はてなキーワード: 規準とは
この記事はエッチな同人誌をなんらかの手段を使って手に取ろうとしている、あるいは手に取ってしまった18歳未満の方や、18歳未満のご家族やお友達の代わりにエロ同人を買って、渡してしまった18歳以上の方を主な対象として書いています。
少し長いですが、大切なことなので読んでいただけたら嬉しいです。
ツイッターで「18歳未満 エロ同人」などのワードで検索してみたららR-18指定の同人誌を18歳未満の人間が買ってはいけない理由をわかっていない方々が多数いるようで唖然。
理由をわかっていないから18歳未満なのにエロ同人を手に取ってしまうのでは?と思ったので、ダメって言うだけじゃなくて、ダメな理由をきちんと説明しなければいけないと思いました。
個人の見解なので間違ってたら申し訳ないし、きつく言われるのが怖いので匿名にて書かせていただきます。ごめんなさい。
何かっていうのは18歳未満の子がエロ同人を所持しているのが大人に見つかることです。家庭内で処理できるならまだしも、親御さんが版権元(原作者や制作会社)に連絡してしまい、同人誌の作者が著作権侵害で逮捕されてしまったという事件が過去実際に起こっています。「ポ●モン 同人 事件」でググってみてください。
※ なぜ著作権侵害になるの?と思った人は同人誌と著作権の関係についてご自分で調べてください。それについて書いていると主題がずれてきそうなので。
特に2次創作の同人活動は趣味でやっている人が大半だと思います。リスクを冒してまで趣味を続ける人はおそらくいないでしょう。件の事件と同じようなことになってしまうことを恐れて、活動をやめてしまう作家もいるかもしれません。
あなたが18歳になって高校を卒業して、あの作家のエロ同人が欲しいな と思ってもその作家の本はそこにはないし、新作も読めない。なんてことがあったら悲しいですよね。
こちらに関しては完全に個人の見解ですし、怒りのあまり上手い文章を書けるか心配です。先に謝っておきます、乱文ですみません。
局部修正というのは、エッチな漫画に描かれている男性器や女性器を隠すようにして引かれている太い線のことです。
実はこの線、昔はもっと細かったり、量が少なかったりして性器が比較的鮮明に見えていたのです。
作家たちも最近は「せっかく描いたのになんで線で消さなければならないんだろう」と悲しんでいます。
なぜ局部修正をしなくてはいけないんだろう?なぜそれを国から言われているんだろう?それは筆者にもよくわかりません。(もし明確な理由があるなら教えていただければ幸いです。)
ですが、エロ同人作家がこのようなツイートをしているのを見たことがあります。「なんで大人しか見ないものなのに、18歳未満が見ても悪影響がないようにとの理由で局部修正をしなくてはいけないのか。」
これに関しての答えは明確です。18歳未満がエロ同人をなんらかの方法で読んでいるからです。
「松文館裁判」で調べてみてください。
これも、18歳未満の方が成人向け漫画を所持してるのが親御さんに見つかってしまったことが原因で起こった事件です。
18歳未満の方がエロ作品を所持、閲覧することが、表現の自由 作家や正当な閲覧者(18歳以上の人)の楽しみ それにあなた(18歳未満)の将来の楽しみを奪ってしまうことになっているかもしれないのです。
エロ本開いてみたら真っ黒モザイクだらけでもう何が描いてあるのか分からない!なんてこと、今でも普通にありますよ。
作者や読者の大人は皆怒ったり悲しんだりしてますから、本当にやめましょうね。
そんなこと言ったって、今すぐに読めないのは嫌だ。我慢ができない。そう思う方もいるかもしれません。
でも安心してください。たとえ完売してしまっても、しばらくすればwebや総集編に再録してくれる作家もいます。
お願いしてみれば、あなたが18歳になるまで、あるいは高校を卒業するまでお取り置きしてくれる作家もいるかもしれません。(ツイッターで実際に見た気がします)
いつか読める可能性があるのです。
それに、ぐっと堪えれば本当に読めるようになった時にとっても嬉しくなります。人生バラ色です最高です幸せです。私もそうでした。大人としての楽しみ、是非取っておきましょう。
ここに書いてあることはよくわからない、不十分だと思う方もいるかもしれません。そのときは自分で納得が行くまで調べてみてください。
スパイダーマン以外あんまり知らないクソにわかだけどなんとなく暇だったので観た
…アベンジャーズって日本で言うところのプリキュアオールスターズとか歴代仮面ライダー集合とかそんなノリだと思ってたんだけど、あんな終わり方していいの!?
