はてなキーワード: 見地とは
この記事を書くにあたって、はてなのアカウントを新規で作成しました。いちおう、自分の所属している自治体のSNS利用上のガイドラインとかいうので、規定されているので書いておきますが「あくまでこれは個人の意見である」ことを念頭においていただきたいです。
まぁこのガイドライン自体もたいがいだなんだけれど。まぁ不祥事とかあってできたガイドラインなのでしょうがないだろう。
一応、話の都合上、自分の身分について明かしておくことにします。
中学校技術科教員です。「教員がこういうことを書く」ことについても賛否があると思うのですが、あまりにひどいので匿名ダイアリーで書かせてもらうことにしました。自分の中でまとまり切ってないので、整理の意味合いもあります。
ちなみに、見る方については、こんなこところでこんなことを言っているのが本当に教員かどうかもわかりませんので、話半分に聞いてもらえればいいです。
また、特定の商品や特定の団体が出てきますが、それは営業妨害になってはいけないので、伏せておきます。どの商品か団体かはわかりませんよ。
さて本文です。
ここ何年か、特に、コロナ禍が始まってから、教育現場では様々なものが導入され、その対応に関して失望しつづけてきました。
もうこの自治体のICTに関する教育行政には期待するところがないどころか、理不尽がまかり通っています。というかデタラメです。
ICT以外も「ちょっとこれはどうなのよ」というところがあるけれど、それは目をつぶるとします。
GIGAスクール端末の導入について、令和3年度末には全国の自治体でほぼ完了している旨のニュースが流れたのですが、その時点でうちの自治体は一定数の導入はあるものの、一人一台端末にはなっていませんでした。一台の端末を複数人で使い回す状態。
ところが、文科省が公開しているデータの中の、整備の遅れている自治体にうちの自治体がない。
おそらくであるが、こういう調査は自己申告なので、どのレベルで整備されてるかについては報告者の判断に任されているのだろうと思います。ただ、GIGAスクールの趣旨から言って、一人一人に行き渡っていない状態で整備完了になっているところに、不誠実さを感じました。遅れてるなら遅れてるで報告すればいいのに。令和4年度の1学期で整備は完了し、うちの学校は一人一台になりました。まぁこんなのはまだ軽い。
なんか、常時持ち帰りは想定していないんだと。基本は学校で充電、保管をするということで、持ち帰りは「緊急時を想定しての持ち帰りを年何回か行う」のだそうだ。
それそのものはいいとしよう。家に持ち帰ってもWi-Fiが整っていないお家も一部あるだろうし、そういう端末を教育的な方針で遠ざけている家庭もあるわけで、そこにいきなり端末が無理やり入ってくるのも賛否あるだろう。
正直言って、その辺はどうでもいいのだが、持ち帰りにあたっては、充電保管庫に保管されている端末を全部取り外して持ち帰る準備をしなければならないのです。電源タップから各端末のACアダプタを取り外し、端末とラベリングされた番号をあわせて貸し出します。当初、ACアダプタも貸し出さなくてもいいんじゃない?と思いもしましたが、ACアダプタを貸し出して家で充電して持ってきてもらわないと、持ち帰った次の登校日にはバッテリーが残っていない可能性があるので、肝心の授業で使えないことがあるのです。つまり、ACアダプタも貸し出さないとならない。で、持ち帰りが終了して学校にもどってきたらACアダプタを回収して、保管庫内に再配置必要があります。数百ある端末の一つ一つのACアダプタを。誰がやるの?学級担任か、情報教育担当がやる羽目になる。これが学期に何回かあると、普通に数時間が無駄に消えていく。これは教員の仕事なのだろうか。まぁ授業に付随する仕事だと思えばギリギリそうかもしれないが、そもそも持ち帰りと家での充電を基本にすればいらない仕事では…。そういう自治体もあるらしいし。充電保管庫無駄になるけど。何も生み出さない作業に数時間…。働き方改革とはなんなのか。
ちなみに「ACアダプタを持ち帰り用と、学校保管用に用意したらどうだろうか?」と提案したが、予算の都合で却下されました。まぁわからんではないけど。ということで、戻ってきたACアダプタを再配置するお仕事はなくなりませんでした。
・GoogleWorkspace for Educationに付随するサービスについて
商品名は伏せると言っておきながらバリバリ出てるが、商品自体には問題ありません。話の内容的に伏せたままではよくわからないのでここは出させてもらうことにしました。
GoogleClassroomはよくできています。機能的にもうちょっとほしいところはあるけれど、まぁこんなもんだろう。
問題はうちの自治体の運用で、Gmailの機能が切られています。ついでにいうと、チャットの機能も。わからんではない。
無用なトラブルは避けたいという意図があるのであろう。しかも、サービスの提供者側(使わせる側)としての責任も出てくるからね。
ただ、古くはインターネットの掲示板から始まり、今ではTwitterやInstagram、LINEなんかのコミュニケーションツールも、トラブルがあれば学校が対応しています。別に学校管理下でなくても。それがその子達に必要であれば必要な指導をするのです。
