はてなキーワード: 説話とは
新しいポケモンの化石ポケモンが話題になっていて、ずばりギリシャ神話のキマイラのことではなくて、普段からよく話題になる想像上の生き物で「複数の動物の特徴を掛け合わせているやつがいたなぁ」って思ったりしてたんですよ。
そいつ「ドラゴン」とか「龍」とかいう呼び名でよばれているんですけど。
個人的な分類なのでそれが常識ということは全然ないので構えずに聞いていただければ幸いなんですが、ドラゴンって呼ぶ時は西洋伝承の竜、「龍」って呼ぶ時は東洋伝承のリュウを意識しています。西洋伝承との比較の話題のときにはわざわざ東洋龍をドラゴンとかよんだりして自分からルールを破るので、本当にそこは私事ですよね。
ちょっと前にNHKの特集でドラゴン伝説に関する番組があったりしたんです。
テロップに「人類学者」「歴史学者」「宗教学者」って表示される人の他には、古生物学者さんとか比較生物学者さん、気象学者さんなんかもコメントしていたのが印象に残ってます。あと世間話でドラゴンって話題に出すときには、地理学を勉強している知人と話していることが個人的に多かったりもしますね。結構、色んな分野からドラゴン伝承というものを話題にすることができるってのは面白いなと思います。
古生物学的な知見から語るドラゴンとはずばり恐竜の化石の話でした。僕たちの世代ともなると人間何人ぶんくらいの恐竜の化石が見つかったとして、それは人類が成立する前の時代の、大昔の生き物の痕跡であって「こんな生き物がいまも生きて闊歩している」とは咄嗟にも思わない訳ですが、それは今日に至るまでの研究成果とそれを知識として普及できる教育の賜物であって、それがなかった時代の人たちはそうは思えなかったって話です。
番組ではルーマニアで有名な翼竜の化石が見つかっていると言及されていましたが、ルーマニアはドラキュラ伝承の元になったヴラド・ドラクル公の故郷ですよね。「ドラクル」という別名は彼の自称で「悪魔の子」って意味だとよく言われますが、本当は「竜の子」とかそういう自称だそうです。言語には明るくないのでもっと正確な意訳ができず恐縮でありますが、無知の身上なので「音が似てますもんね」とか言います。どうしてそれが「悪魔の子」だなんて受け取られ方をしたかと言えば後述したいと思いますが「ドラゴンは当時の人々にとっておそろしい敵役で、悪魔に連なるキャラクター」だったからです。竜の子なんて自称するのはその宗教的事情を考慮するならば自ら悪魔の敵役を名乗る型破りなことだった訳ですね。かなり話が脱線しましたが、竜の子ヴラドの伝説的な話が根付くルーマニアで、空を飛ぶ恐竜の化石が見つかっているという話がなんだか面白いなと僕は思う訳です。「無関係とは言えないだろう」とか僕なら思っちゃうし言いたいですし、当時の文献記録に化石の発掘らしき出来事の記述とかあるならそれは想像が捗るので素敵な話だと思います。
比較生物学的な見地からはいまも生きている生き物、特に蛇が槍玉に挙がっていました。ずばりって感じがします。番組では「何故ドラゴンは火を吐く?」という疑問に対して、蛇がちろちろと舌を出す様子に触れつつ、この蛇の習性が「誤った情報伝達の仕方をして」ドラゴンに火を吐かせるようにしたのではないかという話をしていたのでこれが面白かったですね。
まずドラゴンという想像上の生き物が成立する。次に「ドラゴンは想像上の生き物で、実物を人前に持ってきて伝えることができないから」人間は想像を絵に描いて伝えようとします。この間に、ドラゴンというのは実在しない生物なので、かわりに実在する他の生き物の特徴を取り込んでイラストとして出力されてしまう訳です。無いものを描くことはできないので、かわりに実際に有るものの特徴を代用して想像を膨らませていく。会話で比喩表現を使うようなもんですよね、「奴は蛇のようにずる賢い性格なんだ」とか「鳩が鉄砲で撃たれたような顔してるぜ」とか。
それで番組に出てきた絵なんですけど、たぶん火を吐いてなかったんですよ。イラストの横に難しいラテン語でびっしり説明文書かれていましたが、「これは火を吐いている絵ではなく、蛇のように舌をちろちろさせているドラゴンのイラストです」って言われたら僕はそれで納得してしまいます。そんな絵でした。
