はてなキーワード: 観念とは
近頃女権拡張論者と云ったようなものがむやみに狼藉をするように新聞などに見えていますが、あれはまあ例外です。
例外にしては数が多過ぎると云われればそれまでですが、どうも例外と見るよりほかに仕方がないようです。
嫁に行かれないとか、職業が見つからないとか、または昔しから養成された、女を尊敬するという気風につけ込むのか、何しろあれは英国人の平生の態度ではないようです。
名画を破る、監獄で断食して獄丁を困らせる、議会のベンチへ身体を縛りつけておいて、わざわざ騒々しく叫び立てる。
これは意外の現象ですが、ことによると女は何をしても男の方で遠慮するから構わないという意味でやっているのかも分りません。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240427031516
gryphon 面白く読んだが2点。「…付託されたが、その後本格的な審査…ない」は議会が駆引と日程で動く以上あり得る話で「付託」時点で一定水準の議論と推定可能か/米上院(各州2議席)等「平等選挙原則」は前提にせずとも可
平等選挙原則の話はあとに回す。議会が駆け引きと日程で動くのであれば、付託は政治的取引の結果と解することもできるような気がするというのはともかくとして、確かに議会の駆け引きの結果たなざらしにされているという可能性はある。そこで、先の2008年提案をもう少し細かく読んで見た。
https://dserver.bundestag.de/btd/16/098/1609868.pdf
よく読むと、この提案は、基本法や関連法規の改正を連邦政府に促すべきだという「決議」の提案であり、基本法改正の条文を並び立てる案ではない。条文も具体的な制度設計も伴わない提案を一定水準の議論と言って良いのか。だから賛否も問われずにたなざらしにされたのではないだろうか。以下の文章以外は、提案の理由(いわゆる「世代間正義」の実現が主のようだ)が長々述べられているに過ぎない。
II. Der Deutsche Bundestag fordert die Bundesregierung auf, einen Gesetzentwurf zur Einführung eines Wahlrechts von Geburt an durch Än- derung des Artikels 38 des Grundgesetzes und erforderliche weitere gesetzliche Änderungen, insbesondere im Bundeswahlgesetz, vorzulegen. Für den Fall, dass die Eltern sich in der Ausübung ihrer Stellvertreterposition in Bezug auf das Kindeswahlrecht nicht einigen können, wird die Bundesregierung aufgefor- dert, eine einfache und beide Eltern möglichst gleichberechtigende Regelung zu schaffen.
連邦議会は、連邦政府に対して、基本法第38条と他の必要な法律の改正、特に連邦選挙法の改正を通じて出生時からの選挙権を導入する法案を提出するよう求める。両親が子の選挙権についての代理権行使[の方法]について一致できない場合のために、連邦政府には、簡単かつ両親双方に可能な限り同権的な規則を作成することを求める。
ちなみに、Wikipediaドイツ語版(https://de.wikipedia.org/wiki/Familienwahlrecht)を見て知ったのだが、2003年にもほぼ同じ提案がされている(https://dserver.bundestag.de/btd/15/015/1501544.pdf)。
こうして経緯を調べてみると、議会の妥協ゆえにたなざらしにされているというよりも、5年経って具体的な案も詰められなかったというのが現実であるように思われる。
「国会で」とか「政府で」という枠を外して学界に目を転じると、確かにドイツ人らしく(?)真面目に議論されているみたいだ。前回の調査局の報告書には、数は少ないながらこの問題を直接的に取り扱った論文がいくつか引用されていた。彼らが議論しているのは基本法の定める民主国家原理に反するのか、それを促進できるのかという点である。問題は、そうした真面目な議論をきちんと踏まえた上でドイツ人ができなかった(ように見える)平等選挙の原則に反しない提案を考案するどころか、子が3人だから私は4票(吉村氏)などと賛成派のドイツ人も避けようとしている発言をしてしまっていることだ。
