はてなキーワード: 視線とは
僕の非モテ知人が、ストーカー気味になった時のこと。
彼は異性からは基本、避けられることを自覚。それだけに挨拶してくれて、視線を合わせてくれて、1対1で会話してくれるというだけで「俺はこの娘を逃したら、俺は一生結婚できない」と背水の陣モードを発動。
こういう男性、少なくないんですよね— MW岩井 (@mwiwai) May 15, 2024
無断転載はやめなさい!
もう人生の折り返し点をすぎて久しい。目を通す文字は、仕事の書類ばかりとなった昨今。
でも小学校高学年から中学生にかけての頃に、文学少女に憧れた時期があった。
書店の奥のほうにいっては新潮文庫コーナーで、適当に数冊手に取っては解説に目を通したりしていた。
生まれて初めて自分で買った詩集は、井上靖の詩集だった。小学校5年生か6年生の頃だと思う。
頁を開いたとき、これは詩なの?というのが最初の感想だった。普通に文章だったからだ。
調べてみると、井上靖の詩は、散文詩という形式らしい。なにが自分の知っている詩と違うのだろうというところで
「韻」という言葉もその時初めて知った。
井上靖の詩集を手に取ったのは、国語の教科書に載っている著者の本でなるべく読みやすそうなものを探したからだった。
というわけで、あすなろ物語のついでに手にしたのが、人生最初の詩集だった。
小中学生の頃、国語の授業で、詩や短歌に少し関心をもった私は、韻を踏む、という作法が苦手だった。
季語などルールがあったり、韻で楽しめなければならない、みたいなものが短歌や俳句だとすると、ちょっと縁がないなと。
特に覚えているのは、中学校の時習った在原業平の短歌に、かきつばたを詠みこんだものがあるが、韻だけでなく、言葉のニュアンスにいろいろな仕掛けを作らないと詩として成立しないのかと思うと到底自分には向いてないジャンルだった。しかし、そうはいっても、短い言葉で何かを表現してみたいという思いは消えず、ひそかに詩集をつくって引き出しの奥底にいれていた。
幼少の頃、川辺の石段の下で手を洗っているとき不意に石鹸が手元を離れ、深みに落ちていったという情景の詩があった。その喪失感をその後の人生でも刻まれているという内容だった。これなら自分でも書けるかもしれない、と思った。
自分の世界の表現の仕方や詩の味わい方を学べたのも井上靖の詩の影響が大きかった。
例えば、雪という詩がある。
雪
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
こういう二行の少年の詩を読んだことがある。
みつけた詩だ。雪が降って来ると、
私はいつもこの詩のことを思い出す。
中学生の私は、なるほどと思った。
詩というのは、雪が降って鉛筆の字が濃くなったという描写やその言葉のなかにあるのではなくて、物語は書かれてない背景のなかにあるのだなと。
鉛筆の字という描写だけだったら、だから何?という感想しかない。しかし、鉛筆を持つ誰かの表情を想像し、その背景を想像して足してあげることで一枚の絵になる。
当時、大好きだった先輩が「友情」を読んで感動したといっていたので、友情ともう一冊詩集を手に取った。その後しばらくして、私の失言が原因で先輩は私からフェイドアウトしていった(つまりフラれた)ので文学をダシに先輩と仲良くなろうという作戦は失敗した。しかし、武者小路実篤の詩はそんな私をなぐさめる言葉にあふれていた。
いじけて 他人にすかれるよりは 欠伸(あくび)して他人に嫌われる也 夏の日。 嫌う奴には嫌われて わかる人にはわかってもらえる 気らくさ。
ほどなくして、種田山頭火という自由律俳句というジャンルを知った。
山頭火は面白い。普通の俳句じゃないところがいい。規律から解放されるってすばらしいことだと。
定型詩嫌いな私にとっては、ある意味で、俳句短歌のエントリーポイントとなって、
しかし俳句は、季語の煩わしさにどうしてもなじめず、自分には遠い世界のままだった。
いつしか手にしていたのは、興津要の解説する江戸川柳 誹風柳多留だった。古典落語にはまり始めた時期だった。
剣菱という酒を飲むことを江戸時代の人が剣菱る(けんびる)と言っていた、など、現代の言語感覚と近い、興味深いことがいろいろと書かれていた。
その後は巴毎晩組み敷かれ
木曽義仲の元を離れ、和田義盛に見初められ身柄を預けられた巴御前、ネトラレ系の元祖ともいうべき味わい。思春期の私はこうした江戸時代の川柳で妄想たくましく想像し、手が動いた。五七五だったら、こっちの世界のほうが楽しい。
一方、短歌のほうは、というと、当時の朝日歌壇は毎週とても楽しみにしていた。
