はてなキーワード: 語順とは
例えばっすよ、「庭」ですよ
庭って、響きとしてカッコいいかダサいかでいうと、ややダサいと思うんすよ
歌にもそんな出てこねえじゃん
パッと思いついたのはハナミズキの「つぼみをあげよう 庭のハナミズキ」くらいだ
庭で踊ろう、とか言ってもさあ、狭い、ショボい、クソみたいな、灰色の、陰鬱な空間でさあ、
居た堪れなくなるような、リズム感のない、奇妙で、恥ずかしくて、見ていられない踊りを踊っている姿しか想像できねーわけ
それが例えばスペイン語なんかだと、Jardínですよ
ジャルディンじゃないぞ ハルディンだ
しかもハの音は、なんかノドを擦って出す、カッコいい音だ
"El jardín que nunca vas a conocer”
「君が知ることはない庭」
“Nube gris riega todo jardín”
「灰色の雲が庭すべてに水を撒く、庭すべて、僕
あっ…2曲しか思いつかねえ
アレなんすよ
「君の好きだったあのランタナの影の中」
これ、スペイン語だったらぜってえjardínへの言及があるよ かっこいいから
そういうポジションなんだ
Bailamos en la jardín、なんか言ったらもうカッコいいじゃないすか、庭で踊ろうってのとは話が違う
オシャレで、広くて、カッコよくて、明るくて、陽が射していて、あるいはいい感じの夕焼けで、とにかくステキな空間で、
イケている2人が、目が釘付けになるような、あるいは逆にあまりに不快感がないのでまったく目に留まらないような、良い踊りを踊っている
そういう印象になってくる
ホントですか?
ホントなのかな
もうわかんないよ
仕事やめたいよ
仕事やめて庭で踊りたいんだ俺は
それだけなんだ
皆さんはじめまして。Twitterで「レンタル数学教える人」を名乗っている者です。つい今月の初めに、「そうか!だから小学校の算数においてはかけ算順が大切なんだ」と目からうろこが落ち、そのことを夜中のうちにTwitterに書いたところ、朝になったら見たこともない数のリプや引用がついて驚いた。その内ほとんどが「バカ」とか「アホ」とか「クズ」とかの類の言葉でした。それで怖くなりました。「この程度」とか「周回遅れ」とか誹謗中傷まで酷いものでした。
その中でいくつかやり取りするうちに、これは一人一人返信してもらちが明かないから、カリキュラムの順番含めて整理してTwitter内に投稿しよう、と思いつきました。
何でかけ算導入時において順番が大切なのかを教えてやる
2年で「乗法の意味」→「乗法の場面を式に表す」→「乗法の交換法則」
と段階を踏んで学ぶ。ポイントは「乗法の場面を式に表す」だ。この単元を学習中に式の順番が問われるわけだろ。その後に交換法則。計算しやすければ交換してもよいという話
勝手に交換法則使って計算しろよ。ただし場面に合った式を書きなさいと言われている所に、一つ分×いくつ分の順番を無視した式を書くんじゃねえ!という話。途中式間違ってるけど答えはマルもらえるって中高生でも普通によくある話じゃない?