さて、平等選挙の話に戻る。アメリカの上院は人口にかかわらず一州に2議席である。しかし、このような例があるから平等選挙は必ずしも民主主義の前提ではないというのに私は強い疑問がある。
第一に、合衆国憲法の上院の議席分配については、アメリカ連邦制特有のものである。アメリカのような連邦制をとらない日本でこの例を出すことは不適切だろう。
第二に、アメリカの上院の議席分配が不平等であることは、当のアメリカ人も不満を持っている。たとえば有名な政治学者ロバート・ダールの『アメリカ憲法は民主的か』(邦訳が岩波書店からある)は、上院議員が人口に比例していない「顕著な不平等代表」であると述べる(邦訳58頁以下)。この仕組みは合衆国憲法制定時に諸州の妥協(いわゆるコネティカット妥協)で作られたわけであるが、そもそも、合衆国憲法は民主主義が大事にされる時代に制定されたわけではないというのが時代背景としてある。合衆国憲法が制定された時代には、不平等な選挙制度は普通に見られた。ダールは一例として、19世紀に存在した悪名高いプロイセンの三級選挙法を引き合いに出している。三級選挙法は、平等選挙を求める激しい非難を浴びながらもしぶとく生き残っていたが、第一次大戦の敗北と共に消え去ったのである。選挙権は与えるが露骨にユンカーと資本家の票を優遇するこの仕組みは極めて有名であり、今でも平等選挙の反対概念である差等選挙の一例として三級選挙法はよく言及される。今さら民主主義が大事にされていたわけではない時代にできた妥協として生き残っているものを引き合いに出すのは、民主主義者の行動としてはおかしなものだと思う。ちなみに、ドイツの連邦参議院(上院)は、ある程度の人口比例的に各州に議席が割り振られることになっている(また、そもそも連邦参議院はアメリカの上院ほどの権限はない)。
ケルゼンも言っているが、民主主義は人々の平等をもって本旨とする(古代のギリシアの民主政も突き詰めれば平等に行き着くだろう。民主政を表すもう一つの言葉はイソノミア(平等の法)である)。選挙権の平等は民主主義と切っても切れないのであり、ドイツ人が平等選挙に反しないように「代理」と言っているのは、ドイツ基本法(憲法)20条に抵触するのを避けるためだけではないだろう。もし平等選挙の理念を取っ払うのだとすれば、金持ちが結託して再び三級選挙法のような仕組みを導入されても文句は言えない。むしろ今般の眠たい提案よりも金持ちを守るための露骨な提案の方が議会を通りやすいだろう。平等選挙を引っ込めてはならない。
選挙権の平等に歪みを加えるような制度改正をしても、政治的影響力を増すのは「代理」する大人であり、子どもではないという現実を見るべきだ。若年者の「世代間平等」とやらを図りたいのであれば、方法は一つである。「代理」などという回りくどいことなどせず、選挙権の年齢を下げることだ。16歳、(オーストリアで検討されている)14歳、あるいはその下でもいいが、子どもが投票の意思表示をすることができるギリギリまで下げてみることを提案されたい(ちなみに私は、14歳くらいまでなら割とすぐにでも引き下げて良いのではないかと思う)。
(ついでに)
意思表示の能力がない子どもは排除されるのになぜ意思表示の能力のない人(たとえば重度な認知症の老人)が選挙権から排除されないのかという疑問を持つ人もいるらしい。理論的にいえば、確かに意思表示の能力のない人は選挙、つまり国家意思の形成に参与する資格はない(実は理論的にいえば子どもか老人かは選挙権の決定に直接関係するわけではない)。そうすると、なぜ2013年の法改正で成年後見人の選挙権が回復されたかという疑問がわきそうだが、後見はあくまで財産管理上の能力があるか否かの問題であり、政治的な意思表示の能力があるかとは厳密にいえば関係ない※。要は、現状、意思表示の能力のない大人を選挙権から排除する仕組みはないと考えなければならない(もっとも、実際には政治的な意思表示が一切できないなら投票所に来られまいし、投票所に来ても何もできないだろうが)。
