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[地震][前兆][予知][FM電波][電離層][DEMETER][GPS][だいち2号]
フランスは〇四年、電離層での異常を観測するための小型衛星DEMETERを打ち上げ、
既に九〇〇〇例の世界のM4・8未満の地震について、発生数時間前に電離層内でのVLF帯の電波強度が低下することを見出している。
2010年のM_S7.1ハイチ地震前におけるDEMETER衛星で観察した電離層じょう乱 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンター
電離層の変化、東日本大震災でも…予知に有望? : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
大地震、5~6日前に「前兆」 上空の電離層乱れる :日本経済新聞
[B! Science] 大地震前兆現象の仕組み解明 上空の電子変化、予知に期待―京都大:時事ドットコム
[B! 災害] 大地震発生直前に観察される電離層異常発生の物理メカニズムを発見―地殻破壊時に粘土質内の水が超臨界状態となることが鍵―
岡崎律子を知ってる人は多くないとは思うけど毎年この時期になると思い出してしまう。
そのうちどこかの記事にまとめるかもしれないけどそうなっても許して欲しい。
2004年3月17日に彼女がリーダーをしていたメロキュアのベストアルバム『目処ディアスハードキュア』が発売された。
彼女の作る楽曲、歌声は俺の荒みきった心にスーッと染み渡る即効性があった。
本当に生活や世の中への不安を共感してもらえたような気持ちになれた。
CDが発売されてかしばらくしてストアイベントをやるとの告知が出た。
たしか突然だったと思うけど当時飛ぶ鳥を落とす勢いで調子にのっていた俺は
「こういうのは発売前に告知しろ!コロムビアは常識が無いのか!?」
「もうアルバム買っちゃったしどうすればいんだ!」
などと思ったのかもしれない。
渋谷のHMVでのイベントはアニソンには似つかわしくない場所だよなと感じたのは覚えている。
そもそも当時44歳の彼女は表に出てくることはほとんど無いのだ。
俺は勇気を振り絞ってヤングの街渋谷の領域に行く決心を固めた。
今にして思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。
イベント当日の2004年4月6日渋谷に場違いな俺、いや、俺達は100人くらいだったと思う。
HMVのCD売り場にちょこっと作られたイベントスペースに集合させられた。
表現は悪いかもしれないが、ソーセージの試食や半額弁当に群がるハイエナの如き様相だった。
ハイエナ共を囲った鎖の外には望月久代も来ているのも確認できた。
明らかに業界人じゃないし通りすがりの一般人でもない普通の人が何人か認められた。
この時受けた感銘は一生忘れることはない、し、この気持に異論を唱える人は誰ひとりいないと思う。
彼女は『ふたりのせかい』では振り付けまで披露してノリノリだった(この振り付けはこの楽曲を耳にするとついやってしまうくらいお気に入り)。
MCでは(別に嫌というわけじゃなかったけど)はしゃぐ彼女と、イメージとの違いに若干の違和感はありました。
相方の日向めぐみも「リーダーはしゃぎすぎだからもっとおさえて!」と訝しげにしていた。
握手会でも彼女は丁寧にコミュニケーションをとっており、日向の流れ作業とは本当に対象的だった。
ものすごい牛歩だったけど、そろそろそのくらいで!とか声を荒げるスタッフはいなかったのも印象的だったな、やるじゃんコロムビア。
そしてそれは突然訪れた。
イベントから1ヶ月後の2004年5月12日に彼女の訃報が読売新聞に掲載された。
俺達は知るすべは無かったかが2004年6月6日の読売新聞の追悼渉によると1年ほどの闘病生活だったそうだ。
2003年の5月に胃ガンと診断され翌月から入院、病室にキーボードを持ち込みでクリエイティブ作業を継続。
(ちなみにこの記事に掲載された彼女の写真は2004年の3月に撮影されたものであった…)。
日向めぐみ、望月久代の「なんて目をするんだ…」という様相は俺達に向けられた侮蔑の眼差しではなかった。
場違いな普通の人たちはケアマネさんかもしかしたら医療関係者だったのかもしれない。