ところで遠い土地に住んでいる人に自分の描いた絵はこういうものだと事細かく説明できますか? 僕はそういうのが得意ではないので、しばしば伝言ゲームみたいになっちゃうんですよ。これが誰もが当たり前にまだラテン語を読めなかった時代で、聖書の記述すら読み書きの技術を持つ教会の神父様に読み聞かせていただかなればならなかった時代となると、もっと大変だったと思います。もちろん、そういう誤解が広がらない為にバチカンの偉い司祭様たちは色んな対策を立てたと思いますが、果たして「悪魔の姿形まで全員の意見を一致させようと手を回す余裕があったのか」はわかりません。イラストというのは文字や言葉より強烈です、写真の無かった時代ならそれは写真の代わりすらつとまったほどに。それでもやはり限界はありますよね。実際にあるものを観察して正確に描いたものなら兎も角、空想の風景を自分が見たことのある風景に喩えながら暗中模索で描きあげたらしいドラゴンのイラストですから尚更。もちろんそれを見せる相手が目の前にいたなら言葉にして説明できたでしょうが、その絵が本に載って遠い土地にいる人たちの手に渡った時、そして彼らが字を読み書きできないとかそもそも違う言葉を喋っている人たちだったりしたら、蛇の舌の絵が火を吐いているように受け取られたりしても即座に訂正したりできないのでそのまま広がってしまいますよね。
ここでちょっと本旨に触れていますが、空想上の生き物は実際にはいないのでそれが絵や銅像といった形にされる際、実在する動物の特徴をつぎはぎにして成立する時がある、というのが比較生物学的な知見で言いたかったことであるように思います。
恐竜の化石にしたって、伝説に語られるファブニールやヒドラそのものにしか見えない代物が発掘されている訳じゃありませんから。そもそも恐竜の化石から想定した想像図が最近すこしずつ変わっているらしくて、僕が映画で見たティラノサウルスはコモドドラゴンじみた堅そうなウロコに覆われた姿でしたが、いまは鳥のように羽毛が生えていたのではないかと言われているそうです。ここはもう少し言及すると、恐竜の末裔はいまも空を飛んでいる鳥、特に渡り鳥である、なんて話にも波及していきそうですが、僕はそのへん浅学なので触るだけで容赦していただきたく思います。
最後に歴史学、人類学、宗教学、あとすごく恐縮なんですが地理学から見たドラゴンの話をしたいな、と思います。ここがすごく自分が興味ある分野になるので話が長くなりそうなんですが、そのほとんどが他の人からの受け売りの知識・聞きかじりの知識であることを先に明言してから話したいと思います。この話を僕にしてくださった皆様に限りない御礼と尊敬を。
まず、先程までドラゴンが火を吐くのは、蛇の舌の特徴を取り込んで描いた想像図を見た別の人が、その絵の様子を「火を吐いている」と誤解して広がったからではないのか、と話題にしていました。さらにここを掘り下げて「何故火を吐いている姿に見えた(誤解した)んだろう?」という話をしようかと思います。
ドラクル公の話にも戻りますが、西洋ドラゴンは悪魔に連なる存在であり、人々にとっておそろしい敵役だったと言います。これは特に難しい理由がある訳ではなくて、人間より大きく、翼を持っていたり、人間の頭を咥え込める大きな口にずらりと牙が並んでいたり、ずばり「人間に噛みついて攻撃してくる蛇という生き物が人間よりでかかったら食べられそうで怖い」という恐怖心が、当時の宗教的道徳観で形成されている独特の恐怖心とつよく結びついた結果だと思います。恐竜は人間を食べそうだから怖い、ドラゴンは人間を食べるから怖い、悪魔は地獄にいて人間に悪いことをするから怖い、というのが全部同じ話になってしまった時、「ドラゴンは悪魔の手先である」という話になるんですね。そこにバチカンの神父様まで話を合わせはじめるともう誰も待ったをかける人間がいなくなる。恐怖とは使い方があるのです。「食べ物を粗末にすると目が潰れるからしてはいけない」なんて言い回しが日本にはありますが、本当にそうなのか?といえば絶対にそんなことないですよね。それが本当の話になってしまうと、目が見えない障がいと向き合って生きている人たちはみんな「食べ物を粗末にした」罰でそうなったという理屈が通じてしまうので大変失礼な話になります。ぶっちゃけこの言い回し、嘘か本当かで言えば嘘の話ですよね。でもいま食卓に並んでいる食べ物を、少なくないお金を支払い、少なくない労力を駆使して調理し、なんとか苦労して食卓に提供し続けている親からすれば、それを子供に台無しにされるのはひどくつらいことであるしその悪癖を矯正しないまま大人になっても子供のためにはならないからなんとかやめさせたいと思うのは当然なわけです。しかし、突然の家庭不景気に陥れば金銭交換ままならず明日にでもご飯が食べられなくなるという話を、お金の単位すら知らない無知の子供に納得してもらうまで言い聞かせるのは大変な交渉スキルと言語センスを必要とされます。これが「何故人が人を殺してはいけないのか?」「何故人が人から物を強奪してはいけないのか?」というレベルから説明しなければならないとなれば途方もない気分になってきますよね。なのでそれを説明する側は、悪いことをしてはならないという理由として「悪いことをすれば怖い目に遭う」と方便…つまり一種の嘘を用いるという苦肉の策を導入することにしました。