自分は普通に面白かったけど、ヒーローものファン大丈夫なの?特に子供とかラストあたり泣かない?
とりあえずなんかヤベェもんをリアルタイムで観れて嬉しかった。確実に「ここまでやっていい!」の規準を広げた映画だと思う。
ただやっぱにわかだから、キャラとかストーリーの繋がりとかよくわかんなかったのが残念。キャプテンアメリカとソーはよく見る見た目と違ったから特に混乱した笑
いつからゲームは「遊ぶ」のでなく「観る」ものになったか(id:arcadia11)
http://arcadia11.hatenablog.com/entry/2017/12/29/210000
色々言いたいことがあるけど一つだけ反論する
プレイヤーよりも動画の視聴者に向けて、もっとキャッチーで、奇抜で、女性や子供も喜ぶデザインに修正しよう、という流れになっても不思議ではない。
女性や子供も喜ぶデザインに修正されることが問題のように書かれているが、なにが問題なのだろうか。
ゲーム業界を見る限り、人気のあるソフトはポケモン・妖怪ウォッチを筆頭に
マリオ、ロックマン、ソニック、クラッシュと子供受けする(かつ人外の)キャラばかりだ。
洋ゲーに出てくるような海外規準でセクシーなオッサンが誰か一人でも彼らと並ぶほどの人気を得ただろうか?
プレイ動画が無い時代から、老若男女問わずキャッチーなデザインが好まれるのだ。
売上のためならデフォルメされた動物っぽいものがたくさんでるゲームを作ればいい。と誰もが思うはず。
でもゲーム史上は二匹目のドジョウを狙ったもので溢れかえったりはしなかった。
クリエイターが安易な目先の売上だけに流されず、様々な年代性別に向けて、それぞれ面白いと思うものを提供してくれているおかげだ。
送り仮名の付け方については、今のところ内閣府がその規準を示しているので、一応これが基本とされる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/k19730618001/k19730618001.html
でもって、例外規定の中に「短」はないので、一応「活用語尾を送る」規則により「短い」が標準標記となる。「短(か)い」が推奨されたり許容されたりする余地は、ルール上はない。ここまでが基本。
ただし、これについては以前から議論がある。誤読の恐れがないとはいえ、たとえば「てみじか」と言った複合語を標記する場合、「手短にお願いします」といった文章を見るとどうしても「し、しゅたん…に……?」と誤読を誘う感じがするのだ。「手短かにお願いします」と書けば誤読の可能性はゼロになるが(実際、青空文庫など過去の作家の文章を見るとこちらの用例の方が多いくらいだ)現代の送り仮名の付け方ルールからは逸脱する。ルール上はあってはならないのだが、あった方が便利だという、なかなか悩ましい「か」なのである。
なお、「預かる」の場合は「預ける」という語との誤読を防ぐため「か」や「け」は送る必要があるが、「預り金(あずかりきん)」のように誤読の恐れがなく慣例として通用しているケースにおいては「か」を省くことができると先のルールにおいて許容されている(通則6の「許容」)。
なんとなく「かわいそう」だからという理由だけでごり押そうとしている
勢力や人が妙に多いように感じる
でもこれらの問題は多くの場合、原因や過程があって結果があるわけで
実際の対策はもちろん、一般人が問題を考えるときだって筋道を立てて考えるべきだし、
そうでなければどんどん焦点がぼけていくと思う。
自分は車椅子だから城にエレベーターつけろ、LCCは配慮が足りない
親が外国人だから日本で生まれて育ったのに強制的に帰国させられる
ect.
自分は引き出し少ないからぱっとでるのはこんなもんだけどほかに幾らでも見つかるよね
こういうのを見てどうおもうか?
そうだよねかわいそうだよね
で?
だからって薄っぺらいかわいそうを判断規準に持ってこようとするなよ
でもそんなのに簡単に便乗したり延々バカみたいにリピート放送して
後押しするような社会ってどうなんだよ
孤独死しそうなおじいちゃんおばあちゃんがいるよ
親が水商売で片身の狭い思いをして中卒で働いてる奴がいるよ
そして百歩譲って持ち込むにしてもそれは「日本人」の「かわいそう」にしてくれ
なんで海外のかわいそうを日本の社会がやたらと負担しなければならないんだ?
