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はてなキーワード: 西口とは

2023-06-22

anond:20230622111753

表裏だろ、とおもって、10年前に水道橋西口にあったラーメン屋を思い出した。

辛いラーメンの上にでかい唐揚げが載ってて600円だったか。金がなかったから贅沢だったんだけど、仕事終わりに寄ってガツガツ食ったなー

金もあるし、胃腸も弱ってしまって、もう俺はあのラーメンをあのテンションで食べられないんだなぁと思って感傷的になった。

思い出させてくれてありがとう

2023-06-21

健常者から見たADHDASDのウザいところを書く

・異常な時間感覚のなさ

例えば駅で待ち合わせるとする。13時15分に京急川崎西口で待ち合わせと伝えると、まず予定の時刻に間に合わない。「遅れてるから13時半に着く」と連絡するのはまだ良い方で、こっちから聞かないと平気で14時ごろに着く上に遅刻したことに対する悪気がない、なんなら「時間に縛られるとパニックになる」と開き直る。時間感覚がとにかく欠如している。

他、奴らのいう「準備できた」「もう行ける」は全て嘘。だいたいそこから最低10分はかかる。時間無限じゃないのにその感覚がないのが致命的に腹立つ。

・教えたことを覚えない

仕事において何かを教えても、とにかく覚えない。文書にして画像付きのマニュアルにしても全く覚えないし、なんなら1時間前に教えていて「わかりました!」と言ってたことをやらせようとすると「どうやってやるんでしたっけ?」と平気で忘れる。というか紙にしても無駄で、その紙自体シュレッダーにかけたり捨てたりして忘れる。メールにして送ってもそもそもメールボックス自体がぐちゃぐちゃなので過去メールに埋もれて出てこない。労力と行程の無駄

・異常な遠回り行動

例えば「経理課の佐々木さんのところに行って、旅費精算書を貰ってきて。それを貰ったら自分で書いて、また経理課に行って、石橋さんに提出してきて」と指示する。普通の人なら「経理課の佐々木さんのところに行き、旅費精算書をもらい、必要事項を記入して、経理課にもう一度行って、石橋さんに提出する」って工程をこなす発達障害は「まず経理課に行く前に自販機ジュースを買って、ついでにタバコを吸ったあと、やりかけのタスクに手を付けて、さらメール確認して、その後そういえば増田さんに経理課の...なんとかさん?のところへ行けって言われてたな。いつ行けば良いんだっけ?」となる。もう話にならない。

責任感のなさ

とにかく会社を平気で休む。健常者の10倍は休む。普通社員が公休以外に一年に5回休むとしたら、発達障害持ちは一年に30回は平気で休む。んで、その間の仕事は一切引き継ぎしない。ポカ休してる最中に客先から「○○さんに頼んだ見積り昨日までなのにまだ来てないよ?どういうことな!?」って問い合わせが来て、初めて本人が何かを放置してることに周囲が気付く。電話口で問い詰めても「いや覚えてなくって...」と言われて、結局周囲がケツ拭きすることになる。出社してから問い詰めても悪びれることはない。

・私は弱者なの!配慮して!アピール

LEDの光が辛いとか冷房の風が痛いとかパーテーションがないと仕事ができないとか、あれをやってこれをやって配慮してとひたすら権利ばかり主張してくる。まだ障害者雇用ならわかるが、一般枠で入社していながら助けてアピールをひたすら繰り返す。希望を叶えても「次はあれを」「こんどはこれを」となるからキリがない。

書いても書いてもキリがないからこのくらいにしておく。

2023-06-14

移民を入れたら治安が悪くなる😭

そうか~

2023-05-27

池袋の怖いイメージはなぜついてるのか?

個人的には何故か池袋は空が淀んで見えることが多い、特に西口

 

人については大体察しが付く、埼玉県民が大体遊びに来てるから

どうしても「繁華街にわざわざ遊びに来る人たち」のガラは悪くなりがちだし行動もはしゃいだものになる

これは上野北千住錦糸町でも似た状況が起きてると思う(千葉県民・茨城県民)

渋谷ちょっと傾向が違うくて、神奈川県民は横浜行くだろうから渋谷は敢えて渋谷に来てる人が多い、流入するとしても世田谷あたりからだろう

から怖いと言うよりチャラい

新宿もそれで言ったら中央線の民が遊びに来てるので怖いんだけど、ビジネス街が混ざってる関係で緩和されている

銀座港区って何でお高く止まってるんだろう?と考えると、一番奥まってるからなのかもしれない

23区民以外にとってあそこは行きづらい

なんなら麻布なんかは電車民にはめちゃくちゃ行きづらい、そういうのが防波堤になってるのかもしれない

2023-05-22

岡山駅の街は僕はすごく好き。ちょうど良い規模感。ただ今後イオン

岡山駅の街は僕はすごく好き。ちょうど良い規模感。ただ今後イオンだけになってしまったら悲しい。

2022/5月GW岡山駅に、東京駅から深夜バスに乗り、倉敷観光した後、岡山駅周辺で1泊滞在した(ちなみに岡山高松徳島神戸東京って旅行した)。その際に行ってきた各都市の特徴をまとめてみたい。

ちなみに、瀬戸内海沿いの街、端的に言って最高です。どの街もコンパクトにまとまってるから、正直東京より使いやすいし、住みやすいと思う。(徳島ちょっとなにも無さすぎるので微妙かなぁ)

さて、まずは岡山について書いてく。

岡山第一印象としては、まず東京から乗った深夜バス最初の降ろされるのが裏口(西口側)で、かなーり閑散としてるなってのが第一印象。あるのはNHKビルとかで、他は古い建物があって商店街も何もないし

ちょっとしたお店がポロポロとあるだけって感じ。まあ、でもこれって地方都市あるあるで、繁華街の逆側はなにも無いパターン。というか名古屋駅ですら、そんな感じ。名古屋駅の裏口何もなくてビビるよね。

でも、表口(東口側)にいくと印象が全然変わって、背の高いビルがたくさんあって大都会

ちなみに、栄えてるって言っても、昔に栄えてた街(天満屋っていう百貨店があるエリア)と岡山駅エリアで、街の色が違う。駅前はここ20年以下でできてるだろうガラスファサードビルが建ち並んで青白い世界だけど、天満屋エリアコンクリートちょっとクリーム色な世界。新旧の対比が凄い。

