はてなキーワード: 試行とは
クリスマスに美味しいケーキをゲットするのは無理ゲーと感じる。
町のケーキ屋さんはこの日の大量の受注をいつもと同じ味では提供できない。オーブンフル回転でいつもと違う状況 かつ いつもより人を入れての分業でクオリティがばらばらに。如何にオーナーが重要ポイントを見てもふだんから分業しているわけでもないからその場しのぎになりがち。
一部の予約販売で個数を制限してできているケーキ屋さんもあるのだろうが前者かどうかの区別はできないし、前者も体制を整えて味は変わらないようにしていると言うだろう。
百貨店に出店するようなところは皆さんご存知の通り外注したり、冷凍したり。それでいつものおいしさは難しい。
外から見て、これはいつも通りのおいしさを担保したケーキか、なんて買う側からしたらわからないから完全に運。
そもそもケーキなんて日持ちのしない生菓子を1日で大量につくる&流通させるのなんてのはハードルが高い。
おいしいケーキがほしければ試行回数を増やして当たるまでやるか、たまたまあたったらそこをリピート&常客化とか、大変そう。いや、難しい。
試行回数は増やせるでしょ
ちなみにいまはメンタル疾患で休職中!休んでリハビリして復帰してまた落ちて休んでリハビリして復帰してを繰り返してたらあとはわかるな?
今は落ちてます!
労働者の身分そのままに治療ニートやってます。やばいんだよなあ、や、なんか、社会と比べた場合の焦りみたいなのがひとつも浮かばないのがやばいんだよやあ。もちろん自分のことについてはもう、ね、破滅。これです。破滅と決まっているので試行の余地なし。
とはいえこの広いインターネットの海の底にはまとめればもっともっっと壮絶な人生体験記録がざかざか見つかるはずでしょう。網走の柱状節理くらいにはざんざか明らかに見つかるわよ。そんでそれら全部延べたら百科事典くらいの厚さの「壮絶社会人生活記録」まとまるっしょ。できちゃうよ。出版待ったなしっしょ。
てことで匿名だし、誰も傷つけない、実在する組織に迷惑をかけない、主語は小さく、心は広く、で思いつく限りのこと、自分の体験、書いてくださいみなさま。よろ。
人間の臓器が不足するから、脳を損傷したもののまだ生きられる人まで死人扱いされて、臓器を摘出される疑惑の判定が相次ぐ。
金持ちが地方の少数民族を死刑に仕立て上げて、死刑囚から臓器を購入する異常ビジネスもはびこる。
子供の臓器移植については、先進国の大金持ちが移植待ちの地元の子供を押しのけて、自分の子供に移植権を譲らせる歪な構造もある。
こうした臓器移植に関する問題は、結局のところ人間の臓器が不足することに由来する。
その救世主となるのが、豚の臓器を人間に移植する技術だと思う。
今はまだ試行段階にあるけど、技術が進み、普及段階に入れば、人種・国籍・宗教・貧富に関わりなく、世界中の患者さんが救われる世界が到来する。
同じ人間から臓器を摘出するのが野蛮な行為だと思われる時代が来て、臓器移植と言えば豚というのが定番になる世界が来る。
研究が進んでいる欧米からまず豚の臓器が一般的な選択肢となり、それに続いて中国や日本でも普及する。
事象Aが起こる確率P(A)と事象Bの確率P(B)があって2回の試行でAとBが起こる確率は
P(A∩B) = P(A) * P(B)
なんだよね?
P(A∩B) = P(A) * P(B|A)
なのがわからんん。
前者の確率はサイコロを2回投げたときだよね。こっちは直感的で分かりやすい。
条件付き確率は例えば「東京都民を1人選んだら女子だった。この女子が港区民である可能性は?」となるのか。
ここで
は間違いなんだよね?