「場面を式に表す」が課題なのよ。段階的ってこと考えよう。
3年で「整数の乗法」だ。数を抽象的なものとして計算するわな。結合法則・分配法則も習うから計算の工夫をしてスマートに解いてみやがれ!かけ算に慣れてきた頃に「除法の場面を式で表す」をやる。何を何で割るかよく考えろ。割られる数、割る数っていう区別(順番)が理解をスムーズにしてくれる。
ここでワケも分からず前から数字を順番に入れて式を立てる奴がいたらどうなる。解答欄の「□÷○=△」穴ポコに順番に入れたらどうなる。かけ算だったら答え合ってて良かったね。
それ習慣ついてたら割合の単元で地獄を見ることになる。ったゆうか現実としてすでに地獄だけどな。
4年で「長方形、正方形の面積」だ。お待たせしました。なんか知らんけどかけ算順番の話してるとすっ飛んでくる輩が「縦×横と横×縦は違うんですか?」ってドヤ顔で聞いてくる。うるせえ。交換法則しとけよ。場面を式で表すとは状況が違うんだから好きにしろ。こちとら「卵10個が3パック」の話してんだよ
この前spaceで聞いた知見を共有する。面積ってのは「1㎝×1㎝の□が何個分」ってところから考える。縦に3個、横に5個、なら一個ずつ数えてもいいが3×5で出してもいい。「1つ分はいかようにも取れるんですよ?」のドヤ顔勢が言いたいのはそれだろ。勝手に5×3やっとけよ。
あのさ、面積ってのはそうやって丁寧に学習していくんだよ。「そもそも面積とは〜積分の考え方を使っているのであり〜」とか言う自称理系人間。アタマおかしいと言わざるを得ない。お前小学生相手に何言ってんの?中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密に理解できない。そうやって積み上げていくんだろ
僕がずっと違和感を持っているのは、なぜ掛け算順を認めない人はこのように必死にTwitter内を警備し、いきなり引用リツして人格否定的なことを繰り返してしまうのかということです。バカとか洗脳とか悪影響とか「理由を説明してください」という謎のエンドレス質問。そしてそのような人はいつも同じメンツで、仲間同士でコメントを付けあっている。「井超算数」というタグをつけるのが彼らの仲間を呼び寄せるシグナルのようです。以後、この一派のことを「超算数警察」と呼称します。
逆に、いつも虐められている(ように見える)人は言葉使いが丁寧で、明らかに教育現場にいる率が高い。誠実な教育者であることが見受けられた。懇切丁寧に掛け算順の必要性を説明しているのに、いくら必死に説明しても聞かないうえに暴言を吐かれる、謎のエンドレス質問返しで、いつの間にかダンマリになっていく。この誠実な教育者たちを「掛け順派」とします。
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恥ずかしい告白をします。僕は半年ほど前まで「掛け算順序否定派」でした。くだらねえ理由で減点して子供が可哀想と思っていました。「バカな慣習だ」と暴言を吐いたこともあります。ただし、ここからが重要。耳かっぽじってよく聞け。Twitterで「掛け順必要派」の人に対して凸撃とかしなかった。極めて一般的に、まともな大人は、フツーの人間は、Twitterで自分と反対な意見の人をわざわざ見つけて攻撃したりしない。時間的なヒマもない。
だってその人にリプを飛ばして考えを改めさせるなんてことができると思うか?まあ出来なくはないんだけど、現実的じゃない。しかし超算数警察は平気でやる。まあしつこい。相手がブロックするまでやめない。結局は見下してバカにしていい気分になりたいだけだろう。同調者が表れて良いキモチ。ちなみにこの人たちは「ブロックされたこと=論破した」と定義している。世間一般的にはそうではないが、超算数警察の中ではそうなのだ。スクショ付きで「逃げやがった」「やっとブロックしたか」が決め台詞である。
実は僕がTwitterで意見を投下し始めて、あまりに暴言がひどいので反論の意味で多方面に暴言を吐いてしまったところ、ある方に批判された。対話を重ねていたら、その方はスマートな教育をされ、学校に期待しすぎないで家庭と学校で協力していけばいいという考えの持ち主だった。
「あなたがスマートな教育をされていることは分かった。学校の先生も必死でやっているんだ。掛け順間違いでバツされたことなど、学校ってそんなもんだよなと受け流してくれればいいのに」
と伝えたら、そこで衝撃の一言「とっくにそうしている。はじめから掛け算の話などしていない」と。僕は冷や汗をかいた。
そうなのだ。始めからそうだった。そしてそうやってある種諦めの境地でもって受け流し、家でも教育しておけば良いというバランス感覚こそ僕が求めているものだった。それこそ思想転向のずっと前から。