天満屋エリアは、昔からある天満屋が牛耳ってる感じの町。あと、商店街。めちゃデカ商店街がある。

だけど、正直その商店街の入ってるお店はじじいとばばあ向けのお店だらけで、若者が行って楽しみ店じゃ全くない。そりゃ新しいピカピカのイオンとかがある駅前エリア若者流れるよね。(イオンについては後で詳しく書くよ)

商店街アーケードになってるんだけど、暗いんだよねぇ。経年劣化が知らんけどちょっとくすんでて茶色くなってて暗い気分が全然上がらない。じじいとばばあしかいないエリア価値は下がっちゃうよね。(次の記事で書く、高松商店街は明るくて、新しいから、全然違った印象だった)

後楽園岡山城の周辺はめちゃくちゃ綺麗でめちゃくちゃ景色が良くて、お堀もあって水辺もあるしボートも乗れるし、最高のロケーション観光で行くんだったら絶対さない(まぁ僕は後楽園の中には入らなかったけどw)

レンタル自転車を借りると非常に便利で、ポートが各所にあるから自転車乗って色々回るのが一番楽しいし、便利。自転車あったら1日で岡山を制覇できると言っても過言じゃない。

路面電車とかバスとか色々あるけど、街を知るって意味合いだとやっぱり自転車自転車だと10から15分ぐらいで、岡山駅から後楽園まで行ける。しか岡山駅から後楽園行く間に百貨店とか商店街とかがあるからあんまり退屈せずに行けるのgood。

で、岡山の夜なんだけど、一番賑わってるなって思ったのは岡山駅イオンの目の前の飲み屋街(本町ってとこ?)が一番賑わってた。結構夜遅くまで(1011時ぐらいまで)お店が開いてて若者が溢れてた。だけど逆に、それ以外の場所全然人気なかったなぁー。西川緑道公園より向こう側は真っ暗な感じ。

ちなみに、西川緑道公園は昼間に行くと結構気持ちいい空間で、お弁当とかを食べてる人とかい雰囲気良い。ただ、個人的にはちょっと木が鬱蒼としすぎ、かつビルの谷間になってて、ちょっと暗い。もう少し周囲のビルと一体的に繋げる(ビル敷地内に公開空地取って代わりに容積率緩和とかする)と良い雰囲気なるんではないかと思う。都市計画はもう少し工夫の余地があると思う。

で、いろいろと言ったけど、まあ何が一番岡山流行ってるかって言うと、イオンモールです!!!

岡山若者イオンモールに行きます!!!!てかイオンモール以外は行かないです!!!!!

それくらいイオンモールがエグいくらい賑わってた。実際、結構いいイオンモールですげぇおしゃれだし、空間的にも良い空間で、開放的だし、屋上スペースも開かれてて、立体的になってるし良い雰囲気。そこでみんなテイクアウトしたご飯とか食べたり、喋りながら、それぞれの時間を過ごしててめちゃくちゃいい空間だった。

しか岡山駅から地下街で直結してるから、たぶんもう駅から街には出ないんじゃないかなと思っちゃう

まぁ、1日岡山をぶらっとした感覚としては、こんな感じ。

色々と書いたけど、岡山は僕はめちゃくちゃ住みたい。かなりいい街だと思う。

2023-05-12

池袋といえば東口西口しか知らないのに

JR支配圏以外ではどちらが東でどちらが西かすら書かれていない

つらい

2023-03-31

魅惑のデパート搬入口の世界

読者諸兄はデパートに行ったらどこが気になるだろうか?デパ地下ファッション売り場?

増田搬入口の場所だ。売り場で何売ってるかなんてどこから搬入するかに比べたらどうでもいいことだ。この文書を読んだら君もきっとそうなる。

売り場で物が売れたらそれを補充しなきゃならない。その搬入口は大抵ビルの裏にある。

しかデパートがある場所というのは一等地だ。バックスペースである搬入口なんかの為に一等地を使うのは余りに勿体ない…。

という事で離れた場所搬入口が設けられて秘密通路で結ばれていることがあるのだ。

それを幾つか紹介するよ。

因みにこういう所は仕事しか入れないもので、増田仕事で行ったり同僚に聞いた入りした事がある個所に限られるから偏りはあるよ。

池袋LABI

ヤマダ電機運営する池袋LABIは元は池袋三越だった。開業昭和29年地下鉄丸の内線の前年か同年と古い。

LABIの裏に都道があって、道路反対側に3階建てのマクドナルドがある。その裏に付近に似つかわしくない古くて灰色運送会社的なところがある。

https://goo.gl/maps/9fDTtZiNEB3pQTbJ8

ここが搬入口で地下トンネルで結ばれている。さっきのマクドナルドはそのトンネルに乗ってるのだね。だから周囲が高層化しても3階建てのままなのだ

 

池袋東武

かなり離れたところにあるびっくりガードの中に分岐がある。

https://goo.gl/maps/bsTBq4EtxBrgqc23A

元々ここは東上線線路だった。山手線から東上線への渡り線と電車留置線が伸びていた。

国鉄貨物輸送を全廃に近い合理化すると東上線行きの貨物輸送も無くなり、ここは遊休施設になった。

90年代東武デパートが増床して新館のプラザ館を作る事になるとこの線路跡も一部利用され、新館より先は地上は駐輪場、地下には搬入路として旧館の搬入も集約化。東上線池袋駅が行き止まりホームになったのはこの時だ。

それまで旧館は東上線北口改札横にある汚らしい搬入口で搬入していたのだが、ここのせいで一帯が大変に荒んでおり、まるで古いアメリカ犯罪映画ダウンタウンのようだった。

 

銀座松屋

デパートより一ブロック離れた箇所。

https://goo.gl/maps/WQB7qSNwj4AjQPQc8

こはちょっとバックスペースが大きすぎる印象がある。

新宿小田急

ロード甲州街道ルミネとの間にあって、急勾配でミロードの中を登り、モザイク坂上のミロード広場の上階に出る。

https://goo.gl/maps/oEbSXc96jzT8adFW8

ここは急勾配&高さ制限キツイ&急勾配登ってすぐに急カーブクランクというデンジャラスコースだ。クランクの路面は坂登ってる間は見えない。しかも途中で止まると再発進不可な程の急坂なのでアクセルを緩められない。そして暴走してクランクを突っ切ってしまうとミロード通りに落下だ。

