はてなキーワード: 評価基準とは
40代前半になり、管理職を意識した仕事の進め方(実務中心→マネジメントへ)を検討しはじめた頃だった。ずっと同じ部署で働いていたわけではないが、新卒からほぼずっと法人課税一本だった。
そんな折、数個年上の同僚のひとりであるN君が「今年度いっぱいで辞めて転職するから」と言ってきた(ビットコインの件で苦しんでいた人だ)。職場の飲み会の帰りで、飲み直しで別の店に入った時だった。少しばかり仕事で縁のあった会計コンサルの内定を得たという。
「なんで辞めるの?」と聞くと、「昨年課長にはなったけど、どこまでいっても組織の歯車で、それだったらまだいいけど……国民のために役に立っているとは思えない。だったら民間の方がいい。自分の仕事力は、広く社会のために使いたい」といった答えが返ってきた。「上司と人事には退職の旨を話してある」という。
私は、そこまで高邁なことを考えるタイプではない。どこか仕事から引いたところがあって、上から60点の成果を求められた時、80を出せる時でもあえて70の成果を出す。残り10の余力は、いざという時のためにとっておく。そういうタイプだった。
できるなら上の方まで昇進したいとは考えていたが、審議官とか、次長とか、長官とか、そういう地位はむしろ遠慮したかったし、私の学歴だと奇跡が起きても難しい。職務自体は好きだったから、できれば長い間やりたいとは思っていたが。
そのN君は、私などよりも公僕に向いている。いつも全力だからだ。そういう人だった。今回、自分の力を社会のために役立てたいという想いを聞いたが、嘘偽りはないと感じた。
数か月後、私は「絶対にここを辞めてやる」と決意することになった。N君の退職が認められなかったからだ。それで結局、N君は内定先を辞退することになった。伝聞での話になるが、N君の内定先には「霞が関の事情を説明する」という名目での情報共有(という名の転職妨害)が入ったのだという。
民間の方には事情がわかりにくいと思う。まずは次の規則を読んでほしい。
(辞職)
第五十一条 任命権者は、職員から書面をもって辞職の申出があったときは、特に支障のない限り、これを承認するものとする。
公務員の任免というのは、民法上の雇用契約が基底にある。そのうえで、国家公務員法や人事院規則により公法上の契約関係を構成する。ざっくりいうと、行政事務職の公務員≒サラリーマンということだ。労基法が適用されないからといって、隔絶した存在ではない。現業職の公務員だと、よりサラリーマンに近い扱いになる(団結権があるなど)。
上の人事院規則は、公務員のみならず民間業界をも拘束する。当規則が国家公務員法(国会で議決)から委任を受けているからだ。
N君の例だと、別の内規により人事院規則第51条が課長補佐以上には厳しく適用されるのに加え、「再就職に関する規制」に該当するおそれがあったのだろう。それゆえ、転職を目的としての辞職が認められなかった。
結局、N君はどうしたのかというと……私が辞める時点では在職していたが……少し述べると、あれからも転職活動をしたが失敗に終わったらしい。40代半ばで、国家公務員としての経験しかないN君は転職市場では必然不利になる。
N君に興味のある会社があったとして、N君からすれば入りたい会社ではなかったという。とはいえ、税務や会計の会社を選ぶとまた転職できない可能性がある。かくして、N君は今でも霞が関のどこかで働いている。どうか幸せでいてほしい。
「こいつらクソだな」と思った。たかだか数年前に1回契約したっきりのコンサルに移るくらい、認めてやってもいいじゃないか。厳密にいうと再就職の規制にかかってしまうのかもしれないが、それでもいいだろう。仲間なんだから。
当時は怒りでいっぱいだった。今はとうに収まっているが。所詮は、その程度の仲間意識しか持てない連中の集まりだったのだ――と今では達観している。
繰り返すが、四十前半であれば課長(管理職)になってもおかしくはない。平均的には43,44ほどで課長に昇進するイメージがあった。早くミッションを遂行しなければならない。
転職活動を始めることにした。この時、妻はすでに亡くなっていた。子どもはふたりいたが、先ほど書いたとおり、霞が関の一人親に子育ては不可能であるため実家に預けている。妻が存命だったなら、転職活動自体していなかったかもしれない。
この時は、リクナビも有名になっていた。転職エージェントもネットで探せる時代になっていた。さっそく求人を探していくも、自分に合った仕事は見つかりそうにない。リクルートエージェントにも登録して、毎日少ない自由時間を使って求人を確かめていき、平行して求人応募に最低限必要なドキュメントを作っていった。
転職活動スタートから三ヶ月ほど経った頃は、こんな状況だった。希望条件には、就業場所や入社時期や休業制度や、もっと細かい事項もあったが省略する。
二 職務内容に拘らない
ア どんな仕事でもやっていれば好きになる
イ それよりもどんな人と働けるかが大事
イ 全体向けに説明した後、現場レベルに立脚した観点で是非を整理
※この箇所は、文字ばかりで窮屈~というエージェントからの指摘あり
ア 息子と娘を遊園地などに連れていきたい
ウ この年になるとゆっくりしたいのもある
二 風通しがいいこと
イ 怒鳴ったり急に泣き出したり、負の感情を吐き出す社員はいないか?