TwitterもInstagramも、LINEも悪くない。そりゃあ、学習段階にある、日本語もろくに正しく扱えない、ツールの使用が未熟な者がコミュニケーションツールを使ってトラブルが起こらないわけがない。子供の方にも仕方ない部分はある。我々はそれを分かった上で、指導をするし、そういったことを重ねていく中で、子供は、日本語を扱う能力や、ツールの使用能力が高まっていくのである。「使わせない」ことが、成長を阻害することもある。
そして、悪いことばかりではなくって、GoogleWorkspace for Educationのアカウントは ed.jpドメインなので、各社が用意しているエデュケーション版だの学生版だのアカデミックパックだのの利用に活用できるはずなんだけど、使わせないことによってこういう利用もできない。
本来なら各種オンラインサービスの登録もできる。大抵のサービスはメールアドレスを登録して、認証させるので、世の中にごまんとある、そのプロセスを学習させることもできる。
どうせ、ed.jpドメインでなくてもGmail自体は無料で作成できるのだし、類似のサービスはいっぱいある。だったら、学校管理下のGmailアカウントでサービスの利用に慣れさせておくのは十分教育的だと思う。
あと、中学校技術科的にはOnShapeとか、無料のCADがオンラインで使えるので、Gmail使えればそういう授業展開もできるのにな…。と思っています。
ちなみにそのGoogleWorkspace for Educationだが、当初、「アカウント名がほぼ連番」、「初期パスワードがアカウント名+サフィックス」というダメダメな仕様でした。
これがどのくらいダメダメかというと、
例:
メールアドレスは公開前提だからよいとしましょう。(メールアドレスはメールを受信するものだから、広く公開されている。公開しなければメールは来ない)
問題はパスワードで、自分のアカウント名とパスワードから、他人のパスワードが推測できてしまうところがいけません。アカウントが送付されてきたときに目を疑いました。
そして、さすがにこれはまずいので、校長に進言し、文書まで作成して提出しました。その後も対応はされなかったので、多分、校長で止まっていたのだろうと思います。もしくはその上に届いたけど考慮されなかったか。
一応、何回か、初期パスワードから変えさせるように、という通知は来ましたので、自分の進言か、同様の進言が他からもあったか、だろうと思いますが、そもそも、初期パスワードを配布する時点でランダムパスワードを生成して割り当てるのが正解だと思います。
自分の学校は、全学年技術科の授業でアカウントとパスワードの話をしながら変えさせましたが、そもそも、正常に割り当てていればいらない指導だったし、それで週1時間しかない授業内容を持っていかれるのは痛かったのですが、しなければならない指導だったので、涙をのんで(大げさ)行いました。ただ、全ての中学校の技術科の先生が同じような対応ができるとは限りませんし、小学校に至っては…。
そして、1年ほど経った頃、別自治体で同様の(こっちはパスワードが誰もが同じだったらしいので、もっとよくないけど)設定でいじめによる自殺があり(これはニュースになっているので引用して、伏せません)、
https://www.asahi.com/articles/ASP9K4D3QP9KUTIL017.html
https://piyolog.hatenadiary.jp/entry/2021/09/17/162639
痛ましい事件です。今回は不適切なパスワードの設定が、不正ログイン、いじめをよび、結果自殺ということで、人が亡くなることとなりました。不適切なパスワードの設定が、遠因で人がなくなったのです。もし、パスワードの設定が適切であったなら、こんなことは起こらなかったかもしれません。
この事件の後、もう一度教育委員会の中の人に連絡をして、「町田の件、まずいですよ。うちでも起きかねないですよ。」と言ったら「なにそれ?」だったので、説明をして「担当部署に言ってみる」ということになりました。その後、2ヶ月ぐらい経ってかな?小学校の中学年までは強制的にパスワードをランダムパスワードにするという通知がきて、小学校高学年~中学生は絶対変えるようにという通知が来ました。町田の件が起こるまで事態の重要性に気づいてなかったか、軽視していたことが伺えます。何なら起きてからも対応が遅いです。ランダムパスワードに強制的にできるなら最初からやっとけば…。ちなみに町田の件には一切触れず、今までの運用がどうだったのかについても触れられていません。本当に残念な自治体…。
中学校技術科では「ネットワークを利用した 双方向性のあるコンテンツ」というのを教えることが学習指導要領で規定されています。
この内容を教えることは絶対なのですが、例え技術科の教員といえどもプログラミングに長けている者ばかりではありません。また、教員不足のため、他教科が専門であっても臨時で技術科の免許を付与されている者もいます。
で、今年度、某プログラミング学習サイトが導入されたのですが、これが控えめにいって酷い。
まぁHTML+CSSにJavaScriptの学習なんですが、画面の指示に従って入力していくだけで、その仕組みについて何の説明もなく、「これを入力すると文字が大きくなるよ」「これを入力すると文字の色が変わるよ」と、何の思考も促すことなくサイトが完成していくという…。
酷いのは内容もそうなのですが、その導入までの経緯や、導入後も酷くて、
まず、昨年度、教育委員会が一括導入前に無料で使える期間があって、教育委員会が事後アンケートを取りました。それはいい。
