな発言やら意見やらを見かけることは多々ありますが、知識を得た今ならそういったあれこれ全て、わたしの個人的なものを傷つけたり揺るがせたりすることはできないのだよ、と自分に言ってあげられる。ただ、中高生のころのわたしのように、じゅうぶんな情報や知識にアクセスできない若い子たちが不用意に傷ついていないかは心配しているよ。ていうか本当、いちばんはそこだよね。
いつもホッテントリを賑わせている増田だが、増田が始まってからこれまでの15年間について、年代別にブクマ数ベスト5を調査して、振り返っていきたい。
1位:プログラミング用のフォントを探してたら一日が終わってた(366users)
この時代は「技術のはてな」みたいに言われていたので、こういう記事に需要があって、よくホッテントリ入りしていた。
2位:anond:20061214085342(155users)
3位:手っ取り早くGIGAZINEになる方法(140users)
deliciousとかdiggとか今はもうなくなってるよな。
4位:『はてな』がイノベーターに成り得ない5つの理由(132users)
イノベーターっていう言葉も懐かしいな。イノベーションのジレンマとかが流行った時代。
これも2chのコピペらしいが、こちらはコピペだとわからないように書いている。
1位:何でも楽しいという友人(1613users)
なんでも楽しみながら取り組む人の話。今でいう意識高い系にも通じるものがある。
2位:人月計算とExcelとスーツの世界より(1340users)
新卒でメインフレームの開発現場に回されてしまったが、本当は最新技術がやりたかったという話をポエミーに描いてる。
確か後日談があったような気がする。無事に、自分の望む環境への転職に成功したようだった。
ここまで注目されるような内容なのかどうかは疑問。
4位:聞き上手マニュアル(764users)
5位:ピェンロー(白菜鍋)レシピ(754users)
これも料理ネタ。この時代の増田は料理ネタが豊富だったのかもしれない。
1位:簿記2,3級を独学で同時に3週間で受かる方法(2892users)
資格取得のハウツー物。こういうのもやたらブクマ数稼げる。結果、この年のトップに。
2位:すごい物を見てもへこたれない人(1792users)
2007年の1位記事と同じで、意識の持ち方の問題にフォーカスを当てた記事。
3位:「爆発音がした」まとめ 上(1733users)
「爆発した」という描写をいろんな作家が書いたらどうなるか?というテーマの記事。
なかなか面白い。
4位:内科医が風邪について書く(1379users)
5位:40歳平凡サラリーマンが半年でTOEIC400点から700点を獲得した方法(1038users)
1位:急がばまわれ式・堅実で一番効率的な英語の勉強法(8902users)
英語学習ネタ。そんなに大したことが書かれているわけでもないのに驚異のブクマ数でトップに。
2位:20年来のつらさがほぼ消えたことについて(5198users)
常に頭や体がだるかったのが、自分の体のある性質に気づいてから対策が取れるようになって、人生が激変した人の話。
「つらい、だるい」から「集中できる」状態に変化していく過程が、読んでいてとても心地よかった。
3位:英語コンプの馬鹿でも投資ゼロでTOEIC900に達するたったひとつの方法(3612users)
4位:なんとなく最近不調かな、と思ったら気をつけること(1830users)
この頃から、なんかこういう漠然としたライフハック系の記事が散見されるようになる。
5位:手取り16万で毎月貯金を増やしていく方法(1783users)
リーマンショックの頃の記事だから、こういうのも上がってくるよね。
1位:社会人のための本気の英語学習法(1953users)
こうやって定期的に色んな英語学習法が上がってくるっていうことは、結局正解なんてどこにもないし、学習がうまくいっている人なんてほとんどいないんだろうなぁ。
2位:アフィリエイトで成功して、社会的地位を得る方法。(1149users)
病気解説系のサイトをたくさん作って、そこにアドセンス広告を貼って儲けている人たちに対する告発記事。
この記事がきっかけになって、ここで告発されたサイト群はまもなく閉鎖された。
何年か後になって、どこかの法人がWELQというサイトで同じようなことをやって叩かれていた。いわばそれの先駆け的な出来事だった。
3位:吉野家がソフトバンクだったら(1103users)
当時評判がよくなかったソフトバンクの詐欺的な料金プランをネタにしている。
指導する側に実は問題があったパターンで、こういう話を聞くとすごい考えさせられる。
5位:死ぬほど英語を勉強してきたからわかる、英語学習の限界(952users)
これも英語学習ネタなんだけど、今までのとは違って、それらに対するアンチテーゼになっている。
日本人は絶望的に英語ができないんだからいくら勉強法を変えても無駄無駄無駄ァっていう結論で、これはこれでわかりみ。
1位:ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし方(4051users)
2位:お金持ちに大量に触れて初めて気づいた8の共通点(3363users)
3位:バカでも出来た英語学習方法(2904users)
はい今年もきました、英語学習ネタ。特に珍しいことは書かれていない。
4位:精神論ではない仕事を速くこなす技術(2779users)
ライフハック。言われていることはうなずける内容。
5位:人たらしになるコツ30箇条(2556users)
1位:"Hello world!"(2344users)
プログラムを初めて動かす時のドキドキ感と、人生で初めて体験することのドキドキ感をかけて「hello,world」と表現している。
いわゆる増田文学。
2位:先日倒産したメモリメーカーの友人と飲んできた話(2016users)
日本が他のアジア諸国に打ち負かされ始めている。今考えると、それの走りのような記事。
3位:【2012超まとめ】確実にWEBサービスを作りたい人へ【前編】(1944users)
一時期、個人でWebサービス作って公開するのが流行ったことがあって、これはその経過を増田で公開している。
今はもう誰もこんなことしなくなってしまったけど、いい時代だったなと懐かしく思う。
4位:「柳井正は人として終わってる」を読んで(1872users)
ユニクロがブラックで、っていう今では誰もが知ってる話を増田で告発。この頃は目新しかったのかな。
5位:Objective-C勉強したいならコレを読め2012秋(1381users)