ア 前の職場が不明確だったので。データによらずに上司が決めるなど。
イ ずっと続けられる好きな仕事にしていきたい
イ 子がいるので額面700万はほしい。今の年収△200万円までOK。
とまあ、いろいろ考えはしたが……結局、税務コンサルにした。スキルを活かせるうえに、さらに磨くこともできる。そのうえ、応募に必要な資格である税理士免許もある。応募要項には「事業会社での税務実務経験5年以上」とか「同業界でリーダーシップを発揮された経験3年以上」とか「M&A、組織再編、事業統合、事業再生等の案件に対する税務コンサルティング経験」とか、該当していない要件があった。
だが一方では、「上場企業、外資系企業などに対する税務申告書作成業務」など、こちらの十八番(ルールを作ったり審査する側)とも言える要件もあった。当てはまるかもしれない。
こちらの日系大手の税務コンサルを受けたいと転職エージェントに告げたところ、「要件については、体感6割でいいので。ほかにも何社か受けた方がいいですね。増田さんの場合は、最低15社は受けましょう」とアドバイスをもらった。
言いたいことはわかったが、こういうのは絞るべきだと感じた。一気に15社受けるのではなく、3社を5回に分けるなど、そういうやり方がいいと思った。※よく考えると、転職エージェントと転職希望者は利益背反の関係にある。転職エージェントとしては、ほどほど短い期間で離職しそうな会社を勧めるのがメリットだからだ。
かくして、税務コンサルのうち、外資系大手・日系大手・日系準大手の3つにエントリーした。うち2社が書類選考を通過し、一緒に働くであろう仲間との数度の面接を経た後に、幹部社員とも話をさせてもらい、最終的に2社の内定を得た。
決め手として、一番好感があった会社を選んだ。やはり、一緒に働く仲間――これがマストだった。上の3つでいうと日系準大手になる。
こちらの会社は、昔仕事でお世話になったことがあった。直接契約を交わしたことはないのだが。とある相談案件を通じて、互いの知見を高めることができた……とこちらは認識していた。その会社は、国税庁を不当課税処分で訴えたことがあったのが気になったが、今さら大した問題ではない。
次は、どうやって上司に転職を伝えるか考える必要がある。まともにやってしまうと、N君の時のように無理筋なことをされる可能性がある。公務員の退職にあたっての厳密な許可制や再就職の規制は、当時の私の役職(課長補佐)だとばっちり適用される。※20代とかの若手だと、基準を緩めてもらえるらしい。
「年度末で退職します」と告げた時の直属の上司の顔を覚えている。諦めと怨嗟が混じったような顔つきだった。一応遺留は受けたものの、上司もわかっていたようで、最後には「これまでお疲れ様。次のところでもうまくやれるように。ただ、辞職が認められたらいいけどな。俺は無条件に認めるけど」と言っていた。後は、人事による退職ヒアリングを残すのみだ。
思案した結果、退職ヒアリングにおいては、内定を得ていた会社のうち辞退するところを転職先として告げることにした。入社予定の日系準大手は、一応これまでの取引先には当たらないが、関係先に該当すると見做されるおそれがあった。N君の二の舞だけは御免だった。絶対に避けたい。今ここで、今ここで就職しておきたい。絶対に!!
証拠書類として、第二志望だった外資系大手のオファーレターの写しを人事ヒアリングで提出したところ、それから約一週間ほどか、何事もなかったように辞職の許可が下りた。そこから、残りの約二ヶ月半の間で引継資料を作り、3月の初め頃には仕事を引き受ける人に業務の説明をして、懸念事項の対処方法の素案を示して、最後に職場内で気を付けるべきことを述べて……それから数日後、私は職場を跡にした。
転職に成功した。一度下った辞職許可である、春先になって覆されることはない。覆そうにも、4月の時点ですでに民間企業との雇用契約が成立している。どうしようもない。私は管理職ではないからして、そこまで大事にならないはずだ。
実際、春先になってすぐ、雇用保険や健康保険の手続きの関係で、私の勤め先は元職場に知られることになったろう。それでも、私に元職場から電話がかかってくることはなかった――転職に成功したのだ。
新しくスタートした税務コンサルティングの仕事は、私にピッタリ合っていた。最初の1年間は、向こうの会社でいうところの雑巾がけ(企業の予定納税額の調べ、特定の申告方法の可否の問い合わせ、税制改正の動向調査)に当たる仕事だった。これまでの経験が活かせる、いい仕事に出会うことができた。
定時退社が実現し、給与は少しだけ上がり、休暇日数も増えて、福利厚生も十分だった。何より、一緒に働く仲間だ。自然な話し合いができる。暴言を吐く者や、怒りや悲しみの感情をぶちまける者や、不貞腐れる者もいない。言いたいことを言い合える。
反対意見に弱い人達じゃなくて、なんというか、「精神的に健康」というか。自分と考えの違う人の反論に耳を傾けることができる。それでいて、自分の意見として昇華できる。そんな人達だ。
いい職場に移ることができた。運がよかった。太陽が昇っている時間に家に帰れるなど、私にとっては夢のひとつだった。夕焼けは近かったものの、まだ青空が残っている部分を見上げると、子どもの頃に読んだ児童作品を思い出した。少し前にも思い出そうとしていたっけ。きっかけは忘れたが。
タイトルは、『ちいちゃんのかげぶんしん』だった。時代背景は、太平洋戦争の末期だ。ネタバレは避けるけれども、ちいちゃんという女の子が家族と一緒にやった『かげおくり』という遊びを通して、戦争反対を訴えるものだ。
かげおくりというのは、地面に映った影法師をしばらく見てから青空に目をやると、網膜に焼き付いた影の残像が空に映ってみえるというものだ。未成年だった頃の私の心にドスンときた作品だった。増田民にも是非おすすめする。
晴れ晴れとした気分だった。それからはマイホームで羽をのばした。なにしろ、毎日が定時帰りなのだから。子どもを実家から引き取るまでの間、家でゴロゴロしたり、趣味に勤しんだり、妻の遺品を整理したり、平穏な日々を過ごした。
暇な時間を使って、『犬神さんと猫山さん』のBlu-rayディスクを購入して観た。やはり、何も考えずに見られる。1話がCM込みで5分なのもいい。最終回は、花火大会だった。今まで出てきたキャラクターがみんな登場して、最後はふたりで花火を見上げながら手を繋いだところでエンドだった。
ネット掲示板を読んだところ、原作漫画(※記念に1巻を購入)の方は、残念ながら打ち切りのような結果だったらしい。作者も若い人だから、いろいろと苦労があったのかもしれない。でも、あの作品を面白いと思った人がたくさんいるのだと――作者に知ってもらえたら幸いだ。
私のようなおじさんが楽しめたのだから、若い人だったらもっと楽しめる。面白い作品に違いない。できれば15分枠のアニメだったらよかった。
