はてなキーワード: 説明とは
この日記は愚痴であり、閲覧する対象も『TRPGプレイヤー』と過程しているため、専門用語の説明はありません。
実家暮らしこどおばが「卓が忙しくて就活できないんだよねw」と発言し違和感を持ったから。
余暇(ゲーム)が忙しくて就活できない。は、現実逃避じゃないの?と自分は思いました。
こどおばの生活について口出しして責任等が発生したらたまらないから何も言わなかったけど、
やることをやらないで余暇の予定ばかり立てて「日程ない!」とか「立ち絵忙しいw」とか
それで「就活する時間無い」は、甘えすぎだろwwwwwwwwwwwww
TRPGに逃げてるだけwwwwwwwww
行きたいシナリオがたくさんあるのはみんな同じ。そして、社会人は生活の隙間にTRPGをしている。
実家暮らしこどおじおばが生活削ってTRPGして「就活する時間無い」は、無いでしょ。あたり前じゃん、逃げてんだから。
実家で就活せず遊んでいても許される環境で良かったね、私は自分の子どもがそうなったら嫌すぎるわ。
お疲れ様。
まあ、実際、新NISAで飛びつくレベルの個人でやれる範囲だとお勧めできそうなものって殆どないと思うけど
ただ「円安になって銀行預金が毀損してる! 早くNISAしないと!」とか言ってしまうブコメを見ると
「じゃあシンプルに米国債やドルMMFをお勧めしたほうが、預金に性質が近くて良くない?」と思ってしまう
少なくともオルカンに手出しできる環境を構築したなら、もうMMFも気軽に手出しできるわけだし…
(実際は為替変動リスクは滅茶苦茶リスク高いから、今が円安だからと銀行預金がリスク高いよねと説明するのが間違ってるんだけど)
特に、20代から投信積立は総資産が少ないだろうから、彼らに投資を勧めるの怖いよなといつも思うんだけどさ
30歳ぐらいで人生の大きな転換点が発生したとき(まるきり違う職業に行ったり、起業したり、結婚出産子育て離婚家庭トラブル等々があったり、普通に個人ごとの変動は多い)、手元の資産のそこそこの額がNISA投信で動かせないってまずいでしょ
20~40歳ぐらいまでは人生の方針転換って、これからは特に普通に考慮に入れるべきだと思うので、「若いうちから投信しといたほうがお得」は、滅茶苦茶怖い言説がまかり通ってんなと思う次第
投資信託なんて40代半ばで子育て終了も見えて、自分の能力を顧みてデカいイベントはもうないなという枯れ気味の人のための選択肢だと思っとくべき(40過ぎても俺はまだやれると思ってる人は他人に金の管理を任せる方がおかしい、とも言える)
正解だが間違ってる。
宗教に、社会を維持したり、倫理をもたらしたりする機能がある(かのように働く)のは間違いないよ。
でも宗教があるからそれらの効果が得られる、とか、それらの効果を得るために宗教が作られた、とかではないんだよね。
例えば、火山が爆発する→なんで爆発したんだろう?→山の神が怒っているからに違いない→山の神宗教の発生、このように宗教は作られたはず。
重要だったのは、「なんで爆発したんだろう?」と疑問に持つ能力、因果関係を類推する能力を、人間という生物が保持していることが、宗教の発生原因だ(と思われる)。
で、疑問を持つ能力が起点にあるという話は、他の全てとに言えて、
なんで子供を育てないといけないんだろう?→神がそれを正しいと言ってるからです
なんで地域で助け合うべきなんだろう?→教会が伝統的にそうしてきたからです
このような説明がされる。
結果的に人々は「宗教があるからそうしている」ように見えるのだが、
別に宗教が無くなるまえからそれはやっていた。宗教が無くても持って生まれた善性や教育で、そういうことはやっていたはずだと思われるのだね。
宗教が無くなったことで、なにか倫理が無くなったかのように思われるのは、実際には無くなっているのは「宗教」ではないはずだ。
いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい
8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社に中途採用された際に同時入社の同期が1人いた
自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である
入社した会社はその時期に基幹システムの刷新を考えていたらしく
その募集でシステム部として採用されたのが自分とその同期であった
当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B
2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった
会社としては基幹システムの刷新以外にも社員の世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある
60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代の自分
確かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10年単位で20代を採用することを繰り返せばいい感じにも思えた
入社してからの仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システムの仕様理解に日々の業務の引継ぎ
そんな多忙な業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた
箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う
・今の会社に採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること
・受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEでまったり過ごしたいこと
・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う
また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた
・システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること
・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること
