はてなキーワード: 製造者とは
引っ越し先にローカルなスーパーがある。どれも新鮮でお惣菜もおいしくて助かっている。既製品もチェーンの商店とは品揃えが違って、日常の小さな楽しみだ。
お菓子コーナーのレトロなパッケージのクッキーを、何の気なしに買ってみた。これがなんだかとてもおいしい。ちょっとびっくりした。
中身だけ別の箱に詰めたら贈答用にもなりそうなのに、スーパーで買う日常のお菓子の値段。 12 枚で 300 円弱だったかな。身近な人にあげたくなったが、それはためらわれる程に古めかしいパッケージだ。紅茶よりは湯呑みの緑茶のお供にしたい佇まい。
おいしいから、 1, 2 枚でちゃんとしたものを食べた感じがあって、ずいぶんと長い期間を楽しませてもらった。さっき最後の 1 枚を食べて、どこのメーカーなのだろうと会社名を探す。
製造者の方の「湘南クッキー」で探すと、ファンは多く居るが売っている場所が限られているようだ。在庫が無くなるとそれきりとなってしまうことも多いスーパーだけれど、また買えるといいなあ。
書きながらパッケージを眺めていると、おばあちゃんが生きていた頃の実家の居間とか、元気な魚屋さんがいた今はもう無いスーパーとか、今まであまり思い出さなかった情景がふっと浮かんできて、なんだか鼻の奥がツンとしたりもした。
油が多く排水管にこびりつくとか、下水処理は油の分解をしていないので環境負荷が高いとか、下水処理施設の設備や微生物を傷めるとか聞いたことがある。
たまに食べるときは飲み干すようにしていたが、さっき食べたものはくどくてとても無理そうだ。
改めて調べたところ、新聞紙やキッチンペーパーに吸わせるか、吸水ポリマーや片栗粉で固めるとあった。どれも水分量は変わらず、焼却コストの上昇度は変わらないだろう。
それならばと、漏れないように袋に入れて可燃ゴミに出すことにした。でも収集車内で袋が破れると困りそうだな…。とっておいた緩衝材の紙を使うか。でもあまり吸わなさそう…と躊躇している。
結局皆はどうしているのだろう。食べる人は結構頻繁に食べているようだし、流しているのかなあ。
子供の頃からゴミ処理はもう限界だと聞いていたり、ゴミ処理施設を見学したりしていたので気になる。ラーメンに限らず、ものの廃棄は製造者が責任を持つことにいずれなると思うのだが、なかなかそんな動きにはならないな。
マニュアル人間のように、マニュアル、ドキュメント化、文章化を悪とする風潮が日本にはあるように思う
これが良くないのではないだろうか
いや、Zガンダムでもいい
ガンダムのマニュアルがなかったらアムロはガンダムを大地に立たせることができなかったのではないだろうか
もちろん、武器をマニュアルから見つける時間はなく、偶然押したボタンで頭部のバルカンが出た
しかし、マニュアルがなかったら心細かったであろうし、諦めてしまっていたかもしれない
形だけであれ、まずマニュアル、ドキュメントが存在するというのは心強いのである
ドキュメントがない、issuesに知見が溜まっていない、Stackoverflowで話題にさえならない
そんなソフトウェアはどんなに優れていても使っていて行き詰まってしまったら投げ出しやすくなるだろう
ソースコードが公開されていても、ドキュメントがないのでトラブルのたびにコードを読む、これはとても苦痛だ
命名規則が無茶苦茶なソースコードがあったらプロでさえ投げ出したくなるだろう
コメントから自動生成だけでなく、チュートリアル、Getting Started、Installation、バカでも一通り学べる文章が必要だ
そうでなければそのソフトウェアは流行する可能性はまったくないだろう
インハウスツールであったとしても投げられてしまい、ちゃんとドキュメントや管理できる別の社員が作り変えるかもしれない
つまり、恋愛も同じであり、マニュアル、ドキュメントが寧ろ必要なのではないだろうか
そこには概要やインストールから始まるように、まず最初の一歩はどうすればいいのか、がちゃんと書かれている
そして、恋愛の一通りの機能を学べるようにチュートリアルが用意されている
Zガンダムのカミーユだって父親のコンピュータから操作方法のマニュアル、ドキュメントを盗んでいたと劇中で述べている
ブライト・ノアは才能だと言っているが、自分はそれは少し違うと思うのだ
カミーユに至っては母親も材料物性のスペシャリストである、つまり金属などの分野である
ドキュメントを書く、文章を書くというのは技術をまとめる、開発したものの操作方法をユーザーに伝える、大切なものである
それが将棋や囲碁であれ、あやとりであれ、必ずその分野のプロがいるのである
しかし、恋愛のプロが書いた本があったとしても、碌なものがない印象がある、なぜだろうか?