歌が一番わかり易いのだが、音に込める感情の起伏や細やかさといった表現のレベルと、音程や発声といった技術のレベルは正比例していることが多い。
これはまあ当たり前で、表現を突き詰めるために高度な技法があるわけだし、表現の高みを目指すモチベーションこそが、実力を高める原動力になるのだから。
したがって技法の身につけ方も、まず最初に「あるべき理想」を思い、恋い焦がれ、それを実現するために技術を身に着けていく。
音程の正確さだったら、そのフレーズの理想を思い描き、そこにマッチする音をはめ込んでいくことで正確さを実現するわけだ。
そのときの練習の意識は「自分の出したい音のために、ちゃんと音符がハマらないと気が済まない。だから頑張る」という感じ。
そしてこれは歌に限らず楽器もそうで、一番の好例はエレキギターやベースギターだろう。
音程の精緻さという観点で見ると荒削りではあるんだけど、でも圧倒される音/痺れる音を実現するのに十分ハマった音程なわけで。
しかし、このアプローチが全く当てはまらない楽器も世の中に存在するのだ。
その最たるものがヴァイオリンで、次点は吹奏楽の、特にコンクール偏重な環境で管楽器を学んだ人達かな。
どういうことかというと、
「そんな微妙過ぎる表現で、音程だけがそこまで正確に合うはずないんだけどな…」
と感じる演奏が極端に多いのだ。
ちなみに微妙というのは大味or貧弱だけでなく、指導されるがまま演奏してるのが見え見えな、悪い意味で指導者の劣化コピー的なわざとらしい表現も含む。
これは、「表現よりも先に正確さだ!」という方針で、そもそも表現とは?音楽とは?みたいな話を学習者が理解できないうちに、指導者から一方的に芸を仕込まれた結果である。
具体的には、フレーズの中の音譜を1個ずつ取り上げては「高い」「低い」あるいは「フォルテ!フォルテ!」という具合だ。
こういう、学習者の自発的な音楽へのモチベを引き出さないどころかガン無視するような指導は、習う方からしたら苦痛でしかない。
そして上達するために必須の条件というか適性が、この練習の苦痛に耐えることになってしまう。
この時点で多数の脱落者が出ることは確定である。
脱落しなかったとしても、表現と技法がアンバランスな、「普通の下手」よりも聴くに耐えない演奏をする、雑魚奏者を量産する可能性が高い。
音楽を習うのに、音楽を後回しにするんだから当然の結果だろう。
しかも、あるべき表現というセンスの涵養を後回しにしてしまう結果、何かの曲の演奏を完成させるにも試行錯誤の回数だけが桁違いに。
(逆にどう表現したいかが先に定まっていれば、そのために必要な試行そのものはシンプルなのだ。)
この傾向は曲が難しくなればなるほど加速度的に大きくなるため、最終的には百万回さらう体力・精神力が要求されるようになる。
こういう指導で幸せになれる人は、最初から表現のモチベーションに燃えに燃え、あるいは練習の早い段階でモチベに火が付き、それを最後まで絶やさず続けられた人だけである。
飲み込みが早い/要領がいいのも必要条件ではあるが、それだけだと「自分のやりたいことはコレジャナイ」という思いを秘めたたまプロとして食うしかないという、これまた苦しい人生が待っている。
というわけで、ごく一部のモチベーション超人かつ強靭な体力気力の持ち主しか、楽しい音楽家人生を送れない構造なのだ。
とはいえ、少なくともヴァイオリンについてはもう少し本人も周囲も幸せになるような育成をして欲しいと思う次第である。
幼少に初めたヴァイオリンで自らの雑魚な演奏に苦しみ、大人になって再入門後に長い年月を経て、ようやく憧れだった結構難しい曲(音大入試レベル)を心底楽しく学んでいる筆者の、ささやかな願いだったり。
これ
https://anond.hatelabo.jp/20230924212436
結局陰性だったみたい
生理がきたとのこと
見せてもらったらうっすら線が見えてて、別の定期3人に聞いたら「うーん陽性じゃない?」って言ってたから難しいもんだ
(ちなみにまだ陽性の可能性上がるらしいけど、ゴムつけてたわけでそこまで疑うのはやりすぎだと思う、念のため来週もう一回やらせよう)