これが日本で言えば「目が潰れる」とか「人攫いにあう」とかで、キリスト教が国教である場所では「悪いことをすれば悪魔のいる地獄に落ちるぞ」とか言われるようになる訳です。ドラゴンに食べられるのは誰だって嫌ですよね、僕はジュラシックパークでティラノサウルスに食べられるレベルから嫌ですしサメだって怖いですから、悪行に対する応報としての悪魔、地獄で罪人を責め苛む悪魔がドラゴンを操るなら当時の人たちにとって2倍の怖さになる訳で、時の宗教家たちはおそろしいドラゴンを悪魔に与えることでみんなが神の御言葉をもっと信じて慎ましく穏やかに生活する世界(=悪人が悪魔とドラゴンをおそれて悪行を思いとどまったり、間違えてからでもそれを悪いことだったと反省して償いをする世界)が形成されることを期待したわけです。なので実は違う種類の複数の恐怖が、宗教道徳という枠組みの中で融合するのは全然難しい話ではないってことですね。ドラゴンが英雄に退治される話が多いのも似たような理由です。人間の勇者が悪いドラゴンを退治して財宝と美しい伴侶を獲得して幸せに暮らす…というのは敵が強いぶん本当にそれを乗り越えられるならば素晴らしい成功であるように思える訳ですね。実際に、ドラゴン退治の伝説は宗教に組み込まれた結果、聖ジョージのドラゴン退治など、有名な宗教説話としてたくさんの人々に親しまれています。強いドラゴンが悪であったほうが都合がよかった時代や場所があったということです。
この長い前提があって、ドラゴンが火を吐く話が続きます。まず多くの宗教において死者の国・地獄とは地下世界に想定されます。そして程度の差はあれど、地獄とは炎の世界で、罪をおかして死んだ者はその炎に焼かれてずっと苦しむと説かれます。これはキリスト教も例外ではないというか、悪魔が住む地獄とはその典型例であるように思いますね。何故地獄が燃えているかと言えば、人間が火に焼かれる痛みを強烈に忌避する話の他に、古い時代の街並みが火災に弱いというのが挙げられます。日本でも江戸時代の平屋づくりなんか想像してくだされば分かりますが、木材を含む家屋が道の両脇にずらりと並んでいるのは火災に脆弱なんですよ。火災の真の恐ろしさとは「燃え移る」「燃え広がる」ことです。デマゴーグが人々の間であっという間に拡散して個人の名誉毀損の度合いがもう取り返しがつかなくなってしまう様子を「燎原の火」などと喩えますが、あれは草原に火を放つと一瞬で更地になるほどの規模の火災になることのようだと言っています。この草が家に置き換わったようなことが頻発しやすい都市計画というのが密集した家屋群にあたります。隣の家同士の距離が近ければ近いほど深刻だという認識で間違いないと言えます。対岸の火事なんて言い回しもあるんですが、実は一つの川を挟んだ対岸で火事が起こっているとしても、風向きと風速次第では火の粉が飛び火してきて火事になることも珍しくないらしいです。キリスト教の地獄の話をしているのでその圏内にある国の歴史を話題にするなら、ロンドンのテムズ川を挟んだ両岸の街々が飛び火が原因の大火事の被害に見舞われたことがあるそうです(これはNHKのドラゴン特集の受け売りです)。時代が昔に遡れば遡るほど消火技術というのが未熟なので、燃え盛る地獄のイメージが成立したほどの大昔となると一度家に火がつけば街一つ灰になるのも特に珍しくなくて、それが冬越し前ともなれば家の壁と屋根なしで厳しいヨーロッパの冬を耐えなければなりません。みじめなんてものではなくて、死にます。火事から助かったとしても家も財産も食べ物も燃えてしまっていて、最悪の場合助けてくれる隣人の家まで飛び火で火事になってて誰も助ける余裕なんかないとなれば、そういうのを「地獄のような風景だ」と言うのでしょう。これを避ける為に毎晩高台に見張りを立てるなどの習慣が根づいたそうです。ファンタジーでやぐらに立つ見張りといえば敵国の侵略者を瀬戸際で発見するだとか怪物が村や街に侵入しないようにする為だとかいうイメージで、もちろんそういう意味での見張りもありますが、一番怖かったのは火事だそうです。というか、敵国の兵士に火付けされることだってあります。火攻めとか言われる戦法で、この場合は侵略者と火事が同時にやってきます。侵略者は火で街の財産がすべて灰になる前に大急ぎで火事場泥棒をはたらくので容赦する時間的余裕はありませんし、火をつけられた街の住人だって火に焼かれるか人に殺されるかの極限状態ですから狂乱しています。ただの火事より、もっと大勢が死ぬでしょう。侵略者はまさに地獄からやってきた悪魔や化け物に見えたでしょうね。そうやって実際にあった大火災の惨事の記憶が、架空の風景である地獄のイメージを補強して、いまの地獄絵図というものがあるそうです。だから「悪魔の手先であるドラゴンが火を吐く(操る)のは当然だ。地獄からやってきたのだから」と言われれば、なんだかすごく話の筋が通っているように思いませんかね?
