はてなキーワード: 診療とは
音良:病院やクリニックにおいては、その待ち時間の長さや病気で訪れる場所という特殊性から、ネガティブな思いがたまりがちです。
また、怒りという感情や正義感は人を行動させるきっかけになりやすいですよね。
そういった背景から、病院やクリニックにつく口コミは自然とネガティブなものが多くなりがちです。
もちろんクリニック側に落ち度がある場合もありますが、攻撃的な口コミをつける方はいわゆるクレーマー気質の方が多く、
診療する側にとっても時間的、精神的負担のかかる方が多いことは事実です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a4cbb621edd5e238c65dd7e9c8570f1ab64d452
轢き逃げ事故で負傷して自賠責診療を受けたのち保険金請求をしようとしたら
整形外科が後遺障害診断書で怪我を少なくでっちあげており、その訂正を求めているあいだに
市場経済が上手く機能するには色々と条件があるんだけど、医療のように患者と医師の間で知識に大きな非対称性のある分野、あるいは健康のように不可逆性の高いものに関する分野、または小分けにできない(手術を細切れにして依頼する医師を選べないとか)で一山いくらでの取引となる分野、などは市場が上手く機能しないということがよく示されてきた分野となる。つまり、国民皆保険制度のような介入がないと社会的に厚生が悪化する分野でもあるということである。国民皆保険制度は健康のように不可逆性が高くかつ一山で取引するものに対して医師の独占力による価格釣り上げを防ぐといったことに加えて、単にお金だけの話ではなく、標準診療というものを作ることで専門知識の無い患者がそれ故の損害を受けることを防ぐ役割も担っている。そして、市場経済が上手く機能しない分野では価格を含めて政府が決めるというのはよくあることだ。電力しかり交通しかり。貸し金の金利だってそうだ。逆に、政府が何にも介入しなければそれがフェアだろう、誰からも文句を言われる筋合いのない自然な価格だ、とはならない。
そもそも、医師の数が医学部の定員という政策によって規制されているのだから、医療価格をどのように弄ったところで医師と患者の間での富の分け方が変わるだけで、医療による社会的な負担というものは大きくは変わってこない。つい、医療費という金額ベースで考えてしまいがちだが、経済全体での話のような場合は金は単なる潤滑油に過ぎず、人や物といった実物がどう配分されるかで見ないとならない。すると、国民皆保険制度の廃止によって医学部が定員割れするくらい医師という職業の魅力が損なわれるのでもないのであれば、限りある労働力のうち医師にとられる数は変わらない。つまり、医療による負担がこれから増えていくということの解決には殆ど繋がらない。たとえば医療費を節約して子育て支援に回そうといったことは実質的にほぼ不可能なのである。子育に従事する労働力が湧いてくるわけでもないのだから。
なのでポジティブな効果は乏しく問題点は多い、国民皆保険制度の廃止なんてなされることはないだろうし、薬価は今後少しは上がるかも知れないが診療報酬は下げられていく形での対応がなされるだろうね。それこそ玉木の言うように医師会は大反発するだろうけど、所詮は規制される側。政治力でいつまでもどうこうなるものでもない。
千葉に住んでるが、周りに薮医者しかいないので、かかりつけ病院が遠方なので、発熱時にかかるのが電車移動を経ないといけないのでかなりつらい
住んでる駅はターミナル駅なのだが、本当に見事なまでにヤブ医者しかいないのである
ここまでこの地域にヤブ医者ばかり集める必要ある?ってくらいヤブ医者しかいない
ちなみに病院の数は多いし持病が多いため色々かかったが見事なまでに全部ヤブ医者
口コミいいところに行っても予約システムや先生の話し方がいいだけで肝心の腕は悪く薮しかいない
クチコミ悪いところに行くと待たされる上にヤブ医者なので最悪である
仕方ないので職場の近くの病院をかかりつけにしてるんだけども、予約システムとかもちゃんとしてるし、腕もいい
よく調べないと自費診療メインのところがあるので気をつけないといけないけど
やっぱ東京とその周辺って住みにくいなーと思う
車移動ならもう少し楽だし、いい医者とヤブがここまで集積することもない
みんなどうしてるの?これ
こういうのさぁ、生殖器を失った事を後悔し、子供を産みたいと願う「男性」って一体何?
