はてなキーワード: 褒め言葉とは
理由は簡単に言えば「望む感想を得られなかったから」だった。自身のブログでそう語っていた。
感想がもらえなかったからではない。望む感想が得られなかったからだ。
その人は美しい絵や可愛い絵を描く人だった。
この表現も嫌なのかもしれないが、多くの人の感性ではどうしてもそう見えると思う。
その人は「美しい」や「可愛い」と言われるのが嫌だったらしい。多分、きっと、書き方的にこれらの表現が安っぽいと思っていた。
更に詳細に言えば「美しいけど寂しい絵」や「可愛いけど残酷な絵」を描く人だった。
その人の表現していた寂しさや残酷さは少なくとも私には伝わっていた。きっと他の人にも伝わっていた。
けど、言わなかったのはこれらがネガティブに捉えられうる言葉だからだ。例えそう思っていても作者にネガティブな言葉を伝えるのは緊張する、だから同じ褒め言葉の中でポジティブな単語を取り出して伝えていた。美しいと思ったのも寂しいと思ったのもどちらも嘘偽りない感想だったから。
でも、これが嫌だったみたいだ。
今まで一度もそんなこと言わなかった。
ここ十数年で掛けられた感想や応援は何一つ心に残ってないとも言われてしまった。
本当に好きで、好きで、必死に言葉を考えて伝えていた。けどそれは無意味だと言われてしまった。
そのブログにはいくつかのコメントが寄せられた。どれも絵が好きだと褒めるものだった。私は何を書いたらいいのかわからなくて何も書き込まなかった。
後日、その人はコメントは控えてほしい。コメント欄を閉鎖したいが仕様上できない。とブログで書いた。海外からのコメントを除き、全てのコメントが消えた。この時、コメントを自主的に消してくれた方々は、あなたのことが好きな真のファンなのではないかとずっと思っている。
責めたいわけではないのだが、何故ブログというあなたのことが好きな人くらいしか見ないところでこれを書いたのだろう。多分あなたが悩んでいるのは通りすがりに美しい!可愛い!と伝えてくる人たちだろう。
何故、こういった感想をもらえると嬉しいと言ってくれなかったのだろう。そう言われれば、伝えても良いと判断してこちらからも言えるようになったのに。
何故、何か悪いことをしたわけではないのに、好きな絵師からこんな暴言が返って来ないと行けないのだろう。
どうしたら良かったんだろう
妻は専業主婦で、家の中のことはほとんど任せっきりだったんだけど、「私、Vtuberやってみたい…!」なんて言い出したのが先々月のことだった。
難しいんじゃないか?と聞くと、何でも最近はVtuberもアバターは手軽に作れるらしくて、普通の人でも割と簡単にデビューできるらしい。
まぁ、妻が楽しめるならいいかと、「やってみたら?」と軽い気持ちで背中を押したわけ。
その瞬間、「ほんとに!?」って妻の目が輝いたのを見逃すことはできなかったよ。
そのあとはもう怒涛の勢いだった。アバターを作ったり、マイクを用意したり、配信ソフトをいじったりする妻の姿を見て、「本気なんだな…」と少し驚いた。
元々妻は有名Vtuberの配信をよく見てたみたいで、必要なものを事前にリストアップしていた。
そうして、あっという間に初配信の日が来た。
妻がどんな風に話すのか、どんなコメントがつくのか、気になってしょうがなかったんだ。
ちなみに妻の配信は主にゲーム実況。身バレを防ぐためにどのゲームなのかは伏せるけど、再生数がぐんぐん伸びていくのを見て、俺は「え?こんなにうまくいくもんか?」とだいぶ驚いた。
妻はもう大喜び。その日は一緒にちょっと豪華なディナーにして、二人と一匹でお祝いした。
配信のコメント欄を見てるとさ、「かわいい!」とか「声が癒される~」とか、もう褒め言葉がずらりと並んでるわけ。
妻の前では「あー、そうか、そういうもんかー」って態度でコメント見てたんだけど、彼らは妻が既婚者だって知らないんだよね。
妻は俺のパートナーで、毎日一緒にご飯食べて、テレビ見て、寝てるんだってことを、彼らは全く知らないわけだ。
なんだこの優越感…!ってね。いや、冗談じゃなく、自己肯定感がヤバい感じになった。
だって、みんなが「かわいい」とか「声が最高!」とか言ってる相手が、自分の妻なんだよ?