たった三ヶ月の間だったが、思い出に残るアニメだった。ありがとうございました。
ここまで書き終えて、今は自室にあるパソコン机の前で一息ついている。携帯電話の通知を見ようか、それともコーヒーを飲もうか、ボーッとするのもいいかなと、いろいろ考えている。
税務官僚だった頃に比べると、今は幸せだ。そのうち慣れるとは思っていたが、あの辛かった日々を思い出すと、しみじみ幸せに思えてくる。不思議かな、辛かった日々であればあるほど、思い出す時に幸せな気分になる。なぜだろうか。
そんな思いに捉われて、ふと携帯電話を拾い上げた私は、デリヘルでも呼ぼうかと思い、アドレス帳を開いた。お気に入りの子が脳裏に浮かんでくる。
ここで思い留まった。そうだ、先日誓ったばかりじゃないか。もう風俗店を利用するのは辞めようと。昔はよくソープに行ったり、デリヘルを呼んだりしていたけれども、もうしない。そういう店は利用しないと決めていた。
長い日記になった。ゆっくり読んでもらえばいいし、わかりにくいところや、興味のないところは飛ばしてもたぶん理解できる。
今回、昔のことを振り返ることができてよかった。書いている最中、じんわりとした幸せが込み上げてきた。この幸運に感謝したい。
(追伸)
上で挙げたN君だが、半年前に話をする機会があった。今でも彼は、どうにか転職ができないか模索しているらしかった。裏技を使おうかとも言っていた。さすがにここでは言えないが。
N君の転職活動が成功する未来を祈っている。彼は独身だから、私よりは選ぶ会社の自由が利くだろう。彼の多幸を願って日記の結びとする。
「頑張らなくていい」って言葉が嫌い。
自分が幸せがどうかって自分でしか評価できない。自分の人生の目標が叶っているか、理想通りであるか、何を持って幸せと思うかが評価基準になると思うんだけど、それって人それぞれで、人によっては努力をしなきゃ叶えられないものもある。だから人によって幸せになるためには努力は必要。
「仕事(学校)に行かなくてもいい」という言葉も嫌い。行かなかったツケは誰が払うの?誰が責任取るの?誰が困るの?そこまで考えて言ってる?どうしても行きたくなかったらこういう選択肢もあるよという提案ならまだわかるけど、単純に「行かなくていい」を強調するのは無責任。
「生きろ」という言葉も嫌い。自殺した人に「あなたには可能性があっただろうに」という言葉も。自殺した人にしかその人の気持ちはわからない。死ぬより生きてる方が地獄だから死を選んだのに。自殺を止めてあとはサヨナラなら、その人は地獄を歩んでいく。自殺だってその人の大切な意思です。(自殺を助長しているわけではない)
死ぬこと自体が悪みたいに言うな。死にたくなる環境や世の中が悪なんだよ。どうしようもない時だってある。
ただ側に「死にたい」という人がいたら、少しでも楽になれるように視野を広げさせる言葉をかけたり、こういう生き方もあるよという話はしてあげたい。決してその人の死にたい気持ちは否定しない。生きることが大事なんじゃなくてどうしたら生きててもいいと思えるかを一緒に考えたい。
世の中綺麗事を言えば楽になれるわけじゃない。ネガティブも闇も受け入れなきゃいけない。共存しなきゃいせない。
「生きろ」という言葉は、その人に一生添い遂げることが物理的にできる人、その覚悟がある人しかいっちゃいけない言葉だと思う。自殺未遂すらしたことない人が安全地帯から無責任なこと言ってんじゃねーよ偽善者。恵まれた人生で何より。
実話怪談とは、四谷怪談のような古典怪談ではなく現代の怪談だ。というとトイレの花子さんのような都市伝説を思い浮かべる人もいるだろう。しかし、そのような出所不明の噂話とも違う。
まず大前提として「実際に不可解な体験をした人というのは、この世の中にいるんだ」というところから始まる。そして、それら体験者から聞き取ったものを語ったり、あるいは執筆という形で記録されたものが実話怪談である。
と、基本的な説明としてはこれで十分ではあるのだが、多くの人が疑問に思うことだろう「それが実際にあった話だとする根拠は?」と。
ここははっきりと申し上げておくが「そんなものはない!」である。
ないんスよ。というのも怪談は超自然的なもの、未知のものを扱う分野だからだ。最新の科学技術や物理知識を以てして証明できてしまったなら、その時点で、もはやそれは「怪談だったもの」となってしまうからだ。
うん、わかった。
もう少し突っ込んで説明しようか。
つまり、実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話」のことだ。
そんな根拠の拠り所となる体験者は、実際に語られるさいには、諸般の事情により匿名として扱われることが多い。
…はい、お察しのとおりだ。実のところ、受け手側に実話であると判断する材料はほぼない。
ここまで読まれた皆様におかれましては「せめて、なにか実話を担保するものはないのか?」とお思いかと存じます。
まあ、その、あるにはあるんですよ。お気に召すかはわかりませんが。
というわけで、以下が令和最新版だ。
実話怪談とは「実際にあった話だとする根拠はないが、とにかく、本当に不可解な体験をしたと主張する人がいて、その人の実在を根拠とした話…としたいけど、事情により身元は明かせない以上、聞き取ってきた私という実在を仮の根拠とした話」のことである。
あきれちゃった人には申し訳ないが、こういった回りくどい手順を踏むことで、かろうじて実話と呼べるものになっているのが実情だ。ゆえに実話怪談はその性質上、二重の信用が必要となる。
つまり、怪談話者(著者)は、取材において体験者が事実を話していると信用し、受け手は話者(著者)が嘘を言っていないと信用したときに、初めて実話怪談を楽しむことができるのだ。
もはや新手のカルトのように聞こえるかもしれないが、事実そうなのだ。とはいえ実話怪談愛好家がなんでもかんでも受け入れているかというと、そんなわけではない。聞いていて、あるいは読んでいて「なんかこの話うさん臭いなぁ」と思うことは多々ある。
なぜなら、それぞれが自分なりの実話怪談観を持っており、常にそれをもとにこの話者(著者)を信用するかどうかを推し測っているからだ。また、これは怪談の取材時でも吟味される事柄である。(興味があるなら『忌み地 怪談社奇聞録』あたりを読もう)
こういった部分も含めてこのジャンルの楽しみ方となっている。
個人的に言えば、実話怪談とは少額の霊感商法だと思っている。騙されたとしても、実害は、文庫本なら数百円ていど、新書なら千円か二千円ていど、映像ならタダから数千円ていど。イベントもそれくらいのものだろう。
これは受け手側としての心持ちについて論じているが、同時に話者(著者)側にある程度の倫理観を求めるということでもある。
実在する人物を扱うこともそうだし、死を扱うという点においてもそうだ。タブーをかき分けた先に真の恐怖はある。根本的に不謹慎なジャンルなのだ。