テストで不本意ながらバツをもらってきた子供に対して、親としてもし、その採点に納得がいかないのなら「これは学校のテストにおいてのみ守っておかなければならないルールで、数学的には答えが合ってるから、まあ気にするな」と教えてやればいいのだ。僕だったらそうする。
実際、社会に出たら本当にどちらでもいい問題だ。よくある例としては「個数×単価」のような書き方がある。英語圏では「〇倍した□」といった言い方が一般的だ。だから僕はあくまでも日本国内での「算数ルール」「小学校ルール」と言っても良いと思っている。
冒頭の固定ツイと内容が被るが、僕自身は掛け算の順序を丁寧に教えていくのは極めて有用だと思っている。それは日本語的な感覚という意味でもだ。「●個が〇セット」、割合の単元なら「▼の□倍」という語順がしっくりくる。まだ抽象理解や言語の運用がいまいちな低学年にとってはなおさらだ。
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超算数警察は厄介なことに、叩ける相手だと認定したらとにかく他のどんなことでもツッコめる穴は無いかと探し始める。たとえば僕は連ツイの最後に「面積の学習は丁寧にやっていく。そもそも面積は積分の考えを使っているので~とか言うな。中学生ですら錐の体積や球の体積を厳密には理解できない」と書いたら、まあそこに食いつく食いつく。一言言わずにいられない馬鹿どもが。
「中学生に球の体積の理屈くらい教えてあげないのは怠慢、講師失格」
などという酷い言われようだった。まったく現実を見ていない、好き勝手な意見だなと思うわけだが、一方でそんな教え方ができるのであればすごいことだ(たとえ受け手側に理解するポテンシャルがなかったとしても)と思って、全員に「中学生でも理解できる球の体積の考え方を教えてくれませんか?」と聞いた。
もう大半がヘンなリンク送ってきたり、有名な説明だから今さらする必要なしとか繰り返すだけで、何の益もなかった。30人くらいいたかな。そんな中で2人だけ実際に説明を書いて送ってよこしてきた。2,3分でササっとかける代物ではない。余裕で中学生で習う範囲を超えている。しかし素晴らしいと思った。
僕からするとそもそも僕が主張したいことと話がズレているし、それを活用できるほどの力量もないので、それをどうこうはできない。それは2人にとって肩透かしだったと思う。そもそもこちらは煽られてスタートしているのだ。「できるものならやってみろ」とは言ったが、本当にやってきたのならば敬意を表するほかない。そう。これなのだ。数学を愛し、数学を嗜んでいるのなら、自分の手を動かしてみろっていうんだ。超算数警察みたいに「数学は答えがあってればマル、ウソを教えるのは迷惑」とかいってTwitter内でクソリプ飛ばしてないでさ。んでマウンティング、グルーミング。それの繰り返し。
超算数警察は、小学生も学校の先生も、そもそも全部ひっくるめて公教育というものが人間社会のなかで行われているということを忘れている。自分の大好きな数学の美しさに惹かれて、極めて抽象的で、この世界中どころか宇宙全体に通用する法則をはやいとこ小学生にも教えてやれと言っている。んで「合ってるのにバツされるのは可哀想」という。だからもう一回思い出してくれ。こちとら小学校低学年を相手にしているし、そもそも「算数」の授業をしているんだって!教科名が「数学」じゃないことに注意。段階を踏むってことが彼らには理解できていない。
超算数警察は「美しさ」にこだわっているんだと思う。掛け算は順序を問わないのだから、式が逆なくらいでバツされている答案が目に入るのが耐えられないんだ。現実には日本中の小学校で丁寧に式の立て方から指導している。「一つ分×いくつ分」も「○○の□割(倍)」もとても重要視されている。だって最初に「3+3+3+3+3のことを3×5だって説明しているんだから。そりゃ5×3って書いたらバツでしょ。お前思いついた順に数字を書いてんじゃねえよ!って言いたくなるでしょ。「一つ分」を先に書けと言われているのだから。
Twitterで見かけた例を拝借すると、二つの倉庫があって「右の倉庫にはボールを、左の倉庫にはバットを入れてな」と決めてそれを周知したのに、逆に入れるヤツがいたら説教したくなるでしょ。右がボール、左にバットなんていう必然性なんかない。ただそう決めただけなんだが、決めなきゃしょうがねえだろ。そのきめたルールが無くなることはないと思うぞ。調べたら100年近くやってるらしいじゃん。じゃあお前らは永遠に不満を持ってTwitterで吹き上がるだけの人生だぞ。超算数警察たちは、ごく普通の人間たちの営みを否定している。だってようやく数字という概念を学び始める準備段階の子供を相手にしているんだぞ。ムチャ言うな。
なあ、そんな理論通りの、全てが数式通りに記述された、超算数警察が理想とする美しい世界が実現するにはどうしたらいいか教えてやる。「この世界から人間がソックリいなくなる」しかないんだよ!