そりゃ内心笑っちゃうよね。「ああ、この可愛いって言ってる相手が俺の妻だよ」って、一人でニヤニヤしながら画面見てた。
それだけじゃない。スパチャも少しずつ増えてきたんだ。
妻の配信中に「かわいい!」って言われるのも嬉しいけど、そのかわいさにお金を投げてくれるっていうのが、また俺の中で変な感情を呼び起こすんだ。
まるで自分の財産が認められてるかのような…いや、言い方が悪いかもしれないけど、妻が他の誰かに認められてるその瞬間を、俺だけが知ってるっていうのがたまらないんだよね。
彼らは知らない。
そして、妻もそれを楽しんでいるんだろうけど、俺はそのことをもっと楽しんでるんだと思う。
彼女はVtuberとしての成功を求め、俺はその裏で彼女の秘密を知っている。この事実に陶酔しているんだと思う。
今のこの状態が、なんだかとても心地いい。
・マスク取りたくない
・女扱いされたことがない
・彼氏って何?
・ていうか男が敵に見える
・ブスだから心もひねくれてブスになる
・見た目で面接落とされる
・化粧してもブスはブス
・プチ整形では追いつかない
・自尊心がない
・前世で悪いことしたんだろうなとか思う
・来世に賭けている
・引き立て役として使われることがある
・骨格もブス
・通りすがりの人に「ブス」って言われる
・悪い意味で二度見される
・酷いあだ名をつけられる
・ストーカーに合わないのが利点
ヒロシのひとりキャンプのすすめ、次回「ぼっちキャンプ(駅前食堂風味)完コピ企画」
大期待
真っ昼間に見てても寝落ちしそうになる癒やしの番組を、アニオタが再現出来るのか
リアル蟲師みたいなあの映像を、御手洗・坂本両カメラマンが再現出来るのか
(もう、蟲師続章のopをずっと流して林間に宿るヒロシを撮っとけばいいんじゃない?黄砂が舞ってるような色合いのフィルターかけて
あと、opはヒロシの顎のラインが綺麗に見える煽りVを使うこと)
それにしても今回は類を見ないほどの迷走っぷりで笑った
グルトと海苔と馬肉ジャーキー(犬の餌)が出てきたときの気まずさたるや
この番組は常に迷走しているけれども(褒め言葉)、今回は本当に迷走を極めていた
(ぼっちざろっくとかガールズバンドものは全く見ないので、まゆたんが大絶賛しているその声優さんは存じ上げないが、いつか呼べるといいね)
結論から言えば、高1で英検2級レベルを取ろうとしているレベルなら一度は止めたほうがいいかも。
実際に2年目くらいに就職のことを考えて教育やなんちゃら社会なんちゃら部に転部する人もそこそこもいる。
手前味噌だが、国際系の学部に行って一年留学してJTCに入社した子どもの中~社の過程でも書いてみる。
学校の定期考査くらいなら8,9割取れるけれど、
高校時代も英語の試験は苦手だったが、趣味と環境が変わったことで次第に好きに・得意になっていった。
趣味、というのはインターネットを通じて外国の人とチャットやゲームで交流を深めること。
環境、というのは、部活や校外活動を通して外国人と交流を深めること。
そういう経験と、手段としての英語に触れることで英語と海外について興味を深めていった。
なぜ行きたいか、について熱心なプレゼンを用意していたので結局折れて通った。
で、何でこんなことを言ったかといえば
英語ってのは、日本人にとってどこまで行っても所詮第二外国語なわけ。
そこらに十数年住んでるインド人や、中国人でもなんでもいいけど会話したことある?
