はてなキーワード: 詰め将棋とは
江戸時代に風紀を乱す本や絵の出版が禁じられたときに、情事に見立てた詰め将棋を集めたエロいタイトルの本が出版されてたことがある。
タイトルはエロいが、中身はただの詰め将棋で、なぞの挿絵(絵そのものはエロくないが、エロ駄洒落らしい。俺にはさっぱりだった)
今みたいに印刷が簡単な時代ではなくて、下絵を彫師が線の一本一本を彫って、摺り師が一枚一枚丁寧に摺って作ってたわけで、本というものが高価だった。
俺が客だったら、大金叩いて買ったエロ本が詰め将棋集だったら「金返せ」レベルだけど、幕府も怒って(偉い人もエロタイトルに騙されたのだろうか)、風紀を乱したことはけしからんと激おこ。
さて、話を戻しまして、将棋ファンというのは詰め将棋でオナニーできるの?
追記
各ページタイトルはこんな感じ
まあ、下から見下せって意味で書いたからね。謙虚に振る舞って、内心バカにしてればいいさ。
論旨に問題ないっていいたかったんだけどちょっと言葉足らずだったな。
君のような人に揚げ足を取られる。
ああ。これか。
あと「言葉尻をとるだけの揚げ足取りで勝敗が決するという思考が…」勝敗が決するとは書いてないが…土俵を崩す糸口ってさっき書いたんだけど。
君こそ読み直した方がいい。初めの「勝敗が決する」は揚げ足取りにかかっている。
次の「勝敗が決する」はその後の発言次第にかかっている。ちゃんと読んだ?ちょっと訂正しといた方がいいな。
あと「言葉尻をとるだけの揚げ足取りで勝敗が決するという思考が…」それが勝敗が決するとは書いてないが…土俵を崩す糸口ってさっき書いたんだけど。
君みたいなアスペでも分かるようにちゃんと文章かかないといけなかったね。ごめんね。
言い間違いは訂正すればそれで済む
引っ込みのつかない失言もあると思うがな。
怒鳴るかどうかは言い方でしかない
怒鳴るときは100%心が折れたと思ってるからお前を馬鹿だと言っている
どんなに正しい言葉でも怒鳴って言う事は可能だよ
どんだけ馬鹿なんだよお前
怒鳴るという行為がよく分かってないようだね。
つまり、論旨ではなく権力を行使、またはビビらすとか、関係ない所で相手を追い込もうとしてるってことだよ。
怒鳴らないと自分の意見を通せないのなら、そりゃ負けてるよ。正しくないから怒鳴るんだろ。
「クズ」とか程度の低い増田がよく使うけど、それも一緒。自分に自信がないから相手の人格を否定するんだろう。
そういう人とは議論する価値もないんだけど、付き合ってやってるんだから、感謝くらいしろよ。
無理やり穴があくことなど無い
実例出してみろよw
それ単に穴を見落としてただけだからw
実例って…君がすでにやってるじゃないか。
で、それから君が言い出したのは、整合性のある主張があれば穴なんてない。だから相手の土俵で勝てるってことだろう。
畜生大学生、つまり相手はバカなんだから、馬鹿に理屈なんか通じない。
だから、バカの土俵に乗るなと言ってるんだけど。自分の土俵、つまりまともな話ができる状況に持っていって適当にあしらえって。
それで君が対象にしてるのはまともな人の話だね。理屈が通る人相手の話なんだから。
違う対象を持ち出してきて無理矢理穴を開けてるね。
嘘付いたら駄目だぞ?
必要は無いのではなく、卑怯者は正面から向き合えないだけだろ?w
"本当に" 理屈が通じない相手なら自分も理屈を使わなければいいだけだが
初めのトラバ読んだ?理屈を使うとか書いてない、バカのあしらい方しか書いてないよ。
こういうことになるから話が進まないんだよな。
適当にあしらっとけばよかった。
将棋で喩えるなら盤上になるんだろうが、そこ "正面から" 勝負をするところだからw
詰め将棋をするところじゃないよw
比喩が通じないのか…
本当の土俵の話をしてるんじゃないの。
あと、俺は畜生大学生の話してるのに、横から入ってきて土俵から引き下ろして言いたいこと言おうとしているのは君だろ?