このような状況下で『メロディアス・ハードキュア』は造られ俺達に届けられたのだ。
突然のイベント告知は彼女の体調次第、おそらくは彼女がわがままを押し通したのだろう。
正確なところを知るすべは無い…しかし俺は感じ取ることは出来たのだ…
今は刑事事件やっていないが、登録してから数年は国選を年20件くらいやった。最初の就職地は首都圏ではあるが支部管轄だったので国選がかなり回ってきて、民事が手薄な新人には重要な収入源だった。
被疑者国選のほとんどは自白事件なので情状弁護をすることになるが、過去は変更できないから犯情事実でできることは少なく、したがって理論上は量刑に与えるインパクトが最も小さい一般情状の、さらにその中でも示談・環境調整・反省が仕事の中心になる。示談によって被害の回復を図り、環境調整と反省によって再犯防止を図り、これらの事情を起訴・不起訴の判断や量刑に反映させるのが仕事である。
謝罪文や反省文というのは、被害者を慰撫して示談の可能性を高めるツールであると同時に、本人の反省の深化・具体化を促すとともにそれを証拠化するツールでもある。というか、すばらしい謝罪文があるから示談できたなどということはまず無いので、主な目的は反省の深化・具体化と証拠化である。
さて、そこで被疑者に反省文を書いてもらうのだが、累犯前科者でもない限り、初めはまず非常に薄っぺらい反省文が出てくる。多少文字を書ける人でも、書いてくるのはせいぜい「反省しています」を「海より深く反省しています」と修辞しただけのものに過ぎない。
そこでより深く具体的な反省を促すために、被疑者に課題を与える。たとえば被害や影響をもっと具体的に想像させる。被害者への言及がなかったなら被害者はどう感じたと思うかを書かせ、「被害者は怖かったと思います」と書いてくるならその恐怖を味わった人はその後その時間その場所を避けて生活するといった行動の制約が出てくるんじゃないかと想像させる。そういう形で、犯罪者の自分本位な視野を広げるとともに、より被害者の視点に立った再発防止策を考える手伝いをする。
こうして深化した反省を、十分に反映された反省文として証拠化する。普通の人は、書くべきポイントをリスト化して良い順番で並べて網羅的かつ繋がりの良い文章を書くことはできないので、弁護人の方で草稿を作ってあげる。だいたいの被疑者は弁護士の文章を書き換えずにそのまま清書するので、弁護士の草稿はそのまま反省文の原稿となり、反省文は弁護士の作文という状況が出来上がる。
弁護士の作文ではあるのだが、基本的には被疑者本人の反省の内容と水準を反映したものになる。弁護士が考えた最高の反省文を書き写させたところで、被疑者本人の理解と実感が伴わなければ取調べや公判での被告人質問に到底耐えないし、反省文に含める具体的な再発防止策は被疑者本人の同意のもとでなければ外に出せないからだ。被疑者に全文を自書させるのは、反省文の内容を本人に内面化させるための手続きでもある。
被害者との関係でいうと、反省文というのはさして意味はない。だいたい犯罪被害者というのは犯人のどんな反省文を読んでも薄っぺらいものにしか感じないもので、示談のポイントは基本的に示談書に書く内容、すなわち示談金と再発防止(特定の場所への接近禁止など)だ。
ただ、これは私自身が一度失敗したことでもあるのだが、比較的出来の良い謝罪文を書く被疑者について、被疑者自身の言葉で反省を伝えた方が良いのではと思い、ほぼ修正無しの謝罪文を被害者に渡したところ、こんな汚い文章のまま出すなんて反省が見られないと立腹されたことがある(まぁそうは言っても示談は成立したのだが。)。謝罪文の出来が良いことで示談できることは無いのだが、謝罪文の出来が悪いのはリスクかもしれない。
謝罪文の作文のことを書いているのは、これを生成AIで作成した弁護士の話が読売新聞の記事になったからである。
弁護人が被疑者について「反省の気持ちはあると感じたが、(男は)文章を書くのが苦手で、とても被害者側に渡せる内容ではなかった」という状況下で、生成AIに「「改善策も盛り込んで」と繰り返し指示し、被害者の心情に配慮しつつ、男から聞き取った反省の言葉も盛り込んだ」謝罪文を起案させたというのは、背景事情を善意に解釈(記者の悪意を斟酌)するならば、通常の謝罪文作成プロセスとそう異なるものではなかったのでは無いか。刑事弁護人が被疑者に「反省の気持ちはあると感じ」るハードルはわりと高い。口や文章では立派な反省を述べる累犯者をざらに目にしており(累犯者の方が謝罪文を書き慣れていて、充実した反省文を書く。)、反省文の出来の良さと内心の反省に相関が無いことをよく了解している。