そんなことをしてるくらいなら俺達を助けてくれよ
2017/11/06 18:34追記)タイトルに関して「別に吸血鬼じゃなくても」という意見があってそれは実際そうなので一般化して「捕食者が絶対悪ではない食人物語があったら知りたい」って頭のなかで書き直してみたら「『野火』じゃねーか」っていう気がしてきた。まああれは非常時における食人であって習慣としての食人ではない。
全部満たしていなくてもいいので吸血鬼種・人類種間の種族間の問題を描くような物語があったら知りたいです。
よろしくお願いします。
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追記:
吸血鬼に限らなければ2以降のデッドライジングがそんな感じか。
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うぉっと、こんなにブクマがつくとは思いませんでした。
全体的に単に私が読書不足なだけでサーベイ代行とかそういうのではないです。
そもそもこれを考えたときに視ていたのは『クジラの子らは砂上に歌う』です。
泥クジラ側の住人(特にチャクロ)などが感情・共感を仲間かどうかの規準とおいている(まあ大抵の少年少女向け物語ではそうですが)のが気になって、
この世界に行動レベルでは倫理的逸脱をしないサイコパスが存在したらどう扱われるのだろうとそのようなことを考えました。
しかし、共感をベースに倫理を組むというのは上に書いたように多くの物語でそうですし、(少なくとも感情レベルでは)現実世界でもそういうところはあるだろうとは思います。
ざっくりとした理解では食肉に絡む動物擁護派の一部は忌避行動で苦しみを測れるとし、実際攻撃に対して忌避行動をとるので苦痛を感じているはずだとして屠殺を伴う食肉が倫理的ではないとしていたと思います(それでファイナルアンサーかはともかく)。
もし、動物が人語を語るのならば苦しんでいるか否かは動物たちの語る言葉によって判断されるだろうと思います。
何れにせよ共感を持てる対象かというのは言語的反応や身体的反応が似通っているかによってたいてい判断されているんだろうと思います。
そして身体的反応と言語的反応を比べた時言語的反応のほうがおそらく重要視されるだろうと思います(*書いてから思ったが要検討:「言葉は嘘をつくが、目は嘘をつかない」とか)。
それで言語レベルでより強い共感性を持つ捕食者・被食者の集合というものを考えたときに吸血鬼に思い至って上のようなものを書いてしまったわけです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/347980048/comment/hobo_king
hobo_king 本文を読むに「『その生態の特殊性から過去において様々な軋轢を生んだ吸血鬼だが、現代では人間(食料)への最大限の配慮を主張する個体も存在する世界の吸血鬼物語』があったら知りたい」って感じ。長い。
だいたいそんな感じです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/347980048/comment/Silica
id:Silica タイトルの付け方が…吸血鬼ものじゃなくても、知的生物同士が捕食被食関係にあるような世界を描いた作品あるけど、そういうのはどうなんだろう
タイトルは追記にゾンビの話書いた時点で書き換えるべきでしたね。上のように言語レベルで意味を共有できる知的生命体ならいいのでぜひ知りたいです。
これは数理生態学の本読むとそんな単純なものでもないというのがわかると思います。中学理科でもあったように肉食獣が増えると、草食動物が減り、餌が減った肉食獣の生存率が下がり、やがて草食動物が増えという感じで振動します(植物の絡みは省略)。1捕食種-1被食種のケースが最も単純で、そうでないケースではもっと全種全滅みたいなケースが起きる確率は減ります。
『男として生まれただけで生物学的に加害性があるって気づいてくれ頼むから。』 - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1168000
男に生まれただけで加害性がある、とわかりやすく言ってしまえばさすがに大体の人はオイオイオイとなる。
でも言い方を工夫すればそうでもない。
現代社会では、基本的道徳として「力のある人はない人を傷つけやすいから、大いなる力には大いなる責任を持って、強い側は弱い側に配慮し優しくしましょうね」みたいなことが広く教育されている。
その上で「男性は平均して肉体的強さがある」「年収が多い」「職に就きやすい」「性犯罪を起こしやすい」「セックスで苦痛を与えやすい」「妊娠の際に逃げやすい」「男性社会なグループが多いのでそれらに馴染みやすい」など男性の強さ(実際これらの強さは傾向論、マクロ論としては間違っていないと思う)を指摘されれば、基本道徳と結び付けて「男性は傾向として強さがある。強いということは加害危険性が高い。だから人一倍気を使って暮らせ」という、「男に生まれただけで加害性がある」とほとんど変わらないメッセージが受け取れてしまう。
それは男性側も「自分たちがそういう風に責められてる」と感じうるし、女性側もそういう風に受け取れるわけだが、受け取った人がこの分割を己の中で繋げて縮めて「男に生まれただけで加害性がある(みたいに責めるのはやめろ or だから反省しろ)」と言ってしまえば冒頭リンクのように叩かれる。
分割された状態での主張にオイオイオイというのは、アンチフェミやアンチポリコレみたいな層が多いけど。
利益が対立する側の行動を縛る時には、道徳による罪悪感ってのがめちゃめちゃ便利に使える。
ただしそれが有効に働くのは、相手が道徳のテーブルについてる限りであって、責められすぎて「うるっっっせえーーー!! なにが道徳じゃ正義じゃ善じゃボケーーー!」と逆ギレしだしたら話は変わる。
それでも道徳で圧す側に無理矢理テーブルに座らせ続けるパワーがあれば構図は変わらないが、縛られてきた側に席を立って殴り合いをできるくらいになるとわやくちゃだ。
言ってみれば、毒親に「ちゃんとしなさい、親には従いなさい、孝行しなさい、悪い子ですね」と道徳され続けた子供が、やがてブチ切れて親をめちゃめちゃ憎悪し、自活能力を得ているならば親を捨てようとするようなものである。
そしてこれは「貞淑でありなさい、はしたない」と道徳されてきた女が男性嫌悪者ミサンドリストになるのとも同じであるが、果たして女が道徳テーブルを蹴り上げて好きな場所に行ってしまえる力があるかが注目点だろう。
弱者男性とフェミニストは共闘できるということを言っているのは、男女双方の道徳のテーブルに着くことを嫌がる層に着目した人なのだろうが――この二者が着くのを拒んでいるのは、それぞれ違うテーブルではないか?
昔の社会は野蛮だという風に言われがちだけれど、多分何千年も前から、「できるだけ道徳的でありましょう、正しく良い人間でありましょう」という道徳的意識は色んな社会で行き渡っていたのだと思う。
今までの何千年だか何万年は「弱いものは強いものに従え、さもなくばみんな死ぬ」というのが基本道徳で、それにより様々な弱きもの、たとえば女性や病人や子供などを罪悪感を縛りコントロールしてきたんだろうけど、昨今は「強いものは弱いものに優しくしろ」が道徳として力を持ち始めたので男性(特にもシスヘテロ成人男性か)を罪悪感でコントロールすることもできるようになりつつある。
でも、これは決して、対立相手を道徳の罪悪感で縛るという構図そのものから脱出できたわけではない。
とはいえ罪悪感での縛り縛られを完全放棄し、自分はいかなる道徳のテーブルにもつきません、相手を道徳のテーブルにつけることもしません、としたならば、その先には何でもって自分たちの生きやすさを交渉するのかはわからない。
