はてなキーワード: 言語学とは
これって両方言えて、「日本語話者に引っ張られた英語の歌」と「英語の歌っぽい発音の日本語の歌」は完全に同質なんだよな
そこを英語の歌だからって特別に気にするのは、俺としては奇異に感じるぞ
要は言語学で言うところの音韻論の話で、ネイティブスピーカーが正しいと感じる発音をより再現できている歌が、その言語の歌として完成度が高いわけ
つまるところ、音節ごとに音符をはめて、言語の区切りに休符があり、イントネーションに音階が沿うのが、”正しい”歌なわけ
若い子からしたらしょうもないかもしれないけど、小椋佳とか、すごく日本語的に正しい歌を作ってくれる
yoasobiのアイドルの英語版は確かに英語の歌として正しくないかもな
もちろん、正しいか正しくないかで、歌の価値や芸術の価値は決まらないぞ
宇多田ヒカルなんか、「な・なかいめのべ・るでじゅわきー」という日本語の区切り方をする
宇多田ヒカルのデビューは98年とか99年ごろなわけだけど、日本語の使い方に当時高校生だった俺は驚いたよね
ミスチルもそんな歌は当時よく作ってたけどさ、シーソーゲームとかね
今でこそそんなのは当たり前になっているけども当時は新鮮だった
miwaなんかはイントネーションぶっ壊しの達人で、「か↑きごおりー↓」で俺は大爆笑した
いくらその後いい歌作ってもその後「か↑き氷ー」の人って呼んでる
で、絢香だな
音節って要は音、声のまとまりなわけだけど、日本語と英語はずいぶん違う
日本語は基本的に全ての文字に母音がつくので、文字ごとに音がある
日本語以外だと子音がたくさんあるので、いろんな音が重なって1音節になる
例えばアイスクリームだと、日本語だと「ア・イ・ス・ク・リー・ム」だけど、英語だと「ice・cream」で2音だ
絢香は本来たくさん母音がある音を、子音っぽく発音して、ひとつの音符に複数の音節を乗せるスペシャリストだ
だから絢香は歌がうまいのは異論をはさむ必要はないのだけど、「日本語の歌」を「日本語表現」を損なわずに歌うのは決してうまくない、というか、そういう方向に向かっていない
絢香がやってるのは日本語を使った英語の歌い方なんだもん仕方ないよ
で、増田が言ってるのはyoasobiのアイドルのことでしょ?
そもそも日本語版の歌が「絢香歌い」になっている作りなので、アイドルの原語版をそもそも日本語の歌だと捉えられない
同じyoasobiでも「夜にかける」がしっかり日本語を歌っているのに対して、アイドルはそういう方向にそもそも向かっていないのは最初からわかると思う
1音に言葉詰めすぎでしょってなる
だからネイティブ日本語話者でも絶対に聞き取れないし、歌詞を読まないと何を表現した歌かすらわからない
まあ、もちろんyoasobiは音が面白ければそれだけで唯一無二のいい音楽になるという、音楽の面白みというか音遊びを突き詰めたような人たちなので、日本語表現がどうこうのせいで価値が損なわれることは全くないのだけど
しかし、そのような性質の歌を、今度は英語に直しただけで、歌に異論が出てくるのは違わないか?