なすぎる。ハードドライビンのスタントコースみたいなところなのだ

ここを攻める人は注意して欲しい。落下したらインスタントリープレイされるだろう。

 

新宿ルミネ

遥かかなたのJR本社ビルの先にある。

https://goo.gl/maps/ZCo693QRHujchVqZ7

ここからJR本社ビルの周りをぐるっと回って甲州街道橋の下を潜り、ルミネに到達する。甲州街道橋の下公共占有だ。

因みにJR本社前にBLAST!っていうお店があって、周囲は高層化されているのにここだけ2階建てだ。

実はここは土地取引を巡って管財人司法書士ヤクザが殺されたという曰くつきの土地でずっと更地駐車場のままだったところだ。

また、バスタの下には昔JRバスの駐車場になっていた大きな地下空間があって高島屋タイムズスクエアJR本社トンネルで結ばれているらしい。駅の工事の際には工事基地職工詰所になるようだ。ちょっと入ってみたいもんである

 

渋谷西武

ロフト井の頭通り側にある。

https://goo.gl/maps/UxNpSesPQp88VQY68

西武デパート群は駅に近いA館と井の頭通りかいのB館、ロフトパーキングとあるが、全て地下トンネルで繋がっている。

特に特筆すべきは井の頭通りで、ここは宇田川という川が暗渠化された道で今でも暗渠に宇田川が流れている。

搬入トンネルはこの地下の宇田川の更に下を通ってるってわけだ。

公共占有+川の下を潜るという2段構えの珍奇さである

 

東急東横

珍奇な搬入路の王者と言ったらこである。もう無くなってしまったが。

駅の東西に建っていたややボロッちかった東急東横店。ここの搬入口がどこにあったかというと、現在ストリームになっている東横線高架下にあった。(古い画像

https://goo.gl/maps/tA5i7NkHkTGbhhce9

ここからR246の下を通り、東横東口店までずっと地下トンネルが通っていた。

更にここには空港手荷物コンベアのようなコンベアがあり、行先(受取り先)が書かれた専用のコンテナに入れて流すと東横店の方に着くというシステムであった。こんな風にシステムになったのは246の掘り下げ工事があり、途中にエレベータを挟んでいたためだと思われる。

このルートというのは全部東横線の高架線と駅の下だ。高架の下に後からトンネルを作るのは危険だし難しい。

まり昭和2年東横開業時にはすでにこういう通リになっていたという事である

因みにこの近くには稲荷橋という橋があったので「稲荷橋搬入口」と呼ばれていた。というか、最近行ってみたら川が無くなっているのに橋だけ残ってたわ。

東横店は無くなって今は新しいビルになってるし、稲荷橋搬入口はストリームになってるが、あの地下搬入路はそのままのはずだ。

あれは今どうなっているんだろうか?東横店跡の新しいビルストリームの地下で荷物輸送に使われているんだろうか?実に気になる。

肝心の「東横東口店と西口店の間はどうなっていたか」については西口店の方に用が無かったせいで不明である。無念だ。JR線地下を通っていた、京王マークシティの方にあった、二つの可能性がある。

開業当初は国鉄より頭の固い鉄道省と別会社帝都電鉄だった訳で気になるのだが…ちゃんと見ておきたかった。

 

スキーム輸送スキーム

 

これらには公共である道路を潜って離れた場所に繋いでいるケースが多い。

普通はこういう占有方法は認められないが、施設公衆性が強い場合は許されるのである私鉄道路地下を走っていたり病院渡り廊下道路跨いでたりと同じだ。

デパート場合公衆性は、公衆自由に立ち入り出来て買い物ができる、市場性格がある事だ。だからデパートは会員制の立ち入り規制的な事が出来ない。 

 

余談だが、中野ブロードウェイまんだらけ性的商品通路側に陳列して対面の商店トラブル、その商店ネット民攻撃して炎上するというトラブルがあった。

この時にネット民中野ブロードウェイ私有施設から陳列は自由まんだらけ占有面積は大きいので施設運用でのヘゲモニーがある、というような考えを開陳する人が多く居た。

でもこの法的スキームを知っていたらこの考えは間違いという事が判る。中野ブロードウェイ公衆施設一種でありそれは立ち入りが自由である事だから、そこの通路公道が準用される。

そこに性的な陳列をしたら独立店舗の中での陳列よりも厳しい基準取締りが行われるのは当然なのだ。実際まんだらけはガサ入れされて商品押収されて件の店舗は後に閉鎖する事になった。

 

また、デパート売店床面積を最大化したいのでこういう離れた箇所に搬入口を作るのである。だからビル裏に搬入口を作る場合はその面積を最小化したい。

売り場を持つ業者は相当な数になるので、それらが少量ずつ荷物を持ち込んだら忽ち渋滞だ。

そこでデパート流通センター搬入代行業者倉庫搬入して、そこからまとめてトラックに混載してデパート搬入するという形になっている。

当然その業者には委託料を支払わねばならない。だから利幅が小さくなるのでその分価格を上乗せする他無い。故にデパートで買うとどうしても高いのだな。

これはデパ地下の小さな食品売り場、レストラン街の業者もそうなので、地方業者東京などのデパートに出店する場合、支社をその代行業者倉庫内に置いてしまう事もよくある。

東京支社長就任おめでとう」とか言われて辞令を受け取ったら倉庫勤務とかになっちゃうわけだ。つらい。

 

大阪名古屋編を誰か頼む。

2023-03-30

モザイクとは何だったのか?その変態性に就いて

新宿モザイク坂が先週で営業終了との事で話題になっていたが、知る人は少なかろうがあそこは実は高架道路なんである

斜路の高架道路階段設えたりタイル貼ったりしたのがモザイク坂だったのだな。

じゃあなんでこうなったのかというのには経緯があるのでちょいと書いてみたい。

 

西口歩道橋時代に空中駐車場への通路として開通

モザイク坂は京王デパート小田急デパートに挟まれているように見えるが、実は小田急の駅上の京王デパートに隣接した所を通っている。

例えば小田急の降車ホームをよく観察すると

1.南側が狭くなっている

2.南側天井が斜めに低い

という事に気付くはずだ。https://goo.gl/maps/LoyBvgAkdnU7oubeA

この斜めは何かと言えば、そう、モザイク坂の高架道路斜路が上にあるんである

 

1966年に今の地下広場を擁する西口の立体ロータリーが完成するのだが、その前には大歩道橋があった。今のモザイク坂登り口横の京王入口付近から丸の内線入口付近まで続く広くて大きい歩道橋があり、国鉄駅や小田急駅に接続していた。