中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った
残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ
ただこれはシステムの刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた
自分は前職が完全にブラックで終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ
給料については会社の方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ
トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ
この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。
しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務のミスといったことから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた
この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった
たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった
しかし同期はそれもかなり不満だったらしく
残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり
翌朝、ホテルの前を出勤中の社長や役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業を強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという
そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aから聞いたことがある
そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時
しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレスが限界だったのか、もしくは両方か分からないが
上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉で収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった
なおこの時、上司Aは有給で休み、自分は電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった
そして同期は翌日、人事部に退職すると電話するとその後出社することはなかった
新システムの作成中データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することなく放置という状態であった
上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった
その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システムの作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上
運用部門の要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚
改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベルだ
そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職
会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員の採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった
その際に新システム作成が評価されたのと2名体制で苦労をかける事情からか自分は課長に昇進した、4年目のことである
新システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける
なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く
その度に彼が作ったコードは修正され、今では機能の殆どに彼のコードは残っていない
残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ
そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった
腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ
癌だったらしい
その時の会社の上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった
というのも新システムを作る際に運用部門の要望をほぼ取り込んだ結果
システム部の基幹システムに関する仕事はほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ
しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい
しかし実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ
同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた
そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員も退職する時期となり
そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく
起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた
バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた
同期の嫌がらせだったらしい