ただ、今年度からは一定のライセンス料が一人ひとりにかかるということで、昨年度のアンケートの際に、「無料ならまだしも、少なくともうちはいらない。それだけのライセンス料を教育委員会が払えるのであれば、別の用途に使用してほしい。その方が有効である。」と書きました。
そして、「好評だったので、導入することになりました」となり、「税金で買っているから使用は強制です」となりました。
前項でも書きましたが、中学校技術科は週1時間で、やるべき内容がみっちり詰まっており、そんな教育効果が疑問視されるようなものが入る余地はありません。税金で購入しているのは確かにそうなのですが、そもそも「いらない」って言ったよね?という感じです。
で、ずっと使用しないでいたら、「○○先生はいますか?」とその運営会社から電話が。そして、「いつ使いますか?」と使うこと前提で聞いてきて(まぁ会社的には一括導入してるんだからそうだろうけど)、「いや、当該内容の学習は別のものを使用して別のアプローチでやるので、うちの学校は使用しません」と答えました。
まず、「○○先生がどの学校にいて技術を担当している」という情報は教育委員会から流れているのでしょうか。それは運営上必要な情報なのでしょうか。
そして、教師には教育の専門家としての見地から、ある程度教材の選択の自由(どのような教材で教えるか)が認められていて、公権力によって特定の教材を強制されないようになっている(最低限の大綱的事項は強制されるが/これが指導要領)はずなのです。明らかにこれは最低限のラインを超えていると考えられます。もちろん、絶対的な教授の自由は認められていませんが、一定程度は保証されると認められています。
もうね、これは導入ありきで進んでいて、聞いた話によると(あくまで聞いた話で信憑性は怪しいのでそこは注意)「プログラミング教育はこれから重要だからという偉い人(偉い人は伏せます)の意向で繋がりがあるらしいその運営会社のを導入することは既定路線だった」という話。しらんけど。
だってね、まともな技術科の教員だったらこれ好評になるわけないのですよ。少なくとも自分の周りの人たちからは不評。まぁ自分の周り以外が好評だったのかもしれませんが、それはちょっと考えづらいかなと。だから「好評だったので」が怪しくなってくる。
加えて、この会社、いわゆる「~部門 No.1!」広告を公式サイトで打っているんです。「~部門 No.1!」広告っていうのは、調査会社に、自社の商品が1位となるような調査をさせて、あたかも自社製品に人気があるかのように見せる広告で、「ある特定の時期のある特定の対象のある特定の調査においてはNo.1ですよ」というものです。
優良誤認表示に近いので広告手法としてはちょっと…というものです。
仮にも情報教育の教材を扱う会社がこんな広告手法を使うこと自体どうかと思います。まぁある意味不適切な広告の例として教材になるかもしれませんが。
No.1の根拠となった調査自体も調べてみましたが、「先生が~」で始まる調査の調査対象が先生以外の対象を相当数含んでいたり(まぁこれは調査会社の方の問題なんだけど)とまぁ胡散臭い。
んで、この前、ついに教育委員会側から「そこをなんとか使ってくれんかねぇ」という電話がかかってきました。
担当の方は知り合いでもあって、恩もある方なのですが、「多分これ板挟みだな…」という感じなので、その方を立ててユーザー登録だけしようと思います。
私自身は「なんで使わないんだ!税金なんだぞ!」と呼ばれても上記記事のように答えるつもりではいたのですが、その人が困るのは本意ではないので、ユーザー登録だけしようと思います。
くやしいけど。
ということで、相当黙っていたのですが、そろそろ限界なので、匿名ダイアリーで吐き出します。
本当にうちの自治体のICTに対する教育行政はダメだと思います。最初のうちは言えば変わるかな…と思ってたけどもはや期待していませんし、これからも期待しません。ひどい。
記者座談会 統一教会と自民の関係にメスを 反共右派として育てた為政者の罪 | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/24165
岡良様 on Twitter: "長周新聞・・・スゲェーな!"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/oka1029ri/status/1549691233039446018
これらの記事が「真のジャーナリズム」とか「地方紙の気概」とか絶賛されてて、
確かに部分的には正論なんだけどちょっと怪しさがないか?と思ったので長周新聞について調べてみたよ。
B 日本統一教会の原点は戦後に反共産主義を掲げて岸信介を中心とした右翼連中でつくっていた「防共挺身隊」といわれ、岸信介の出身地である熊毛地方には一定の集団がいたことが知られている。山口県は戦後の共産党トップだった野坂参三、宮本顕治、志賀義雄などもいて、それこそ彼らは田布施の隣である光出身だったりもする。政治的には右も左も激しかったわけだが、その防共挺身隊と岸信介がパイプを持っていた韓国の反共宗教団体である文鮮明の統一教会がドッキングして、日本統一教会が誕生したという。
こことか、岸信介が日本における統一教会の活動をバックアップしてたとか自宅の土地を統一教会にアジトとして使わせてたとかいう話はこれまでに色々な媒体で見たけど、
「岸信介自身が作った防共挺身隊が韓国の統一教会とドッキングして日本統一教会になった」って話は見た覚えがない。
岸信介が統一教会と昵懇の仲だったどころか岸信介の作った組織が発展して統一教会になったんだよ!