俵万智のサラダ記念日がベストセラーになったからというのとは全く関係なく、プロではなく、市井のいろいろな人が短歌を詠んでいるということが興味深かった。
例えば、こんな一首。
あさま山荘事件を起こした連合赤軍の幹部、坂口弘が収監中の東京拘置所から毎週のように短歌を朝日歌壇に投稿していた頃だ。
朝日歌壇では他にも穂村弘がいた。短歌の表現する世界の幅広さを朝日歌壇で知った。
風花って知っていますか
渡辺松男と太田美和は実社会で互いに関係があるわけではなく、それぞれの思いを歌に込めていたのだと思うけど、なぜか不思議と互いに呼応し合うものがあった。これは当時の歌壇をリアルにみていた人にしかわからないことだけど。雨の森や樹々など独特の世界観を表現する渡辺松男に対して、雨の日に部屋にこもれば憂鬱が発酵すると詠んだりする太田美和。
実生活で恋をしていた私は太田美和の言葉に自分を重ね合わせた。
でもこのころが私の文学少女期のおわりだった。
大学を卒業したものの、就職できずに苦しむ時期がやってきた。就職氷河期というやつだ。
生活が一変した。
書店で立ち寄るのは、奥の文庫コーナーではなく、店の前の新刊コーナーであり、資格取得のコーナーだった。
世の中からどんどんと取り残されてゆく焦りでいっぱりになっていた。
山頭火も武者小路実篤もへったくりもない、そんなことより面接と資格だ!という日々。
就職が決まってからは、病気になったら人生終わりだし、干されたら終わり。もう一歩先に、もう一歩とただひたすら走り、走らされる人生が始まった。
たまに思い出しては、現代短歌の最近の潮流を知りたくなって、枡野浩一の本を手に取ってみたりはしたものの、ピンとこなかった。
若い頃あれほど好きだった渡辺松男も改めて著作をみると作風が変わったのかと思うほど、何一つ言葉にくすぐられることなく、不感症になっていた。変わったのは自分のほうだ。
それから数十年、あるとき気が付くと、新しい家族が増え、家が建ち、旅行などしている。
そういえば何十年も詩や短歌を目にしていない。寺山修司の本は引っ越しのどさくさでどこかにいってしまっていた。
思春期のことを遠く思い出すようになった。実家の部屋の引き出しにはまだヘンな自作ポエム集が眠ってるはずだ・・。自分が死ぬ前にはなんとしても奪取してこないといけない。
中年になっていいかげん自分の限界を悟って、ふっと一息いれた、という形だ。
―― 雪が降って来た。
―― 鉛筆の字が濃くなった。
この二行の子供の詩を、何十年も経って思い出す井上靖の感覚がとてもよくわかるようになった。
これは人生の楽しみを食に見出して、ワインをたしなむようになってから思ったことでもある。
詩を楽しむということとワインを楽しむことには、ひとつ共通点がある。
どちらもウンチク語ってめんどくさい奴がいる、という意味じゃない。
鉛筆の字が濃くなる、という情景として、勤勉で真摯な子供の姿を思い浮かべる、という
文として書かれていることと、書かれていない想像の背景の補完的な関係は、ワインと食事、一緒に食事するひととの関係によく似ている。
ワインの味や香りは、それだけで勿論、それぞれのワインに特徴があるし、品種やビンテージ、気候土壌などさまざまな情報がある。
しかしワインのおいしさを決めるのはそれだけではない。過去に飲んだ記憶とか、一緒に食べているもの、そしてそのときの話題、体調などに大きく左右される。
水だって同じことで、喉が渇いているときの一杯と会議中にやり込められているときの一杯は全然違うはずだ。
マリアージュという言葉があるように、ワインは一種の調味料として機能するため、食べ合わせは重要だ。
ブラインドで呑むワインはどんな高級ワインだろうが、初見のワインでしかない。ワインの特徴まではわかってもそこまでだ。
逆に偽の情報を表現豊かに補完してしまえば、コンビニで販売しているワインを高級ワインと偽って出してもたいていの者には気が付かれないだろう。
ワインを色やら香り、余韻など物理的に因数分解した表現ができても、美味しさは客観的な規律として表現することはできない。
詩も同じだと思う。規律ばかりを語るひとがあまりにも多い。本居宣長には悪いけれど、歌をつくるのは道だとしても楽しむのは道じゃないと思うんだよね。
井上靖が「小学校の教室という教室で、子供たちの書く鉛筆の字が濃くなりつつあるのだ、と。この思いはちょっと類のないほど豊饒で冷厳だ。」というとき、井上靖にとってその詩に初めて出会ってからの何十年間が効いてくる。井上靖は詩は規律ではなく、詩との出会い方だと教えてくれた人だ。
その情景を自分のなかでセットできるかどうかは、鑑賞眼の問題ではない。