え?英語がどうこうの前に、そもそもアイドルは「日本語の歌として正しい」のか?と
もちろん正しいか正しくないかで芸術としての価値は決まらないし、正しさからの逸脱が面白みになるケースも多いのよ
でも、正しくない日本語の歌をスルーして、異言語版にだけ文句が出てくるところを見ると、えー、うそー、そこ?そこなの?と思わざるを得ない
まあ、好みの話にしちゃうならもはやどうでもいいんだけどさ
Bardにも聞いてみた
日本語では一つの名前で表されるが、英語では二つ以上の名前がある現象は、言語学では「語彙の異文化性」と呼ばれています。これは、2つの言語が同じ概念を異なる単語で表す、または同じ単語で異なる概念を表す現象です。
語彙の異文化性は、言語の歴史や文化など、いくつかの要因によって引き起こされます。たとえば、英語と日本語は異なる言語の歴史を持っています。英語はゲルマン語族の言語で、日本語は日本語語族の言語です。そのため、英語と日本語には、同じ概念を表す単語が存在しない場合があります。
さらに、言語は異なる文化を表します。英語はヨーロッパの言語で、日本語はアジアの言語です。そのため、英語と日本語には、同じ概念を表す単語が異なる場合があります。たとえば、英語では「turtle」という単語は海亀を表しますが、日本語では「亀」という単語は陸亀と水亀の両方を表します。
語彙の異文化性は、言語学習者にとって問題になる可能性があります。言語学習者は、異なる言語が同じ概念を異なる単語で表すことを認識し、言語の正しい使用方法を学ぶ必要があります。
あなたの例で言えば、
亀:日本語では「亀」という単語は陸亀と水亀の両方を表しますが、英語では「turtle」は海亀、「tortoise」は陸亀を表します。
ワニ:日本語では「ワニ」という単語はワニとクロコダイルの両方を表しますが、英語では「alligator」はアメリカのワニ、「crocodile」はアフリカとアジアのワニを表します。
カエル:日本語では「カエル」という単語はカエルとヒキガエルの両方を表しますが、英語では「frog」はカエル、「toad」はヒキガエルを表します。
蜂:日本語では「蜂」という単語はミツバチとスズメバチの両方を表しますが、英語では「bee」はミツバチ、「hornet」はスズメバチ、「wasp」はハチを表します。
エビ:日本語では「エビ」という単語は車エビとその他のエビの両方を表しますが、英語では「prawn」は車エビ、「shrimp」はその他のエビを表します。
これらの例は、語彙の異文化性が、2つの言語が同じ概念を異なる単語で表すことができる、複雑で多面的な現象であることを示しています。
※注意!
これは飽き性を直す方法ではなく、現在進行形で己の飽き性と付き合っている一個人のメモ書きである。
0,飽き性との付き合い方
基本的には遅かれ早かれ飽きて興味を失う前提で考える。そのうえで飽きても継続する必要があるものと、放り投げても問題ないものに分ける。
私の場合は以下のようになる
1,興味以外のやる気付けをする。
3,習慣化する。
1,初期費用をかけない。
2,大々的に宣言しない。
3,飽きたら即投げ捨てる。
1,仕事編
一般的に仕事は『興味を持てる』ことをすべきだと言われる。一日8時間を費やすのだから、楽しいほうが良いに決まっている。
しかし飽き性の人間はすぐにやりがいを失ってしまう。仕事に飽きても金は必要だ。どうやってしがみつこう?
⇒『興味』ではなく『条件』で仕事を決める。『給料』『休暇』に全振りするもよし。やる気0でも始業に間に合うよう、近場に住むなりテレワークするなりするもよし。
新しいことへのチャレンジは、余った金と時間でやろう。(独立して頑張れるなら、それもありだと思います!)
資格の勉強、言語学習など社会人になってからも勉強は続く。しかし飽き性の人間は、必要だとわかっていても三日坊主で投げ出してしまう。
⇒習慣化アプリの力を借りよう。
世の中には様々な習慣化アプリがあるが、私のおすすめは『DotHabit』
> https://www.shutoo.jp/dothabit/
簡単に言えば一覧で管理できるスタンプカード。見た目も機能もシンプルでとても使いやすい。会員登録等の手間がないので、始める前から投げ出すこともない。
飽き性の人間は、なんと人間に対してもその気質を余すことなく発動する。
現実問題、私は恋人ができても一年以内に飽きてしまう。推し活も一年が限度。さすがにこれはまずいと思う。マジで。
⇒どうしようもないので諦めた(何とかする方法があれば教えてほしい)飽きた相手と一緒にいる意味はないし、浮気や不倫に手を出すのは論外。
幸い一人でも生きていけるので、独身を貫くことにした。
ゆるキャン△でキャンプに興味をもって道具を揃え、ぼっち・ざ・ろっく!で楽器に興味をもってギターを購入
...でもすぐに飽きる。それこそが生まれ持った気質なのだから。でも正直金の無駄、スキルは身につかないし、周りからは中途半端とからかわれる。どうしたらいい?