なんて話が本当だったらすごいショッキングだし、他でも大きく取り上げられてると思うんだけど。これは何がソースなの?
https://www.chosyu-journal.jp/aboutus
要するに派閥抗争に敗れて日本共産党を除名された人が集まって作った日本共産党(左派)の機関紙。
気概はあるかもしれないけどこれを地方紙で括るのはちょっと無理があるなぁ。
共産党は分派を許さない(民主集中制)ので思想や意見が割れたらどっちかが抜けるまで戦うしかないわけだけど、
日本共産党(左派)は徹底的に毛沢東を崇拝し中国共産党の方針に従うべきという考えの派閥だったので、
日本共産党は日本独自の路線でやっていくべきだとする主流の自主独立路線とは相容れなかったみたいだね。
そんな感じで日本共産党(左派)はあまりにも毛沢東を崇拝していたため、
日本共産党は彼らを「毛沢東盲従集団」とか呼んで罵倒していたよ。こういう左翼の罵倒ボキャブラリー好き。
http://maoist.web.fc2.com/jcp/jcf000.htm
福田正義の経歴も面白くて、満州日日新聞で記者やってたときに後藤新平の功績を称える伝記を書いて日帝の中国侵略正当化に荷担していたんだけど、
それについてはひた隠しにして自分を「不屈の革命戦士」と売り込んでいたただのお追従野郎とか散々言われています。
長周新聞の創設者であり編集主幹であり日本共産党(左派)初代中央委員会議長である福田正義は2001年に亡くなっているんだけど、
長周新聞ではその死後も彼を編集主幹として名を掲げているとのこと。
この辺がやっぱり日本共産党とは違い毛沢東主義を貫いている日本共産党(左派)っぽくて、個人崇拝が強めだよね。
日本共産党も志位和夫がずっと選挙もなしに委員長に居座っててどうなんだとは言われているけど、そんな露骨に個人崇拝をするようなことはないし。
そしたらリニューアル前の長周新聞のWebサイトに面白コンテンツがあるという情報があったのでWebアーカイブで見てみた。
2002年に行われた福田正義氏追悼記念集会の特集ページで、スピーチとかの内容が記録されているよ。
中でもこれがすごい。
https://web.archive.org/web/20160304141021/http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/himawari.htm
長周新聞は長周新聞人民保育所という社員用の保育所を設けていて(それは偉いと思う)、
そこ出身の子供たちが「楽しかった、運動会!」「「運動会!」」みたいなのをやるパートがあったみたいだね。
小六男・小六女 わたしたちのお父さん、お母さんは、
小六男 貧困も失業も戦争もない、新しい社会を実現するために、
小六男 ひまわりは、一九七三年四月、長周新聞の保育所としてつくられました。
間
小五女 まだ仕事が残っているときは、段ボールで寝かされていた。
中二女 だれもかまってあげられないので、赤ちゃんは、人の足音がするときだけ泣くようになった。
中三男 家に帰るのはいつも夜中でも、朝早く家を出て、赤ちゃんもお母さんといっしょにがんばった。
中二女 そして、子どもたちが将来、お父さん、お母さんのように、社会の発展のために役立つものになるようにと、
中一男 ひまわりをつくってくれました。
下学年 ひまわりは、今年で、二九年目です。
中三男 ひまわりを卒業したぼくたちの先輩は、おじいちゃんのあとを受けつぎ、
五年生 わたしたちも、先輩たちのようになるために、
確かに保育所を設立したのは福田正義だったのだろうけど、福田のおじいちゃんがまったく一人でやってくださったみたいな言い方なのがなんかすごい。
小六男 一、勤労人民を尊敬し、労働やたたかい、生き方に学ぼう!