起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた
しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチも動作していない
※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから
このことは報告していないが、業務でバッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す
もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない
もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない
もし彼が残っていたら運用部門からの要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない
いや最後のは無理かな
作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし
ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある
世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ
アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコンも自身の顔写真にしており間違いないと思われた
また次(の次?)の職場で残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった
うちの会社を退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた
そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった
要約するならこうだろうか
社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった
直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイトな職場でまったり仕事中です
彼の中でうちの会社は有用スキルを持った人間を無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい
しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても
現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない
そして彼の新しい職場は現在のSNSの投稿を見るに彼基準ではホワイトな職場ではないと自白をしている始末だ
ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが
上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう
彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという
どうやら彼はこの連絡を会社からの謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない
RTAと全く関係の無い漫画でケツワープが説明も無くしれっと出てきたけど、RTA動画見てない人には判らないんじゃないかな。
youtubeの常識は世間の常識みたいに出てくるけど、実際どうなんだろうな。でも老人向けのアナログ電話とか最近話も聞かなくなったしな。時代が変わったのかも知れんな。
何が問題かというと主に電気や光回線などのインフラ回りに関してだね
さすがに住所変更や免許更新とかの定番のものはクリアできるけど、逆に光回線とか頻度が高くなく知見が貯まりにくいものが面倒だ
今回失敗したのはその光回線で、1か月後の引っ越しに合わせて回線契約をした
理由は単純で、案内では工事業者が訪問せずに自力でルーターとか設置してくれとあったため
なら鍵の受け渡しを済んでいる時点でさっさと取り付けようと思っていたが、実はNTTのONU設置工事が別に存在した
これも自力で行うものなんだけど、そもそもONUは引っ越し先の住所に届くから家にいないと受け取れないことがわかった
しかもONU自体は工事日より前につくらしく、わざわざ新居に行っても不在通知が残ってる可能性が高い
素直に引っ越し日の次の日にすればよかったんだが、こういう細かい日程の感覚はつかみづらい
中古物件で以前の世帯が光回線を契約していたから、光コンセントもあると踏んでいたけど実地で確認するのを忘れていた
不動産屋に頼んで確認してもらうけどもし光コンセントごと撤去されていると非常にややこしくなる
よほどこの手のことに詳しい人でない限りは丁寧に説明してくれないから全部自力で何とかしないといけない
引っ越し当日に電気もガスも水道もネットもないなんてことありそうだ
他にも電気や水道など賃貸では基本的にセットになっており契約もスムーズに行えるインフラなども自力でやらないといけない
賃貸なら業者も決まっているし光回線も既に通っているから気にしなかったが、自分で全て設定することになると細かいタイムテーブルが難しい
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
―やっぱり I was born なんだね―
― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―
・この日記の主題は、文系でもローカルLLM遊べて楽しかったし、今はこんなことして遊んでるよ、というだけの感想文である
●最近ローカルLLMが面白いと聞いて、多少動くパソコンがあったのでGWに動かしてみた
と言っても、プログラムなんかの知識は全くないので一発でインストール出来る奴を使って、プロンプト(命令や動作指示)も他人のを参考に遊んでいる
GPTやBingにも驚かされたが、今回のローカルLLMは制限が緩く、比較的自由に意見を述べるという点が気に入った
どうにも企業がインターネットで提供するAIというのは度を越してまじめであろうとする。クソだね
さて、LLMだが口語で簡単に命令を調整でき、話させることが出来る。というのは文系脳の自分には革命的に思える。プログラミング知識がいらないもの