その上で更に別の解釈を交えます。地獄は地下世界にあると先述しましたが、地下にあると言えば何を想像するでしょうか。道具や芸術品の材料や貴重品そのものとして今でも生活の身近にある鉱石や宝石も地面の下から採掘される資源です。しばしばドラゴンは財宝と関連づけられることを思い出させられますね。化石も地下から現れることが多いです。ドラゴンが地獄に住まう悪魔のペットであることと、ドラゴンのイメージを形成するのにひと役買ったらしい恐竜の化石とがつよく関連づけられるような気がしますね。それで、マグマも地下には流れていますね? マグマによる火災被害、つまり火山の噴火というのはそれほど頻繁に起こる訳ではありません。少なくとも、毎日地球のどこでも火山が噴火しているともなれば人間の生存圏はもっと狭くて、地球は人間には住みづらい星だったでしょう。将来的にそうなるかもしれませんけどね。それはそれとして、噴火は頻繁に起こらないので毎日人間がマグマに殺されているというほどではないと思いますが、それ故に今でも予測して対策が立てづらく一度起こってしまえばおそろしい被害規模となる天災でもある。邦画にもなった漫画テルマエロマエの舞台くらい昔のローマにおいては、伝説的な火山の噴火によって当時の大国が大打撃を受けたらしい…そしてそれはただの伝説という訳ではなく、地質学や考古学的な研究からも実際に大災害が起こっているという史実的な話だそうです。ところでテルマエロマエという作品に触れましたが、これはお風呂をテーマにした漫画です。日本でも観光地各地が抱える温泉施設というのは間欠泉という自然現象を利用したお風呂であることは周知ですね。この間欠泉…温泉というのが、地下の水源がマグマによってあたためられて地表に噴き出す現象で、多くの温泉はそのまま人間が入浴するには適さないほど高熱だったりします、死ぬような大火傷を負うほど熱いこともあります(程度の差はあり、中には最適な Permalink | 記事への反応(1) | 14:56
しかしいま、こねこを迎えておとなねこになったうちの愛猫(あいびょう)を見るとちょっと違うんじゃないかと思うて書いてみる。
生まれたときは80gとか100gとか。うちの場合はミルクボランティアさんに育ててもらって300gくらいのときにうちに来たのかな。
両方の手のひらにちょうど収まるくらいだった。
いま、4歳半。2015/5/7(推定)に生まれた女の子。体重はちょっといえない。
かかりつけの獣医の先生からはいつも「立派に育って。お水を飲む量の変化には気を配ってくださいね」と指導を受ける。
大きいもふもふが、小さいときの甘え方で、あとをついてきたり、サイレントで鳴いたり、ごはんをねだったり、見つめてきたりする。
なんか、得した気分。
仕事で顔が見られない時間帯は、ツイッターで「(ねこの名前)ちゃん(´;ω;`)」てつぶやきます。
朝晩に水を換え、神と崇めます。
ねこの4歳半は、人の30歳過ぎ。
避妊手術を受けてもらったことは、いまだに答えのない問いとして、下僕の胸の一部を占めることも。
なんとなくだけど、下僕のことをパートナーと思ってくれている節を近頃は感じます。
うち、3にゃんいるんだけど、その中で自分が正妻(?)と思ってる感じ。あー叩かれそうだw
先々の杞憂だけれど、おばあちゃんねこになって、身体が少しずつ、しぼんでいくのかな。
まだ、先の話だけど。でも、この4年半は、とっても早かった。
うつ病と診断されていくら経ったろうか、もうパッと答えられるほど最近ではない。確か思春期外来にかかって、そこでうつだ、と言われた。恋愛と部活で悩んでいた中学校の私は、はっきりと、そこでうつと言われた。今ではそれしか覚えていない。その後、自分に都合のいい親は私をクリニックから引き離した。我が息子がうつであるはずがない、こんなに他人とも関わるのが好きで(好きではなかったが彼らにはそう映ったらしい)そして何より明るい人が、そんな病気にかかる訳がないと。当時、文字を読むのとかがそれほど嫌いではなかった私は必死で自分の病について調べた。どんな人がなりやすいのか、どういう治療法があるのか、こんな体験談があるのか、僕は果たして治るだろうか―――そうでもしていないと、冷たい彼女のこと、部活で受けるいびりを思い出してしまうからだ。頭を動かして、紙に文字を書いていれば少なくともそちらには気を取られなくて済む、そう思った私はひたすらに本とにらめっこをしていた。ただ、それでも原因から離れられない日々は間違いなく僕をおかしくしていた。親は投薬も、休学も認めなかった。それも嫌だったが、留意点として教師など、知るべき人にも僕が鬱である由は伝えられなかった。ただ、それでも僕は死んでいない。これは僕が死んでいないからうつでも平気だよ!なんていう詭弁を書きたかったものではなく、うつというのは周りの人も協力してあげないと決して治らなくなるものだ、と言いたいために書いていることは了承しておいていただきたい。それでも常に自殺は脳裏に浮かんでいる。従来の自殺は美しくない、死ぬときは牡丹のようにぼとりと落ちて死にたいと思っているだけで、もしそのように死ねるものがあれば、直ちに使ってしまうかもしれない。