それってアノミーとかアナーキズムみたいな世界になるんじゃないか。
名前は「親」のものではない。では、「子供」のものか? と言えば、それも違う。
「親が子に贈る最初のプレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、
ああいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。
増田、アンタのことだ。
「あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなたの自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。
だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。
そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑な毒親となる。
名前というのは、これから子供が生きる人生、社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間の名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要なものなのだ。
そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。
例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマテアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供の名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前は社会によって拒否されるんだ。
これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。
想像するに増田は、字画判断とかいう「非合理的なもの」が、自分の人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分が「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」で説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値」概念を放棄したら、人間としての健全な社会生活など送れないだろう。
人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対の価値規準など、ない。だから、重要なのは他者の価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。
なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会性ゼロの子供か? 小学生でももう少し相手への気遣いをするぞ?
今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担増やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間の社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやすい符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。
不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスなものなんだぜ。
久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。
世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。
だが、主観的な感情を抜きにして、その作品のアピールポイントについて考えてみて欲しい。
恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。
それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。
仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。
そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合。
その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。
単純に知りたくてしょうがないのだ。
自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。
だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像しやすい。
そういった身勝手な理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。
説明する側だって「自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。
ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数は高まる。。。すみません…
30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。
既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧な映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。
ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分は作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、
「作品の良さを分かっていながら言葉で説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。
その後も「優れた映像作品は言語化不可能だし、する必要性を感じない」と返され、
「全ての魅力をキチンと言葉で表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉を提示する事は可能だろう。」
「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。
その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。
こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、
「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。
・人に教えを請う態度では全く無い
・親しき中にも礼儀あり
・我が儘過ぎ
もう二度とこのような事が無いようにします。
今までもこれからも「社会のために働こう」なんて本気で言ってるようなのは
わりとキチガイの域だと思うよ。勿論外面のための御題目としては汎用性があって便利だが。
十分すぎるほど貢献してる。
そんでこういう人にじゃあ貴方のいう社会貢献って何?って聞いたときに
返ってくるのはつまるところお前の持ってるリソースをそういう御題目で
あと社会貢献が足りないって言うならむしろ年食った連中のほうでしょ?