これは小田急京王←→国鉄←→地下鉄国鉄←→バスの乗換客がぶつかる事を避けて分離するためだったと思われる。ペデストリアンデッキの走りだね。

国鉄商売下手&流通事業基本的に認められていない為に市街活性化の為に駅ビル民間が建てて運用する事になり、小田急は自社改札~地下鉄までの権利を獲た。

さてそこで困ったのが駐車場をどうするか。当時はモータリゼーションの途上だったが、自動車は富裕の象徴でもあった。ならば百貨店の高級イメージの為にも駐車場は欠かせない。

そこで小田急線のホームの上に高架式の駐車場を作る事にしたのである

まずは丸の内線上にビルを建て(現小田急ハルク)、そのビルから小田急線改札までに本館を建てる。

更にホームの真ん中辺りの上空に鉄骨を組んだ人工地盤建設して地上4階の駐車場にする。

改札上空にも鉄骨を組み建て本館と連結させる。その拡張本館と空中駐車場を繋ぐ。

そして本館横の京王デパートとの隙間を登り口とする高架斜路で駐車場に繋ぐ。また、線路を大きく跨ぐ甲州街道に出れるようにこっちにも高架道路を作る。

https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.690359&lng=139.699506&zoom=18&dataset=tokyo50&age=10&screen=2&scr1tile=k_nlii1&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

なんでこんな凝ったデザインにしたの?と言ったらあれですよ。当時完成供用開始された首都高速道路。あの「未来っぽさ」を模す為にわざとビルの隙間を縫う高架道路にしたんだと思われる。

それに小田急本館の横に入口を設けられるからアピールやすい。更に完成した時は歩行者デッキがあるからそこに車入口を作っても歩行者の妨げにならない。

近未来感&利便性ですな。

 

西口ロータリー改修で廃止の憂き目に

ところが空中駐車場が出来て数年後には西口の立体ロータリー工事が行われ、地上+歩行デッキの二重構造で歩者分離していた交通が地上+地下の二重構造になってしまう。

更に京王デパート開業すると歩行者の通行も増えて車が歩道を斜めに渡って斜路登り口に行くのが危険になってしまう。

しかも登り口横に京王デパート入口が出来てしまった。更に小田急線の一階改札出口の横でもあってバス乗り場にも近く、更に更に地下への階段も出来てしまった。

そんな人とバスタクシーがひしめく所に車で斜めに入っていくなんてとんでもない。

という事でこの登り口は廃止するしかなくなってしまう。後には歩道ガードレールでも塞がれてしまい、プチ首都高の高架斜路はトマソン化してしまった。

大きい電鉄デパートの間に錆びたゲートで塞がれた寂れた廃道があるという光景である。この状態10年以上放置されていた。

空中駐車場の方は甲州街道から入れるからそのまま供用されていた。また、空中駐車場は二層構造になってて一階降りると荷捌き場があったようである

ロード

小田急としても始発駅のデパートのすぐ横に「廃」なものがある状態いつまでも放っておくことは出来ない。

そこにミロード建設の話が持ち上がった。ホーム上空で開いている空間甲州街道側に連結するビルを建てようという計画だ。因みに当時南口はかなり寂れており、古い跨線橋に改札があるだけで、しか甲州街道の陸橋の真ん中に出てしまう上に小田急にも京王にも乗り換えが出来ずに不便であり通行する人も余りいないような状態だった。

そこに敢えて出店するとともに小田急線の改札も設けて人流を作ろうという計画だ。

そして放置プレイ状態の廃高架道路通路として活用する事になったんである

からモザイク坂は1990年代の中頃まで「モザイク坂」とは一般には呼ばれずにミロードと呼ばれていた。

 

当初のモザイク坂は今の様に斜路+階段半々ではなくて全域が緩い階段になっており、坂の途中にはキヨスク形式の店というかスタンドが途中に2軒程度あるだけだった。

坂を上がった先は広くなっているがここが元の空中駐車場で、駐車場としては廃止。でも西口地下に駐車場が出来ているか問題がない。

ここの空中広場は大きなサンシェード的なテントが掛かっていたのだが、テントが掛からない切れ目が斜めに通るようにしていた。またイベントスペースとステージがあって芸能人が来たりラジオスタジオがあったりした。

この広場は明らかにフランス欧州古都にある都市中庭を模していると思われる。アパート群に囲まれた地上数階の場所広場があってマルシェバザールが開かれている、あの宮崎アニメ的なイメージだ。

また階段途中に平べったいキヨスク的な店舗が点在するのなんかはモンマルトル的だ。多分デザイナーフランスあたりの都市構造を知っている人物なんじゃないかと思う。

ただ80年代という事もあって店舗の方がダサかった。

 

こうしてミロードの付帯物件だったので2000年くらいまで駅南口の方に抜ける事は出来なかった。

広場の左の方にミロードへの入口があるのだが売り場に入ってしまい、更に階が違うのでエスカレータ下り必要があった。電車に乗る時に売り場を通過するのは結構ストレスになる。

 

構造珍妙

駐車場廃止できたが、デパートでは重要搬入口は廃止出来ない。そこでモザイク坂上広場結構複雑な事になっている。

広場の左側(東側)には店舗があるが、じつはこの上は荷捌き場と搬入車駐車場になっている。

最後は通り抜け出来るようになっていたドン付きの上はよく見ると面台のようにミロード躯体との間に何やらスペースがあった。

https://goo.gl/maps/aYLf6WuWewEhw2bd8

実はこれは搬入車用の道路で、甲州街道から急坂で登ってきてここでクランクを曲がって左側店舗の上で荷卸しをするんであった。

このクランク甲州街道搬入入口間は急坂になっているが、この区間は高架道路である。つまりロードの下の方は駅ホームでその上の方の端っこには高架道路があるというスカスカ構造だ。ビッグサンダーマウンテンみたいである。

2000年頃?開通したミロード通り抜け通路は登ったり下ったり構造が複雑で、特に変な出っ張りがあった。

https://goo.gl/maps/Wqd4ZQC9qPdAnWof9

こりゃなんだ?