だからこそ信用される優れた話者(著者)となるためには、細心の注意を払いつつもギリギリを攻めるという綱渡りを行わなければならない。
ともかく、信用を重視する点からわかる通り、実話怪談というジャンルは意外なほど属人的な性質を孕んでいる。そしてこの属人性こそが、昨今の実話怪談ブームの一因であるように思う。
分かりやすく言うと、怪談師と呼ばれる人々が出てきたことによって盛り上がったのだ。
実話怪談の始祖を『新耳袋』とするなら、最初の媒体は書籍であり文字媒体だった。(ちなみに稲川淳二御大の語る怪談を、実話怪談の枠に当てはめるのは無理があるので割愛)
まだ怪談師という言葉はなかったが、初期のころから属人的な気質は垣間見れた。とはいえ、この時代の実話怪談はエピソード至上主義であった。
私は00年代の初期からの愛好者だが、この時代は怪談にとって冬の時代だった。それでも『新耳袋』や『「超」怖い話』がシリーズとして刊行を続けてきたことが、今日の盛り上がりの土壌となっている。
「怪談師」という言葉が出だしたのは10年代の中頃だろうか。怪談師とは怪談話者のことだ。彼らの活動範囲は音声のみならず、映像やイベントなど大きく広がっていった。
そのため必然的に話者の存在が前に出ることとなったが、属人性の強い実話怪談と非常に相性がよかった。
昨今の怪談人気は、すなわち怪談師の人気と言って差し支えない。
さて、それに加えて、去年あたりから呪物が盛り上がりを見せている。
いわゆる呪物ブームだ。
事情を知らない人からするとマンガ『呪術廻戦』人気に乗っかったものだと思われるかもしれないが、それは半分くらいは正しい。マンガの影響はでかい。
とはいえ呪物コレクターと呼ばれる存在が昨日今日で誕生したわけではない。もっと言えば、呪物と呼ばれるものは大昔からあり、怪談好きに限らず、多くの人から認知されていたはずだ。
そもそも実話怪談においては、エピソードが重要視された。実話の「話」とはお話(エピソード)のことだから当然と言える。ゆえにエピソードの乏しいものは主流から外れていく。
怪談ジャンキーには「ここの木陰に恨めしそうな女の顔があります」だけではお話として弱く感じるのだ。
「出ると有名な廃墟を探索しました。すごく雰囲気があって怖かった」だけでは怪談欲は満たされないのだ。
呪物もその性質上エピソードに乏しい。「これが丑の刻参りで有名なご神木に刺さっていた藁人形です」だけでは情報不足も甚だしく、消化不良を起こしてしまう。
とはいえ、これらは実話怪談という評価基準において物足りないというだけで、それぞれに違った魅力があり、愛好する者が一定数いる。
また、怪談師という存在が実話怪談を発表するメディアを広げたことにより、別媒体として点在していたそれらが、集約されつつある。その中でもビジュアルに優れた呪物は、具体的なイメージに乏しい実話怪談を補佐する存在とも言える。
だが、それは本質ではない。
呪物ブームの最大の理由は、呪物コレクターの所有する呪物のエピソード性の高さだ。いつの間にか呪物はお話を手にいれ、怪談そのものとなっていたのである。
むろんこれにはカラクリがある。そして、それこそが先般の木札に関連した炎上事件の原因ともなっていると考えられる。
具体的な手口は単純で大したことではない。呪物の定義を限りなく押し広げた、それだけ。
一般的な「呪い」や「呪物」といったもののイメージは「恨みを持った人間が、儀式などの間接的な方法で怨念を晴らそうとする行為=呪い」であり「その儀式で使用される道具=呪物」ではなかろうか。すなわち丑の刻参りを行うことが「呪い」であり、そこで使用された藁人形が「呪物」であると。
・呪われるわけではないが曰くのあるもの
・心霊現象に関わる物品
・念のこもったもの
これらをまとめて呪物として扱ったのだ。
呪物という語にそれらを無理やりに詰め込んだ結果、呪物のミーム化といった現象がこの界隈で起こった。これによりエピソード性は強いが呪物と呼びがたい物すらもその範疇に納めることに成功する。
どこまで意図的に行われていたかは分からないが、そういった呪物コレクターの戦略が奏功し、折よくマンガの人気と合わさったことで、呪物ブームが巻き起こったのではなかろうか。
あくまで個人的な考察ではあるが、あながち的外れでもないかと思う。
というのも、今回の炎上には特徴的な温度差が見てとれる点からも、それらを裏付けているように感じたからだ。
今回の件はジャニーズ性加害問題と似ている。すなわち、内部においては問題意識がほとんどなく、外部の人間が指摘することで初めて問題化したという点だ。
そもそも木札のエピソードは2022年の時点ですでに紹介されており、それこそ祝祭の呪物展というイベントでは2年連続で展示されていた。しかし木札について問題視する声は(自分の観測範囲内では)なかった。
私自身はイベントに足を運んではいないが、動画にてその存在を知った一人である。だが、やはりその時はまったく問題意識はなかった。
事が明るみになったさいも、初めは事情の分かっていない人が騒いでいるだけだろうくらいに思っていた。しかし実際に内容を確認するにつれ、そういった次元の出来事でないことに気付き、心地よい夢から叩き起こされたような気分となった。
この件に関しては、はやせ氏に非があることは間違いない。
問題は複数あるが、やはり東日本大震災の被災者と関連のある物品を「呪物」というくくりに入れてしまったことに尽きる。呪物コレクターとしての戦略が裏目に出た形だ。
だが、本当に非があるのははやせ氏だけだろうか。
これは出自不明と説明された木札の出所が判明し、そのエピソード自体に疑問が持たれた今だからこそ言える話などではなく、最初の発表時からあった問題だ。
しかし自分も含め誰も指摘できなかった。受け手側も麻痺していた部分があったのだ。間違っても「はやせさんがあんなに謝ってるんだから、許してあげてください」なんて言える立場にない、どころか一緒にごめんなさいしなくてはいけない立場にあると言える。
…とはいえ、頭では理解できるものの、心の奥底では引っ掛かりを感じている。
それは結局のところ、不謹慎さも含めて楽しむというスタイルが染みついているせいだろう。
自分は高潔な人間などではない。心の奥底にドロドロとした薄汚いものを秘めた、しょうもない人間でしかない。
冒頭に戻るが、今、実話怪談が盛り上がってきている。
文字媒体くらいしか発表の場がなかった時代は終わり、怪談師の活躍により発表の場は増えていった。賞レースも盛んとなり、多くの怪談師と無数のファンを生み出した。
注:長い&読みづらい
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この方が本当に目指すのは、苦しさからの脱却だよね。それは「二十数年間女性と縁遠いことによる鬱憤」の解消、and / or 将来的に同様の鬱憤を溜めないということだと理解しているのだけど、それだと男性らしさからおりることのみで達成されるとは思えない。男性らしさというのがいささかはっきりしないのだけど、後述される1〜4を読むと、苦しんでいることは次の2つなのではないかと推察される。