そんな謝罪文が量刑に影響を与えるなんてけしからんと憤る人もいるようだが、謝罪文は量刑理論の中でも最下層に位置付けられており、かつその内実も上記のとおりであることを実務家はよくわきまえているから、謝罪文それ自体で軽を軽くする効果はまず無い。
それでも弁護人が謝罪文を書かせるのは、その作成プロセスを通じて具体的・客観的な再発防止策や真摯な反省を促すことで、考慮に値するレベルの一般情状を作るためだ。手書きさせたのはロンダリングかという批判もあるが、本人という出力装置を介すことで本人に対する感銘力を企図していることは、大抵の被害者にも感じていただけていると思う(し、「弁護士の作文でしょ?」と聞かれた時に説明しやすい。)。
もう話せることは多く無いだろうけど、個人的に この人に聞きたいのは、
「学生の時、運動に参加したことを後悔しているか」ということ。
自分はリアルタイム世代ではないけど、戦後の学生運動は ブームのような側面もあったと思う。
有名人で参加したことを公言しているテリー伊藤氏も、「学校の使途不明金が気になっただけで、政治には興味なかった」「当時の日大は学生の7割ぐらいが参加していて、仲間のことを思えば参加せざるを無かった」と話しているし(結果、学生の投石が目に直撃して 斜視に苦しむことに)、山下達郎氏も「ミュージシャンになりたかったわけではなく、学生運動に参加したせいで一般企業に就職できなかった」と話しています。
読売新聞が自信をもって正しいと思っていたなら、
これは、自分達の取材が不完全で不十分で欺瞞に満ちていることを自白してしまったかのようにみえるんだわ。
日本のSNSでは一度でも罪を認めて自白したら、未来永劫叩かれ続ける。
後から真偽がひっくり返ってもだめなんだ。
普段から「マスコミはすぐウソを流す」とかデマを流してるとか批判が多いのに、実際に本当に読売新聞が自販機破壊の件で憶測のまま記事を出して誤解につながった件は
なぜか読売新聞を擁護する声が上がっているの、本当にただ感情論で物言いたいだけの人が多いんだろうな こんな奴らにいちいちマスゴミマスゴミいわれるのほんときっつ
穴水高校自販機破壊事件で続報がでて破壊者の一人がコカ・コーラに直接謝罪を行ったことが明らかになった。今回の続報でわかったことは以下のとおり。
・「責任者の許可を取った」という北国新聞の記事はまったくの虚報
・自販機の中の金がどこに消えたか(あるいは消えていないのか)については続報なし
・地震のときでも自販機破壊するのは犯罪(弁済は求めないだけ)
で、この記事に対する反応はなぜか読売新聞の報道を批判するコメにスターが集まっている。
なんで?本当にわからん。
全部、読売新聞のいってたとおりだったじゃねえか。
「責任者の許可を取った」ってなんだよ。加害者を擁護したかったのかもしれないが、嘘書いてるじゃん。あるいは北国新聞も騙されたのかもしれないが、いずれにせよ虚報を報じたのは北国新聞のほうだ。謝罪するってのなら北国新聞のほうだろ。
誰の許可も得てないのに勝手に自販機壊したんだよ。それも巨大なチェーンソーでバラバラにしたんだよ。避難住民が不安がったってのもそのとおりだろうが。読売は何も間違ったこと書いてねえじゃん。
でよ、読売と北国新聞の両方に言いたいことなんだけどよ、金はどうなったんだよ。どっちの新聞もなんでそこを追求しねえんだ。読売は最初、「金は消えた」って書いてたよな。これが真実なのかどうか読売ははっきりしろ。
想像でしかないが、避難所の現場リーダー的な人(声が大きい人とも言う)に
「緊急だから壊すぞ」と声を掛けた程度なんじゃないだろうか。
現場リーダー的な人は「お、おう」とか言ってる間に破壊が始まってしまって何も言えなかったかもしれないし
「仕方ないな」と言い合って勢いで壊してしまったかもしれない。
Pixiv とかで自作の絵をアップした後で消しちゃう人がいるけど、あまり好かない。
はてな匿名ダイアリーでも消したら、日記へのブックマークコメントで
…とか書かれることがある。
あまり知られていないが、
ネットの文化としてインターネットで共有したものは皆んなの財産だから、
読売新聞、なんか恨みを買うような事でもあったんかな🤔