右には高架道路が急坂で下って来ていてその真ん中へんなのだ。つまりはこれは高架道路の橋脚が出っ張ってるのを避けてるって事である

 

また、旧駐車場のミロード広場が鉄骨の人地盤モザイク坂が高架道路という構造の為にジョイント存在する。

広場と坂の接続部と、高架道路の橋脚の上の各橋桁間に一見排水路メンテナンスリッドのようなものがある。

https://goo.gl/maps/LBz4QRy4tYHpZkCd7

これらはジョイントカバーで、大地震の際は各構造物の揺れ方が違うのではじけ飛んでしまうので危ない。地震の際には離れるべき…もう立ち入りできないけど。

たこジョイントカバー階段途中の店舗の中にも存在し、坂に対して直交だけでなく、それにT字に交わるものもあった。

T字になっているのは店舗の奥の方が小田急本館躯体に支持されているからと考えられる。明らかに本館に食い込んでいる店舗もあった。

また、高架道路には両側に腰くらいのコンクリ壁があるが、京王側にはそれが残っていたが

https://goo.gl/maps/dTeGpTE7c3S3KeLv6

小田急本館側は店舗の奥行きが拡大されており、撤去して本館躯体まで床を拡大する工事が途中で為されたと思われる。

 

利用していた人らやここで働いていた人らもここが高架道路の上とは思ってなかったんじゃないだろうか?

 

耐震工事してあったのかな?

阪神大震災で数多の高速道路鉄道高架橋が落下してしまい、急遽全国的に落下防止装置、橋桁を巨大チェーンやワイヤで橋脚と繋げるあれの工事をしたのだが、モザイク坂はやってあったのだろうか?疑問である

モザイク坂とミロード、一度下から見てみたかった。

みんな気が付かなかっただろうけど相当な変態構造物だったんだよ、というお話でありました。

2023-02-12

結局自分が正しかったじゃないか小学校時代教師PTAたちのバー

ありがとう春日部駅東口改札口の声まとめ!

https://togetter.com/li/2074664

春日部駅は約10年後に高架化をめざして工事が始まりました。それに伴い春日部東口側の旧駅舎の改札口役割を終えて、2023年2月4日より仮駅舎へと引っ越しになりました。

この記事を見て我が故郷春日部と、今から30年近く前の小学校時代の思い出がよみがえった。

図工の時間で「20年後春日部」というテーマで絵を描く課題が出た。

100年後の未来だったら、ドラえもんのような空飛ぶ車だの不思議な形な建物だのを好き勝手書けるが、20年後という中途半端未来却って想像が難しかった記憶がある。

当時の自分画力や発想力はないため、下書きの段階では春日部駅西口から見た風景で、ビルが数本立っているようなスカスカな絵を書いて教師のチェックを受けに行った。

ひょっとしたら、多分当時の春日部駅ほとんど変わらない風景だったかもしれない。

教師は開口一番「うーん、夢がないなあ」と言い、書き直しになった。

級友たちは空飛ぶ車だったり今でいうハイパーループチューブ縦横無尽に走る超未来の街並みやおおよそ街とは言い難い花でいっぱいなファンタジー世界を描いてOKをもらっていた。

はっきりって子供心にも非現実的に感じ、とても「20年後春日部」のテーマに沿っているとは思えなかった。

結局自分は1階と2階の両方に電車が出入りし、ビルが乱立する春日部駅を描いてようやくOKをもらえた。

その授業が終わってしばらくした後、旧友のだれかの非現実的な絵が(うろ覚えだが)市かPTAかの何かに推薦表彰され、子供心に「20年後にこの春日部は無理だろ」と思ったことは覚えている。

あれから30年近い時が過ぎた。

今、春日部駅はどうなっているか

春日部駅 西口」で検索してグーグルストリートビューで見てもらえれば分かるが、自分最初の下書きが最も正解に近い。

タイムマシンで当時の教師PTAたちにぶちまけたい。

20年以上経っても、空飛ぶ車はおろか、春日部駅の高架化すら実現できておらず、

下り方面にある開かずの踏切もずっと放置、駅上改札すらできてねーよ!

東口方面にあったロビンソンLAOX撤退し、衰退の一途をたどるんだよ!

何が夢がないだ?

これが現実なんだよ!

無責任な夢を子供押し付けるんじゃねーよ、バーカ。

ついでに言うと、PTA蛇蝎の如く嫌って潰したいと思っている『クレヨンしんちゃん』だけど、

ヨーカドー広告に使われたり、春日部市のシンボルキャラクターとして採用され、

大成功を納めてるから、ご愁傷様。

2023-02-03

名古屋駅西のゆりの噴水が撤去西口一帯を丸ごと更地しろ

俺が許す、やれ河村

2022-11-30

デイリーポータルZの「埋まったライオン」の過去

何故かDPZオンライン調査不十分なんで調べた結果を公表するよ。

現場第三京浜玉川インターチェンジ近くの多摩川左岸東京都側)だ。座標としては「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」だ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/tamagawa-lion

 

Google Earth

まず、Google Earth過去イメージが見られるので見てみよう。

Google Earthを起動して検索窓に「35°36'08.29" N 139°38'19.63" E」を入力。拡大すると草原の中にオレンジ遊具が見える。拡大しすぎるとストビューに切り替わるのが大変にウザイ

 

メニューバーの「表示」→「過去イメージ」にチェックするとスライダーが現れる。

鮮明な画像が得られるのは余りない。1997/12、2004/12、2007/12、2010/5、それ以降くらいだ。

1997年12月:オレンジ、白、白の三つ巴になっている画像が見られる。2つの白いのは消失した遊具と考えられる。

2004年12月:白い遊具が一つ消失しているのが判る

2007年9月):台風河川敷洪水画像無し。

2007年12月:上記のまま。オレンジ遊具+白い遊具1つ。

影の長さから遊具の高さを推定する。ここは東京電力送電線の真下なので注意看板がある。看板の高さは1.8m。ライオンの影はその1/4。オレンジライオンは頭の部分だけが高く、影もその部分だけ長くなっている。看板の1/4なので50cm程度と推定される。後に人がしゃがむ画像が出てくるが、大人がしゃがむと約1mでその半分の高さなのでこの推定は合っている。

また、右に寝っ転がり後ろ足を左に投げ出したデザインという事も判る。(足の部分は現在埋まっているので見えない)

白い遊具の影の長さはライオンの頭部の1/3位だが、遊具中心から距離を考えるとライオン頭部の1/2。つまり遊具の高さは25cm程度と推定

2010年5月:白い遊具消失

2019年10月):台風19号で洪水画像無し。

2020年10月ライオン遊具の周りが凹んでいる。

 