日本語お上手ですね~という褒め言葉には、あくまで"外国人にしては"という枕詞が外れることはない。
だから普通は何か英語を手段としたコンテンツが前提あって然るべきなのよな。
だって、あらゆるコンテンツ(ゲームだろうが漫画だろうが小説だろうが)が日本語なわけで
そうであればまず国語の方が成績が高いはずで、次いで数学もついてくる。
英語が好きになった経緯を深堀りしたほうがいい。
例えば傾向的に女子が英語が得意なのは、コツコツ勉強すればすぐに結果に表れるから。
ゲームと同じ。単語と熟語を覚えて適当に口ずさむだけで点数取れるから。
そういう思考で英文科に行くのなら、反対したほうがいいと思う。
シェイクスピアだのギャッツビーだのヘミングウェイだの一冊でも読ませたことある?
創作した作品を卑下したりするようなことは、それを楽しんだ消費者を傷つける行為であって、あってはならないことだという意見。
ものすごくわかる! 正しい! その通り!
自分が産み出した作品を否定する。褒め言葉を否定する。高評価を否定する。
何がおかしいか淡々と説明する。問題点をあげつらう。感想を踏み躙る。
最低の行為すぎる。自分の作品を人質に他人をオナニーの道具にする。
そんなクソくだらない感傷のために遠回しに創作するような自分のことが本当に嫌いで、嫌いで嫌いで嫌いでたまらない。
だから、嫌いな自分の産み出したこの何かを楽しむようなやつも一緒に嫌ってもいいんじゃないかなんて思って貶す自分が本当に嫌い。
嫌すぎるしキモすぎる。
書こうか書くまいか悩んだのだが…。
私は或る有名人のファンの一人なのだが、ここ最近、一部の新規ファンの中に、その有名人のことをホストやキャバ嬢に喩えて褒め称える人が居て、非常に不快感を覚えている。
キャバクラやホストクラブのシャンパンタワーなどの画像と有名人をコラージュした画像まで作ったりとか。
勘弁してくれ…。
もしもこの文章を読んで心当たりが有った人は、旧来のファンが不愉快に感じていることに一日でも早く気づいて、そういった行いを直ちに止めて欲しい。
私たちは、ずっと平和にまったり過ごして来たんだよ。幼い子供も含めた家族ぐるみでファンをしているような人たちもいるんだよ。私たち、旧来のファンのコミュニティの中には。
此処には「褒め言葉として他人をホストやキャバ嬢に喩えるような感性」は相応しくないんだよ。そんな人たちに喩えられても、嬉しくないんだよ。不愉快で、悲しくなるんだよ。
そういうノリを愉しみたいのならば、何処か他所に行ってくれ。
野球が好きすぎて毎日ツイッターで野球中継のツイートして、どんな話をしても野球ネタで例えようとするおじさん
◇まずこれは褒める気あるのか?というような下手くそな褒め方をするやきう大好き子供部屋おじさん
「**はプロ野球の監督なのに対して、この人は高校野球の監督みたいなもの」みたいな例えを使った。
このやきうおじさんの中では純粋な褒め言葉のつもりだったらしい。
プロ野球の監督も素晴らしいし、高校野球の監督も素晴らしい。どっちも特徴があって良いと言いたかったらしい。
ただ、そんなもん「お前の中ではそうなんだろうなお前の中では(=やきうおじさん特有の狭い常識=イデオロギー)」でしかない。
例えが下手すぎるし、空気も読めてない。
そもそもこれを聞いた相手がどう受け止めるか想像できていなかった。
「どういうつもりで発言したかしりませんが、ともかくこういう表現は迷惑だからやめて」
と怒られてしまった。
よほどのアホじゃなかったら、悪気がなかったとしてもまず「誤解を招くような表現をして申し訳ない」くらい言う。
このおじさん、どういう反応をしたか?