これを何故書いているかというと、とうとう投薬が終わったからだ。それは僕が良化傾向にあるからではない。むしろ真逆の、薬が効かないという事態になったからだ。長期間に渡り抗うつ薬を処方されていた僕は、親に隠れてでもこっそり飲んではいた。でも、原因が近くにありすぎること、またその環境から経済的にも、精神的にも自立して逃げ出せないことでその場しのぎの安楽剤にしかなっていなかった。まぁ、首を吊りそうになったときとか、割と助かりはした。でもとうとう、それも効かなくなりつつあった。この間自殺未遂まで行ったからだ。早期に発見されてしまったので、今も意識は清明、思考の混濁もない。(無いと言ったら嘘になるかもしれないが)
こうしてみると、仏教の説話の蜘蛛の糸だとか、信じる者は救われる系の話にすがりたくもなってきた。それでもダメなものはダメだった。ただひたすら鬱屈とした自分が襲いかかってきて、たちまち意識を占拠されてしまう。毎日この繰り返して、今僕は一番勉強すべき時期に差し掛かっているのだが、一向に進まない。それに受験のことを考えてもダメになる。いっそ考えるのをやめたいとずっと思っている。脳が腐ってしまえばいいのに。臓器カードは準備できているのに。
今の自分を一度自分から離れてみると、子供のときに見た蟻地獄にハマる蟻を思い出す。藻掻いて藻掻いて、砂がじわじわと迫ってくる。はてには埋もれて死んでしまう。色んな人に言われる。うつの知識がないような人から、毎日をより良くしようとは思わないの?とか苦しいのを楽に変えたくないの?とか。そんな元気があればとうに打つ手は打っている。それができたらこうはなっていない。もう何をしようが、どう動こうがこのまま砂の渦の底に追いやられるのは自明で、それが早くなるか遅くなるかの差でしかない。こう思って、毎日蟻になってしまった僕は暮らしている。
このブコメ群。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180913-00289302-footballc-socc
これに
kotobukitaisha
肯定的な反応が多くてびっくりする。国家のイベントをちょっと邪魔しただけで、
samp_erg
と付いている。どちらも☆を集めている。
ブコメ数が今現在で357、kotobukitaisha(柿の人)のブコメ集まった☆が224、samp_erg(デフォルトの人)のブコメに集まった☆は159。
これを検証してみたい。数字はすべてこれ書いてる現段階のもの。増田がログインしてる状態なので正確ではありません(非表示にしてる人は2人だけなのだがログアウトが面倒だったので)。
☆連打とかしてたりするかもしれませんがそんなの面倒なので数えねえ。
その中で増田から見てうーむ、と思ったものをピックアップした。繰り返しますが増田は割と左巻きなので左巻き視点です。
割と多くの人が酷いと思うのではと感じたのは2件。ブコメ16件中の1割。増田はW杯全試合できるかぎり生で見てやろうと寝不足と戦ったほどのサッカーフリークだが、1割がこの事件を肯定的に捉えてると考えたら多いなと感じる。
さらに、あくまでも左巻きな増田のごく私的な目線で見て、うーんこれはちょっとどうなんかなぁ…うーん、ともやもやしたのは9件。左巻きに偏った目線で見ると50%以上のブコメが状況の酷さに対し軽いなと感じた。
酷いもの
kingate さすがプーチン。アベもこれぐらいやっていいよ。それでやっとサヨ・反アベが恐れる内閣総理大臣(笑)になるから。
mouseion スポーツに政治介入したら駄目という事で政治には政治で目には目をという古典的なやり方で報復したのは何か可哀想とも思えず自業自得だよなぁ。クロアチア逆転の絶好の機会をこのカスどもに潰されたものな。消せよ。
anschluss ロシア政府の蛮行を非難こそするが、この試合と選手を侮辱した馬鹿共に同情はしないぞ。
kitamati まさに国の威信をかけたイベントで最高に盛り上がってるところであんなんしたらなぁ… でもプーチンは「然るべき処置をしたまえ」くらいしか指示しとらんのだなとも思えるのがまた怖い
karatte プッシー・ライオットって左翼系バンド的な触れ込みだったのに、この記事とか見るともう音楽活動の面影皆無だな→“ロシアの反政権の活動団体”だもん