憲法が成年(ここでいう成年とは民法上の成年をいう)に選挙権を保障するのは、成年であれば政治的意思表示の能力があるだろうという線引きを採用しているからである。こうした年齢によって能力の有無の線引きにするのは、一見すると確かに問題がある。子どもでも賢い子はいるし、大人でも愚鈍な人はいる。思考実験としては、年齢にかかわらずすべて政治的な意思表示の能力がある人をテストで判定し、テストに合格した人にみに選挙権を与えるということも考えられる。ただ、どのような方法でテストを組めば公正に政治的意思表示の能力があると見なせるかという問題が生じる。このようなテストを実際に恣意的に活用して実質的に黒人の投票権を奪っていたのがかつてのアメリカ南部諸州であったことを忘れてはならない。
結局、年齢によって形式的に線引きする方が、ヨリ問題はすくないように思う(年齢よりも問題を起こしにくい線引きの方法があったら教えてくれ)。あとはどこまで下げられるかを真剣に考えることだ。
なお、日本国憲法15条3項は、成年者には選挙権を与えなければならないとだけ言っており(公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する)、未成年者に選挙権を与えることを禁じていない。これは、ドイツ基本法38条2項が、「満18歳の者は、選挙権を有する」と定めていることと対照的である。年齢の引き下げなら日本では憲法改正など必要なくすぐさまやれることなのに、わざわざ憲法改正どころか民主主義の根本原理を改変するような提案をしてくるのは、何かおかしな底意があるのだろう。
※これは思いつきだが、禁治産者が選挙権から排除されていたのは、財産を持つ有徳の者にだけ選挙権は与えられるべきであるという制限選挙時代のBesitz und Bildungの観念に由来するのかな。いずれ調べてみたい。
近所にウェルシアとかイオン系スーパーがどんどん開店するから観念してイオンカードを作って届いたんだが、封書にあるようにスマホで登録しようにもイオン系支払いアプリが複数あって戸惑って、とりあえずめぼしいのダウンロードして、ウォレットアプリを開いたらスクエアIDでログインしろって出てきて、こんなんカード作る時に登録したかな?って小一時間メールチェックで探して、新規でID作らなあかんの?って気付いて新規でスクエアID作ってログインして入会ポイントもらったまではいいんだけど、次に先に登録していたウェルシアアプリのWAONポイントとポイント合算できるようにしたくて、アプリ経由でWAON POINTのサイトに行ったんだけど、スクエアIDでログインしようとすると「スクエアIDはもうすぐ終了するのでiAEONのIDでログインしろ」ってページ遷移させられて、iAEONのIDなんて作った覚えがないから新規で作ろうとしたら「この電話番号は登録済みだ」と断られて、登録した覚えないのにって不審に思いながらパスワード再発行手続きして、iAEONのIDをゲットしてWAONのサイトにログインするとiAEONの個人情報登録がされてないから登録してから出直してこいって門前払いされて、iAEONまで戻って個人情報登録して、WAONにやっとログインできると思ってログインしたら、ここでも再び個人情報登録させられることから始まって、それを入力してやっとWAONポイントの統合手続きに進むことができて、めんどくさい手続きを終えられた。
近代教育受けられなかったorサボってきた奴らは人間とチンパンジーの間くらいの知能と道徳観念だからな
まず、私は学業においてマイノリティを専門に学習しているので、無知では無いことを(火避けに)アピールしておく。シス女性、かつストレートである。
二次創作BLを前提として、私がキャラの性的嗜好ラベリングして欲しくない理由は、そもそも二次創作BLが全て幻覚であるからだ。我々腐女子は端的に言って変なことをしており、嘘を作り続けているだけなので、原作の彼等に恋愛描写がない以上、推しの性的嗜好は永遠に謎のままである。
その状況下、「もしこの相手を好きになったら」という仮定をつけてお人気遊びをしている。そのifは、キャラクターの根幹(行動原理)に関わるほど深いレベルで定義してはいけない。
要するに、あくまで「この相手を好きになったら」という、上辺のレイヤーを重ねる事で幻視するまでしかしたくないのだ。それ以上、キャラに手を加えてはならない。普通はハナから手を加えてはいけないものだが、それでも手を出してしまう狂気の中に、微かな自制心がある。
そういう面で「その相手だから好きになった」という考え方をするのは一義的に正解かもしれない。だが、これも我々が運命をねじ曲げてそうさせたに過ぎないので、キャラの根本的な性的嗜好では無いのだ。だから、セクシュアリティとは言えない。
