はてなキーワード: 西口とは
今から遡ること6年前、2021年10月31日(日) 第49回衆議院議員選挙が行われた。
結果的に大方の予想通り自民党が単独過半数を確保し当時の岸田総理は初陣を無事乗り切ることが出来た。
その中で今回は注目度が当時全国でもある程度高かった千葉8区に絞って解説して行こうと思う。
なお、筆者は昭和52年産まれで途中引っ越しもありながらも産まれてからこのかた50年間ずっと千葉8区のエリアに住み続けている。
小中高と柏市内に通い、旧来の友人は今でも半分以上が柏市(旧沼南町も含むので千葉8区と重ならない部分もある)と我孫子市在住だ。
旧友と集まったら政治の話をすることも多いので地元住民の温度感としてはそれなりには民意を表しているのではないかと自負している次第である。(バイアスは掛かってるものの、n=50くらいで考えていただきたい)
なお、衆議院議員選挙については桜田よしたか氏が初当選した96年10月の時からずっと09年8月の政権交代選挙のときも含めて彼に票を入れ続けている根っからの自民党支持層だ。
さて、閑話休題。桜田よしたか氏が8選を掛けて望んだ千葉8区について。
「今までやってきた選挙で一番厳しい選挙」 そう桜田よしたか氏は語った。氏は小泉郵政解散の05年以外得票率が50%を超えたことがなく、今回野党は対立候補を統一化させた。
そのテコ入れとして同期当選の菅義偉前総理大臣、高市早苗政調会長の手厚い応援演説等を賜り、柏駅西口ロータリーは多く人に溢れ活気に満ちた。
「これはもしかしたら行けるんじゃないか?」と桜田陣営は感じた。
しかし下馬評をある程度は巻き返せたものの、自民党公明党の支持層を最後までまとめきることが出来ず野党統一候補の本庄知史氏に敗れることとなった。そして比例復活も出来ず後に政界引退を表明することとなった。
何故当時の選挙で桜田よしたか氏は敗れてしまったのかについて5つに分けて書いていこうと思う。
?1.失言が多かった
☓2.年齢が高齢であった
◇1.失言の多さ
失言のデパートこと桜田よしたか氏であるが、実は千葉8区の住民は彼の失言を一つ一つは大したことだと思っていない。
もともと別に育ちが良いわけではなく、人情味溢れた田中村の田舎のおっさんなのだ。
既に政界を引退してしまい皆に大変惜しまれたが昔いた麻生元総理なんてもっと失言は酷かったがそれで自分の選挙が危うくなったことは一度もなかった。
◇2.高齢
これも実は大したことがない。
今でこそ少し記憶力が落ちてきてしまったが、当時はまだ71.2歳とかそこらだったはず。
自民党には70代後半や80代なんて議員もいるわけで高齢だから落とす、後進に道を譲るべきといった声は小さかった。
先述の通り郵政解散以外で得票率50%以上取得したことがない桜田よしたか氏にとってはこれが実は第一の理由とも言えるのだが、実は大筋は違うところにある。
歴史にもしもは無いのだが、例え第46、47、48回選挙で野党候補が一本化していたとしても桜田氏は岩盤支持層のお陰で敗れなかったであろう。柏市は自民党支持層が強い。
氏の敗因についてだが当時強烈に吹いていた逆風の本当の理由が別にある。
◇4.対抗馬の強さ
これは少しだけ関係がある。いくら野党が統一候補とはいえ、太田和美氏が立憲民主党の公認候補だったら桜田よしたか氏は決して敗れなかっただろう。
また、歴史にもしもはないが松崎公昭が鬼籍に入っておらず元気だったら全く別の展開になっていただろう。
新人でありながら本庄知史氏を刺客の統一候補として立てた当時の立憲民主党の福山哲郎幹事長は実はもしかしたらなかなかの切れ者だったのだろうか?