それは卑怯なことじゃないの?
さっきから話が平行線なんだけど、何がしたいのかな。揚げ足取って喜びたいだけ?
しかもその揚げ足って、ほとんど俺が後から書いた文章じゃない?
土俵に乗らないことくらいか、触れたのは。
君の主張は、相手の土俵に立たないのは卑怯、整合性のある理屈には穴なんてないってことだんだろうけど、
それは相手がまともな人間の話だ。それだったら土俵を変えるのは卑怯な行為かもしれない。
でも何度もいうけどバカに理屈は通じないんだよ。で、俺がそれを言ったら「お前のことだ」じゃ話が進まんだろ。
君が何やりたいのか分からんな。何がしたいの?何か得があるの?
自分の主張が正しいとでも思うんなら、俺が初めに付けたトラバみたいに、整合性のある穴の無い理屈を使った対処法を元増田に教えてやったらどうなの?
こんな感じで↓
正義感の強い発言やスジの通った発言を「ちょっと深く考えすぎだ」という理由で否定する。
自分より優れた発言をしてくる(と思われる)相手に対して多用される。
議論中に多用。
仮に相手の論点がずれていなくて、「どこがずれているのか」と聞いてくる場合、3.とのコンボで追撃可能。
3. 「どこがずれているのか」と聞く
相手に「自分で思考できないバカ」というレッテルを貼り付けて否定する。
相手が疑問を投げかけた時に有効。5W1Hの存在を否定する個人的に2番目に恐ろしい呪文。
4はちょっと異質だな。
畜生大学生「あなたの○○の概念と、私の○○の概念が違うように感じます。」
相手と自分のそもそもの思考が違うよアピールで、話が通じない(聞かない)ことを主張することで否定を行う。
また、ちょっとかっこいい言葉をつかって、さりげなく自分のほうが賢いアピールも兼ねているような気がする。
6もちょっと違うな。
人(自分を)傷つける=悪というオレ定義の元、相手を悪人に仕立て上げることで、相手の発言を否定する。
うまく説明できるならしてくれ。穴が無いからできるんだろ?ついでに4と6の対処法も考えてやってくれ、その整合性のある理屈とやらをどう使うかで。
30歳を間近に控えて、唐突に総合格闘技を始めてしまった。
まぁ、まず道場に行くわな。
するってーと、皆さんがいる。こいつらがまた、いい人たちなんだこれが。
道場全体にただようほのぼのオーラ。指導員のプロの方は流石の風格なんだけれども、
アマチュアクラスの人たちはほんとに奥ゆかしい。全力でチョーク極めた後に「大丈夫ですか?」とか
お互い気を使いあう間柄。まぁ、スパー中はガシガシやりあうけどな!