(B)女性から異性的魅力(=セックス可能な魅力)の価値を認めてもらえない
(C)異性的魅力をべつの女性に期待してもまた(B)になり、この世の女性から(B)となるのではないかというのが怖い
ということだと思う。これを迂回するのに彼のあげる(1)〜(4)が最適解かというと、そうでもない気がする。(1)〜(4)を引用しておく。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
おれの考える最適解は以下のようになる。
(イ)暴力的な定義を変える。真っ向に向かうことだけが暴力的ではない。<(A)の解決>
(ロ)性的にひとりで充足する。すなわち、性欲を肯定する。ただしペニスや射精による性欲を辞める。< (B) (C)の解決>
以下詳細。
(イ)については、(1)の肯定でもある。強い相手は勝ちようがないのだから逃げれば良い。それが最適で合理的だ。しかし、だから弱いとか暴力的ではないと考えるのは早計だ。その場では逃げるという選択肢をとっただけで、別にあとから立ち向かっても良いし、そもそも立ち向かえないものに突っ込んでいくことは暴力ではなく単に無謀なだけだ。例えば目の前に理不尽に怒鳴る上司みたいなのに言い返せず頭が真っ白になる、というようなことで「自分は弱い」と考えているのだろうが、それはあなたの防御特性であったり思考回路や知能特性であり、またその場では何もできないというだけの話だ。たとえば後からムカついていれば、あなたは立派に暴力性をっもつことになり、法治国家において、この上司を後々階段から突き落とすことは自身への利益<損害という判断をしているだけにすぎない。階段から突き落とすのではなく、もっと合法的に合理的に復讐をできないのはあなたの考えが足らないだけの話だから、(1)とは関係ない。あとでゆっくり考えるべし。これを「陰湿」と思うかもしれないが、陰湿であろうがなかろうが暴力的であることに変わりはない。なにが言いたいのかと言えば、暴力性というのものはどんな形にせよあるものなので、「逃げる」ことで陰湿なことを実行しないのであればにならないのであれば十分倫理的じゃないかということである。
※ちなみに、わかりやすく抑止的な暴力性を発露したければ筋トレをして会社で認められる限り坊主にして眉を薄くすればよい。男は禿げるので「禿げてきた」という言い訳で坊主はいける。なんなら人為的に禿げさせていって最終的に坊主になれば良い。
(ロ)これは(2)(3)の否定でもあるんだけど、まずあなたが女性に異性的魅力を認めてもらうのは現在では無理なのだけど、それが気になって仕方ないでしょ?でも性的な充足感がないから気になるわけじゃん。これはもしろいんだけど、自慰行為をセックスの代替ではなく目的にするとここらへんはけっこうな勢いで解決する(ことが多い)。すごく端的にいうと、結局異性が性的対象なんでしょ?というの。そこに未練をなくそうぜという話。そこに特に具体性がなく「モテたい」という願望を捨てる、といってもそれは結局無理なので、今度は男としてというより「人として尊厳が低くなる」とかいう悩みに行きがちで、有効ではない。この面倒な性欲を満たすというところを具体的に処理しないといけない。なので自慰をするわけだ。薬で性欲を無くするのは特殊な事情でもない限りいまは無理だし、寺、修行、悟り系は時間がかかる上俗世と断ち切られてハードル高い。そこまでやっても実は性欲があったりするのでぜんぜん効率的ではない。現実的には自慰でより深い満足・肯定感を得る、自己充足方式が一番現実的である。
それは人それぞれ色々あるけれど、ペニスからの快楽を捨てることは必須になる。アナル、乳首、なんでも良いけど、ペニス以外の性感帯をつくり、ペニスに刺激を与えて射精をするという仕組みからさっさと脱却すること。一般的にいうメスイキってやつを身につけろってことね。これを丹念にやっていくと、わりと対象としての女性はどうでもよくなることが多い。ようは、性癖を拗らせろ、射精をやめろ!といってるわけだ。
うまく拗らせると目の前の女性は別に性的な立ち位置ではなくなるから、(3)(4)はどうでもよくなるのよ。
まあ人としての評価は得たいから、身だしなみには気をつけておく。これは社会人として仕事してればそうじゃん。男性らしさとか関係ない。服を洗え。髭を調えろ。鼻毛を切れ。髪を調えろ。しわくちゃの服を着ない。そういうやつだ。そこは機械的にやればよい。モテではなくマナーとかいうやつだから、別にオシャレである必要はない。で、髪を整えるのが面倒なので3〜5mmくらいの坊主をお勧めしている。
あと、性癖の方向性について注意したいのは、肉体的な快楽を追求することに専念することだ。
精神的な快楽、つまりシチュ萌えとかにいくと対象としての女性が概念的にも登場することになって結局(3)を克服できないからね。あなたがオタクなら完全にキャラ依存しても良いけれど、声優がいる場合はそこに意識が向きがちのでやめるべし。その場合は自分でオリキャラを作れ。いまは絵心なくても3Dカスタムでできるでしょ。
もしくは、純粋に肉体的な快楽を追求する。そうするとかなり無機的な性癖になっていく。いやいやそんなことないと思うだろうけど、男は切羽詰まれば羊にも突っ込むわけで、そこらへんはほんとうに何ともなるのよ。ちょい性欲トリガーを変えてやればいいだけの話で、残念ながら男はそこらへんちょっとしたことで変わりやすい。
注意点として、自慰に時間を使いすぎないこと。とくに性癖チェンジ初期はそう。賢者タイムに後悔するリスクがあり、そうなった場合感情をフラットに戻しづらくなり、最悪今の自分を否定し始める。本当に面倒臭いので、性壁に堂々たる肯定感を得てから長くすること。あと長すぎる場合、社会的な信用を失う(タスクのdueを破るなど)ことにつながることもあるので、それも気をつける。このときはもう射精をしていないはずなので、そうすると下手すると延々時間を溶かすからね。15分くらいからはじめて、長くても1時間にとどめる。
これを達成しても(1)の暴力性は年収とかそういう社会的成功者としてのマウント欲が露になってきたりする。
自分が上ならマウントしたくなるし、下なら惨めになったりする。それを回避する方法を書くには余白が足りないともいうし、プロフ欄に→とかいうしかないし、正直にいえばこれの回避はまだおれもわからない。いや、マジでほんと色々欲望ってのは面倒だよね…
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
気色悪い~~~~~~~~~~~~~いぃぃぃ!!!!