本庄氏は若者世代だけではなく、高齢者が多い我孫子市民からも支持を集め、桜田よしたか氏の従来の支持層を削り取ることとなった。
これは東葛高校時代の旧友と話していて私が感じた桜田よしたか氏の最大の敗因。
彼は大臣の椅子に固執しており、時あることに幹事長にすり寄って大臣になりたいと告げる人物であった。いわゆる自分のポジションに固執する小物だ。
7選+数多くの政治実績+党重役への長年の胡麻擂りクソバードムーブが功を制してオリパラ担当大臣にさせて貰った。
オリパラ担当大臣としての実績や失言については賛否両論あるのでここでは評価を差し控えさせて頂く。
致命的だったのはサイバーセキュリティ担当としての国会答弁だ。
日本のサイバーセキュリティ担当である大臣(オリパラだが)がパソコンを使ったことがないというニュースは全世界に瞬く間に広まった。
米ワシントン・ポスト紙や 英ガーディアン紙を始め、複数の海外大手メディアによって大々的に報道されることとなった。
自分たちが普通選挙で選んだ千葉8区の議員が、「柏のポンコツ」と言われるだけならまだしも日本の恥として世界中から笑われ国益を貶めている・・・
私を含めて選んだ有権者にも選んだ責任がある。桜田よしたか氏は必ず次回の選挙では落とさなくてはならない。
自民党の人事にNOを突き付けなければいけないという強い意志を持った友人が当時多く、最大の逆風はサイバーセキュリティ担当時代の国会答弁であると私は感じている。
しかも!挙げ句 本人は「そんなに私の名前が世界に知られたのか。いいか悪いかは別として、有名になったんじゃないか」と総括した。
これによって桜田よしたか氏の政治生命はこれで完全に失われることとなってしまった。
功績も非常に大きく、人柄も良かったのだがつまらない出世欲によって議員バッヂを失うこととなってしまった。
どんな良い人であっても、やはり欲望を見せると醜い人間だと感じてしまうのだろう。
私の友人たちの多くはサイバーセキュリティに関する国会問答の酷さによって桜田よしたか氏を見限ってしまった。
私の職業柄IT関係の友人が多いというのもあるのかもしれないが・・・・たったこれだけのことで彼の政治生命は完全に終わってしまったのだ。
あれから自民党は少しだけ変わった。幹事長が変わったというのも大きいが、何選したから大臣に付けるといった論功行賞めいた人事がめっきり減った。
完全な適材適所とまでは言わないが、専門外の大臣が頓珍漢な国会問答をするといったことが目に見えてなくなった。
そういった意味で桜田よしたか氏が2021年の選挙で敗れたことは大きな歴史の転換点とも言える。彼が政界人生の最後に残したものは大きい。
別に柏8区の住民達は自民党が嫌いになったわけではない。翌年2022年春の参議院選挙では自民党の2人の候補者に対する得票率は高かった。これは対抗で出馬した野党の候補が酷かったというのもあるが・・・
2024年の第50回衆議院議員選挙で柏市議会議員の桜田慎太郎氏が桜田よしたか氏の三バン(地盤看板鞄)を引き継ぎ危なげなく当選した際、めっきり白髪が増えて少し身長が縮んだ(腰が曲がった?)彼の涙は忘れられない。願わくば幸せな老後を過ごして欲しいものだ。
つばきファクトリーとは、元はと言えば振付師みつばきまき先生を信奉する過激派メンバーで構成された一個分隊なのである。ハロープロジェクトという組織が現場優先主義に傾いた2013年から2015年にかけて、必然として生まれたアダバナである。
これら現場優先主義への反動と反省によって、西口社長の主導により2018年に生まれたBEYOOOOONDSは、対照的に「ハロプロとはなにか」という哲学的な問いから発し、演劇的な要素も加えたグループとしてスタートした。ビヨーンズ人気がウネリとなって、次に控える研修生ユニットにもバトンを渡せそうと思われたが、そこでコロナ禍が大きな打撃となった。
モーニング娘。を頂点としたヒエラルキーを見せつけていたハロコンというショーのフォーマットはもろくも崩れ去り、YouTubeやインスタはもちろんリミスタなどを使った、いわばゲリラ的なネット上のマーケティングに重点を置かなければならなくなってしまった。
多くのハロヲタがこのコロナ禍で現場を去り、一部のハロメンもフラストレーションを抱えて業界を去ってしまう事態にもなってしまった。もはや、みつばきまき先生の掲げるショーマンシップの実践的哲学を発露できる現場はほとんどなくなってしまった。このような事態は、実は誰も経験したことがなかった。前例がない。
この異常事態は元に戻るのだろうか。完全に戻ることはないだろう。しかし世界が、エンタメ業界が破滅しようとも、歌声は残るのではないか。その原点に立ち返ったのが、2021年の初頭に行われた「Juice=Juice」「つばきファクトリー」合同新メンバーオーディションであり、その終尾が最近ようやくYouTubeに投下された動画によって判明し、にわかにハロヲタ界隈がざわつき始めた。
それが、つばきファクトリーの新メンバー4名のうちの一人、河西結心である。かさいゆうみと読む。その歌唱力に度肝を抜かれ、まず辞書登録した。ぜひとも動画などで確認されたい。
これは一体なにが起こっているのだろうか。実はYouTubeにアップされる新メンバーの歌唱動画と、つばきファクトリーのニューシングルの動画以上のことは。まだ何も分かっていない。10月18日のつばきファクトリーの武道館ライブ「CAMELLIA〜日本武道館スッペシャル〜」でなにか把握できるかもしれない。
でも試合は勝った。
もう一度行ったら西口が好投してた。
選手は佐藤友亮とか貝塚とか、何故かは分からないが覚えて帰った。
今思えば若手として出始めていたのだろうが、全く記憶にない。