⇒所詮趣味なので割り切りが大事、粘ったところで興味は戻ってこない。少しでも手を付けたのなら何かしらプラスになるはず、0か1かの差は大きい。
・とはいえ高級品に最初から手を出すのは悪手。どっぷりハマるまでは低予算で済ませよう。5000円投入して飽きるのと、10万円注ぎ込んでから辞めるのでは後悔の度合いが違う。
・口だけといわれないためには周囲に宣言しないことも有効。他人の目があろうがなかろうが飽きるときは飽きる。そういう気質なので。
・飽きた道具はさっさと売るのが吉。部屋に放置すればするほど価値は下がっていく(たまに例外もあるが)
また興味を持った時に再度購入すればよい。オタ系グッズに関しては自分は買わないようにしている。どうせ飽きるので。
https://togetter.com/li/2139063
「文学部」の言う「文学」というのは「人文科学」のことであって、哲学も史学も言語学も心理学も文学部でしょ。文芸のことを俗に「文学」と呼ぶこともあるけど、それは大学で学ぶ「文学」の部分集合であって全体集合ではない。
理学部の数学の授業でもね、「ところで最近の研究では……」と「無駄話」ばかりして授業がさっぱり進まない人がたまにいる。そういう授業を求めてる人もいるかもしれないけど、私の場合、その人の授業はさっぱり身につかなかった。
そういう話が聞きたいなら研究集会に行った方がいい。授業をわざわざ聞きに来ているのは、基礎固めがしたいからであって、研究の種を探しに来ているわけではない。少なくとも私はそう思った。
https://anond.hatelabo.jp/20230227141843 で、
本文・トラバ・ブコメで言及されていたチャンネルのリストです。
AnonymousDiaryでは、10個以上のリンクは張れないが、はてな記法をつかえばいけると聞いて、小細工してみました。
投稿できていれば幸い。
ジャンルはよく分からなかったので、適当に入れているものも多いです。よく分からなかったら雑学です。
健康情報を扱っているもの、言及先のチャンネルが分からなかったものは除外しました。
Cabernetさんの動画数は、多くがゲーム実況だったので、歴史解説系の動画数を()の中に記載しています。
はてなーって文系学問持ち上げるわりに参考文献載せてない動画を持ち上げてここはやっぱりだめなんだなって思った
俺の世界史チャンネルとかも一切参考文献を載せてないし、たくさんいる最強のメラフォロワーの一人だし。
最強のメラは怪しい情報ソースを元に断定的かつセンセーショナルな動画を作っていたりするので界隈では昔大分批判されている。
https://dic.nicovideo.jp/b/a/%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A9/1-
・彼は中立的に書きたいと主張しているが、功績については触れられておらず、個人の感想も多く含まれ、結果としてマザーテレサを貶める記事になっている
・そもそもマザーテレサの立場について誤解している(これは選んだソースが悪いかもしれない)
・その結果初心者向動画としては不適切。マザーテレサへの誤解しか生まれていない
後ゆっくり動画に関しては以下の問題が取りざたされてるのも知っておきたい
https://togetter.com/li/1754186
『食の雑学』は、チャンネル開設後1年足らずでチャンネル登録者数が10万人を軽く超え、急上昇1位にランクインするなど、ゆっくり解説者の中でもひときわ目立つ存在であった。しかし、その投稿内容については、雑学という名前とは裏腹に、過激なものも含まれており、一部で物議を醸していた。また、当該チャンネルは最近まで一日2本という驚異的なスピードで投稿を続けており、他のゆっくり解説者からは不思議に思われていた
https://coconala.com/requests/615440
上記は「ココナラ」というサービスにおける、ゆっくり解説の外注のうち最も初期のもののひとつである。成果物の例として『食の雑学』のYouTubeチャンネルのURLが張られているのがわかる
ちょっと前にゆる言語学ラジオが炎上してたけど、このあたりのゆっくり動画にはそれどころじゃないひどい動画で溢れてるというのが現状である。
特に俺の世界史あたりは人の動画を勝手にパクるので知的誠実どうかの以前の問題である。
文句いうばっかりだとあれなのでちゃんと参考文献を上げてるYoutubeチャンネルを上げとくと、