まず、恋愛のプロである筆者が自己を正しく分析できていないことがある
つまり、なんだかよく分からないがモテる、みたいな人は自分が自分でどう優れているのかさえ理解できていない、いわゆる天才肌とも言えるものである
一般的に、天才というのは他人に自分がなぜできているのか説明するのが非常に下手なことが多いように思われる
例えば水泳について考えるとして、水泳の天才は子供の頃からなんとなくできてしまうパターンが多いように思われる
しかし、天才的な水泳選手が他人に教える、子供に教える、となると非常に下手になってしまう
その理由は私なりに考えるに、天才は自分がなぜそれができるのか、できるようになったのか理解できていないのである、天才だからである
しかし、天才には敵わなかったが、努力の天才とでも言うか、努力で実力を積み上げた選手は他人に教えるのが上手いのである
なぜか?
それは彼らが、自分はなぜできないのか?天才はなぜできるのか?それをひたすら考え、天才のフォームを観察し、仮説や実験、検証を繰り返したからである
苦労をしてきたからこそ、できないプレイヤーの欠点、伸ばせる長所などが分かるのである
詐欺的なもの、単なる自己啓発的なもの、ポジティブシンキングになれば引き寄せの法則が、みたいなものは尚更無意味である
恋愛のマニュアルもまた、恋愛を上達させるために努力を積み上げてきた努力の天才、恋愛の天才に努力で太刀打ちしようともがいた人が書くべきである
以上、まず恋愛にもマニュアルが必要だということを述べ、そこにはステップアップ方式で学べるチュートリアルも必要であり、
それらを正しく書くためには恋愛の天才ではなく、恋愛の天才を目指した努力の天才が書くべきだということを述べた
まず、マニュアルがないのが悪い、マニュアル人間は悪くない、という発想の転換、逆に考えてみることが大切なのではないだろうか
男性向けの上着は、街でも使える見た目(これ最重要)な断熱機能の高い上着が一杯出てるよね。
サーモライトとかシンサレートとかサーモアとか、そういうの。
あれいいよね。
軽くて暖かくて扱いも楽。
野外系ならあるけど、合わせる服を選ぶ。
例えば勤務時の軽装にノースフェイスやパタゴニア……変でしょ有り得ないでしょ。
普通に街中で着られる、軽くて暖かくて扱いが楽な断熱機能の高い上着が欲しい訳ですよ。
今年店頭を占拠してる羊毛の外套の裏地を防風にするとか、毛羽立った外套の生地をポーラテックにするとか、その程度でいいんですよ。
それをすると高くなるのは分かってる。
でも本当に使える物なら高くても買う。
多分みんなそう。
ここは全然「言うまでもなく」ない。むしろ、世界中で「そういった犯罪を……ポルノが助長している『はずだ』」と考える人々が因果関係を証明しようとしているが、誰も証明していないわけで、普通に考えればあくまで「ポルノ」は現実の反映に過ぎない。つまり、誰かが好むものがポルノとして製造されるのであって、ポルノが人の選好を作り出すわけではない。
そもそも、増田の論理の誤りは非常に簡単に説明できる。まず、事実として日本はポルノ大国である、そして性犯罪の発生率は比較的低い。ならば、もし増田の論理が正しいとすると、日本の成人男性はポルノに影響されて非常に倫理観が薄い一方で、犯罪に走らないという強固な倫理観をもつ、という非常に奇妙な主張がなされることになる。単純に言って、矛盾している。
思うに、ポルノの流通は、おおむね規制の厳しさと経済の豊かさとある程度関連しているに過ぎない、というのが妥当な推定なのだろう。規制の厳し過ぎる国や貧しい国では、豊かなポルノ文化は育ちにくい、というそれだけのことなのだ。日本がポルノ大国なのは、規制がそこまで厳しくなく、かつ豊かであることの結果であって、ポルノが氾濫していることが「日本人の乱れた倫理観」を表しているわけではないし、ましてポルノの製造者が犯罪の加担者であったりするわけではない。世界の貧しい国発のポルノは少ないかもしれないが、それはそれらの国の人々が先進諸国に比べて高い倫理観を持っていることを担保しない。
いちいちポルノをやり玉にあげるのではなく、もしある国の「倫理観」を調べたいなら、単に犯罪の発生率をみる方がよほど公平だと思われる。