それからしばらく浦和レッズばかり見ていて、野球から離れていた時期があった。
さすがに少しだけ日本シリーズの記憶はある気がするが、暴れ回る片岡と絶対に打ちそうなナカジくらいだろうか、はっきり覚えているのは。
派手な髪の軍団の中の一人で、片岡の後ろで地味な仕事をこなす人。
チームは大型連敗をして、ナベQ監督のコメントも息詰まっているのをスポーツニュースで見た。
昔タダ券で見た姿通りの、ずっと強いイメージであったからなのか、未だに当時の気持ちが理解不能だが、その時にこのチームは気にかけないといけない、あわよくば応援してやらないといけない気がするなどという奇妙な気分になり、ファンである自覚を初めて持った。
安いからと久々の観戦で外野席に乗り込み、応援の楽しさも知った。
栗山がやたらと出塁する選手であることもこの時初めて理解した。
俄然、野球を見るのが楽しくなった。
その日、デッドボールを受けて吠えていた栗山の状況を、ラジオを通して聴いていた気がする。
後日、多少の同様を隠せない秋山が栗山のいない状況について語っていたことで、ライオンズの大黒柱が栗山であることを初めて痛感した。
悔しいような、歯痒いような気持ちで残りのシーズンを見ていたのははっきりと覚えている。
初めて行った南郷の春季キャンプでは、選手にとってはキツい練習だろうが、ファンは無邪気にサインを貰いに駆けずり回っていた。
見事にそのファンの一員と化していた自分に、練習後の夕方、帰りのバスを待たせてまで、嫌な顔一つせずサインに応じてくれたのが、栗山だった。
初めて外野席に踏み込んだ時に持ち込んだフラッグに書いてもらったサインで、何らかの魂が入った気がした。もちろん、今も手元にある。
それから蓋を開けてみると、大雑把で惜しい、常にもう一つが遠いシーズンが二度、三度と来た。
来た上に、一人、また一人と応援していたはずの選手が居なくなった。
居なくなっただけならまだしも、一部は常の敵として、同リーグで牙を剥いて襲いかかってきた。
応援団にすら、残留したメヒアを評して「 こんなチーム に残ってくれた物好き」と言われるほどの状況で、日々先の見えないトンネルに居るような、耐え難い息苦しさを感じていた。
そんなシーズンを終えたタイミングで、栗山のFAのタイミングが来た。
日々の彼の言動を見るたびに、多分残ってはくれるんじゃないか?しかしこんなチームだから‥と思っていた時に、あの言葉が降ってきた。
───「FA権を持っているだけで、ファンの方が『もしかしたら』と、思うかもしれない。その選択肢を断つことが、『これからもライオンズで野球をやりたい』という思いの、最高の意思表示になるのかなと思いました」
こうだ。
自分の、いやファン全員の心の声を聞いた上で、これ以上はない答えを返してくれたに違いないと、彼は我々と喜怒哀楽を共にしてくれる唯一無二の存在なのだと、一言一句を噛み締めながらそう確信した。
辻監督の納得感のある指揮で理に敵った強さを手に入れ、10年振りのVの文字を見た夕べ、
ようやく胸のつかえが取れたような、じっくりと喜びを味わうような表情、コメントをしていた栗山を見て、こちらの優勝の実感もようやく湧いてきたような気がした。
ただ、CS突破に日本一と忘れ物が二つも作ってしまったが。これはまた、彼がユニフォームを着ている内に再び共に分かち合える喜びが残っていると考えることにしたい。
同期の中村と同じく、最前線で戦っている姿は記憶にある選手では半ば西口の領域に差し掛かっており、驚異的ではあるが
さすがに毎試合守備につくことはなくなった、全盛期の打力とも言えないかもしれない。
しかし、だからこそ、彼は目の前の打席に集中し、己の今出せる力を振り絞り、懸命なプレーを見せてくれている。
ひたすらに気の遠くなるような努力を惜しまず、倦まず、ただただ「やらなきゃダメなのよ」といった感じで積み重ねている。
そうしたものの結果が、
球団史上前人未踏の「生え抜きで2000本安打」という偉業にあと一歩という形で、いよいよ実を結ぼうとしている。
自分は、いや埼玉西武ライオンズのファンは、その課程を一丸となって応援し、
達成のあかつきには惜しみなく祝福し、喜びを共に分かち合うだろう。
あなたがそうしてくれたように。
進め、今こそ2000本へ!
「Dr.STONE」といえば科学監修の名目で毎回名前がクレジットされている「くられ」氏ですが、この「くられ」氏も90年代は鬼畜系カルチャーでならした人物です。
しかしこの「くられ」氏はいじめや差別ネタなんてレベルじゃございませんでした。
実際にこの人が作った本で本物の爆弾テロリストを生んでるんですよ。
「くられ」氏が編集長を務めた「危ない28号」という雑誌に爆弾の製造方法を詳細に書き記され、それをテキストに実際に爆弾を作って街中で爆発させた事件がありました。
以下、ここ参考
https://ameblo.jp/7ninblog/entry-11047336229.html
JCO臨界事故に怒りを感じた男が,JCOを爆破しようとして,爆発物を作成,JCO近くの住宅街にそれを放置した事件.
2000.1.6 07:00頃,東海村のJR東海駅から北へ300mほどの住宅街の,踏み切り脇,東海駅東口タクシー乗り場のベンチ前に,赤い液体が入った,清涼飲料水のペットボトルや,金属製と思われる銀色のボンベなどの不審物が,黒いバッグに入れられて放置されているのを,通行人が見つけて茨城県警ひたちなか西署に通報した.
同県警は,爆発物の可能性もあると見て,重装備の機動隊爆発物処理班を派遣.
処理班がバッグをX線で調べたところ,中には塩化ビニール管が2本,鉄パイプが1本入っており,これらはリード線で乾電池などとつながっていた.
また,真鍮管,タイマー,アルミ缶,百円ライターなども見つかった.