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今から30年ほど前に超絶ヤバ集団がいたことを覚えているな。「オウム真理教」っていうんだけど。ムチャクチャへんな主張をするカルト宗教でメディアは面白がって、バラエティ番組なんかにも出ていたな。あれのトップが何て言っていたか知っているか?
「近いうちに日本の人口が十分の一になる」って言ってたんだぞ。これが何を意味しているか分かるよな。それがどうだ。東京のど真ん中の地下鉄でサリンがまかれた。彼らの母数が大したことなかったから、同時多発的にってところまではいかなかったけどな。
そりゃ今だって「地球環境を壊さないためには」とか「埋蔵資源を枯渇させないためには」とか「海や山の生態系を守るためには」とか考えると、人間がいなくなるしかねえ!って結論になるよな。ま、それを言っちゃおしめえなので・・とスルーされるのが常識的な流れなんだけど。
しかし超算数警察よ!お前らがやっていることはそれに近い。すべての人間が「極めて忠実に数学の美しさを体現するためには」なんてことをやっている。無理だよ。この世界にはとんでもなく計算が苦手だったり、日本語が通じなかったり、中学生の半分が教科書を読めていなかったり、高校生で「数学を捨てる」なんて発言がまかり通っているんだから。中学を卒業したら数学というものから離れる人だって多い。そういう人がどれくらい数学が苦手か分かるか?そういう多くの人たちをとりあえず一斉に教えるために作られたカリキュラムだ。ちょっとやそっとじゃ揺るがねえよ。
掛け算を逆に書いてしまったものを慈悲深い心でマルにしてもらえたら、彼らは数学を好きになれただろうか。小学校のカラーテストで、本来だったらもらえてた(とおまいらが主張する)5点を取り返したところで、その後の人生に1ミリも役に立たねえよバカ。
んで超算数警察の口癖、「掛け順教」。数学的に正しくないウソを教えている宗教って言いたいんだろうけど。あのなあ。宗教って言葉が相手をバカにする言葉に使えると思っているところが人間のことを分かってねえっていうんだよ。もしかしてお前らって「もともと存在しない神とかいうものにすがって、科学を否定してきた宗教というもの信じてるヤツってバカ」ってシンプルに思ってない?でなきゃ「掛け順教」なんていう言葉が気軽に出てこないと思うんだけど。
それこそ人間社会のことを分かってないってことの証左なんだよ!人間はこの世界のよく分からないものに暫定的な解を与えるために宗教というものを生み出した。それがよりよく生きるための術だったからだ。もちろんそれが命の奪い合いを引き起こすこともあるがな。現代の日本だって神様にお願いしたり、クリスマスを祝ったり、葬式したり、全部宗教だろが!そのことを分かってないで「自分は無宗教なんで」とか言ってる。んでここ100年とかで明らかになってきた科学的な知見をかってに借用して、「今どき宗教にハマってるなんてプギャー」とか喚いてんだろ。お前たちは人類の先輩たちが大切にしてきた偉大な宗教というものもコケにしているんだよコラ!