女ほうばっかチラチラチラチラ見てんじゃねえよ!!!そんな精液の臭いをプンプン垂れ流した文章をネットの海に放流するてめえは誰よりもオスだ!!!
①にしても男性性関係ねえ!!女性だって家庭内暴力振るったらDVだし外で暴力振るったら傷害事件なんだよ!!
「男らしさから降りる」ってのはさあ、お前の自身のためにやるもんじゃねえの!?
「女性様、安心してください。僕は暴力も振るわないし女性とセックスすることなんて考えてない無害なオスです」ってアピールになんの意味もねえわ!!
な~~~~~~~~~~~~にが「性的消費」だチンカス!!その発想がキモいわ!!むしろ「ぼくは女の人や二次元の女の子は性的消費しません!」って言いながら変な興奮してんじゃねえのか!?
アダルトビデオ見てなかろうがなんだろうが知ったことじゃねえ!!むしろ逆に好きにこっそり見ろよそんなの!!!どちらにしたってわかりゃしねえんだからよ!!!
どうせ釣りかなんかなんだろうけどさ~~~~~それにしたってキモすぎるわ。
「男性性から降りろって言ってるのに実際降りたらこう言われるんですね」とか言い出したら承知しねえぞ。だって降りてねえじゃん。女ァ~女ァ~ってうごめくゾンビがよ。いつ噛み付いてくるかわからん腐った男は男性性じゃなくて人間性を失ってるだろ。
「じゃあ正解教えて下さい」もダメな。お前のためにお前が男らしさから降りるんだろうが。お前がつらくならないような考え方はお前しかわからないの。なんなら男らしく生きるのが自分にとって良いならそう生きりゃいいんだよ。
私とおそらく多くの日本人は日常の中で暴力的な悩みと遭遇することはありません。
貴方のお住まいの環境は特殊ではありませんか?事情を説明してください。
それとももし暴漢に襲われたらどのように行動するといった思考実験に関する話でしょうか?
この言葉は使う人によって定義があいまいです。具体化して語ってください。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
孤独は統計的にみてタバコや酒以上に寿命を縮めます。実際は孤独なのに見て見ぬふりをするとしたら危険です。
精神科の受診やカウンセリングを受けること、寂しさを埋める代替行為の探索が必要かもしれません。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
近年の脳科学によると無意識が外界の状況を評価・行動して、意識はそのつじつま合わせの言い訳を作り出すだけの存在でしかないといいます。
つまり美人かどうかを意識で扱わなくなると無意識に差別的な行いをする可能性が高まります。
端的に自分は平等に評価していると思い込んでいるだけで実際は不平等をしている不誠実人間になります。
自分が美人かどうか判断したか自覚すること、自覚した上でフェアに振舞うことを目指しましょう。
まとめ
全体的にみると貴方は意識に過大な期待をしていますが意識は無力です。普通に三日坊主で終わると思います。
問題意識を自己に刷り込むにしても、問題の掘り下げが足りないですし、行動の具体性がないので失敗すると思います。
明確に失敗するならまだいい方で、具体性がないのでの失敗したかどうかも判断がつかず悶々とした日々を送り続けることになるかもしれません。
いままで二十数年間女性と縁遠くて、ずっと鬱憤が溜まってました。
どうして僕はこうなんだろうと。
なぜこんなに男らしくないんだろう……そんな考えに抑えられてたんです。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
匿名ダイアリーとブックマークに、この方針で男らしさを捨てた先輩はいらっしゃいますか。
注意点や落とし穴、基本的な心構えを教えてくださるとありがたいです。
追記・午後8時
コメントを読みました。
僕は悲しい。
言ってること正しいと思う
自分は婚活増田じゃないんだけどさ、これまで男たちは仕事してればあとは色々クソでも許されて家族からお世話や尊敬をされたのに、いざ女の自分がそこらの男より稼ぐようになっても男の世話ができないと全く許されないどころか、稼ぐこと自体が足かせみたいな現実に直面して、あーあってなってる
今客観的に考えればわかるよ、そもそも社会に求められたムーブであるかどうかが評価基準であって、稼げるかどうかじゃなかったんだって
ほとんどの男は女を人じゃなくて女としてしか見れないのはどうしようもないことなんだって
目の前で自分の母親がいつも「ふええなんにもできないです〜困ったことがあったら、それは全部夫がわるいです〜」とか馬鹿丸出しならなおのこと自立しか考えられなかったし
なので今世は諦めて、ひとり気ままに暮らすことにするよ
ナチス(①過去の一部)はいいこと(②過去の評価の一部)もした(③という事実をここで話すという事の意義と、何に対してか不明)
①は実在したと人間の記録にはあるし②は人間がもってる評価基準でラベリングするなら同系統として「いいこと」になりえる行動も含まれている
その前提をもってこれから行動をするか発言をするかという意図なくしてこんな話を出してくる必用はない
朝ごはん食べる時や顔を合わせた時の挨拶、業務報告やメモを取るときに「ナチスはいいこともした」とつぶやいたりして、その発言には意図はなく事実を述べただけだ、という事があるわけがない
なので「その文脈を持ち出す時点で意図していることが逆張りだったり人と違う事をいって場を荒らすためだけの目的であること」なのが明白なのでダメ
パレスチナ人虐殺してる(①現在の一部)イスラエル(②現在の一部)は評価のしようがない
現状発生していることなので「よかったかどうか」を判断できない
「よいことであるかどうか」は結果によるという評価基準のみが一致している
それがどういう評価を得るのか現状の予想だけでは見解ごとに異なる
なのでいいも悪いも現時点で存在してない
同列で語るなら
イスラエル(①話題にあげている時点の呼称)が パレスチナ人虐殺した(②過去の評価可能な1例)1例について、自分はよしとする評価をした(③自由な発想や評価)が、それはAUTO(何に対してか不明)か?