どちらかというと、そのような情景がセットされてしまう、長年の思いの蓄積、その詩と出会ったときのメンタル、いわば偶然の力だと思う。
渡辺松男と太田美和が並んで歌壇に掲載されていたあの空気感にしても、あのとき限りのものだったのだろう。
失恋をして武者小路実篤の詩に慰めれられた思い出もそう。まさに一期一会。
そのときに自分が置かれれる状況やそれまでの経験によっては、詩に対して、鈍感になることだってあるのだ。
ところで、先日、Yahooの芸能ニュースをみていたら、TBSのプレバトというバラエティー番組で、俳句を競う企画があって、ある芸人が俳句の先生から5点と酷評されたと報じていた。
消しゴムが 白き水面に ボウフラを
というもの。作者は「頑張って勉強して、消しゴムを何回も消すと、消しカスがたくさん出る。それが白いノートにたくさん積もっていると、ボウフラのように見えるという句です」と意味を説明したものの、腹が立つ、とまで評者先生にののしられている。
ちょっと間抜けた感じはするものの、正直、なんでそこまで素人の俳句が酷評されなければならないか理解できなかった。だが、番組の演出・脚本としてはそれがオチなのだろう。
演出もさることながら、これは、他の出演者の俳句が以下のようなものだったことも影響しているように思えた。
虹の下 クレヨンの箱 踊り出す
天王山 黒ずむ袖に 薄暑光
薫風や 隣の君と 教科書を
こんなふうに優等生を気取った俳句がずらりと来たら、それは「お約束」として、こき下ろすしかないのかもしれない。
バラエティー番組のなかで俳句を味わうということはつまり、こういうことなのだ。その芸人に対するイメージで作品のクオリティが補完されてしまうのだ。
しかし、この句が仮にお笑い芸人ではなく、どこかの学校の児童生徒が作ったものであったとしたらどうだろう。
消しゴムをかける姿は、情景としては授業中であることを示唆している。5月の番組で文房具だからまだ気持ちはフレッシュだ。だけどがんばろうという気持ちは長続きしない時期でもある。
ぼうふらにみえるほど消しゴムをかけるくらいだから、授業中、何度も消していて、その間、ノートをとる手が止まることになっただろう。
それでも授業はお構いなしに進んでいく。溜まってゆく消しごむのカスからは、授業についていく焦りとともに、生徒のひたむきさ、間違って消すことが多い生徒のどんくささも垣間見られる。
いいかげん疲れたかもしれない。めんどくさいと思ったかもしれない。
一方で白い水面(ノートの隠喩)は、清潔さや純粋さを象徴している。
ふと手を止めた瞬間に、そこにボウフラがいるようにみえた、というのは、一瞬立ち止まってボウフラ?などとくだらないことを想像してしまった自分の不純さや切れた集中力で抜けてしまった気力(投げ槍感)との鋭い対比となっている。
と、このように解釈すれば、俳句としてむしろ「ボウフラを」で間抜けた形で止めた意味が出てくる。そこから先は、苦笑いなのだ。
ボウフラを季語と認めるかどうかはわからない。しかし、純粋に詩としてみれば、消しゴムとボウフラという組み合わせは非常にユニークだ。
また、どんくさいもの、弱者がボウフラというノート上のより小さい存在に視線をフォーカスする、という手法は小林一茶の方法とも通じるところがある。
番組の評者は、この芸人の俳句を酷評したうえ、次のような添削をしたという。
夏休みかよ。口論の途中で勝手に話の前提を変えられたときのような不快感を覚える添削だった。消しかすって文房具じゃないし。
しかし、誰しも詩に対して鈍感になる、そういうことはある。端的にあれバラエティ番組だからね。
ただ、私の場合、やっぱり俳句には縁遠いのだろうと思った。俳句がメインのカルチャーであろうとする、優等生を選ぼうとする、そのいやらしさも嫌だ。上品そうな季語を競うかのような世界は一種のルッキズムだ。夏休みとかいって勝手におめかしさせようとするんじゃねーよ。
そういうところがまさに、かつて私が川柳などのサブカルに引き寄せられるひとつの動機だった。ボウフラにシンパシーを感じる感受性は恐らくはかつて親しんでいた落語や川柳で身につけたものだろうから、ゆりやんの一句を悪くないと思うのは邪心かもしれない。そもそも番組ADがテキトーにつくりましたってオチかもしれないんだけどね。
芸能人など人前に出る容姿が売りの仕事の人と一般人のルックスレベルの差を女は理解してるけど、男は理解できない
元々の素材だけでなく、容姿の手入れやメンテナンスにかける時間も予算もまるで違うからね
そして女は自分が異性から需要がないのを受け入れられるが、低身長の男は自分はハゲや不細工以下で全ての女から需要がないのを受け入れられない