Rydeen7907 「毒を盛られた」っていうニュース、およそ現代の出来事っぽくないインパクトあるなぁ。
orangehalf おそロシア
bornslippy プーチンも毒さえ盛らなきゃいい人なんだけどな
柿の人が嘆いてから、デフォルトの人(samp_erg)が、肯定的なコメント見つからんけど?と言うまでの間にあるブコメは34件残存。そのうちの気になったものをピックアップ
酷いもの
torino-for-no 国家のイベントをちょっと邪魔したからじゃなくて、ピッチに立っていたクロアチア人の人生を大きく邪魔したからこの人達に怒りを覚えているんですが。俺あのカウンターが決まった世界を見たかったんだよ。
yujimi-daifuku-2222 ここまでの過酷な仕置きは強く批判されるべきですが、たかが国家イベントなんて意見も逆方向に触れ過ぎて、バランス感覚を逸している。/その巨大イベントを成功させる為に努力した多くの人がいる事を忘れないで下さ
茶化してるやつ
inforeg 毒盛!
misomico おそロシア定期
hogefugapiyox おそロシア
inatax おそロシア
k_oniisan おそロシア。
おそロシア言いたいだけっぽい茶化し系のブコメが増えている。まぁそういう理由もあって、柿の人がブコメをした時点よりも、ひどいブコメの印象が薄くなってるというのはあるのではと思う。
あと、デフォルトの人(samp_erg)に☆が集まったのは、ざっくりとPC的な、リベラル的なものを嫌ういつものはてブしぐさではあるようにも感じた。
増田は全試合見たサッカーフリークだが、だれが犯人であろうが許せることではない。これが本当にロシアサイドの粛清的な行為であるとしたらもちろんのこと、他の誰かであれ、毒もって人を殺そうとすることは許されるべきではない。たかがサッカーだぞ。サッカー好きが言う「たかがサッカー」の重みを知れ。たかがサッカーだ。
それが国家プロジェクトだろうが、モドリッチがどれだけ薄幸の美少年みたいに見えようが、グリエーズマン(石野卓球似)がいかに素晴らしいプレーを見せようが、デシャンがいかに現役時代さながらの性格悪さ爆発の名采配を振るおうが、その試合を中断させたということで殺されるようなことがあるのは、許せない。むしろ、素晴らしい試合だったからこそ、その中にもぐりこんだ人が殺されそうになったということが「政治的な意図を持った乱入」よりもずっと汚点であると思う。
増田はモドリッチを偏愛しておりクロアチアに大いに肩入れをしながら見ていた、あの試合のエキサイティングさや切なさは理解できる、あそこに乱入がなかったらもっとすごいものが見られた可能性も理解しているしモドリッチが、クロアチアがW杯を獲るなんてことが起きていたら…と考えるだけで2か月経った今でも胸震えてくるが、それでもその代償として毒殺を企図されるほどのことだとはどうしても思えないのだ。
アイドルマスターミリオンライブシアターデイズのBlooming Starイベントもようやく結果発表が終わったので反省会。
ステラステージやってるPから聞いていたものの想像を超えて圧巻の一言だ。
詩花は才能があって、帰国子女のエリートで、誰からも愛され、敵役の黒井社長に反抗することができる。
Pや各アイドルは皆初対面で尊敬と畏怖を覚える。詩花の彼らに対する洞察はまさに神の視点であり迷える彼らを導くことができる。
ついでに詩花はPやアイドル達を褒めるのも忘れない。虜にした盲目的な信徒どもに飴をくれてやるのだ。
まさにメアリー・スーの神だった。
ぶっちゃけ詩花のどこが優れているのか壁の向こうから見ていて皆目見当が付かないが、劇場のアイドル達は精神汚染されて詩花マンセーしかしないので口を閉じる他無い。我々は彼女達が冷やかしのように口々に褒めそやすその言葉を信じるしかできない。詩花は不可侵であり本質的に高次存在のようだった。
昴は上位報酬イベントの主役の座を奪われたのにもかかわらずイベコミュから覚醒コミュまで神に尻尾を振り媚び諂う姿には涙を禁じ得ない。諦めよう。昴みたいな不人気より大人気アイドル詩花の方が主役の方が皆嬉しいんだ。神のお陰でイベントのポイントが伸びるんだ。感想を探している時に誰かが言っていたのを見たが、ミリシタの盛り上がりと発展のためには多少の犠牲を厭わないべきらしい。
今回コミュに出てた連中は詩花神を持ち上げるために適当に集められたような内容だった。まさか報酬なのに添え物にされるとは思わなかった。
つーか誰だこいつ。1周年祝った直後になんで知らない奴が主役なんだ。