小五女 四、学校の成績で仲間を差別せず、ひまわりの目的で団結しよう!
五番がかなり民主集中制っぽさがあって良い。
小六男 福田のおじいちゃんはみんなの声を代表して、長周新聞をつくられました。
小六男 自分の小さな幸せでなく、みんなの幸せのために、奮斗した。
中二女 福田のおじいちゃんは、ひまわりにいつも心を寄せてくださいました。
中二女 わたしたちが学校の帰りにおじいちゃんにあって、「こんにちは」というと、ニコニコ笑ってあいさつをしてくださいました。
小二女 長周四五周年のとき、
小四男 体が痛かったのに、
小六女 わたしたちの出し物のときは、いちばん前で見てくださいました。
中二女 そして、病気とたたかいながら、ウソをあばき、まちがっているものとは、断固たたかい、
中一男 ぼくたちにほんとうの真実はなにかを教えてくれました。
小六男・小六女・中一男・中二女 長周新聞は、強い!
こういうのを2002年にやってるっていうのもなかなか驚きだ。
これ見て思い出したのが何かというと、森友学園が話題になったときに出た幼稚園の子供たちの映像だよね。
「安倍首相、がんばれー!」「安保法制国会通過、よかったです!」ってやつ。
毛沢東主義・スターリン主義を貫徹すると何故か結局指導者の個人崇拝に行き着くの面白いなぁ。
法的根拠が特にない安倍晋三の国葬に反対するのは正論だと思うし私も同意するんだけど、
それ書いてる新聞がめっちゃ指導者を崇拝する式典をやって子供たちにこういうのをやらせてたっていうのもなかなかだよ。
カルト宗教が話題になってるときに見るとこういうのも別の形の「二世」問題のような気もするなぁ。
小六男 おじいちゃんに誓うこと
小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。手伝いをがんばります。
小四男 自分のことだけでなく、人のことを先に考えて行動します。
小五女 わたしは長周に入るために、自分からすすんで重いものを持ち、力をつけます。
「小一女 わたしは、大きい子のいうことを聞きます。」のパターナリズム感!
全体的に目上の者の言うこと聞いて正しくあれみたいな感じがあるけど、
日本共産党(左派)は元から反米の愛国主義を掲げていてナショナリズム色が強いから、やっぱりパターナリズム的な感じなんでしょうか。
子供たちの理想として「ジャーナリストになる」とかじゃなく「長周新聞に入る」が謳われているのもなんか二世問題っぽいね。
そんで安倍晋三暗殺に紐づいて統一教会と政治の関わりについての批判や国葬への批判は概ね正論として、
長周新聞が他の問題についても正論を言ってるかというとそうでもないわけで。
https://twitter.com/lautream/status/1301343209751109632
ちょっと前の香港問題では「世界は中国の味方!アメリカは孤立!」とか言って中国共産党を支持していたり、
「ウクライナ戦争を1日でも早く止めるために日本政府は何をなすべきか」 ロシア史研究者有志が声明発表 専門的見地から行動提起 | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/shakai/23102
ウクライナ危機に国際社会はどう向き合うべきか 緩衝国家・日本も迫られる平和構築の課題 東京外国語大学教授・伊勢崎賢治氏に聞く | 長周新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chosyu-journal.jp/kokusai/22976
ウクライナ戦争では「アメリカが悪い」とか「ミンスク合意が」とか「ロシアは満州事変と同じことやってるんだから日本は先に自分の過去を反省しろ」とか言ってたよ。
まあなんというか、いろんな意味で普通の新聞ではないから普通の新聞に書けないようなことも書けて、時々正論を言ったりもするけれど、
やっぱり普通の新聞ではないからあんまここをソースになんか言うのもあれだなぁって感じですかね。
その辺の一般人はともかくこれを真のジャーナリズムとか言って持ち上げてる学者先生とか議員先生はもうちょっとソース選んだ方がいいと思います。
ソースはスプートニクとか、ソースはHanadaとか、ソースは世界日報とか、そういう感じ。
(個人的には岡山選挙区の件自体は小野田は不義理かましたし公明は反発できれば敵でもいいのかよというどっちもどっち感。結果は楽しみ。)
なんで散々馬鹿にし腐ってる朝鮮人がそんな権力持ってると思うんですかね……?
宗教的にワクチンどうなんだ?と思って調べたら特になんもなくフツーに科学的な見地から推奨してた。面白みのないいつもの与太。
この辺から今回初めて見たやつ。
何言ってるかよくわからなかった。池田大作とauでなんかアナグラムして遊んでた。陰謀論界隈アナグラム好きよね。淫夢かよ。
す、すげー……やっぱDS信者的にはアンチレプティリアンの幸福の科学のほうが強いのかな?