たぬかながチビウーバーのナンパにキレてチビ男に袋叩きにされた時も、女は誰一人たぬかなを批判しなかった
だから身長ネタの話題の度に芸能人を根拠に「チビでもイケメンなら女が群がる」を連呼する
まず女は肩書に群がる生き物なので芸能人や業界人という肩書ならデブハゲ高齢でも女に不自由しない
男で165cmというだけで全人口の下位一割というハンデに加え、社会人の男は男性ホルモン増加や老化もあり顔だけに視線が集中するレベルのイケメンはいない
実際、俺は今酷く酩酊しながらこれを書いているし、支離滅裂になっても構わないと思ってこれを書いている。
俺はまどろみが好きだった。
起きた時に未だとろんとしている情緒が、夢と現実の境目に居るかのようなまどろみが好きだった。
今の情報化社会には感謝しているのかもしれない。だがそのせいでもあった。
彼女が今、何処で何をしているのかを知ることが出来たのだから。
俺には幼馴染が居た。
小、中、高と一緒で、中学の時には一時距離を隔てたこともあったが、それ以降は以前のように仲が良かった。
俺は彼女のことが好きだった。しかし”関係を壊したくない”なんていうありきたりな理由でその気持ちを伝えることはなかった。
要はビビっていたのだ。
やりたいことがあったんだ。それがなにかはここでは書かない。身バレを怖れるという恐怖心は俺の中に未だまどろいんでいる。
俺はそのまま県外で就職し、彼女との連絡は続けていたものの次第に疎遠となり、連絡し合うのは正月ぐらいになっていた。
信じたくはなかった。それでも確かめないわけにもいかなかった。
それは地元駅から数駅離れた駅の近く。その駅からは歩いていける場所にあった。
商店街の隅、こじんまりとした階段が顔を覗かせ、ビルのテナントが表記されている。
俺はエレベーターを使わず、ゆっくりと階段を上った。足取りは重い。彼女の顔が幾栄にも脳裏をよぎった。
ただの噂だ。嘘だってこともある。俺は足を止めると顔を上げた。重々しい扉の前に立った。ひっそりと鼻で深呼吸をした。
扉に手伸ばし、中に入ると受付がまず目に入った。
先払いでお金を支払うと奥に案内され、顔写真が飾ってあり、俺はゆっくりと視線を漂わせた。
ある一点で止まるとそこで活動を休止させたように、俺の目には他に何も入らなくなった。
ソファに座って待つ間。俺は自分の手ばかりを見ていた。動悸は激しくなり、何も考えられない。
彼女が迎えに目の前に現れた時、彼女は目を見開いた。それから見たことのない商業スマイルを見せ「こちらへどうぞ」と俺を案内する。
個室に入るまでには一切口を利かなかった。
靴を脱ぎ、部屋に上がる。彼女はベッドに座り、俺は彼女の前に立った。
お互いに何も言わなかった。
どうして?と俺は言いたかった。久しぶりだね、と彼女が口を開いた。
俺は俯いたまま、床ばかりを見つめながら彼女の名前を口にした。
昔、ずっと好きだったことを告げた。
静かだった。物音一つしない。鼻をすする音が聞こえ、顔を上げると彼女が泣いていた。
その言葉、もっと早くに聞きたかったなぁ、と彼女が言った。俺は
彼女がそう口にするのを、俺ははっきりと聞いた。
俺は彼女の隣に座った。ごめん、と言った気がする。
彼女は俯いて静かに泣きながら俺に両手を伸ばし、俺の左手をその手で包み込んだ。
ごめん、と彼女も俺に言った。俺は泣いた。
それからのことは思い出したくない。俺は彼女に脱いでほしくなかった。手を握り続けてくれればそれでよかった。それでも離したくなかった手を俺は離してしまったのだ。
俺にはどうすることもできない。
俺は店を出て階段を降り、ゆっくりと振り返った。それから帰った。もう帰る場所はないように思えた。
戻ってきても仕事に熱が入らず今日もこうして俺は酒を飲んでいる。
まどろみたいのだ。
今でも幼馴染は、彼女は俺の夢に出てくる。
それでも今の俺にできることはこうして酒を飲むことだけなのかもしれない。
日本人特有の反応だという声も見られるが、youtubeのコメントを見る限りそうでもないらしい。
増田自身は特にどうとも思わなかったが、アップルに対するアンチの多さを考えると燃えるだろうなぁということは容易に想像できた。
あの映像は、CGであれリアルであれ、制作にはかなりの人数が関わっていることは間違いないだろう。
そうなれば、その関わったうちの誰一人としてあの映像の問題点を指摘できない空気であったとするならば、今のアップルは心理的安全性がとても低いであろう状況が予想される。
携わった映像クリエイターのうち一人として、楽器やカメラ、デジタルガジェットに精通する人間がいないだなんてことは考え難い。