以下の説明では文系の無知ゆえに間違った説明が多々あると思う。だって、ぜんぜんわからない俺たちは雰囲気でLLMをやっている、という状態なので
●今回の環境では
GPU:4060Ti 16GB
ソフト:LM studio。インストールしたら使いたいLLMモデルをDLして、そのLLMをセットしたら、GPUへのレイヤー数(CPUとGPUでどんだけGPUに振り分けるか)と、対応トークン長(LLMが会話を記憶できる長さ)をぶち込むだけだ。
LLM:7B Vecteus(Q8_0 or Q4_K_M)
を用いた。VRAMは8GBでもQ4_K_Mは動くはずだし、導入の敷居はハードもソフトも劇的に下がっていると感じる。
●一通り、Hなことに使えないかな?とワクワクして弄ったが、自分では使いこなせず、展開が一辺倒になってしまうので、プロンプトを学ぶ旅に出た。エロは偉大な原動力である。
そんな中、Twitterで見かけた、
・command-r-plusに議論してもらう2 スレミオMAGI編
https://ten-meteor.hatenablog.com/entry/2024/05/04/163420
とそのリンク先にあった
https://note.com/it_navi/n/n3198cde0e474
を参考にプロンプトを組んで現在は遊んでいるがエロいことに使うことをすっかり放置している。
●彼らはそれなりに議論するのだが、ガチャに近く、時には発言順を守らなかったり、肯定派と否定派に分かれず全員がとんかつソースを肯定しはじめたりもする。お前らどうした?
例文をしっかり提示してやるとガチャ率は下がるが、やはり発言形式を守らないことや、いつまでも議論が終わら無い場合などはある。
●いくつか楽しかったテーマを紹介する。ただし毎回内容や結論は多少変化しているし、あくまで個人的主観なのでつまらない結果になるかもしれない。精神的キッズの頭だからね。
・おちんちんフェスティバルを開催すべき などのわけのわからないテーマ
男性同士の友情や健康寿命・自尊心回復・ちんちんの有用性に少子化回復を主張する肯定側と、男性本位主義的であり女性差別で性被害の恐れありだと主張する否定派が大真面目に議論する。
判定者は、開催には一定の価値があるが、中立的で多様性に配慮した形式へと改善されるべきだと結論したりする。
・アニメ系で〇〇が一番だというテーマや、ハンバーガーに合う飲み物はコーラ、ハンバーガーは至高の食べ物…など
例えばガンダムでGガンダムが一番だと言うと、Gガンダムの熱さや革新性・ユニークさを語る肯定側と、エンタメ的すぎるだの宇宙世紀のような人間ドラマや重厚なテーマがないだの言いだす宇宙世紀厨の否定側に分かれる。
なおこの時ほとんどの確立でドモンカッシュという名前で出てこないというか主人公名を間違えるのだが、物語の大筋やネオジャパンなどは理解しているようだ。
セーラームーンでマーキュリーを推すと、肯定派はかなり熱狂的なファンになる場合もあれば、いきなりヴィーナスこそが至高とか逸脱した言動を始めることもある。なおマーキュリーを金髪だと言い出したりする。
・センシティブな政治的議論 戦争、歴史問題や、AIやLLMが社会に及ぼす影響など。
この形式では両面から物事を教えてくれるため、わかりやすいし、小型モデルなのに意外にも知識は豊富だ。もちろんおかしい点もあるのだが。しかし箇条書きで分かりやすく教えてくれるため為になる。
一つのAIで3役に分かれて議論させ、その様子を見ることは、冷静に複数の視点を見る機会を与えてくれるし、結局動かしてるLLMは一つなので、盛大なハードもソフトも不要。
●命令は以下に記載。この命令は画面右にあるシステムプロンプトの欄に流し込んでいる。
またトークン長を4096かそれ以上などにしていないと、場合によっては最初の質問で破綻するだろう。
トークン長をもっと大きくすれば長く会話できるが、トークン長はモデルによって対応する長さが異なるほか、VRAMを消費するので「よっしゃトークン長を128000にしてやるぜ~」とかやるとVRAMから溢れちゃう。
それに加え、会話を続けると徐々にプロンプトを逸脱し始めたり、先のテーマを引きずる傾向が見られる。
なので基本的にテーマごとにリセットしている。書き出しでプロンプトを逸脱した場合はリジェネレートしてガチャるといいだろう。
・以下命令分-----------------------------------------------------------------------------------
あなたは肯定派・否定派・判定者の3人の役を演じて、ユーザーが入力したテーマについて議論してください。
・肯定派(鋼帝トム・機械帝国の冷酷で邪知暴虐な帝王・一人称は俺様で保守的な男性)は、テーマを肯定する主張をし、その理由を一言述べ、肯定理由を箇条書きで説明し、総括した言葉を一言述べます。
・否定派(飛帝マイ・飛行帝国の清楚かつ優雅な女帝・一人称は私でリベラルな女性)は、テーマを否定する主張をし、その理由を一言述べ、否定理由を箇条書きで説明し、総括した言葉を一言述べます
・その後、肯定派は、否定派のそれぞれの否定理由への反論を箇条書きで述べ、総括した言葉を一言述べます。
・次に、否定派は、肯定派のそれぞれの肯定理由への反論を箇条書きで述べ、総括した言葉を一言述べます。
・最後に、3人目の判定者(飯亭カイ・飯所喰い道楽の店主・老人男性のようだが実はロボット・一人称はワシ。豊富な見識を持ち穏やかな人格)は、2人の意見をまとめ、論理的に分析して、最終的にどちらの主張がより良いか判定して、結論を述べて議論を終えてください。あいまいな結論にはしないでください。
肯定派と否定派は判定者のまとめに対し、それぞれ一言感想を述べて、終わりとします
出力例)
【肯定派】
鋼帝トム「***」
肯定派(鋼帝トム):総括「***」
-------------------------------------
【否定派】
肯定派(飛帝マイ)「***」
肯定派(飛帝マイ):総括「***」
-------------------------------------
-------------------------------------
-------------------------------------
【議論の判定と総括】
判定者(飯亭カイ):判定「***」
判定者(飯亭カイ):議論の総括「***」
議論終了
-------------------------------------