動画じゃなくてライブなんだけど、例えば以下のライブは大寧寺の変に対するトーマス・コンランの天皇行幸という新説の論文を解説している。
https://www.youtube.com/watch?v=CSimkIo9JXk&t=12100s
産業化した知的誠実性の欠片もないゆっくり動画じゃなくてもっとまともな動画に光が当たって欲しい。
ゲームさんぽが終わってしまった。いや正確にはまだ終わったわけじゃないけど、自分がYouTubeに齧り付くきっかけとなったチャンネルなので、どこか名残惜しい。
ゲームさんぽを知って、こんな「教養のお裾分け」をしてくれるものが転がっているという事に驚き、それからYouTubeで似たようなチャンネルを探し回っていた。しかし素直に「教育」とか「教養」のジャンルを検索しても、出てくるのは中田のあっちゃんかDaiGoか、あるいはアフィリエイトのにおいのするチャンネルで、ちょっと違うなぁという感じ。とりあえず興味のあるものを片っ端から再生して、関連動画にサジェストされるものを集めて回った。
良い機会だと思って、その中から特に気に入ったものをリストアップしてみた。選出の目安は次のとおり。
・参考文献が明示されていること
(今回はよびのりたくみさんのような、机と椅子に座ってガチで観るべきものは除かせて頂く)
また、最初は動画へのリンクも載せていたのだが、リンクが多すぎてはてなにスパム扱いされたためか、投稿できなかった。
そのため大変恐縮ながらリンクは無効化した。気になったら各自でYouTube検索して欲しい。
東大の生物学系専門家集団による動植物の解説チャンネル。ゲームさんぽをきっかけに作られたというだけあって、どうぶつの森やポケモンなどの考察動画が多め。本家livedoorのゲームさんぽにも出演あり。
専門家がはしゃいでるところが好きな人ならハマると思う。今でも十分面白いけれど、今後はゲームさんぽ系以外の企画も増えてくれると個人的には嬉しい。(自分がまだ見てないだけかもしれないけど)各自の専門分野についてガチでじっくり語るやつとか見たい。
オリジナルゆっくりキャラであるきつねさん、たぬきさんが解説する、生物学系のチャンネル。へんないきもの、という名前になっているが、身近な犬猫から魚類、昆虫、植物、古生物と、動植物ならなんでもアリ。丁寧な説明と、動物と接するときの啓発的内容もあり、子供向けとしても良いチャンネルだと思う。
科学系専門家集団「薬理凶室」に所属する怪人(専門家)たちのチャンネル。普段は立派な専門家だが、匿名の「怪人」になることで、表の立場では言えないちょっと危ないことも言える、というのがコンセプトとのこと。主な活動は雑誌(ラジオライフ)や書籍(アリエナイ理科シリーズ)が中心のようだが、Youtubeでは一般にあふれる疑似科学の解説したり、実験をする動画が多め。中心メンバーのくられ先生が化学専門ということもあり、中高生向けの化学解説シリーズ動画もあったりする。
ゆる言語学ラジオの元ネタ。歴史に詳しい深井さん、楊さんが語り手、樋口さんが聞き手となって、歴史のあれやこれやを語るラジオ。(最近は動画によって聞き手、語り手がちょいちょい変わる。)
特徴は、とにかく一つのテーマを深堀りすること。例えば鎌倉幕府の説明をする(シリーズ全12回)ために、まず前提として平安時代以前の話から始まる。最初の1~4回は律令制や藤原道長、平家の説明をして、シリーズ5回目でやっと源頼朝が登場した。ラジオというだけあってYouTubeでも視覚資料は使わず、全て語りだけになっている。とにかく長尺なので、ながら聞き推奨。
クレオパトラとマリー・アントワネットがかわいいゆっくりキャラになって歴史のあれこれを解説する。コテンラジオは歴史のど真ん中の出来事をガッツリ解説するのだが、こちらは反対に人々の生活やものの移り変わりなどに注目した内容で、少し肩の力を抜いて観ることができる。同じ中の人が以前投稿していた「旧ゆっくりモンドちゃんねる」もおすすめ。
僕は古代エジプトが好きだ。子供のころにかこさとしの絵本を読んだのをきっかけに、世界ふしぎ発見のエジプト回は欠かさず見るようになった。そして令和の今、YouTubeで古代エジプトの遺跡や文化について解説してくれているのが河江先生だ。ギザの大ピラミッドの3次元計測という一大プロジェクトを垣間見れるだけで、古代エジプト好き垂涎の的である。古代エジプトに関するオカルトが好きな人にもおすすめ。