それなのに、誰一人として、自分が大切にしているかもしれない道具が(きれいな壊れ方ながら)ボロボロにされる姿を見て不快に感じないわけがないのだから。
そうなれば答えは一つ。
誰一人として、あのプロモーション映像のディレクションに対して文句を言うことができない状況だったというだけのことだ。
権威あるディレクターがこれを作れと言えば中の人間は従わざるを得ず、炎上するかも知れない結果が目に見えていたとしても、ディレクターの前では口に出せないまま、むしろディレクターの才能を称賛しながら自分の地位を守る。
すでにアップルにはそういったYESマンしか残っていないのではないかとすら感じられるような、ひどいプロモーションだった。
クリエイターや道具の作り手のことをバカにしているとまでは思わなくても、「今のアップルの状況はひどい」ことをアピールするためのプロモーション映像だったと言ってよいだろう。
その視点から発表されたiPadを見てみると、円安という状況ももちろんありながらも、あまりにも市場価格から乖離した強気の価格帯でアップルオリジナルのMのつくCPUシリーズを強気に押し出す姿勢にも、それを誰も止めることができないような状況を垣間見ることができる。
nintendo switchとPS5を比べるべきではないのと同じように、iPadとゲーミングPCを比べるべきではないことはわかっているが、仮に今のnintendo switchの定価が6万円だとしたら、誰もがその強気な価格に驚くことだろう。
ipadにはipadにしかできないことや楽しみ方があることは十分に理解しているつもりであるが、それにしたって汎用性の少ない独自アーキテクチャで動く端末に、そこまでの投資をできるのはもはや信者しか残されていない。
特に今回は、proと廉価版(と言っても無印よりは高性能ラインアップではあるが)であるairの同時発表だったにも関わらず、どちらも庶民には手に届かないような価格設定だったことに、多くのユーザーは落胆したに違いない。
これがproと無印13インチの同時発表で、半年~1年後にair13インチの発表だったらまだ違ったのではないだろうか。
こうした事態さえも、アップル社内において声が上がらなかったとは到底考えられない。
しかしその声が届かなかったことを考えれば、そこに心理的安全性は皆無であり、独善的な経営判断が隠しきれていないと言えるだろう。
こうした強気な経営姿勢と相まって、既存の価値観をぶち壊すようなあの映像は世の中の反感を買って当然の結果だったと言える。
しかし、これから更にストア・ロイヤルティを強めようと一致団結するアップルの内側からの視点では、そうした世の中の冷めた視線は予想できなかったかも知れない。
それ自体は悪いことではないのだが、もしそこに心理的安全性が働いておらずそうした危機感を誰一人口にすることができない状況にあったのだとしたら、やはりこれは企業の危機管理意識の欠如によって引き起こされた当然の炎上であったと言えるのだろう。
アップルほどの大企業であっても、容易に心理的安全性が脅かされる状況に陥るという現状は、心理的安全性を研究(学習)している増田にしてみるとリアルタイムで参考にできる稀有な教材であり、これから先アップルが立ち直るのかこのまま崩壊していくのか、どちらにしても興味深い教材といえる。
皆さんも心理的安全性の観点からアップルの行く末を楽しんでみてはいかがでしょうか。
増田本人は今回のことでアップル製品に対する夢が冷めたので、同じ予算で14インチのゲーミングノートを買うことに決めました。
男の娘が出てくるジャンルの作品なんて、ほぼ全てがそれに該当しているのではないか?
個人的に購入している漫画として「先輩はおとこのこ」とか「好きこそももの上手なれ!」とかね。
その手のコンテンツに疎い自分でも例えば「抱かれたい男1位に脅されています。」とかいう脅迫によって性的関係を迫られる男の戸惑いやら恥じらいやら受容やらが性的興味によって描写されていくアニメが堂々と地上波で放送されてたことは思い出せるが
オタクがやりがちな反論だけどさ、はてブでも話題になったりネトフリでも上位ランキングされるようなアニメで話してるんだよね
人気アニメの大半に導入されているか?っていう前提で話してくれないと困るよ
作品なんて探せば数多あるし、見る人の数が違えば同じ内容でも反響が違うことぐらいわかるよね
「女向けでもホモ向けでも」って書いてるけどそれらが「男性の目」に入らないなら男が何か言うわけないよね
それこそ
対比がないのよ。男版は
女キャラが主役級1のチビを罵り、主役級2の高身長にでれーっとなる。そんなシーンって一般的か?