加えて、二次創作では恋愛感情に重きを置かないブロマンス的な作品が多い事も影響しているだろう。ここは、セックスしなくても、因縁で喧嘩すればBLだし、本気で殺し合えばBLだし、2人でテーマパークに遊びに行くのもBLだし、赤の他人同士の初対面もBLだと受け取られる世界だ。BL界隈がホモフォビアの要素を含むと指摘するなら、性的嗜好のラベリングよりも、此処を見た方が良い。私のような雑な腐女子は男性同士の関わり合いが見られれば欲望が満たされるのだが、男同士の距離が近いと何をしてもBLになる。公式がやると、腐媚びと呼ばれがちなものだ。ベースに同性嫌悪があるから、男性2人組は大抵何をやっても珍しく、故に喜ばしく、ファンタジックな「腐」になるのだろうと私は考えている。
余談だが、この観念のまま美少女だらけのコンテンツに行くと、BLでの判定装置を使うと付き合っているとしか思えない女の子同士がわんさか居て混乱する事になる。
なお、一次創作のBLはだいたい既に作者が性的嗜好を設定している場合がほとんどで、だいたい描写されている。オメガバース等の特殊な世界線によっては、男性→男性の恋愛がマジョリティであるとされることもある。それを書いてあるとおりに受け取れば宜しい。
と、いうのが個人的なお気持ちだ。好きなキャラが恋愛にドギマギする姿の愛らしさ、自分と関わりのない世界を覗く楽しさ、激情の遣り取り、1本多いチンチン、この辺が好きでBLを見ているものの認識は、こんなものである。必要のないものは考えない、それだけの話だ。
ド級の有り得ない仮定をお人形遊びに使っている以上、自分の思想の介入は、最低限にしたい。「公式、公式」とうるさい腐女子も、だいたいそんな感じではないだろうか。
筆者は明らかに先入観を持って親友について語っている。親友の性格や行動を独自の視点で解釈し、親友の選択に否定的な感情を表している。筆者は親友の変化に対してショックと失望を感じており、これは親友に対する一定の期待や観念があったためと思われる。
また、親友の人間性や選択を一方的に批判する姿勢が見受けられる。
筆者は親友の内面や状況を深く理解しようとはせず、自分の視点から親友を評価しているように感じられる。
このような先入観に基づいた視点は、筆者自身の感情や価値観を反映しているが、親友の実際の心情や状況を正確に捉えることは難しい。
Chat GPTもこう言う批判的な評論することがあるんだなあ。まぁそう言われると全部主観だなこれ。
Chat GPTって「どこが主観で、どこが事実の記述か」を旨く分離してくれるから、それを利用して冷静になるのはアリかもね。
ここでなら死んでもいいと思ったけれど、殺されたいとは思わなかったので、退職した。
憧れの業界に入って、末席だけど記事に自分の署名も入って、このまま頑張れば自分の小話コーナーくらいもらえるかもしれない、なんて思ってた。
実際に回ってきた仕事はテンプレ通りのリリース記事ばかりで、製品に特徴がない。
前回の記事を参考に新たに書き起こしてみるが、まるで金太郎飴みたいな内容でげんなりする。
つまらんから書き直せ、と言われても題材が前回のマイナーアップデート版だから大きな変化がない。そりゃそうだ、どのメーカーも冒険なんかしない。
スペックと価格と外観が過去の製品とほぼ同じ。なのになにをどうしろと言うのか。
反発しながら金太郎記事を量産してたらいつの間にか海外のライターから原稿を受け取って校正する担当になった。
彼らは海外在住だから日本時間と全く違う時間に原稿が出てくる。
「待たせてはいけない」という上長指示の元、原稿を受け取って、ほぼ毎日朝まで校正コース。ライターさんと連絡が取れなくていたずらに時間が過ぎていく日々もちらほら。
どうにかこうにか校正を終えて提出すると、上長からは「定時に出社せよ」のお達し。
睡眠不足を抱えて8時間労働をこなして、帰宅してまた海外ライターの原稿を寝ないで待ち続ける。
こんな生活が2ヶ月も続けば立派な睡眠障害&鬱患者の出来上がりだ。
希死観念が強くなって、眠っても仕事の続きをしている状態になって、今が夢なのか現実なのかわからなくなる。
これはやばいかも、と仕事の合間に行った病院で診断書をもらったが上長には一笑に付されて終了。
共通の友人に根掘り葉掘り聞いて、結婚式の写真も見せてもらった。新婦の両親は品の良さそうな家族。お互いの実家を行き来してて両家仲良さそうと聞いて大泣きしている。とても悲しい。人は同じもしくは近いカーストの人としか結ばれないのか?