最初に。私は規制派でも擁護派でもない。単にこの青識亜論と名乗るネット論客と呼ばれるらしい人の書いたと思しきこの記事を批判するだけである。鬱陶しいくらいにツイッタータイムラインに流れてくるのだけど、これを流す人をフォローしてしまっているのだから仕方ない(※じゃぁ青識亜論をブロックすればいいじゃないかとの意見があったが、既にそうしている。以前はあまり気にならなかっただけだ。急に他人の引用リツイートをRTしまくりやがったからそいつもフォロー外した)。
「性犯罪者の九割がポルノグラフィを読んでいた」は、「九割がパンを食べていた」と同じぐらい何の意味もない数字だ(今どきは大概の人間がポルノぐらい見たり読んだりするだろう)。
先ず、この人は自分で引用した記事を読んでいるのだろうか? 斎藤氏の記事はこうだ。
「また、当院のデータでは加害経験がある者のほぼ100%がなんらかの児童ポルノを見ているという事実があります」
斎藤氏は100%だと言っているのである。この時点で既に不適切な例示だと言い得る。さらに言えば、関連性があると考えても不自然ではない「児童ポルノ」や「幼児ドール」と同様に、全く無関係でその相関を考えるのは頭がおかしいとしか思えないレベルの「パン」を対置して何が言いたいのであろうか(これは実はとある地方自治体議員のツイートからの流用であることは知っているが)。その上「ポルノ」は見たとしても、この記事で問うているのは児童性犯罪であって児童ポルノであり、「児童ポルノ」は大概の人が見るとは常識的には言えない。要するに反論が適当すぎるのである。斎藤氏は臨床現場で実際に加害経験者と関わってきたという直接的な経験から児童ポルノと児童性犯罪の関連性はあると言っているのであるから、このような駄論で反論になっていると思うのは低レベルに過ぎる。
性犯罪の「引き金を引いた」というのも、大仰に書いてあるが、逆に言えば単に引き金となっただけであり、ポルノが無ければ別のものが引き金を引いた可能性もあるし、マクロでポルノが性犯罪を増やしているかどうかについては何の論証にもなっていないのである。
論証になっていないと評価するのは自由だが、斎藤氏の臨床体験から引き出されたエビデンスであり論拠にはなっているわけで、軽々に無視して良いものではない。なおこの引用部分についても斎藤氏はきちんと触れていて「児童ポルノに出合わなくとも、なんらかのきっかけで彼らが子どもへの性的関心を抱くようになった可能性はあります。けれど児童ポルノに出合わなければ、それが強化され認知が歪むプロセスをどこかで食い止められた可能性は無視できません」と書いているわけで、この人は記事を適当に斜め読みしかしていないことがよく分かる。以上、これでは全く反論になっていないと言わざるを得ない。但し、私は反論になっていないと批判しているだけであって、反論された論理をが正しいと言っているのではない。そうではなく、これに対するより正しい反論は、児童ポルノが性犯罪に影響するとは言えないという別のエビデンスを示すことであって、屁理屈でねじ伏せても無意味だと言いたいだけである。
もしも、犯罪を防ぐために関連しそうなあらゆるものを規制しても良いというのであれば、テロを防ぐためにある種の宗教や思想を規制したり、安全保障のために特定人種を閉じ込めてしまえという発想を容易に合理化する。
これも雑すぎるだろう。破防法だって実際にあるわけだし、児童性犯罪経験者の再販を防止するために情報公開やGPSタグによる監視など、ある程度の人権制限をする主張はしばしばなされている。余りに親が子供を叱る叱責の怒鳴り声が頻繁に聞こえるようであれば、実際の虐待が確認できなくとも児相に通報することは現代では常識の範疇ですらある。
こうした主張はかつてのオウム真理教もやっていた記憶があるのだけれど、多くの残虐事件を実際に引き起こし取り返しがつかない事態になったことは言うまでもあるまい。そう言えば拉致問題で北朝鮮側か社民党が似たような主張を……、はどうでも良いとして、たしかに実際に規制するには危険性をもう少しきちんと示すべきではあろうけれど、現状で危険性が示されていないからと言って、危険ではないという話にはならない。また、それを言うならば危険性はない=安全だということを主張する側が十全に挙証責任を、あるいは製造者が製造物責任として安全であると保証義務を貸すべきだとすら言い得るだろう。以上、これもまた反論になっていないと評するしかない。