それらが同一になって初めて「山ほど」だよ
1から10まで書かないとミラーリングとして認めないならしゃーないで書き直してあげるわ。身長ネタに絞ってね
それでも長くなっちゃうよ?
チビは毎回いじられ、高身長を見るたびに「男性として魅力がない」と貧乳キャラのように自虐する
高身長は身長で悩むチビを見るたびに巨乳キャラのように高身長は邪魔なだけだぞと慰める
高身長キャラは歩くだけで女からキャーキャーキュンキュンされるが、チビは「どんまい。今後の成長に期待だな」と心の声を囁かれる
服を買いに行くシーンでは「短足だから似合わない」描写が入り、裾上げは10cm以上という自虐ネタが入る
高身長は何を試着しても「スタイルの良さからカッコいい」描写が入り、裾上げいらずでスマートに退店する
水着回のたびチビは短足を恥ずかしがる描写や、プールに1人だけ足がつかず溺れる描写が入る
高身長はスタイルのよさに周りが羨望の眼差しを浴びせ、溺れた子供を助ける描写が入る
「婚活ののぽぽ」という低スペックでも身長だけでモテる漫画が生まれる
月曜日に合わせるなら…
「月曜日ののぽぽ」という電車内で高身長に守られて惚れる漫画が生まれる。満員電車で揺れた時に壁に手を付き守るとか、たくましい背中を見上げてドキドキするとかかね
キャッチコピーは「月曜日が憂鬱な社会人に向け、高身長でスタイルのよい男子を中心に描かれるショート作品」
ヒロインから「チビには人権がない」ってセリフをはかれても「コラー」の一言でチビは許す
高身長が背伸びもせず後ろからさっと物を取ってくれたときに「キュン」とする
そもそも性犯罪者やプライド高くてきちーキャラはすべてチビ(貧乳キャラはわがままでうるさい性格とセットが多い)
生徒会のような要職キャラはすべて高身長(巨乳キャラは包容力があって落ち着いている性格とセットが多い)
(ああ「すべて」なんて書いちゃいけなかったね。大半はに読み替えといてね)
採点よろw
人権とは,すべての人間が,人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利である。 人権は,社会を構成するすべての人々が個人としての生存と自由を確保し,社会において幸福な生活を営むために,欠かすことのできない権利であるが,それは人間固有の尊厳に由来する。
チビって罵られるフィクションを大量にばら撒いて社会的に罵ってokの下地を作ってしまったら尊厳や社会において幸福な生活を営む権利が失われるでしょ
わかりやすいようにアニメの話中心だからあれだが、フィクションは映画やドラマ、コントなんかも含めてだぞ
社会にそういう下地ができなかったことの方がないと思うんだが?
どこかのセクハラオヤジのように「巨乳は褒め言葉だからok」とでも思っているのかもしれないけどね。同根だよ
だいたい弱者男性もくれしんで一度描かれたぐらいで過敏に反応してたよね
フィクションがフィクションで収まると思うなら改めて「クレしん 弱者男性」で検索してみては
そしてクール毎に話題になるアニメで弱者男性いじりが導入された結果を想像してくれよ
これもいいね
ただケツは女性にとって性的コンテンツだけどこれも男性には認識されていないからピンとこないかもね
創作物でしきりに描かれる→現実でも性的な視線を浴びせられる→創作物でしきりに描かれる
っていう歴史を繰り返さないと正確なミラーリングは難しいんだよね
知性のある人ならわかってたとは思うけどね
めんどくせえなぁ。正確にミラーリングしたいのか雑でもいいのかはっきりしろよ
「月曜日が憂鬱な社会人に向け、豊満な体型をした女子を中心に描かれるショート作品」
たわわの炎上も厳密には広告が出火元ではなく、キャッチコピーと共にネットニュースになってからだからな
追記おわり
基本的に痩せているほど評価されるのは女性コミュニティなんだよ。
もちろん太ってることが否定的にみられるのはどちらも共通するんだろうけど、痩せている事への評価には男女差がある。
いわゆるファッション誌と、グラビア誌を比較すれば一目瞭然、モデルの平均体重は10%以上の違いがあるという。
これがAV女優になるとさらに平均体重は上がるだろう、肉感的な裸体こそが強い引きになり痩せれば痩せるほど需要は減っていく。
そういう傾向を無視して女の子が体重を落とそうとするのは男性の視線というのは無理がある、無理がありすぎる。
女性こそが痩せている女性を褒めたたえエスカレートを促している、そういう現実を無視して男のせいにしている間は被害は減らないだろう。