鑑定の結果,これが殺傷能力のある爆発物であること,爆発物の一部は,安全装置を解除して,タイマーをセットすれば,すぐに爆発させられる状態だったことが判明した.[1][2]
塩化ビニル管や鉄パイプ、アルミ缶などに、アセトン系の爆薬が詰められ、起爆装置の雷管に鉛筆のキャップを使用。「グロープラグ」と呼ばれる模型の飛行機などのエンジン用点火プラグが装着されていた。[2]
この爆発物は,前年末に発生した,2件の爆弾事件の遺留品などと似ていた.
1件目は1999.12.24,大阪府摂津市のJR東海・新幹線車輌基地「大阪第1車輌所」にて,新幹線から回収したばかりのゴミ袋が爆発.
大阪府警摂津署の調べによれば,爆発物のアルミ缶の中に,有機溶剤をしみ込ませた粉末が詰められていた.
爆発した後の現場には、乾電池4個と充電池、小型のアルミ缶、リード線のついたふたのようなものが落ちていた。[2]
2件目は,その3日後,JR浦和駅のコインロッカーで,その点検中,ロッカー内にあったアルミ製の箱が爆発,管理会社従業員(当時53)が指に1カ月のけがを負った.
埼玉県警浦和署の調べによれば,箱は持ち上げた途端に爆発する仕掛けになっていた.
アルミケースから外にひもが出ており、その先端がロッカーの内壁にテープで固定されていた。
また,発泡スチロール製の球状の不審物は、直径約6センチの半球状のものを2つ重ね合わせて作られていた。
これら2件の事件について,大柴は
「ロッカーの管理がずさんで、警告のために仕掛けた。爆発で死者が出てもいいと思った」[2]
などと供述した.
警察によれば,大柴は同年11月から12月までの間、東京や埼玉などのホテルを泊まり歩きながら、アルミニウム容器に火薬を詰めた上で導火線をつないだ爆発物を製造。
同月20日に,浦和駅西口にあるコインロッカーに仕掛けたという.[2]
「東京駅で新幹線に乗り、小田原駅で下車する際に爆弾を置いた。1時間以内に爆発するようタイマーを仕掛けていた」
と供述した.[3]
大柴が、爆弾づくりのテキストにしたとされる雑誌は,データハウス社(東京都新宿区)発行の雑誌「危ない28号第三巻」(99年3月発行、定価1400円).
特集「危険物!」と題して、爆発原料の入手方法、市販材料や身近な家庭用品を使った爆薬、火薬の作り方などを図解入りで詳細に解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%8428%E5%8F%B7
『危ない28号』(あぶない28ごう)は、データハウスから1998年から1999年まで季刊誌として発刊されたアングラ雑誌である。不定期刊誌『危ない1号』の実質休刊後、インターネット系のアングラ・ライターを中心に編集され、第5号まで発行された。現在(2021年7月)では全5巻ともに絶版となっている。
日本がまだコンピュータやインターネットの黎明期だった1998年、KuRaReを編集長にサブカルチャー、アングラ本として発刊される。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載の雑誌であったため、全国18都道府県で有害図書指定されることとなった[1]。
2000年1月に浦和駅、東海村、大阪で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[2]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされた。
こっちはくられ氏の本でガチの爆発物テロが発生し、負傷者も出し、下手をすれば死者もでていたかもしれないんですよ。
そんな人間に集英社の週刊少年ジャンプ編集部は漫画の監修をさせ、毎週のように名前を載せ、特集記事に写真付きで掲載してるんですけど、その事をジャンプ編集部や集英社の人達は理解してるんでしょうか?
こっちは本当の死者が出ている可能性があったんですよ??
くられ氏は「実際に作るとは思わなかった」「真似してもらうために書いたものじゃない」とか言い訳してたみたいですが、「どのご家庭にもあるものでカ~ンタンに爆弾が作れちゃいマス♪」なんて事細かに実用性のある爆弾の製造方法を記しておいてそれは無いんじゃないすかね。
真似してもらいたかったんでしょ?実際に爆弾作ってもらいたかったんでしょ?だから書いたんでしょ?
そんで本当に作ってテロ起こっちゃったから慌てて保身に走ったんでしょ???