どちらにも言えることは「何に対してか」が不明なところだ
人類に対してとか地球に対してとかいう事に意味がないのはナチスの例の「発言の目的」についてと同じでダメだろう
ダメというか意味がないことをつぶやいてるだけなので、絡まれたくはない
親ガチャ失敗したと愚痴っている人間に「努力しろ」と説教する人間の何が嫌いって努力の基準を勝手にそいつが決めてることだわ。ハンディキャップ背負ってる人間の努力といわゆる普通の人間の努力って全く評価基準が違うだろ。大抵の人間はやれる範囲で努力してると俺は思う。
あと簡単に他責思考とか言うのも嫌。確かに他責のみで生きてるやつはいるし、動かないのは愚かだ。でもそれ、ハンディキャップに絶望して無力感で動けなくなった奴も含まれてるだろ?俺はそんな奴を更に追い詰めるようなことしたくないわ。
俺としては共感が前提にあって初めて他人に努力しろって言えると思うんだよな。インターネットの人間に求めるものじゃないけど。
どの業界でも存在する企業体質だ、と思った反面、個人的には今後活躍する若い世代に残したくない企業体質である。
この企業は、小学生対象の中学校受験対策から個別指導、大学受験対策まで行っている企業だ。
会社の主部門は小学生対象部門。私は大学受験対策の一部部門で働いていた。少し特徴のある部門だったが、私の強みが活かせると考え転職したのだった。
強みが活かせると考え入社はしたものの、すぐに企業の実情を知ることとなった。
・上層部からの一方通行なありがたいお話を1時間聞くだけの名ばかり会議。
・利益第一主義体質から行われる売り上げを作るための不要な講座作成。
などだ。
「指導」が「売上」に繋がり、「結果」に繋がる。その「結果」を見て翌年顧客が来る、という自分なりのビジョンを掲げていたがこの会社はそうではなかったらしい。
教育業ではあるが、同僚と話をするのは「指導」の話ではなく、いかに売上を作るか、いかに人を集めるかであった。
とにかくその年の売上、前年に対して決められたパーセンテージを超えれば、達成。
要は、入学後お金さえ落としてくれればあとは授業だけ出席させばよい。退学だけ阻止すればよいよね。釣った魚には餌なんてあげないよ、だ。
悪天候で流れた授業の補講は行わなくて良い、なんて仕組みを聞いたときには驚いたものだ。
今年も合宿にいく?らしい。行かなければ前年と比べて売上が下がってしまうからな。
しかし、教育業とはいえ株式会社である。会社の目的は利益の追求。
我々の評価も「売上」すなわち予算の達成で決まる会社だった。「指導」や「受験結果」については一切評価基準にはなかった。
会社なので慈善事業ではない、利益を追求する必要があるのはわからなくもない。
一方で利益について、予算が達成できていない、予算に対して大きく乖離がある、その場合は前述の会議で上司からつるし上げをされるわけだ。
立地的に集客が厳しい校舎もあった。エリア的に集めていたが、予算があり得ない数値になっていた。予算未達なだけでつるし上げをされていた校舎もある。
他の受験部門や個別指導部門では、それこそビッグモーターのようにLINEからつるし上げをされていたとも話に聞く。
経営層からすれば我々のような一校舎の長は「売上」を生み出す「労働力」でしかなく、「売上」を生み出せない「予算」を達成できないのはただお前の頑張りが足りないだけと思っていたのだろう。
私の在籍していた部門は、退職前には予算達成が厳しい数値になっていた。
以前までのブランドを活かせず、入学者数にどの校舎も苦しんでいた。おそらく、コロナ禍による家計の急変、物価高騰による教育費が家計に与える影響増、そして、ブランドの信用を失いはじめたなどだろう。
その際、上長や部門長に近い人間から言われたのは「このままじゃ働く校舎がなくなるよ?」「原因は何だと思う?」だ。
上長・部門長にあたる人間はこの状況について、原因を見つけようとせず校舎の責任に投げたのだった。
彼らも予算未達についてその上の経営陣に晒し上げにされたのを我々に落としているだけだったのだ。
教育業ならば利益最優先ではなく、全うな「指導」を対価に顧客からお金を頂く仕事がしたいと思ったこと。
自分自身が納得し、顧客に対して必要なものを提供したいと思ったからだ。
・見せ方が上手い
だ。
私が在籍していた企業も見せ方は上手かった。誠実さ、人が一番です、優先すべきは人です、なんて述べておきながら、実情見ているのは金だった。
顧客となる方々は難しいとは思うが、そのような企業を「見抜く力」が今後要求されるのだろうと、思ったニュースであった。
ビッグモーターでは、店舗の店長がうつ病を発症した、そんなニュースも流れていた。
どの業界でもこのような企業体質ばかりでは、これからの社会で働く若い世代も働きにくいであろう。
利益至上主義で人に顧みない企業はすべて体質を改めてほしいものだ。
個人的には体質は変わらないと思っている。ビッグモーターや私の勤めていた企業をはじめ、このような企業は顧客から信用を失い、選ばれなくなり、倒産して欲しいのが私個人の願いだ。
そして、これから活躍する若い世代が自信をもって納得して働くける環境を作る、そう私自身を戒めるニュースでもあった。
つたない文章であった。お目汚し失礼した。
昔から理解に苦しむ『不思議な』世の中の現象がいくつかあった。
明らかにクソな金融商品(保険や投資信託)を売れる営業やそれを買ってしまう顧客、頭の悪い発言を連発しているのに好感度が高い政治家とそれを評価してしまう有権者、どう見ても遊んでいるであろう男性と出会ったその日に一線を超えて、後から騙されたと後悔する女性。
数えるときりがないが、長年不思議に思っていたこれらの現象を説明できる概念を発見してしまったので備忘録的に書いておきたい。世の中には『印象補正』というものがあって、その個人差がメチャクチャ大きいんじゃないかということだ。
初対面の人の人物評価を考える。前情報からの期待値が60くらいだったとして、自分の場合、対面での印象がよければ+10、印象悪ければ-10くらいの評価に一旦補正されて、その後のやりとりで対人評価が上下していく感じ。世間の大多数も似たような人物評価をしてるんだろうなと生まれてからずっと思っていた。
ところが人物評価の物差しの個人差はものすごく大きいらしい。30年ほど人間やってきてようやく気がついたのだが、世の中には初対面の印象が良ければいきなりプラス補正で100点になったり、マイナス補正で0点になったりするような評価基準の人がいるらしいことだ。
この事に気がついてから、最初に書いた『不思議な』現象がよく理解できるようになった。自分の場合、印象補正のブレ幅が小さいので、クソみたいに手数料の高い金融商品の営業が来ても「手数料たけーな」と思うだけだけど、人によっては営業が知的な雰囲気で信頼できそうならば対人評価の印象プラス補正が大きいので「商品は微妙だけど、営業さんの人柄がいいから買いたい!」と判断を変える人が普通に存在するのだ。
「今のままではいけないと思います。だからこそ日本は今のままではいけないと思っている」みたいな発言を連発しても一定の支持を得られる政治家にしてもそう。対人評価の印象補正が小さい人は「アホやなー」で終わるけど、印象補正が大きい人は「なんかわからんけど、スマートな政治家先生がいうなら、ありがたい話なんやろ」みたいな感じで、なぜか高評価になったりするのだ。
他にも、仕事が対してできるわけではないのに、何故か上司の評価が高い人は、上司が印象補正が大きい人で、部下が印象を良く見せる技術に長けてるんだろうなとか、この概念を思いついてから世間の見方が少し変わってきた。
と、ここまで書いてきてふと思ったんだけど、体育会系の男性や、社交的な女性ってこういう気質よなと感じたり。もしかしてみんな思春期くらいからこの事に気づいて適応できるように振る舞っていた?