「みんなで強くなって楽しんで旨いビール飲もうぜ!」みたいな空気がたまらない。
ジュードーやってた時の「奥襟寄越せクソが!」「うっせぇ、背負うぞウド!」みたいな
あのキリキリした感じとは全く別で非常に楽しい。「あわよくば折れろ!」と思いながら変な角度で足払いを打ち込んでくる奴もいない。寝技戦は詰め将棋的要素が強く、スパー後の感想戦がやたら面白い。
もちろんおっさんなのでそこにはビールがつく。ちょううまいんだこれが。
ぶっちゃけてスポーツってものに最早いい感情は抱いてなかった。今でも高校部活は気が狂ってると思っている。
柔道推薦で高校に行くっていうことは「故障したらお払い箱」ってことで、
腰や膝辺りを壊してしまって無残に高校を去っていく同輩をたくさん見てきた。
競い合い精神を磨く、なんていうけど断言して私立の部活で精神なんか磨けない。
おまけに、ごく一部の大成した人間以外は名ーんにも残らない。大学まで行けて、就職まで出来た俺は
本当に幸運だったと思う。高校辺りでケガ→ドロップアウトの流れに乗ってしまった奴は
往々にして人生からもドロップアウトしていった。下手に体力と技術があるものだから、その後は本人にも他人にも
かなり悲惨なことになった例が多い。
それに引き換えて、ソーゴーはとても良い。
色んなバックボーンを持った人たちが、お互いに和気藹々と技術を交換しあう。
極真がローを教え、柔道が内股を教え、ボクサーはフックを教える。
皆一線級を退いた人たちだが、とても真摯に、何より楽しくシバき合える。
例えば、純粋極真空手の人VS純粋柔道の人だと8割方柔道が勝つ。
しかし、タックル切りを覚えた空手家相手だともうわからない。総合で一番戦績のいい柔術家だって
打撃ルールでは面白いほどカモにされる。(当たり前のことなんだが)
だから、みんな相手の技術と経歴に敬意を払うし、尊重しあえる。
いい年こいたオッサンが「だからさー、ゴゴプラータはさぁ」なんて真剣に討論出来るのが超楽しい。
柔道、空手、ボクシングなんでもそうだけど、基本的にモノを言うのはフィジカルだ。
しかし、柔術に関しては相当頭脳戦の要素があり、練習すればするほど強くなるのである。
断言するけど、30歳から始めても普通に強くなれる唯一のものが寝技、それも柔術式の寝技だと思う。(レスリングはちょっとフィジカル寄り)つまり、誰がやっても楽しいのだ。
そんなわけで、最近流行もしぼみつつある総合格闘技人口がまた伸びて欲しい。
反論という訳ではありませんが。
(正直、分からないでもない部分もありますし)
(1)値段が高い
「値段が高い」から、「プレイに時間がかかる」であって、コストパフォーマンス的には映画とかとそんなに変わらないのでは?
(3)話題を共有できる範囲が狭い
そのためのネットです。SNSでも、2chでもTwitterでも同好の士と盛り上がればよいと思います。
(4)実生活へのフィードバックが少ない
それを言うんだったら、本でも映画でもフィードバックが少ないでしょう。
本や映画で得るものは、「知識」や「教訓」くらいでしょう。
ゲームは基本的に「プレイヤー」自身が「攻略」するものですから、「技量」や「知恵」を使います。つまり、実生活における「問題解決」の練習になるのではないでしょうか。さらに言えば、私は今、PSPの詰め将棋ソフトで遊んでいますが、将棋が分かるようになれば、年配の人とのコミュニケーションにも役に立つと思いますよ。
もちろん、最近は、ゲームの幅も広くなり、MMORPGやソーシャルゲームなど、上記の条件に当てはまらないゲームもあります(個人的には、そういうゲームはアニメの「けいおん!」みたいなものだと思っています。「けいおん!」を見て何を得るかといえば、精々「幸せな気持ち」だと思いますし)。
国民新党の亀井静香代表代行は25日のテレビ東京の番組で、河村建夫官房長官が衆院解散の時期をめぐり「公明党を無視できない」と発言したことについて、「自民党は(公明党の支持母体の)創価学会の意志を無視しては政策も選挙もやれない。実態は自公政権じゃなくて公自政権だ。自民党は麻薬を使い過ぎた」と痛烈に批判した。
亀井氏はまた、民主党の小沢一郎代表の進退に関して「小沢さんはけしからんという空気がつくられ、それを払しょくすることは難しい。政権交代のために身を捨て、党のために身を投げ出すべきだ」と述べ、自発的辞任を改めて促した。(2009/04/25-12:59)