1位:低学歴と高学歴の世界の溝(2179users)
人によって自分の見えてる世界が全く違うことに気づいてしまう話。
2位:プログラミング出来ない奴ちょっと来い(2114users)
プログラミング言語についてではなく、プログラミングそのものについて、その本質を結構詳しいところまで突っ込んで書いてある。
これは有用。今読んでも役に立つ。
3位:ド素人が完全自作SNSを作ってみてわかったこと。(1535users)
Facebookに嫌気がさしたので自前のSNSを作るっていう、もうそれ聞いただけでなんかワクワクしてくる。
いいなぁやっぱりこの時代は。夢があって。
4位:海外Amazon転売楽すぎワロタ(1417users)
これも一時期流行ってたけど、本当に儲かるのかどうかよくわからない謎なところが多かったな。
5位:おっさんが水商売の店に行く理由(1324users)
よくわかる。おっさんになるとこういうのが染みる。
1位:部下がくれたアドバイス(1959users)
うーん、どうなんだろうね。
仕事ができる人って、「自分の頭で考える時間を確保する為に、周囲の人間を手足のように使える人」っていうイメージあるけど。
これも増田文学なのか。
2位:「家事」は、レベルを上げて物理で殴れ(1918users)
3位:anond:20140624211919(1590users)
耳が痛くなるな。最近のネットの誹謗中傷問題とかにもつながってくると思う。
4位:1人暮らしのための料理の豆知識50(1495users)
5位:東京ベイエリア タワーマンションの真実(1432users)
よくわからんかった。
1位:http://anond.hatelabo.jp/20151127035944(2611users)
宝くじで7億当たった人への具体的な助言。
金が自分に定着するには10年かかるっていう言葉に重みがあって、なんかいい。
2位:Yahoo!チャットって場所があったんだよ(1645users)
インターネット老人会の夜噺。ヤフーチャットって全然知らなかったんだけど、そういう文化があったことを知れて、とても面白かった。
3位:( ・3・) クラシック好きの上司がジャズを聴きたいと言いだして(1486users)
4位:メールで使える英語のつなぎの言葉(1445users)
英会話tipsだけど、これはメールに限定している分、ちょっと毛色が違う感じする。
5位:起業支援者なんだけど、普段は言わないことを書く。酔ってるから。(1399users)
意識高い系起業志望者が増えてきていて、それを食い物にする連中も…という話。
1位:我が家のインドカレー(3269users)
インドカレーのレシピ。これが1位にくるっていうのもなんかすごいな。
2位:教授に教えて貰った考え方(備忘録)(2690users)
自己啓発系のまとめ。
3位:めっちゃ怒られているのがテレビで放送されてしまった(2681users)
よその会社の偉い人がしれっと出てきて増田にこういうの書いてるのが笑える。
4位:お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話(2552users)
本当に最低限でいいのなら、こんな感じでいいのかなと思わされてしまう。
5位:保育園落ちた日本死ね!!!(2125users)
これ、有名なやつね。
1位:https://anond.hatelabo.jp/20170910205249(3653users)
プログラマーになりたい人に向けて、N予備校のプログラミング入門コースをおすすめしている。
どうなんだろうね。
2位:無能と思われたら職場を変えたらいい(2617users)
こういう「あなたが悪いんじゃないよ、環境が悪いんだよ」っていう指摘は、追い詰められてる人にとって救いになるよね。
3位:人生に物語は要らない(2243users)
なんか既視感あると思ったら、2012年の1位の記事「Hello world!」を書いた人らしい。
中卒なんだけど、大学を目指しているとのこと。今どうなってるんだろうね。また何か書いて欲しい。
5位:ソニー株式会社を退職しました(2015users)
ソニーの技術職の内情が具体的に書かれているんだけど、なんかもう色々と無茶苦茶だなぁという印象。
本当なんだろうか。
1位:増田文学100選(3657users)
たくさんありすぎて読む気がしない。誰かおすすめをピックアップして欲しい。
2位:【追記あり】Wi-Fiはタダで使えると思っている奴多すぎ問題(2317users)
携帯売り場に押し寄せてくる情弱客の悲喜こもごも。よくある話だけど笑える。
3位:アホの子教えるのは楽しかった(2039users)
偏差値27から50超へもっていく秘訣みたいなことが具体的に書いてある。
初期のつまづきが見落とされてるだけだから、そこへ立ち返って矯正すればいいと。なるほどね。
4位:後世に残したい美しい言葉 5選(1914users)
5位:NECで何が起きているのか(1745users)
NECの技術部門の内情告発。こういう怪文書的なやつがちらほら転がっているのが増田の醍醐味。
1位:簡単・初心者向けの資産形成 (長期投資)(3264users)
投資系の記事。こういう記事が上位に挙がってくるようになったのは最近のこと。
2位:料理家のアメ横(御徒町)買い出し指南(2562users)
3位:「身の丈に合わせて、大学行かずに就職すればいいじゃん」(2334users)
環境に恵まれずに苦労して大学に入った人が、なぜ学習参考書の編集者になったのかについて書いている。
ちょっと感動した。
4位:【追記あり】臭いおっさんは社会的弱者(2236users)
まぁまぁこういう記事は需要あるよね。普通に風呂入ってるだけではだめなのかと思うけど。
5位:anond:20190530132722(1917users)
1位:【書き起こし】岩田健太郎さんのYouTube動画「ダイヤモンド・プリンセスは...(2439users)
今となってはこんなことで騒いでたのが懐かしくなってくる。
2位:意識の低いフリーランスの生存戦略(2277users)
意識低い系の人の話。意識低いのになんでフリーになったのか謎。
こういうの読んでると、やっぱりサラリーマンが最強だと思わされて、ちょっと安心する。
3位:ケンタッキー初心者指南(2230users)
ケンタに限らずファーストフード系はクーポン使うとかなり安くなるところが多い。
4位:100分de名著シリーズのバックナンバー約100冊を読破したら人生変わった(2002users)