この気持ちと経緯をどこに吐き出したらいいかわからないから、ここに書かせて欲しい。
私は地方出身で進学で京都に来ており、彼は京都出身の男だった。
付き合いは本当に順調で、私は彼の実家にもよく顔を出していた。注文住宅の一軒家、ペットの犬、何より優しく働きものの彼の両親と妹が大好きだった。
結婚を意識し始めた25歳の春。彼が四国の私の実家に来たいと言った。私の実家は貧しいこと、フル奨学金で進学した事は事前に伝えていた。再度「うちの実家本当に貧乏だから、驚かないでね」と伝えた。彼は「大丈夫だよ」と笑っていた。
到着した実家は古びたトタン貼りの長屋タイプの貧乏平屋で、申し訳程度に片した物が散乱している部屋にアルコール中毒気味の痩せこけたパチンコ狂の父親とプリン頭のだらしなく太ったパチンコ狂の母親と祖母と分不相応な吠えまくるチワワがいた。生計は祖母の年金と両親のたまの労働と借金と私の仕送りで立てている事は内緒だ。彼はそつなく私とお付き合いしているという挨拶をこなしてくれた。彼の仕事と彼の実家の事をそれとなく聞きお金の匂いに目を光らせる両親が憎かった。
それからしばらくは今まで通りのお付き合いが続いたが彼の実家の定期イベントのバーベキューに呼ばれる事はなく、なんとなく疎遠になっていき、私の実家に彼が来た3ヶ月後に、彼の浮気の自白&強引な別れ話で交際は終わった。
当時も今も浮気の件は嘘で、私の実家にドン引きしたから別れたのだと思ってる。逆の立場でもそう思う。彼と私とで貧乏の解像度が違うのだ。
関西に来てから、友人達の実家に行くことが何度かあった。みんな「貧乏育ちだよ〜」と言っているが全然違う。経済観念が近いから仲良く出来ていたが、向こうはしっかりと躾けられたお嬢さんでガチの貧困は私のみ。
友人Aの実家は、確かに郊外だが、木造造りの立派な御屋敷だった。蔵もあるし。
(本人曰く田舎の古くてボロい家)
(本人曰く、駅から遠く古くて狭い家)
友人Cの実家は、漁港にある一軒家、家族で漁業をやっておりイキイキしてて眩しかった
友人A、B、Cのような出自であったら今頃彼と結婚しもう子供もいただろうな。
彼にも友人にも私の貧困は見えていないのだ。実際見たとしても彼のように何も言わず、私に何も言わせず去っていく。
めちゃくちゃ勉強を頑張って就活を頑張って、仕事も頑張って、稼いだお金は奨学金の返済と仕送りに消えていく。
そういや、同じように仕送りの愚痴を言ってた友人。当時は同じ悩みを持つ仲間がいて嬉しかった。お互い支え合って仕送りしてたよね。彼女は結婚した時に、そのお金がそのまま毎月貯められてた通帳をもらってたなあ(結婚式のスピーチで言ってた。みんな号泣してた)普通にお祝いももらった上で。羨ましい。羨ましすぎて吐きそう。私の苦しみまで、彼女の喜びの養分になっているようだ。
これ以上の恨み辛みとやるせなさはあるが、ダークサイドに落ちそうなのでこの辺で吐き出しやめよう。
表現規制に関する議論で「自殺すれば殺されずに済む」理論を唱える連中が多くてマジで辟易する。
「過激な」水着やポーズもNG 県営公園での水着撮影会新ルール公表:朝日新聞デジタル のブクマ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASS356S3FS35UTNB00G.html
規制の不在や曖昧さをタテに「自由に」やった結果がコレ。オレは「規制派」だが、これは最悪に近い落としどころと思う。行政の介入の口実を与えただけだ。こういう事態を避けるために自主的な規制は行うべきなのよ。