ストビュー

次にストビュー過去イメージを見てみよう。ストビュー過去を見る時は、車通りが多い道から見える箇所がないか探す事だ。徒歩道では全天球カメラを入手した物好きがスポット撮影したものしかないが、大きな車道ストビューカーが何度も撮影している。

それで非常に重要なのがこれだ。

https://goo.gl/maps/XDnKwZfkz2V1YzRs5

ライオンが傾いてしまっているのだ。2014年3月撮影だ。また、しゃがんだ大人子供が近くにいる。

左上の日付箇所をクリックするとスライダーが現れる。2014年7月に移動して欲しい。

なんと戻っているのだ。更に高さも戻っている。

次に2020年2月にして欲しい。2019年台風19号の翌冬だ。

高さが変わっている。地面より深い所に居て、しかも周りを掘ってあるのだ。

 

保守管理痕跡

多摩川河原はこの25年で2つの大きな台風による洪水に見舞われている。2007年9月と1019年10月だ。

この台風前後遊具に起きた変化は次の通り。

2007年消失無し。少し埋まる。

2019年消失無し。大分埋まる。

 

変化があったのは次の通り。

2004年以前:白遊具一個消える。

2007年2010年:白遊具もう一個消える。ライオンだけになる。

2013年2014年3月ライオン傾く。

2014年3月7月:傾き直る。

2019年6月2020年2月大分埋まったライオンの周りが丸く掘られる。

 

こうしてみると、他の遊具が消えたのは台風のせいじゃない。

そもそもこういう遊具は古い薬局の前のサトちゃん人形みたいに、FRP製で中に鉄のアングル材の骨組みが入っている。更にここは洪水浸水する地域なのであらゆるものが水に浮かない、流されない重さで作られているはずだ。中にコンクリが充填されているかもしれない。台風で流されたりは考えにくいのだ。

そして傾いたライオンが起こされたり、周りが掘り返されたりというのは、保守されているという事だ。

更に洪水で泥が堆積する箇所というのは土壌が肥沃であり、草は伸び放題になる。つまり草が低いというのは毎年この個所を草刈りしてるという事だね。

 

とすると、白い遊具は「撤去された」というのが真相ではないのか?2004年以前に一個と2007年2010年にもう一個撤去されたと。

理由は、壊れたとか、クソ重たいのに3つも掘り返すのめんどくせぇ委託業者高齢者が多いのによぉ、とかそんなところかなと。

 

増田の当て推量

最初Google Earthで見た時には白遊具はただ埋まってるだけかも、と思ってスコップ持って出かけようとしたが、ストビュー見たら2019年台風19号以前にすでに消えてたのでこれはやはり撤去結論した。

つーわけで、放置プレイに見えるが管理されているのでした。

ただ、隣の砂場は土に埋まってるのは確実なので、掘り起こしたら砂場が復活…するけど土砂の堆積が50cm近いので、落ちたら出られないアリ地獄的な砂場になりそうだ。

それと、ここは送電線の真下なので管理東京電力がしているという可能性もある。つまり公共地(河原の主有権は誰にもない)を使う(地上権設定)見返りに公園の一部として整備した、って感じかなと。

公園多摩川遊園)全体は自治体管理なので遊具を置かなかい原っぱや避難場所とかの今風に変化させられているが、送電線下だけは東電建設省(当時)の取決めがあって、設置物は東電のものなのでいじれないんだよねぇ…という、アキバヨドバシの角に小さいビル(Veloceが入る)があるみたいな事かなと想像する。

からDPZ東電にも取材しないとダメだと思った。 

 

 

 (

最後アキバヨドバシ角のビルの事が気になる人がいると思うので説明すると、あのビル青果仲買人協会土地西口ダイビルUDX青果市場跡地で、東口のヨド、富士ソフトロータリーTX駅は高架式貨物駅だったので、仲買人は駅の中を通って市場に行っていた。秋葉原貨物駅では当然青果物も大量に扱うので仲買人は国鉄下請け日通にとってお得意さん。そこで貨物駅一角譲渡して仲買人事務所を建てた。あの一帯はJR日通が所有する貨物駅跡地をそのまま再開発したもので新たな地上げは行っていない。故に、あの角ビル地上げ抵抗した結果というネットでの風評は間違い。元々お得意さんとして市場の仲買人を国策誘致した土地

2022-10-03

NHKブクマカも雑踏事故を甘く見過ぎ

インドネシアスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたか暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html

はっきり言って間違いだと思う。素手暴力でこんなに死者は出ない。

一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。

日本警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。

 

行政権としての警察権力

警察司法権機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。

から雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。

店の外の行列放置していれば「ちゃん店員警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。

 

警備業というのは監督官庁警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長警察上がりというケースも多い。

元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である

右翼ボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼ヤクザと不可分の所も多かった。

 

昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマ放送されると雨後の筍のように警備業者起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営企業舎弟会社が大量に入り込んでしまったのである

警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。

一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以暴力の独占であり、警察コピーした暴力世間にあってはならない。

また、道路工事での交通規制でも警備員必要だが、土建業というのはヤクザ企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザ資金源になってしまう。

という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察監督庁とする許認可事業で、前科がある人間雇用禁止警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。

警察天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。

因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。

兎に角暴力装置代替ダメなのだ

 

日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。

雑踏での人の流れは流体として考える

 

雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。

 

一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。

例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合通路入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。

だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。

これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。

後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。

後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。

これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。

 

ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。

更にボトルネック手前の壁に当たった人間通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。

でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである

から「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態継続した状態にせねばならない。

 

ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。

立体交差する駅で秋葉原駅階段一本で山手線総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?