100冊は読まなくていいと思うけど、興味のあるやつをちらほらつまみ食いしてるだけでも、なんか勉強した気持ちになれる。
5位:我が家のタンドリーチキン(1894users)
1位:anond:20210114104835(3443users)
2位:当たり屋対策の集合知(2587users)
当たり屋なんて今の時代に本当にいるのかと思いながら読んでたけど、いるんだな。
ストーカー要素とかあって怖い。
3位:洪水被害にあったらやること(2344users)
こういうのが挙がってくるのも、最近の異常気象を反映してるんだろうな。
4位:anond:20211022205638(2219users)
ライフハック系記事。脳に入ってくる情報に制限をかけて、楽させてあげようっていうことか。
5位:緊急事態宣言に「慣れた」んじゃなくて呆れ果てただけだよ(追記2)(2078users)
まぁでも色々と揉めてたよねこの頃は。
15年間の増田の上澄みだけをさらっと眺めてきたけど、色々と考えさせられることが多かったし、知っておいた方がいい情報もちらほら紛れていて、結構有用じゃん増田といった印象。
いままで増田のこと、便所の落書きだと思ってたけど誤解してたわ。すまん。
はてなにとっては稼働させていてもなんの収益にもならない無駄サービスだけど、その時々の文化を後世に遺すっていう意味でも、今後も続けていって欲しいよなと思った。
普段そんな本読まないけど折角のGWだからユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を読んだ。
この本を知ったのは中田敦彦のyoutubeチャンネルに投稿されてた書籍解説動画が切っ掛け。
(URL:https://m.youtube.com/watch?v=fud4-L2lnqQ)←一時間で見れるよ。面白いから見よう!
流石に書籍の内容は難しく、読了までに丸5日はかかったけれどその価値はある体験だった。結構難解かつグロテスクな内容なので余裕があるときにおすすめ。
読了後、内容の復習も兼ねて前に見た中田敦彦の書籍解説動画をもう一度視聴した。
俺はあれだけの濃密で膨大な内容を3本1時間の動画にまとめた中田の手腕に感心したし、YOUTUBE大学のファンなのでこのチャンネルやオンラインサロンを否定するつもりではないと予め記しておく。
また今回見たのが上の動画だっただけでこれからする主張は他のチャンネルの動画にも当てはまる。
その上で、解説動画を見ることは読書をすることとは別物、言ってしまえば別格の体験だと感じた。
以下その理由。
なお『サピエンス全史』読んでない人には伝わらないところが多々あると思うがご容赦を。読んでくれ。
中田敦彦の動画も話に出すから見てない人は下に行く前に見てくれると嬉しい。
それでは。
動画内で解説されていた本の内容をものすごく短くまとめると次のようになる。
20万年前に東アフリカで誕生したホモサピエンスは、認知革命で得た「想像上のものを実際にあるかのように扱う」能力を以て他人類を絶滅させ地球の覇権を握った。
その後、得た認知能力を基盤として農業革命と科学革命に至り飛躍的に文明を発展させていった。
しかし発達した文明がもたらした幸福と自由は人間以外の生物の膨大な犠牲の上に成り立っている。
また生化学や工学等の科学の進歩によって人間はいつか人間以上の存在を創り出し、地球の頂点の座を取って変わられるかもしれない。
とこのようになる。
以下は動画内では触れられていなかった内容の一部殴り書き。(再三になるが読んでない人はマジで意味分からないので注意)
・狩猟採集時代のサピエンスが世界に進出することで他生態系に与えた破滅的影響
・食糧の増加とそれに伴って増える食い扶持を満たす農業の無限地獄
・脳の記憶能力を凌駕する膨大な生産物を管理するための記憶媒体、文字。
・認知革命の虚構によって成り立った団結と秩序、そして差別とヒエラルキー。
・”貨幣”という概念のヤバさ(普遍的な転換性と信頼性及び浸透力)
・帝国の拡張と科学の発展によって人類史上初めて築かれた将来への信頼
・国家と市場経済が個人を支配する過程で奪い、与えたもの。時間、地域コミュニティ、人権、職業、想像上のコミュニティ、平和。
・神になった動物が問われる「我々は何を望みたいのか?」
軽く書き連ねるだけでもこれだけの内容が動画の中では触れられていなかった。
繰り返しになるが認知革命を軸としてサピエンス全史をまとめきったこの動画のセンスには脱帽するし、この動画を見ることで俺の中で新しい発見も生まれた。
だがしかし、これは認知革命一本だけでまとめられる程度の内容ではなく、認知革命も一つとして含めた様々な要素が複雑に積み重なった壮大な本なのだ。
”帝国”についての事前の理解がなければ、その後に続く科学×帝国×資本主義の最強コンボの強さが分からない。
狩猟採集時代のサピエンスの生態系破壊を知らなければ、環境破壊は産業革命以後だけの近代の現象と勘違いしてしまう。
中田敦彦はサピエンス全史が読まれない理由として「話が長く、脱線するから」と言っていたがその脱線は後の章への伏線であり、その長さは意味のある長さなのだ。(中田自身はそのことを百も承知だろう、とは思うけど)
膨大な内容を動画に納めようとすると、どうしても内容に影響のある圧縮をしなければならない
だからその動画を見ることは読書にはなりえない。これが理由のひとつ。
どういうことか、俺の読書を例に取る。
まず俺は本を読んでいた5日間の中で50回以上google検索をした。
話についていく上でどうしても必要だった知識もあれば、本筋に関係ないけど興味本位で調べた単語もある。
前者は誰でも分かる平易な言葉に言い換えられていた。後者についてはそもそも出てこなかった。
ヒトラーやキリスト教の話は出てきても古代シュメール人や16世紀オランダの話が動画内になかったのは我々視聴者がそれを聞いてもピンと来ないからだろう。
シュメール人やオランダのことを知らなくても本の粗筋を頭に入れることはできる。
そういった”無駄”を削ぎ落とすことはは”わかりやすさ”への親切な最適化なのだ。
だがそれは同時に新たな知識との出会いの鍵を失うことを忘れてはならない。
だから解説動画を視聴者することは読書したことにはならない。理由のふたつめ。
俺は読書の途中で考えごとに耽ること度々があった。
食糧が増えることで人口が増加したのであれば(マルサスの人口法則というらしい)、食糧含め最低限度の生活が保証されている筈の先進国の少子化は何が原因なのか。教育コストや生活レベルの上昇によって現代人の考える”食い扶持”は昔のそれより遥かに大きくなったのか?