それってただの女性なんじゃないの?一体何を根拠に自分は男だと思っているの?
ぺニス付き「トランス女性」ばかりが話題になりがちだけど、自称「トランス男性」も含めて、
その性器と生殖に対する異様なまでの執着が、そこらの一般人よりもよっぽど男らしいor女らしいよって思うんだけど
https://note.com/plmakoto/n/n85a1074a95af
浅沼智也
私自身、戸籍を変えれば性別を変えればバラ色になると思っていました。
しかし、健康被害で悩まされています。23歳という若さで生殖器を永続的に欠く状態になりました。ということは、ホルモンが分泌されない状況がずっと続いています。ホルモン療法でホルモンを補給しなければいけない。しかし、ホルモン療法は未だに自費診療なんです。ホルモン療法があまり体に合わないのか、肝機能障害で年に1回入院しています。そして更年期障害にも悩まされているんです。正直言いますと、子どもが産みたいと思っています。しかし、今もう生殖器はなくした状況ですから、子どもが産めない現状です。
ほんとその通りで
今回整形で「デパス出しときますね。過緊張が和らぐから。よく眠れるし」と言われ、「それ、年初に脳外で貰って全然効きませんでしたわ」って伝える隙が無く診察終了し処方と相成りました
つーか、薬のことよりも次回診療時に診て貰いたいところを告げるのに必死になってたってのもある(凄く忙しい病院だからゆっくり話す雰囲気じゃないのよ)
ところで、「デパス使用者の生の感想」を求めて同僚に訊いてみたところ
「あたしはすごく効くよ。寝るちょっと前に飲むとよく眠れる」と言っており
「自分は(服用の指示通り)食後に飲んでいる」と伝えると「それじゃ効かないよ。寝る前が良いよ」とアドバイスされた
なので、昨晩はその様に内服してみた
が、いつも通り入眠までの時間は長く眠気は来なかった
…作用時間、短いんじゃなかったんかい。なんで12H以上も後になって効くんだよ
というわけで自分にとって「全く効かない」というより「飲み方の工夫が必要」って感じの薬なのかもしれなかった
頓用で飲んでもよいくらいの薬だから、自分に合った時間帯に飲んでみようと思う(それこそ「効く日・効かない日」もあるだろうし)
でも考えてみたら「眠くなる薬」が欲しくて整形外科に行ってるんじゃないんだが?
相変わらず首筋と方は痛いままだ
意味、無い
減らない。
そんなのはたいした数はいないし、自発呼吸できなくて治る見込みのない者はたいして延命も出来ないから。 (要するにごく短期間だけ。)
そんなことよりちょっとした風邪の診療に使われるコストのほうが莫大なコストが掛かってる。
一件当たりにかかるコストがちょっとばかり多いよりも数が多いほうが全体のコストに対する割合はクソデカいんだよ。
つまりお前は、指導内容に沿った理想的な歯科診療の話をしている
もし禁煙改善ができないと指導不足ならばそもそも国はたばこの販売を許可したりしていない
喫煙を嗜好品として個人に認めているからには禁煙を義務にすることはできないんだよ
噛み合ってないんだよ
内科系ではすでにあるようだし、歯科でも禁煙を強く勧める歯医者はいる。
患者にしつこくなんども言うのも嫌だし、言われる方はもっと嫌だろうから、最初から拒否できないだろうか。
臭いし、医院の周りで一服して、捨てる輩もいる。でも、これは他の仕事でも一緒だと思う。
ただ、虫歯も歯周病もどんどん悪化する。本当にひどい。(電子たばこも一緒。ニコチン入ってるからね。)
同じ治療をしても、悪くなるんだから、士気は下がる。こんなことなら非喫煙者に時間を使いたい。
壊されるために家を建てるとか、捨てるために食事を作るとか、避けられるなら避けたいよね。
そういう仕事も報酬のためならするというのもアリけど、断る人もいると思う。
喫煙も権利だ、愚行権だ、といわれればそれまでだが、それで歯科医院の受診が制限されても、本人の責任だということにできないかな。
いつも行っている歯科医院に「○○月○○日より、喫煙者の診療はお断りします」って貼ってあったらどう思う?