これは、「犯罪をしてはいけない」という強い規範の裏返しなのであって、本物の少女をレイプせよと勧めるようなメッセージ性は全く込められていない。
よくもまぁこんなありきたりのつまらない詭弁を弄するものだと呆れる。じゃぁ何故「レイプ」ではなく「レ◯プ」だったのか。当然レイプがいけないことだと認識していたからの表現であるからに他ならない。だからはっきりレイプとは書けなかったのである。ゾーニングされているアダルトショップ内ですらも、だ。レイプが倫理的に不味いからと認識していなければ伏せ字表現はありえない。従って、あの表現は単に「いやーお客さん、生物の少女をレイプするのは犯罪になりますから、こちらの少女に似せた人形ならば合法ですよ」とレイプという不道徳で危ない表現を用いて商品コピーにしているだけである。何が「強い規範」なものか。尤もそうしたメッセージ性など込められていないのは当たり前、但しそうした願望が存在していることは認めている表現である。それ以外に「合法」とわざわざ表現することへの意味の取りようがない。扇動はしていないかも知れないがそれに極めて近い表現である。少女レイプ願望それ自体は肯定しているのだから。従って、反論としては不十分である。
現実には、黒人のイメージ写真を商品画像に付したパンチングダミー人形は販売されているし、特に倫理的な問題が存在するとも思えない。
この人がほんとにアホだなと思ったのはこれである。そもそもじょいたま氏の理屈に対応していない。ボクシングはそもそも相手を殴るスポーツだし、この広告はその相手をイメージさせるだけのためにボクサーのような人物写真を用いているだけである。しかしじょいたま氏が言っているのは「「黒人を合法的に殴れる♪」という触れ込みで黒人を模した人形を販売すること」である。全然目的が異なるものを示して反論になるなどと、アホとしか思えない。反論するならば、「あくまでも人形だから良いということで売っているだけで本物の幼女をレイプしていいというメッセージ性はない」と前項でこの人自身が言った理屈で済むだけの話。
子どもが見ないようにゾーニングをし、アダルトショップ等で販売しているのであり、通常、児童がアクセスすることはできない。すでに十分に抑制された状況の下で販売されているのであって、これも詭弁である。
やっつけで反論しているとしか思えないくらい穴だらけの、詭弁はお前だと言いたくなる。割と最近、エロ萌え絵のだきまくらを、それを買って自宅においていた父親が、その自室に子供に入られてしまってその抱き枕に子供が抱きついていた写真を、そのバカ親父はあろうことか自慢気にTwitterにアップし、はてなブックマークでで「児童虐待だ」と叩かれまくっていたのは記憶に新しい。ゾーニングされてたって、売られたらそこから出てしまうのだから、斯様に子供に抱きつかれるに至ることすらあるのだ。個人的な話だけど、少々性的な興味を抱き始めていた小6の頃、親の洋ダンスの中に超リアルな電動こけしを見つけて、めちゃくちゃショックで確かに一時期トラウマになり、親の顔を見られなくなったことはある。あんな真面目そうな親が、と。だから、トラウマになること自体はあり得るので、対論者に反論することは難しい。ただ、こうは言える、だから何なんだ? と。子供時代に様々な事柄について知っていく上でショックを受けることは他にいくらでもあるのだから。何れにしても、この人の反論はいわゆる「すり替え」であり、ゾーニングの問題ではない。
めんどくさくなったのでここまでとする。何れにしても安直な反論ばかりで話にならないくらい低レベルだとしか思えないのだが。
追記;なお、誰かこの増田記事をTwitterで拡散してくれたらなと願う。反論を欲しがっている人が結構いるようだ。私自身はフォロワーとか少ないし、ツイッター上の立場が少々特殊なのでやりたくない。我がままですまん。
中身あんまり読んでないし、クラウドファンディングにもいろいろあるんだろうけど、
たしかに場末の通販サイトに成り下がってるクラウドファンディングサイトは多いイメージ。
今はただの金がない製造者がいるだけ、みたいな。
こってりでもあっさりでも豚骨でも塩でも味噌でも醤油でもバカみたいに具沢山でもこだわりの選抜された具材でも太麺でも細麺でも家系でも二郎でもインスパイアでも天一でも山岡家でもバーミヤンでもいいから
カタメコイメオオメ!!!!!!!!にんにくトッピング!!!!!!!!!!!!!