そういう雑な記事を見ると100%じゃないのかよとか不安になるが、これは統計のマジックで
「1年間ゴムを使ってセックスし続けて避妊失敗する確率が2%」とかそういう感じらしい
考えてみたら妊娠という重大事案に対して1回1回確率を測るなんていうのは人体実験なのでできるわけないんだ
と思うかもしれないが、これは「理想的な使用で」らしく「一般的な使用で」は失敗確率13%らしい
え、どういう差があるの?と思うがそれはよくわからん(調べるのがめんどい)
もし失敗確率13%だとすると、年間100回試行したとして、1回の失敗確率は0.14%だ
100回やったら1.4回失敗すると考えると割と高い気もするが、そもそもそのくらいの割合の人は付け方自体間違ってる気もする
理想的な場合は1回の失敗確率は0.02%で、1万回中2回だから、これはもう破けたとかそういう話な気がする
だから理想的に考えるとコンドーム+ピルならほぼ100%を実現できるんじゃないかな、ピル売ってないけど
百歩譲ってギャンブル的だとしても、「ただの」ギャンブルと言えるほど単純に頭の悪いものではない
というかギャンブル的な射幸性が強かったら共産党が許さないだろう
一見ギャンブル的なランダム性が強い普通のガチャのように見えて、運によるブレを極力少なくする仕様になっているのよ
これは、基本の排出率を非常に低くすることでランダム性を逆に低くしている巧妙な手法で
最初のうちはまずでないが、天井付近になると急激に確率上昇していき天井-10あたりの地点で大半の人が排出する、という形になる
これに天井カウントの次回ガチャバナーへの引き継ぎが加わればまさに「かけた分だけ確実に充実する」堅実な疑似定量配布仕様と言える
従来の国産ガチャゲの仕様も廃課金レベルに膨大なガチャ試行を前提とすれば「かけた分だけ確実に充実する」とは言えるが、収束するまでの規模感がまるで違う
この確率変動はマスクデータになっているんだが、ユーザー統計から事実上明らかになっている
国産ガチャゲは業界団体による公開義務みたいなもんがあったはずで、その自主規制のせいで、かえってこういう健全方向へのガチャ仕様の抜本的改革がしづらくなっている
国産ガチャゲでは大当たりの率を高くすればするほどユーザーが喜ぶんだが、それは要するにランダム性を高めて射幸心を煽るものになってしまう
だから運良く引かれても経営が傾かないように、フェスだのなんだのと言って高排出期間とそうでない期間を作ったりするし
一週間無料10連だのといってヤクの売人ムーブをしてガチャ中毒になってもらいつつ運格差をバラマキによる試行回数で埋めてもらい溜飲を下げさせようとする
中華ガチャゲではそもそも天井前に引けることがまずない代わりに、そういう嫌らしいことをせず、トータルコストを低めの2万ほどに抑えており、ついでに排出ポイントがほぼ分かっているため平穏な心で回せて必要な予算も推定しやすい
国産ガチャゲでは天井前に少ない連数で引けることがしょっちゅうあるが、確率設定がゆるくても所詮一桁%なので運が悪いと天井まで6万7万コースになってしまうしSNSでの引けた自慢が精神的に堪える構造になり、ヤケの追い課金や「爆死」が発生する
最終的に無課金微課金で得られるキャラクター由来コンテンツへのアクセス可能度合いは大差ないものの、中華の方がより計画的に狙ったキャラクターを取得していくために排出を自己管理できるゲームらしさがある
その上キャラクター取得由来以外のコンテンツの質が(開発費が潤沢になりがちな分だけ)中華の方が優れているのでゲーム体験全体としてはより優れたものになる
そういうゲーム体験に価値があると感じているから、キャラ取得コストの妥当性を認める人が多くなり、幅広いユーザーから薄く広くの集金モデルが可能になっているわけ
一昔まえの国産ガチャゲでは逸般人レベルに金を持った0.数%の「太客」の理性をいかに崩せるかが収益性の肝になっていて、無料ユーザーはその餌でしかなかったが、そういう時代ではもうないわけよ