この世界のことが科学的に説明できるようになっていることは事実だろう。それと、人間の認知機能が一気に進化するってことは話が違うだろが。お前らは数学の美しさ(数式は場面を捨象するからこそ美しい、程度の知識)を知ったからと言って強化人間にでもなったつもりなんだろう。んで科学の知識を得た我々は、次から次へとニュータイプが生まれてくるとでも思っているんだろう。そして、現行の算数教育はそのニュータイプの育成をジャマしていると。
バカ言ってんじゃねえよ。そんな簡単に人間が進化してたまるか。お前らなんか強化人間にすらなり切れていないし、だいたいジャレドダイアモンド先生が言う「認知革命」が起こって以来、人間なんか大して成長してねえわ。ホモサピエンスは昔も今も、ちょっとずつ日常の数的感覚(自然数)から、抽象的な理解に至っていくんだろうが。小学校6年間は、まず数学に入る前の準備段階だって決まってんの!それを数学的な知識を先取りしたうるさい大人たちがエラそうに・・・
俺たちは真っ当に義務教育の中で算数指導をしているだけなんだよ!
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お前らが何と戦っているか教えてやる。
僕は超算数警察を見ていると「進撃の巨人」11巻で「敵は何だ!」と喚いてユミルにたしなめられているエレンをいつも思い出すよ。
お前らには見えていない。お前らはお前らが言うところの「掛け順教」と戦ってんじゃねえ。Twitter内にいる「掛け順教」をやっつけて終わりだと思ってんのなら・・そりゃ・・大きな勘違いだ。
お前らは「敵は何だ!」と問うだろう。
そうして僕はこう答える。「そりゃ言っちまえば・・世界だ」と。
お前らが数学が得意で数学が好きでその魅力にヤラれちまっているのは認める。そしてそれは素晴らしいことだ。んでハッキリ言うとくけど、世の中の人はそんなに数学が好きじゃないし、数学に興味がない。
数学が好きならお前たちそれくらい分かんだろがよ。数学者列伝とか読めば明らかだろうがよ。数学を専攻する人間なんてのは奇人変人だと相場が決まってんだよ!
超算数警察は一般人相手に「それ数学的に間違ってますけど!」とか言ってないで、自分で数学的な真理を突き詰めたらどうだよ。ただしそれは生きるか死ぬかのイバラの道だと心得よ。フェルマーの最終定理を証明したアンドリューワイルズ先生は10年間誰とも連絡を取らずに、生きてるか死んでるかも分からないような状況に追い込んで偉業を成し遂げた。ワイルズ先生が必死こいてTwitterでクソリプ飛ばしてたらとか考えると笑えるよな。あ、コイツ生きてるなって安心できるよな。やってるわけねーよな。
つまり人のことを気にしてる暇があったら、自分のやるべきことやっとけってこった。だから僕に対して自筆の証明を送ってきた二人以外のお前らは、どっかからリンク引っ張ってきた以外になんか生み出したか?
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君たちは三重の壁の外に、バカも天才も秀才も凡人もひっくるめた人間社会が営まれているということを忘れちまってる。Twitterの中でお仲間を見つけて、自分たちだけが世界の真実に気づけていると思って正義感に燃えているんだろう。それをあの頃のエレンだって言ってんだよ。
エレンは壁の外にいる巨人をすべて駆逐すると誓った。そして裏切り者だった同期生を許さねえと言った。しかしやがて真実にたどり着いたエレンは全てを理解したよな。そしてそんな風に怒り狂っていた自分を恥じた。そうか、みんな同じだったんだって。それは壁の外に出たからだ。外に出るという強い意志を持ったからだ。
超算数警察よ。君たちはいつまでも三重の壁の中に閉じこもって、つかの間の楽園を享受しているんだ。とことんまで抽象世界にもぐりこむのも良い。ただそれは浮世離れした人生を歩むことを意味する。それがイヤだったら、人間たちの世界に戻ってこい。人と心を通わせることを選択しろ。三重の壁(心の壁)を壊して外の世界に出るんだ。
月が綺麗ですね、っていうのはぁ、夏目漱石曰くぅ、「愛してる」って意味なんですぅ〜っ
殺すぞマジで
月が綺麗ですね、の意味を、日本語ネイティブの俺が解説してあげましょう
他の意味があるか?