つうかさ、くられに限らずこの辺の鬼畜系ライターが心底みっともないのって、鬼畜ブームが去った途端みんな言い訳を始めたところなんだよね
「ある種のジョークでやってました、まさか真に受ける奴が出てくるとは思いもしませんでした」ってさ
根本敬も唐沢俊一も自殺した青山正明も殺害された村崎百郎もみ~んな同じような苦しい言い訳をしていた。
村崎百郎なんて殺された時まわりの連中「まさかこんな恐ろしい事になるとは・・・!」って悲しむフリしてみせてたけどさ、ほとんど自然の摂理のようなもんだろ。キチガイ煽ってキチガイに殺されたってさ
そんで追悼本なんか出したりして、ダッセエの。
話は逸れましたけど、最近の小山田圭吾を発端とする90年代鬼畜ブームを断罪する流れでいうならくられ氏も当事者であり、こっちはいじめ差別どころか死者も出てたかもしれない爆発物テロ事件が実際に起きましたから。
その流れで言えばくられ氏が関与している週刊少年ジャンプ連載漫画「Dr.STONE」は即刻連載中止、絶版回収にするべき
良くてもくられ氏が監修した部分は全面的に削除するべきです。
小室圭とマーク・ザッカーバーグと立花孝志(敬称略)の三名に恨みがあるわけではないが、この三名の顔から似た印象を受ける。失礼を承知で書くと胡散臭さを感じる。顔立ちが特に似通っていないのに不思議だ。強いて似ている点を挙げればアゴの形かもしれないが、じっくり見てみるとそこまで似ているわけでもないし、彼らの性格が共通しているわけでもない。三人ともメディアで悪く言われることが多いので、偏見を持ってしまったに違いない。
直接彼らと対面して、彼らなりに抱えている事情について聞いてみれば考えも改まるかもしれないが、おそらくそんな機会はない。
書いてみて本当に失礼な日記だと思う。たぶん自分は根拠のない自信にあふれた相手が嫌いなだけだ。ある種のひがみだろう。
異世界ファンタジーなんかでビキニアーマーを見るたびに「こんな戦士なんているわけないだろ」的な気分になるのだが、古代のピクト人だったかケルト人だったかは、全裸に帯をまいただけの姿でローマ軍に襲い掛かってきたそうだから、全くのでたらめというわけではなさそうである。実際、全裸のおっさんが襲ってきたらかなり怖い。ところで、九十年代のビキニアーマーや前垂れ(ふんどし? スリット?)で目覚めた性癖を持つ、自分と同年齢の男性は少なくないんじゃなかろうか。
そういえば、三国志には蜀の南方に位置する敵である孟獲の妻、祝融夫人が出てくるが、最近のゲームだとこれもビキニアーマーだったり毛皮ビキニだったりする。実際、当時の雲南省の人間がどんな格好をしていたのか知らないのだが、これはさすがに違うだろう。もっとも、実は漢の服装もわかってない。
ちなみに、調べたら孟獲は元来漢の人であり、南蛮人になったのは三国志演義の演出らしい。
用事があって横浜駅西口のカラオケ屋に数年ぶりに行ったのだが、廊下まで聞こえる音量で奇声を上げている連中がいて閉口した。夜の客引きも増えたことだし、治安が悪化しているのではないか。というか、そもそもまん延防止措置下でも「お酒ありますよ」という呼び込みが多数あった。やれやれ。
入口の前で溜まりこんでいた大学生は不倫を自慢げに話していたのでこれも不愉快であった。だいたい、こうした話はフィクションだから面白いのであって、実話ではちっとも面白くない。本当はもっと落ち着いたパセラあたりでやりたかったのだが、満員だった。向かう直前に電話すべきだった。
ところで、公共の場ではできない重大な話を自宅以外でするときはどこですればいいのだろう。会議室だろうか?
……これを書いている途中、surfaceがマウスを認識したりしなかったりする。いちいち抜き差しする音がするのだが、マウスの寿命かもしれない。
熱中こそしていなかったがクラスのみんなが見ていたアニメの細部を、何の脈絡もなく思い出す。たとえば「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」に「二郎丸スペシャルスペシャルスペシャルスペシャルスペシャル」という実況泣かせのマシンがあった。なんか「ダスダスダスダス!」と叫びながらマシンを加速させていた覚えがある。
近頃はウィキペディアの漫画とアニメの記事がやたらと充実しており、調べては懐かしい思いに浸るのだが、最近になって土方レイが女の子ではないことを知ったのである。
この頃のアニメは思い出補正もあるせいだろうか、当時のアニメの画像を見ると、思っていたよりも絵が荒いというか、癖のある画風である。九十年代のアニメはスレイヤーズをはじめとして目鼻をクシャっとさせた画風だった。あるいは、アゴと比べて不思議な場所に口があった。スレイヤーズは見ていないけれども。
この日は個人的な調べ物をしていたらあっという間に夜になってしまった。七時が日没だったのに。日が暮れてからはだらだらと増田を眺めてしまって無為な時間を過ごす。大体、九時半から十時半が一番眠く、寝床に入るのは自慰をしない限り十一時頃である。とはいえ、人生の時間をすべて有意義に使おうとするのも一つの強迫観念ではある。
自慰といえば、最近コンドームなしで自慰をしたら、精液を飛ばし過ぎたりティッシュからこぼしたりしたので懲りた。
手帳に日記を書いてから郵便局へ行って、ちょっとだけ家事をやってから筋トレとジョギングをし、アガパンサスとヒマワリとオシロイバナが咲いていたので写真に撮ってランチ垢に載せた。で、シャワーを浴びてから靴下とプロテインを買った。ところで、近頃の薬局はコンドームを紙袋に包まないと以前に書いたが、店によるようだ。
それから、ネットをだらだら見ていたら、いつの間にか有給休暇がほぼ終わった。