「まいど~、ドクターキャピタルですぅ~。音楽博士やさかいに、ドクターやねん。」というあいさつでおなじみ、ギターの上手い関西弁のおっちゃんが、お気に入りのJ-Popの曲を解説してくれるチャンネル。一通り解説した後、最後はその曲をギターの弾き語りで歌ってくれるので見応えあり。
自分は音楽理論に全然詳しくないのだが、実際に弾き語りを見せられて「どや、このコード、ちょっと○○な感じするやろ~」って言われると、いつも「する!する!」って思って見てしまう。
絵画に詳しい山田五郎さんによる美術のチャンネル。ワダ(25)さんからの質問をもとに、各回に1人の画家にスポットを当てて、その半生を解説するというスタイル。自分は絵画を楽しめる素養が無いと思っていたけど、画家の人生はうんちくとしてものすごく楽しめている。モロに影響を受けて、BSの五郎さんの番組も見てるし、去年の印象派展にも行った。
雑誌のWIREDの日本語版YouTubeチャンネル。動画ごとに色んな専門家が出てくるので、ゲームさんぽと同じくらいジャンルは広め。専門家がTwitterからの質問に答える「Tech Support」、一つのテーマに対して子供向け〜同じ専門家向けに説明のレベルを変えていく「5 Levels」なんかがある。僕は寿司職人と葬儀師の動画が好き。
霊夢と魔理沙が、倒産したり不祥事を起こしたりした「しくじり企業」についてゆっくり解説するチャンネル。中の人が係長だからカカチャンネルという名前らしい。知らんけど。
このチャンネルを見始めてから、自分でも企業の調査報告書をちょいちょい見てみるようになった。ミートホープとか聞いて「そういえばそんなのあったなあ」と思って開いてみたら、あれってマジで肉を水増し(肉に注射器で水入れてた)っていうので驚き。
これは説明不要かも。自分もメンバーシップに加入している。最近、のれん分けから始まった生態学、哲学、天文学、書道、音楽、民俗学のゆる○○学ラジオもそれぞれ面白いので、その他ジャンルとした。
僕が思うに、彼らは動画のクオリティだけでなく、コミュニティづくりも上手い。彼らのメンバーシップコミュニティにの中で、いろんな人が勝手に創作活動を始めており、ラジオ以外のプロジェクトも複数動いている模様。このままフォロワーが増え続ければ、彼らの「ゆる○○学ラジオ」のフォーマットも、ゲームさんぽに続く新しいジャンルのひとつになるかもしれない。
ゲームさんぽはYoutube教養コンテンツ界隈の巨塔だった。専門家と一緒にゲームをして、気になったものを解説してもらうというフォーマットを確立し、他のYoutubeチャンネルでもゲームさんぽスタイルの動画を投稿する人たちが現れ始めた。
僕は書籍化プロジェクトのときに真っ先に投げ銭して、寄進表に自分の名前が載ったのは今でも誇りである。いいださん、ますださんの退職は大変残念ではあるが、いいださんは個人で次の活動を企画されているとのことだし、またゲームさんぽのフォーマットを引き継いで面白いことをする人は今後も現れると思っている。それに一人のファンとして、今でも名越先生のDetroit Become Human解説の続きを待っている。
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というわけで、まだまだ発掘し足りないから、みんなも好きなYoutubeの教養系チャンネルを教えておくれよ~(∩´∀`)∩
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追記:
いつの間にやらこんなに伸びてた。みんなありがとう。自分も知らないチャンネルたくさん教えてくれたから、これを書いて良かったよ。こういうの発掘するのもすごく楽しいから。
あと、本当に良いチャンネルだと思ったなら、この投稿に反応するだけじゃなくて、ちゃんとチャンネル登録といいねをしに行こう。それじゃあね~(・∀・)ノシ
今の状態こそ誰かにとって読みやすく、その批判を反映したらかえってその人にとって読みづらいものになるということもあり得る。なのでわざわざ今の文章が悪いかのような批判をするのは自分中心的なことであり傲慢だと言える。
ただ言語学は文法をクリアしてる文についてさらにそれがより多くの人々に読みやすいと思われる文になるように磨きをかけるにはどうすればいいかということについては何も教えてくれない。言語学では特に発達障害の文章力に対するコンプレックスは解消しきれないかもしれない。そういう状況の中でどう生きるべきか考え続けるものである。