未来は好転するという思い込みが経済の好循環を創るのであれば悲観論が多数を占める日本の今後は?
↑これは悲観論を根拠に悲観論を唱えるマトリョーシカになって面白かった。
↑これを考えて結構自分なりに納得のいく結論が出たのでここに投稿している。
等々、本に関係のあることないこと色々なところに思考が飛んだ。
読破に5日もかかったのは難しかったのもあるが、この考える作業に時間を取られたのも大きい。
先ほど挙げた上2つはググったら同じことを言ってる人がいたし、多分これも探せば既出なのだろう。
というか当たり前のことをアホがドヤ顔でエウレカ!と叫んでいるだけなのかもしれない。恥ずかしくなってきた。
でも思索自体が楽しく脳味噌を鍛えられる体験だったし、その過程で更に洗練された他人の思考に出会うことができた。
何故なら動画は自分の思考が情報を受信することで一杯になってしまうからだ。
本を圧縮した密な情報を、語り部という他人のペースで受け取らなければいけないので脳の処理がそれ以外に使えなくなる。
文字という情報媒体は自分の読む速度に合わせて情報が入るので動画よりも、脳のメモリに余裕ができるのだ。
youtubeにも一時停止機能はあるが、手間で面倒なので考え事をするためにわざわざ動画を止める人は殆どいないのではないだろうか。
第一、書籍よりも情報が少ないのでそれを土台として思考するにも限られてしまう。
話は脱線するが中田のこの動画は「生物学」+「歴史」+「科学」をまとめた本書の外から見た独自性を動画の最初で触れたところが凄いと感じた。これのお陰で内容を理解する下地ができて、話がわかりやすくなっている。
持論になるが解説動画の価値、求められている「わかりやすさ」とは本の内容をいかに単純化するか、ではない。
その本に書かれていない情報を本の中身に追加し、不足を補うことで視聴者の理解の手助けをすることにあると思う。
またyoutubeの動画が視聴者と本の架け橋となるのは素晴らしいことだ。俺自身サピエンス全史を知ったのはこの動画が切っ掛けだ。
だから中田敦彦の動画は最高だ。それは揺るがない。あっちゃんありがとう。
ただコメント欄に動画を見ただけで終わってしまう人がいて、それが俺には物凄く勿体ないことだと感じた。
今回改めて気づいたのは読書という体験の複雑さと楽しさだ。作業ではなく体験として読書にはそこへ時間を注ぐだけの価値がある。
1日の大半を何のために過ごすわけでもなく、気づいたら夕方になっている
今日やったことはメールチェック位で、あとは散歩とゴールデンカムイを全巻読破しかしてない
波が収まると不意に冷静になる
止まった時間の中で何をしたいんだろうと思っても具体的な目標が出てこない
今月下旬から新しい職場だから準備も必要だけど、頭がぼーっとして新しいものを入れる気が起きない
みんななんであんなに頑張れるんだろうか
なんで自分は頑張れないんだろうか
付き合いがある人もおらず、趣味もなく、雑談出来る人もなく、守家族もない自分だから頑張れないんだろうか
忙しい時は心身的に辛かったけど、そんな事考える余裕なんてなく目の前の仕事やってれば良かったから気楽だったな
でも、今片付けてもゴミを処分できないからな…って思うとのびのびになる
これはコミックDAYSが4周年を記念して3月1日~3月31日まで毎日漫画を1作品24時間限定で無料公開していたのを全部読破した人間による個々の作品の感想となります。
エッチな話だと思ったらホラーだった。ある意味ホラーといえばエッチな話っぽい導入なのでさもありなん。オチの「これが言いたくてこんな長い話を?」感はかなりのズッコケパワーがある。読者にこの漫画のジャンルはコメディホラーだと是非覚えて帰ってほしいという作者からのメッセージということでいいのだろうか?
主人公がヤバイ話だと思ったら他の奴らもヤバイ話だった。ヤバイ奴ら同士によるヤバイ戦いだ。物語の世界は広がっていくようで限りなく狭い範囲をグルグルと回っているようでもある。圧縮された因果の超高速回転により加速するキチりっぷり。サブヒロインや友人は真っ当なことがキチのキチりに対する感覚麻痺を防いでくれるのがいい塩梅。
純愛なんだけど凄いドキドキする。おかしい……ただ子持ちのオッサンがJKに好かれて浮気してるだけなのに。浮気してる時点で普通にアウトなので当然のようにアウトである。そのアウトを突き抜けるほど恋はよく燃える。読者としては二人の置かれてる状況のチクチク刺さる悲惨さで肝が冷える。温度差で股間が風邪引いちまうぜ。
圧倒的本命‥!! くくく‥‥出してくるかっ‥‥!開始4日目‥‥エンジンが温まってきたタイミングでっ‥!コミックDAYSの看板とも言える漫画を‥‥!知っての通りコミックDAYSはこの漫画を使ってくる‥‥宣伝‥‥PR‥‥CM‥‥HPのシステム紹介など多岐にわたり‥‥!!言ってしまえば側近‥‥会長に対する利根川‥‥!!ここで投入っ‥‥!!この企画に対する本気度を見せつけるためにっ‥‥!!