すんげー内ゲバしてんじゃん……
そこまできたらむしろ凄いだろ
その他任意の企業は創価です。ワクチンも創価の指示で作られています。
キリが無いので今回はここまで。
下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。
目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。
ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来、ツイッターで批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスターを撤回すべし」等の意見をつぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。
はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるとしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所が肯定すれば、抗議者の表現に裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由の侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由の恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。
元々のエントリーでは次のような言明がある。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
これに対するブコメはこう言っている。
preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品のほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りでしかない/そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い
後段の「そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないから不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスターを掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは、表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損的言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要な利益であり、自己表現の利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様である。ノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科を実名で暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現が抑制されている(この事件では、慰謝料の請求を裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシーの保護のために表現を抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。
名誉毀損やプライバシーは具体的な個人の利益が問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組の政治的公平性)を保護するために、表現を抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反が総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果をもつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事・大阪市長・橋下徹のトーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送は社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現を規制しろと言う主張」だから「規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。
なお、念のためにいえば、プライバシーも名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条が保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利は表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自の見解に過ぎない。
選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか。日本の表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制、公務員の政治的意見表明やストの広範な禁止、放送資源の分配問題、政府情報の保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガ・アニメ」の自由ということになっている。また、「アニメ・マンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える』事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノの合法化;「有害図書」販売規制の廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。
「表現の自由」を掲げる政治家の言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由を抑制している制定法を改廃するのではなく、規制の対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだから、お目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動を政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的・普遍的権利を掲げながら、規制の廃止を唱えるよりも、特定の表現に限って規制を免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物の意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物が特定の出版社や特定の作品群を代表している場合、その他の出版社・表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家の言動をナイーブに受け止めてはいけない。
なお、私は実は「アニメ・マンガ」の中の特定の作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体がけしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。