似ている
功:エンタメで興味を持つ人を増やした
この書き方のフォーマットは考えをまとめるのに便利だな、気に入った
第一線の数学者は他のどの科学者よりも難しい問題を達成していると思うのだが、特に現代数学において誰でも知っているというような人が全然いない事実にひっかかるものがある。
マルクスみたいな経済学者とか、ファーブルみたいな生物学者など、他の学問には数学者よりは高度なことはしてないというのに一般の人でも知っているという人がいるのに、これはどういうことなのか。
数学者で有名といったら、せいぜいピラゴラスといったような古代人、現代数学でいえばリーマンとかラプラスとかだ。
これらの人物に共通するのは小学校から大学までのカリキュラムで扱う理論や公式の発見者かどうかということに過ぎない。
特に古代人が考えたことは現代から見れば易しいものなので義務教育の内容に採用されやすい。だからあのへんの時代の人物は数学者でも知名度が高い人がいることになる。
ようするに言いたいのは数学者の有名無名はただ単に教育制度次第になっているということだ。
高度な現代数学でも岡潔や望月新一と有名な人はいるじゃないかと言う人もいるかもしれないが、あれらが有名なのも、実績の価値が正しく一般の人にも伝わって認知度が高まってきたというものではない。
岡潔なら統合失調症だったなかで戦時下を生き抜いたこと、望月新一なら自分のコネを使って論文を掲載させたこと。
そういう生き様のセンセーショナルなところがもっぱら庶民の関心を呼び起こしているに過ぎないのだ。
ポアンカレみたいな「未解決問題を解いた人」というわかりやすいラベリングを持った人間が有名なのも本質的には上述したのと同じところにあるのだろう。認知している人の多くが業績の概要と価値だけでも正しく理解してるか疑わしい。実績の内容に関する関心ではなく、未解決問題を解いたという一点で共通認識化されているように思われる。
ちょっと単純化が過ぎるかもしれないが、数学以外の科学者の土俵はもっぱら実験や実証のなかにあると思う。
実験により、何かをしたらこういう結果が出た、という目に見える因果関係を把握する力さえあれば誰でもその分野の大学者になれる素質はあるとさえ言える。
もちろん実際に誰もが知ってる大学者になれるかどうかはもちろん有用な結果をはじき出す実験にこぎつけられたらという話になるが、どちらにせよ彼らは比較的易しい具象の中で研究対象と戦っているということには違いない。
一方で数学ときたら現時点で新規性のある高度な数学論文をしたためるには何万ページという論文が語る知見に対する確かな理解の積み上げが無いと無理だろう。
理解する過程においても数千ページ目にあたるある論文が理解できないとなったときどこに理解の欠落があるか今まで読んだ論文から探しなおさなければならないわけである。
理論の構造自体も目に見えるようなわかりやすい因果関係から成っているのではなく、抽象的なわけだから、知識の欠落がなかったとしてもその理解は純粋に難しい。
しかし高度な論文の作成はその先にあるのだからこの数学の研究というものは果てのない作業なのである。
望月もそのような作業を経てついにはIUTの創出という高みに至ったはずである。
そして望月以外にも当然少なくとも月ごとには相当数、同程度の高みから発した高度な内容の論文が公開されているはずだが彼らの中から一般人にも有名という人は現れて来ない。
ようするに現代数学者は天才である。あの手の分野の数学者は受験勉強を全くせず東大に悠々と合格するような人間がざらであるらしい。もっとも現代数学者の絶対数が少ないのだから「ざら」というのは数ではなく割合の問題なのであろうけど。
そんな数学よりは高度な理解力を要しない学問では誰からも知っている人が出てきているのに、現代数学ではせいぜい専門家の間で有名という程度にしかなれないというのは理不尽なことだと思う。
私にはそれほどの数学の才能はないので数学ができる人間に対して劣等感がある。
だから劣等感の元凶である彼らにはせめてとことん栄誉ある立場にあってほしいのだ。
彼らすら大して評価されないのでは彼らと違って能力のない私には何も救いがないではないか。
あるいはこういうことなのかもしれない。既存の知識を理解するという力と新しい見識を発見する力というのは異なるものなのではないかと。