典型的な、「自由」より「行政に介入されないこと」の方が重要だと言っている例。
群馬の森の朝鮮人追悼碑も、自主的に撤去していれば、行政の介入(代執行)は無かっただろうね。
単なる偏見。
この件で得られたのは公共施設でバカがチキンレースやると行政が無駄なルールを作らなければいけなくなる、という当たり前かつ不毛な教訓。なぜ過激なのがダメなのか説明しろやって人らが他者の自由を奪ってる。
そうだね、各地の公共施設で行われ、自治体の冠付けが行われてきた反戦、平和、歴史認識問題に関する催し物について、行政がルールを作って排除するようにしてきましたけど、素晴らしいことなんでしょうね。
表自界隈が毎度の如く暴走した結果、アホな規制を呼び込んでしまった例がまたひとつ。暴走族が二輪通行規制を呼び込むのと同じ。
黙ってたら、単に排除されて終わりでしたね。
日本共産党が破防法(規則)に基づき監視されているのは、日本共産党が悪いってことですね。
そうだね、ちゃんと社会の暗黙のルールに逆らわずに生きてくださいね。
左翼が騒ぐから、警察が細かいルール決めざるを得なかったんですね。
自由を「俺らのやり放題」と曲解すると首を絞めるという話。社会性に欠ける表自戦士は他者の存在という観念がないので公共を私物視する。逆に他者の政治主張を排除したがるのも公共空間を私物と勘違いしているから。
そりゃ、最初から水着撮影会なんかやらなければ規制もされないですけど、それって意味あるんですか?
あと、公共において、一方の自由を「私物視」として、別の一方の「政治主張」をたれ流すことはそうではないとするのは、非常に恣意的ですね。
社会的調整の領域でコンセンサスを取る努力をしないで「禁止されてること以外は全て自由だ」というスタンスで好き勝手やってると、結局その中間領域もどんどん統制側がコントロールするようになるのよね
正義や道徳を笠に着て、政治的圧力をかけてくる民主集中制の連中は交渉不可能でしょ? こっちが譲歩したら許すの? そんなわけないでしょ?
「コンセンサスを取る」って、人民裁判でコンセンサスを取るのは屈従しかないですからね。まだ、行政のルールのほうがなんぼかマシでしょ。役人は憲法擁護義務があるし、変なことをすれば裁判で負けるからね。
良識に照らせば判断できるものをバカの振りしてナイナイしてきた馬鹿どもがこういうルールを呼び込む。馬鹿は表現の敵でしかない。
なるほど、良識に照らせば、慰安婦などの歴史認識問題についての展覧会については判断できるでしょうね。(なんせ、各地で排除されてきてますからね)
刑法175条は、「わいせつ」な表現は罰する、としか規定していません。
モザイクが有れば合法などということは全く関係ないです。モザイクが有ろうが無かろうが「わいせつ」ならOUTです。
モザイクが有ろうが無かろうが警察が「わいせつ」だと決め付ければ、そのままOUTになるのが現状です
モザイクをガッツりかけていても「わいせつ」だと判断された例もあるし、逆に無修正でも(芸術だから)「わいせつ」でないと判断されて無罪になった例もる。
法律で「わいせつ」とは何かが全く示されておらず、警察の恣意的に運用されてるけれど、
「わいせつとは、徒らに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」
とある。
一方、着衣の上からの無断撮影が「羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」行為で迷惑行為防止条例違反で逮捕されたりしてるから。