何も言わずに転院してくれるといいんだけど。
恥の多い人生だった。ていうか注意欠如由来の恥の多い人生だった。
あまりにも注意欠如が多く、長年ADHDを疑ってきたものの、なんとなく病院に行く勇気が出ずに生きてきた。
多動がなかったので信じたくなかったというか、あくまでグレーゾーンだと思い込もうとしていたというか。
しかし30代に乗ったあたりからぐっとより一段階無能になった実感があり、勇気を出して仕事の後も開いているメンタルクリニックの戸をたたいた。
テストとかするのかな、何を聞かれるんだろう…とびびっていたのとは裏腹に、簡単な質問と木の絵を描くやつだけで「まぁADHDでいいと思いますよ」みたいなふわっとした診断が下った。
わかってはいたけどショック…という思いとこんな簡単にいいのか…?という思いとで複雑だった。
巷で流れるADHDの薬の効果と副作用の噂がどちらもちょっと怖かったのだ。
噂では頭の中のノイズが消える代わりに、アイデアのようなひらめきが一気に消えるとか。
長年の趣味として同人活動をしているので、人生の数少ない楽しみともいえる創作活動ができなくなるかもと思うとあまりにも寂しい。下手の横好きのくせにね。いっちょまえにそんなこと不安になっちゃって。
でも試して合わなければやめることもできるというので、とりあえずはいったん試してみることにした。
そんで診断された後になんか帰る前に採血してください、と言われたので採血した。
採血の結果は二週間後にわかりますからと言われ、なんの結果?と思ったけど聞かなかった。どうせ二週間後にわかるし。
処方されたのはストラテラというやつ、二週間。
美容医療(というか自費診療全般)にもアルコールや煙草の様に課税してはどうか。
国民の健康の維持を期待され多額の税金を投入して育成されたにもかかわらず、期待された効果をあげず収入を得ているわけだからある程度正当化はされるだろう。
また、利用料金が上がる消費者側も、自己の健康リスクを自ら侵して嗜好品を手に入れているわけだから、相応の対価を支払っても良いのではないか。(健康被害が生じた場合の治療は現状保険医療であることが多い。)
この税を通常の医療に回せば(わずかだが)医療費の財源確保になる。
自費診療の医師と保険診療の医師の異常な収入格差も是正される。
自費診療医師の現在の収入が下がる他にはメリットばかりの様に思われる。
暴論とは思うが駄目だろうか。
京アニ放火事件の青葉被告の、裁判での言動が日々メディアを騒がせている。
ヤフコメやXで見られる反応では青葉被告を徹底的に断罪したいようだが、私は公の法廷に現れた存在としての青葉被告を応援しているし、彼が無罪になればいいとも思っている。
少なくとも、青葉被告が、予定調和的に死刑になることは絶対に望んでいない。
被害者(=京アニ)についてはよく知らないし、遺族ほかを非難するつもりもない。これはただ私の思い入れこみによる勝手な文だ。
「もしお前やお前の家族が殺されたらどう思う」みたいな質問はここでは意味をなさない。そんな質問しかできない時点で、大きな断絶があるのだ。
青葉被告の死刑を容認する人々でさえも一部が指摘しているように、世間には「青葉」的な者がいる。そしてそれは、どんどん増えている。
魔の82年生まれとか発達障害の増加とかそういうお茶の濁し方ではなく、明確に、「青葉」被告的な苦痛に満ちた者が増えているのだ。
世間は少なくともそれをずっと認知して来た。それも、机上のグラフの上の数値ではない。
クラスに一人はいる彼。職場に一人紛れ込む彼女。近所や親戚に一人いるあいつ。
青葉の体験を一般化することはできないだろうが、あえて広く「彼等」の問題として考えたい。
彼等がコミュニケーションに行き詰った時、あなたはどう振舞っていたのか。