エッチな話だと思ったらエッチな話だった。唐突ですが、男性がもっとも興奮するのは女友達と性に関するトークをしている時らしいですよ。
公式スピンオフなんだけど、誰が主人公ってよりもオムニバスに近い感じ。オリジナルが多くを語りすぎずにサクサク話を進めていたおかげで話を盛り込める隙間が多い多い。オリジナルの作者が関わっているので、あとから生えてきたのか元からあったのかも分からないほどに納得感のある裏話となっている。
トシサンとはトシサンのトシサンこと都市伝説特殊捜査本部第三課にて都市伝説特殊捜査をする都市伝説の話だ。扱っている題材が都市伝説なこともありゲテモノに見えるが中身は王道にバディモノであった。都市伝説を惜しみなく使い切っていくのでテンポが良かった。
なるほどそう来たか~~って感じのオチっすね~~昔の時事ネタを使ってるから多少唐突でも読者が「あっそれがあったかぁ」ってなれるのはお上手。オチに向けてパーツがちゃんと置かれていっているので読み終わったあとスッキリする。最後から振り返ってみるとこの終わり方をするまでに必要十分な要素だけで作品が構成されていたように思える。
復讐はスッキリするぞ。金にもなるなら最高だな。クズvsクズは燃えるね。最後までクズたっぷり。可愛そうなのは被害者だけなんだが、被害者も可哀想ではあるが地味にクズな感じが。いや人間は皆クズなんだ。殺し合えー!クズ共ー!たーのしー!
繊細だ。講談社ってこんな繊細な漫画も扱ってるんですね(失礼)。些細にも思えるような感情の揺らぎを表現するのに邪魔にならない画風ってこんなにも淡くなるのか。アドレナリンドバドバの漫画ばかり読んできたのに突然こんなの来たら神経が風邪引いちまうぜ。
エッチな話かと思ったら純愛だった。最初のうちはふーん面白い奴ら……と上から目線で変人窟を眺めていたのに、途中からただただ普通に恋愛をしててオラびっくりしたぞ。
うへぇ力作だぁ。和風な世界観の元に行われる思考実験だぁ。途中から2つの世界が同時進行しだすとワクワクが止まらんぜ。そこにある更に細かいコミュニティーそれぞれの内と外で物語が交差しながら進んでいく様をよー丁寧に描くもんだな。謎まみれだった世界がどんどん回収され、風呂敷が次々広がったり畳まれたりして本当いいね。こういうのは全話無料のタイミングだと過去回に戻って読み直せるから助かる。
ヘビーっすねえ大人の恋愛は。アラサーでも人生かかってきちゃうんすなあ。オチが凄い唐突なんだけどさ、この世界の中で一度燃え尽きあとのハッピーエンドを描こうとしたらこれぐらいのラッキーがないと始まらんのかなと考えさせられてしまう。世知辛いなあ。
戦国時代の最も激しい時代をよくこうもほにゃぁと描けるものよなぁ。全部ギャグになってはいても同時に全部シリアス。全力でシリアスな中で全力でふざけるから笑えるのですぞ。なるほど仰るとおりで。シリアスな笑いのにちゃぁとした感じがぬたぁとしていてぶへへへへとなりおるに早漏。
注釈が本編な漫画。裏社会の攻殻機動隊かな?ネンショー上がりのヤベー奴らはマジで色々とヤベーんだが、そのヤベー感じがまともな社会でもう生きられない人間の悲哀を感じさせるぜ。世の中の上澄みには超高学歴な連中のセレブな社会があるなら、底辺には超低職歴な連中の地獄のサバイバルが広がっているんや。
普通の恋愛って平和でいいねえ。疲れる漫画ばっか読んだからなんか安心するわ。中間地点で回復タイムやね。
パクっただけのバンドでも最強になれるビートルズまじすげぇ!まるで異世界転生した主人公が発明する銃や滑車みたいじゃん!って感じの漫画ではあるんですが、音楽無関係のよく分からん政治っぽい展開とかも間に挟まってきててよく分からん感じになっちゃってるのは惜しかったなと。
メガネ取ったら美人になるんだから、デブが痩せたら美人になるに決まってるだろ。男が性展開したら美少女に、女が性転換したらイケメンに、異世界にいったらチート能力持ちの美男美女に。ソレと同じぐらい当たり前だぜ。ふーん面白い男……を振り回しながらの物語だったけど最後の着陸はまあ無難にといった具合で。
映画化記念で24時間だけ無料に。ロボ・宇宙人・ロケットで正統派にSFしてるのが非常に良き。秘密のアイテム・秘密基地・子供だけの秘密でひと夏の冒険活劇なのも実に良き。いいよな宇宙は。なんかこうロマンがあって。いいよな子供は。なんかこう日々成長してて。
ウクライナの市街地が爆撃されてヤバいだって?日本だって出来らぁ!ゆーてこっちは侵略した結果のカウンターでやられてるので、なおのこと気持ちとしては悲惨そのもだのが。ボロクソに負けるなか大本営発表を聞かされつつ日々貧しくなっていく様が非常に物悲しい。貧乏と敗戦の中でみんなどんどんギスギスになっていくのが辛い。
庵野の嘘つき!モヨコの作品はハートフルみたいに言ってたけど普通にギスっとるやんけ!でもいい話やんけ!登場人物の年齢が幼いおかげでば恋愛話が痴情のもつれみたいにはならずに親の因縁やバトルに専念できてるのは良かった。全体的にスピーディーよな。
逝く船の崩れは絶えずして、しかも、もとの船にあらず。 ねじれに浮かぶパラドクスは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。とは昔からよく言ったものですな。世界線が変わってしまった!状況悪化してね?を描く王道タイムスリップでしたわ。そもそもこれタイムスリップして初手で真犯人分かってたとしても解決できた問題なのかって疑問が最後まで残るのでモヤモヤさせるのが上手い。
一つだけ大きな嘘をつくタイプと思いきやそこから和風異能バトルっぽい感じに。日常の息遣いを感じさせる空間が時間が止まっただけで異常な空間になる雰囲気の描けっぷりよ。ヤバイ所に来た感がヤバイ。時間停止能力者ってこんなヤバイ世界で暮らしてるのか。よくAVなんて撮ってられるなアイツら。頭おかしなるでこんな世界。
格闘バトルにありがちな「どうヤバくてどう凄いのか分かりにくい」を主人公の妄想幻覚能力でカバーするというアイディアの奇抜さ。格闘漫画として何をやっているのかはやや伝わりにくいものの、バトルとして何をやっているのかは伝わりやすかった。
今話題のロシアも出ますよ奥さん!ロシア軍もそうなんだけど途中までクズっぽかった軍隊やテロリストが話のラストでいきなり映画版ジャイアンばりに真っ当な正義とプライドに目覚めたような言動になるのシリアスな笑いさえあるな。交渉人が勝利する物語ってのはそういうもんなんだろうね。暴力的な正義に酔った相手を今度は平穏な方向に向かう正義に酔わせ直すような。
特に飛ばさずに読んだはずなんだが何が起こっていたのか実はよく分かってない。作品の方向性的に多分ソレで良いんだと思う。唐突に凄いことが次々に起こるんだけど、それらが唐突に収束していく。兎に角凄いことがあったという記憶が残るんだが、凄すぎてなんだったんやアレで終わってしまう。ほんま途中から加速エグいで。
独特の歪んだ絵柄と歪んだ作品性を、歪んだ業界の歪んだ実在人物たちを描くのに使うという恐ろしい漫画。普通に有名漫画家が実名でイジられる。それどころか自分のハイスコアガール騒動さえ弄る。押切蓮介と押見修造を間違えそうになることまで描かれる。でもさあ、どっちも不愉快な話を媚びた絵柄の女の子を絡めてやってることはいっs……おっとこんな時間にアマゾンか?
これ、実は映画メインじゃなくて冴えないオッサンが若い女の子とイチャイチャする話ですよね?娘の友達の明るい版ですよね?映画に関する話は全体としかなり浅く、出てくる作品も名作のオンパレードなのだが、そのおかげで自分みたいな映画素人でもついてけるのは有り難い。やっぱりこれ映画オタク向けじゃなくて恋愛マンガ好きパンピー向けですよね?
妖怪少女とエッチな雰囲気になりながらバトルする漫画ってすげー在り来たりに感じるけど意外と見かけないんだよね。超高カロリーのメインに高カロリーの主食がついてデザートも高カロリーみたいな精神的におデブな感じが精神的に胃もたれするからかなあ。いやー33話だけとはいえ読み終わった感想はまさに「ごっそさん」ですわ。満腹。
割とフッツーに恋愛マンガだったな。歪なピースが結びついていい感じになりましたって話で終わってしまった。ドタバタとしているようで実際には淡々と全てが進んでいく。そりゃそうだよ好感度上げる対象は最初から決まっててそこに向けて1ポイントずつ点数を積んでいってるだけだもんな。大山鳴動してみたいな印象の作品。恋愛ってそういうもん?
主人公の名前(コロナちゃん)言いたいだけやろ!あさりよしとおの漫画を使ってあさりよしとおの漫画みたいな事しやがって!しかしあれだなーモスラとかガメラとか時代を感じるネタも多いな―ギャグマンガって。作者が作者だけあって衒学・雑学の類も多いね。SFといえば雑学みたいな時代があったもんなあ。