ここで考えられる一番悲惨なパターンはゲーム内のブログを見てあの五人が新曲を歌うのを楽しみにしていたPだろう。が、リアルイベントの発表を知らないPはPにはカウントされないので仕方がない。詩花神を知らないステラやっていない奴もPではないので人権は無い。真面目な話、新規を意識して来れなかったコンテンツの力の無さが露呈したかに見えた。
このイベントを走っても称号はBlooming Starなので走った奴は昴のために走ったのか詩花神のために走ったのかわからない。走らなければいいんだが、詩花神の教義に反する邪教徒にうっかり転んでしまったPが昴を4凸にしないといけない使命を抱いていたら悲惨だ。
上位報酬になったアイドルの称号と担当の誇りために走るという需要は周年イベントの加熱っぷりを見て案外馬鹿にできないと思ったが、果たしてこれで走れたのだろうか。
まあ「そんなのやめれば?」という意見も散見された。走らない大多数にしてみればそりゃそうだろうが、それを言ったら甲斐が無い。
自分は担当だったらどうしていたかわからんが、そういう種別の人間の実数が少なそうな昴が報酬でまだ良かった結果だった。詩花神も趨勢を読んで下僕は選ぶんだろう。
この仕様のせいで詩花がいかに神であったかが問題の焦点にならなかったもまた説話的な小賢しさがある。
歌い分けとか実装するのでアイドルの組み合わせられることがメインのゲームだと思っていたが、まさか専用曲の概念が出てくるとは思わなかった。遊びの幅を狭めてくるとは。属性13人ライブ曲で縛りが入るのはただのエッセンスくらいに思っていたがこれは無い。
しかも765じゃない部外者の詩花神専用曲だ。この神しかステージに出てこない。誰を編成してもステータスやスキルだけが神に捧げられ、贄の力を持って神は下界の信徒たちのために舞う。
聞いた話では、劇場のアイドルのソロ曲は共有資産だが詩花神の神曲を侵すことは何人たりともあってはならないという判断らしい。そんな虫のいい話も神なら道理が通るという。
おかげでパターンは1通りになった。こんなの一回見れば十分だ。
組み合わせ爆発を誇るゲームは誰しも心のどこかで馬鹿にしていたかもしれないが、いくら神だろうがこいつの顔だけが見たいわけじゃないんだ。
コミュの設定を無視してポスターに割り込んでくるクソ神。現実改変を食らってしまったようだ。
詩花が人間だったらまだ愛せたかもしれないし、詩花上位なら「詩花 嫌い」がレコメンドされ続けることは無かったハズ。Blooming Starをイベント後でもいいから劇場のアイドルも踊ることができれば「普通に遊べる曲が増えた」と喜ばれた。
しかし現実はこの問題のどれか一つでも回避することはできなかった。全く非情である。何か神的な力が働いていたに違いない。おのれ神。
ハエ取り紙が格好悪いと思うお年頃、みたいな話だと記憶してる。
そもそも乾物屋という商売が馴染みが少なすぎて感情移入出来なかった。
思春期にありがちな、つまんないことでのコンプを描くなら、もうちょい馴染みやすい話を入れてくれたってと思う。
「字のない葉書」
戦争イコール悪とかではなくて、その時代で生きる人々のリアル、家族愛、みたいなことを伝えたかったんだと思うのだけど、中学生には無理だと思う。
くらいにしか思えなかった。
映画の「この世界の片隅で」を中学生が楽しめるのかという感じ。
どうせならもっとコテっと、野坂昭之あたり読ませて大泣きさせた方が。
「走れメロス」
なんで太宰をここでもってくるのか。
痛快さなら、「坊ちゃん」、説話っぽいやつなら、「鼻」でよくね?
追加
鬱エンドなら、やっぱりヘッセかなと思う。
ブッダは運動・野菜・睡眠を勧めてはいない。食事に関しては、お布施されたものは何でも食べろと言っており、肉食も禁止していない。
後、瞑想(厳密に言うと瞑想と仏教の禅定は違うが、面倒なのでここでは同じものとしておく)しろとは言っているが、それだけを熱心にやっていても悟れるとは言っていない。それどころか仏教では修行の結果、自分が優れた人物だと「勘違い」した状態を「増上慢」と呼び、きっぱりとそれを否定している。
仏教の説話を見ていると、須梨槃特や慧能のように瞑想に執着せずとも悟れた僧侶の例がいくつか出て来る(もちろん摩訶迦葉のように修行に熱心だった人も仏教では否定されるわけではない)。
よってb:id:xevraさんははブッダ的でもなければ仏教的でもない。こんな冗談みたいな記事にマジレスするのが馬鹿馬鹿しいと我ながら思うが、一応指摘しておく。
また仏教とは関係なく、b:id:xevraさんの瞑想への執着は却って本人のメンタリティに悪影響を与えているのではないかと推察される。瞑想は手段であって目的ではない。一度、適切な指導者の下で瞑想なり禅定なりを行うことを勧めたい。
覚醒したり、パワーアップしたりするときに長髪になるキャラって多いですよね?