ないだろ
いや、まあ、そりゃ、文脈というか、言外の意味なんかは場合によってはあるかもしれん
○○さんってバツイチって聞いたんですけど、マジですか?って尋ねたところに「月が綺麗ですね」が返ってきたら、それはまあ「聞いてくれるな」って意味だろう
そういうのはある
「ホラ、あそこに亀いますよ亀、かわいいですね」っていうのと本質的には同じなんだ
大体まず、あれデマじゃん
文豪の文学的表現すごい!っつう前提があって、「アイラブユーを月が綺麗ですねって訳すのはエモい」みたいなハナシになってるわけだろ
じゃあなんなんだよこの話 完全な虚無じゃん
嬉々として「月が綺麗ですね、っていうのはァ…」ってのを言い始めた時点で、「私は権威主義者で、文学に対して誠意がなく、ネットで聞き齧った耳触りのいいエピソードを、なんの裏付けも取らずに他人に対して披露する、カスです」っていう自己紹介になるんだよな
カスなんですよ
俺がなぜ月が綺麗ですねに怒りを覚えるかというと、普通に言いたいタイミングがたくさんあるからだ
月って綺麗じゃん実際
これが「綿のような雲ですね」とかならそんなにムカつかなかった 思うことはあってもあんまり口に出さないから
月は綺麗だし、月が綺麗だったら「月が綺麗ですね」くらいは言いたくなるというもの
そこに意味わかんねえデマ由来のカスみたいなニュアンスが勝手に付け足されるのは我慢ならない
なぜただ衛星の美しさをアプリシエイトすることを邪魔されないといけないのか
「綺麗ですねえ…月!」みたいな、若干語順を変えた表現を使って"アレ"じゃないですよって感じを出さないといけないのか
まあ俺が気にしすぎなのかもしれんけど、でもやっぱ気になるじゃん
ネットで流布してるゴミエピソードのなかでもかなり人口に膾炙しちゃってるやつじゃん、アレ
よりにもよってさあ!
だいいち、月ってなんなんだ?つったら、デカい岩じゃん
綺麗なだけだろ それでいいだろ
月の話になって漱石先生の名前が出たとき、俺はかなりの敵意をもってあのエピソードを否定にかかっています
絶対にお前を愛したくない
マジでいい
Puffっつう歌いだしが相当いいのはもちろんのこと、dragonのドラーゴンって伸ばし方に英語の譜割りを感じてすてき
一番好きな歌い出しかもしれない
いいですね!俺の学校はこれだったので、一番思い入れがあるかも
歌い出しに「パフ」をもってきて、原曲と合わせているのがいい パフって名前がここで印象付けられるんだよ そういうのが後々きいてくる
そんで、こう、これは、何も引かず何も足さない、そういう美学が感じられる訳だ
やっぱこう、歌の訳って、いかに原曲を残すかってところにあると思うんですよね
もとい、俺的にはあまり好きな訳ではないですね
まず、はじまりが「パフ」ではない これが嫌だ
あと、magicを「ふしぎな」にするのもどうかと思う
lived by the seaの要素なんてまったく出てこない
このメロディにこの内容、ってところを合わせて訳詞なんじゃねえのかよ なにがふしぎなパフじゃ、最初の1音目で「パーフ!」ってやるのがこの曲の大サビだろ、「ふーっしぎーなーパーフー」じゃねえんじゃ、なんだその間延びしたパーフーは、なめとんのか
猛省してください
これYouTubeにあった謎のバージョンなんだけど、正直一番好きですね
このすげー雑な融合がイイ
なぜイイかというと、両言語の気持ちいい部分を抜き出しているから
くーらーしーてーたー、気持ちいい!