水木しげる100周年だそうで。つうか鬼太郎自体が60年ぐらい前の作品なのな。しかしまあ作家性が強いもんだ。まず鬼太郎もねずみ男もとにかく貧しい。知名度の高さが語られるようになってからもやたらと生活が貧しい。しかも簡単に負ける。妖怪らしく凄まじい生命力によって逆転こそするもののとかくボコボコにされやすい。アニメなんかだと鬼太郎は日の当たるようなヒーローに見えるけど、水木しげる作品の中だと名前こそ知られてはいても日陰者なんだな。ゲゲゲの語源は「しげる」だというが、作者の自己投影の結果がこれならなんとも暗い性根の作品なものだ。
さて、31作品見事に読み終わりました。
完走した感想になりますが、やや辛いときもありましたが終わってみると非常に楽しかった。
この一ヶ月何をしていたのかと問われれば胸を張って「毎日1作品漫画を読んでいた」と答えられます。
よく作家の修行で毎日1作品映画を見ろなんて言うのがあるわけですが、ありゃあ素振りを毎日しろって話だけじゃなくて、自分は毎日素振りをしたんだぞという自信ぐらいはせめて持っておけというのがあるんでしょうね。
自分が興味のある漫画ばかりじゃなく興味のない漫画に手を出すいい機会でした。
・ランド
・あとかたの街
ですかね。
私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。
そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館で南条さんの本を借りた。当時私はリスカやアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為がきっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。
本には、南条さんという人物について、また彼女がインターネット上に残したものについて書かれていた。
「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」
衝撃だった。
南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。
さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービス名から推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能なブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。
二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志で生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である。
私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身の気持ちが不謹慎でたまらなかった。
インターネットではブログサービスの代りに増田が流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。
このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。
さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。
前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。
私はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィークに旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしまい入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。
ところで北海道の運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任の先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである。
私にとってそんな小学校最後の運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨(北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧な気候の中で、小学校生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。
2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやすく説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生の教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである。
私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロアと中学生のフロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下や教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。
4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度の区切りを迎えてから数日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。
2002年4月8日の月曜日、二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。
2002年の3月末~4月初旬の彼女の日記を確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。
彼女は文学部哲学科を卒業した後、編集者・レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事を日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。
2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。
平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度の決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。
しかしその4月2日水曜日の日記のタイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手な個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事を投稿したのではないかと考える。もしくは、職場のPCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日の日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。
一投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。
しかし彼女の複数回に及ぶブログ投稿を現代の増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田(メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期の中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。
さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本からの引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人からの手紙を引用している投稿も見られる。
ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプの人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるからである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないとき」である。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitterで思考の整理を行う。なぜなら自分自身の脳内の回転及びそれによって生じる思考をインターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。