自分達は貯金で金を溜め込んで安心、安全って後はぬくぬくすることしか考えてない。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
※以下は http://toukenn.hatenablog.com/entry/2015/07/13/183608 の草稿です。
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まず盗用内容がわからないという方はまとめwikiをご覧ください。
項目は多いです。ですが<全て>読んで、ご自身はどう思うか考えてみてください。公式の7/10付発表の内容は<その他→7/10メンテナンス>項目にあります。
大まかな内容をあげておきます。
このまとめwikiは有志の方の作成です。「面白がって」「騒ぎたいから」「叩きたいから」作ったのではないか、と思われる方もいるでしょうか。
初代wikiが突然削除されたとき、私は恐ろしさを感じました。「こういう疑惑があるようですがどう思いますか」という問いかけを削除するしかない周囲の圧力が恐ろしいと思った。ツイッターで何か指摘発言をすれば数で叩かれて潰される。これが「刀剣乱舞」周辺への印象です。
(※部分は【「刀剣乱舞-ONLINE-」に関するご連絡より】引用させていただいております)
7/10付公式対応を見比べ、対応は不完全・途中経過だと思います。
また「※法的問題が無いものと考えうるもの」はどれだったのか、明確に表記した方がユーザーの方も納得できたのではないでしょうか。
盗用デザインで販売済のアイテムをどうするかのアナウンスもまだありません。決して「禊は済んだ!侘び札ラッキー」と浮かれている状況ではないと思います。
黙殺するつもりが、騒ぎが大きくなりすぎたのでようやっと重い腰を上げた、という印象。初期段階でサービスを一時停止してでも問題解決に全力であたることがなぜできなかったのか(調査期間も無関係のメンテナンスやメディアミックス情報の宣伝は続いていた模様)当然、一時の損害金額は出たでしょう。しかし信用はお金よりも時に重要であると考えます。
盗品も扱っているお店(公式)-お客(ユーザー)-友人(第三者)とします。友人は「そのお店は盗品も売っている。本当に買うの?買ったとしてもおそらく貴方は罰せられないだろう、でもそれはやっぱり盗品かもしれない」と言っています。
現状、法律では中々罰せられないでしょう。
倫理:人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。(出典:デジタル大辞泉)
法律を持ち出すのは最終ラインです。公式はその最終ラインにすでに立っているのです。これはもっと危機感をもっていい問題ではないでしょうか。
第三者から相応に批判を浴びる状況にあるのです。正当な批判も勢いあまった罵倒と一緒くたにして耳を塞いではいませんか? そして罵倒ではなく事実に基づく冷静な批判を第三者も心がけなくてはなりません。
公式は許せない、でもキャラクターに罪はない。よく目にしますが現実として「あのゲームは盗用している」と大多数に認識され、少なからず嫌悪されたのも事実です。キャラクターは二次元の想像物です。生きて活動しているのは運営者です。貴方の前にいるのは愛しいキャラクターではなく、盗用をした企業です。
許せますか、許せませんか?
今後どう対応してほしいですか?
貴方がもしユーザーなら、キャラクターのために使った金銭利益もアクティブユーザー数も全て公式の「評価」になります。言い方は悪いですが「企業は利益のために」活動しています。悪いことをしても「利益が下がらない」なら、その企業の倫理観は下がっていく一方ではないでしょうか。その結果が対応の遅さと、業を煮やした外部指摘による騒動の拡大に繋がったのではないかと思います。
なぜなら盗用問題の先には著作権の親告罪問題があるからです。盗用が創作界にこのまま闊歩しつづけるならいずれ「非親告罪」にすべきだ、の流れがくるやもしれません。そうなれば二次創作は矢面に立ちます。
参照:http://dic.nicovideo.jp/id/5071769
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150712-00000012-jij-pol)
二次創作はグレー分野です。二次創作を許している原作もあれば、見ないフリをしてくれている原作もあります。当然許さない原作もあります。だからこそ、二次創作を水面下で楽しむため二次創作者はお互いに「楽しむためにモラルを守ろう、暗黙のルールを守ろう、一般社会に迷惑をかけないようにしよう」としてきたはずです。 駅や神社仏閣で騒ぐ、刀匠の仕事を邪魔するetc…創作実話という言葉もありました。もし創作だったとしても「創作されるほど疑わしい態度を取っていた」ことはありませんか?
「楽しむ」ことだけに集中していませんか?
そしてその回答をお互いに冷静に聞けないでしょうか。
耳を塞ぐのでも、攻撃するのでもなく全員18歳以上の大人として。
「恥を知っているのがデザインだ」