これは秋葉原通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設南浦和痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ

電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。

秋葉原では短い階段ホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険状態になってしまう。

 

地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路増設した。

出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。

過去の事例

 

日本の雑踏警備に影響を与えた事故というのがいくつかある。

 

彌彦神社事件1955年

新潟神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道石垣が崩れて100人以上の死者。

だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。

これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。

 

日暮里駅跨線橋事故1952年

列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故

対面クサビ状態ボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊

 

上尾事件1972年

雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧

翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京カオス状態に。

大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。

なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。

 

宇崎ちゃん献血ポスター騒動の地と閉鎖区画フォークゲリラ集会禁止政策

数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスター公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。

この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口JR京王の乗り換え通路である

ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。

この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。

照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。

実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。

ここが広くなっているのは1966年竣工西口立体化時に地下広場として作られたかなのだ1969年学生中心のベトナム反戦集会新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたもの東京都は「通路」に変更するという禁じ手使用通路公道占拠道交法違反)。

だがこの後も若者が集まり勝手ギター演奏などは続いていた。

そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。

 

時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場有効活用として即売会催事場としての活用をするようになった。

初めはしょぼかったが、やがて政策アピール掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用イベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。

そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。

 

上記のように日本警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。

広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在ロシアみたいな事になってしまう恐れもある。

で、最近だと東京駅や池袋駅西口渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。

そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。

あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。

 

という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。

インドネシアのは警察問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険構造なのだインドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか

1964年ペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。

警察が私らを人間扱いしていない」との被害者コメントが報じられているが、インドネシア警察人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

2022-09-17

父と、飲む。

いつかロバート秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。

池袋の夜は華やかはあれど、昭和香りが煙たく漂う古臭い場所だった。

まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気

バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人しか受け入れられない古臭い匂い池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。

新宿歌舞伎町が、かつて持っていた日本一ネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つの池袋西口なのだろうか。

父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。

この街は変わらないと。

目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。

東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である

父が過ごしたアパートは、住宅街入口付近にあった。

今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。

あぁ、大学回生の頃に、ここの小学校プールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。

それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。

キザすぎるセリフ真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。

腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガントムクルーズよりもカッコよく見える。

普段は、そのものになりたいと思えない父も、なんだか憧れた。

父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。

池袋西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。

父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日不思議説得力を持って聞こえた。

どうしても話したかった話があるという。

息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。

お前が成人してようやく話す時がやってきた。

それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。

自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。

「俺は友人の父親の話に昔、もの凄く感銘を受けたんだ。

その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。

それを話したいか今日お前をここに連れてきてるんだ。

じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。

から友人は成人した時に、父親銀座キャバクラに連れられてったらしい。

酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?

俺の奥さん美人だろう?そう言われたんだ。

その時に俺は、コイツはなんで人生成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。

友人は自分父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。

これが人生成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」

その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。

振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。

そんな私がなぜだか悔しかった。

2022-08-23

anond:20220822215327

私は金をけちってJRのには乗れなかったから、地方←→新宿駅西口発着な私鉄系の高速バスな感じだった。

夜、新宿駅西口から出る時でもヨドバシ営業してて明るい感じなのがさすが都会だなとか思いながら乗ってた。

あの西口の乗り降り場も無くなってちょっとだけ寂しい。

2022-07-12

anond:20220712182318

こいつうざいわ〜カルト側の弁護士やな。

ただのご都合主義

政府はいつでも課税できる。

小泉首相創価学会

“急接近”の裏事情は…

 「小泉(純一郎)首相がいつ、池田(大作創価学会名誉会長と会見するか」。通常国会前の永田町で、こんな観測が流れています。それというのも、首相創価学会が昨年秋以来、急接近しているからです。

野中氏の発言

 事の発端は昨年暮れ。「自公パイプ役」とされる自民党野中広務幹事長が突然、「公明党が(イージス艦の)派遣同意するなら、私の友情は捨てなければいけない」(十二月一日)と発言。その四日後には、自民党税制調査会で「宗教法人への課税を含めて、聖域を設けないで議論する場があっていい」と、こんどは創価学会意識したけん制です。

 野中発言はさまざまな憶測を呼びました。同氏と公明党創価学会が親密なことはつとに有名だからです。野中氏の“怒り”の背景を探ると、小泉首相創価学会の「野中氏や、公明党さえ頭越し」ともいうべき急接近が浮かんできます

高輪ホテル

 その最たるものは、最近になって一部で報道された昨年十一月二十一日夜の、東京高輪ホテルでの極秘会談首相が持ちかけ「青木氏(幹雄参院幹事長)らが仲立ちした」(「朝日」)とされるこの会談の出席メンバーは、自民党側が両氏に森喜朗首相を加えた三人で、一方の創価学会側は、秋谷栄之助会長と、池田名誉会長の側近・八尋頼雄副会長の二人。席上、首相は国政補選での同会の支援感謝し、公明党が嫌う早期解散がないこと、増税見返りの児童手当拡充の容認などを伝えたと言われます

 実は、小泉首相創価学会接触は、話に出た、昨秋の国政補選の時から、との見方が有力です。関係者によると、「衆院大阪十区応援に入った首相十月十三日夕、高槻市ホテルで、野中の“盟友”学会西口良三総関西長(副理事長)らに会い、頭を下げ手を握った」といいます

 その後、首相として初めて公明党大会(十一月二日)であいさつした小泉氏が、池田名誉会長撮影写真を激賞したことはよく知られています

 小泉首相出身派閥森派清和会)に詳しい政治ジャーナリストは言います

麻薬”を飲む

 「これまで自民党の中でも、創価学会公明党とかかわってきたのは田中角栄元首相以来、野中、青木らに代表される旧経世会で、清和会はむしろ学会色が強かった。が、選挙で勝つには背に腹は代えられぬ。落ち目自民党が、学会票という“麻薬”を一度飲んだらどうなるかの良い例だ」

 一方で、こんな話もあります。「接触創価学会側が持ちかけながら、学会の強い要求で『首相から接近した形』にした」(首相周辺)

 日蓮正宗から破門(九一年十一月)され丸十年たった昨年三月創価学会は「会則」「規則」を大幅に改正。その中で「…国・地方自治体選挙に関する対応協議・決定する機関として、中央方面、県の各本部にそれぞれ社会協議会を置く」(会則第四十五条)と公然とうたい、宗教団体なのに謀略的選挙活動に狂奔しています

 いっせい地方選総選挙を前に、解散権をにぎる権力者に急接近する創価学会。周囲に「早く一匹狼(おおかみ)になりたい」などと弱音を漏らしながら巻き返しを狙う野中氏らとの関係がどうなるか――。

 いずれにせよこの三年間、多くの国民が実感したように、自公連立が深まるほど、国民不在の悪政がひどくなることだけは疑いありません。

2022-06-20

anond:20220620222818

西口飲み屋ビルの2階でしょ。それ石井スポーツ

ビックロに入ってた店舗もなくなって、まとめてヨドバシの地下に移転した。

広くて使い勝手はよくなった気がする。

2022-05-08

昼間、駅前を歩いてたら東口では創価2世3世若者たちがなんか署名活動公明党のビラくばりしてて、西口ではれいわ支持者の老人たちが「国は年金株式投資してるんですよ!」とか騒いでて、なんかもう、どちらもかわいそうやったね。