そしてなぜあえてインターネットに吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会で相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉で相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーションに挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。
彼女の本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手に彼女と自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。
ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分の作品が残るとは、そういうことなのだと思う。
2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病を発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったかと記憶している。休み時間には、情報の担当教諭がヤフージオシティーズのアカウント取得を手伝ってくれた。
やはり、当時はまだブログがそこまで一般的なものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約し個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナー(ハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通の趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。
私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有の地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。
やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitterの複垢(サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。
私は日本におけるインターネット内でポエムが馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章をポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。
このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったかと記憶している。
二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日で更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。
そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである。
人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記をありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンをシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女のことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。
断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。
冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。
もしかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要や編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったからである。
果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。
事実、書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。
文中で軽く触れたが、私にとって増田は思考の整理のためのツールとして役立っている。
私は物心ついた頃より、「この子はぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。
私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲で相談をし、さらに増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ。
私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。
果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。
今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネットで事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかしインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。
私はリアル社会の中で、絶望に絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネットに絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。
インターネットを彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。
二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女の日記のどこかで触れられているのかもしれない。
しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康な人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。
しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者がインターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。
相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情の上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名で披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。
私は自分自身の人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。
「自分自身とよく似たパーソナリティの人物の言動や思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報を医療機関で提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。
私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法でアドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。
私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的に自分自身の不幸を開示していこうと考えている。
というか完全に理解することと、自分の将来に対する「子供を生むかどうか」の選択をすることになんの関係性があるのか
知的好奇心を満たすことは大いに結構だが、なぜ子供を生む理由に対して完全に理解する必要がある?
別の言い方をしようか。「子供を生むかどうか将来の選択を決めるために、世界中の蔵書をすべて読破しようと思っている」と俺には聞こえる。問題解決のために知識を集めようとする探究心旺盛なようで、単に無意味で無駄で無価値なことをして時間を浪費しているとしか思えない。なぜなら君ののぞみは