あーーーー!!!!!!インスタントラーメンではこの欲求は満たされん!!!!!!!!!!
誰か都内のオススメのラーメン屋トラバしてください頼む!!!!!!どんな風に美味いのかも書いてくれ!!!
魚介っぽい味もする豚骨風味のスープが細麺に絡んでめちゃくちゃ美味い、あと何と言ってもチャーシュー麺のあのバカさ加減
どんぶりに沿って一周するように並べられたあのチャーシューがうめえんだわまた どんぶりに咲いた一輪の花、チャーシュー満開です!!店員さんのコール暗記しちゃったよ!!
おすすめはメカとろチャーシュー醤油麺!!!昼時間帯も美味いが夜時間帯の方が個人的に好き!!!!!あと店員さんがみんないい人!!!!!!!
八王子だけじゃなく福生と相模原にもある!!!全員行け!!!!!!
頼む!!!!!!!!!!!おすすめラーメン貼ってくれ!!!!!
それまで潰れんじゃねえぞラーメン屋さん!!!!いつもありがとう!!!!!!
(追記)
ブクマカの人ありがとうございます、ラーメンショップ宮沢湖店覚えておきます
写真見たけどおいしそうだ
(追記その2)
そうだよラーメンという食い物は麻薬だよ カロリーすごい塩分高いし痛風になるし1ミリも健康に良くない だから美味いんだ…
札幌自分も地元だ!山岡家いいよね、どの店舗行っても床がぬめぬめしてるけど笑 味の時計台もオーソドックスな札幌ラーメンって感じがしてうまい あと純蓮の本店は死ぬ前に絶対一度は行ったほうがいい
札幌帰りてえわ〜親に会いたい
一蘭美味いよねめっちゃわかる たまに無性に食べたくなる 渋谷の一蘭とか一時期中国人観光客の行列できててびっくりしたわ
宅麺っていうサービスがあるんですね!!教えてくれてありがとう!今度使ったら感想言うわ
飯能の百川!覚えておきますありがとうございます 小旅行がてら行ってみたい
壱発の「元気玉」と「励みになります」めっちゃわかるわ スープ全部飲み干すと「いい飲みっぷりで!」って声かけてくださるんだよな あの笑顔の素敵な元気のいいおっちゃんたち元気してるかな
うどんも食いてえよな〜わかるわかるよ コシのあるうどんってお店でしか食べれないよな 笑われるかもしれないけどはなまるうどん大好きなんだよ…行きたくなってきた…
冷凍食品のラーメン正直バカにしてたけど、蒙古タンメンの汁無し坦々麺が思ったより麺もちもちしてて具がシャキシャキでうまかったわ〜びっくりした
セブンのとみ田の豚ラーメンもうまかった コンビニのチンするだけのラーメン、年々クオリティが上がっててすごいよね 製造者の方に頭上がらんわ
「うちのおかんが昨日郵便受けに入っていたものの名前がわからん言うとんねん」
「なんや近所の小学生のいたずらかな。一緒に考えてあげるから、どんな特徴か教えてくれよ」
「おかんが言うにはな。ガーゼとゴムでできていて、口と鼻を覆う形をしていているやつやって」
「マスクやないかい!その特徴は、完全にマスクやがな。すぐ分かったやん、こんなもん」
「けど分かれへんのよな、死んだときには是非これをお棺に入れて欲しいらしいねん」
「あー、ほなマスクと違うか・・棺桶に入れるのがマスクでええわけないもんね。あそこには天国に行っても使って欲しいものを入れるんよ。天国行ってまでマスクしてほしくないやろ。
マスク側もね、思い出の写真とかと一緒に副葬品に任命されたら荷が重いやんかあ?ほなマスクちゃうがな。もう少し詳しく教えてくれる?」
「うん、なんで2枚入っていたんかわからんらしい。うち4人家族なのに」
「マスクやないかい!政府は世帯ごとに2枚配るって言ってたよ。
ただ、あれはな、1億枚確保できたから世帯数5千で割り算して決めたんじゃないかって睨んでんのよ。俺の目は騙されへんよ。俺騙したらたいしたもんや。
必要な数じゃなくて配れる数が2枚や!俺はなんでもお見通しやで!マスクやそんなもん!」
「おれもマスク思たんけどな、おかんが言うには、製造者の表示がないんやて」
マスクはな、日本衛生材料工業連合会、略して日衛連の自主基準によって製造者、販売者の名称、住所および電話番号を表記することとなっとんねん。売ってるのはみんな書いてあるよ。マスクちゃう!もうちょっとなんか言ってなかったか?」