まるでこの国の害虫であるかのように(実際否定できないけど)言われっぱなしの創価学会ではあるが、こういった言説を表立って批判する学会信者を見かけないのは非常に不気味だ。考えれば考えるほど、オウム真理教とは違うどんよりとした得体の知れない不安感に襲われる。
俺も批判されて反論しない事は時々あるけれど、そういう場合って批判そのものに対する反論が思いつかなかったり、詰め将棋みたいに自分が論破される事がわかりきっていて、それでも自説を曲げる気が無い場合が多いんだよね。だからこそ反論しない信者に薄ら寒い恐怖を感じる。
「創価学会信者がお手盛りではないメディアに露出して創価学会批判に反論する」というシチュエーションの少なさも、やはり創価学会の戦略の一部なんだろうか。
将棋に強くなるための11か条
・最初はモチベーションが大事
・本気になれる
・楽しい
■大局観で指す
・駒の損得のみで局面を見ない
・手筋を理解する
・手番・駒の働き・玉の堅さを意識する
■定跡を覚える
・模倣は悪いことじゃない
・プロの検討の過程で洗練されてきた手を手と頭に叩き込む
・自分の指したい戦形を見つけろ
■盤面を必ず見る
・嘘をついてはいけない
・手拍子で指すのは自爆
・棋書を読む場合でも、盤面を見ろ(並べろ)
■省略しない(読みを)
・手拍子で指さない
・序中盤の劣勢であきらめない
・ディテールを略さない
・細い攻めをつなぐ
■ライバルを作る
・相手よりも強くなりたいと思え
・達成可能な目標地点を作る
・時には自惚れろ
■自分を追い込む
・将棋を指さなきゃいけない状況を作る
・頑張らなければ一生将棋は下手糞だ
■自分より強い人に見てもらう
・間違った部分を理解する
・正しい指摘をしてくれる人に指摘してもらう
・自己完結しない
■投資を惜しまない
・棋書を買っただけでは強くならないが、買わないと得られないものもある
・金より力を優先しろ
■勉強する
・向上心を忘れない
■将棋のことを好きになる
・常に将棋のことを考えるようになれ
・将棋に恋をする
・「この気持ち・・・まさしく愛だ!」
少し補足すると、将棋はダメな手というのははっきりしている場合が多いけど最終盤以外は「正しい手」というのはわかりにくい。(プロが感想戦で検討しても結論が出ないことも多い)
なので、指すときは思い浮かんだ手を指し、あとから検討することが必要。棋譜は対局終了後すぐに保存するべし。
勝局と敗局を分けて保存しとくと、負けが込んできたとき勝局の棋譜を並べると自信になります。
あと、こういうリストはブクマしたりメモしたり保存するだけではなくて、うまくなるにはどうすればいいかについて自分なりにいろいろ考えることが大切なんだと改変の過程で気づいた。
しかし僕はいつも負けて悔しい思いをしていた。父はというと楽勝に勝てる相手ということで楽しんでいるみたいだった。
序盤中盤の駒の進め方ややぐらの組み方や詰め将棋を教えてもらって少しずつだが上達した。
だんだん上達した小学生の僕は父と対等に勝負できるくらいになっていたがいつも負けていた。
ある日の終盤戦。父がミスをしてあと1手打たせてもらえれば僕が父を詰めるところまできた。初めてのことだった。
父が次の1手をどこに打つのか、あと1手で詰みだということに父に気がつかれないようにとドキドキしていた。
次に僕が打つ予定の手持ちの桂馬をできるだけ父に見えないようにしていた。
「早く、早く」と父を慌てさせた。僕のほうが守りに必死で負けそうという素振りをした。
そして、よくよく考えたすえ父はミスをした。
僕は父に勝ったのだ。初めての勝利で快感だった。ついに父に追いついたと思った。
それから僕は父と将棋をやらなくなった。
あのころの父に勝ちたいという一生懸命な欲求が無くなってしまった。
父は囲碁をするようになっていったが僕は囲碁もしなくなりそれっきりだ。
いま大人になって当時を思い出してみると、あの状況で父がミスをするはずがないよなと思う。
当時の僕の行動なんて挙動不振でバレバレであっただろうし、あと1手で詰まれるなんて大人なんだから気がつかないはずもない。
きっと父は僕を喜ばそうとしたのだろう。いつも負けて悔しい素振りをする僕を見て勝たせてやりたかったのだろう。
だが僕は父に勝ってしまったことで何かが変わってしまったのだ。