これが一番いいと思うんですが、難点としては意味がわからないこと
なんで急に日本語になるんだ?と聞かれたら答えられませんね
たぶん「全身みんなユニクロ」って表現の絶妙なニュアンスが読み取れないから洒落と捉えられなかった人なんだろうな
単純に全身がユニクロコーデだって意味なら「全身ユニクロ」という表現になるし
世の中全身ユニクロな人ばっかりになった、って話なら「みんな全身ユニクロ」という表現になるんだが
あえて「全身みんなユニクロ」として修辞を入れ替えていることで、普通じゃない意図があるんだなとネイティブ日本人なら察するわけよ
この語順だと全身みんなは重複表現になってしまうし、となると全身とみんなはより深い意味を示唆する強調表現であると捉えられるんだよね
すると、もう衣服コーディネートの枠を越えてユニクロが本当に全身をくまなく包み込んでいる包帯人間だかチョコレート人間だかのような姿を想像して、いっそ生体組織が生地に置き換わっているような怪物が想像できるという思考に行き着くわけよ。
https://twitter.com/crazyraccoon406/status/1443175558574006278?s=19
見れない→見られない
※「謝罪申し上げる」は「謝罪」単体は動詞ではない上に、「ご報告申し上げる」のように慣用表現ではないため不自然です。原文の内容を伝えたい場合、「ご報告と謝罪を申し上げる」が自然な表現でしょう。
時間がかかった→お待たせした
※駄目という訳ではないですが、「時間がかかった」というのは平仮名も相まって平たい表現に感じさせます。謝罪文である以上はもう少し硬い表現を使ってはどうでしょうか。
※慣用表現と言えなくもないですが、「謝罪させていただきます」は「許可を求める」即ち「相手にの顔色を伺って謝罪する」のようなニュアンスを伝えてしまい、「自身の意志で謝罪する」という意味合いを欠くと捉えられかねない表現です。
※明らかな誤用です。
3ヵ月の活動休止、公式イベントも欠場、VALORANTにて活動していた全アカウントの削除、活動再開後も、作成するアカウントに関して、一年間、調査委員会による管理監視を行う→?
※伝えたいことは単語から分かりますが、主述関係が全く掴めません。
知識不足でしたら申し訳ないのですが、「全アカウントの削除」まで名詞を並べているだけになってしまい、文になっていないようにしか読めません。語順や句読点の打ち方が英語のようになってしまっていますが、どのような事情があるのでしょうね。
再発防止のため、及び、今後のチームひいては→再発防止のため、及び今後のチーム、ひいては
※「ひいては」の前に読点を打たないのは不自然です。「及び」の後の読点は必須ではないので、こちらを削って「ひいては」の前に補うのが良いと思います。
使用していました
この場合おそらく「海賊が使用していた」はレイピアを修飾するための役割だからこれが最後に来る必要はない
あと海賊キャプテンの長い修飾語は日本語には向かない、海賊ハンターうんたらの話はもはや別エピソードとして処理するしかない
海賊のことは最悪「冷酷」「恐れられた」だけでもいい
(可能なら言葉選びでで「誰にも捉えられなかった」ニュアンスを含めたい)
日本語は何を強く伝えたいかで語順を変えるから元の言葉を逐次直すとどうしてもこなれてない印象になる
で、このテキストで何を強く伝えるかだが、
レイピアを説明するためのものだとしたら、レイピアの何が珍しいのかこの文章からわからんのは困るな