2022-04-03

anond:20220403181020

へー!!自分池袋外食するとき西口エリアに行くことが多いので (キッチンチェックとか、、)、帰りに寄ってみますありがとうございます

2022-02-28

気持ち悪いので吐きに来た。

世界とどこかでつながっていたい気持ち。でも完全につながっているんじゃなくて、安全なところに隠れて、そっと伺い見るような、そんなのを望んでいる。誰かが話しかけてきたら逃げてしまうだろう。いや、そんな気取られることすら嫌だ。そっと、屋上の物陰とか、屋根裏の隙間からとか。

ぼくは出て行っていいのかな。挨拶をしたり、話しかけたりしていいのかな。ぼくのような出来損ないが。

 

LIVE東京新宿駅ライブカメラ Shinjuku, Tokyo JAPAN - YouTube

 

あの新宿南口は、何度も行ったり来たり出たり入ったりしたところ。高校生の頃からおなじみの場所予備校の帰りとか、入試日のチキンライス弁当とか。

受験弁当を駅の西口コンコース階段の広い踊り場にある売店で買って、いつも唐揚げチキンライス弁当で。30年以上前のこと。

ほんとうに、ぼくはどうしてこんなに無駄に回り道ばかりしているんだろうか。それとも回り道じゃなくて彷徨っているだけなのか。目的地すら知らない。もしかしたらずっと東の彼方に見える海峡の向こう、もしくは夜の黒い平原の彼方の光の粒に向かっているつもりなんだろうか。

降る雨が窓ガラスに降りかかり、細く開けた窓枠の横の隙間から右手を肘まで出して、手には何か棒状で平らなもの、たとえば定規とか持って、バスのワイパーになったつもりで動かす。扇形に。5歳、6歳のぼくだ。

あの頃、目的地なんて知らなくて、そんなものなくても平気で。でも、毎日から叱られるのは嫌だった。脚を持たれて逆さにぶら下げられたり、床の上を引きずり回されたり。お母さんはいつも寝ていて、話しかけても叱られるだけで、そして仕事から帰ってきたお父さんに告げ口して、同じことでお父さんから叱られて、それも毎日時間、2時間、立ちっぱなしで。晩ご飯を食べながらお父さんは叱り、食べ終えても叱り。

知らないおじさんおばさんのくせに。

 

家の前の石段で苔の盛り上がりを撫でたり、側溝の流れに揺れるご飯粒と、白くなったミミズの死骸の生臭さをかいだりしていた頃。自分のつま先よりも大きな石が転がる砂利道を歩いて、道端のコンクリ製のゴミ箱の中をのぞき込んだりしていた頃。台所の電灯の笠のスイッチを回す「キュッ」という音で夜がやってきていた頃。

 

ぼくはずっとあの町で過ごしたかったのに。あそこが一番素敵だったのに。寝台特急サンドイッチと、そして車窓から射し込む朝日コーヒー匂いで騙されるようにして、知らない町、知らない大人のところに連れてこられた。そして、学期途中から入った幼稚園初日、園庭の遊びの途中に他の子に触られて吃驚して、ぼくはその女の子を叩いて、そしてぼく自身が泣き出した。

通園バッグのパイピングは、ぼくの噛み痕ですぐにぼろぼろになった。ワイシャツも、吊りズボンも、蝶ネクタイも、カンカン帽も嫌いだった。

小学校も知らない町だった。卒業するまで、両手指は深爪のままだった。だって、通園バッグを噛むわけにはいかないから。「よくできる真面目な子」が通り相場だった。十本の手指だけでは足りなかったが、幸いなことに体は柔らかかった。ニ十本で何とかなった。

中学校友達のいない遠くの私立で、中高生友達も出来ず、大学受験宅浪で、でも共通一次は頑張った。しかし、それをお父さんは認めてくれなくて、国大で最底辺の遠くの学校しか許してくれなかった。入学しても受験勉強して大学を受け直せとお母さんには言われた。

そんなぼくに、何ができただろう。

 

靴は指を丸めて履くんだと思っていた。だから、駈けっこはいつでもビリだった。中学生になるまで、両足指の関節は丸くタコのようになっていた。靴は指を伸ばして履くもんだと知ったのはいつだったろうか。

 

うん。

中高生とき、ぼくは何をすればいいのかわからなかった。大人は「テストで点をとれ」とばかり言うだけで、それにはどうすればいいのか、そんなことは一言も教えてくれなかった。「勉強しろ」としか言わなかった。勉強って何? 何をどうすればいいの? という質問すら思いつかず、おそらく思いついたとしても質問自体が禁じられていただろう。「そんなこともわからいかダメなんだ」って叱られただろう。もしかしたら物を投げつけられたり、殴られたりしたかもしれない。教師は笑って相手にしてくれなかった。

勉強する、身につける、試験でそれなりの成績をとる――そこへ向かうには、幾重もの疑問や課題障害不安ひとつずつ解決していかねばならないというのに、それを一気呵成にぶち破れるような幻想を抱かせる言葉しか手許にないとしたら、夢の中に暮らすしかないじゃないか

そして、ぼくは夢の中に逃げ込んだ。

東の窓。黒い平原。地平線の光の粒々は未来都市宇宙港。ほら、横切る点滅は惑星からの到着便だ。低く流したAMラジオハチミツたっぷり紅茶大学ノートに青インクの極細サインペンで思いつきを書きつけていく。お手本は稲垣足穂

そうか、40年も同じことを続けているのか。

大したもんだ。

夢の中に40年間も暮らしている。

おかしくもなる。中も外も。

ぼくの人生復讐か。復讐する相手は、もういないけど、居る。だから、ぼくは自分自身復讐する。

道理で苦しいわけだ。

 

息子には味わわせたくない。

2021-12-18

駅の出口

北口南口東口西口

どれも日本地図を思い浮かべないとダメ

どうやら方角を方角として理解しておらず

上下左右として認識している模様

2021-12-16

anond:20211121220151

かつての西口広場のような人が自然と集まる溜まり場が街にあることは民主主義健全サステイナブル機能するための必要条件じゃないかと思う。

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