数年前は休日を無駄に過ごすことを惜しむように美術館に足しげく通ったものだが、緊急事態宣言のせいで美術館なしでもやっていけることに気づいてしまったせいだろうか、近頃は月に一度しか行かない。
すっかり出不精になってしまっており、いよいよ終映が近づいているエヴァンゲリオンを見るのもだるい。確かに薄い本は欲しいし、一度目に見逃がした細部も気になるが、そんなことよりも自分の中でエヴァンゲリオンが完全に成仏してしまっており、過去のものになってしまっている。庵野秀明の目論見通りだ。
そうそう、ジョギングの成果だろうか、数年前は右脚の付け根の骨が骨盤(?)から外れそうなゴリゴリした音を立てていたのだが、近頃はそんな様子は全くない。
しかし、さっき口の中で皮がむけて血が出た。なぜだ。
駅西口周辺で喫煙していた専門学校生の男性(20)は「ワクチンは打たない」と言い切った。「副反応で死ぬ可能性もあると聞いた」という。連れの男性(20)も「マスクと消毒でコロナは防げる。どんな副反応が起きるか分からないワクチンの方が怖い」と同調した。
仙台市内で若者に話を聞くと「動画投稿サイトで『外国産のワクチンは危ない』と聞いた」(大学3年の21歳男性)、「ネットやツイッターに『打つと死ぬ』など怖いうわさがたくさんある」(専門学校生の18歳女性)など、接種への期待より不安の声が多い。
ワクチン「打たない」若者にじわり 副反応への不安、ネットで拡大(河北新報) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/66cd6bd1a28d2e15c6c63e8d95fb1a8c58c72d21
先日から話題になっていた、「若者の『コスパ』重視」と重なりますね。副反応のデメリットを、マスク、消毒、そして体力でカバーするメリットが自身にとっては上回っているのでしょう。集団免疫なんて関係ない、自分がかかるかどうかだけ、なんでしょう。
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
一月二十八日(木)
先日、TENGAを買っても紙袋がもらえなかったのだが、それが店員さんのうっかりミスかどうかを確かめるために、もう一度ジョギング帰りに同じ店舗でTENGAとついでに飲料水を購入した。何も言わずにTENGAを手渡しされた前回とは違い、今回は袋はいりますか、と尋ねられて断ったのだが、やっぱりオナホを隠す袋はもらえないらしい。これも環境のためだろうと思い、先週と同じくポケットに突っ込んだ。白いソフトタイプだったから同じ色のジャージにしまっても目立たない。
それはさておき、コンドームを買っても袋はもらえないのだろうか。あるいは、生理用品なんかはどうなのだろう。薬局とコンビニとでも対応が違うのだろうか。生理は隠すべきものだという風潮は一昔前に比べれば薄れたが、やっぱり恥ずかしいと思う人はまだ多く、これでいいのかと思わなくもないが、そういう人は普通にビニール袋をもらうなり鞄にしまうなりするので問題にならないのだろう。
そういえば、横浜駅西口五番街でエロ漫画を買ったとき、書店名の入っていない黒い袋に入れてもらった記憶があるのだが、そこでエロ漫画を買ったらやっぱり袋なしがデフォルトなんだろうか。気になるところだが、今読みたいエロ漫画が特にあるわけではない。エロ漫画ソムリエの友人にいいのはないのか尋ねるのも面倒だ。
仕事は本社半分、テレワーク半分というところだが、来週からは残念ながら当分は出勤しなければなりそうだ。職場の環境はよく、いつでもコーヒーが飲めるのはありがたいのだが、最近の流行だろうか、オープンスペースで自分の席の後ろが会議スペースになっている。そこで何やらもめていたり叱責していたりと落ち着かない。最近は以前と比べればこうした人の声が気にならなくなってきたのだが、昨日はオンライン面接とその評価をやっていたが耳に入った。体育会系だけれども笑顔が足りないとかへらへらしているだとか、好き勝手言われつつ採点されているのを見ると、自分も入社時は人事にいろいろと言われていたのだろうかと想像される。
何の関係もないが、さきほど日本世論調査協会だとかそんな名前のところから電話がかかってきた。電話を受けてみると自動音声で何やらアンケートに答えてくれという。今週はクレジットカード宣伝の電話も業務時間中にかかってきたし、何かと忙しい。弊社は昼休みの時間が若干ずれているので、その旨を伝えると大変恐縮していた。
今日の夕飯はとんかつとカキフライだった。おいしい。おいしいが正月に体重が一キロ半増えてから戻らない。妹がおいしいパンを頻繁に焼くからなおさらである。
夕飯を食べて一息入れてから、購入した入江亜季「北北西に雲と往け」の五巻を読んだ。もともとこの漫画はタイトルだけ知っていたのを、おととしの冬にデートした女性に勧められたので既刊を全部買ったのだが、結局その女性とは付き合うことはなく、続きを読む気になれなかった。さいわい、昨年の秋から別の女性とおつきあいすることができたので、そうしたわだかまりもなく新刊を手に取ることができた。主人公とヒロインがちょっと素直になったのを、特に嫉妬することなくもなくニヤニヤしながら読めるのはうれしい。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
ジメッとする盆過ぎの暑さの頃、そう学生は夏休みの真っ只中だった。
クーラーの効いた個室に入って、仕事中だからこそぐったりする開放感。
しばらくすると電話が鳴り続けるので取ると、フロントからの取次だった。
こんにちはー。何歳ですかー。若いですねー。何歳だと思うー?何してるのー?