彼等がコンビニの列の最前列で何かにつっかえた時、あなたは舌打ちしなかったか。
彼等が同じ教室・職場で、教師・上司に何度も叱責される中で、ただ「そう」であることで評価を下げていなかったか。
私は、平均とか標準という考え方で言えば、「青葉」側の人間である。
ただ、例えば、世間の人々が得られる「幸せ」をあきらめることには納得はいく。
しかし、世間の人々に与えられる「逃げ道」をなぜか私が使えないとなったとき、その惨めさは何百倍にも何千倍にもなる。
私は青葉被告のどうにもならない体験を見て、そんな説明をひねり出すことができた。だが過去のいろいろな事件の時点でひねり出すべきだった。
小学校・中学校を通して、本人でもうまく説明が出来ない様な過ちをして、しょっちゅう教師にクラスメイトの面前で厳しく叱責されている、今でいえば学習障害とか自閉症なのだろうか、そんな同級生がいた。
この男子同級生はとても「愚か」「間抜け」ということになっていて、実際何を考えているのか、私達にもわからなかった。いや、わからないようになっていった。教師の度重なる叱責や軽視によって。彼が精いっぱい受け答えを捻りだすたびに、教師はその言動を叩き潰した。
今考えれば、教師は彼を叱責すべきではなく、話をゆっくりと聞くべきだった。もっと言ってしまえば、もはや「赦す」べきだった。教師こそがこの同級生の代弁を私達にすべきだった。
大げさに言えば、人に生きる意味を考えさせ、死の世界から遠ざける、ということをこの教師や社会はしていなかった。健全な市民を育むとかそんなのはどうしようもない建前だ。
そしてそれが為されないとき、この同級生が、教師を刺し殺したり私たちごと教室に「理不尽に」「逆恨みで」放火したとしても、私はもはや文句は言えない。これは一言で言えば「窮鼠猫を嚙む」という格言であり、逃げ場の許されない中で当然生じうる人間のむしろ正常な反応だとおもう。
そうできないならば、世間が彼を徹底的にバカにした通りに、彼はナイフやマッチの使い方もわからないまま見当違いの人を刺して燃やす。それは自然なことでしかない。世間が彼をそうさせた。
人を大切にしない社会は、そのどこをやりかえされてもしょうがないとおもう。
私は、あの同級生やそれと同じ人々が何千人と重なって一人となり、被告となって証言台に立っているのだとすら思う。
監禁された人間が「ストックホルム症候群」を起すことには同情されるのに、なぜ狭い世界で逃げ場を失った人間の行動には同情がされないのか。
そこで世間の人々は目を逸らし、「仕方ない、悲惨だけど、死刑」などという。
私は堂々と「青葉は無罪だ。無罪にすべきだ」という。それだけの問題提起をすべき理由がある。青葉を診療し死の淵から回復させた医者は「生きて裁かせる」という信念があったそうだが、直接関係ない私は「生きて無罪になれ」といいたい。
そして99%くらいの確率で青葉が死刑になったとしても、私はいい続ける。似た様な事件がまた起きればその被告を擁護する。
世間は、事件を繰り返させる前に、「青葉」的なものを真摯に今度こそ見つめ、「赦し」、我々の社会の要素として自然に見なすべきだ。それが達成されるまで、世間が目を背けた回数の分だけ事件が起きても、無罪にすべきだ。
十九世紀末のヨーロッパでも、社会の矛盾に対し、富裕層の集まる場所や公務員への爆弾攻撃で答えたアナーキストたちがいた。彼らは少なくとも自分の言葉と道具があった。
今は自分の言葉も道具すらも持てない時代が来ている。少しでもそんな時代から遠ざかるために。
私の匿名の日記は世間には何の影響も与えないだろうが、たくさんある非難に対して一つでもこういう意見があったと、どこかで思い出してもらえればいいなとおもっています。