結婚して家庭を築く。システム面から言えば、家事を分担すれば、これまでより効率よく生活できる。また、正直言って結婚だの恋愛だの何だのやかましい周りの声、「あの人、あの歳で結婚してないの?うわ……」みたいな扱い、そういったものが一掃される。
精神面から言えば、何より好きな人と話したり、触れ合ったりして、支え合って日常を過ごせる。
一人暮らしが快適すぎる。誰に気兼ねすることなくゴロゴロし、掃除し、インテリアを変え、好きなものを作り、でも何となく栄養に気を配り、食べ、美味いなぁと感動できる。
ここから導かれる本当の欲求は、正確には「結婚したい」ではなく、
「人肌程度に暖かい存在とふれあい、精神的に支え合いながら、家事の負担を減らし、周囲からの視線もなくなり、一人暮らしと同程度の快適さを享受できるような生活をしたい」
ということがわかる。
食洗機・ドラム式洗濯機を初めとした最新式家電を買い揃えるなどして家事をできるかぎりオートメーション化した上で、
会社を爆破する
反戦。戦争反対です。TVに映るものは、あんなもの戦争ではありません。唾棄すべき表面化した組織暴力です。
戦争はTVそのものです。メディアが悪いのではありません。メディアは薄汚れた媒介にすぎず、真の因果の元は我々にあります総括せよ。
戦争はコミュニケーションに端を発します。我々の会話です。口を慎んでください。そしてすべての財を投げ売ってください。財=罪。裸になってください。
男性器のある者はペニスを露出してください。女性器のある者はヴァジャイナを露出してください。どちらもない者は拳を突き上げてください。拳のないものは、叫んでください。叫べない者は狂うしかありません。見開いた視線の先に、そこに平和があります。目がなければ、そこになければないです。
相変わらず暇なんですね!私は勉強しないといけないんですけど、やる気なくてゲームとアニメと漫画三昧…
娯楽大好きな私には難しいです。
さっきしてくれたキモコメさん、私はツルペタなのでこれからも成長しません!
逆にツルペタの方がいいです。重そうだし、周りからの視線すごそうだし。
私、何番目の日記に書いたかはわからないんですが、かっけぇ姉さんになりたいんです。
背高くて眼鏡かけてて〜 って感じです!
憧れますよね〜。
かわいい系よりかっこいい系が好きなのでいつか達成してみせます。
痩せないと…泣
パアン!(大破)
(頬に傷がある人が振り向く)
(よく見返り美人とか言われるのはここ)
友「いや、衝突事故なのにシート揺れなさすぎ
ていうかあらすじに暴力団員とか書いてあったけど一人で運転してる暴力団員って…」
ボク「ほっぺたにキズがあったら暴力団員…そこら辺の中学生でもなれそう」
やべぇよやべぇよ…
(暴力団員?の人がずかずか歩いてくる)
友「ちょっと待って!今、後ろトラック通ったよね!?見られたよね!?ていうか暴力団がこんな後ろにトラックが通る様な場所に駐車するか??」
ボク「逆に目立たないんじゃ」
おいゴラァ!降りろ!免許持ってんのか?
免許見せろ
(ドアを開けて免許を取り上げる)
よし、おまぇらクルルァについてこい
(ドアを閉めて困惑する三人)
友「いやいや、まず弁償しろ!じゃないのそこは
友「ドアもやたら冷静に開けて冷静に閉めるし」
友「三人の格好もおかしいよね!?なんで日本代表ユニフォーム着てんの!?アマチュアの試合で
着たまま帰るな!中学生でもやらんぞ」
事務所?にて
(申し訳なさそうにする三人)
免許証返してください
やだよ(即答)
お前それでも謝ってんのかこの野郎
オナシャス!センセンシャル
お前とりあえず、犬の真似しろよ
友「ツッコミ所が多すぎるけど、とりあえずここはヤクザの事務所じゃないよね。ヤクザの事務所にこんなオシャレな黒のソファーないし。なぜか
団員この人しかいないし。どう見てもこれ、撮影スタジオでしょ。空耳アワーだってもっとそれらしいヤクザの事務所出てくるよ」
友「あと、この謝ってる人は今までどんな人生を過ごして来たのかな?人のクルマぶつかって弁償しますとかじゃなくて免許証返してってあんたそりゃ無理に決まってるでしょ。ていうか携帯は取り上げられて無いんだから普通に警察呼べたのでは?」
友「それから三人揃って事務所来てるけど、ぶつけたのは運転手が悪いんだから運転手だけ来ればよかったのでは?全く謝ろうとしてないし」
ボク「逃げるチャンスめっちゃあるやん…」