「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロ・ナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論は憲法上の権利として保護されないはずである。憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本の最高裁の考え方もそうであろう:
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
「エロ」の自由を擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理の桎梏をいかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノも出版の自由の対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデンの憲法典の一部を構成する出版の自由に関する法律は、出版の自由を制限できる場合を限定列挙する。児童ポルノは出版の自由を制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁は判例を変更していない。捜査機関が取締りの方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルト・ビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である。一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである。しかし、この最大の桎梏の存在を認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガ・アニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガ・アニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。
丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから、規制される前に対処する政治家が必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。
※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器が描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである。
※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。
※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノが合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集を日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲諸事件の流れだ。
※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的な規制の問題として評価できよう。
※5 むしろ、出版社の利益を守るためと考えれば、個別の出版について規制をお目こぼししてもらう活動も大事だろう。だが、あくまで出版社の権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。
※6 日本で出版されている成人向けマンガ・イラストが児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁はマンガの表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国の立法255号[2013年]223頁)。このような判断を日本の最高裁がするかというと、全然しないだろう。
人類普遍の共通価値をおびやかすようなことにはNoとちゃんと言える家庭をもつべきだと思うよ
でないと利益追求だけを求める人生逃げ切り型の子供を育てることになる
政治「的」な、というのは、政治に近い性質を持つ話題全般を指す。最近はフェミとアンチフェミの対立などがそれだろう。
何故それらを避けるべきかと言うと、そうした話題は基本的に相手によって正解が変わるからだ。
どうすれば理解されるか。どうすれば共存できるか。それはそういう見地のもとに初めて成立する会話であって、相手を明確に想定できないネットではこうした論法はそもそも通用しない。
するとどうなるか。相手の「粗探し」の繰り返しが始まる。
このループに陥ったら人間はおしまいだ。相手はもちろん、自分さえも幸せにはならない。
昔ならこの価値観のコンセンサスはあった。しかし今は無い。だからこそ絶対に避けろ。
政治「的」な、というのは、政治に近い性質を持つ話題全般を指す。最近はフェミとアンチフェミの対立などがそれだろう。
何故それらを避けるべきかと言うと、そうした話題は基本的に相手によって正解が変わるからだ。
どうすれば理解されるか。どうすれば共存できるか。それはそういう見地のもとに初めて成立する会話であって、相手を明確に想定できないネットではこうした論法はそもそも通用しない。
するとどうなるか。相手の「粗探し」の繰り返しが始まる。
このループに陥ったら人間はおしまいだ。相手はもちろん、自分さえも幸せにはならない。
何か問題が起きるとすぐに理想論を振りかざすが、現実の人間感情や柔軟性に乏しい体制があることを全く無視している場合がある。
育休の件で言えば、理想の運用はもちろん誰が育休を取ってもうまくまわることに疑う余地はない。しかし、そんなすぐに欠員採用できんのだ。そんなすぐに人を育てられんのだ。食い扶持を稼がにゃならんのだ。ギリギリのバランスで経営しつつも、少しずつ良い組織にしようと思っている会社だって多いのだ。
みんなが完璧ではない社会を生きている。それでも、この社会には意志の力ちからでどうにかなる余白が残されている。
大した知見もなく、狭い視野で知ったかぶりの上から目線にまみれ、すぐに理想論的見地に立って超越的に物事を裁定するブコメ民は、かりそめの平等を愛する質の低い共産主義者のようだ。社会は超越者によってではなく、われわれによって運営されている。本質的な平等はつくり得ないが、平等に近づける努力をして生きている。
何か問題が起きるとすぐに理想論を振りかざすが、現実の人間感情や柔軟性に乏しい体制があることを全く無視している場合がある。
育休の件で言えば、理想の運用はもちろん誰が育休を取ってもうまくまわることに疑う余地はない。しかし、そんなすぐに欠員採用できんのだ。そんなすぐに人を育てられんのだ。食い扶持を稼がにゃならんのだ。ギリギリのバランスで経営しつつも、少しずつ良い組織にしようと思っている会社だって多いのだ。
みんなが完璧ではない社会を生きている。それでも、この社会には意志の力ちからでどうにかなる余白が残されている。