それは子供を産む理由に人間の本能だと答えるのと同様にぼやっとしすぎているから、わかりやすい答えを出すと、子供を産むという選択が自分のライフプランに大きく影響すると思っており、その選択によって今しなければいけないことが変わってくるから、他人の意見も参考にしつつ出来るだけ早く自分の答えを見つけたいからだよ
という部分だろ?だったら子供をもつという他人の心情を完全に理解するという探究心を満たすのは後回しだろ。そんなことを理解する前に君は死んでしまう
誰も読んでないみたいだから去年一気に全巻読破した俺が説明してやるか
例えが下手。全く小便器には似ていない。
主人公がゴム人間という時点で格好よさから脱しようというコンセプトであろうことは1話からわかりきっている。
・戦闘に「もしかしたら死ぬかも」というような緊迫感が無い。主人公は何度も敵からノックアウトされて白目を剥くが、敵は主人公の首を切り落とそうとか心臓を刺そうとか本気の攻撃を全然しない。どうせ主人公は殺されないと、分かりきっている。接待バトル。
これもゴム人間の特異性で説明できるが、仲間になったキャラは絶対死なないなど、連載が長期化するにつれ緊張感が失われていったのは確か。
これは好みなのでどうでもいいか
・主人公が海賊王になると言っているが、その海賊王の定義がよく分からない。略奪も誘拐も密輸もしないなら、それは海賊ではないのでは?
・何をすれば海賊王になれるか、何を以て海賊王として認定されるのか、主人公が海賊王になると主人公や世界の何が変わるのか、さっぱり分からない。
ゴールドロジャーが隠した秘宝ワンピースを手に入れたものが海賊王だと1話で説明されている。
ワンピースがなんなのかは物語最大の謎なので終盤に近づくにつれ少しずつ説明されている。
知らんがな
・今、誰が、何のために、何をしているのか、リアルタイム連載ではサッパリ分からない。ジャンプがターゲットに想定している少年層の読者たちは「昔から連載されている漫画だけど、何の物語かよく分からない」と思っている。
今現在は四皇という最強の海賊であるカイドウとビッグマムと戦っている。
その二人を倒すと1話に登場したシャンクスとラスボス感のあるキャラとして登場している黒ひげを残すのみなので、その二人と決着をつけワンピースを見つけたら終わると思われる。
シーモアで無料で読めるBLを物色したのだが、無料作品は最近新刊が出た作品の1巻部分とか以外は、精神力をごっそり削がれるなぁ。ずらりと並ぶ表紙の裸率の高さたるや。無料なんだから仕方ないけれども、頭痛くなってしまい、面白そうなタイトルが探せない。
ともあれ、読んだBLのことを書く。
日雇い労働者のマコトは、ある夜、仕事仲間に連れられて入ったゲイバーでしのぶと出会う。しのぶが元彼が家に置いていった棚を解体する為の工具をマコトから借りたことがきっかけで二人の距離は縮まる。仲のいい友達のはずが、いつの間にかしのぶの部屋に入り浸っていたマコト。ほぼ恋人同士状態にも関わらず、マコトはしのぶの本名さえ教えて貰えないまま日々が過ぎていった。そんなある日、しのぶは職場のゲイバーの夏恒例の日帰り海遊びから帰ったら本名を教えるとマコトに約束する。ところが海遊びの帰りのバスの中、マコトがしのぶの肩に持たれたまま寝入ってしまい、目を覚ますと……。
軽い気持ちで読み始めたら、ヤバい、猛烈どシリアス。わかりやすい超特大不幸急展開に突き落とされてしまったぁ! すごくベタなんだけど前フリほぼ0でこれはかなりきついな。1話目の陽気なゲイバーのイケイケなノリはなんだったのか。ずっと陽気な仲間でキャイキャイしながら支え合っていくのではなかったのか。
時の経過とか時系列がかなり分かりづらくて、何度もページを行ったりきたりしてしまった。そこが分かりづらいからこそ突然のシリアスにまんまと衝撃を受けてしまったのだけれども、しかしそれにしても第一話半ば辺り、解りづらすぎね? という気もする。
期間限定無料の4話のラストがあまりにも引きが強すぎて、思わず1巻を買いたくなってしまったのだが、某BLレビューサイトを確認したところ、最近4巻が出たばかりでしかも未完。3巻から4巻が出るまでに三年以上の空白があったというので、続きを正座待機するのはかなり辛そう。完結するまで買うのは止めとこうかな。恋愛ものというよりも、とあるゲイカップルの人生を描いた超大作なのかな。読むのに覚悟が要りすぎる。あと、読み応えはあるけど萌えはしなかった。
(【追記】おもいっきりタイトルを誤変換していた!「非行少年ズ」ではなく「飛行少年ズ」が正しい)
「野火ノビタ」は榎本ナリコ先生の二次創作でのペンネーム。本作は『幽遊白書』(冨樫義博)の二次創作BL漫画で、カップリングは蔵馬✕飛影。
百年後の未来。飛影が東京タワーの近辺をうろついていたところ、偶然蔵馬と再会する。妖力を喪いただの人間となった蔵馬は、人としての天寿を全うして一度死んだが、自分そっくりのアンドロイドに憑依して復活し、日本に帰ってきたという。ちなみにタイトルはsteel man No.28の意。つまり鉄人28号。
黒龍に心の表層部を喰われてしまい精神が幼児化してしまった飛影が、蔵馬の背中にへばりついて離れなくなってしまった話。タイトルは戸川純の曲から。
大人になった蔵馬が、飛影と自身との関係をピーター・パンとウエンディの関係になぞらえて語る話。
一話目は飛行して、2話目はぶっ飛んでいて、三話目もやっぱり飛行していた。さすが『飛行少年ズ』というタイトルなだけのことはある。久しぶりに読んだが、懐かしき平成同人誌のにおい! 楽曲の引用、枠外で語られるどうでもいい設定、変な模様のスクリーントーン。懐かしい、ああ懐かしい!!
『SM-28』ラスト辺りの飛ぶシーン、鉄人28号というよりはサイボーグ009だった。002と009は飛ぶというよりは墜落したのだけれど。『好き好き大好き』は全力で飛ばしてるギャグから最後ストンと切なさ残すエンドなのがとてもいい。これ、こういうところが、野火ノビタ先生の同人誌の好きなところ。『飛行少年』では、唐突にフック船長役で軀が登場したけれど、そんなことして、剃刀入の殺害予告とかビリビリに破られた本の返送とかに遭わなかったのだろうか。と、昔の過激派やおいちゃん(←腐女子という言葉が当時はなかったのだ)恐すぎ伝説を当時の同人界隈を知る人から聴いたことがあるので思った。ピーター・パンとウエンディ……原作はどうかなと思うが、二次創作での蔵馬と飛影の関係性って概ねそんな感じがする。
榎本ナリコ先生の『センチメントの季節』が読みたくなっちゃったな。BLじゃないけど。
私自身はリアタイ当時はBLをまだ知ったばかりだったという(むしろ幽白で知ったのだが。)のもあり、幽白のBLにそこまで深い思い入れはない。だが、野火ノビタ先生の蔵飛はすごく印象に残ったので、大人になってから再録本を買った。今の私のBL読書傾向からすると、幽助✕蔵馬辺りにハマりそうな気がするが、さてどうかな。といって、幽白全巻読み返すのはちょっと億劫だ。いざ読めば面白くて徹夜で読破しかねないほどだというのは、分かっているけれど。
劇団の手伝いやさとるの脚本を通して、演劇をしてみたいと思ったいつきは、そのまま入団。新米役者として稽古に精を出すことになった。一方、さとるはというと、いつきが入団したことを嬉しく思いながらも、私情を挟んで依怙贔屓をしてしまうのではないかとおそれていた。また、自身のいつきへの感情が性愛含みの恋愛だと気付き、自己嫌悪に陥ってしまう。
んまぁー!? 想像以上にちゃんとBがLしているではありませんこと!?
ていうか、最後まで恋なのか何なのかわからないままもだもだし続けて終わるのかなと思っていたから、ちゃんと告るまで行ったことに驚いてしまった。その前に、いつきの豪快な脱ぎっぷりに動揺したさとるが、「そういう意味」での欲をいつきに対して持っていたことを自覚して悩む……ところまで行くとも思ってなかったし。ほのぼの系かと思ったら、案外シビアに掘り下げたな。1巻の冒頭辺りでまず、いつきのうなじの辺りが綺麗だと独白していた時点で、さとるがそういう欲を持っているのはモロ見えだったから、今更いつきの後頭部の刈り上げ部分を触りたい以上のことを言うとは思わなくて。いいけど……読んでるこっちもかなり動揺する展開w
「同性をそんな目で見るのは失礼では?」
「異性に対しても失礼じゃないの?」
というさとると坂上の会話が印象的。自分の気持ちを打ち消すのに、もはや同性だからは言い訳にはならない。いい時代だけど奥手人見知りには退路がなくて大変かもなあ。
それと、最強に萌えた&笑ったのは、パーカーonパーカーいつきくん。いつきのかわいい挙動の最たるものがこれ。かわいい。
この巻で早くも完結になってしまったけれども、もっとさとるといつきの日常を見てみたいなぁと思う。小池先生もあとがきに描き足りないと書いておられたので、小池先生のツイ垢をフォローしなくては! ちなみに、ずっと自キャラで遊んでいるタイプのBL作家さんが私は好き。