おわり
○ご飯
朝:ポテチ。アイス。昼:キャベツとブロッコリーとトマトたまごのスープ。キュウリ。夜:ウインナー、大根、人参、キノコ、トマトのスープ。冷奴。納豆。バナナヨーグルト。間食:柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみなりー。
○ 送り犬
送り犬という、とある地方で伝えられる奇妙な犬の民話、それにまつわるエピソードを描いたサウンドノベルだ。
ホラーサウンドノベル界の大御所飯島多紀哉さんが原作を務めているが、他のライターさんも数多く参加しており、ルートによって多種多様な展開が楽しめる。
この辺は弟切草以来の伝統的なシステムで、全てのルートで整合性が合っているわけではなく、各々のルートで全く異なる世界観を楽しむタイプの作品だ。
概ね主役は女子大生の財部美穂になるが、他のキャラが一人称を務めることもあり、本当に色々なシナリオがあった。
主なストーリーは主人公の財部美穂が合コンで、物静かな社会人男性の仙田秋成と知り合うことからスタートする。
しかし、財部美穂以外にも、その友達で少し股が緩い白井まどか、オドオドした冴えない男子大学生の山崎剛史、大学の警備員さん、大学付近に住むメス犬のポメラニアンのシャルルちゃんなど、さまざまなキャラがメインキャラになることもある。
最初に書いた送り犬のエピソードも、それそのものを扱うものもあれば、少し触れるだけのもの、全く関係ないもの、全く関係ないと見せかけてすごく関係があったものなど、多様な有り様で魅せてくれる。
コメディあり、ホラーあり、サイコスリラーありで、時にそれらが切れ目なくシームレスに行き来する。
数クリック前まではシリアスなストーリーだったのに、あっという間にギャグな世界になることもあれば、その逆もあるのが面白い。
ホラー作品らしい、突飛な設定も飛び出すこともあるが、そういう設定が絡まないときほど、人間の恐ろしさが際立つエピソードになるのが奥行きが合って面白い。
全35のエピソードの中、僕が気に入った3編は詳しく紹介したい。
まずは会いたい人編の「月夜の残滓」エンド。
一人暮らしの女子大生目線恋愛なので、セックスあり略奪愛あり親の歯止めなしで、中々ハードな作風だ。
主人公は恋に奥手ではあるが、友人の白井まどかが性的に奔放なキャラなので、彼女に釣られて色々と恋愛が過激になっていくのが良いね。
だが、そこで終わらず、恋愛だけじゃない関係性の面白さも詰まっており、女性主人公らしさが詰まった良いシナリオだった。
次に「山崎剛史の話」エンド。
これは主人公が財部美穂から、彼女に奇妙な視線を送る豊満な体型でどもり癖のある男子大学生山崎剛史にバトンタッチするエピソード。
美穂との関係値が明かされるわけではない。
その辺は序盤であっさり解決させられ、送り犬とはまた違った怪異との遭遇を描く独自のエピソードだ。
ちょっとしたボーイミーツガールもののような、ボーイズラブのような奇妙な読感で、ラストの印象的なセリフと美しい背景絵が合間って、綺麗なシナリオだった。
親元から出てきて一人で暮らす大人とも子供ともいえない大学生らしい苦悩が伝わるのも面白かった。
おそらくこのルートがいわゆる「グランドエンド」的な立ち位置だと思うので選出。
とはいえ、上述した通り全てのルートを包括するようなものはなく、あくまで「送り犬」に関するエピソードの完結。
短編ホラーとしてしっかりフリとオチと裏切りが効いており、読み応えのある良いエピソード。
僕は割とコメディを好きになりがちだが、今作はシリアス目のエピソードを好きになった。
勿論、ピックアップしないだけで面白かったストーリーは他にもあったので、短いプレイ時間ながら読むところがいっぱい詰まったいい作品だった。
クラスが同じになった時に1年ぐらい一緒に過ごしたが
「今叩いたのは悪いよ」っていうと
「〇〇君は悪くありません!!やめなさい!!」って担任がキレる
「〇〇くんがいかに生まれて、今まで生きてきて、そして頑張っている素晴らしい人間か」
というレクチャーを受け
卒業式では〇〇くんの親が誰よりも目立つ晴れ着を着てスピーチをしていたやで
だからそんなもんやで
ああでも
その親の「健常児のお前らは楽してるんだ、身の程を弁えさせてやる」っていう恨みの視線を我々に向けるのだけは本気で嫌だったな
健常児だって学校で勉強しているときは毎日新しい問題にぶつかって必死に努力してるっていうのに
それはないよ