大した知見もなく、狭い視野で知ったかぶりの上から目線にまみれ、すぐに理想論的見地に立って超越的に物事を裁定するブコメ民は、かりそめの平等を愛する質の低い共産主義者のようだ。社会は超越者によってではなく、われわれによって運営されている。本質的な平等はつくり得ないが、平等に近づける努力をして生きている。
我々は全ての非難をウクライナに転嫁する状況を作るよう土壌を耕している。ナルィシキン(ロシア対外情報庁(SVR)長官)と彼のSVRはウクライナが密かに核兵器を製造していたことを証明するために地面を掘り返している。F単語。彼らは我々はすでに分析し事案処理済としたものに必死になっている: 我々はただ証拠品とか証明とか専門職の存在とかウラニウムをでっち上げるということはできない。ウクライナは大量の劣化ウラン238を保有している──そんなものは何でもない。[核の]製造工程は密かに実行できるようなものではない。汚い爆弾は密かに作ることはできない。ウクライナの古い原子力発電所はそれら物質を副産物として極少量製造できるのみである。これらはアメリカ人がMAGATE[和訳者註: МАГАТЭ, IAEAのロシア語名称]とともに監視していて話題にするだけばからしい。
あと一週間で何が始まるか知っているか? 二週間でもいい。我々は大変ひどいことになり90年代の空腹の日々を思い起こさせるようになるであろう。株式市場も閉鎖しているから、ナビウリナ[中銀総裁]は正しい行動を取っているが、船に開いた穴を指で塞ぐようなものだ。状況はどのみち現状を突破するしより強烈になる。三日五日七日それ以上経とうが何も解決することはない。
カディロフは理由なくひづめを蹴っているわけではない。彼らにも旅路が待っている。彼は自分自身に無敵の者として名を付けた──彼が一度でも負ければ彼の人びとが彼を除去するであろう。
次。シリア。"諸君──待ち給え、ウクライナはすべて終わりになって我々はシリアの防衛を固めるのだ。" そうして今にも我々の現地増援部隊が補給品を使い果たせば、ばかげた熱風がやってくる……トルコは海峡を封鎖しており、シリアに補給を空輸するのは釜に現金をくべるのと同じことだ。留意されたい──これらは全て同時に起こっており、我々にはこれをすべて一つの書類山に投げ込んで分析する時間すらないのだ。我々の現在の状況は1943-1944年のドイツに類似している──しかしそれがウクライナにおける我々の _起点_ なのだ。時折筆者はこの過労状態の中で迷子になる。時折これはすべて夢ですべては以前のままであるかのように感じる。だ.っ.て.僕.は.星.だ.か.ら.。
刑務所について──状況は悪くなる。血を見るまで留め具の締め込みが始まるだろう。あらゆる場所で。正直に言って、純粋に技術的見地から、状況の統率を図るには、それが唯一の手である。
我々はすでに全軍動員状態にある。しかし我々はこの状態に長く在ることはできない。しかし我々の予定表は不明瞭であり、そして悪化の一途をたどる。統治は動員により道を誤る。そして想像したまえ: 100m走を走ることはできるだろう──マラソンでやってみたまえ。そして、ウクライナ問題に関して我々は100m走の構えを取ったが、しかし我々はマラソンに参加していたことが明らかになったのだ。そしてこれはどちらかといえば現在起きている出来事の簡単なあらましなのだ。
さらなる皮肉主義を提供するなら、筆者はプーチンが赤い釦を押して世界を破滅させるとは信じていない。第一に、これは一人の人間が決断することではなく、誰かが拒否するであろう。この手続きには大勢の人が関わり、たった一つ"赤色"の釦があるわけではない。第二に、これが実際正常に機能するかについてある種疑念がある。経験により制御手順がより透明であるほど問題の断定は簡単であることが示されている。そして誰が何をどう管理するかが不明瞭であるが、誇大表現に満ちた報告書がつねに書かれているところにこそ、常に問題があるものである。筆者には"赤い釦"装置が宣言された情報の通り機能する確信がない。だいいち、プルトニウム燃料は十年ごとに交換が必要なのだ[8]。第三に、これがもっとも不愉快で残念なのだが、彼自身の最も近い閣僚や助言役すら近づけないのであれば、筆者はそのプーチンの自己犠牲を信じていない。[9]
「ロシア政府によるウクライナ侵攻によるロシア国民のメリットがよくわからない」という声が聞こえてくる。
メリットがあるかないかという質問を受ければ返せる言葉は「ワンチャンある」だ。
現代の日本人は敗戦による反動を伴った戦後教育の影響で地政学的見地に疎く、地球上で国家の位置する座標が互いに影響し合うというのを理解しにくい(※戦後教育を完全に否定しているわけでない。何事も一部は行き過ぎることもあるだろうという考え)。
ある程度、軍事史に詳しい人ならばNATOの設立に大きく関わった米国外交官ジョージ・ケナン氏自身がNATO東方拡大へ不支持を表明していたことをご存じだと思うが、つまり今回のクリミアとウクライナの動乱はそもそもNATO設立時から予測されていたことだったのだ。
もう一度言おう、NATO設立の時点でNATO東方拡大をするとロシアが追い込まれ前へ出てくるのは予測されていた。
ポイントはこの「追い込まれる」という部分なのだ。
正直に言ってロシア経済は上手く行っていない。様々な経済政策を進めてきたし、特に海運は命題の1つであり昨今持ち上げられがちな北極海航路開発の進捗も芳しく無く、唯一の頼み綱は天然ガスだけだ。
軍事に明るくなくとも経済に明るい人、一方のネットワークがダメならは、現在動いているレガシーなネットワークへ依存せざる得ないを理解する情報技術に明るい人は、もうこの時点で気付いただろう。
みなさんもご存知かもしれないが、歴史の長さしか取り柄のない海運へ強依存した蛮族の国があるだろう。
ユーラシア大陸の雄である文明帝国が国際貿易のため制海権を得ようと南下はじめたことへ呼応し政変が起き、神のいたずらか悪魔の仕業か、運悪くも文明帝国は敗戦という憂き目に遭った。
蛮族はそこから調子に乗ってアジアを巻き込み、ついには2度目の大戦の際にABCD包囲網が動き出し、国際連盟を強がりつつも離脱し、あれよあれよと唯一の頼み綱である制海権を消失し敗北した。
なぜ蛮族は前へ出たのか?
後世だから言えるのかもしれないが、あの状況では敗ける可能性が濃厚だ。
しかし単純な話なのだ、実に単純だ。
我々は追い込まれた。制海権を喪失すれば国民が飢える、自らの子が飢える。ならば他国の人がどうなろうとも、他人の子供がどうなろうとも、我々の家族を食わせるために例え間違っているとしても前へ出る!
そういう単純な話なのだ。
NATO東方拡大はロシア唯一の頼み綱である陸路を他国の軍事同盟が掌握下に置くことを意味し、その影響は子々孫々に至るまで残る。
親ならば誰かを愛することのできる者ならば思うはずだ。
お前らがそうするのであれば今このとき今ここで、国を総動員してでも俺たちの世代でケリを付けてやる!
戦争反対だと?あぁ正しいな!お前らは正しい、俺たちは間違っているとも!
それがどうしたっ!?このまま行けば俺の子が飢える、俺の妻が泣く、前へ出なければそんな未来が確実に来る!
言ってみろ!俺たちに間違っていると言ってみろクソどもが!!!
というのがロシア側の意見であって、現代で戦争をするすべての国、国民がこのように同じ主張するってわけだ。
後々に自分の子が飢えるとわかっているのならば、前へ出ることでその可能性を低くできるのであれば、前へ出て先延ばしにできるのであれば、親ならば前へ出るだろうよ。
ちなみにこれは両論併記にはあたらない。
何故ならウクライナもアメリカもNATOも同じことを言ってるからだ。
全員が間違い続けた結果がこれだぞ。