つまり数学の功績は高度な理解力の上に成り立っているものだけども、高度な理解力をもった彼らがもし別分野を志していたとしたら果たして一般の人の記憶にも残る大学者になれていたのかどうか。
現代数学者にチョムスキーの生成文法もその理論を考え出した背景にある理論も含めてその気にさせれば簡単に理解してしまうだろうが、かといってもし彼らがチョムスキーと同時代に生まれて言語学を志していたらチョムスキーを出し抜いてあのような文法理論を創造できたのだろうか。漢字の世界で白川静みたいな業績を打ち立てることができただろうか。丸山真男のような戦後思想史の巨人になれただろうか。
理解力は結局脳の処理能力という量的な要素に還元されるものに思われるが、理論の創造というものはどのような分野にしても大胆なひらめきがものを言い、これなるものは量化などもちろんできない、一種の特殊能力なのではなかろうか。
数学はむしろ知見が論理的に緻密な状態でに充実に蓄積されているのに比べ、他学問の知見は相対的には雑駁というかなんというか、とにかくそういったところから新しい理論を考え出すのには数学以上に何かアクロバティックな部分が必要にも思える。
コペルニクスだったかは海上の水平線で帆船が見えなくなる事実から地球が丸いということを歴史上最初に悟った人物らしいが、彼のような発見は彼より多くの知識を持った、つまりは理解している天文学者には出来ないはずだと朝日新聞の轡田だかいう論説委員の本に書いてあったと思う。
本当だろうか。現代数学者がその時代に生まれても無理だったのだろうか。でももしそういう発見という意味での知性が特殊な力なのなら、ここは素直に認めておくべきことなのかもしれない。数学者こそ昔の偉人が発見した事実をベースに論文をしたためることができているだけで、彼らがいなかったらならば今のような仕事はまるでおぼつかないものになっていたかもしれない。
ただしコペルニクスやデカルトみたいなあの手の啓蒙思想の潮流で偉人扱いされている人がもしも今生まれたら、史実でその発見をしたときのインパクトと同じぐらいのインパクトを持った発見ができるのだろうかという疑問はある。
しかしできないのだとしてもそれは役割の問題なのだということになるんだろう。コペルニクスにはその特殊能力をもって彼にしかできない発見をしたのだし、現代数学者も彼らの理解力をもって高度な論文を発表している。それでよしとするべきことなのだろうか。19世紀から20世紀のイギリスでは優秀な人間は天文物理学に行くものだという常識・慣習があったのも引っかかる。
学者としての優秀さというのは最終的には理解力のような計り知れるものではない、ひらめく力・直感のセンスで決まると認識があった証左なのだろうか。
そうであるなら私についてもまだまだ人生これからで、数学以外の学問でひらめきを発揮する道はあるのかもしれない。
そうだとすれば劣等感を抱く前提条件も崩れ、数学者が一般に知られていようといまいが気にする問題ではなくなってしまうはずであるけれど、ここまで掘り下げて考えてしまったので、まあそれはそれとしてこの疑問は解消されるまでことあるごとに私を悶々と悩ませるには違いない。
まあそれでも既存の知識を理解することにおいては絶大な才能があること、つまり学者がどんな難解な理論を提唱しようがたちまち理解してしまうという意味で、あらゆる人に対してタイムラグはあるにしてもそれを無視した見かけ上はどちらの方が物事をよく理解してるかということについては遅れを取ることがないという点にはやっぱり羨やむものがあるかな、ノー勉で東大に受かる素質というのも素直に?率直に?畏敬の念に駆られてしまう。
dorawiiより
メモを取っているので一冊にかける時間が長い。とはいえ、世界史の教科書では一行で終わっていた出来事の細部を知るのは面白い。
東アジア史が中心。
価値観が現代とは変わってしまっている点が多数あり、今読むときついと感じる箇所も。
旧約聖書を読み始める。
旧約聖書を読了。学生時代に新約聖書を通読したから一応全部読んだことになる。
生物の標本にまつわる本を読みだす。やはり生物学は面白い。ネタが尽きない。
ジョジョを読み終えた。それにしてもハルタコミックスばっかりだ。
十三機兵防衛圏については友人に薦められたからクリア後のノリで買った。
今年はたくさんいけた。行かない月もあった気がするが、それはそれ、そのときの気分に従った。
「シン・ウルトラマン」★★
「プラットフォーム」★
「12モンキーズ」★★★
(長くなったのでブコメ)