違った。「いま私たち、池袋の西口にいるんですけど暇してて。高校生」。
分かった。冷たい飲み物おごってあげるから、ロッテリアで待ち合わせようよ。
「外出します」とフロントに言い、汗がじわりとサンシャイン通りのロッテリアに歩く。
よく周りを見たら、夏休み中の小中高大学生でいっぱいだった。映画を見るのか?見たのか?
いま思えば携帯電話も無しによく待ち合わせできたな。この後PHSを買うことにした。
スーツ姿で22歳で、ロッテリアの前で僕はキョロキョロしている。「すみません、電話の人ですか?」
女子高生二人組は、今年高校入学で、まだ垢抜けない15歳だった。服装も一昔前の中学生みたいだった。
顔も可愛くない寄りの普通だった。
ロッテリアのセットメニューを注文して、冷房が半分効くテラス席に座った。
歳は22歳と15歳と16歳だ。何してるんですか。会社が嫌で嫌で、
テレクラは涼しくて個室で寝れてテレビも漫画もあるからなんだ。
昔の外回りの営業と言えば、パチンコか喫茶店か映画館だろうか。
なんでテレクラに電話してきたの?暇だったし、興味あったし。ねえ。
二人だし昼間だし、怖かったら電話切っちゃえばいいし。そうそう。
いままで何してたの?さっき待ち合わせて、どうしようっかって。埼玉からなんだ。
「これから三人で、涼しいラブホに行かない?コンビニでお菓子買って」
えーえー。ラブホって昼間やってるんですか?昼間は逆に安いんだ。
どこにあるんです?池袋は北口にいっぱいあるんだ。ここから歩いて10分くらい。
行って何するんですか?何もしません。大きなベッドで寝られる。
私は良いけど。エッチなことしないですよね?これを機会に見学見学!
ちなみに僕は、女の子の私でも本気を出したらこいつに喧嘩で勝てる、
歩いてもいいけど、夏の暑さのせいかしら、タクシーで陸橋渡って北口へ。
コンビニの前で降りて、適当にお菓子や飲み物やビールも買った、僕はアルコールは飲まないけど。
新宿のラブホだと、もっと大きくてディズニーランドの建物、ではないけど、まあいいか。
どの部屋がいい?うーん、取り敢えずどれでもいいかな、まずは。
普通の見た目広めの部屋にした。
部屋に入りドアを閉める三人。家族旅行で旅館の部屋に入った時と同じ気持ちだ。
ベッドに飛び乗る。あちこち見る。ボタンを押す。照明をいじる。
浴室を見に行く。テレビをつける。案内板読む読む。エッチなチャンネルにする。
ここはラブホテルでエッチなことする場所だし、エッチなビデオを見てもおかしくないと思います。
なるほど。。今日だけね今日だけね。家で見たことある?無いー。
ビデオ、みんながいつも居る部屋にしかないし。お父さんも見てないと思う。
夜中でもなんかテレビついてたら分かるし。私とお母さんとおばあちゃんが買い物行ってるときとか?
私は中学校の時の友だちのお兄ちゃんのを、友達んちで少し見たことある。
モザイクで見えないよねー。見えない見えない。
僕はそんなお喋りをしてエロビデオを見てる片方の女の子の見えそうで見える白いパンツをじっと見てた。
女の子の視線はテレビのエロビデオ。僕の視線は女の子のスカートの中。
女の子が立膝を崩すのと「モザイクで見えない」と言うのが一緒だった。
「何が?」「おちんちん」「あ、え、」「おちんちんって言わない?英語でぺにす?」
「保健のテストあったじゃん。生理とか子宮とか妊娠はいいけど、
名前とか漢字で書くのやだったなー」「いんけいとかしゃせいとかぼっきとか」
ベッドの上の女の子に普通に近づいで、手前の女の子のスカートの中のパンツの股間に触ってみた。
隣の女の子も気付かないくらい反応はしなくて、後ろにあった枕を取って自分の腿の上に乗せて、押さえつけた。
だからそのまま指をパンツの中に入れたら、ぬるぬるだった。もしかして生理だったのかな、ナプキン無かった。
ここまで書いて疲れた。
女の子のパンツ脱がして二人でよく観察して、指でいじりながら、
上も脱いで脱いでと素っ裸にして、どさくさに胸を揉み揉み。
素っ裸になってエロいことも見られた女の子はもう怖いもの無し、
友だちの女の子に服脱いで。私は嫌だ恥ずかしい。恥ずかしくない、一緒にお風呂に入れる。
胸が小さいからやだ、毛も濃いから恥ずかしい。私もう全部見たじゃん。
男の僕の存在はとくにどうでもいいみたいで、
脱がせましょう!と二人で女の子の服を脱がせた。
パンツは僕が下ろした。女の子の股間に指を当てて、割れ目を開いて、
なんか透明ななんか出てて、ぬるぬるですよ。と、しれっとすごいことをやると、
濡れるの同んなじ、おなにーの時と。指で触ってないのに濡れた。
二人はお風呂に小一時間入って、「おちんちん見たい」って言うけど、
断る理由も無いから見せて触られて握られて、無理無理絶対入らない。
もう女の子の恥ずかしげでない最初に手を出した方の女の子の股間を手でぐいぐいして、