ぱっと思い付くだけでも、
・うしおととら(1990~)の潮(獣の槍所持時)
※厳密には髪が伸びているわけではないらしい
・幽遊白書(1990~)における幽助
などなどたくさんいます。
(変身すると髪が長い、というとWILD HALF(ワイルドハーフ)もそうですね。)
なぜみんな髪が伸びるのでしょう?
まず、覚醒したり、パワーアップしたりしたことを分かりやすく示すためには、見た目ががらっと変わることが必要です。
そのような演出上の必要性があるから、髪が伸びるのかもしれません。
・眼の色が変わる、瞳に模様が浮かぶ
ハンターハンターのクラピカ、NARUTOの写輪眼、輪廻眼、仙人モード、BLEACHの虚化、Get Backers-奪還屋-の聖痕(スティグマ)、新世紀エヴァンゲリオン
※ブコメで指摘を受けて、キング・ブラッドレイは削除しました。
・髪の色が変わる
ドラゴンボールのスーパーサイヤ人、武装錬金のヴィクター化、東京喰種
・肌の色が変わる、紋様・模様が浮かび上がる
武装錬金のヴィクター化、七つの大罪のメリオダス、アメコミのハルク、ONE PIECEのルフィのギア4、進撃の巨人、金色のガッシュ!!
・光をまとう
ドラゴンボールのスーパーサイヤ人、テニスの王子様の無我の境地
これらのパターンと違って、髪が伸びた場合、キャラクターのシルエットそのものが変わるため、使い勝手が良い、ということはありそうです。
江口洋介や木村拓哉などに人気が出て、男性の長髪が流行したロン毛ブーム。
これが起きたのが1990年代でした。
当時の、男性の長髪がかっこいい、という風潮が影響しているのかもしれません。
覚醒すると、強力になる代わりに理性を失ったりするのもお約束の一つです。
そういった性質の象徴として、髪が伸びて野生化した姿になるのかも。
ライオンのたてがみのイメージが根底にあるのかもしれませんね。
覚醒シーンにおいては、その人物の怒りが伴うことも多いです。
「怒髪天を衝く」という言葉もあり、髪の毛が逆立つのは怒りの表現。
髪の毛が伸びて逆立つのは、そのキャラの怒りを象徴とも読み取れます。
詳しくは知らないですが、プリキュアシリーズ(2004~)や美少女戦士セーラームーンシリーズ(1992~)など、魔法少女モノでは、変身して髪が伸びるイメージがあります。
これらについては、ターゲットとする女児のあこがれ、「大人の女性」の象徴として、髪が伸びている側面もあると思います。
ただ、少年漫画等とも、「髪が伸びて、変身・パワーアップ」というところでは共通しているので、こちらの方にルーツがあるのかもしれません。
旧約聖書の登場人物、サムソンは、怪力の持ち主ですが、その力の源は、髪の毛にあります。
髪の毛が力の源という発想は、このあたりから来ているのでしょか。
※ブコメでの指摘によると、髪の毛がというより、髪の毛を切らないという誓約の問題のようです。
丑の刻参りの方法として、相手の髪の毛が必要とされる場合があるように、宗教・呪術的にも髪の毛が重要な場合があります。
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=507
きちんと確認できていませんが、ギルガメシュ叙事詩におけるギルガメシュ(ギルガメッシュ)は、長髪が抜けると力を失うようです。
ギリシャ神話では、髪の毛に関するエピソードとして、メドゥーサやかみのけ座の話がありますね。
古来から髪の毛には何らかの力が宿るとされきたんですね。
憶測と疑問形だらけで結論は分かりませんが、思っていた以上に「覚醒して髪が伸びる」のルーツは古いところにありそうです。
あれは、アンパンマンのビジュアルありきの設定なのと、髪の毛があったころが描かれていない(たしか)のでちょっと事情が違いそうです。
フリーザは、元々髪がないですが、シルエットがすっきりするという意味では逆のパターンですね。
ブコメでは、時間の経過の表現、異形化系の説話と設定上の都合、動物の威嚇、成熟期の発毛、歌舞伎など色々な指摘があって興味深く読ませていただきました。