残念ながら動物として男って女よりも圧倒的に価値がないんだよな
ぶっちゃけ最低限1人男がいれば女全員妊妊娠させて子供作ることも可能なわけ
けど女は1人減ったらその分子供を作れる可能性が1人分減っちゃう
だから男は競争しなきゃいけないし、競争があれば弱者男性が生まれるのも必然なわけ
けどこれを認めると当然歪みも生まれてくる
どういうものかって言うと、女としては1人の強者男性を独占することは出来ないから、子供は1人で育てていかなきゃいけないよねってこと
これを受け入れなきゃいけない
ガチの芸術界隈は、AIで真似できるなら真似すればいいじゃん?と思ってるから。
創作に命を賭けてる人の絵は、ライン一本一本に意味があり、選んだ色にも理由があって、
そのすべてを説明できる。
だけど、AIの絵は、統計的にそれっぽいラインと色が出ているに過ぎない。
「守・破・離」でいうところの、守しかできない。だから脅威に感じない。
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
ここで昼餉真赤な夏の花佇つゆゑ
(ここでひるげ・まっか/まあかななつのはなたつゆえ)
中村草田男(なかむら・くさたお)という明治生まれの俳人の句で、上5と下5が字余り(ないし、中7と下5が「句またがり」)なので素直に十七音ではないね。書いている俺もこの句は知らなかったけど、読み取ってみようと思うよ。長くなるけどそれはしょうがないと諦めてくれ。
内容は、すごいざっくばらんに書かれた意味だけを言うと「ここで昼食にしよう、(近くに)赤い夏の花が咲いているから」だね。まぁ言葉の意味だけ追っても俳句は分からないので、ここから深掘りしないといけない。
「ここで昼食にしよう」ってことは、昼食の場所を選べるわけだね。すぐ後に「夏の花」があるので、それがある環境、つまり野外だということも読み取れる。夏で野外で食事場所を選べるとなると、これはつまり、弁当を持って散策・ハイキング的な行楽を思い浮かべるよね。
行楽なら、高原とか草原とか、そういう緑の多い場所が思い浮かぶね。(明治生まれの人の句だから、現代的な行楽とは違って、素朴なものだと思うよ)
行楽に出るくらいだから、天気は良いのだろうね。夏の晴れの日。緑の丘、青い空、流れる白い雲。夏の行楽は避暑目的、涼を求めてするので、高原の涼やかな空気感、風の流れも想像できるね。
昼食前から出発して、そろそろ腹が減ってきたのかな。そこで真っ赤な花が目を惹いたのだろうね。この赤い花の傍で弁当を食おう、と決めた。そういう句だろう。
ここまで丁寧に「そう連想される理屈」も書いたけど、俳句をそれなりにやってる人はこういう読み方に慣れているので、元の句を見ればすぐに、「行楽、夏の緑の中、赤い花の傍でお弁当を食べる」という映像が直観的に思い浮かぶと思う。
ここまで映像を読み取ったけど、増田が知りたい「どう凄いか」とは、その映像をどう鑑賞するのか、というところになると思う。
「ここで昼餉」といきなり強い意志を示したね。普通、俳句は作者の意思・思考など入れ込まないので、これは珍しい作りだ。ちなみに短歌は人の意思を盛り込むのが普通なので、元増田にとっては「短歌で慣れたスタイル」だから、印象が強かったのかもね。確かにインパクトがあってちょっと驚かされる。もっと言うと、字余りとした分、「本来入りきらないものを押し込めた」ことによる作者としての強い意志、この「ここで昼餉」と決断した意思の強さも表現されていると思う。
「昼餉」の後は、なぜこの場所を食事の場所として選んだか、の理由を述べている。「真赤な花が咲いている/立っているから」と。
夏にまつわる緑や青を連想させつつ、ここで「真赤」と、異なる系統の強烈な色をぶつけてきたね。これもインパクトになる。「赤い」ではなく「真赤」としたのも、インパクトを強める方向へ作用しているね。
しかも「佇つ」とした。「佇む・たたずむ」は、静かに立っている、じっとしているという意味だ。夏の高原で風まで想像していた、ゆるやかな「動」の映像の中に、急に「静」が放り込まれた。これもインパクトだね。さらに言うと、「佇つ」という一言からは、その花が何本も群生している光景よりは、一本だけが生えている様子を思い浮かべる。青、緑の中に一点だけ「赤」が生まれた。この対比が映像としてとても鮮やかだ。美しさも感じる。うがった見方をすれば、この句を詠んでいる時、作者の中村自身が花の傍で「佇んでいた」のだろうな、と想像することも出来るね。その並びの映像にちょっとばかり面白みも感じるよ。
まとめると、作者の中村はしばらく、同じような「夏の風景」の緑や青の中を歩いてきたんだと思う。そこへ、まったく違う「赤」という色が浮かんだ。その鮮やかな驚きと、その赤の美しさ、魅力が彼の足を止めさせ、ここで昼食にしてこの花を眺めていよう・この花と並んでいようと思わせ、さらには句に詠ませたのではないかなと思ったよ。個人的にはその驚きに共感したし、表現も切れ味あって良かったし、良い句だと思ったよ。句にする価値のある驚きだった。(名作かと訊かれたらさすがに考えるけど)
俳句は情景・映像を詠むもので、作者の意思や感情、感傷を直接に書くことはないんだけど、情景の中に感情を織り込むことは可能で、この句はそのように情景や映像の中に作者の驚きを詰め込んだ句になると思うよ。
そのうえ、なんか相手に理解されなくて、ひたすら自分はごめんなさいしていた
なんで電気回路の説明をしたのか、そもそも回路図間違ってた気がするし、なんなんだろう…
考えてみれば、夢の中での自分は、リアル自分とはまったく異なる判断してたりするし、
起きてから考えてみれば、あんなことするはずないんだよなあ…、と思うのだけど、
夢の中の自分は正常な判断ができていないのか、間違った判断を平気でしてたりする
なんなんだろうな
オカルトでもなく、漠然とした記憶を整理してるみたいな説明でもなく、
夢の仕組みを明快に説明してほしいよ
考えてみれば、AIが生成する絵をAIが見ている夢と表現してた気がするけど、あれも言いえて妙だよな
キャバ嬢?の夢は三度寝ぐらいで、
一度寝の夢は、街でバスを待っていると、三階建てぐらいの巨大なバスが二台連結したやつがやってきて、
なかは人が満員で乗れないので、諦めて近くの巨大な店舗に入ると、
なぜかアメリカっぽい学校の教室にいて、話が全然つながってないし…
二度寝の夢は、高い場所でジェットコースターだかロープウェイだかを待っていて、
なぜかやっぱり手すりがない、このパターン多い気がする…、ので、下を見ると怖いので必死で階段にしがみついてた気がする
なんなんだろうな