唇にキスしちゃおう、と思ったけど思いとどめて、もう片方の女の子の警戒心無い素っ裸の、
太ももに射精して、うわあったかい、精液白い。プールの臭い。はふぅっ。
手まんしてる女の子、裸で抱きついてくる。
飽きた
「おお!そうなんだ。サイトの地図見たけど、ネットカフェがあったとこね。しかしこれだと近くのカラオケアミは経営大変だね。」
「アミって懐かしw もう閉店してね?てかアミってどこにあったっけ?」
「イトーヨーカドーからもうちょっと東に行ったほうだよ。マガジン2の道渡ってイエローハットの奥あたりにあったはず。」
「マガジン2懐かしw てかもう潰れて10年以上経つんじゃないか?あとイトーヨーカドーも3年前に潰れて、いまヨシヅヤになった。」
「なんとw イトーヨーカドーも潰れてしまったんだ。駅西口側のユニーも潰れたし、ついにイトーヨーカドーも潰れてしまったのか。これで昔から残る市内の大型スーパーは清水屋だけか。」
「ユニー潰れたって20年以上前w あと清水屋も耐震基準満たしてないとかで今年の2月いっぱいで閉店したぜ。」
「なんと!まさか清水屋まで潰れたとは…。これで昔からの大型スーパーは全滅か。」
ラインを終えたあと、twitterで「清水屋」を検索したら建物に解体作業中の写真があがっていた。
過去にさかのぼると昭和レトロなスーパーということではるばる訪れた投稿もいくつかあった。
モザイクアートの壁画や、階段の丸窓など、確かに昭和レトロ感があって良い。
地元にいたときはただただ古いスーパーと思っていて全然良さに気づかなかった。潰れる前に行っておきたかった。
イトーヨーカドーも検索したら確かに閉店していた。店のロゴがヨシヅヤに変わってるけど合成写真みたいだと思った。
カラオケアミとマガジン2は情報すら出てこなかった。マガジン2があった場所をGoogleマップで見てみたら、もはや建物すらなくなっていて眼科の駐車場になっていた。
地元を離れて10年以上経ち、昔行ってた場所はどんどんなくなっている。
けれど、駅東のスーパーはイトーヨーカドーで、眼科の駐車場はマガジン2で、地元でカラオケと言えばアミと、きっと10年後も20年後も自分の中ではそうなんだろうなと思った。
一日の終わりにはできるだけ目を使わないようにしようと思った。
目が覚めてから寝るまで、常に何かを注意して見ている。スマートフォンやタブレットが生活の中に入り込んで来てから、画面を見て何かを読むのをやめられなくなっている。人間は視覚を好むと言っていたのはアリストテレスだったか。大学で哲学の授業に出たのはだいぶ前のことだからうろ覚えだが、現代人は視覚を好みすぎて酷使しているような気もする。
仕事帰りに新宿の西口でラーメンを食べた後、ヨドバシカメラに寄って、小さなラジオを買ってきた。ラジオしか聴けないようにするためにラジオが欲しかった。
ベッドに入って電気を消し、ラジオの電源を入れる。小さな液晶にオレンジ色の光が灯り、周波数を表示する。ダイヤルを回すと、ザーッという音が聞こえる。
そういえば、番組と番組のあいだ、周波数と周波数のあいだには、意味をなさない、あるいは意味を読み取れない雑音の海があった。アプリで文字や画像をタップするといつも目的のコンテンツに一瞬でたどり着くことに最近はすっかり慣れていたから、そんなことも忘れていた。
ダイヤルを回し続けると、雑音は不意に音楽に変わる。この、無秩序から秩序への移行を一瞬に知覚する時の感じも、ずっと忘れていたことが信じられない。
ボサノバの旋律が、やけに遠くから聞こえてくる。チェーン店のカフェでお昼を食べるときに天井から降ってくる、ありきたりで空疎な環境音のボサノバ。それが今はどこか遠くから、大切に、丁寧にこの小さな箱まで届けられた音楽のように聞こえる。これはきっと、もともとはそういう音楽だったのだという気さえしてくる。
音量のツマミを回して次第に音を小さくすると、かなり小さな音でも音楽や人の声は識別できることに気づく。スピーカーに耳をつけてようやく聞こえる程度でもそれはさほど変わらないことにも。暗くした部屋でラジオの微かな音に耳をすませていると、落ち着く。
音楽よりも好きなのは、天気予報だ。各地の天気や気温をアナウンサーが静かに読み上げていくのを聞いていると、ただ時間が経っていくのを感じられるというか、なんだか豊かな気持ちになる。さらに好きなのは各地の気圧で、ヘクトパスカルがただ読み上げられていくのに暗闇で聴き入っていると、世界はすでに戦争で滅びかけ、自分はシェルターで生き延び、よく知らない政府の発表に立ち会っているかのような、何かに包み込まれた不思議な隔離感がある。
感じられている暗さが室内の暗さなのか、まぶたを閉じているときの暗さなのか、音の途切れは電波のせいなのか、自分の意識が飛び飛びになってきているせいなのか、もうわからなくなってきたら、ツマミを回し、音を完全に消す。
久しぶりに、薬を飲まずに眠ることができた。