小学生は三角巾とセットで巾着袋に入れてランドセルにぶら下げてたんやから。あと体操服の巾着袋もランドセルにぶら下げてバランス悪くなってる子もいたよ。マスクや!」
「うん、マスク思てんけどな、おかんが言うには、色は白しかないらしいねん」
最近はみんな手作りでカラフルなのも作ってるよ。都知事なんか、日替わりでファッションショーみたいにしてるしな。白しかダメって言ってる学校の先生もいるらしいけど、今はマスクすることが大事やねん。
「おかんが言うには三千円で売ってるのもあるらしい。」
朝日新聞で売られてたって総理も言ったらしいけど、あれは、泉大津市マスクプロジェクトから生まれたマスクで、洗っても使える手作りマスクや。地域の繊維メーカー6社が提供している、まさに生産者の顔が見えるマスクやねん。
一時期高額転売されてもっと高い値段で売られてるのもあったけど、3月の閣議決定で、購入価格を超える価格でマスクを転売することは禁止されとるからね。
これでも不正な転売がされるなら俺は動くよ。マスクで決まりや!」
「分かれへんねん。」
「おかんがマスクちゃう言うてんならマスクちゃうやないか!先言えよ。どないなっとんねん!」
「うん。おとんが言うにはな、防護服代わりの雨がっぱちゃうか?て。」
「もう絶対違う」
PCR検査を、ソフトウェアのテストとか工場の検品みたいなものと勘違いしている人が多いようだ。
検品は不良品を出さないために必要な工程であり、出荷される製品については何かしらの形で行われることになるだろう。また、最終組み立ての後での不良はそこまでに注ぎ込んだ多くのコストがみんな無駄になるので、そういうことがないように中間の検品で早め早めに問題を炙り出して行って大きな品質の問題が起きないようにするものである。
だけど、PCR検査はそういうものではない。検査で陽性患者を見つけてしまったら医師としては対応しなければならないので、検品で不良を見つけるが如く陽性患者をかたっぱしから見つけてしまうと対応しきれない。そうならないように、陽性患者であることが検査で証明されるようなことは避けなければならない。検品に例えていうなら、事前の検品にあたるような行為は避けて、出荷後に実際に製品が事故を起こしたときだけ対応するようにするのだ。それは医療崩壊を防ぐために必要なことだ。
ソフトウェアのテストにしたって同じだ。エンジニアはソフトウェアも自動化テスト技術などを駆使して、ソースツリーが常時漏れなくテストされている状態などを作ろうとしているが、テストでバグが見つかったらこれには対応しなければならない。テストで見つかるバグに都度対応していたらプログラマーは新機能に取り掛かることができない。これは医療崩壊に相当する。
ハードでもソフトでもいいが、ものづくりに携わる人間はどうも医療をわかっていないようだ。欠陥に気づかずに製品を出荷して重篤な事故を起こしたら製造者の責任が問われるために上記のような態度には抵抗があるかも知れないが、識別されなかった患者が病気で死んでもそれは医療の責任ではないのだ。そんなことよりも大事なことが今あるのだ。
いまの医療のミッションは、目の前の患者に対峙することではない。現時点では治療法などないのだから、現時点で重症になった人間には基本的にそのまま死んでもらうしかないのだ。では何のために最低限の治療をやっているのかというと、臨床データを取得して研究開発を急ぐためだ。だけど、医療者だって人間なので、重症患者が病院に運び込まれたらそのまま死んでくれとは言えない。その言えなさが単純に研究開発の足を引っ張っている。すでに臨床データは有り余るくらい病院に患者は運び込まれているわけだから、これ以上患者が増えることは問題の解決につながらず、邪魔でしかない。
だから医師は言う。とりあえず罹らないようにしろ(=手洗いが重要)、いま一生懸命治療法を開発している、だけどいま粗忽にも罹った人間については手の施しようがないので我々の手を煩わせずに黙って死んでくれ(=検査はしない。本当は治療もしたくない。)、と。
最後の部分だけをボカしていうからとかくわかりにくくなるのだが、平たくいうとそういうことなのだ。
(あ、ちなみに僕は医者じゃないので)