「高校野球の監督がプロ野球の監督より劣るという受け止め方をするのは教養の問題」
みたいなことを言い出した。
横で聞いてるだけの私ですら「う、うわあ・・・」としか言えなかったわけで直接言われた人は完全に「は?」って感じだっただろう。
ブロックした後も被害者ぶって、ネットで毎日のように「オレはアイツのことを褒めてやったのに!あいつはオレのことをバカにしやがった!」とキレ散らかす毎日。
自分が余計な発言しなければよかっただけなのに、この人の中では今でも自分は何も悪くないらしい。
アラフォーのおばさんです。
自分より若い歯医者さんと歯科衛生士さんに「ちゃんと歯磨きできていますね」と褒められて本当にうれしくてにやにやが止まらない。
生まれつき顎と歯のサイズがあってないとかで、田舎に一件だけある歯医者で矯正のため抜歯や虫歯治療をした。
再生は寡黙で、目の大きなおじさんだった。
父母が「痛いけどすぐ治してくれる」というくらい治療には容赦なかったと思う。
歯医者さんは怖いし、嫌いだ。
社会人になって、とある病気で歯が溶けた。そのあと鬱病を発症し口内環境はボロボロに。
これは歯科業界の方々にはご迷惑をおかけしたと思うのだが、頭にどうしようもなくなり急患として行ったは一時凌ぎ的な治療を続けた。時には迷惑そうに怒る人がいたら、炎症中の神経に麻酔が効かないなんてことがあった。
よけい歯医者さんは行きたくない、あそこは痛いし怖いからという妄嫉に囚われていたが、ついに前歯がとれてどうしようもなくなりあらゆる口コミを調べて「絶対に優しくて怒らない歯医者さん」を知人に紹介してもらった。
安定剤を飲んで冷や汗をかきながら、ごめんなさいと前置きをしてボロボロの歯を晒した。
「わあ、これは痛いですよねえ。早く処置しないとですね」
※のちのち私が全て保険外治療希望とアンケート書いたからでは?と知人に突っ込まれた
少しでも痛ければすぐに無理せず言うこと、気持ち悪くなっても同じ。神経処理の時も痛そうなそぶりがあると「あと◯回で終わりますからね、ごめんなさいね!」と先生が励ましてくれた。
受付のお姉さんもよくいる派手ギャルじゃなくて優しいお母さんみたいな人だった。
院長先生の代わりに入ってきた女医さんがあまりに下手で痛くてまた動悸が出てきてしまった。
それから紆余曲折あり、家の近所で少し天然なところもあるけれど とにかく優しい歯医者さんを見つけて全歯治療を終えた。
この前生まれて初めての「チェックとクリーニングだけ」をしに歯医者さんに行った。
そこで冒頭の褒め言葉をいただき、かかった期間や金額、ふりしぼった勇気や歯科医界隈への感謝と申し訳なさで泣きそうになった。
タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。
当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピース、フリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボン。かわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。
発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。
昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。
すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。
母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。
ほんとうに驚いたとき、人間は悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメやドラマ(刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。
「かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。
プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族も問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。
私の地元は田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。
学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。
車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしか分からなかった。親や学校の先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。
喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。
水筒のお茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。
今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかいう選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。
少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わずに自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。
この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいか分からないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。
これも小学校中〜高学年頃。
私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。
例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書は卒業していたので、見る本棚は一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくりと本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。
ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。
図書館の本棚は上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校でミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。
何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。
じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいか分からなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。
この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子のモノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってからは飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちがフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯の近未来バイオサスペンス(引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。
この体験は一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。
4度目は小学校高学年。
さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。
私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習は体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。
それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットしたかった。車通りはやはり少ない。
この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性が小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。
相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。
習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手の効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。
そういうわけで、私が小学生のときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。
もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。
どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものだから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。
一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。
中学にあがってから、路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかったからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手の風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。
おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所を地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合、被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達に2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父の趣味にハーレーがあったので、バイクを中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。
そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。
ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。
初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。
今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかに育つべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。
この文章は、職場の男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。
電車通学が珍しい地方の小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。