バッジは能力の証明ではあってもバッジそのものを勝負に使うわけではない
金を稼げるから、顔がいいから、仕事がデキるから、ファッションセンスがいいから、トークがうまいから女を捕まえられるというだけ
これぐらいの女を捕まえられるなら金or顔orセンスorトークその他でそれに相当する能力があるんですねという話なので
「女でポケモンバトル」は誰もしてない
「ポケモンバトルに勝利した証明」が女であって、女でポケモンバトルしてるわけではない
そもそも加害ミソジニー男性について、女性間で「あいつやばいやつだから気をつけろ」という情報が共有されているというだけなのに
本人は
顔、センス、優しさ、スタイル、ファッション、性格、将来性、金、知名度、優越度、そういったものを事細かに見ていき、5段階くらいで評価し、共有していく
なんて発想になってんのがな
そもそもこういった事で全員の評価が一致するわけがないのに何故か共通の評価基準があると妄想してるのが
ランキング大好きで所有する女でポケモンバトルしたがる男の発想だよ
女は「近寄ったらやべーやつ」以外はそんなに関心もないし友達が誰と付き合ってようが(やべーやつでなければ)どうでもいいのに
上司からは「プロパーのAがいなくなって、これから仕事が楽になるのに何で辞めるのか」と聞かれた。
それはA以外にもヤバい奴が多すぎて、もうこの会社そのものに嫌悪感しかなかったからだ。
ヤバいのはA一人ではなく、上司や同僚も同じようなノリで仕事をしているらしい。
「課題解決のためなら残業も徹夜も当然」な脳筋理論が蔓延しているとのこと。
Aが現場に無茶な量の仕事を投げ込むのも「下請けに何件仕事をさせたか」「下請けに何件指摘したか」が評価基準になっているためらしい。
うちに詳細仕様を展開する上流工程の部署もそんな有様だったので、こちらは大変苦労させられた。
内容を理解せずに仕様書を更新しているらしく、展開メールには更新内容を絶対に書かないので
メールが届き次第、送信者の席に直接向かい、更新内容を口頭で確認する必要があった。
変えたはずの箇所が変わってない、変えてない箇所まで変わっている、といったことは日常茶飯事だった。
これらの仕様書の誤りによる作業遅延は、うちの部署が残業や徹夜でカバーする羽目になった。
この部署に「仕様書の更新方法や、メール展開の仕方まで人によってバラバラなので統一してくれ」と何度もクレームを入れたが
半年もしないうちにほとんどのメンバーが入れ替わり、クレームも引き継がれず無かったことになり
それを取り仕切る部長の言動が、社会生活を送れているのか怪しいレベルでヤバかった。
その部長は、下請けから機材を借りたいと依頼があると、おもむろにフロアを徘徊しだし
他の下請けが借用中の機材を、相談もなしに持ち去ろうとするのである。
ある時などは、私が使用中の機材を突然持ち去ろうとして
増田「これはうちの会社で借用しています!勝手に持っていかれると困りますよ!」
部長「いつも使ってるわけじゃないでしょ?」
増田「毎日使ってますよ!これがないと仕事止まっちゃいますから!」
部長「ふーん…そっかぁ」
もし席を外していたら、確実に強奪されていただろう。
一部の下請けは、数が限られた機材を他社からぶんどるために、この部長を利用していた。
ある朝出社すると、借用機材が机ごと無断で移動させられており
部長に確認したところ、他社との共用機材にさせされていたこともあった。
クレームを入れたが「もう決めたから」と相手にされなかったため
常に借用機材の席に自社社員が常駐している状態にし、分捕ろうとした会社に使わせないことで対抗した。
慌ててサーバ管理者らしき人を探し、バックアップから復元できないか相談したが
「今はサーバ自体の管理者はいない。以前は下請けが管理者だったが、退場した」
との恐ろしい回答が返ってきた。いままでの業務成果物は、全部そのサーバに入っているのだが…
Aに事の次第を説明したところ、資料の作り直しと再レビュー、および再発防止策を要求された。
再発防止策は「成果物はすべてバージョン管理ツールにpushして格納する」となったが
ビルドしたソフトなど、容量が大きすぎるものは既存のサーバに格納することになった。
部署内でしか使わない、レビューが終われば誰も見向きもしないレビュー資料を大事に管理し
他部署や顧客に渡す機会の多い重要なソフトはそのまま、という不条理極まりない対策だったが
Aは満足していたようだった。
なお、私の退場後、そのバージョン管理ツールのバージョンアップが失敗し
格納されていたソースコードやレビュー資料は全部消えてしまったと聞いた。
復旧に一か月かかったらしい。
「いやぁ~電車内での白い目、ヤバかったすわぁ~」と言いながら出社し、1日中大声で咳をするプロパーがいた。
自席で大人しくしているならまだしも、咳をしながらフロア中を歩き回って挨拶回りをしていた。
当人も異常だが、ほかのプロパーも誰も気にしていないのも恐ろしかった。
おわり
売れたいなら、その努力、世間に認知されるほどの一発を出すところまで含めてが「実力」なので、
それができていないなら実力がないだけだよ
「実力があるなら売れるのは簡単」じゃなくて「売れたいなら売れる能力まで含めて実力」なんだよな
大衆に売れてお金を稼ぐことが目的なら、「大衆に売れる能力」こそがまさに実力
少人数でいいからめちゃくちゃ熱狂的なファンについてほしいなら「少人数でもいいから熱狂させる能力」が実力
だから、別に売れる気もなくて、売れてなくて、かつ実力がある人というのはいるけど(売れる能力はその人の目的に照らし合わせて実力に含まれないから)
売れたくて、売れてなくて、かつ実力がある人というのはいない(売れることが目的なら売るための能力が実力に含まれるから)